フォーラム・被爆者援護法―その1―
テーマ:被爆者援護法案の内容と問題点
主旨:
日時:1989年12月6日(土)午後1時30分~5時
場所:広島県民文化センター
参加費:500円
内容:
主催:原爆二法研究会(代表者 広島大学教授 田村和之、弁護士 島方時夫)
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
フォーラム・被爆者援護法―その1―
テーマ:被爆者援護法案の内容と問題点
主旨:
日時:1989年12月6日(土)午後1時30分~5時
場所:広島県民文化センター
参加費:500円
内容:
主催:原爆二法研究会(代表者 広島大学教授 田村和之、弁護士 島方時夫)
参議院社会労働委員の現地調査
1.視察委員:参議院議員 谷口弥三郎、同 山下義信
2.視察日程概況
| 1月 | 時刻 | 概況 |
| 6日 | 14:20 | 広島県庁を訪問し、地自宅において副知事、民生部長、衛生部長、関係各課長から原爆傷害者対策の概況説明を聴取した後意見を交換し、又県側の陳情を聴いた。 |
| 15:15 | 県知事応接室 | |
| 15:30 | 市役所 | |
| 16 | 市役所会議室 | |
| 7日 | 10 | 市役所 |
| 11 | ABCC(原爆影響研究所)ロバート・エッチ・ホームズ所長 | |
| 13 | 日赤広島病院 | |
| 14 | ||
3.調査項目
<以下未入力>
広島大学平和科学研究―センター・原爆放射能医学研究所・広島大学文書館(共催)「第16回広島国際シンポジウム 広島の黒い雨と関連する課題」。開催日:20110112
情報元:広島大学平和科学研究センター”NEWSLETTER”2011年
被爆者問題シンポジウム―被爆者調査をめぐって
開催日:1988年11月28日
場所:日本都市センター会議室
主催:日本原水爆被害者団体協議会
『報告書 被爆者問題シンポジウム―被爆者調査をめぐって』(日本原水爆被害者団体協議会発行)
シンポジウム:原爆被害と援護問題
日時:1983年8月7日
場所:広島市社会福祉センター
主催:「原爆被害と援護問題」シンポジウム世話人会
| 田村和之 | 開会のあいさつ |
| 小川政亮 | 被爆者援護の法理 |
| 湯崎稔 | 原爆被害者援護問題への課題 ー「基本懇」答申の問題をめぐって一 |
| 河合幸尾 | 被爆者援護と社会保障 |
| 若林節美 | 被爆者行政の現状と限界 |
日本科学者会議広島県支部(JSAH) 1966年6月25日創立
関連資料
| 資料名 | 発行年月日 | 備考 | |
| 日本科学者会議広島県支部ニュース | 19820621~ | No.37~ | |
| 地域と科学者(機関誌) | 197501~ | No.1~ | |
止
公開シンポジウム「核開発の国際史―各時代の幕開けにおける科学者の社会的責任―」(日時:2003年8月10日、 会場:広島平和記念資料館メモリアルホール)
国際シンポジウム「20世紀における戦争・冷戦と科学・技術―国際共同研究の展望―」(日時:2005年10月2日、会場:広島市まちづくり市民交流プラザ内マルチメディア・スタジオ)
記録
『”戦争と科学”の諸相 原爆と科学者をめぐる2つのシンポジウムの記録』(広島大学総合科学部…編、市川浩・山崎正勝責任編集、丸善株式会社)
非核の政府を求める広島の会 1987年6月13日結成
略年表
| 年月日 | 事項 |
| 19870613 | 結成総会。 |
| 19870720 | 非核の政府を求める広島の会ニュース第1号発行。 出典:『非核・ヒロシマの声』) |
| 19880618 | 第2回総会 |
| 19880713 | 第1回学習講座。講師=大森正信広島大学教授 |
| 19890624 | 第3回総会 |
| 19900714 | 『非核・ヒロシマの声』(非核の政府を求める広島の会、19900714)刊 |
広島学講座(創価学会) 1989年2月~
| 第1回 | 1989年2月 | 広島県民俗学会常任理事 | 神田三亀男 | 途上採集からみた広島学 |
| 第2回 | 1989年3月 | 中国新聞社論説主幹 | 大牟田稔 | 平和のための広島学 |
| 第3回 | 1989年4月 | 広島女性史研究会代表 | 北西英子 | ヒロシマの女たち |
| 第4回 | 1989年6月 | 比治山女子短期大学助教授 | 宇野憲治 | 竹西寛子の「管弦祭」を読む |
| 第5回 | 1989年9月 | 広島ユネスコ協会会長 | 河村盛明 | ひろしま文学紀行 |
| 第6回 | 1989年12月 | 広島大学文学部助教授 | 岸田裕之 | 戦国時代の領主連合 |
| 第7回 | 1989年12月 | 広島大学教育学部助教授 | 町博光 | 今、広島弁がおもしろい<上> |
| 第8回 | 1990年3月 | 毎日新聞広島支局記者 | 小松健一 | ヒロシマを取材して |
| <以下未入力> | ||||
| 出典:http://www.pv-hiroshima-soka.jp/activity/lecture/backnumber/ | ||||
青年平和文化講座(創価学会) 1973年~
http://www.pv-hiroshima-soka.jp/activity/lecture/backnumber/
| 年月 | 講師 | 肩書(当時) | テーマ |
| 197308 | 原田東岷 | 外科医 | ヒロシマの外科医として |
| 197404 | 伊藤満 | 創価大学教授 | 人権と平和 |
| 197608 | 熊田重克 | 中国新聞論説副主幹 | 現代における核の状況 |
| 197608 | 丸山益輝 | 広島大学教授 | 広島の青年の役割 |
| 198003 | 今堀誠二 | 広島女子大学学長 | 私にとってのヒロシマ |
| 198004 | 畑博行 | 広島大学教授 | 日本と平和主義 |
| 198007 | 高橋昭博 | 原爆資料館館長 | 私の被爆体験と広島の心 |
