ヒロシマのこだまに―メアリ・マクミランと広島

『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)

 

荒木武(広島市長) いつまでもお元気で
原田東岷 また会いましょうメアリさん
1 アメリカから広島へ
1. 幼いころ 2.学生時代 3.日本へ
2 なつかしいヒロシマの人々
女学院の人たち 松本卓夫先生 元吉潔先生 原田寿先生 熊田ムメ先生 河本一郎君 岩崎大介さん 多田公夫さん
被爆者の人たち 宋年順さん かみさこおばさん 池田ハツヨさん ふじやまのおばあちゃん
仲間たち 松原静江さん 松原静一さん 室積康也さん 藤本みどりさん
お世話になった人たち 日吉未亡人 今石あきさん 原田東岷さん 銀行家の小田氏
教え子たち 今田あやめさん 今田さん 芝間タヅさん 石国ふみこさん 中本博子さん 秦知子さんのことなど
宣教師仲間 ウィリー・富樫さん グレース・ウィルソン 宗像基牧師
3 資料編 1947年~  1980年
年譜
あとがき

目次

 

ヒロシマ研究公開セミナー資料集

『ヒロシマ研究公開セミナー資料集 1968年3月8日~10日 』
(ヒロシマ研究の会  広島YMCA会員事業部)

収録資料

№. タイトルなど 形態
1 「原爆被爆者援護の問題点―「ヒロシマ研究の会」討議資料」 冊子
目次=1.戦時の人権と平時の人権の落差が今日まで影響していること、2.原爆被爆者の援護は老人福祉対策の改善の突破口である、3.無差別攻撃と差別待遇、4.第三国人の被爆、5.結び(援護と調査)、あとがき
裏表紙=この小冊子は、金井利博氏が本会でていきされた意見を討議資料としてまとめなおしたものです。(ヒロシマYMCA内ヒロシマ研究の会、1967年12月10日)
2 ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの1 B4-4枚
「ヒロシマ研究」公開セミナーの意図するもの―ヒロシマ研究の会の紹介をかねながら
3 ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの2 B4-1枚
プログラム
討議資料

ヒロシマ研究の会1年の歩み(年表・改変・抄)

ヒロシマ研究の会1年の歩み(年表・改変・抄)

