年表:原爆展(1948~50年)

年表:原爆展(1948~50年)

記事
48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。
48 08 05 長崎市、市立博物館で原子爆弾史料展示会、開催。(~11日)
48 08 06 アトム・ヒロシマ写真・画展、広島市内の茶房で開催(~8日)。中国新聞社写真部松重ら5氏の写真や福井芳郎のスケッチを出品。
49 04 21 広島県観光と物産展、東京日本橋・三越本店で開幕。-28日。「平和の鐘」を展示。
49 08 03 広島市平和協会主催「浮世絵展」、福屋百貨店で開幕。-14日。
49 10 14 広島市中央公民館、全国民生・児童委員大会の協賛行事として原爆写真展を開催(~18日)。
50 02 08 日本美術協会主催第3回アンデパンダン展(東京上野・美術館)。11日間。丸木位里・赤松俊子、「八月六日」(「原爆の図」第1部幽霊)を出品。(「原爆の図」19520410、「三田文学」1950年6月、「女絵かきの誕生」19770820)
50 02 11 広島市中央公民館で、原爆と平和展(広島平和協会主催)、開催(3月12日まで)。原爆関係資料展示。3月8日までの入場者数大人4273人、小人1611人。入場者収入32万2290円。
50 02 21 長崎市、日本産業博覧会(3月15日から、於神戸市)に長崎館を設置し、原爆資料など展示することを決定。
50 03 桃李会主催「原爆の図」展、丸善で開催。(「三田文学」1950年6月)
50 06 01 共産党東京都委員会、池袋駅前で「原子爆弾写真展」を開催し、平和投票を集める。
50 06 21 アカハタ、東京で戦争反対、原子爆弾の使用禁止の宣伝のため原爆による被害を示した数枚のポスターを紙上で紹介。
50 08 月刊誌「働く婦人」、グラビアで赤松俊子夫妻の「原爆の図」を紹介。峠三吉の詩「呼びかけ」、記者常見一の広島ルポ「原子沙漠に草萌えて」を掲載。
50 08 ? 全商工本省支部が省内で開催した原爆写真展の写真が巡視により没収される。(千代田区平和を守る会「平和ニュース」第2号、1950年8月12日)
50 08 07 丸木・赤松の「原爆3部作展」東京・日本橋の丸善画廊で開催。-12日。15-20日には銀座・三越で開催。合わせて9万人が参観。(「連盟通信」第68号、「日本評論」1950年10月)
50 08 18A 日本美術会・婦人民主クラブ・女子勤労連盟・平和を守る会、東京有楽町交通協会で、原爆3部作完成記念の懇談会を開催。本郷新(司会)、八田元夫(丸山定夫の思い出話)、淡徳三郎、武谷三男、大田洋子の話に続き、赤松・丸木夫妻の挨拶。
50 10 ? 民科米子支部、「原爆の図」展を開催。3500人が観覧、2500票のSアピールを集める。(「歴史評論」1951年9月)
50 10 05 広島市内五流荘で原爆の図三部作展覧会始まる。5日間でストックホルムアピール署名186票。(「民族の星」1950年10月16日、10月21日)
50 10 07 「われらの詩の会」、峠三吉のアパートで壷井繁治・丸木位里・赤松俊子を囲む集まりをもつ(「われらの詩」1950年12月15日)
50 10 08 広島市・五流荘で「壷井・丸木・赤松諸氏を囲む座談会」が開かれる。(「われらの詩」1950年12月15日)
50 10 20 広島県・上下高校の記念祭で「平和展」.会場で原爆写真などを紹介(25日まで)。

大江・高橋・三島との遭遇

作家名 遭遇年月日 遭遇場所
高橋和巳 1969年?  京都大学本部構内(京都)
三島由紀夫 1970年11月25日  陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(東京)
大江健三郎  1987年7月30日  広島ターミナルホテル(広島)

高橋 和巳
たかはし かずみ 19310831生
19710503没 作家。歳。
高橋和巳=「私たちはしばしば、一つの時代を、その繁栄の中心において記述しがちであるが、一つの時代は先端的な繁栄の場をもつと同時にその時代の矛盾と悲惨の集約の場をももつ。そして文化というものは、社会の先端を切る人々にのみ担われるのではなく、矛盾と悲惨の場に耐えた人々によっても担われる。その不運の場に居あわさねばならなかった人々の苦しみのうちに築かれてゆく価値を無視してしまっては、その時代、その民族の精神は十全ではありえないのである。」
(「滅びざる民」、『読書人』1966年8月1日号掲載)

三島 由紀夫

広島に”新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であった。(中略)
それが原爆だと知ったのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだった。世界の終わりだ、と思った。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。もっとも、原爆によって突然発生したというより、私自身の中に初めから潜在したものであろうが・・・。 ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかえしません」といった。原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文字は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」という一節以外に、私は知らない。(中略)
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさえながら核を作っている。彼らは言いわけなしに、それを作ることができない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被爆国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもって対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思い起こすべきではないのか。
(三島由紀夫の発言、「私の中のヒロシマ」、『週刊朝日』1967年8月11日号

大江 健三郎
1958年「飼育」で芥川賞受賞。
「ヒロシマ1960」(『中国新聞』1960年8月7日)
***私はきょう広島を訪れて原爆記念祭に出席した。それは私にとって貴重な体験である。***日本人はその生涯に、すくなくとも一度は広島を訪れるべきである。
***私は広島で、原爆と戦いつづけながら日常生活をきずいている、勇気にみちた人たちを見た。それは土門拳の「ヒロシマ」で私が発見し、深い敬意をはらっていた人たちを、現実に見ることであった。そしてまた私は、納骨塔の前で会った母親のように、深く暗い海のような悲しみと嘆きをもつ人たちをも見たのである。
***この二つの人間像が広島の人たちを代表するものであろう。私はこの勇気ある人たち、しかも深い悲嘆を心にいだきつづける優しさをもった人たちを、おなじ日本人としてもつことに誇りを感じる。
「ヒロシマ・ノート」(『世界』1965年3月号)
***広島こそが、僕のいちばん基本的な、いちばん硬いヤスリなのだ。広島を、そのような根本的な思想の表現とみなすことにおいて、僕は自分が日本人の小説家であることを確認したいのである。
「ヒロシマからの新しい光-人類再生のシンボルに」(『中国新聞』1992年1月1日)
***これまで広島は第二次世界大戦で始まった核兵器体制の黒い巨大なシンボルでした。いま核軍縮の方向性があきらかとなって-逆行がありうるのであれ-、広島は核の被害から人間がどのように再生したかを示す光のシンボルともなりうるはずです。チェルノブイリの被災者の広島における治療は、すでに具体的にそれをあらわしていると思います。
1994年10月13日、ノーベル文学賞受賞決定。
「世界文学は日本文学たりうるか?」
(ノーベル賞受賞後初の講演。『あいまいな日本の私』(岩波新書、1995年)所収)
***私どもは、広島と長崎の経験を持っていますが、はたして日本人はそれを本当に思想化したか、日本文明の問題として考えてきたか?あるいは、日本人の文化の問題として捉えてきたかというと、私はそうではないのではないかと考えています。
***広島と長崎の課題を日本人が経験した20世紀最大の出来事として把えなおすならば、そのとき初めて日本人は、この世紀末から次の世紀に橋渡しすべき思想を、あるいは文明をかちとりうるのではないでしょうか。
***われわれは、ゆがんだ貧しい近代をつくってしまった。そして大きい戦争を惹き起こして、悲惨な経験をした。その頂点に広島と長崎があります。そのことをわれわれは、自分たちの文化の問題として、文明の問題としてあらためて徹底的に考えるべきではないか?それが私たちにとって、ついに世界言語を構想することにもつながる仕方で世界の文学に参加するための出発点ともなるのではないか?
***広島、長崎のあの大きな犠牲は、償わなければならないと思います。償うのは私たちです。また、広島、長崎にいたった、そしてそれ以後も決して完全に治っているとはいえない国家の疾患から、私たちは恢復しなければならない。
ノーベル賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」
(1994年12月7日『あいまいな日本の私』(岩波新書、1995年)所収)
***日本と日本人は、ほぼ50年前の敗戦を機に***大きい悲惨と苦しみのなかから再出発しました。新生に向かう日本人をささえていたのは、民主主義と不戦の誓いであって、それが新しい日本人の根本のモラルでありました。しかもそのモラルを内包する個人と社会は、イノセントな、無傷のものではなく、アジアへの侵略者としての経験にしみをつけられていたのでした。また広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、放射能障害を背負う生存者と二世たちが--それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいますが--、われわれのモラルを問いかけているのでもありました。
「『ヒロシマの心』と想像力」(『核と人間2』(岩波書店、1999年)所収)
***核兵器に対する日本人の国民感情という政府の声明の常套句も、広島、長崎から発せられる実際には内容のぎっしりつまった「ヒロシマの心」という言葉も、ともに、海外では本気で受けとられなくなっている現状がある、とあえて私はいいたいと思います。
***被爆者たちの反核の感情に、すくなくともいまナショナルなものは大きくない、と私はこれまで幾らかなりとその傍に立って運動に参加したり、観察したりしてきた者としていうことができます。被爆者はあきらかに被害者ですが、そして被爆直後反核の運動の開始、そしてある時期まで、深い被害者意識があったことは当然だと思いますが、しだいにそれを克服して、その核兵器の投下をもたらすものとなった--だからといって、それが必然的に核兵器を広島に、またとくに長崎にまで投下させるものだった、とはいえませんが--太平洋戦争、それに先だつ日中戦争での、加害者としての日本人という意識を、被爆者援護法の運動は実際に取り込んできました。また植民地化された朝鮮半島の人々への加害者意識を、具体的に生活感覚のなかに生かしもしました。私は戦後の日本人の思想史において、広島、長崎の被爆者たちの、援護法に焦点をおいた、そしてさらに今日まで続く核廃絶の運動のなかでの、その経験の普遍化の道程は特別な重みを持つものだと考えています。

 

 

 

 

平和と学問を守る大学人の会

平和と学問を守る大学人の会
会の結成
1953(昭和28)年2月21日,広島県内の大学に教職を持つ有志約50人は,平和と学問を守る大学人の会(略称・大学人会)を結成した。結成の背景について同会会報創刊号(1953年6月1日)は次のように述べている。
昨年の破防法問題の時には,広島の大学人は結局これを見送ったのであったが,見送りながらも刻々民主々義の基盤が侵蝕され,平和が危機に曝されて行く事実を見逃すことはでぎなかったのである。さらに昨年末から本年にかけて問題となった科学技術庁案は,侵略の魔手が直接研究の現場にまで迫ってきていることを気づかせたのである。そして,このことはかって支那事変から太平洋戦争の時代にかけて,軍事科学の偏重のために人文・社会の研究は勿論,自然科学といえども,基礎的研究は経済的に圧迫されて事実上閉塞し,さらに軍国主義思想が学問の自由を破壊したという,まだ去って間もない過去の苦しい経験を,まざまざと思い起させたのである。この反省が,今度こそはわれわれ自身の手によって学問の自由を確保し,平和を擁護しなければならないという自覚を促し,その自覚がわれわれを,今,ここに結集させているのである。春秋の筆法を以てすれば,破防法に始まる悪法が--さらに遡ってサンフランシスコ条約以来の反平和的情勢が,われわれ広島の大学人会を結成させたものである。
大学人会の目的は,「平和を擁護し良心と学問自由を守ること」(規約第2条)とし,事業として,1.共同研究会の開催,2.公開講演会・公開討論会・座談会等の開催,3.本会と目的を同じくする諸団体との連絡提携などが定められた(規約第3条)。発足以後,3月末には会員数は90入に達し,5月末現在では100人を超した。
大学人会の発足当初の活動は,地味なものであったが,この会は,のちの広島の社会運動,とりわけ原水爆禁止運動・安保闘争の中で重要な役割を果すこととなる。
大学人の会の研究活動
平和と学問を守る大学人の会は,同会研究論集として『原爆と広島』(1954年12月10日),『広島の農村』(1955年7月20日)を発行し,高い評価を受けていたが,これらは同会の共同研究の成果というよりも,個人的労作を編集したものであった。1956(昭和31)年には会の共同研究を推進することを決め,石井金一郎を中心に検討がなされた。その結果,次のような計画がまとめられ,6月12日の常任委員会で承認された。
1.広島の平和運動の過去と現状及び将来の展望(世話役=今中次麿・石井)-運動実践家を囲んで運動の実態を聞く会と,研究参加会員によるその運動の評価の研究会とを交互にもって,研究をすすめる。平和運動としては原水爆禁止運動・平和憲法擁護運動・平和文学の運動等々を含めた広い運動を対象とする。
2.原子力問題(伊藤満・庄野博允)=肩のこらない軽い気持で参加できる研究会にする。原子力をめぐる各方両の問題を一つづつとりあげて懇談を行うことから出発する。自然科学部門の人と社会科学部門の人との共同研究の場にしたい。
3.日本における学問の自由=欧州の学問の自由の歴史・日本の学問の自由の歴史・大学自治の問題,現在われわれが直面している問題等々を問題としたい。
(「広島大学人会会報」NO.16)
このほか,平和文学(または国民文学)の問題を取りあげることも検討されたが,結局見送ることになった。
平和運動の研究班は,8月17日に大原亨(広島県労議長)・松江澄(平和擁護委)・棗田金治(広大自治会)から労組・学生団体の平和運動について,同月20日に円辺耕一郎・藤居平一(広島県原水協)・山口勇子(広島子供を守る会)・松江澄から原水爆禁止運動について,また,23日には米田栄作・望月久・島陽二(詩人)・佐々木豊・志木寥波(歌人)・小林健三・土谷厳郎(平和問題談話会)・桑原英昭(人類愛善会)・河本一郎(FOR友和会)・金井利博(中国新聞社記者)から宗教・文化関係の話を聞く会を開いた。この3回の懇談会の記録は,同年12月に石井金一郎により『広島の平和運動(平和運動研究班(中間報告)」としてまとめられた。同書は,「広島の平和運動研究資料一」と銘打たれていたが,1957(昭和32)年中に「同二」として『原爆被害者の歩み』(庄野博允執筆)が、また「同三」として『原爆被害者救援の動き』(佐久間澄執筆)がそれぞれ発行された。
なお,原子力の班は,討議の資料として原子力に関する自然科学・社会科学各方面にわたる国内文献目録の作成と原子力問題についての歴史年表の作成を計画,前者については,1957(昭和32)年3月に「原子力問題研究資料1原子力関係文献目録』(佐久間澄編)として発行している。