| 198203 | 熊田重克 | 中国新聞論説主幹 | 広島と沖縄を結ぶ想像力 |
| 198302 | 豊永恵三郎 | 広島電機大学付属高校教諭 | 朝鮮・韓国人被爆者と私達 |
| 198308 | 深川宗俊 | 歌人 | 朝鮮・韓国の被爆者 |
| 198310 | 伏見康治 | 元日本学術会議会長 | 地平から平和の巨塔を |
| 198404 | 日隈健壬 | 広島修道大学教授 | 21世紀の広島が見える |
| 198408 | 北西允 | 広島大学教授 | 反核・平和運動の状況と展望 |
| 198503 | 磯野恭子 | 山口放送テレビ制作部次長 | 生命(いのち)の鼓動を伝えて |
| 198504 | 山田浩 | 広島大学教授 | これからの平和問題と私達 |
| 198603 | 片岡徳雄 | 広島大学教授 | いま、教育の原点を考える |
| 198706 | 川本義隆 | 原爆資料館館長 | 世界のヒロシマ 使命と責任 |
| 198709 | 大野允子 | 児童文学作家 | あなたへのメッセージ |
| 198711 | 秋葉忠利 | 広島修道大学客員教授 | ヒロシマの心と広島に住む若者の役割 |
| 198802 | 小倉桂子 | HIP代表 | 一人の力が平和の万波に |
| 198805 | 二宮皓 | 広島大学助教授 | 世界のなかのヒロシマ |
| 198809 | 目瀬守男 | 岡山大学教授 | 地域活性化と青年の役割 |
原爆被害者証言のつどい
1982年8月6日
久保浦寛人「『原爆被害者証言のつどい』について」(ヒバクシャ-ともに生きる1号)抄
一九八二年八月六日、三十七回の原爆の日を迎え広島で行なわれた原水爆禁止世界大会の関連行事の一つとして私達は、「原爆被害者証言のつどい」を開催いたしました。被爆体験者五十名の出席をいただき、全国から三○○人に及ぶ一般の参加者を迎え、約四時間にわたって、証言及ぴ被爆実体の継承のための対話集会をひらき、非常に強い反応をいただく事ができました。当日、不自由な身体を押して、このつどいに参加して下さった被爆者の皆さん、また、その被爆体験を熱心に聞いて下さった市民の皆さん、本当に有難うございました。小さくともいい、社会のために何かができたと言う心の張りと湧き出た力は、きっと将来に向っての活動の展開に大きな勇気付となったのではないかと思います。皆さんとともに有意義な一日を過す事ができた事を心からよろこんでおります。
この証言のつどいは、「原爆被害者相談員の会」を母体とし、その中の一部会として新しく誕生した被爆体験者グループでございます。今回の行事は、「相談員の会」は勿論、「被爆者家庭訪問をすすめる会」あるいは、「平和を語る青年のつどい」の方々によって構成された、証言のつどい実行委員会の支援を受けて開催したものでございます。「証言のつどい」などと言えば如何にも固苦しく聞こえますけれども、実際には全く逆で、草の根運動を目指し、市民の方々どなたでも気軽に参加していただける、肩の凝らない、くだけた茶の間の座談会と言うイメージとしました。十人から十五人の小グループを一単位として編成し、素朴で率直でしかも真剣味のある対話集会を心掛け、被爆者と参加者のふれあいをも大切にしながら、被爆体験について自由な討議を重ね、真実を十分汲み取っていただけるよう工夫したつもりでございます。今や反核運動は大きなうねりとなって世界にその輪を拡げつつありますが、まだまだその実体は認識されているとは言えません。戦後すでにご三十七年を経て被爆者は次第に高令化し、その数も年とともに減少の一途を辿りつつあります。戦争を知らない世代への転換 期を控えて、被爆体験の若い世代への継承は今を置いて二度とチャンスはないだろうと思います。私達は今強くあせりを感じております。
年表
| Y | M | D | NEWS1 |
| 83 | 08 | 06 | 原爆被害者証言のつどい、広島市で開催。「原爆被害者証言のつどい」実行委員会主催、約300人参加。 |
| 84 | 08 | 05 | 原爆被害者証言のつどい、広島市で開催。 |
| 84 | 11 | 13 | 第5回「原爆犠牲者にささげる音楽の夕べ」(8月6日於広島市)実行委員会、同「夕べ」収益金の一部を「原爆被害者証言のつどい」に寄贈。 |
| 86 | 04 | 26 | 「原爆被害者証言のつどい」、アリス・ハーズ平和賞を受賞。同「つどい」は、1982年に、原爆被害者相談員の会の呼びかけで発足。 |
| 87 | 08 | 06 | 「原爆被害者証言のつどい」(原爆被害者相談員の会など主催)、広島市で開催(約 500人参加)。 |
| 87 | 11 | 21 | 被爆者グループ「原爆被害者証言のつどい」、中曽根前首相句碑撤回運動を進めていくことを決定。 |
| 88 | 08 | 06 | 原爆被害者証言のつどい(原爆被害者相談員の会など主催)、広島市で開催(約350人参加)。 |
| 89 | 04 | 17 | 「原爆被害者証言のつどい」、広島赤十字・原爆病院NO被爆病棟を保存するよう同病院に要請書を送付。 |
| 89 | 07 | 15? | 原爆被害者相談員の会、8月6日の「原爆被害者証言のつどい」での証言のビデオ保存を決定、ビデオ撮影作業などのボランティアを募集。 |
| 89 | 08 | 06 | 「原爆被害者証言のつどい」(原爆被害者相談員の会など主催)、広島市で開催。全国の高校生・大学生ら(約300人)、30人の被爆者による体験談を聴取。 |
| 89 | 12 | 11 | 原爆被害者相談員の会、会報「ヒバクシャ―ともに生きる」第八号(B5,76ページ)を発刊。8月6日に開催された「証言のつどい」特集を収録。 |
| 91 | 08 | 06 | 8・6原爆被害者証言のつどい、広島YMCAで開催(約300人参加)。28人の被爆者が、被爆体験を発表。 |