月日 事項<注:この欄への月日のあるものは「ヒロシマ研究の会」以外の関連事項>
1967 0615 ヒロ研第1回例会
0707 ヒロ研第2回例会
金井利博「原爆と補償」=原爆投下は、非戦闘員まで死滅させた無差別爆撃であったという特殊性をもつ国は戦争責任をとるべきであり、被爆者が補償を要求するのは当然の権利である。
朴寿南「朝鮮人被爆者の実態と問題」=労働者確保の為、広島に強制的に連れてこられた朝鮮人は原爆をうけたことを一アクシデントとしてしか感じない程しいたげられていた。日本人は、被害者であると同時に戦争の加害者だったのだ。
0720 ヒロ研第3回
橋本栄一「被爆者救援活動の問題」=活動は継続してこそ意味がある。上から見る形、つまり慈善的な取り組み方ではなく、自己の問題として深めよう。
0726
0803  ヒロシマ世界を結ぶ集い
0811  ヒロ研第4回
庄野「原水爆をめぐる世界史」=被爆者の問題は核につながる今日の問題である。又、既成団体に依存しない市民団体の運動としての平和運動が必要。
0901  ヒロ研第5回
栗原貞子
0908  ヒロ研第回
早川美子
*花美鈴
0921  ヒロ研第7回:南の
1006  ヒロ研第回
1020  ヒロ研第9回
1027=第1回対話の会。
1101=厚生省「原子爆弾被害者実態調査 健康調査及び生活調査の概要」発表。
1102=広島市長、市独自で全数調査をする旨言明。
1109  ヒロ研第10回:厚生省調査結果に対する討論。この時完全な実態調査を市に要求するための署名運動をすることを決定。
1124=YMCA会員の沖縄報告会。
1125  署名運動開始。
1130  ヒロ研第11回:署名運動の経過報告と方針。この時1130名の署名が集まっていた。
1208  ヒロ研第12回:市長への要望書の内容検討。
1219  ヒロ研第13回:署名運動の方針、公開セミナーの構想
1220=対話の会
1221  市長との会見:おざなりの返事しか貰えなかった。地道にやっていくことが必要である。
1223=白書の会「実態調査促進運動に全面協力」。原爆小頭症の認定児は全て医療保護されることを決定。
1226=平和の会「被爆者招待クリスマス」
1968  0108=フェニックス号北ベトナム公開記録公開。
0111 ヒロ研第14回:新年における会員夫々の抱負を話し合い新年の展望を概要的にまとめる。
0114  第1回対話のつどい開催準備。
0115=第1回対話のつどい―青年とヒロシマ―。会員山本暁子発題。
0125 ヒロ研第15回
田原伯(原爆資料収集家)=ヒロシマの問題を一生の仕事として取り組んでいられる田原さんの話を通してもっともっと真剣にならねばならぬとおもった。
0127=白書の会。女学院高校生徒が募金を朝鮮の人達に渡した。
0208  ヒロ研第16回
大牟田稔(中国新聞)「全国に散在するヒロシマをめぐるグループの動向」=ヒロシマをもっと知って欲しいという態度ではなく全国に散在するヒロシマに関心を抱いている人々との提携という態度が大切。
0210=広島べ平連の第1回デモ。
0215=原爆被災資料広島研究会結成。大本営建設の問題化。
0222  ヒロ研第17回:セミナーの開催準備。
0301=原水協・原水禁、ビキニデー全国集会(於静岡・焼津)。
0301=市長を囲む市民対話の会。
0302  ヒロ研第18回:セミナーの開催準備。
0307=「青年の船」セイロンで青年対象のアンケート「日本でれんそうすることは」「ヒロシマ」が17%で1位。
0308  ヒロ研第1回セミナー実施。
0309  ヒロ研第1回セミナー
0310  ヒロ研第1回セミナー
0330=特別措置法が閣議決定国会提出。
0311  厚生省の認定、被爆者追跡調査に数人の会員が参加。
0312=原水協・原水禁「第五福竜丸、保存国民運動」計画にのり出す。
0314  ヒロ研第19回:田原さんの提唱により、毎月6日に6時から八丁堀で「ピカより〇○日」のチラシ配りをすることを決定。「ピカより〇○日」の運動は少しでも市民に核戦争の恐ろしさを知って貰うと同時に広島の一市民として共に23年という年月の重みをかみしめようという趣旨から。
福竜丸の保存の件について、ヒロシマ研究の会としては、はっきりした考えをだすことはできなかった。
0316  第1回「ピカ〇○日」実施。爆心地調査に数人の会員が参加。
0403=原爆被災資料広島研究会第2回会合「専門部会を設置」
0323=白書の会。
0404  ヒロ研第20回:実態調査・資料、外国人被爆者問題、平和運動。の3グループに分れてもっと問題を深めていくことに決定。
0410=朝鮮人被爆者を囲む会、出席者が一人もなく問題の複雑さがわかった。
0418  ヒロ研第21回
平岡敬「広島の問題を深める」方向から助言。
会員が春休みにアルバイトとしてやった実態調査の感想報告
0418、0419=映画、記録なき青春。
0420=原爆映画、幻のフィルム―初公開。
 0423=対話の会、広島ベ平連との提携、協力体制。
0425  ヒロ研第22回
森滝市郎「被爆者団体の動向と援護法」=今日の現存する被爆者は、広島・長崎あわせて30万人。原爆そのものもひどかったが、その後の2~3年の貧乏の方が辛かった。その間は、夫々自分自身の身のふり方を考えるのが精一杯で意識的に被爆者が、まとまるのは困難だった。被団協などのグループが生まれたのは訳10年を経過してからであった。昭和29年のビキニのとき「広島の百万名署名」と名の残っている様、市民の意識が高まった。被爆者問題と原水禁運動が2本の基本底流をなすものであり、被爆者の声には常に重きをおかれるべきものである。
0426=厚生省、広島県、市、長崎県、市、が実態調査の実施について審議会。
0430=海田町原爆被害者の会240名の体験談を収録した被爆者懇談集録」を発刊。
0431=基町、5度目の大火。
0505=折り鶴の子の像、除幕10周年記念式典。
0506  第2回ピカ○○運動実施。
0511 ヒロ研会員合宿=各自夫々被爆者訪問を通して精神的継承というか、祖父、祖母の話を孫の様な気持ちできき継承していこうということに決定。
0512
  0511=山口県、原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」完工。
0512=広島県スラム対策に調査費1千万円を計上。
0514=プルトニウム国産化成功。平和利用国で4番目。
0515 ヒロ研第23回:実態調査の促進運動について、ヒロシマ研究の会なりに目安をたてた。
0517=学術会議、「原爆被災資料広島懇談会」を開催(於広大原医研)。「原爆被災資料センター」けんせつについての意見をきく。
0520=映画「広島の証人」上映協力委員会発会式。
0521=被爆者バッジができる。
0523  広島女子大において原爆映画を考える写真展を開催。~25日。
0525=佐世保の放射能汚染問題で米原子力委員会の調査団は、「ソードフィッシュは、佐世保帰港期間中、放射性物質は1滴も放出していない」と言い残して帰国。
0530  ヒロ研第24回例会
森下弘「教科書の中の原爆問題」=学徒動員により生徒学生もいっせいにかり出された。こうした事実があるにも拘らず現在の高校教育において何ら教えられていない。ただ一部の教師の自主性に頼っている状態だ。又原爆映画の視聴率から見て高校生の間に意識が必ずしも低いとはいえない。しかしヒロシマが自分の問題となりえないところに問題がある。もっと何らかの形で日常的にとり入れられる様にすることが必要ではないか。
0605=映画「ヒロシマ 1966年」
0606  ヒロ研第25回例会。第3回ピカの運動実施。
この一年についての率直な反省がなされ今後の方針について話し合いが行われた。会員募集の機会を何度も作ったにも拘らず、尚かつ会員が増えない。ヒロシマの問題が、オキナワ、ベトナムに比べて現代の若者にとって魅力あるものになりにくいということを示すものではないだろうか。私達はいつでも誰でも自由に出入りできる開放的な若さあふれるヒロ研にしてゆくことによって新しい感覚のヒロシマを私達青年の手で創って行かねばならないと思う。
 0606=園田厚生大臣:被爆者の全数調査を国勢調査に付帯して実施することは至難だが、市町村が独自で調査できる様補助費を出すと発表。
 0608=対話の会。第2回市民対話の会の準備。
  0613   ヒロ研第26回例会:2年目の展望をたてる。
 0613=社会党、共産党との統一協議断わる。
 0615=第2回市民対話の会。岡村昭彦、本多勝一
  0616=ヒロ研1周年記念会。

