ピースナイター(略年表)

〇ピースナイター略年表

年月日 VS(スコア) 備考
20080826 1 ヤクルト (5-1) 「折りづるナイター」=平和市長会議・広島東洋カープ・生協ひろしま等(共催?)。開催場所:旧広島市民球場
20090915 2 中日(3-5) 「ピースナイター」=開催場所:広島市民球場(MAZDA Zoom Zoom スタジアム広島)。原爆ドームと同じ高さ(25m)の内野自由席に白いポスターを掲げピースラインをつくり、被爆の象徴である原爆ドームとすぐ横にあった復興のシンボル旧市民球場をつなげる事で平和の尊さと核兵器の廃絶をアピール。
20100805 3 横浜(4-0)  今回から内野自由席に配布しているピースラインのポスターを広島復興の象徴である広島東洋カープをイメージした赤色に変更。
20110805 4 巨人(6-11)  漫画家中沢啓治が始球式。
20110806 原爆記念日には53年ぶりとなる公式戦。
20120805 5 阪神(7-0)  始球式は5歳で被爆、姉を原爆でなくした元プロ野球選手、張本勲。
20130806 6 阪神(1-0) 当日のセリーグの各試合がピースナイターとして同時開催。吉川晃司(被爆2世、ミュージシャン、俳優)始球式。吉川晃司、5回の裏終了後、被爆ピアノの伴奏でジョンレノンの「イマジン」を独唱。
20140730 中日(9-2)  始球式、山本一義(7歳の時に被爆、1960年にカープに入団)。
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20150805 8 阪神(2-8)  始球式、森下洋子(母と祖母が被爆、原爆投下3年後生まれ、世界で活躍するプリマバレリーナ)。
20150806  <観客3万人以上> サンフレッチェ広島がJリーグ開幕24年目で初めて原爆の日に地元試合。
20160806 9 巨人(2-3) 始球式、保田麻友(「被爆体験伝承者」一期生)。
20170802 10 阪神(3-4)  始球式、高橋真梨子(廿日市市生まれ、被爆2世の歌手)。県内12万筆を目標にピースナイター新聞で核兵器を廃絶に向けた「ヒバクシャ国際署名」を呼び掛け。
20180807 11 中日(6-2) 始球式、高橋真梨子(廿日市市生まれ、被爆2世の歌手)。主催:生協ひろしま、広島東洋カープ、(公財)広島平和文化センター、広島電鉄、中国放送。
「ピースナイター2018」の開催(『平和文化』No.199)http://www.pcf.city.hiroshima.jp/hpcf/heiwabunka/pcj199/Japanese/05J.html
20190806 12 横浜DeNA(8-4) リンク先: ピースナイター2019 | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com)
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20200807 13   阪神タイガース
20210821 14 東京ヤクルトスワローズ
20220806 15 阪神タイガース
20230806 16 巨人(0-13)

 

 

おわりに

おわりに

広島市主催の式典関連行事は、1991年(平成3年)には、49件(公民館29件、広島平和文化センタ-9件、映像文化ライブラリイー4件、保険年金課3件など)存在する。その中には、美術展、音楽会など、平和式典とともに今日まで開催されている文化行事がある。また、平和記念日前後に広島市以外のさまざまな機関や団体によって開催される行事は、慰霊行事を中心に年を経るごとに増加している。これらの諸行事は、平和式典に新たな意味を与えるとともに、平和記念日の広島の雰囲気を大きく変えてきた。式典の将来を考えるとき、式典は、これらの動きとともに振り返られなければならないと考えている。しかし、この小冊子では、触れることができなかった。今後の課題としたい。
資料収集ならびに執筆にあたり、(財)広島平和文化センタ-の宇野正三事業部主幹を始め、広島市総務局総務課、広報課、保険年金課、原爆被害者対策部、公文書館、広島市観光協会、広島県立文書館、中国新聞社など、関係機関の多くの方々にお世話になった。末尾ながら記して厚くお礼申し上げる。