年表:原爆展

 

 

1948~50年)、1951年、 1952年、 1953年、 1954年、 1955年、 1956年、
1958~64年)、 1967年、 1968年、 1969年、 1970年、
1971年、 1972年、 1973年、 1974年、 1975年、
1976年、 1977年、 1978年、 1979年、 1980年、
1981年、 1982年、 1983年、 1984年、 1985年、
1986年、 1987年、 1988年、 1989年、 1990年、
1991年、 1992年、 1993年、 1994年、 1995年
1996年、 1997年、 1998年、 1999年

 

世界のヒバクシャ(概要)

世界のヒバクシャ

 

国・地域 アメリカ、 イギリス、 旧ソ連、 フランス、 中国、 インド、 パキスタン、  日本

世界の被曝地域一覧

マスコミ マスコミのキャンペーン
被害者組織 全米原爆復員兵協会(1979年8月)、 全米放射線被害者協会(1984年10月12日)

原水爆禁止世界大会の参加者に見る世界の ヒバクシャ団体

救援・連帯 市民団体による調査・救援活動
世界大会へ参加した海外のヒバクシャ、 ミクロネシア・マーシャル諸島の米核実験被曝者の参加状況
世界のヒバクシャの連帯
調査・研究 放射線影響研究所、広島大学、長崎大学、原爆後障害研究会
国際協力 笹川財団放射線被曝者医療国際協力推進協議会 、長崎・ヒバクシャ医療国際協力会
文献 世界のヒバクシャ全般
地図 世界の被曝地域、
年表 1969~76年、1977~79年、1980~82年、1983~85年、1986~87年、1988年、1989年、1990年、1991年、1992年、1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998

 

原爆後障害研究会で取り上げられた海外のヒバクシャ

原爆後障害研究会で取り上げられた海外のヒバクシャ

報告者 タイトル
64 6 熊取敏之 ロンゲラップ島被曝住民の調査報告(特別報告)
78 19 石田定ほか 韓国在住被爆者の健康状況(第1報)-韓国被爆者検診報告
鄭基璋ほか 韓国陜川郡における被爆者の実態(基礎的調査の報告)
79 20 石田定ほか 韓国在住被爆者の健康状況(第2報)-陜川郡在住被爆者の急性障害
80 21 石田定ほか 韓国在住被爆者の健康状況(第3報)-陜川郡在住被爆者の疾病傾向
82 23 伊藤千賀子ほか 在米被爆者の実態
84 25 伊藤千賀子ほか 在米被爆者の実態(第2報)-第4回在米被爆者検診成績
86 27 鎌田定夫 在韓被爆者の現状と渡日治療問題
87 28 蔵本淳 チェルノブイリ原発事故における医療の実態
89 30 蔵本淳 チェルノブイリ原発事故における医療の実態(第2報)-骨髄移植の適応と再評価
91 32 佐々木英夫ほか IAEA国際チェルノブイリ計画検診報告
パネルディスカッション:放射線被曝者医療の国際協力
平田克己 放射線被曝者医療の国際協力:広島県医師会の立場から
迎英明 過去の経験をふまえての被曝者への海外協力の問題点
石野誠 放射線被曝者医療の国際協力:長崎における国際協力
蔵本淳 放射線被曝者医療の国際協力:チェルノブイリの場合(医療サイドから)
河合護郎 医療推進事業への願いと提言
矢野周作 放射線被曝者医療の国際協力:行政としての立場から
本間泉 放射線被曝と国際協力
寺崎昌幸ほか 腫瘍登録による国際協力-長崎市医師会腫瘍統計・組織登録
93 34 竹岡清二ほか ヒューマンカウンターによるチェルノブイリ周辺地域から来日した子供の137Cs体内放射能測定
難波裕幸ほか チェルノブイリ周辺地域住民の尿中ヨード測定
武市宣雄ほか チェルノブイリ原発事故と小児甲状腺癌-広島の原爆被爆者例と比べて
武市宣雄ほか 広島の胎内原爆被爆者にみられた甲状腺癌の経験、チェルノブイリ原発事故の胎内被爆症例も含めて
佐藤幸男ほか WHOのInternational Program on the Health Effects of the Chernobyl Accident (IPHECA) のプロジェクト “Brain Damage in Utero” 紹介
94 35 久住静代ほか チェルノブイリ原発事故による広域放射能被曝の心理的影響(国際シンポジウム報告)
島崎達也ほか チェルノブイリ原発周辺住民の内部被曝線量の測定
伊東正博ほか チェルノブイリ原発周辺地域における小児甲状腺疾患の形態学的検討
瀬山敏雄ほか チェルノブイリ事故汚染地域における小児甲状腺癌の遺伝子変化
高木昌彦 セミパラチンスク医科大学における第1回国際会議(環境・放射線・健康)の報告
95 36 Raphail Rozensonほか セミパラチンスク住民における電離放射線被曝の発癌におよぼす影響
伊東正博ほか チェルノブイリ周辺地域における小児甲状腺疾患の組織学的検討
武市宣雄ほか セミパラチンスク核実験と甲状腺癌、1994年の調査結果
芹沢潔人ほか チェルノブイリ原発事故後の周辺地区における小児甲状腺疾患と137Cs体内被曝線量
高木静子ほか HIBAKUSHAの医療と福祉
96 37 伊東正博ほか 穿刺吸引細胞診からみたチェルノブイリ原発周辺地域での小児甲状腺疾患の特徴
芹沢潔人ほか 小児甲状腺癌:チェルノブイリ原発周辺地区と本邦症例との比較
97 38 藤田委由ほか National Death Index (NDI) による在米被爆者の追跡調査
伊藤千賀子ほか 在米被爆者検診内容に関する検討-原死因・死亡時年齢の分析
芹沢潔人ほか チェルノブイリ周辺地区における小児甲状腺疾患:スクリーニング5年間のまとめ

 

原子爆弾後障害研究会(第1回)