ヒロシマ研究の会一年のあゆみ1967.6~1968.6

ヒロシマ研究の会一年のあゆみ1967.6~1968.6

もくじ

 タイトル  著者
 原爆体験の継承の意義と方法  渡辺正治
 ヒロ研、この一年  小林省三(広島YMCA主事)
 一周年を迎えるヒロシマ研究の会へひとこと(順不同、敬称略)  庄野直美
 山崎与三郎
原田東岷
 栗原貞子
 佐藤富士子
 森下弘
 文沢隆一
 今堀誠二
 秋信利彦
 金井利博
 二神三男
 長岡千鶴野
 橋本栄一
 田淵実男
 山口勇子
 深川宗俊
 人類のえい智を築く礎石に  渡辺正治
 平和の建設者として  相原和光

ヒロシマ研究の会一年の歩み

 ヒロシマ研究公開セミナーで学んで  吉田よし子
 ”ヒロシマ”とは何だろう?  三井英津子
 山本暁子
 近末康彦
 柴村忠宏
 課題と展望
 ヒロシマ研究の会会員及び参加者68.6.14現在
 ヒロシマ研究の会にお世話下さった方々
 編集後記
 1967年6月14日
 ヒロシマ研究の会 (広島YMCA会員事業部内)

ヒロシマはどう伝えられているか

ヒロシマはどう伝えられているか-―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」(90原爆の会編、日本評論社刊、19920725)目次

 

はじめに
総論 報道という観点からみたヒロシマ
反響呼んだマス・メディアのキャンペーン…昭和40年代 テーマの設定に苦労する報道現場、「世界のヒバクシャ」、韓国・朝鮮人被爆者、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移転問題(執筆:90原爆の会)
新聞 <社説>継承の大切さとともに政治への提言を(執筆:薮井和夫)
資料/新聞社説
<連載企画>風化を食い止めるべき連載に現れる風化(執筆:川路恵理子)
資料/新聞連載企画
<投書欄>読者の声がストレートに反映する大切さ(執筆:中川幹朗)
資料/新聞投書欄
雑誌
<雑誌一般>時の流れを映す雑誌の中にみる「原爆」は(執筆:長谷川洋)
<郷土雑誌>生活地としてのヒロシマで受け継ぐものは(執筆:中川幹朗)
資料/雑誌
テレビ・ラジオ 日本の中のヒロシマから世界の中のヒロシマヘ(執筆:羽原好恵)
資料/テレビ・ラジオ
書籍
<単行本>神話化のすすむヒロシマを目前にして(執筆:中川幹朗)
<手記>「あの日」の再現に欠かせない体験者の証言(執筆:中川幹朗)
資料/書籍・定期刊行物・目録
映画・ビデオ・CD 映像と旋律が呼びかけるヒロシマのこころ(執筆:吉田雄一郎)
資料/映画・ビデオ・CD
慰霊行事  イベント化の進む「8・6」(執筆:吉田雄一郎)
資料/慰霊行事
 イベント
形の違いを超え底流に続くメッセージ、平和(執筆:羽原好恵)
資料/イベント
被爆建造物 被爆建造物解体のかげに潜む意識の変容(執筆:中川幹朗)
資料/被爆建造物
物故者・来訪者 ヒロシマにかかわった人々から何を受け継ぐか(執筆:中井幹夫)
資料/物故者・来広者・来長者
韓国・朝鮮人被爆者 対岸の慰霊碑をめぐる被爆者の思いを受けて(執筆:川路恵理子)
資料/韓国・朝鮮人被爆者
修学旅行 心の「原点」となるヒロシマとの出会いに(執筆:中井幹夫)
 資料/修学旅行
おわりに  90原爆の会

資料’82反核

資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)