目次

目次

まえがき
第1章 平和祭
1 原爆被爆
2 原爆死者の慰霊
3 平和復興祭
4 第1回平和祭
5 第2回平和祭
6 第3回平和祭
7 平和祭の挫折
(1) 第4回平和祭の中止
(2) 慰霊式・平和記念式典の開催
第2章 平和式典の変遷
1 平和式典の原型
(1) 1952年の式典
(2) 慰霊と平和
2 平和式典の主催者
3 平和式典の準備
(1) 平和式典の会場-平和記念公園
(2) 設営
(3) 市民の奉仕活動
(4) 式典にともなう規制と警備
4 平和式典の式次第
(1) 式次第
(2) 原爆死没者名簿の奉納
(3) 献花
(4) 平和の鐘と黙とう
(5) 演奏と合唱
5 平和宣言
(1) 宣言の主体、対象、形式
(2) 原爆被害観
(3) 原水爆禁止
(4) 国連への期待
(5) 国際動向への憂慮
(6) 被爆者援護対策への要望
(7) 世論への期待
(8) 被爆体験の継承
(9) ヒロシマの動向と決意
(10) 宣言内容の変遷
(11) 平和宣言の普及
6 平和式典の参列者
(1) 参列者数
(2) 黙とうのひろがり
(3) 日本政府の関心
(4) マスコミの関心
(5) 海外での関心
8 平和式典の関連行事
(1) 原爆供養塔合同慰霊祭
(2) 原爆罹災者名簿の公開
(3) とうろう流し
(4) 平和集会・シンポジウム
おわりに
平和式典略年表
索引

 

まえがき(新版のために)

まえがき(新版のために)
『平和記念式典の歩み』(1992年3月刊)は、すでに絶版。将来、新版(デジタル版)が製作されることを期待して、旧版のテキストデータに新たな情報を加える予定。

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まえがき
毎年、8月6日前後の広島では、原爆被害に関連したさまざまな行事が催されている。広島市が主催する平和記念式典は、こうした行事の中で、最も大規模なものであるとともに、最も長い歴史を持つ行事の一つである。1991年(平成3年)8月6日午前8時から広島市の平和記念公園において挙行された式典には、海部俊樹内閣総理大臣を始め約5万5,000人が参列し、式典の模様は、テレビにより全国に放映された。
この式典が始まったのは1947年(昭和22年)のことである。平和式典の正式名称は、大まかには平和祭→慰霊式並びに平和記念式(1951年)→広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式(53年)→広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(68年)と変わり、現在に至っている。
この式典は、当初は、一地方の平和行事にすぎなかったが、その後、次第に性格を変え、広島の原爆犠牲者を追悼する国民的な行事に成長した。30分から1時間の時間で開催される式典は、毎年同じ形式の繰り返しのように見える。しかし、その式次や平和宣言などを各要素ごとに追ってみると、その時々の原爆被害をめぐる動向を反映して、ある時はダイナミックな、また、年毎でも微妙な変化をしてきていることが明らかになる。その変化は、原爆被害が置かれていた状況や、原水爆禁止運動、平和思想の戦後の歴史を振り返る際の一つの重要な指標になりうるものである。この小冊子では、平和式典の変容を、式典の持つさまざまな要素ごとに、できるだけ詳しく明らかにしようとした。
広島市は、平和式典の総称を1965年に「平和記念式典」とし、68年からは「平和祈念式典」として使用してきた。ところが、75年、広島市は、正式名称には「祈念」を残したまま、総称として「平和記念式典」を使用することとした。「祈念」は、「原爆犠牲者の霊を慰めるための祈り、平和実現のための祈り」を強調した表現であるのに対し、「記念」は、「恒久平和への市民の誓いを将来に伝え残すという継承の意志」を強調した表現であるとし、「記念」の表現が、式典の趣旨に「適切」であるというのが総称変更の理由である(総務局「平和記念式典の名称について」81年10月9日)。しかし、ここでは、さまざまな名称の統一的な表現として「平和式典」あるいは「式典」を用いている。また、広島市は、原爆が投下された8月6日を条例により「平和記念日」と定めているので本書では引用の場合を除いて、「原爆記念日」という名称は使用しないこととする。
平和式典に関する公文書は、1963年以前のものは断片的にしか残されていない。しかし、平和式典の模様は、初期のものから現在に至るまで、マスコミにより詳細に報道されている。記述に際し、資料の多くのは、新聞報道を利用した。その中でも、ベースにしたのは、「中国新聞」(戦後~70年ごろ)、「広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センタ-新聞切抜き」である。これらについては、煩雑をさけるため、出典の明記を最小限にとどめている。また、読み易くするため、資料の引用にあたって、漢数字を算用数字に直し、旧字を新字に改めたほか、難読の漢字には読みがなを付した。
1992年1月
著   者