| 92 | 05 | 21 | 原爆被害者証言のつどい、県被団協など8団体、富重守広島赤十字・原爆病院長に会い、部分保存でも同病院の旧本館を残すよう申し入れる。[原爆遺跡] |
| 93 | 08 | 06 | 原爆被害者証言のつどい、広島YMCAで開催。26人の被爆者の体験談を約500人が聴取。 |
| 95 | 07 | 16 | 広島市竹屋公民館、「碑めぐりウオーク」を実施。久保浦寛人「原爆被害者証言のつどい」代表が解説。約20人が参加。 |
| 95 | 08 | 06 | 原爆被害者証言のつどい、広島YMCAで開催。27人の被爆者が証言。350人が参加。14回目。 |
| 95 | 08 | 10? | 原爆被害者相談員の会(「被爆者とともに」)・原爆被害者証言のつどい(「ForアスSHOGEN」)・広島医療生協原爆被害者の会(「ピカに灼かれて」)、それぞれ記録集や原爆体験記を出版。 |
| 96 | 08 | 06 | 原爆被害者相談員の会など、原爆被害者証言のつどいを広島YMCAで開催。 |
| 96 | 08 | 06 | 「原爆被害者証言のつどい」、広島YMCAで開催。約270人が27人の被爆者の体験を聴く。全体会で舟橋喜恵広島大学教授がウクライナ・キエフ市でのチェルノブイリ原発事故被災者の聞き取り調査の結果を報告。 |
| 98 | 08 | 06 | 原爆被害者相談員の会、「ヒバクシャと語ろう原爆被害者8・6証言のつどい」、広島YMCAで開催。被爆者26人の体験を小グループに分かれ、約200人が聴取。 |
8・6原爆被害者証言のつどい
| 回 | 年 | 備考 |
| 39 | ||
| 40 | 2021 | |
| 41 | 2022 | コロナ禍、全体会は中止、午後「被爆者の証言」のみ実施。 |
| 42 | 2023 | |
止
広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会
1975年11月日設立
私たち広島で被爆者福祉に従事するケースワーカーは、1975年11月、被爆者相談を充実させるために広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会を発足させ、被爆者のおかれている実態、被爆者のかかえる問題を解決するためのケースワーカーの役割・方法について検討を重ねてきました。その一環として、1977年8月に開催された「NGO国際シンポジウム」の社会科学調査に参加し、30人の被爆者の生活史調査を行ないました。この調査から、原爆が人間にもたらした「いのち・くらし・こころ」にわたる全体破壊の深刻な実相を知らされ、生命をおかされながらも、被爆者として生き抜こうとする被爆者の姿から生きることの尊さを教えられました。そして、被爆体験を語ろうとしない被爆者、語ることのできない被爆者の数多いことを知り、被爆者にかわって、被爆の実相を人びとに伝えることの責任を強く確認しあいました。
1978年12月、広島で開催された第1回原爆問題総合研究会において、ケースワーカーの立場から”原爆孤児であり、ガンとたたかう被爆婦人の苦悩”を報告し、今もなお生命を、そして心をおかしっづけている原爆被害の持続性、それに苦闘しながら、なお被爆者として生きようとする姿は、多くの人びとの感動を呼びました。そしてその報告がきっかけとなって、広島のケースワーカーによる生活史調査をもとにしたこの証言集が生まれました。
出典:「はしがき」(『三十五年目の被爆者』)
宇吹に届いた「研究会のご案内」に見る研究会開催状況
| 時 | ところ | 報告者 | 内容 |
| 19800216 | 広島市民病院 | 若林節美 | 研究会活動をふりかえって―ケースワークにおける生活史把握の意味の模索 |
| 三村正弘 | 原子爆弾被爆者対策基本問題懇談会取り組みについて | ||
| 19800322 | 広島市社会福祉センター | 富岡啓子 | レポート報告(栗原淑江”被爆者にみる原爆体験の思想化”、石田忠”<原爆>と人間”―社会調査における生活史把握の意義”) |
| 三村正弘 | 被爆者相談のための問答集について | ||
| 石田明 | 35周年の節目にたって―全国孤老の調査についての問題提起<全国被爆教師の会会長> | ||
| 19800426 | 広島市社会福祉センター | 大野勇夫 | 生活史調査と医療福祉援助<淑徳大学> |
| 石田明 | 35周年の節目にたって | ||
| <以下の発信者は「広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会」から「広島原爆被害者問題研究会」に変化> | |||
| 19800628 | 社会福祉センター | 高橋文枝 | 事例研究「助成孤老被爆者と面接」<神田山荘> |
| 石田明 | ユネスコ世界軍縮教育会議報告「被爆者問題研究の継承の課題」<平和教育研究所> | ||
| 19800726 | 社会福祉センター | 阿左美信義 | 被爆者援護法制定の意義及び動向について<広島法律事務所弁護士> |
| 牧村美枝子 | 老人ホームで生活する原爆孤老の面接から<桧田病院ケースワーカー> | ||
| 19801018 | 広島市民病院 | 三村正弘 | 研究発表「未解放部落の被爆者」<福島生協病院> |
| 正田恵子 | 事例研究「地域で生活する原爆孤老」<放射線影響研究所> | ||
| 19801220 | 社会福祉センター | 塚本弥生ほか | 「被爆者援護法はどうあるべきか」―基本懇答申の評価と課題―<塚本弥生(広島市民病院)・江崎須賀子(広島市民病院)・若林節美(広島原爆病院)> |
| その他「1980年をふりかえって」 | |||
| 19810221 | 社会福祉センター | 江崎須賀子 | 民間被爆者相談事業について(広島市民病院) |
| 三村正弘 | 同上<福島生協病院> | ||
| 塚本弥生 | 事例研究「認定却下に対し異議申し立てをしたマキさんの事例」(広島市民病院) | ||