目次

まえがき
<共同検証82反核>
1 新味に欠ける原爆出版
2 消極的な大手出版社
3 新刊しのぐ重版・再刊
4 手記・体験記に多様性
5 「読む」から「見る」へ
6 すそのを支える童話
7 無難さ目立つ教科書
8 雑誌-欠落した原点
9 新聞連載-不十分な総括
10 新聞社説-もの足りぬ分析
<82出版物リスト>
1 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ
2 単行本-防衛・原発・学術・再刊
3 童話-絵本・平和教育
4 教科書-国語科82年採択
5 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊
6 新聞-連載・社説
おわりに
「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所

ヒロシマの「史点」―占領下の原爆文献考(目次)

ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。

目次

No. 見出し(文献名) 見出し
1 石うすの歌 初の被爆テーマ小説 小学国語のテキストに
2 終戦経緯報告書 国が被害データ発公表
3 絶後の記録 被爆直後の壮絶なルポ
4 ちちははの鐘  自分の理念盛った三吉
5 回顧五年原爆広島の記録  「8・6」の思い込める
6 原子爆弾傷  「ガス」の部分伏せ字に
7 原爆体験記  根拠薄い初刊本発禁説
8 月刊中国  1年後廃虚の街を特集
9 原子爆弾と世界恐慌  知られていない小冊子
10 原爆の子  素朴な表現で反響呼ぶ
11 科学朝日  投下操縦士の証言掲載
12 原子爆弾(同盟通信版)  GHQ意識 外電で構成
13 原子爆弾の法律観  国際法の精神転換迫る
14  御楯隊しのぶ学徒の声
15 ヒロシマを忘れるな  禁止訴え署名呼びかけ
16 原子力の軍事的利用  極秘に印刷された2冊
17 反戦詩歌集  人類の愚挙へ怒りの声
18 ピカドン  絵で告発した最初の本
19 生ましめん哉  最も早い時期の有名詩
20 原子爆弾の効果 兵器としての威力誇示
21 ヒロシマ日記  米国で出版され逆輸入
22 あの当時  両親慕う孤児の思い
23 天よりの大いなる声  1年半も出版ためらう
24 原爆体験記(京都大学版)  学生が危機感抱き編集
25 ヒロシマ  悲惨さを世界に初紹介
26 夏の花  体験記の枠超えた傑作
27 屍の街  初版本は5節分を削除
28 さんげ  被爆の非情短歌で告発
29 原爆詩集  峠三吉の唯一の作品集
30 まとめ  ”神話”の洗い直し急げ
プレスコード神話、強すぎた自己規制、収集保存に努力を
「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」>

 

ピカ資料研究所(ピカ研)

ピカ資料研究所(ピカ研)田原幻吉(所長)

関係年表(出典:原爆被災資料広島研究会『原爆被災資料総目録』第4集)

1967.10.02  ピカ資料研究所(ピカ研)が「原爆資料の調査・研究」について提言。全井利博賛同して、「ピカ研を母体」で合意、以後具体化をめぐって七回会談。
1968.01.16 結成準備会五回開く。出席、今堀誠二、金井、山崎与三郎、ピカ研。
1968.02.15 『原爆被災資科広島研究会』発足。
1968.07.30  役員会 人事、企画、運営方針を決定。
1968.12.06 金井利博事務所開設。所内に原災研「編集部室」設置。(1970.3.28閉所)
1969.08.06 原爆被災資料総目録第一集を発刊。
1970.03.04 ピカ研 原災研「編集部室」を長崎に移設。
1970.08.06 総目録第二集を発刊。
1970.11.24 編集部会文沢隆一、ピカ研が第三集専任。
1972.10.25  総目録第三集を発刊。
1974.06.16 金井利博死去。
1975.04.30 ピカ研・長崎「第一~三集」の作成による累積債務で一時閉鎖。
1977.12.17 役員会 企画、運営をめぐり討議。分裂決定。
1980.08.25   編集部会 編集企画会議。
1982.07.23 ピカ研・長崎書庫冠水害
 続刊=第五集以降企画編集進行占領下の文献解説・占領下の新聞・著作選集録・原爆史詳細年表・写真、映像・長崎の手記・広島の手記・教育児童文学・社会科学評論…(順不同)

関係年表(宇吹メモ・資料・報道)