日本文化平和協会(1947年9月28日)

日本文化平和協会(JCPA) 1947年9月28日発会式

会長:長田新広島文理大学長、副会長:マクミラン女学院教授、佐伯好郎。(『中国新聞』19470928)。

略年表

年月日 事項
194707 前史=長田新(広島文理科大学学長)・長谷信夫(医師)ら広島在住の文化人が、日本文化平和協会の設立を計画。意図=同年5月3日に施行された新憲法の「戦争放棄を条文のみにとどめ」ないため、広島市を文化都市として建設。具体的な構想=「ノーベル平和賞と同じような広島平和賞」、「マンハッタンの浜にき然とそびえる平和シンボル-平和の女神の像を模造し、広島城跡に建立。今は世界平和攪乱の罪で天の制裁としてあとかたもなくなった軍閥横行の地を清め、平和の芽ばえを守護する意味」。(『中国新聞』7月9日)。
19470928 発会式
194711 第1回文化講座(中国新聞社と共催)。講師:天野貞祐第一高等学校校長。会場:広島女学院講堂(13日)、文理科大学・高等師範学校(14日)。
19480204 文化国家建設広島学生大会。会場:爆心地近くの元護国神社前広場
19480220 平和の歌」の入選発表
19480403 大山郁夫(早稲田大学教授)講演会。会場:広島女学院講堂
19480831 『恒久平和論』の出版。
19480908 広島文理科大学長長田新「世界平和への道」を掲載(『中国新聞』)
19480918 『中国新聞』が紹介。「恒久平和への精神的な分野を開拓しようと企画し昨春来着手」
194905 田辺耕一郎の書評(『書評』1949年5月)=カントの永久平和論を批判し。世界連邦(世界共和国)の理念を高く掲げた。

 

 

  恒久平和論長谷信夫(編)(日本文化平和協会、19480831)

 

目次

 

絶対的平和論と相対的平和論 矢内原忠雄
世界平和のために 原随園
平和国家の理念 天野貞祐
平和日本とユネスコ 森戸辰男
恒久平和論 長田新
装幀 南薫造

 

 

 

同志社大学神学部新島講座

同志社大学神学部新島講座 1947年8月4日~8日

『原子力時代に於ける基督教-新島講座記念論文集』( 有賀鉄太郎編、聖光社刊、19480215 刊)=1947(昭和22)年8月4日-8日、同志社大学神学部で開かれた「新島講座」の講演記録。

目次

著者 タイトル
有賀鉄太郎
「この書に収められた諸篇は、昭和22年8月4日から8日に亘って同志社大学神学部に開かれた「新島講座」の講演に基づいたもの」
湯浅八郎 原子力時代に於ける基督教
「文明のかかる欠陥を痛感するアメリカの学会は、戦時中より科学、宗教、哲学の三分野に亘り学会の権威をコロンビア大学に招集し年一度綜合研究会を開催することを試みた。1946年には第4回目の会合がコロンビア大学で開かれたが、その時最も大きな感銘と衝撃とを与えたものは、サタデー・リビュー・オブ・リテラチュアの主筆、カズン[ノーマン・カズンズ]氏の原子力時代に関する論文であった」
山崎亨 旧約に於ける世界思想
富森京次 新約に於ける世界思想
有賀鉄太郎 初代基督教徒の世界思想
大塚節治 基督教世界観
湯川秀樹(招聘) 現代科学思想
 細野軍治  国際連合に就て
 安田貞雄(発題者)  懇談会:農本文化と農村文化
 J.G.ヤング  宗教教育の諸問題
魚木忠一 新島先生に於ける国家思想

 

平和斗争1951

平和斗争1951年 (出典:『広島県労働年鑑1952』)