原子爆弾後障害研究会(第1回)
1959年6月13日-14日 於広島市平和記念館
挨拶
広島市長 浜井 信三
主催者を代表致しまして一言御挨拶申上げます。
本日茲に広島県・市並に広島原爆障害対策協議会共催のもとに原子爆弾後障害研究会を開催致しましたところ,御多忙中にも拘らず厚生省尾村局長,塩田先生をはじめ医学界の各先生方並に来賓各位多数の御臨席を頂きましたことは誠に感謝に堪えないところでございます。一昨年四月,原爆医療法制定以来多数の被害者の方々が健康診断及び治療等の恩典に浴し,原爆障害の将来に明かるい見透しを持つことが出来るようになりましたことは誠に喜びに堪えないところでございますが,被爆後十年を経ました今日尚原爆後障害に悩んで居る人々が多いのでありまして,原爆の惨禍は今尚存して居るのでございまして,現在原爆障害対策に就きまして二つの問題があると考えるのでございます。その一つは原爆障害者の生活援護の問題でありましてその点につきましては今後皆様方の御理解と御援助によりまして何とか解決の道を見出すべく努力を続けて参りたいと存じます。今一つの問題は原爆障害についての医療的研究と治療の問題でございます。その意味に於きまして被爆者は勿論,行政の衝に当ります県・市といたしましても本研究会に期待するところ極めて大であると思うのでございます。幸い,関 係者の皆様方の絶大な御支援と御協力とによりまして,本日此の研究会を開催する運びに到りましたことは誠に喜びにたえません。私達関係者は此の研究会が今後の原爆障害者の医療に新生面を拓き,今尚この障害に悩んで居る人々に明かるい希望を与えるきっかかけとなりますように念願致してやみません。最後に,本研究会開催に当りまして厚生省をはじめ各方面から寄せられました特別の御好意に対して厚く感謝致しますと共に今後一層の御指導,御鞭撻を腸りますよう重ねてお願い致しまして御挨拶と致します。
挨拶
厚生省公衆衛生局長 尾村 偉久
本日は県・市・原対協三者の主催で我々厚生省はじめ長崎関係等後援申上げまして,本研究会が会の大きさこそささやかでございますが,非常に斯界でも質的に貴重な意義のある研究会が本日発足致しまして非常におめでたいことでございます。心より主催者に対しまして敬意を表する次第でございます。14年前に多数の原爆による死没の犠牲者を出し,更に二十数万,約三十万に及ぶ負傷原爆被爆者の生存者が居られるわけで,その蔭には10年以上,公の点では国の政策に於ても必ずしもうまく行っておらず,地元のそれぞれの団体の御協力によりまして細々とこれらの救済が続けられておったのでございます。非常な熱誠ある御努力によりまして,32年から原爆医療法が施行されまして,国費を以ての或る程度の医療の道が開かれて更に原爆医療に対する審議会が設けられまして,斯界の権威者を網羅してこの医療を全うするための御協議や審議が続けられて軌道にのせるべく進んでいるのでありますが,しかし何といたしましても之等の被爆生存者の方々に対する国なり国民の願いは最もよい,適切な治療を速かに施して早くなおして頂き,立派な一般の社会人として100%の生活を続けて頂き たいというところにあるのであります。ただ何といたしましてもこの病気が或はこの負傷が世界でも初めてのことでございまして,それ以前にすでに我が国はもとより世界各国で確立された治療法なり医学的のまとまった意見というものが必しもなかった。むしろ過去十四年間にそれぞれ地元の関係の方々或いは市全体のこれに関係をもたれた方々が経験によりましてつみ重ねられて来られたことが現在においてもそれが一つの治療に対する最も高ろ意見であろうと,かように思われるのであります。むしろまだ治っておらない,これらの多数の被爆者の方々の適切な医療をやるには過去の個々に積まれた意見をこのさいにお互に示し合ってその綜合の中からまた新たな点をみいだす。或いは今後もお互いに研究しながら生じて行く方向につきまして相互に認識し合って速かな進歩を来すということはこれからは国内の被爆者にとって一番必要なことであると同時に,これが将来の原子力の平和利用に基きましての色んな障害が予想されるのでありますが,それらに対しましてもこのような会に於けるまとまった意見というものは斯界にも非常に貢献することは疑いないと信ずるわけであります。さような意味で, お集まりの方々は恐らく2~300人の関係の学者の方々であろうと思うのでありますが,此の学会の結果如何によっては学会それ自身を権威し,或いは協議会というようなところが,大いにお世話をされてそれぞれの学者の発表を充分うまく利用されて非常な力をいたされておる。さらにもう一つは一番被害をうけられた市の土地,地元のしかも爆心地に近い地でこの研究会が行われるということは恐らくやはりこの会場の下でも相当の犠牲者の方々がここで死なれておられる。かようなことも非常な特徴でございまして,更に全国にわたりまして家族を含めて数十万以上の直接のこの治療がどうなるかということについて関心をもたれている方々が,この二日間の小さい乍らも学会を非常に注目しておられる,とこう信ずるのであります。これは従来の一般の学会とは非常な性質も違い,その大きさは小さくとも質的に非常な重要性をもち又,今後もますます発展すべき含みをもっている学会であろうしさような意味で本日,スムースに発会出来ましたことを大いにお祝い申上げると同時に我々と致しましても国が今後原爆被災者に対する医療行政をやるのに,この発会の成果は直ちに,利用出来,利用という と具合が悪いですが,反映して適切な行政に裏付をするということがあとに続いているのであります。さような意味でも厚生省といたしましても,大いにこれは関心をもつと同時に御協力申上げなければいかんわけであります。さような意味でお祝いを申上げると同時にみなさま方の熱心なノーリツ的な御検討を心からお願い致します。よい成果を被害者のためにお出し下さるようにお願い致しましてお祝いの言葉と致します。
挨拶
原爆後障害研究会名誉会長 塩田 広重
(略)
祝辞
広島医学会々頭 田坂 三友
(略)
経過報告
準備委員会副委員長・原対協副会長 松坂 義正
ここに本日及ぴ明日にわたり、原子爆弾後障害研究会の開催に至りました経過の概要を御報告申上げます。
御承知の如く,我が広島市におきましては,昭和28年1月県・市当局,医科大学,在広官公立病院,県・市医師会,及び本市各層有識者によって,広島原爆障害対策協議会を設立し,爾来原爆症に関する治療研究,及び障害者に対する治療の国費支弁獲得に努力致して参りました。ついで原爆症研究に対する公的の会日,昭和28年11月,国立予防衛生研究所に原爆症調査研究協議会を,広島・長崎に於ける関係者及び中央の諸家により構成設置され,29年5月,第五福龍丸ビキニ問題発生により同年10月,前の協議会を発展的に解消されて厚生省に原爆被害対策調査研究連絡協議会の第5部会として,広島・長崎部会となり,其の間数回現地でシンポジウム又は学術報告などを開催され,昨年広島県医師会特別委員会に於てもシンポジウムを開催いたされていたのであります。
一方被爆地としての県・市当局,原対協は,障害者医療費等の国費支弁につきしばしば政府や国会に陳情しておりましたところ,政府は昭和32年3月原爆医療法として国会に提案し,その可決により同年4月より被爆者の健康管理及び治療は,国の施策により行なわれることに相なり,爾来医療法の施行2年余に及びましたが障害者がその恩恵に浴するところ少なしとしないのであります。
他面,被爆者の健康管理の向上,治療法の究明j,援護などの諸問題,等々の研究は一日も怠り得ざる重要なる基礎であり,これらについて諸家の研究にまつ所尠からずと信ずるものがあります。被爆地広島・長崎においてもその研究の学会を開催して解明に努力してはおりましたが,かつて原爆医療法を推進して頂いた参議院議員在任中山下義信氏が、厚生省当局に対しこの研究治療等は学会のゆるがせにすぺからざる事を以てその開催の緊要なることを強く献言いたされ,厚生省当局に於かれても,かねての宿願でもあったので,原爆医療審議会に其の議を諮問し,その賛同を得られ,且つ諸般の協力を約束されよって広島県・市に其の開催を要望されたのであります。
茲に県・市は多額の予算を計上し原対協と共に本会開催の運びとなり地元に於ては本年3月関係者が一丸となり準備委員会を組織して諸般の用意をいたし,本日より開催することと相成った次第であります。
本会開催にあたりまして諸先生方が遠路のところ多数御参加,御講演いただくことは準備委員会として光栄とするところであります。以上,概要を御報告申上げます。
尚準備委員会に於きましては,本研究会の会長を,広島大学医学部長渡辺漸教授をお願いしているところであります。皆様の拍手を以て御賛成を願います。
更に今回の研究会に厚生省原爆医療審議会々長塩田先生を名誉会長に御堆載致したいと存じます。満場の拍手を以て御賛成を願います。
挨拶
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
本研究会の開会に当りまして一言御あいさつ申上げたいと思います。こういうふうな原爆の被爆による障害についての研究会は従来も開会されたことがないわけではございません,例えば日本血液学会或いは広島医学会などにおいてそれぞれ相当の時間をさいてこのことを論じたことはございますけれども,二日間にわたってそのことのみに専心して研究のデータを発表する,そして永くつづけて原爆被爆者の福祉に貢献しよう,というようなことはなかったのであります。その意味において唯原爆に起因するところの障害者そういうことの医学的の調査研究,それだけを目的とする学会としての意義は非常に深いのであります。大体原爆の投下にみられる医学的の調査研究のデータを発表致しまして,且、それについて,討議を交わして被爆者の福祉によき貢献をなすということが,この研究会の目的であることは申すまでもございません。しかしながら私は医療を必要とするという程度に至るまでにはっきりと臨床的の症候をそなえてきた,そういう医学的の障害或いは医学的の障害を蒙った人,それのみが我々の調査研究の対象ではないことを特に強調いたしたいのであります。即ち,被爆者の病理のみ ならず,その健康管理についても我々は重要に努力しなければならないのでございます。かくして被爆者の健康管理は完全に行われるのでございまして,被爆者の健康の擁護ということが最も大切な命題であって,ひいてはこのことが後障害の発現の防止にも寄与するものと信じております。被爆者にすでに発現している後障害の治療をすることが大体,医療法制定の主旨でございますが,単に治療のみでなく健康の保持乃至は発病の阻止という点までずっと一貫した措置がとられなければならないのでございまして,こういうような,はなればなれにその措置がとられるということでは,不充分でございます。従ってそのためには原爆被爆者に見られるいかなる自覚的障害も,又生理的にさえみえるその因習に対する反応の態度も一々刻明に記載され、且つ提示される必要があるのでございます。今日我々の知識では原爆被爆者にみられる障害のあるものを,被爆と関連のないもの或いは少ないものとして見逃しておるかも知れませんが,我々はこうしたことをはっきり記憶しておく必要があると思います。そしてその集積されたものの解析と総合によってはじめてかかる障害が如何なる理由で原爆の放射能との 因果関係があるかをはっきりと認識して行けるのであります。どうかここにお集まりの皆様方も,そうした態度でこの問題にとりくんでいただき,原爆被爆者の健康が之以上に障害されないように適切な対策が樹立されることを望んでやみません。そして本研究会が被爆者自身の幸福のために医学的に役立つことを第一に且最も重要な目標としてテーマを掲げられんことを切に望むものであります。終りに遠路はるばるおいで下さいました講師の方々,多忙な時間を割いて参加下さいました参会者の各位に,厚く御礼を申上げ本研究会の今日の成立までに尽力された方,準備委員の方々に深い敬意を表する次第でございます。プログラムの時間が非常にぎっしりつまっておりますので,どうか講演なさる方々だけでなく,更に御参加の方々も御意見をお聞かせねがうことも非常に重要な問題でございますので,そういう討論の時間を犯さないように尊重してやって下さるように演者の方々にも御願い致すとともに,皆様方の隔意ない御討議,御意見をおきかせ下さるようお願いする次第でございます。
閉会の辞
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
一言閉会に当って御あいさつ申上げたいと思います。只今,主催者である県知事或いは広島市長も居られませんので,私から代りまして御あいさつ申上げたいと存じます。昨日及び本日の二日間に皆様方に色々と御話をねがいましたが,此の学会の成果と致しましては,やはりこの二日間に皆様方が原爆の後遺障害というものの全ぼうを略把握された,そういうことが最も有益なる収穫であったのではないかと考えます。但し只今も或いは二日間のその間にも皆様方,色々と御話しになったのでありますが,原爆被爆者においては,やはり,一見何でもないようにみえておっても,その予備力というものは非常に低下しておるのでその取扱いには慎重な注意を要するということが,最も大切なことでありまして,殊に今日治療の方面に於きましても,ここにシンポジウムに参加された方々が,ていねいに色々な治療法についてお示しになりましたけれども私はこういう治療法の施行に当っては,やはり薄氷をふむ思いでやって頂きたいということを痛感するものでございます。あまり治療にねっしんの余りに,そういう治療法を乱用されるということは被爆者にとってはむしろ有害でこそあれ決して益のないこ とでありまして,どうかそういう治療に当っては,いやが上にも慎重になすって頂きたいということを私も臨床医家ではございませんけれども特に,ここに御参集の指定医の皆々様,並びに他の方々におねがい致しておく次第でございます。この会は非常に予期以上の成果を挙げ得ましたが,これはわざわざ遠路参加して頂きました講師の方々,又昨日今日に此の会に参加するためにおいで頂きました,一般の参加者の方々の御協力によるもので,深く感謝する次第でございます。こういう成果はやはりこのままにしておいてはいけないので,これを記録に致しまして,出来るだけ早い機会に皆様のお手元に届くように,又,必要に応じましてはそういうものを実費頒布か何かの形式で頒布いたしまして,少なくとも今日いらっしゃる方々の御目にとまるように,又利用出来るような形にいたしたい所存でございます。それから,この学会は,やはり中々そういうデータが集まるのが難しいとは申しますものの,やはりたえず我々勉強して行かなければならないのでございまして,ひきつづき来年も,こういう研究会を催したいのでございますが,それは御迷惑でございましょうけども広島と肩を並ベ,或いはうれ いを共にしているところの長崎において開催していただくように我々はおねがい致したく存ずる次第でございまして,又ほかの方々の御意見でも,そうしたらいいだろう,ということでございますし,長崎の方々には,これには多分の負担を感じられるかしれませんけれども,どうかそういう負担を原爆被爆者に免じてお担い下さいますよう,重ねて私から御願い申上げる次第でございます。これを以て閉会の御あいさつとさせて頂きます。

原子爆弾後障害研究会一覧

原子爆弾後障害研究会一覧

 

第回 年月日 開催場所 備考
1959.06.13-14 広島市平和記念館 挨拶・経過報告など
1960.11.19-20 長崎大学医学部
1961.11.22-23 広島市平和記念館
1962.11.08 長崎大学医学部
1963.11.10 広島市平和記念館
1964.11.08 長崎大学医学部
1965.10.16-17 広島市見真講堂
1967.11.12 長崎大学医学部
1968.10.13 広島原爆被爆者福祉センター
10 1969.06.28 長崎県医師会館
11 1970.06.07 広島県医師会館
12 1971.06.13 広島医師会館
13 1972.06.04 長崎市医師会館
14 1973.06.03 広島医師会館
15 1974.06.02 長崎大学医学部
16 1975.06.08 広島医師会館
17 1976.06.06 長崎市医師会館
18 1977.06.12 広島医師会館
19 1978.06.04 長崎市医師会館
20 1979.06.10 広島医師会館
21 1980.06.01 長崎市医師会館
22 1981.05.31 広島医師会館
23 1982.06.06 長崎市医師会館
24 1983.06.05 広島医師会館
25 1984.06.03 長崎市医師会館
26 1985.06.02 広島医師会館
27 1986.06.08 長崎市医師会館
28 1987.06.07 広島医師会館
29 1988.06.12 長崎市医師会館
30 1989.06.04 広島医師会館
31 1990.06.03 長崎市医師会館 宇吹報告
32 1991.06.02 広島市総合健康センター 宇吹報告
33 1992.06.07 長崎市医師会館
34 1993.06.06 広島国際会議場 宇吹報告
35 1994.06.05 長崎市医師会館
36 1995.05.28 広島国際会議場
37 1996.06.02 長崎県医師会館 パネル討論
38 1997.06.01 広島国際会議場 橋爪報告
39 1998.06.07 長崎原爆資料館

出典:広島原爆障害対策協議会『原子爆弾後障害研究会講演集総索引(1959年~1998年)-第40回原子爆弾後障害研究会記念』

原爆被害の調査研究

 