年月日 事項
197107 「平岡敬(中国新聞社)に会い,「ヒロシマの記録」取材当時ののことを聞く.参考になったもの-今堀・浅野・県立・田原伯・金井」(宇吹メモ)
19710818 「金井利博(中国)より教示.田原伯のことを聞く」(宇吹メモ)
19720107 田原伯、長崎より帰り来室。(宇吹メモ)
 197302  宇吹暁(広島県史編さん室)宛田原幻吉(ピカ資料研究所 長崎市万才町** **ビル)葉書「ピカ資料研究所を一時閉鎖」
 19770316  田原伯来所。文献の売却について。(宇吹メモ)
 19770620  田原伯来所。内田と3人で8時半まで話す。(宇吹メモ)
19770803 田原伯と平和文化センタ-で会う。「地域と被爆者」の原稿について抗議を受ける。(宇吹メモ)
19770710 現代と広島の会発足準備の話合い。於朝日会館屋上。木村、石踊、今田夫妻、田原、安藤、藤原、宇吹。(宇吹メモ)
 19780710  田原幻吉(ピカ資料研究所代表)を囲む会「現代と広島の会」、発足。
19830715 『資料’82反核』(「ひろしまをよむ」会編・渓水社発行)
19840616 原爆被災資料総目録第4集、刊行。紹介記事
 19860630  ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」>
19860710 ピカ資料研究所の提言で「碑の会」スタート。
ピカから15706日 『資料・広島平和記念公園』(ピカ資料研究所編集委員会編、ピカ資料研究所刊、19880926<宇吹宛て「ピカ研・幻吉」書留の日付>)
19890805 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志(加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎)、「ピカ資料研究所」(田原幻吉・中川幹朗)刊行:「碑の会」(全朝教有志・ピカ研))
19891103 宇吹宛て祝電(発信:ピカ研内せせらぎ、りょう)
 19920725  『ヒロシマはどう伝えられたか―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」』(90原爆の会編、日本評論社発行)
19930414 田原幻吉(ピカ資料研究所代表=竹原市)「文化 GHQに日本訳規制されたJ・ハーシー著『ヒロシマ』 原爆報道一切禁止は「神話」」(『中国新聞』19930414)

原爆被災資料総目録第4集(紹介記事)

原爆被災資料総目録第4集(紹介記事)

記事見出し 掲載書誌
占領下の文献網羅 原爆被災資料総目録 独力で第4集刊行へ 田原さん(竹原)30年かけ収集 『中国新聞』19831108
 検閲くぐり伝える被爆実相 占領下平和念じルポ・学術書・地下出版物 初期の文献続々 歴史的価値大きい労作 資料1000点超す 通説を上回る 広島研究会の手で12年ぶり目録4集。 『 朝日新聞』19841119
 文化 占領期の文献明らかに 検閲研究にも貢献 40年近い歳月かけた労作。  『中国新聞』19850201、 宇吹暁・記
 占領下の原爆資料  『毎日新聞』19850204
 図書資料紹介 原爆被災資料総目録第4集=占領期文献の発刊。  『ヒロシマ・ナガサキの証言’85冬 第13号』19850220、 内田恵美子・記
  内田恵美子<抜粋「最後に田原氏へ提言(お願い)する。次の企画には占領下の原爆文献解題を最優先されることを願う。それによって、先述した誰でも閲覧できる場が提供されることと併せて四集が真に有効に活用されることになり、更に、一点一点について今まで30年余に渡って蓄積されたデータを全て吐露されることにより原爆問題の正史を書き残していただきたいと切望する」>

広島原爆被災撮影者の会

広島原爆被災撮影者の会

設立準備会?:19780715

関係資料

 資料名 備考
広島原爆被災写真撮影者名簿
  22名の住所、電話番号、
初会合(宇吹メモ)
   1978.9.14 於広島YMCA
 本
『広島壊滅のとき―被爆カメラマン写真集』 (広島原爆被災撮影者の会、198108)
 『被爆の遺言 被災カメラマン写真集』(広島原爆被災撮影者の会、19850801)
 『中国新聞』(20050801、編集委員 西本雅実)
 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?gallery=20110613141546676_ja

明治100年(関連年表と資料)

明治100年(関連年表と資料)

年月日 事項
19660325 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議了解。
19660415 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議決定。内閣内に明治百年記念準備会議設置。
19660511 国の明治百年記念準備会議(第1回)開催。記念式典実施日1968年10月23日と決定。
19660526 明治百年記念準備会議(第2回)開催。4部会(式典・行事・事業・広報)設置。
196710 政府、各都道府県に記念事業の実施を要請
196711 広島県明治百年記念行事等協議会設置。
19681023 政府主催明治百年記念式典。
広島県の行事(出典:『戦後50年広島県政のあゆみ』)
広島県明治百年記念式典(19681023)。
県章・県旗の制定。
県民の森の整備。
県史の編さん
その他

 

 

肥田舜太郎

肥田舜太郎

ひだ・しゅんたろう 生20170320没 享年100

資料

新聞 掲載年月日 見出し
赤旗 20020326 ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。
赤旗 20040301 本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史
朝日新聞 20130409 ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん
20170321~26、死亡記事

 

フェイスブックより(2013年)

フェイスブックより(2013年)