| 19800328 | 社会福祉センター | 加藤礼子 | 認定申請に伴なう問題点について<広島赤十字病院> |
| 民間被爆者相談事業について | |||
| 19810418 | 社会福祉センター | 田村和之 | 被爆者援護法の法的意味について<広島大学総合科学部> |
| 伊藤直子 | 中央相談所の相談事業と課題<相談員> | ||
原爆被害者相談員の会 1981年6月13日発足
若林節美「原爆被害者相談員の発足と1年間のあゆみ」
(「ヒバクシャ-ともに生きる1号」所収)より
一九八○年十二月十一日、原爆による苦しみをなめ尽くしてきた被爆者は、原爆被爆者対策基本問題懇談会の意見書(以下、意見書)を期待と不安の中で、じっと待っていた。
それは、被爆者のみならず、被爆者援護や核廃絶を願う人々にとって、被爆者援護法が制定されるか否かは、日本の将来、ひいては人類の未来が問われるという重大な関心事であった。
しかし、報告された意見書は、国の戦争責任を回避し、原爆の被害を矮小化し、そしてあいまいな国家補償論で、三十五年間にわたる被爆者の苦渋に満ちた歴史に意味を与えず、逆に、被爆者に衝撃を与え、生きる意欲を奪ってしまうものであった。
年の瀬も迫る中、日常的に被爆者に接するソーシャル・ワーカー(以下、ワーカー)は、被爆者の悲しみ、怒りを見すごすことはできず、二十人の被爆者の怒りの声を、厚生大臣宛に直訴状として届けた。
震える手で直訴状をつづった老被爆者は、「夫と娘の死にようはひどいものでした。苦しんで、苦しんで……。生きる支えだった息子は、九年間生きましたが、白血病で狂うようにして死にました。たった一人残された私は、あとどれだけ生きられるかわかりません。この死を無駄にしないで下さい。」と訴えた。しかし、この被爆者は長年願い続けてきた援護法の日の目を見ないまま、意見書の衝撃と寒さのため、一ケ月後に他界してしまった。
こうした二十名の被爆者の怒りと抗議の声は政治の前にはむなしく、私たちの小さな灯は、意見書を乗り越える取組みへと燃えていった。
一九八一年六月一三日、専門ボランティアによる原爆被害者相談が広島市内でスタートした。
これは、不当な意見書を乗り越えるために約半年をかけて産み出された、私たちの唯一の方法であり、運動であった。
今日、被爆者の高令化にともない、被爆者の問題は、複雑かつ深刻化し、とりわけ、被爆者援護の遅れは、被爆者のくらしや、こころの再建を非常に困難にしてきた。
この被爆者の問題に対し、行政や、各関係団体、各機関で相談事業が行なわれてきたが、今日の被爆者の切実な要請に応えるためには、一層、相談事業を強化しなければならず、しかも、専門的知識と経験を生かした総合的、かつ継続的な相談事業が求められていた。
それは、谷間で苦しむ被爆者のために、広く相談窓口を設け、被爆者の直接相談に応じながら、被爆者がかかえる現行二法の問題点、及ぴ、その被害の実態を科学的に究明し、しかも被爆者が被爆者として主体的に生きるための条件を整えていくという内容であった。
しかし、この相談事業の中心的役割を担わなければならないワーカーにとって、これほど重要な課題を目指すには、余りにも荷が重すぎ、不安は隠し切れなかった。
使命感と不安の中で、ワーカー、弁護士、研究者、教師、団体職員、市民等によって原爆被害者相談員の会が発足し、被爆者相談が取り組まれていった。こうして、過去五年にわたる原爆被害者問題研究会活動、NG0国際シンポジウムでの生活史調査、そして「三十五年目の被爆者」の出版等、ねばり強い活動経験が、さまざまな不安を一つ一つとり除き、次のような多くの成果と教訓を残した。
参考
| 年月日 | 事項 |
| 197511 | 広島原爆被爆者問題ケースワーカー研究会 |
| 198208 | 原爆被害者証言のつどい |
| 198212 | ヒバクシャ-ともに生きる1号 |
| 1981~ | 年表:原爆被害者相談員の会 |
放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE) 平成3(1991)年4月に発足
http://www.hicare.jp/about/
| 被曝者医療の国際協力10年の軌跡 | 放医協の歩み(平成2年~平成13年) | 2001/03/01 |
| 被曝者医療の国際協力25年の軌跡 HICARE25周年記念誌 | 活動年表 | 2017/03/01 |
原爆ジャーナリスト一覧
| ジョン・ハーシー | ||
| エドガー・スノー | ||
| ノーマン・カズンズ | ||
| ロベルト・ユンク | ||
| 金井利博 | 「「原爆は威力として知られたか、人間的悲惨として知られたか」」 | |
| 水原肇 | ||
| 伊藤明彦 | 伊藤明彦 『未来からの遺言-ある被爆者体験の伝記』(青木書店、19800430)。 | |
| 日常的に被爆者取材を続けても「1時間録音してニュースに使うのは3分。残ったテープは破棄される」「被爆者がいなくなる時代でも、被爆体験という歴史的事実が肉声で伝わるように、まるごと残さねば」(出典:「ひと:伊藤明彦さん―国立長崎平和祈念館に被爆者の証言テープを贈る」、『赤旗』2002.3.34) | ||
| 中村敏(リンク:10月忌一覧) | 中国新聞記者、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部幹事、広島マスコミ9条の会運営委員など歴任。『中村敏遺稿集』。「中村敏さんを偲ぶ会」(20171118、会場:広島市文化交流会館) |
原爆資料館をめぐる情勢
| 年月日 | 事項 |
| 890701 | 広島国際会議場、開館。 |
| 910801 | 広島市の平和記念資料館(原爆資料館)、新装開館。 |
| 9210 | 長崎市、長崎国際文化会館(原爆資料センター)の建て替え基本設計を公表。 |
| 9303 | 広島市、平和記念館の展示物の検討を開始。94年6月新装開館。 |
| 940401 | 広島市、平和行政組織を改組。平和記念館の平和記念資料館への吸収。 |