かかる情勢下で講話后初の平和大会が8月6日午前9時半より原爆投下6周年を記念して、平和会館前広場において、八・六平和大会実行委員会主催で広島平和市民大会が開催された。

<以下未入力>

 

ひろしま(編集人:峠三吉)

『ひろしま 6月号 第1巻第1号』(編集人:峠三吉、発行所:瀬戸内海文庫、1948年6月1日)dc19480601

目次

著者 タイトル 備考
宇根元馨 表紙
大本カメラマン 口絵
 新延輝雄  カット
阿部静枝 運不運
大山郁夫は語る―理想と愛
宇根元馨 表紙絵にそえて―旧産業奨励館―
桝井迪夫 ジョン・ハースィの「広島」
谷本清 原爆と米人の愛
アルバム・アトムヒロシマ(広島市役所献上写真帳より本誌特写)
広島城跡
爆心地から己斐を望む
紙屋町付近
日本赤十字社広島病院
十字架
阿川弘之 夏(小説)
T 編輯後記
H 編輯後記

 

原水爆禁止国民使節(1957年)

原水爆禁止国民使節(1957年)

日本原水協は本年[1952年]4月の第2回全国理事会に於いて、クリスマス島水爆実験阻止の抗議団派遣の討議の中で、相次いで原水爆実験を行っている米、英ソの原爆保有3国に対し夫々、原水爆禁止と即時実験禁止協定締結を訴える国民使節派遣を決定した。その后幾多の障害を乗り越え乍ら、世界大会準備の活動と並行して運動を進め、7月23日ソ連班を皮切りに、米英ソ三国にそれぞれ使節団を送り出した。各代表団は困難な条件の中でよく活動し、不十分ではあるが数多くの成果をもたらして、去る9月21日英国班を殿りとして全員無事帰国した。

出典:『原水爆禁止国民使節派遣経過並に活動報告』(国民使節派遣対策委員会、1957年10月5日)

中国新聞労働組合新聞研究部

中国新聞労働組合新聞研究部 1969年7月23日発足

略年表

年月日 事項
前史
19591005 「新聞討論集会」(中国地連主催、岡山市)。テーマ:「新聞はこれでよいのか」「新聞批判にどうこたえるべきか」。講演:「読者と新聞」(広島大・今堀誠二)など。中国労組から平岡敬委員長ら5人が出席。参加者約400人。
19610905 中国労組として初の新研集会「中国新聞をよりよくするために」。参加者約20人。大牟田稔委員長報告後、八・六紙面の検証など。
19690723 中国新聞労働組合新聞研究部発足
出典 『中国新聞労働組合50年史』(同編集委員会、19970829)

 

今堀誠二先生略年譜

今堀誠二先生略年譜

出典:『carnet 手帖 VOL.1  NO1』(1999.11.3)発行:水原肇

年月日 事項
19141027 大阪市天王寺区寺田町で出生
193903 広島文理科大学史学科卒業。同大学副手。
193905 外務省留学生として中国に出張。~12月。
194506 広島文理科大学助教授。臨時召集により10月まで軍務。8月中旬から1か月余広島市で被爆災害の救済にあたり、また、9月中旬広島市郊外大野町の台風災害により埋没した病院の発掘遺体収容作業に従事。このため兵役解除は同時入隊者より2か月遅れ、10月7日に除隊し、大学に復職。
195004 36才で文学博士。
195105 広島大学教授に昇進。
196602 外務省特別研究員。引き続きアメリカ国務省招待で5か月欧米に出張。
196902 外務省特別研究員として香港に駐在(~1945年4月)
197103 内閣官房国際問題懇談会委員
197202 外国出張。台湾ほか東南アジア諸国。
197204 教養部長。大学紛争、総合科学部創設に当たる。
197304 外交問題懇談会委員。
197406 広島大学総合科学部初代学長。
197709 広島女子大学学長。広島大学名誉教授。
198712 広島女子大学学長を退任。同大学名誉教授。
198804 勲二等瑞宝章の叙勲。
199207 「谷本清平和賞」受賞
19921009 逝去

 

広島文学資料保全の会(1987)