団体 テーマ・報告書など 備考
日本教育学会 「平和の呼びかけ」 1951年5月
長田新 「平和のための教育」研究 1951年4月-『原爆の子』
京都大学同学会 「わだつみの声にこたえる全学文化祭」 1951年5月、「原爆展」と「原爆に関する講演会」
国際医師会議日本準備会 「原子爆弾症に関する日本医師有志の見解」 1951年9月15日、結成。1952年9月にイタリアで開催予定の会議は中止。53年5月にオーストリア・ ウィーンで開催。
日本心理学会 1952年4月3日、第14回大会に際し、
アメリカの心理学者に送る
「平和のアピール」への署名を大会参加者にもとめる。
1952年、「広島原爆被爆影響調査に協力することとなり古賀、戸川、宮城各理事が交渉に あたることになった」(日本心理学会編『日本心理学会50年史(第2部)』(金子書房、1987)
平和と学問を守る大学人の会 研究論集『原爆と広島』(1954年12月刊) (1953年2月21日発足)久保良敏・中野清一・森滝市郎・大原三八雄
世界平和集会広島世話人会 『8時15分-原爆広島10年の記録』(1955年1月) (1954年10月6日発足)
原水爆禁止世界大会広島準備会 『原爆被害資料』その1-3 (1955年8月)
広島県地域婦人団体連絡協議会 『原爆被害者実態調査結果表』 (1955年8月)
原水爆禁止広島協議会 『原爆被害者実態調査報告』 (1956年8月)
原水爆禁止広島協議会 『原爆被害者実態調査報告Ⅱ』 (1957年?)
日本原水爆被害者団体協議会 『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』 (1959年8月)
日本原水協専門委員会 『原水爆被害白書-隠された真実』 (日本評論新社、1961年7月)
東京都・多摩被爆者団体連絡協会 1960年調査
平和のための心理学者懇談会 『平和心理学のいぶき』
(京都・法政出版、1990)

原水爆白書作成運動

 

1964.10.03 談和会、原爆被災白書作成のアピールをまとめる。
1974.04 広島大学原医研に原爆被災学術資料センター設置。

 

平和教育・平和研究・被爆体験継承運動

 

年月日 動向
67.夏 – 広島女学院大学「講座:8・6の意味するもの」
*小黒薫編『ヒロシマの意味』(日本評論社、1973年)
67.10 広島平和文化センター、設置。
68.02 原爆被災資料広島研究会、発足。
68. 原爆文献を読む会(東京、長岡弘芳)。
68.? 長崎の証言の会、発足。
72.06 広島平和教育研究所、設立。
73.09 日本平和学会、設立。
75.02.10-04.14 原爆体験を伝える会「連続・核セミナー」
*原爆体験を伝える会編『原爆から原発まで(上)・(下)』(アグネ、1975)
75.11.08 医療ソーシャルワーカー「交流会」(広島)
広島原爆被害者問題ケースワーカー懇談会、発足。(その後、広島原爆被害者問題研究会)。
77.07-08. NGO「被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポジウム」
一般調査を実施した県=41都道府県
第1次集計を行った県=35都道府県(1977年7月15日現在)、7741人。
81.06.13 原爆被害者相談員の会、発足。
81.11.26-11.28 日本学術会議ほか「シンポジウム:核戦争の危機と人類の生存」
83.02 長崎平和推進協会設置
83.06.17-10. ほるぷ出版「『日本の原爆文学』刊行記念連続講演会」
83.10.22- 長崎「原爆問題」研究普及協議会「原爆問題シンポジウム」
90.04.07- 日本被団協「被爆者問題研究会」
原爆被害報告書-広島の大学関係者を中心にまとめられたもの-

 

発行
年月日
調査組織 テーマ・報告書など
1954.12 平和と学問を守る大学人の会 研究論集『原爆と広島』
1955.01 世界平和集会広島世話人会 『8時15分-原爆広島10年の記録』(1955年1月)
0956.08 原水爆禁止広島協議会 『原爆被害者実態調査報告』
1957. 原水爆禁止広島協議会 『原爆被害者実態調査報告Ⅱ』
1959.08.06 日本原水爆被害者団体協議会 『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』
1961.07.31 日本原水協専門委員会 『原水爆被害白書-隠された真実』(日本評論新社)

 

原爆被害の調査研究(広島大学を除く大学関係)
研究者 所属 テーマ 調査年月日 調査対象など
川合隆男・米山桂三・原田勝弘 慶応大学 被爆地広島にみる社会変動 1964年-
隅谷三喜男 東京大学 厚生省原子爆弾被爆者実態調査・事例調査 1965年
中鉢正美 慶応大学 厚生省原子爆弾被爆者実態調査・事例調査 1965年
石田忠 一橋大学 厚生省原子爆弾被爆者実態調査・事例調査 1965年
石田忠・浜谷正晴・栗原淑江 一橋大学 被爆者の生活史調査 1967年- 長崎被爆者
青木秀男・牛草英晴・深沢建次・江嶋修作・春日耕夫 広島修道大学 広島市における「被爆体験」の社会統合機能をめぐる一研究 1976年
大阪都市圏における被爆者の意識と行動 1977年

広島原爆戦災誌(全5巻)

広島市(編・刊)
1971年8月6日~12月8日

 

書名コード 書名
71080601 第1巻-第1編 総説
71090601 第2巻-第2編 各説・第1章広島市内各地区の被爆状況
71100601 第3巻-第2編 各説・第2章広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況
71110601 第4巻-第2編 各説
第3章広島市内各学校の被爆状況、
第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況、
第5章関連市町村の状況.
71120801 第5巻-資料編

 