| 940601 | 広島市平和記念資料館の東館、開館。 |
| 9408 | 広島市教育委員会、アジア13カ国・地域の歴史教科書の収集・翻訳事業の報告書「アジア諸国・地域の教科書(抜粋)」をまとめる。 |
| 941003 | -16日、広島アジア大会。 |
| 940913 | 広島市の呼びかけによる「平和博物館会議」、原爆資料館東館で開催。埼玉県平和資料館、川崎市平和館、立命館大学国際平和ミュージアム、大阪国際平和センター、長崎国際文化会館、沖縄県立平和祈念資料館から参加。 |
| 960401 | 長崎原爆資料館、開館。 |
加害展示
| Y | M | D | NEWS1 |
| 87 | 05 | 18 | 「ストップ・ザ戦争への道!ひろしま講座」など、広島が軍都だったことを示す資料を原爆資料館に展示するよう広島市に申し入れ。 |
| 87 | 11 | 27 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」など、広島市に、原爆資料館に「加害者コーナー」を設置することを要望。 |
| 88 | 05 | 24 | 大阪市立中島中学校生徒、修学旅行で来広し、西宮市の朝鮮人資料を原爆資料館に寄贈。同館長、被爆資料ではないと展示を断る。 |
| 88 | 08 | 17 | 旧陸軍歩兵十一連帯(広島県出身者を中心に編成)による住民虐殺のなかを生き延びた中国系マレーシア人ら(6人)、来広し原爆資料館など見学。 |
| 91 | 10 | 23 | 国際交流基金招請の東南アジアの新聞記者ら(9人)、来広し、原爆資料館などを視察。記者ら、原爆資料の巡回や原爆資料館への加害の歴史を展示などを提言。 |
| 94 | 07 | 04 | 原爆資料館東館の「前史展示連絡会」(松江澄代表世話人)のメンバー7人、東館の展示の侵略性表現は不十分と市に検討を申し入れ。 |
| 95 | 07 | 28 | バーンステイン米スタンフォード大学教授、原田広島原爆資料館館長に残虐行為など説明不足を指摘。 |
| 95 | 12 | 18 | 長崎日の丸会、来年4月開館予定の長崎原爆資料館の展示内容について、加害展示を避けて欲しいなどを長崎市長あてに要望。 |
| 96 | 01 | 01? | 長崎市、4月開館の長崎原爆資料館に日本の加害行為を説明する展示を常設することを決める。 |
| 96 | 02 | 08 | 長崎日の丸会、今年4月に開館する長崎原爆資料館の展示に関し、従軍慰安婦問題や南京大虐殺の常設展示を行わないように求めた要望書を長崎市に提出。昨年12月以来の申し入れ。 |
| 96 | 02 | 25 | 長崎市、原爆資料館の戦争加害行為を示す展示予定の資料を削除した問題で、自民党市議団の抗議で変更したのではないとの見解を、市議会教育厚生委員会で示す。 |
| 96 | 03 | 07 | 伊藤長崎市長、長崎原爆資料館に日本の加害責任について独立したコーナーを設けない考えを市議会で表明。 |
| 96 | 03 | 22 | 長崎市が原爆資料館の展示資料で、自民党市議団が内容変更を申し入れた後に、南京大虐殺などの写真の展示をしないことを決めていたことが判明。 |
| 96 | 03 | 25 | 「長崎の原爆資料展示を考える市民連絡協議会」と長崎県被爆者手帳友の会、長崎原爆資料館の加害行為を指摘する展示予定資料の一部が自民党市議団の抗議で削除された問題で、抗議の申し入れを市に行う。 |
| 96 | 03 | 26 | 長崎県平和労働センター・県原水禁、長崎原爆資料館の展示資料について、自民党市議団の要求で削除した加害責任を示す資料を元に戻すよう長崎市に申し入れる。 |
| 96 | 03 | 26 | 中国の有力紙など、長崎市が長崎原爆資料館に展示予定の「南京大虐殺」の写真などを自民党市議団の抗議で削除した問題を取り上げ批判。 |
| 96 | 03 | 27 | 長崎日の丸会、長崎原爆資料館の「日中戦争と太平洋戦争コーナー」の展示を取りやめるよう長崎市に申し入れ。29日、再度、申し入れ。 |
| 96 | 03 | 28 | 長崎市、原爆資料館に展示予定の南京大虐殺の写真を南京入城の写真に変更したことについて、この日在長崎中国領事館を訪問し説明する予定であったが、延期。 |
| 96 | 03 | 28 | 伊藤長崎市長、原爆資料館の展示をめぐり最終案としていた「南京入城」の写真を再び変更する考えを示唆。 |
| 96 | 03 | 30 | 伊藤長崎市長、原爆資料館の展示写真について、ビデオコーナーの日中戦争に関する映像から一コマを接写した写真に再変更する方針を明らかにする。 |
| 96 | 03 | 31 | 長崎市、長崎原爆資料館の開館記念式典を開催し、全展示資料を初めて公開。招待の被爆者ら約500人が見学。「日中戦争と太平洋戦争」のコーナーのビデオで強制連行などを紹介。 |
| 96 | 03 | 31 | 長崎県被爆二世教職員の会など、「長崎の原爆資料館の展示を問う市民集会」を爆心地公園で開催。約40人が参加。 |
| 96 | 03 | 31 | 長崎市、原爆資料館の開館記念式典に本島等元市長を招待せず。 |
| 96 | 04 | 05 | 日本中国友好協会長崎県連合会、長崎原爆資料館に対し、加害行為展示の充実を求める要望書を提出。 |
| 96 | 04 | 08 | 長崎市の西淳、長崎原爆資料館の展示を中国側の要求で写真を変更したことに抗議し、市政功労者の表彰状を破棄する考えを伊藤市長に伝える。 |
| 96 | 04 | 13 | 長崎平和推進協会、「ながさき平和講座」を長崎原爆資料館で開催。伊藤市長が「核兵器は国際法違反」と題して講演。約70人が参加。 |
| 96 | 04 | 24 | 長崎市の市民団体「原爆展示をただす会」、長崎原爆資料館に展示してある虐殺直前の写真は、米国の反日映画「ザ・バトル・オブ・チャイナ」の複写の一場面であることを確認したことを明らかにする。 |
