『北海道・進歩と革新の運動史年表 1945.8―1980』(ほっかい新報社史料刊行委員会、19840909)
| 年月日 | できごと | 備考 |
| 19540707 | 小樽市議会、さきに原水爆禁止を決議したが、8・15を期して市が主催して原水爆禁止の署名運動をすることを満場一致で決議。 | |
| 19560805 | 原水爆禁止北海道大会、大通小学校で開かれ各界代表1500名、知事・道議長も参加。 | |
| <作業中> | ||
| 19800712 | 「核兵器をなくし、被爆者救援を」礼文から平和行進スタート。 | |
止
『北海道・進歩と革新の運動史年表 1945.8―1980』(ほっかい新報社史料刊行委員会、19840909)
| 年月日 | できごと | 備考 |
| 19540707 | 小樽市議会、さきに原水爆禁止を決議したが、8・15を期して市が主催して原水爆禁止の署名運動をすることを満場一致で決議。 | |
| 19560805 | 原水爆禁止北海道大会、大通小学校で開かれ各界代表1500名、知事・道議長も参加。 | |
| <作業中> | ||
| 19800712 | 「核兵器をなくし、被爆者救援を」礼文から平和行進スタート。 | |
止
2022年6月(日録)
止
沖縄人民党の歴史 第12章 科学的社会主義の党に向かって<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 「施政権」返還と新しい段階での党の進路 |
| 1 たたかいの新しい段階 | |
| 2 科学的社会主義の党へ―画期的な決定 | |
| 3 理論学習と全党討議すすむ | |
| 4 第三十三回総選挙-瀬長再選と共産党の大躍進 | |
| 2 | 日本共産党の旗のもとに |
| 1 党発展の創造的な歩み | |
| 2 第17回党大会 | |
| 3 合流への準備すすむ | |
| 4 合流の達成と日本共産党沖縄県党組織の発足 | |
| 年表 | |
止
沖縄人民党の歴史 第11章 核も基地もない沖縄をめざして<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 日米交渉の進展と内外情勢 |
| 1 二つの道をめぐる七一年闘争 | |
| 2 政府の秘密外交 | |
| 3 ニクソンのラオス侵攻と党の抗議闘争 | |
| 4 日米共同声明の条約化の動き | |
| 2 | 全面返還を要求する統一闘争の高まり |
| 1 七四年四・二八と五・一九統一行動 | |
| 2 沖縄協定締結と怒りの抗議行動 | |
| 3 「核マル」一派との謀略的攻撃 | |
| 4 参議院選挙のたたかい | |
| 5 「久保・カーチス協定」と自衛隊に反対する闘争 | |
| 3 | 「沖縄国会」へ向けたたたかい |
| 1 党創立二十四周年と県内情勢 | |
| 2 六中総―たたかいの方針 | |
| 3 ”ドル・ショック”の襲来 | |
| 4 「沖縄国会」を前に | |
| 5 ”瀬長島を返せ” | |
| 4 | 国会を包む壮大な統一行動の展開 |
| 1 11・10統一行動 | |
| 2 強硬「採決」への怒り | |
| 3 議場を圧した瀬長質問 | |
| 4 党勢拡大をめざして | |
| 5 | 「施政権」返還と沖縄県の復活 |
| 1 ″復帰不安″の深まりのなかで | |
| 2 パリ世界集会に「沖縄の声」 | |
| 3 全面占領下さいごの 四・二八 | |
| 4 五・一五「施政権」返還 | |
| 6 | 県知事・県議選挙の勝利 |
| 1 沖縄の進路をかけた政治戦 | |
| 2 五大基本政策をかかげて | |
| 3 党の躍進と革新県政の誕生 | |
止
沖縄人民党の歴史 第10章 日米共同声明路線反対闘争の発展と国政参加選挙の勝利<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | B52撤去、原潜「寄港」阻止闘争の発展 |
| 1 B52の墜落と生命を守る県民共闘の結成 | |