1- 第1編 総説
1-0 序章 広島市の概要
1-1-1 第一章 第二次世界大戦下の広島市
1-1-2- 第二章 原子爆弾の惨禍
1-1-2-1 第一節 投下・炸裂
1-1-2-2 第二節 威力と障害
1-1-2-3 第三節 人的・物的被害
1-1-3- 第三章 救護活動
1-1-3-1 第一節 救護状況概要
1-1-3-2 第二節 広島陸軍船舶部隊の活動
1-1-3-2-1 第一項 陸軍船舶司令部隷下の諸部隊
1-1-3-2-2 第二項 陸軍船舶司令部
1-1-3-2-3 第三項 陸軍船舶練習部
1-1-3-2-3-1 1.陸軍船舶練習部本部、
1-1-3-2-3-2 2.陸軍船舶練習部第十教育隊
1-1-3-2-4 第四項 教育船舶兵団司令部
1-1-3-2-5 第五項 陸軍船舶砲兵団司令部
1-1-3-2-5-1 1.陸軍船舶砲兵団衛生教育隊、
1-1-3-2-5-2 2.陸軍船舶砲兵団第一聯隊第一中隊
1-1-3-2-6 第六項 暁第一六○九部隊芙蓉隊明石隊
1-1-3-3 第三節 陸軍軍需輸送統制部の活動
1-1-3-4 第四節 呉海軍鎮守府の活動
1-1-3-4-1 第一項 呉海軍鎮守府
1-1-3-4-2 第二項 賀茂海軍衛生学校
1-1-3-5 第五節 広島陸軍病院の活動
1-1-3-5-1 第一項 陸軍病院の概要
1-1-3-5-2 第二項 広島第一陸軍病院
1-1-3-5-3 第三項 広島第二陸軍病院
1-1-3-5-4 第四項 大野陸軍病院
1-1-3-6 第六節 歩兵第三二一聯隊の活動
1-1-3-7 第七節 市内各病院の活動
1-1-3-7-1 第一項 広島赤十字病院
1-1-3-7-2 第二項 広島逓信病院
1-1-3-7-3 第三項 三菱重工業株式会社構内病院・構内診療所
1-1-3-7-4 第四項 広島陸軍共済病院
1-1-3-7-5 第五項 県立広島病院
1-1-3-8 第八節 県下医療救護班の活動
1-1-3-9 第九節 県地方事務所職員・警察官・警防団の活動
1-1-3-10 第十節 県外その他からの救援
1-1-4 第四章 被爆直後の広島
1-1-4-1 第一節 焼野原の生活
1-1-4-2 第二節 復旧への努力
1-z 主要付図・一覧表
1-z-01 一、広島新開地干拓図
1-z-02 二、広島市大避難実施要領
1-z-03 三、広島市内陸軍諸部隊の概要
1-z-04-1 在広主要部隊配置図
1-z-04-2 広島市軍用通信網
1-z-04-3 在広部隊一覧表
1-z-04 四、残留放射能による障害調査概要
1-z-05 五、原子爆弾による人的被害数(推定)表
1-z-06 六、重要建物被災状況表
1-z-07 七、県内医療救護班応援状況表
1-z-08 八、県下警防団出動状況表
1-z-09 九、県外医療救護班応援状況表
1-z-10 一○、被爆後の人口復帰状況
1-z-11 一一、被爆後の建物復興状況
2- 第2編 各説
2-1- 第1章広島市内各地区の被爆状況
2-1-01 第一節 序説
2-1-02 第二節 国泰寺地区
2-1-03 第三節 中島地区
2-1-04 第四節 本川地区
2-1-05 第五節 基町地区
2-1-06 第六節 白島・二葉の里地区
2-1-07 第七節 牛田地区
2-1-08 第八節 戸坂地区
2-1-09 第九節 幟町地区
2-1-10 第一〇節 荒神地区
2-1-11 第一一節 大洲地区
2-1-12 第一二節 尾長地区
2-1-13 第一三節 矢賀地区
2-1-14 第一四節 中山地区
2-1-15 第一五節 段原地区
2-1-16 第一六節 比治山地区
2-1-17 第一七節 皆実地区
2-1-18 第一八節 仁保地区
2-1-19 第一九節 大河地区
2-1-20 第二〇節 青崎地区
2-1-21 第二一節 宇品地区
2-1-22 第二二節 似島地区
2-1-23 第二三節 竹屋地区
2-1-24 第二四節 千田地区
2-1-25 第二五節 吉島地区
2-1-26 第二六節 神崎地区
2-1-27 第二七節 舟入地区
2-1-28 第二八節 江波地区
2-1-29 第二九節 広瀬地区
2-1-30 第三○節 天満・中広地区
2-1-31 第三一節 観音地区
2-1-32 第三二節 福島・南三篠地区
2-1-33 第三三節 三篠地区
2-1-34 第三四節 己斐地区
2-1-35 第三五節 草津・庚午地区
2-1-36 第三六節 古田地区
2-1-37 第三七節 井口地区
2-1-z 主要一覧表・記録
2-1-z-1 一、広島市内主要橋梁の被害状況表
2-1-z-2 二、広島市常会議員河口祉三メモ帖
2-1-z-3 三、元広県産業奨励館(原爆ドーム)の概要
2-1-z-4 四、広島市本川聯合町内会日誌
2-2 第2章広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況
2-2-1 第一節 序説
2-2-2 第二節 官公庁
2-2-2-1 第一項 中国地方総監府
2-2-2-2 第二項 広島県庁
2-2-2-3 第三項 広島県警察部
2-2-2-3- 広島県警察部(広島県防空本部)/東警察署・西警察署・宇品警察署・及び東・西両消防署
2-2-2-4 第四項 広島市役所
2-2-2-5 第五項 広島鉄道局
2-2-2-6 第六項 広島通信局関係各機関
2-2-2-7 第七項 広島管区気象台
2-2-2-8 第八項 広島地方専売局
2-2-2-9 第九項 広島財務局及び広島税務署
2-2-2-10 第一○項 広島控訴院
2-2-2-11 第一一項 広島控訴院検事局
2-2-2-12 第一二項 広島地方裁判所・広島区裁判所
2-2-2-13 第一三項 広島地方裁判所検事局及び広島区裁判所検事局
2-2-2-14 第一四項 広島刑務所
2-2-3 第三節 銀行・会社・その他団体
2-2-3- (銀行)
2-2-3-01 第一項 日本銀行広島支店
2-2-3-02 第二項 株式会社芸備銀行
2-2-3-03 第三項 株式会社 日本勧業銀行広島支店
2-2-3-04 第四項 株式会社日本貯蓄銀行広島支店
2-2-3-05 第五項 株式会社帝国銀行広島支店
2-2-3-06 第六項 株式会社安田銀行広島支店
2-2-3-07 第七項 株式会社三菱銀行広島支店
2-2-3-08 第八項 株式会社住友銀行広島支店
2-2-3-09 第九項 株式会社三和銀行広島支店
2-2-3- (会社・その他団体)
2-2-3-10 第一○項 広島中央放送局
2-2-3-11 第一一項 合名会社中国新聞社
2-2-3-12 第一二項 広島県食糧営団
2-2-3-13 第一三項 広島電鉄株式会社
2-2-3-14 第一四項 広島瓦斯株式会社
2-2-3-15 第一五項 中国配電株式会社
2-2-3-16 第一六項 株式会社福屋百貨店
2-2-3-17 第一七項 三菱重工業株式会社広島機械製作所及ぴ広島造船所 手記 (二重被爆の記録) ヒロシマ・ナガサキ 山口彊―死と灰の町―
2-2-3-18 第一八項 東洋工業株式会社
2-2-3-19 第一九項 株式会社日本製鋼所広島製作所
2-2-3-20 第二○項 中国塗料株式会社
2-2-3-21 第二一項 藤野綿業株式会社
2-2-3-22 第二二項 株式会社熊平製作所
2-d 主要一覧表・記録
2-d-1 一、広島市役所関係各施設被害状況表
2-d-2 二、八月六日の気象状況(広島地方気象台記録)
2-3 第3章広島市内各学校の被爆状況
2-3-1 第一節 序説
2-3-1-d-1 広島市学童疎開実施表
2-3-1-d-2 集団疎開児童の記―竹屋国民学校の場合
2-3-1-d-3 広島市内各学校の建物疎開作業出動状況
2-3-1-d-4 広島市内各学校被災状況表(動員学徒を含む)
2-3-2 第二節 各国民学校
2-3-2-1 第一項 広島市本川国民学校
2-3-2-2 第二項 同袋町国民学校
2-3-2-3 第三項 同幟町国民学校
2-3-2-4 第四項 同中島国民学校
2-3-2-5 第五項 同大手町国民学校
2-3-2-6 第六項 同広瀬国民学校
2-3-2-7 第七項 同神崎国民学校
2-3-2-8 第八項 同天満国民学校
2-3-2-9 第九項 同観音国民学校
2-3-2-10 第一○項 同竹屋国民学校
2-3-2-11 第一一項 同白島国民学校
2-3-2-12 第一二項 同千田国民学校
2-3-2-13 第一三項 同段原国民学校
2-3-2-14 第一四項 同三篠国民学校
2-3-2-15 第一五項 同舟入国民学校
2-3-2-16 第一六項 同皆実国民学校
2-3-2-17 第一七項 同荒神町国民学校
2-3-2-18 第一八項 同大芝国民学校
2-3-2-19 第一九項 同牛田国民学校
2-3-2-20 第二○項 同尾長国民学校
2-3-2-21 第二一項 同比治山国民学校
2-3-2-22 第二二項 同己斐国民学校
2-3-2-23 第二三項 同大河国民学校
2-3-2-24 第二四項 同矢賀国民学校
2-3-2-25 第二五項 同江波国民学校
2-3-2-26 第二六項 同宇品国民学校
2-3-2-27 第二七項 同古田国民学校
2-3-2-28 第二八項 同仁保国民学校
2-3-2-29 第二九項 同楠那国民学校
2-3-2-30 第三○項 同草津国民学校
2-3-2-31 第三一項同青崎国民学校
2-3-2-32 第三二項 同似島国民学校
2-3-2-33 第三三項 広島市立第一国民学校
2-3-2-34 第三四項 同第二国民学校
2-3-2-35 第三五項 同第三国民学校
2-3-2-36 第三六項 県立広島師範学校男子部附属国民学校
2-3-2-37 第三七項 広島陸軍偕行社附属済美国民学校
2-3-2-38 第三八項 光道国民学校(註・広島高等師範学校附属国民学校は、大学の項に併記する。)
2-3-3 第三節 各中等学校
2-3-3-01 第一項 広島県立広島第一中学校
2-3-3-02 第二項 同広島第二中学校
2-3-3-03 第三項 県立広島師範学校
2-3-3-04 第四項 広島県立広島工業学校
2-3-3-05 第五項 広島県立広島商業学校
2-3-3-06 第六項 広島県立広島第一高等女学校
2-3-3-07 第七項 広島県立広島第二高等女学校
2-3-3-08 第八項 広島県聾学校
2-3-3-09 第九項 広島県盲学校
2-3-3-10 第一○項 広島市立中学校
2-3-3-11 第一一項 広島市立第一工業学校
2-3-3-12 第一二項 広島市立第二工業学校
2-3-3-13 第一三項 広島市立造船工業学校
2-3-3-14 第一四項 広島市立第二商業学校
2-3-3-15 第一五項 広島市立第一高等女学校
2-3-3-16 第一六項 広島市立第二高等女学校
2-3-3-17 第一七項 修道中学校・修道第二中学校・修道学校
2-3-3-18 第一八項 山陽中学校・山陽商業学校・山陽工業学校・山陽中学校附設広島中学校
2-3-3-19 第一九項 崇徳中学校
2-3-3-20 第二○項 広陵中学校
2-3-3-21 第二一項 松本工業学校
2-3-3-22 第二二項 安田高等女学校
2-3-3-23 第三三項 進徳高等女学校
2-3-3-24 第二四項 広島女学院高等女学校
2-3-3-25 第二五項 比治山高等女学校
2-3-3-26 第二六項 広島女子商業学校
2-3-3-27 第二七項 安芸高等女学校
2-3-3-28 第二八項 西高等女学校
2-3-4 第四節 専門学校・高等学校・大学
2-3-4-1 第一項 広島女学院専門学校
2-3-4-2 第二項 広島女子専門学校
2-3-4-3 第三項 広島工業専門学校
2-3-4-4 第四項 広島医学専門学校
2-3-4-5 第五項 広島女子高等師範学校・附属山中高等女学校
2-3-4-6 第六項 広島高等学校
2-3-4-7 第七項 広島文理科大学・広島高等師範学校・附属中学校・附属国民学校
2-4 第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況
2-4-1 第一節 序説
2-4-2 第二節 神社(広島護国神社ほか一五社)
2-4-2-1 ①広島護国神社
2-4-2-2 ②白神社
2-4-2-3 ③天満宮(現在・天満神社)
2-4-2-4 ④空鞘神社
2-4-2-5 ⑤広瀬神社
2-4-2-6 ⑥胡子神社
2-4-2-7 ⑦住吉神社
2-4-2-8 ⑧三篠神社
2-4-2-9 ⑨比治山神社
2-4-2-10 ⑩饒津神社
2-4-2-11 ⑪鶴羽根神社
2-4-2-12 ⑫碇神社
2-4-2-13 ⑬東照宮
2-4-2-14 ⑭早稲田神社
2-4-2-15 ⑮旭山神社
2-4-2-16 ⑯神田神社
2-4-3- 第三節 寺院(慈仙寺ほか一五寺)
2-4-3-17 ⑰慈仙寺
2-4-3-18 ⑱浄宝寺
2-4-3-19 ⑲浄圓寺
2-4-3-20 ⑳妙法寺
2-4-3-21 (21)誓願寺
2-4-3-22 (22)国泰寺
2-4-3-23 (23)本覚寺
2-4-3-24 (24)円隆寺
2-4-3-25 (25)本願寺派広島別院
2-4-3-26 (26)多聞院
2-4-3-27 (27)唯信寺
2-4-3-28 (28)瑞川寺
2-4-3-29 (29)三瀧寺
2-4-3-30 (30)法雲寺
2-4-3-31 (31)不動院
2-4-3-32 (32)千暁寺
2-4-4 第四節 教会(日本基督教団広島流川教会ほか二教会)
2-4-4-33 (33)日本基督教団広島流川教会
2-4-4-34 (34)幟町天主公教会(現在・世界平和記念聖堂)
2-4-4-35 (35)日本基督教団広島教会
2-5 第5章関連市町村の状況
2-5-1 第一節 序説
2-5-2 第二節 各市町村
2-5-2-1 第一項 呉市
2-5-2-2 第二項 大竹市
2-5-2-3 第三項 三次市
2-5-2-4 第四項 庄原市
2-5-2-5 第五項 因島市
2-5-2-6 第六項 佐伯郡五日市町
2-5-2-7 第七項 同廿日市町
2-5-2-8 第八項 同沖美町
2-5-2-9 第九項 同宮島町
2-5-2-10 第一○項 同大野町
2-5-2-11 第一一項 同湯来町
2-5-2-12 第一二項 同能美町
2-5-2-13 第一三項 同大柿町
2-5-2-14 第一四項 安佐郡祇園町
2-5-2-15 第一五項 同安古市町
2-5-2-16 第一六項 同佐東町
2-5-2-17 第一七項 同安佐町
2-5-2-18 第一八項 同沼田町
2-5-2-19 第一九項 同可部町
2-5-2-20 第二○項 同高陽町
2-5-2-21 第二一項 安芸郡府中町
2-5-2-22 第二二項 同船越町
2-5-2-23 第二三項 同安芸町
2-5-2-24 第二四項 同海田町
2-5-2-25 第二五項 同坂町
2-5-2-26 第二六項 同瀬野川町
2-5-2-27 第二七項 同矢野町
2-5-2-28 第二八項 同熊野町
2-5-2-29 第二九項 同熊野跡村
2-5-2-30 第三○項 同江田島町
2-5-2-31 第三一項 同音戸町
2-5-2-32 第三二項 同倉橋町
2-5-2-33 第三三項 高田郡白木町
2-5-2-34 第三四項 同向原町
2-5-2-35 第三五項 同吉田町
2-5-2-36 第三六項 同甲田町
2-5-2-37 第三七項 賀茂郡志和町
2-5-2-38 第三八項 同黒瀬町
2-5-2-39 第三九項 同八本松町
2-5-2-40 第四○項 同西条町
2-5-2-41 第四一項 山県郡戸河内
2-5-2-42 第四二項 同加計町
2-5-2-43 第四三項 甲奴郡上下町
2-5-2-d 主要付図・一覧表
2-5-3-d-01 一、広島市学童疎開実施表
2-5-3-d-02 二、集団疎開児童の記
2-5-3-d-03 三、広島市内各学校の建物疎開作業出動状況
2-5-3-d-04 四、広島市内各学校被災状況表(動員学徒を含む)
2-5-3-d-05 五、建物疎開作業に出動した地域国民義勇隊の被爆状況表
2-5-3-d-06 六、避難者郡町村州内訳表
2-5-3-d-07 資料提供者氏名表/参考図書一覧表
d- 資料編
d-01 1.(イ)広島市永年防空計画、
(ロ)昭和十六年度広島市防空計画
d-02 2.広島県下に於ける空襲被害状況表
広島県警察部新畑十力警部補(当時)により作成されたもので、昭和十九年二月二日午前十時十五分ごろ、B29一機が御調郡原田村山林中に、焼夷弾一二発を投下したのを最初とし、昭和二十年八月十四日午後八時四十分ごろ、B12一機が、呉市中心に飛来し、宣伝ビラ約二万枚を撒布したことまでを、その被害程度と共に記述した一覧表である。昭和二十二年頃広島県警察部発行
d-03 3.防空日誌(矢賀警防分団)
d-04 4.炎のなかに
当時、動員学徒として、第二総軍双び中国軍管区司令部に出動していて被爆した生存者の「原爆で逝った級友の二十五回忌によせて」作られた体験記集で、猛火迫る司令部の地下壕指揮連絡室から、広島全滅の第一報を九州の第十六方面軍(福岡)など、三か所に、電話報告したことなど、貴重な証言が多く、また炸裂下、軍の中枢機関の惨状を如実に伝えている。一九六九年八月六日旧比治山高女第五期生の会発行
d-05 5.被爆者救援活動の手記集(暁部隊)
被爆直後の暁部隊の活動記録で、本誌刊行にあたり提供された当時の将兵三九人の体騒記集である。
d-06 6.(県政)雑記帖被爆直後、豊田郡地方事務所長から広島県人事課長(食糧対策委員)に就任し、県の被爆救援対策・復旧対策などにあたった竹内喜三郎の事務覚書で、八月七日から九月二十一日まで、大混乱時における食糧対策を中心とした県行政の克明な記録である。
d-07 7.比治山国民学校迷子収容所・五日市戦災児育成所
当時、収容所の教師として活躍した斗桝訓導の手記
d-08 8.広島原子爆弾被害調査報告(気象関係)
広島管区気象台の発行
d-09 9.原子爆弾に依る電気工作物の被害調査
d-10 10.8・10広島陸軍兵器補給部ニ於テ新型爆弾ニ関スル研究会(大野茂[海軍技術中佐])
d-11 11.軍関係災害調査報告文書集
d-12 12.原子爆弾傷研究綴(広島第一陸軍病院)
d-13 13.被爆広島の写真記録者たち(川西恒夫)
編集後記

11.軍関係災害調査報告文書集

年月日 資料名 編著者
450806 中野探照灯台広島爆撃目撃状況 呉海軍警備隊
450810 八月六日広島空襲被害状況並ニ対策(第二報)[呉鎮機密第142-10-33(8月10日送付)] 呉鎮守府衛生部
450814 八月六日広島市空襲戦訓(第三報)[呉鎮機密第142-10-33-2(8月14日送付)] 呉鎮守府衛生部
450814? 八月六日広島市空襲戦訓(第四報)[呉鎮機密第142-10-33-3] 呉鎮守府衛生部
450810? 陸、海軍合同特殊爆弾研究会決定事項(要項抜粋)[呉鎮機密第142-10-34] 呉鎮守府衛生部
450810 八月六日広島空襲ニ対スル研究会議事概要 呉工廠
450813 八・六広島市被害状況 中国軍管区司令部
4509 広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)[(付録被害地写真帖)] 呉鎮守府
450902 衛生速報第二号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第三号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第四号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第五号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第六号 中国軍管区軍医部
451022 衛生速報第九号[原子爆弾症ニ関スル研究] 中国軍管区軍医部