| 96 | 04 | 25 | 中部以西の右翼団体約65団体300人、長崎原爆資料館の加害写真に対する抗議行動を長崎市内で実施。メンバー23人が同資料館を見学し抗議。-27日。 |
| 96 | 05 | 14 | 長崎市、原爆資料館で上映している南京大虐殺のビデオ上映をめぐる問題で「長崎原爆資料館運営協議会」を設置し、判断をゆだねる方針を明らかにする。 |
| 96 | 05 | 31 | 長崎市、長崎原爆資料館の「やらせ」との指摘のあった南京大虐殺のビデオ映像の調査結果を公表。「やらせ」の確証は得られなかったとの結論。 |
| 96 | 06 | 24 | 村上正邦参議院自民党幹事長、長崎原爆資料館の展示内容について、政府・与党連絡会議で批判。橋本首相、外務省と文部省に調査を指示。村上幹事長、25日の記者会見でも同様の考えを明らかにする。 |
| 96 | 06 | 25 | 長崎市、第2回原爆資料館運営協議会を開催。同市、南京大虐殺とされた映像を差し替える方針を明らかにする。26日、差し替えを実施、「疑惑映像」のビデオも展示を中止。 |
| 96 | 07 | 05 | 車貞述韓国原爆被害者協会釜山支部長・平野伸人韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部長、長崎原爆資料館の加害展示の充実などを、長崎市に要望。 |
| 96 | 07 | 11 | 長崎市、長崎原爆資料館の展示問題で、先月下旬自民党本部から転じ内容について問い合わせがあったことを明らかにする。 |
| 96 | 07 | 11 | 長崎の原爆資料の展示を考える会(長崎の証言の会・長崎被災協など8団体)、長崎原爆資料館の加害展示充実について長崎市に要望。 |
| 96 | 07 | 11 | 伊藤長崎市長、長崎原爆資料館で真偽不明の資料展示が発覚した問題で、行政と展示企画業者がそれぞれ責任を取る方向で検討していることを明らかにする。 |
| 96 | 07 | 16 | 長崎市、長崎原爆資料館運営協議会を開催。真偽不明の映像を使用したビデオの改訂版を上映し、来月1日からこの映像に変更することなどを決める。 |
| 96 | 07 | 24 | 伊藤長崎市長、長崎原爆資料館の展示をめぐる一連の混乱に伴い、江口圭一助役と田中洋一原爆被爆対策部長を口頭での厳重注意とする処分を行う。 |
| 96 | 08 | 01 | 長崎市、原爆資料館の「日中戦争と太平洋戦争」のコーナーで南京大虐殺関連の部分を差し替えたビデオの一般公開を開始。 |
| 96 | 08 | 19 | 長崎の原爆展示をただす市民の会、長崎原爆資料館に展示されている「日中戦争と太平洋戦争」コーナーの展示に替えて原爆投下そのものを批判する資料を展示するよう求める署名活動を実施。 |
| 96 | 09 | 02 | 「長崎の原爆展示を正す会」のメンバーら、長崎原爆資料館のビデオ問題で大失態を招いた責任は監修者が負うべきであるとして、謝礼金350万円の返還を求める住民監査を市監査委員に請求。 |
| 96 | 10 | 27 | おりづる国体出席のため広島滞在中の皇太子夫妻、原爆資料館を見学。 |
| 96 | 10 | 30 | 長崎の原爆展示をただす市民の会(西淳代表)、長崎原爆資料館に投下不要論の展示などを求める要望書を提出。 |
| 96 | 11 | 29 | 「長崎の原爆展示をただす市民の会」、伊藤市長を相手取り、原爆資料館の監修者らに損害賠償を請求するよう求めた訴訟を長崎地裁に提訴。 |
| 96 | 12 | 06 | 長崎の原爆展示をただす市民の会、原爆資料館の展示の全面改善を求める請願を市議会に提出。 |
| 96 | 12 | 10 | 朱成山・南京大虐殺資料館館長(中国・南京市)ら、広島の原爆資料館を見学。「被爆原因の追究が必要」と指摘。 |
| 96 | 12 | 10 | 長崎市議会議院運営委員会、長崎の原爆展示をただす市民の会の提出した長崎原爆資料館「核兵器のない世界をめざして」コーナーの全面的な改善を求める請願を議長預かりとし、委員会付託を保留することを決める。 |
| 97 | 02 | 21 | 長崎市監査委員、長崎の原爆展示をただす市民の会が提出していた原爆資料館の展示業務を行った丹青社に損害賠償すべきとの監査請求を却下。 |
| 97 | 03 | 21 | 長崎市、原爆資料館の展示に「原爆不要論」に関する資料を増設する方針を明らかにする。 |
| 97 | 10 | 23 | 長崎市、長崎原爆資料館の常設展示に、米軍人や科学者らの「原爆不要(違法)論」などを新たに加えることを明らかにする。 |
| 98 | 03 | 24 | 長崎地裁、西淳「長崎の原爆展示をただす市民の会」代表らが長崎原爆資料館の展示に関連して長崎市長に違法確認を求めた訴訟の第7回口頭弁論を開廷。 |
| 98 | 03 | 24 | 田崎昇長崎市平和推進室長、長崎地裁での「長崎の原爆展示をただす市民の会」から起こされた訴訟の第7回口頭弁論で、長崎原爆資料館開館直前に「南京大虐殺」の写真を差し替えたことについて、自民党市議団の抗議の申し入れがきっかけ、と証言。 |
| 98 | 03 | 25 | 長崎の原爆展示をただす市民の会、長崎原爆資料館に対し、原爆不要論などの展示が追加されたされたことを評価する一方で、一層の充実や加害展示の撤去などを要望。 |
| 98 | 09 | 16 | 長崎地裁、「長崎の原爆展示をただす会」会員が、原爆資料館の展示変更に関連し、監修者2人に損害賠償をしなかったには違法として長崎市長を訴えた裁判の第10回口頭弁論を開廷。京都地裁とテレビ会議システムで結び安斉育郎の証人尋問を実施。 |
世界連邦広島協議会 1950年9月14日設立
関連年表
| 年 | 月 | 日 | 事項 |
| 48 | 08 | 06 | 世界連邦政府樹立同盟(世界連邦建設同盟)、東京丸の内・工業倶楽部で発会式を挙行。400余名が参加。 |