輜重兵第五聯隊馬碑(基町、1928年建立)と馬魂碑(比治山、1937年建立)ー開幕まえのひろしま菓子博会場周辺と比治山を散策中撮影 4月18日

馬魂碑2馬魂碑1
HIBAKU+PIANO+PEACECONCERT+from+HIROSHIMA

原爆ドームの壁の調査 6月17日

20130617
車が進入禁止となった広島平和大通りー原爆資料館南側から東方を望む 8月6日
20130806a
花輪撤去作業中の原爆慰霊碑前

献花台東側(写真右。撤去済)=広島市長 広島市議会議長 遺族代表・こども代表 遺族代表(市内代表1名、都道府県代表2名) 被爆者代表(市内代表2名)、被爆者代表(県内代表2名)、長崎市民代表(市長、市議会議長、被爆者代表) 国際連合総会議長 国際連合事務総長 姉妹・友好都市代表
献花台西側(写真左。まだある)=内閣総理大臣 衆議院副議長 参議院議長 外務大臣 厚生労働大臣 広島県知事 広島県議会議長 各国来賓代表 平和首長会議代表

 20130806b
第59回広島平和美術展

問:原爆記念日の行事ではなかったの? 答:会場が取れなかったから。 8月27日

4平和公園20130827
鷺?(背景は本川橋・平和公園)  2013年9月6日
 20130906
 オランダの芸術家が作製した「連鶴」。
幅15cm、長さ150mの一枚の紙で折られている。 長崎原爆資料館
2013年9月10日
 20130910
救護所メモリアル
新興善国民学校跡。かつて市内最大の被爆者収容所  場所:長崎市立図書館  2013年9月11日
 20130911
 東本願寺長崎教会・原子爆弾災死者収骨所
真宗大谷派長崎教務所。道に迷って偶然出会う。
場所:長崎市筑後町 2013年9月12日
 20130912
広島市役所旧庁舎の被爆石ー歩道と車道の間に設置 場所:広島市大手町 2013年9月23日 ・
 20130923
原爆瓦を貼った玄関(広島YMCA)の柱  場所:広島市中区八丁堀 2013年9月27日柱に埋め込まれた金属板の文章
*鎮魂 1981年12月6日 広島県高校生平和ゼミナール
*私たちは、世界平和を願い 原爆瓦を後世に伝えます
1981年12月12月26日 広島YMCA
 20130927
Site of Former Chugoku Military Police Headquarters
中国軍管区司令部跡地の銘板(宝ビルの県庁側壁面) 場所:広島市中区基町12-8 2013年10月14日 ・The atomic bomb dropped on Hiroshima August 6,1945 devastated the city and its people with a force beyond any known before. U.S. Air Force and U.S. Navy airmen interned as POWs at the Chugoku Military Police Headquarters which was located at this site, near the epicenter, were among the victims of this holocaust. This plaque is placed in memory of these brave and honorable men. May this humble memorial be a perpetual reminder of the savagery of war.1998.7.29
 20131014
 広島市立中央図書館 2013年11月14日 ・
 20131114
耐震強度調査の始まった原爆資料館 2013年12月11日
 20131211
広島市まんが図書館(右建物)と御便殿跡に建造された構造物(左奥)
ーまんが図書館で中沢啓治の「はだしのゲン」を閲覧
2013年12月13日
 20131213
2013年12月15日 ・三良坂平和美術館。向って左手にある三良坂コミュニティセンター内の山代巴記念室も見学。 場所:広島県三次市。
 20131215

 

フェイスブックより(2012年)

宇吹フェイスブックより

松本徳彦(公益社団日本写真家協会専務理事)「東方社から文化社へ」ー 場所: 広島県立美術館 2012年5月22日
松本徳彦20120522
広島クレド11階より基町を望む 2012年8月15日
20120815
原爆ドームの全体を撮影しようと動き回ったらこの場所にたどりついた。ー 場所: 広島市中区平和公園 2012年9月2日
原爆ドーム20120902
三ツ蔵(呉の重要文化財 旧澤原家住宅見学会) 2012年10月12日
 三ツ蔵20121012
旧高烏砲台兵舎 2012年10月18日
 旧高烏砲台兵舎 2012年10月18日
  世界の子どもの平和像 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂1-5-4)玄関前 2012年10月19日
世界の子どもの平和像20121019
 岡本太郎作「歓心」 持田製薬株式会社(東京都新宿区四谷1-7)玄関前 2012年10月20日
 岡本太郎2012年10月20日

旧広島市民球場跡地に設置された工事壁の透明窓に映った原爆ドーム 2012年11月9日

原爆ドーム20121109

愛媛県原爆被害者の会原爆死没者慰霊碑

愛媛県原爆被害者の会原爆死没者慰霊碑

19920310没 くぼ・なかこ 享年64 愛媛県原爆被害者の会会長。藤居平一聞き書き

 

愛媛県
愛媛県原爆被害者の会「原爆死没者慰霊碑」
(松山市石手川公園)
「この碑は廣島・長崎で被爆し愛媛県各地に眠る被爆者の冥福を祈り後の世に再び核兵器の惨禍を起こさせない事を誓って之を建てる
 昭和四十九年四月十四日
    愛媛県原爆被害者の会 会長 久保仲子 
              副会長 阿部幸雄 仝西岡周子」
 2016年5月撮影