12.原子爆弾傷研究綴(広島第一陸軍病院)

八月六日広島市戦災ニ関スル経験並所感 都野大尉、増田少尉、石井少尉
原子爆弾症報告 江波分院 藤田少尉
原子爆弾症報告 江波分院 柳少尉
原子爆弾傷ニ就テ 広島第一陸軍病院櫛ケ浜分院

13.被爆広島の写真記録者たち(川西恒夫)

加納竜一、菊池俊吉、林重男、木村権一、尾糠政美、川原四儀、山田精三、松重美人、宮武甫、松本栄一、岸田貢宣、松重三男、川本俊雄、林寿麿、岸本吉太、深田敏夫、空博行、北勲、黒石勝、斉藤誠二、佐々木雄一郎、

刊行の経過(広島原爆戦災誌第5巻所収)

刊行の経過

「第5巻-資料編」より

月日 事項
1960 0202 新修広島市史編集委員会(昭和二十五年設置)において、同市史全七巻の刊行終了後、なるべく速やかに「広島原爆戦災誌」を編集刊行する必要性が話しあわれる。
1962 0330 最終の新修広島市史編集委員会において、戦災誌編集事業の大綱が審議される。
0401 新修広島市史編集委員会の解散後、企画調査室(室長向井一貫)が戦災誌編集を受持つことになり、同室次長森弘助治が基礎資科の収集方法について検討をはじめる。
05 企画調査室主事平砂唯嗣が編集事務を補助することになり、被爆前後の精密な状況を記入する「広島原爆戦災誌資料表」の作成に着手すると共に、市内を広島市福祉協議会の区割による三六地区(ほぼ学区別と同じ)に分け、各地区に調査担当の地区委員八〇人(主として被爆者)が選定される。後に二人追加する。
07~09 市内地区のほか、主要官公庁・事業所・各学校・関連市町村に対して、各部門別の「広島原爆戦災誌資料表」を送付する。この間、各地区委員に対して説明会を開催、調査協方を依願する。
0901 広島平和記念資科館館長長岡省吾の退職にともない、森弘助治が同館長兼務となり、企画調査室と資料館の双方において、編集業務を続行する。
1207 企画調査室主事平砂唯嗣が、広島平和記念資料館主査となり、戦災誌編集に関する一切の業務を、同資料館においておこなうこととなる。主事川本義隆(昭和三八年三月末まで)が、編集業務を補助する。
1963 08 各部門別に依頼した前記資料表による回答が思わしくなく、編集作業が渋滞しはじめ、広島市公報、及び報道機関を通じて、一般への協力を呼びかける。
1209 加藤助役・広島大学教授その他一般の有識者の参集を求め、編集方針を検討する。三か年計画で約八〇〇ペーシ内外のもの一冊にとりまとめることとする。
1964 0401 主事Aが資料館勤務、編集業務を補助する。
1965 0401 編集担当主査平砂唯嗣が、同資料館の庶務担当主任となる。
1101 福利課同和係長小堺吉光が、広島平和記念資料館主査となり、戦災誌編集業務を担当する。だだちに資料の収集状況を点検し、編集作業の積極的推進をはかる。
1118 主事Aが転出、主事Bが後任にきまり、編集作業を補助する。
1966 0201 広島原爆戦災誌の編集目的・編集内容・編集方法などについて、市長(浜井信三)の決裁を得る。
02~07末 各種資料表を精査する。すなわち、既集資料表において、無記入、あるいは不明確で再調査の必要なもの、未回収資料表の記入督促、新規に資料を必要とするものなど、各部門別に分類整備するというそれぞれの作業を進め、執筆準備をおこなう。
08~ 第二編各説の市内各地区--幟町地区から執筆に入る。主事Bが退き、Cが後任に決る。四三年七月末までに、一応全原稿を書きおろす。
1968 0801 戦災誌の監修委員として、広島大学教授後藤陽一・同今堀誠二・日本基督教団広島教会牧師四竈一郎を委嘱し、順次に原稿を送付して閲読を受ける。
09~ 随時、監修委員会を開催し、執筆事項の疑問・不備・追加・削除その他についての指摘により諸事項の再吟味、再調査を行ない、出版予定の巻数・ぺ-ジ数にこだわることなくひたすら内容の充実につとめる。
これらの作業遂行中に、広島市内は勿論、全国から各種の貴重な資料の提供や情報があり、監修委員の指摘事項以外にも、実に多くの事がらを書きあらため、書き加える。
1969 0401 編集作業の増大にともない、新しく主事Dが加わり、原稿の浄書、諸資料の整備を進める。Cは主として、現地調査の補助、及び、各種の図表・一覧表の作成補助にあたる。
0801 第二編各説に、新たに「主要神社・寺院・教会」の一章を加えることにする。また、資料編一巻を加えることにする。
1970 0401 広島平和記念資料館長森弘助治が退職、後任に広島平和文化センター主幹小倉磐が発令される。
09初 各巻の体裁を整え、印刷準備に入る。すなわち当初の編集計画を大きく変え、本論四巻・資料編一巻、計五巻とする。
1007 最後の監修委員会を開催し、全巻の原稿完成を確認する。掲載写真など細部点検を重ねる。
1971 06初 印刷所を中本総合印刷株式会社に決定する。発行部数二、七○○部。

 

文献:スミソニアン原爆展示論争(論文)