| 49 | 08 | 23 | 浜井広島市長、ストックホルムで開催される第3次世界連邦建設運動大会へのメッセージを送る。 |
| 49 | 08 | 28 | 世界連邦運動第3回年次大会、ストックホルムで開催。-9月4日。浜井広島市長、メッセージを寄せる。(「世界国家」1950年1月) |
| 49 | 12 | 15 | 約50名の衆参両院議員、「世界連邦日本国会委員会」の創立総会を参議院で開催。(長崎民友12.16) |
| 49 | 12 | 20 | 衆参両院有志、世界連邦日本国会委員会の創立総会を参議院内で開催(長崎日日新聞12.21、「世界国家」1950年2月号)。 |
| 50 | 05 | 22 | 浜井広島市長、在英の賀川豊彦から広島で世界連邦準備会結成の可否についての問い合わせの手紙を受け取る。 |
| 50 | 05 | 25 | 小塩世界連邦建設同盟常任理事、広島での世界会議開催の意向打診のため浜井広島市長と楠瀬県知事を訪問(「世界国家」1950年7月) |
| 50 | 06 | 10 | 世界連邦建設同盟、本部で理事会を開催。浜井広島市長・楠瀬県知事も参加。(「世界国家」1950年8月) |
| 50 | 10 | 13 | 綾部市議会、世界連邦都市宣言を採択。(「世界国家」1950年12月) |
| 51 | 10 | 03 | 世界連邦広島協議会の発起人会、創立総会。会場:広島市内・流川教会。 |
| 51 | 10 | 06 | 世界連邦広島協議会。第1回理事会。 |
| 52 | 08 | 06 | 世界連邦建設同盟・同広島協議会・同国会議員会、衆議院会館で世界連邦アジア会議の準備大会を開催。(朝日新聞) |
| 52 | 11 | 03 | 原爆被害者の会、世界連邦アジア会議参加者に英文のアピール(英文)を発表。 |
| 52 | 11 | 03 | 世界連邦アジア会議,広島市本川小学校で開催.-6日。県労会議・原爆被害者の会・婦人民主クラブ広島支部・新日本文学会広島支部・人民文学広島友の会など17団体が大会へメッセージを寄せる. |
| 52 | 11 | 03 | 世界連邦アジア会議インド代表パール博士、広島市の原爆慰霊碑に参拝。碑文に異論を唱える。 |
| 52 | 11 | 04 | パール博士(インド代表)、世界連邦アジア会議で原爆投下の人道的責任に論及。 |
| 52 | 11 | 04 | 佐古美智子、広島原爆乙女の会40名を代表して世界連邦アジア会議で挨拶。 |
| 53 | 05 | 06 | 松岡政一世界連邦広島協議会理事長、1月間の北米西部視察旅行から帰広。 |
| 54 | 03 | 08 | 世界連邦建設同盟・長崎YMCA,世界連邦講演会を長崎市YMCAで開催。(長崎日々) |
| 54 | 07 | 05 | 第2回世界連邦アジア会議広島大会準備委員会、広島市で開催。大会席上で広島世界連邦都市宣言を行うことが浜井広島市長と山田参議院議員の間で合意。 |
| 54 | 07 | 28 | 広島市、パリの世界連邦政府運動本部議長から8月6日へのメッセージを受け取る。 |
| 54 | 09 | 30 | 第2回世界連邦アジア会議広島大会第1回準備委員会、広島市役所で開催。会長に重藤日赤院長を決定。 |
| 54 | 10 | 30 | 広島市議会、世界連邦都市宣言を決議。 |
| 54 | 11 | 08 | 世界連邦第2回アジア会議長崎大会、県会議場で開幕(~9日)。(長崎日々) |
| 54 | 11 | 08 | 湯川秀樹・賀川豊彦、長崎市活水短大講堂で講演。演題:「原子力と人類の将来」・「世界平和と世界連邦」。(長崎日々) |
| 54 | 11 | 11 | 世界連邦第2回アジア会議広島大会、開幕。 |
| 54 | 03 | 09 | 世界連邦建設同盟東京本部の稲垣守克(事務総長)・小塩完次(教育宣伝部長)、広島入り。10-11日に市内で開催された世界連邦運動指導者講習会に出席。 |
| 54 | 03 | 18 | 下中弥三郎平凡社社長(第2回世界連邦アジア会議準備委員長)、広島入り。 |
| 55 | 08 | 06 | 世界連邦建設琉球同盟、原水爆禁止を要求する平和大会を開催。 |
| 55 | 08 | 06 | 世界連邦母の会広島支部、柳原白蓮女史を迎え広島女学院中学講堂で結成大会。 |
| 56 | 05 | 30 | 第3回世界連邦平和都市連絡協議会、広島市浅野図書館で開催。 |
| 56 | 08 | 03 | 世界連邦建設同盟、原爆被災者の苦しみをテーマにした映画「生命をかけて」(第一映画製作)を広島でクランクイン。(読売新聞) |
| 58 | 12 | 06 | 茅誠二東大学長、長崎入り。世界連邦建設同盟長崎支部総会および講演会に出席のため。 |
| 63 | 05 | 10 | 第二回世界連邦日本大会開く。呉市で十一日まで. |
| 63 | 08 | 24 | 第十一回世界連邦会議世界大会開く。東京で。 |
| 64 | 03 | 04 | 世界連邦建設同盟山陽地区協議会結成総会。広島県労働会館で。代表委員に桑原英昭ら四人選出。 |
| 64 | 03 | 04 | 世界連邦広島県宣言五周年記念講演会でカズンズ講演。広島県労働会館で。「偉大な人類の力をもってすれば、戦争のない世界-世界連邦国家の実現も夢ではない」 |
| 66 | 11 | 25 | 世界連邦西日本大会。広島大学会館で。三百五十人参加。ベトナム反戦、原爆ドーム保存募金運動への協力を決議 |
| 68 | 01 | 23 | 広島市平和文化センタ-、第1回世界連邦市民講座開催。(「平和の推進」)。 |
| 69 | 11 | 11 | 世界連邦日本大会広島市公会堂に千人。世界連邦実現へ国会決議要請 |
| 70 | 08 | 04 | 第二回世界連邦平和促進宗教者大会。広島県立体育館に約一万人。五日まで。決議で「核兵器完全撤廃と軍縮のための国際査察機関設置」を求める |
| 74 | 10 | 30 | 世界連邦都市宣言20周年記念「平和の塔」除幕式(「平和の推進」)。 |