 

 

「芸備地方史研究」目次(抄)

「芸備地方史研究」目次(抄)

発行年月日 著者 備考(論文名など) 所蔵
001 1953.07 魚澄惣五郎 創刊をよろこびて
011 1955.03 熊田重邦 書評 「概観広島市史」
016 1956.02 歴史教育と地方史研究
017・018 1956.07 人物広島史 P
今堀誠二 原爆戦争に抗して峠三吉
019 1956.11 山代巴著≪荷車の歌≫をめぐって
金井利博 時間の貧しさということ
山手茂 村落研究をめぐる若干の問題
035 1960.12 佐久間澄 今堀誠二著『原水爆時代』を読んで
041・042 1962.6 天野卓郎 『原水爆被害白書』
045 小倉豊文「中国文化賞受賞」
051 19640705 戦後における広島県地方史の成果と課題Ⅱ P
055 1965.5 国立史料センター設立について
060 1966.4 広島県立文書館設立のために(一)
061 1966.6 土井作治 動向「県立文書館設立推進のために(その二)ー全国公共図書館研究集会に参加してー」
062・063 1966.11 「建国記念日問題について」
動向「県立文書館設立のために(三)」
64 1967.2 動向・時評 「教科書検定問題をめぐる懇談会」報告
「広島県立文書館設立のために(四)」
065・066 「広島県立文書館設立のために(五)」
「建国記念の日」のヒロシマ
068 1967.9 動向「広島県立文書館設立のために(七)」
072 1968.6 志水清 調査報告 「爆心地の追跡調査について」 P
田村裕 「爆心地(中島本町)第一次調査に参加して」
動向・時評 「建国記念の日」のヒロシマ(2)
076 1969.1 今堀誠二 広島原爆被害資料の保存をめぐって P
077 1969.5 動向 「明治百年祭」と広島 P
078 1969.6 小堺吉光 広島原爆戦災誌の編集にあたって P
080 19700531 「建国記念の日」のヒロシマ(4) P
081・082 1970.6 合評『広島県の歴史』 P
横山英 新刊紹介『未来を語りつづけてー原爆体験と教育の原点ー』
090 1972.3 上原敏子 論稿「在広朝鮮人被爆者についての一考察(1)」 P
 091  19720615 論稿「在広朝鮮人被爆者の現況(2)」 P
096 1973.12 常任委員会 動向 「広島県文書館設立のために」
097・098 1974.5 小倉豊文 創刊二十周年に際し
099 1974.8 宇吹暁 史料紹介 明治期県内発行の新聞・雑誌
108 1976.6 川島孝郎 論説 原爆教育の課題
140・141 1983.6 宇吹暁 論説 『被爆体験』の展開-原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として-
162 1987.11 石丸紀興  論説 『広島平和記念都市建設法』の法案とその形成過程に関する考察
171 1989.12 今正秀  書評 大田英雄『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道-』
178 1991.10 千田武志  論説 英連邦占領軍の日本進駐-宥和政策の推移を中心として-
186・186 1993.9  小特集 「建国記念の日」ルポの成果と課題
三沢純 広島における「建国記念の日」をめぐる諸潮流
委員会 座談会 継続企画『「建国記念の日」のヒロシマ』二十七年を振り返って
200 1996.6 道重哲男  芸史創刊のころ
202 1996.10  シンポジウム特集号―あ097/らためて原爆遺跡保存を考える―
村中好穂 原爆遺跡を考える
楠忠之 この声にどう応えるか
小原誠 旧大正屋呉服店存廃についての市長発言への反論
今正秀 『被爆建物』保存の論理・破壊の論理
基調報告
山瀬明 爆心地の実相を語るレストハウス保存について
石丸紀興 増田清と大正屋呉服店
長谷川博史 原爆遺跡保存の歴史的意義について
207・208 1997.12   特集 原爆ドーム・厳島神社の世界遺産登録Ⅰ
209 1998.3  特集 原爆ドーム・厳島神社の世界遺産登録Ⅱ 原爆ドームの世界遺産登録
村中好穂 原爆ドームが語る戦後広島の奇跡―何が、どのように世界遺産に登録されたか―
石川まゆみ 原爆ドームが私たちに語るものを伝えるために―授業実践例―
吉川生美 被爆者の分身 原爆ドーム
230 2002.4  広島県地方史研究の成果と課題Ⅲ 近現代-原爆・強制連行・大久野島-
231・232 2002.6  動向 「日の丸・君が代」新聞記事目録
237 2003.6 道重哲男  後藤陽一先生を悼む
239 2004.2 松下宏・千田武志 呉空襲後の住宅難を救った「三角兵舎」
247 2005.06 石田雅春  占領期広島県における高校再編成と軍政部の役割
250・251 2006.04 小特集 「被爆60年と史・史料保存-現状と課題を考える-」 シンポジウムの記録
石丸紀興 建造物の観点から
宇吹暁 文献資料の観点から
高野和彦 モノ資料の観点から
高木泰伸 参加記
橋本啓紀 書評 こうの史代著『夕凪の街 桜の国』
小宮山道夫 「平和学術文庫」の開設について
253 2006.01 土井作治  追悼 道重・畑中両先輩を悼む
254 2007.06 石田雅春  新刊紹介 広島大学文書館編『広島から平和について考える』
255 2007.04 菅真城  新刊紹介 原爆遺跡保存運動懇談会編『広島 爆心地 中島』
渡邊誠 頼祺一編『街道の日本史41広島・福山と山陽道』
258・259 2008.02  特集 厳島研究の過去・現在・未来 ―厳島神社世界遺産登録10周年記念―
266 2009.06  特集 呉の近代と海軍―モノと文書から考える
秦郁彦 ミッドウェー海戦の再考
小池聖一 水野広徳と海軍、そして軍縮
272 2010.06 小特集 広島平和記念都市法制定60周年にあたり理学部一号館の保存・活用を考える ―声なき証言者を次の世代に伝えるために―
布川弘 広島の復興と広島平和記念都市法
石田雅春  広島大学旧理学部一号館のあゆみ
渡辺一雄 自然史系博物館の必要性と旧理学部一号館の活用
304 2017.2 小特集 「『建国記念の日』のヒロシマの五〇年」
石川遥  広島における「建国記念の日」関連行事の動向
石川遥  広島における「建国記念の日」関連行事一覧