文献:スミソニアン原爆展示論争

Y M D AUTHOR TITLE ZASSIMEI
94 04 寺島実郎 いまこそ再考せよ「原爆投下」の歴史を(ホワイトハウスの見える窓から25 Foresight5(4)
94 06 01 勝利を呼んだ4つの要因―それはまた、アメリカがドイツに原爆を投下しな ニューズウィーク日本版
94 06 25 アイゼン,ミッチェル 「エノラ・ゲイ」米国展示は是か非か 週刊現代36(23)
94 07 21 Eugene L. Meyer Dropping The Bomb : Smithonian Exibit Plan Detonates Controversy WASHINGTON POST
94 07 25 池田真規 核兵器の使用は国際法に違反する 「赤旗」評論特集版
94 07 25 広島小・中・高大生にみる平和意識-「原爆投下は仕方がない」が4割以上 木の葉のように焼かれて第28集
94 07 27 爆撃機修復で大論争―広島に原爆を落としたエノラ・ゲイの展示は「日本寄 ニューズウィーク日本版
94 08 05 奥住喜重;工藤洋三 スクープ!米軍が原爆投下に使った航空写真地図をついに発見! 週刊金曜日2(29)
94 08 12 奥住喜重;工藤洋三 原爆投下部隊の元機長が明かす「三発目の原爆」 週刊金曜日2(30)
94 08 30 Ken Ringle A-Bomb Exibit Plan Revamped : Smithonian Acts To Defuse Criticism WASHINGTON POST
94 09 桝井成夫 原爆が終戦を遅らせた―投下から半世紀、米国内で再燃する論争 THIS IS読売5(6)
94 09 09 工藤洋三;奥住喜重 米軍・原爆投下部隊の重要文献から切り抜かれていたある事実 週刊金曜日2(33)
94 09 20 Colman MacArthy Heeding All the Lessons of Hiroshima WASHINGTON POST
94 10 16 Gar Alperovitz Beyond the Smithonian Flap : Historians’ New Consensus WASHINGTON POST
94 10 16 Chalmers M. Roberts Our Boys or the Bomb? WASHINGTON POST
94 10 19 ヒロシマ エノラ・ゲイ論争に幕?―退役軍人の激しい反発で「原爆展」は ニューズウィーク日本版9
94 10 21 Eugene L. Meyer No Peace for Enola Gay WASHINGTON POST
94 11 18 Eugene L. Meyer A-Bomb Exhibit Takes Another Hit WASHINGTON POST
95 01 01 本田一二 原爆投下!「第一報」日米比較Ⅱ 総合ジャーナリズム研究NO.151
95 01 01 斉藤道雄 よみがえる亡霊エノラ・ゲイ-スミソニアン展示論争 中央公論
95 01 01 鈴木辰三郎 原子爆弾の開発を命ず-スクープ!50年目の証言 宝石
95 01 01 中野嘉子 原爆展と米国市民 諸君!
95 01 14 佐藤紘彰 米国エノラ・ゲイ論争が意味するもの(日米関係) 東洋経済5257
95 01 15 (ルポ)ヒロシマ・ナガサキ原爆機の発進基地テニアン島 グラフこんにちは
95 01 18 田中康夫 米国の「原爆切手」問題で感情的反発を超えて一人一人が抱くべき哲学とは SPA!44(2)
95 01 19 Eugene L. Meyer Smithonian Stands Firm On A-Bomb Exhibit WASHINGTON POST
95 01 20 Ken Ringle & Eugene L. Meyer Air & Space Director Under Fire WASHINGTON POST
95 01 27 Eugene L. Meyer Smithonian May Drop A-Bomb Exhibit WASHINGTON POST
95 01 30 アルペロビッツ 原爆投下は必要であったか 国際情報資料2-広島・長崎原爆投下50周年核兵器廃絶草の根共同行動
95 01 30 Eugene L. Meyer Target:Smithonian WASHINGTON POST
95 02 01 特集:原爆切手をめぐる原爆観 ウォッチング・被爆50
95 02 01 入江昭 日本とアジア-百年の重み 世界
95 02 01 本島等・平岡敬 被爆50年を迎えて-長崎・広島市長が語る 世界
95 02 01 袖井林二郎 原爆投下の歴史と政治-スミソニアン原爆展論争をめぐって 世界
95 02 01 B・バーンスタイン 検証・原爆投下決定までの300日 中央公論
95 02 01 Paul Blustein Japan Upset Over Decision On Enola Gay WASHINGTON POST
95 02 01 Joel Achenbach WASHINGTOLOGY : Exhibit A : The Pablum Museum WASHINGTON POST
95 02 04 Edwin M. Yoder Jr. … Or Hiroshima ‘Cult’? WASHINGTON POST
95 02 04 Gar Alperovitz Enola Gay : A New Consensus… WASHINGTON POST
95 02 15 広島の証言の会・長崎の証言の会 再びヒロシマ・ナガサキの悲劇をくり返さぬために対話と寛容を ヒロシマ・ナガサキ通信
95 02 15 トレーシー・ダルビー、ジェニファー・ラッチ 原爆展-エノラ・ゲイとアメリカの「常識」 ニューズウィーク日本版
95 02 18 Paul Blustein Hiroshima Mayor, Survivors Plan Low-Key Mission to U.S. WASHINGTON POST
95 02 19 なぜ中止になったアメリカでの「原爆展」-ワシントンの航空宇宙博物館 グラフこんにちは
95 02 24 Jacqueline Trescott Vietnam Exhibit Postponed WASHINGTON POST
95 03 野口亜輝良 米国の「原爆投下肯定論」の本質(特集・終戦50周年) 政財界ジャーナル28(3)
95 03 日本は原爆投下の前にアメリカに完敗していた(「アメリカの鏡・日本」抄 THEMIS4(3)
95 03 01 大牟田稔 米国での「原爆資料」展示中止-日米の歴史認識に深刻な溝 平和文化
95 03 01 山極晃 効果を基準に原爆目標選定-対日使用に慎重論も 平和文化
95 03 01 ビル・パウエル 戦後50年・ドイツの和解と日本の独善 ニューズウィーク日本版
95 03 01 バートン・バーンスタイン、小池洋次 (インタビュー)アメリカの「原爆論争」
95 03 15 油井大三郎 戦争責任をめぐる日米ギャップ 季刊戦争責任研究春季号NO.7
95 04 01 井出孫六・細谷千博 (特別対談)戦争を記憶するということ、歴史をきろくするということ 世界
95 04 01 袖井林二郎 パブリックヒストリィとは何か-スミソニアン原爆展と平和祈念館 世界
95 04 01 斉藤道雄 玉砕したスミソニアン原爆展 中央公論
95 04 20 Eugene L. Meyer Smithonian Sifts Debris of Enora Gay Plan WASHINGTON POST
95 05 吉原恒雄 国際、原爆投下は正当化できない(焦点) 改革者418
95 05 03 ヒロシマ あまりにも違う日米の認識―原爆投下の是非をめぐる日米の対立 ニューズウィーク日本版
95 05 15 大牟田稔 米国は原爆被害を直視せよ-スミソニアン「原爆資料展示」中止の余震 軍縮問題資料
95 05 19 Jacqueline Trescott Senator Warns Smithonian on Controversies WASHINGTON POST
95 05 26 マーク・セルデン 東京大空襲から「ヒロシマ」へ(下) 週刊金曜日
95 05 26 本多勝一 「ヒロシマ」からハノイ大空襲へ 週刊金曜日
95 06 城丸章夫 戦後平和教育の50年-成果と展望 平和教育48
95 06 保阪正康 原子爆弾「白人ではないから」落された 新潮45・14(6)
95 06 01 井出洋 NPT会議をめぐる核廃絶への逆流 前衛
95 06 01 山崎元 クリントン「原爆投下正当化発言」を問う 前衛
95 06 10 纐纈厚 原爆投下 昭和20年・1945年
95 06 15 村上光彦 アウシュビッツとヒロシマ 軍縮問題資料
95 06 15 リード,トム 原爆投下論議について(聞いた日本見た日本〔91〕) 週刊新潮40(23)
95 06 25 “新説”「原爆投下はマッチョの証明」の無神経(News Wave) 週刊読売54(30)
95 07 田川時彦 原爆をめぐる日本政府の戦争責任 歴史地理教育
95 07 西島有厚 国際政治からみた原爆投下と核開発 歴史地理教育
95 07 加藤文三 ポツダム宣言-あの日あのとき・1945年7月 歴史地理教育
95 07 01 田川時彦 被爆50周年を迎えた平和憲法の国際的意義 ほんりゅう
95 07 12 エノラ・ゲイ 博物館の「無条件降伏」 ニューズウィーク日本版
95 07 13 青木冨貴子 スミソニアン博物館の「エノラ・ゲイ展」が語ること(U.S.A.通信〔 週刊文春3(27)
95 07 14 坂本慎平 50年目の夏-エノラ・ゲイは語らず 週刊金曜日
95 07 26 タカキ,ロナルド トルーマン大統領は、“人種差別的憎しみ”から原爆投下を決定した! SAPIO7(13)
95 07 26 ブラック,キャロル;猪瀬 直樹 原爆投下を「謝罪」して欲しい日本人とパールハーバーへの「謝罪」を期待 SAPIO7(13)
95 07 26 エバン・トーマス 「決断」にいたる道 ニューズウィーク日本版
95 08 J・F・モリス 原爆投下とアメリカにおける歴史認識 歴史学研究
95 08 藤井晴雄 談話室:戦争を超えて:原子爆弾と共に投下されたわが3人の友の手紙 日本原子力学会誌
95 08 01 アージャン・マキジャニ 原爆投下、だまされていた科学者-マンハッタン計画 THIS IS
95 08 01 スタンリー・ゴールドバーグ(春名幹男訳) グローブズ将軍と原爆投下 世界
95 08 01 春名幹男 訳者解説 世界
95 08 01 [記者座談会]被爆50周年のヒロシマでいま何をなすべきか!? 月刊ぴーぷる
95 08 04 戦後50年=広島・長崎の責任は誰に!?-原爆投下をこう考える 週刊金曜日
95 08 04 末広栄 米国は慰籍を表明すべきだ 週刊金曜日
95 08 04 西川重則 天皇の生け贄にされた被爆者 週刊金曜日
95 08 04 池明観 韓国人差別が阻んだ原爆被害への共感 週刊金曜日
95 08 04 本島等 米国は「悪魔の兵器」使用を正当化できない 週刊金曜日
95 08 04 マーク・セルデン スミソニアン原爆展の失敗 週刊金曜日
95 08 04 ダグラス・ミラス 技術信仰と能率追究が生んだテロ 週刊金曜日
95 08 04 長崎プレ会議より=原爆投下をどう見るか 週刊金曜日
95 08 04 陸培春 根強い「天罰」論 週刊金曜日
95 08 07 長谷川煕(編集部) 「正義」の象徴原爆ニセ切手-アメリカ「草の根」の無謬主義 AERA
95 08 07 ガー・アルペロビッツ トルーマンが隠した「広島・長崎」の真実 AERA
95 08 09 山田朗 南京と原爆・空襲を結ぶもの 南京大虐殺と原爆
95 08 10 被爆地と沖縄-異例の訪問された天皇陛下の決意 週刊新潮
95 08 11 深津真澄 政治・明仁天皇の慰霊の旅をどう受け止めるべきか 週刊金曜日
95 08 21 草川誠 私が盗んだ原爆の秘密-旧ソ連KGB「原爆スパイ」2人の証言 アエラ8月14・21日合併号
95 08 23 ビル・モルディン 8月6日、アメリカはパンドラの箱を開けた ニューズウィーク日本版8月16・23日号
95 08 28 バートン・バーンステイン(聞き手:長谷川煕) 核兵器の廃絶-米国共和党の強力大統領に期待 アエラ
95 08 28 ガー・アルベロヴィッツ(聞き手:長谷川煕) トルーマンとバーンズで決めた-「原爆投下の内幕」を聞く アエラ
95 08 28 烏賀陽弘道 広島で出会った原爆と甘い青春-南方特別留学生50年後の同窓会 アエラ
95 08 28 原爆投下、50年目の真実、日米「バチカン・コネクション」が救えなかっ バート5(17)
95 08 31 陸培春 アジアからみた原爆投下-広島・長崎・日本に問う 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ナイジェル・ヤング 恐怖のバランスシート-1945年8月と最初の核戦争がもたらしたもの 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 被爆50年・ナガサキから証言する-証言95座談会1 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 被爆50年・ヒロシマから証言する-証言95座談会2 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 特集2:アメリカ原爆展論争を考える 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 鎌田定夫 原爆体験の人類的思想化を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 長崎の証言の会・広島の証言の会 原爆資料展に関する緊急要請書 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ジョゼフ・ガーソン 驚きと怒りと恥辱の中で 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 証言の会へ寄せられたアメリカからの反響 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 米国首都圏ヒロシマ・ナガサキ平和委員会 核のない世界のために 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ドナルド・レイスロップ 強い関心と共感をもって 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 バートン・バーンスタインほか 最終展示部「原爆と第二次世界大戦の終結」に関する勧告 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ゲイラード・T・ハント 原爆使用、内部にも反対が 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 栗原貞子 (詩)慈悲深い国アメリカ 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 広島の証言の会・長崎の証言の会 (声明)再びヒロシマ・ナガサキの悲劇をくり返さぬために対話と寛容を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 長崎の証言の会 米国での原爆展開催等についての要望書 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 エノラ・ゲイ行動連合 エノラ・ゲイ「もうひとつの展示」のよびかけ 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 トマス・J・キルクライン 航空宇宙博物館の使命 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 鎌田定夫 歴史の真実に立って対話と相互理解を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 アメリカ歴史家グループ 全米の大学で「ヒロシマ・ティーチ・イン」を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ルイーズ・F・ラミレス、ジョン・スタインバック ヒロシマ・ナガサキの暴虐に謝罪を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 平岡敬(広島市長) 希望の広島-核兵器のない世界へ 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 アメリカン大学における基調講演(1995年7月9日) 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 土山秀夫(前長崎大学学長) ナガサキは最後の被爆地となり得るか 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 高橋信雄 広がるアメリカ人の原爆論争-ワシントン現地取材から 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 第二次世界大戦終結50周年にあたり地球の平和を求める国際アピール 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 片田芳朗 NHK連続テレビ小説「春よ、来い」にかかわる問題発言を問う 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 09 中野嘉子 アメリカは原爆をこう教えている 諸君!
95 09 01 河内朗 だれが原爆攻撃を命令・指揮したか 正論
95 09 08 越智道雄 アメリカはなぜヒロシマを恐れるのか? 宝島30
95 09 15 大牟田稔 アメリカ人と「原爆展」 軍縮問題資料
95 10 アルペロビッツ,G;伊藤成彦 原爆投下50年目の真実―トルーマンの罪と核廃絶への道 サンサーラ6(10)
95 10 01 米山リサ 越境する戦争の記憶-スミソニアン原爆展論争をめぐって 世界
95 10 15 荒井信一 こんにちはインタビュー・荒井信一さんの「戦後50年に思う」 グラフこんにちは
95 10 23 極秘電文発見「東京に原爆を投下せよ」 アエラ
95 10 31 荒井信一 原爆投下と戦争責任 平和文化研究第18集
95 11 01 米谷ふみ子 ヒロシマと真珠湾 世界
95 11 15 春名幹男 アメリカの核戦争観 軍縮問題資料
95 11 15 池田真規 核兵器廃絶と世界法廷-10月30日に始まる口頭弁論を前に 軍縮問題資料
95 11 19 核兵器使用は国際法に違反-広島・長崎両市長が証言 グラフこんにちは
95 11 27 平岡敬 核兵器の使用も威嚇も国際法違反-国際司法裁判所での陳述 赤旗評論特集版
95 12 01 神部明 極秘「マンハッタン計画」が築いた新戦略
95 12 01 福好昌治 ナチスはなぜ「原爆」製造に失敗したか
95 12 01 麻田貞雄 原爆投下の衝撃と降伏の決定 世界
95 12 04 伊藤一長 「核抑止論」は恐怖の均衡を保つこと 赤旗評論日曜版
95 12 15 袖井林二郎 スミソニアン原爆展論争から学ぶこと 季刊戦争責任研究第10号
96 01 15 大牟田稔 「核兵器違法」を明言した意義-ICJ陳述をめぐる被爆地と外務省の落差 軍縮問題資料
96 01 15 平岡敬 希望の広島-核兵器のない世界へ アメリカン大学の学生とともに原爆投下を考えた
96 01 19 西島有厚 原爆投下をどうみるか 近現代史の真実は何か-藤岡信勝氏の「歴史教育・平和教育」論批判
96 02 エンゲルハート,T. 原爆投下と滅亡への強迫観念(ヒロシマから50年) 世界 619
96 02 ロールズ,J. 原爆投下はなぜ不正なのか?(ヒロシマから50年) 世界 619
96 03 15 岡本公一 「戦勝50周年」と「戦後50年」 季刊戦争責任研究NO.11
96 04 15 池田真規 世界法廷での広島・長崎市長 軍縮問題資料
96 04 15 平岡敬 国際司法裁判所での口頭陳述の全文 軍縮問題資料
96 04 15 伊藤一長 国際司法裁判所での口頭陳述の全文 軍縮問題資料
96 04 15 河村武和 日本政府の陳述 軍縮問題資料
96 06 バートン・J・バーンスタイン 真珠湾と1945年の原爆投下の再考 平和研究20
96 07 牧田幸人 核兵器使用の違法性と国際司法裁判所の勧告的意見 日本の科学者
96 08 米山リサ 記憶の弁証法-広島 思想
96 08 15 本島等 「原爆投下」後の時代を生きて-はっきりさせねばならぬ二つのこと 軍縮問題資料
96 08 15 春名幹男 広島・長崎の声はなぜ伝わらないか 軍縮問題資料
96 08 15 徐龍達 敗戦50年から「アジア市民」への脱皮を ヒロシマの歩んだ道
96 09 武市銀治郎 アメリカの対日占領期における検閲政策-原爆報道を中心にして 防衛大学紀要第73輯
96 09 10 油井大三郎 スミソニアン原爆展示論争と国境の壁 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996(第10集)
96 09 10 栗原貞子 希望の都市への脱皮を-スミソニアン原爆展示と長崎原爆資料館 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996(第10集)
96 09 15 田中伸尚 「平和祈念館」の経緯と問題点-誰を追悼し、何を記憶するのか 軍縮問題資料
96 10 池田真規・新倉修 核兵器はどう裁かれたか-国際司法裁「勧告的意見」を検討する 世界
96 10 01 「戦後50年」調査プロジェクト 世界のテレビは戦後50周年をどう伝えたか 放送研究と調査
96 11 01 南アの核―謎が謎呼ぶ「原爆」科学者の告白 SCIaS 1(2)
97 03 01 アブドル・コロマ判事 [資料]国際司法裁判所意見の反対意見から 原爆と文学1997年版
97 03 31 ジョセフ・ロートブラット 第二次世界大戦と原爆投下 平和文化研究第19・20集
97 03 31 芝田進午 被爆50年・これからの課題-人体実験としての原爆 平和文化研究第19・20集
97 03 31 袖井林二郎 歴史および政治としてのヒロシマ・ナガサキ 平和文化研究第19・20集
97 03 31 樋口陽一 ナガサキで読む憲法50年のメッセージ 平和文化研究第19・20集
97 03 31 ポール・ジョゼフ 冷戦が終わったほんとうの理由 平和文化研究第19・20集
97 03 31 新井信之 「核兵器使用の違法性」に関するICJ勧告的意見のブリーフとその解釈に 平和文化研究第19・20集
97 03 31 芝野由和 本学学生・付属高校生の平和・核問題に対する関心・意識 平和文化研究第19・20集
97 04 マーティン・ハーウィット スミソニアン原爆展示はなぜ阻止されたか-マーティン・ハーウィット氏に聞く 世界
97 04 10 舟越耿一 「被爆・戦後50年」の思想状況 長崎平和研究創刊号
97 04 25 荒井信一 戦争・平和博物館設立の歩み <写真・絵画集成>世界の「戦争と平和」博物館6
97 04 25 荒井信一 歴史の中の加害と被害 <写真・絵画集成>世界の「戦争と平和」博物館4
97 10 米山リサ 「非国民」の記憶と記憶の非・国民化 世界
97 10 01 バートン・バーンステイン 戦艦大和は核魚雷計画の標的だった THIS IS 読売
98 03 15 リオ・メイリー3世、ウディ・モアHン アメリカでヒロシマを教える-記憶の浄化に抗する歴史教育 軍縮問題資料
98 03 31 芝野由和 「アウシュヴィッツ」と「ヒロシマ」-ひとくくりにしてはならないか- 平和文化研究第21集
98 03 31 長崎平和文化研究所 1997年本学学生・付属高校生の平和意識-アンケート調査集計結果報告 平和文化研究第21集
98 04 20 駒田和幸 歴史意識の再生をめざして-原爆投下史の授業 長崎平和研究第3号
98 04 20 「戦争と原爆」に関する意識調査報告 長崎平和研究第3号
98 09 15 林義勝 「エノラ・ゲイ論争」と歴史の記憶 歴史学研究
98 13 33 小林文男・柴田巌 中国人留学生のヒロシマ観に関する一考察 広島平和科学21
98 13 33 ダニエル・セルツ、松尾雅嗣 戦争責任と原爆をめぐって 広島平和科学21
98 13 33 Terence M. Duffy The Making of a Peace Museum Tradition: 広島平和科学21
99 05 31 上杉聰 戦争責任をどう考えていくか-若い世代とアジアと 平和文化研究第22集
99 05 31 上杉聰・木永勝也 対談:「新ゴーマニズム宣言」の周辺 平和文化研究第22集
99 05 31 ヴォルフガング・シュヴェントカー ヒロシマの影の中で-原爆投下50周年の環境での最近の文献 平和文化研究第22集
99 07 09 ロバート・J・リフトン、グレッグ・ミッチェル ヒロシマの真実を再訪する 核と対決する20世紀-核と人間Ⅰ
99 07 09 田中孝彦 ヒロシマ・ナガサキと日本 核と対決する20世紀-核と人間Ⅰ
99 08 04 米山リサ 核・レイシズム・植民地主義-真実と和解、その<差延>のポリティクス 核を超える世界へ-核と人間Ⅱ
99 09 10 伊良子由美 子どもたちに未来を託して-NACの活動レポート 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1999(第13集)
99 09 10 山川剛 アメリカ市民に原爆を伝える 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1999(第13集)