広島文学資料保全の会活動日記(抄)

出典:『広島に文学館を 広島の心を21世紀に伝えよう!』(編集人:尾津訓三・池田正彦 発行人:好村冨士彦、1999年4月30日)

年月日
1987 ヒロシマに関わる文学資料の調査、収集・保存、そのための施設建設を求め、広島市長への<要請>署名運動。発起人11人=磯貝英夫、今堀誠二、大原三八雄、北西允、栗原貞子、好村冨士彦、四国五郎、立川昭二郎、深川宗俊、松元寛。発起人の呼びかけに応じた、被爆者、文化人、学者、市民72人は参道呼びかけ人として活動に参加。
 2月  仮称「広島の文学資料の保全をすすめる会」を結成(代表者:広島大学学長・沖原豊)。幹事・事務局を選出し、要請署名と活動資金を訴える活動にとりかかる。

原爆文学研究会

原爆文学研究会 第1回研究会(2001年12月22日)

事務局 九州大学大学院比較社会文化研究院 花田俊典研究室内

『原爆文学研究会会報 第1号』2002年1月発行

『原爆文学研究 創刊号』2002ねん8月1日発行

 

水爆禁止署名運動杉並協議会

水爆禁止署名運動杉並協議会:1954年5月9日発足

参考資料:『歴史の大河は流れ続ける(4)-杉並公民館の歴史 原水爆禁止署名運動の関連資料集』(杉並区立公民館を存続させる会、1984年8月25日)

目次

署名簿 〈杉並アピール・スローガン〉
 原水爆禁止署名運動杉並・全国協議会に関する記録
1 魚商組合陳情~原水爆禁止署名運動の前史として
2 水爆禁止署名運動杉並協議会発足
3 第一回実行委員会開催~区議会議長、教育委員らの協力及び新聞発表
4 署名運動杉並全区へ拡大~隣接区へ拡大、第二、三回実行委員会
5 運動は全国的なものに
6 原水爆禁止世界大会へ向けて
証言: 小沢綾子 ほか
原水爆禁止署名運動関連年表
編集日程・編集後記<抄>「(一昨年秋のある日)小沢綾子さんのお持ちになった資料を見せていただくために集まったのですが・・・」

6.52
7.89
2  97
3 原水爆禁止運動の論理と倫理 安井郁 108
4 新聞報道 121
5 歴代公民館運営審議会委員名簿 130
6 解題 杉並区における原水爆禁止署名運動と公民館の歴史について 田中進 135
参考・引用資料文献一覧 146
151
152″

広島婦人問題研究会

広島婦人問題研究会 1974年発足。代表世話人:中村朋子。

参考資料:『未来を拓く ひろしまの女性 1983』(広島婦人問題研究会、1984年3月21日)

目次

 山代 巴 私の歩んだ道
中村 朋子 山代巴研究と私たち -中間報告-
今中 保子 近代日本女性史と広島の婦人 -備後の女性を中心に-
  内田 千寿子 原爆を語る場を求めて
 永見 和子 福山の母親運動
山代巴年譜
戦後広島県婦人の動き(1945~1955)
編集後記-広島県婦人問題研究会の紹介にかえて-

 

 

広島文団連50年誌

『ヒロシマの青春 飛翔―広島文団連50年誌―』広島県文化団体連絡会議「50年誌」編集委員会、20121215刊

目次

御庄博実(丸屋博) 文団連50年を思う 広島県文団連 代表委員
高橋正志 文化で生きる力を 文化団体連絡会議(全国文団連) 事務局長
一、文団連50年の歴史 1.前史 2.広島県文化会議結成から文団連へ 3.70年代~80年代 4.90年代から今日まで
<ぶんだんれんトピックス> ◆昭和21年、横川劇場で観た◆「河」◆原水禁文化集会と文団連◆峠三吉碑前祭◆第一学習社労組闘争支援◆平和とうろう集会◆「ヒロシマの夜打つ太鼓」◆ヒロシマ学習
二、加盟団体の結成と今日(結成年順)
1954 広島合唱団
1954 国鉄広島ナッパーズ (前身から)
1956 広島映画サークル協議会
1959 劇団月曜会
1960 広島市民劇場 (前身から)
1964 広島詩人会議
1965 広島県美術会議
1965 日本民主主義文学同盟広島支部
1967 日本ジャーナリスト会議広島支部
1967 青年法律家協会広島支部
1972 広島映画センター
1987 音楽センターひろしま・太鼓センターひろしま
1992 ひろしま音楽鑑賞協会
三、資料 1.文団連5年譜、2.文団連歴代役員、3.物故役員の経歴、現在の役員、文団連加盟団体一覧
亀岡恭二 あとがき 事務局長
編集委員のひとこと