原民喜

原民喜

はら・たみき 19051115生19510313没 享年45
   詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく

資料年表

年月日 事項
19940701 原民喜文学資料展(会場:広島市中央図書館)(出典:「中国新聞」19940702)
19940904 文学散歩<32>原民喜 夏の花 妻とヒロシマへの挽歌 被爆記録もとに平静に(出典:「赤旗(日曜版)」19940904)
20010306 文化 原民喜回顧展に寄せて 「夏の花」が私たちに語るもの 「パット剥ギトッテシマッタアトノセカイ」(掲載紙:「中国新聞」20010306)
20010310 原民喜回顧展(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:旧日本銀行広島支店)。~3月23日。(出典:「中国新聞」20010310、同20010311)
20010310 シンポジウム「広島文学を読み継ぐために」(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:原爆資料館東館、出典:「中国新聞」20010314)
20010310 文化 原民喜没後50年 繊細で強い光今も放つ シンポや回顧展(掲載紙:「中国新聞」20010314)
20011110 原民喜生誕96年記念祭(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、事務局長:海老根勲。会場:原民喜詩碑前。出典:「朝日新聞」200101111)。
20020310 花幻忌(出典:「中国新聞」20020311)。
20031121 文学の力 第2部燃えつくす魂①亡妻と原爆胸に 原民喜至純の世界求め続け(掲載紙:「朝日新聞」20170314、音谷健郎・記)。
20040314 原民喜の追悼に100人 没後53年 中高生が詩を朗読(掲載紙::「朝日新聞」20170314)。
20040728 原民喜<1>夏の花 廃墟から 「惜しかったね、戦争は終わったのに…」と声をかけた。(掲載紙:「中国新聞」20040728)
20150218 原民喜の手帳平和資料館に おいが3冊寄託 世界記憶遺産目指す(出典:「朝日新聞」20170219)。
20150218 直後の広島を記録 原民喜の手帳原爆資料館へ(出典:「赤旗」20170219)。
20150218 伝えるヒロシマ 「夏の花」の原点手帳を寄託 原民喜の遺族が原爆資料館に(出典:「中国新聞」20170219)。
(出典:「朝日新聞」20150315)。
(出典:「中国新聞」20161120)。
(出典:「中国新聞」20170309)。
20170312 原民喜碑前祭(出典:「中国新聞」20170313)。
20171112 原民喜生誕祭(出典:「中国新聞」20181130)。
20181129 展覧会「原民喜―かすかにうずく星」(出典:「朝日新聞」20181130)。

 

 

 

被爆の遺言-被災カメラマン写真集(内容)

被爆の遺言-被災カメラマン写真集(広島原爆被災撮影者の会 著・刊、1985/08/01)内容

[はじめに] 松重美人(広島原爆被災撮影者の会代表)
被爆から40年。当時の状況を撮影する20人の被爆カメラマンも、時の流れに7人を失う。
原子雲 昭和20年8月6日8時15分
8/6日7日
救護活動
崩壊
爆風
熱線・流失
日赤
救護所
人体
私たちが見たあの日   尾糠政美、尾木正己、鴉田藤太郎、川原四儀、川本俊雄、岸田貢宜、岸本吉太、北勲、林寿麿、黒石勝、木村権一、空博行、斎藤誠二、森本太一、深田敏夫、松重三男、山田精三、松重美人。