| 74 | 10 | 30 | 世界連邦広島県・広島市宣言記念平和の塔(広島平和記念公園) |
| 77 | 06 | 04 | パリで開催の「第17回世界連邦世界大会」・「第2回地球市民世界大会」参加のヒロシマ代表団の壮行会、市内で開催。 |
| 77 | 10 | 15 | 核廃絶・世界平和などを目指して、第13回世界連邦日本大会、焼津市で開催。 |
| 77 | 12 | 24 | 世界連邦世界協会のアジアセンター本部の広島市設置が決まり正式発表。 |
| 78 | 04 | 12 | 世界連邦建設同盟広島県協議会、国連軍縮総会に向けて使節団の派遣を検討中。 |
| 78 | 05 | 27 | 世界連邦広島県協議会のメンバー、ニューヨークでの「生存のための大動員集会」参加のため渡米。 |
| 78 | 11 | 25 | 「世界連邦市民講座」、広島市で開く。 |
| 80 | 03 | 19 | 世界連邦・地球市民世界大会実行委員会、ヒロシマ会議を8月に広島市で開くことを決定。 |
| 80 | 08 | 05 | 第3回地球市民大会・第18回世界連邦世界大会のヒロシマ会議、広島市で開催。 |
| 81 | 03 | 01 | 第25回世界連邦市民講座、広島市で開催。テーマ「科学と平和」など。 |
| 82 | 03 | 31 | 世界連邦日本国会委員会、東京で役員会開き、「核兵器廃絶および、軍縮のためのアピール」をまとめSSD2に向けて、発表。 |
| 82 | 10 | 22 | 「世界連邦宣言」をしている自治体(26都府県323市町村)で結成している全国協議会、広島市で総会を開催。 |
| 83 | 03 | 08 | 世界連邦市民講座、広島市で開催。「平和の保障と世界連邦」など |
| 83 | 05 | 12 | 世界連邦日本宗教委員会、来年8月に被爆地広島・長崎両市で、日米ソ三国の宗教者の首脳会議を開くことを決定。 |
| 83 | 10 | 25 | 世界連邦宣言自治体全国協議会、長崎市で総会開催。 |
| 84 | 01 | 99 | 世界連邦建設同盟奈良県支部、同県に世界平和センター「太陽の村」建設を計画。 |
| 84 | 03 | 09 | 故湯川秀樹博士の未亡人の呼びかけで、「世界連邦湯川スミ懇話会」、京都市で発足。 |
| 84 | 11 | 12 | 世界連邦全国婦人協議会研修会、広島市で開催(平和問題について討議)。 |
| 85 | 08 | 17? | 世界連邦渋谷区連合会・渋谷区、同区で開いた「被爆資料展」の感想文をまとめ文集を作成。 |
| 86 | 12 | 03 | 世界連邦湯川懇話会第2回公演、大阪市で開催。反原爆を訴える舞踊劇などを上演。 |
| 87 | 10 | 24 | 世界連邦世界協会名誉会長に選ばれた湯川スミの就任祝賀会、京都市で開催(約200 人出席)。 |
| 88 | 09 | 29 | 「第10回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会」(世界連邦日本宗教委員会など主催)、岡山市で開催(30日まで、約1500人参加)。核兵器廃絶などを盛り込んだ大会宣言を採択。 |
| 92 | 08 | 05 | パール・ハーバーのアリゾナ記念館長、世界連邦日本仏教徒協議会の招きで広島入り。6日の平和式典に参列。 |
| 95 | 03 | 11 | 世界連邦建設同盟広島支部連合会など、50回目の市民講座を広島市の原爆資料館東館で開催。約60人が参加。 |
| 95 | 08 | 23 | 世界連邦宣言自治体全国協議会、東京都内で総会を開催。フランスと中国に対し核実験を中止するよう決議。 |
関連組織設立状況
| 480806 | 世界連邦政府樹立同盟(世界連邦建設同盟) |
| 491215 | 世界連邦日本国会委員会 |
| 500914 | 世界連邦広島協議会 |
| 511333 | 世界連邦運動協会広島支部 |
| 550806 | 世界連邦母の会広島支部 |
| 570605 | 世界連邦建設同盟広島県協議会 |
| 600915 | 世界連邦建設同盟広島支部連合会 |
| 640304 | 世界連邦建設同盟山陽地区協議会 |
| 671011 | 世界連邦主義者エスペラント会広島支部 |
| 671116 | 世界連邦広島県宗教者協議会 |
| 770131 | 世界連邦広島県教育者協議会 |
| 770131 | 世界連邦主義者エスペラント会広島支部 |
谷本清
| たにもと・きよし | 19090627生 19860928没 | 享年77 |
| 日本基督教団広島流川教会牧師。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆乙女の米での手術実現などに尽力。86アキバ・プロジェクト」で来日した米記者、被爆牧師死去の記事(60行余)を掲載。AP通信を通じて米の各メディアに配信。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』。教会で面談 | ||
資料
| 谷本清賞 | |
| 原爆手記追加 | |
| 谷本清「原爆とヒロシマ」(『住みよいまちを!通信』、発行:住みよいまちをめざす会(広島大学理学部付)、連絡先:広島大学工学部建築学科都市計画研究室 その1=通信第15号(1975.7.15)~その6=通信第32号(1979.3.15)完 |
原爆手記追加
| 19130511 | 19940714 | ユンク、ロベルト | 『広島県現代文学事典』 |
福井芳郎
| ふくい・よしろう | 19120311生19741113没 | 享年62歳 |
| [54世界平和集会世話人(発起)](画家)。原爆被災。[69原爆被災資料広島研究会]。 | ||
参考資料
| 1975 | 『あの日から30年 原爆画家 福井芳郎追悼展』(主催:中国新聞社、会期:1975年8月1日~6日、会場:天満屋広島店8階催場) | |