| 2 二・四ゼネストの提起とたたかいの急速な発展 | |
| 3 ゼネスト圧殺の策謀と二・四大統一行動 | |
| 2 | 第七回海上大会と一九六九年四・二八諸行動 |
| 1 「左」右の攻撃から統一を守って | |
| 2 行政主席も県民大会に | |
| 3 | 佐藤訪米反対の一九六九年十一月闘争と日米共同声明の発表 |
| 1 日米交渉の進展と党の闘争方針 | |
| 2 全軍労の二十四時間スト―銃剣と対峙して | |
| 3 毒ガス撤去せよ、の声全県下に | |
| 4 前進する具志川市昆布の土地闘争 | |
| 5 佐藤訪米抗議の大デモ―11月闘争 | |
| 6 日米共同声明の発表と党の抗議 | |
| 7 革新県政の正しい発展のための党の闘争 | |
| 8 那覇市議選挙での党の前進 | |
| 9 瀬長委員長、ジョリオ・キュリー賞を受賞 | |
| 10 第32回総選挙と共産党の躍進 | |
| 4 | 第十六回党大会と新しい綱領の決定 |
| 1 新綱領をきめた歴史的な大会 | |
| 2 新しい綱領の内容とその歴史的意義 | |
| 3 初の共産党代表を迎えて―一九七〇年四・二八闘争 | |
| 5 | 日米安保条約の固定期限終了と安保廃棄、基地撤去闘争の高まり |
| 1 安保条約廃棄をかかげて | |
| 2 日本共産党第十一回大会への人民党代表の出席 | |
| 6 | 国政参加選挙の勝利 |
| 1 国政参加ついに実現 | |
| 2 選挙の勝利をめざして | |
| 3 いっせい市町村選挙の結果 | |
| 4 日本共産党の支援を受けて | |
| 5 高まった瀬長支持 | |
| 6 歴史的な勝利、瀬長二位当選 | |
| 7 豊見城村長選挙の勝利 | |
| 7 | コザ事件―「鉄をもとかす怒り」の爆発 |
| 1 二十五年の怒り燃えあがる | |
| 2 演習やめよ、山を守れ | |
止
沖縄人民党の歴史 第9章 革新共闘の発展と三大選挙の勝利<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 教公二法阻止のたたかい |
| 1 土地接収反対闘争 | |
| 2 教公二法阻止闘争の勝利 | |
| 3 一九六七年の四・二八行動 | |
| 4 「核基地つき返還」論の登場 | |
| 2 | 第15回党大会 |
| 1 新綱領草案を提起した第15回党大会 | |
| 2 党創立20周年を祝う | |
| 3 渡航の自由のためたたかいと人民党 | |
| 4 瀬長委員長の渡航許可かちとる | |
| 5 「核基地つき返還」論との対決 | |
| 6 佐藤訪米反対のたたかいと日米共同声明 | |
| 3 | B52戦略爆撃機撤去のたたかい |
| 1 佐藤首相、B52問題で古堅書記長に暴言 | |
| 2 全軍労の10割年休闘争と一九六八年の四・二八行動 | |
| 4 | 主席公選の実現と歴史の転換をかちとった三大選挙の勝 |
| 1 たたかいとった主席公選 | |
| 2 革新共闘会議の結成と統一の前進 | |
| 3 「いもとはだし」論、反共攻撃とのたたかい | |
| 4 歴史の転換をかちとった勝利 | |
止
沖縄人民党の歴史 第8章 ベトナム侵略戦争の拡大と大衆闘争の高まり<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 「北爆」開始と第十四回党大会 |
| 1 第一次佐藤・ジョンソン会談〔1965年1月14日日米共同声明〕 | |
| 2 第十四回党大会〔1965年1月16・17日〕 | |
| 3 ベトナム侵略戦争の基地化と米兵犯罪、演習被害の増大 | |
| 〔1965年6月18日「隆子ちゃん(読谷村・喜名小学校5年生)圧殺に対する抗議県民大会」、同校で開催。参加者約1万人〕 | |
| 4 労農運動の発展と統一を回復した四・二八闘争 | |
| 〔1965年4月28日、4・28県民大会、会場:那覇市内神原小学校、8万5000人結集〕 | |
| 5 立法院でのベトナム出撃基地化反対決議 | |