三、資料、3.物故役員の経歴

名前 生・没年 経歴
大月洋 1960-1973 広島演劇鑑賞会事務局長、広島県文団連副議長
中川秋一 1910-1980 「夕刊ひろしま」記者、皆実町二丁目青年連盟結成に参加、民主主義科学者協会会員、広島県労働組合協議会議長、劇団「八月座」結成に参加、前進座広島後援会会長、広島県文団連代表委員
土屋清 1930-1987
柿手春三 1909-1993
山下正人 1924-1995
堀博自 1921-1996
植田知基 1934-1997
村上忠人 1917-1996
水原肇 1934-2004 読売新聞記者、日本ジャーナリスト会議広島支部代表幹事、広島県文団連代表委員
下村仁一 1918-2008 広島県美術会議幹事長、アンデパンダン展全国実行委員長、広島平和美術展代表、広島県文団連代表委員
深川宗俊 1921-2008 反戦詩歌人集団結成に参加、広島県平和のための文化会議幹事長、峠三吉詩碑建設委員会委員長、短歌研究会「青史」代表、広島県文学会議幹事長、広島県文団連代表委員
新江義雄 1947-2009 日本のうたごえ全国協議会常任委員、(有)音楽センターひろしま役員、広島県文団連常任委員

 

広島県文化団体連絡会議略年表

広島県文化団体連絡会議(略称:文団連)略年表

年月日 事項
196911 広島県文化会議第4回総会。広島県文化団体連絡会議に名称変更。22団体が加盟。
197109 文団連呉支部を結成
197203 文団連ニュース第1号発行。
197203 文団連機関誌「ひろしま」創刊号発行
197701 文団連ニュース復刊(第6号)
19780212 文団連第4回総会。会則改正
19821003 ~5日。第11回文団連全国交流集会。テーマ「平和と文化」。会場:広島市・寿殿。
19820124 第11回文団連全国交流集会記録集
 19830401  文団連ニュース(第52号)
 19830601   文団連ニュース(第53号)
19930307 三吉忌碑前祭ー峠三吉没後四〇年。ところ:平和公園・峠三吉碑前
 20121215  『ヒロシマの青春 飛翔―広島文団連50年誌―』発行。
20170212 広島文団連「2017ヒロシマ学習 ”ヒロシマ文化”の過去・現在・未来~ヒロシマ郷土史家の思い~」。講師:宇吹暁、会場:小劇場「アッカー」(広島市中区榎町)。参加者34人。

 

広島文学協会

広島文学協会 1950年発足

機関誌 『広島文学』

巻号 発行年月日 備考(出典・所蔵など)
『原爆被災資料総目録第4集』(以下『総目録第4集』)。広島平和記念資料館所蔵(以下「原資」)
1-1創刊号 19511115 『総目録第4集』「原資」
3(10月) 19571005 『総目録第4集』「原資」
3-2(2月) 19530201 「原資」「ピカ」
3-3(3月) 19530301 「原資」「ピカ」
3-4(5月号) 19530420 「ピカ」
3-5(8月) 19540901 「ピカ」
4-1(9月) 19540901 「原資」「ピカ」
3-5(9月号) 19540901 「ピカ」
8月号 19550815 「ピカ」、宇吹蔵
6-1(新年) 19560101 「原資」「ピカ」
6-2(春季) 19560405 「原資」「ピカ」
6-3(夏季) 19560801 「ピカ」
7-1(秋季) 19561120 「ピカ」
19580410 広島文学協会ニュースNO.15
8-1(秋季) 19580915 「ピカ」
9-1(通関5) 19590510 「ピカ」