| 〔1965年7月30日、B29の渡洋爆撃で「戦争行為の即時取止めに関する要請」を全会一致で決議〕 | |
| 2 | 佐藤首相来冲抗議のたたかい |
| 1 製糖会社合併反対の宮古農民闘争 | |
| 2 「売国奴・佐藤かえれ!」〔1965年8月19~21日訪問〕 | |
| 3 「戦場」状態とその下での大衆闘争 | |
| 〔第11回原水爆禁止世界大会への取り組み。沖縄県原水協から代表17人派遣。「民政府」、団長の瀬長委員長へのパスポート拒否(10回目)〕 | |
| 〔1965年7月30日、沖縄・小笠原返還同盟結成大会。会場:東京千駄ヶ谷・全自交会館。42都道府県・188人参加〕 | |
| 4 二中総・三中総と自治体選挙 | |
| 5 第7回立法議員選挙と「失格」宣言とのたたかい | |
| 〔11月14日投票〕 | |
| 3 | あらたな土地接収への怒り |
| 1 矢つぎばやに土地接収通告 | |
| 2 『人民』四頁建てに躍進 | |
| 3 一九六六年4・28とグェン議長のメッセージ | |
| 4 統一を回復したメーデー | |
| 4 | 裁判権移送撤回闘争と公民権奪還 |
| 1 侵略の前進基地化と増大する県民の犠牲 | |
| 2 主席間接選挙反対闘争の発展と裁判権移送撤回、公民権回復闘争の勝利 | |
| 3 一九六六年いっせい市町村選挙と人民党 | |
| 4 欺瞞的な「分離返還」論とのたたかい | |
| 5 植民地的な搾取・収奪に反対して | |
止
沖縄人民党の歴史 第7章 専制支配の強化とそのもとでの共闘と分裂<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 第十三回党大会と第六回立法院議員総選挙 |
| 1 第十三回党大会とあけぼの印刷所建設〔1962年9月22~23日〕 | |
| 2 第六回立法院議員総選挙と党の前進 | |
| 3 中学生れき殺米兵への無罪判決と県民の抗議 | |
| 〔1963年2月28日国場秀夫轢殺、米兵は5月1日の軍法会議で無罪判決〕 | |
| 4 那覇区教育委員に人民党から初当選 | |
| 2 | アメリカの専制支配と県民の共闘 |
| 1 キャラウェイ高等弁務官の専制政治 | |
| 2 生活と権利を守る県民共闘会議の結成と六三年春闘 | |
| 〔1963年3月12日、共闘会議結成〕 | |
| 3 一九六三年四・二八と初の海上交歓 | |
| 4 全沖労連分裂の策動と党のたたかい | |
| 5 婦人運動の新たな前進 | |
| 〔1963年6月9日、新日本婦人の会沖縄県本部結成〕 | |
| 3 | 専制政治下での諸闘争の発展と八・一五海上大会 |
| 1 ケネディの美化に反対して | |
| 〔1963年11月22日、ケネディ米大統領暗殺される。人民党中央常任委員会論文「ケネディの死を利用した人民党攻撃の陰謀を暴露する」〕 | |
| 2 「キャラウェイ〔高等弁務官〕旋風」吹き荒れる | |
| 3 「クィック・リリース〔緊急発進〕」作戦反対デモ | |
| 4 八・一五海上大会 | |
| 4 | 戦線分裂と統一をめざすたたかい |
| 1 大田主席を辞任に追いこむ | |
| 2 県原水協の分裂 | |
| 3 令冲労連脱退派で県労協を結成 | |
| 〔1964年9月25日、県労協:沖縄県労働組合協議会結成〕 | |
| 4 主席指名阻止のたたかい | |
止
沖縄人民党の歴史 第6章 軍事的植民地的支配の新段階と県民運動の前進
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 第十一回党大会と第五回立法院議員総選挙 |
| 1 第十一回党大会〔1960年8月27・28日〕 | |
| 2 第五回立法院議員総選挙での後退 | |
| 3 OSIのスパイ強要事件 | |
| 2 | 原水爆基地化の進行と平和運動 |
| 1 ホーク、メースBの配備とナイキ発射演習〔1961年1月13日、演習開始〕 | |
| 2 復帰協の戦闘的方針 | |
| 3 平和行進と県原水協 | |
| 〔平和行進1961年6月4日、八重山の伊原間から開始、本島内では7日間行進、参加者のべ人員およそ8万人、迎えた人びと、集会参加者あわせて12万人〕 | |
| 〔原水爆禁止沖縄県協議会第6回定期総会1961年8月5日那覇市・沖縄会館で開催〕 | |
| 3 | 第十二回臨時党大会と「二つの敵」路線の確立 |
| 1 日本共産党第八回大会と綱領決定 | |
| 2 ケイセン調査団来県への抗議行動 | |
| 3 第十二回臨時党大会 | |
| 4 糸満町長選挙で上原亀一郎当選 | |
| 4 | 党中央機関紙『人民』の発行 |
| 1 出版の自由をかちとるたたかいと『人民』の創刊 | |
| 2 「二・一決議」と運動の高揚 | |
| 3 沖縄民青同盟と全沖農の結成 | |
| 4 ケネディ「新政策」の登場 | |
| 5 1962年統一春闘と全沖労連 | |
| 6 布令第145号の撤廃 | |
止
沖縄人民党の歴史 第5章 瀬長那覇市政と民主主義擁護、祖国復帰運動の発展まり
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
| 節 | 見出し |
| 1 | 瀬長那覇市政の誕生と民主主義擁護のたたかい |
| 1 第八回党大会〔1956年11月4日〕 | |
| 2 瀬長書記長、那覇市長に当選〔1956年12月25日投票〕 | |
| 3 市政に対する不当な干渉、妨害の激化と臨時党大会〔1957年1月13日〕 | |
| 4 不信任可決と那覇市議選挙 | |
| 5 布令による市長追放〔1957年11月23日布令公布、11月25日那覇市議会で不信任案可決〕 | |
| 6 瀬長市政の意義 | |
| 2 | 那覇市長選挙勝利と立法院議員総選挙での前進 |
| 1 大統領行政命令と岸・アイク共同声明 | |
| 2 第9回党大会〔1957年12月8日〕 | |
| 3 民主主義をまもるたたかいの前進と那覇市長選挙での民連の勝利 | |
| 4 民連の全県的統一戦線組織への発展と第四回立法院議員総選挙 での前進 | |
| 5 兼次の裏切りと民連の不団結 | |
| 6 民連の評価―その成果と教訓 | |
| 3 | 労働運動の新しい発展とドル切り替え |
| 1 労働運動の高揚 | |
| 2 沖縄県原水協の結成〔1958年8月6日〕 | |
| 原水爆禁止沖縄県協議会綱領 一、私たちは原水爆実験の即時停止を要求します。 一、私たちは核兵器の製造、貯蔵、使用の禁止を要求します。 一、私たちはソア等核兵器の沖縄持ちこみに絶対反対します。 一、私たちは原水爆搭載機のパトロールを即時止めることを要求します。 一、私たちは、沖縄を原水爆基地にすることにつよく反対します。 一、私たちは、沖縄をいつまでもアメリカの軍事基地にすることに反対し、祖国復帰実現のためにたたかいます。 |
|
| 3 ドル切り替えと党のたたかい | |
| 4 妥協と四原則放棄の軍用地問題”解決” | |
| 5 日本共産党第七回大会と沖縄問題 | |
| 第七回大会:1958年7月23日~8月1日。大会としては10年7か月ぶりの開催。「沖縄に関する決議」を採択。 | |
| 4 | 復帰協結成と復帰運動の発展 |
| 1 第十回党大会と統一戦線方針 | |
| 2 「新集成刑法」阻止のだたかいと日本政府への公開質問 | |
| 3 宮森小学校ジェット機墜落事件と平和運動 | |
| 〔1959年6月30日 学童11人を含む死者17人、重軽傷者121人。パイロットはパラシュートで脱出〕 | |
| 4 復帰協の結成と復帰運動の新段階 | |
| 〔1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約発効<屈辱の日>〕 | |
| 〔1959年4月28日 沖縄県祖国復帰協議会結成〕 | |
| 5 新安保条約反対とア大統領の来沖抗議 | |
| 〔1960年6月19日 アイゼンハワー米大統領来沖。沖縄県祖国復帰協議会、県民大会開催。1万人余参加。〕 | |
| 6 主席任命の「第一党方式」登場 | |
止