 

文献:スミソニアン原爆展示論

 

書名コード 書名 編著者 発行所
95060901 アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか ロナルド・タカキ 草思社
95061502 天王山・沖縄戦と原子爆弾(下) ジョージ・ファイファー 早川書房
95063003 ヒロシマを壊滅させた男オッペンハイマー<新装版> ピーター・グッドチャイルド 白水社
95063007 原子爆弾の誕生(上)普及版 リチャード・ローズ 紀伊国屋書店
95063008 原子爆弾の誕生(下)普及版 リチャード・ローズ 紀伊国屋書店
95072503 日米戦争観の相剋-摩擦の深層心理 油井大三郎 岩波書店
95073005 京都に原爆を投下せよ-ウォーナー伝説の真実 吉田守男 角川書店
95080506 原爆投下訓練と島田空襲-聞かせてください1945年7月26日のことを 土居和江・小屋正文・小林大治郎 静岡新聞社
95080619 悲劇のヒロシマ・ナガサキ-原爆投下決断の内幕(上) ガー・アルペロビッツ ほるぷ出版
95080620 悲劇のヒロシマ・ナガサキ-原爆投下決断の内幕(下) ガー・アルペロビッツ ほるぷ出版
95081003 なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか(上) トマス・パワーズ ベネッセ
95081004 なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか(下) トマス・パワーズ ベネッセ
95082503 オッペンハイマー-原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか 中沢志保 中央公論社
95091801 葬られた原爆展-スミソニアンの抵抗と挫折 フィリップ・ノビーレ、バートン・J・バーンステイン 五月書房
95102501 原爆神話の50年-すれ違う日本とアメリカ 斉藤道雄 中央公論社
95111001 アメリカの中のヒロシマ(上) R・J・リフトン、G・ミッチェル 岩波書店
95122001 アメリカの中のヒロシマ(下) R・Jリフトン、G・ミッチェル 岩波書店
96021601 アメリカの中の原爆論争 NHK取材班 ダイヤモンド社
96032503 ロバート・オッペンハイマー-愚者としての科学者 藤永茂 朝日新聞社
96042501 アメリカの日本空襲にモラルはあったか-戦略爆撃の道義的問題 ロナルド・シェイファー 草思社
96072003 原子爆弾-その理論と歴史 山田克也 講談社
96092001 米軍資料・原爆投下の経緯-ウェンドーヴァーから広島・長崎まで 東方出版
970501 原爆はこうして開発された<増補版> 山崎正勝;日野川静枝編著 青木書店
97072503 現代歴史学と戦争責任 吉田裕 青木書店
97073102 拒絶された原爆展-歴史のなかの「エノラ・ゲイ」 マーティン・ハーウィット みすず書房
97091002 太平洋戦争の終結-アジア・太平洋の戦後形成 細谷千博・入江昭・後藤乾一・波多野澄雄編 柏書房
97100102 ヒロシマ・アメリカ-原爆展をめぐって 直野章子 溪水社
98082501 戦争と正義-エノラ・ゲイ展論争から T・エンゲルハート、E・T・リネンソール 朝日新聞社
99032701 データベース戦争の研究-ひと目でわかる現代軍事の基礎知識 三野正洋・深川孝行 光人社
99070901 核と対決する20世紀-核と人間Ⅰ 坂本義和編 岩波書店

 

年表:スミソニアン協会とヒロシマ

Y M D NEWS1
87 08 03 米のスミソニアン国立航空宇宙博物館、原爆投下機「エノラ、ゲイ」号の原爆搭載部分を復元したと発表。
88 08 05? 広島に原爆を投下した米軍材「エノラ・ゲイ」、保存のためスミソニアン研究所で解体・修理中。
89 02 23? 米のスミソニアン天文台発行の機関紙、小惑星の1つに平和を願って「ヒロシマ」と命名されたことを報道。
90 01 29 米国スミソニアン博物館、ワシントン郊外に建設される同館別館に、原爆投下機「エノラ・ゲイ」を展示するとの計画を発表。
93 04 05 スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長ら、広島市役所を訪れ、平岡市長に被爆関係資料の貸与を要請。
93 04 06 スミソニアン協会国立航空宇宙博物館長ら、被爆資料の借用について大牟田広島平和文化センタ-長らと協議。広島市、博物館の計画策定がまとまる秋に貸出について最終決定することを伝える。
93 05 31 スミソニアン協会・国立宇宙博物館の職員3人、被爆50周年の原爆投下をテーマとした展示会の資料収集打ち合わせのため広島市を訪問。広島市、資料を貸し出す方向で検討。
93 06 01 トーマス・クローチ米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館航空学部長、広島市との協議を終え記者会見し、投下50周年の展示の概略について説明。
93 08 03 広島市、米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館が送ってきた被爆50周年の「展示計画書」(7月17日届く)の和訳を公表。長崎市にも同様の書簡が届く。
93 08 04 ハーウィット・米スミソニアン博物館館長、広島市入り。6日、平和祈念式典に参列。
93 10 08 平岡広島市長、米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館への被爆資料貸与問題について、今月中に結論を出すとの意向を表明。
93 11 24 長崎市原爆被災資料協議会、米国スミソニアン協会国立宇宙博物館への資料貸出に応じることで意見が一致。
93 11 30 広島・長崎両市、スミソニアン協会・国立航空博物館の被爆資料貸与要請を受け入れることを決定したと発表。
93 12 07 広島県被団協(森滝市郎理事長)、米スミソニアン協会・国立宇宙博物館への被爆資料貸出について、被爆地の意見や助言が的確に反映されるよう責任ある対処を求める要望書を広島市長に提出。
94 02 09? 長崎国際文化会館、日本映画社の記録フィルムを米国立公文書館から入手。(米国スミソニアン協会航空宇宙博物館が寄贈)
94 02 24 長崎市、米国のスミソニアン協会国立航空宇宙博物館から寄贈された「広島・長崎における原子爆弾の効果」の原板複写フィルムの試写会を開催。約3時間。
94 03 30? 米国の退役軍人ら、スミソニアン協会のエノラ・ゲイ機と被爆資料の同時展示に猛反発。
94 08 10 24人の米下院議員がスミソニアン宇宙航空博物館のエノラゲイ展示計画に、原爆被害を強調し過ぎているとの抗議の書簡を出していたことが判明。
94 08 17 ルイス米下院議員、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ展示計画の変更を求める声明を発表。
94 08 18 スミソニアン博物館が「エノラ・ゲイ」展示で米下院議員に意向を配慮するとの返答を出していたことが判明。
94 08 29 米スミソニアン航空宇宙博物館、退役軍人らの批判にこたえ、太平洋戦争のコーナーを追加設置すると発表。
94 09 08? ワシントン・ポストやウォールストリート・ジャーナルなど米紙がスミソニアン博物館の特別展「原爆投下と第二次世界大戦の集結」における被爆展示に批判を強めていることが判明。
94 09 12 本島長崎市長、市議会で、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆企画展の展示計画をチェックするため10月に調査団を同館に派遣することを明らかにする。
94 09 19 ナンシー・カッセボム米上院議員、スミソニアン航空宇宙博物館が予定しているエノラ・ゲイ展示は、バランスを欠き侮辱的だとして計画変更を求める決議案を提出。
94 09 20 米国のカトリック系の平和団体パクス・クリスティUSAや環境保護団体グリーンピースの代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館に被爆者関連の展示を増やすよう要請。
94 09 23 米上院本会議、エノラ・ゲイ機の展示を計画しているスミソニアン航空宇宙博物館に対して「米国人の思い出を非難することになるのを避けるべきだ」として展示内容の変更を求める決議を満場一致で可決。
94 09 26 広島県被団協・県原水協・県平和委員会、スミソニアン航空宇宙博物館で計画中の原爆投下に関する展示会に対し展示内容の修正を求める決議を採択した米上院に抗議などを求める要請書を平岡広島市長あてに提出。
94 09 27 スミソニアン航空宇宙博物館が計画しているエノラ・ゲイ展示問題で米下院に計画の修正を求める決議案が提出されていることが判明。
94 09 28 広島市、スミソニアン航空宇宙博物館から原爆投下展の最終スクリプトの送付が遅れるとのファックスが入る。
94 09 29 米紙ワシントン・ポスト、スミソニアン航空宇宙博物館が、全米退役軍人協会からのエノラ・ゲイ展示への抗議に対する譲歩として、被爆時計の展示中止など展示内容の変更を決めたと報道。
94 10 13? 長崎市、スミソニアン博物館から「原爆展問題に関する米上院決議は影響を受けない」、「計画に抗議していた米国在郷軍人会とは合意に達した」などと説明した文書を受け取る。
94 10 20 米スミソニアン航空宇宙博物館、エノラ・ゲイの展示をめぐる退役軍人らの批判を入れ、「感情に訴えるような(被爆状況の)写真や遺品」は展示から除き、太平洋戦争の経過に関する展示は増やすなどの修正計画の概要を公表。
94 10 20? 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展に関連し、ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長に、「ヒロシマの心」を伝える手紙を発送。
94 10 25 共産党広島市議会議員団、国家補償に基づく被爆者援護法の制定と米国スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題について、市議会決議に向けた各派代表者会議を召集するよう市議会議長に文書で申し入れ。
94 10 26 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から予定している広島原爆投下爆撃機エノラ・ゲイの詳細な展示計画書(約450頁)を公表。米退役軍人団体の批判を受け入れ、太平洋戦争全体の説明を大幅に増やした内容。
94 10 27 広島市、米スミソニアン航空宇宙博物館が原爆投下展の修正計画を発表したことに対し、展示計画書が届きしだい、被爆資料の貸与問題について被爆者らから意見を聞く場を設ける方針を固める。
94 10 28 「広島・長崎の証言の会」、米国立スミソニアン航空宇宙博物館と米上院に対し、原爆展示の内容の変更反対の緊急要請書を送付。
94 10 29? アメリカのキリスト教平和団体「パックス・クリスティUSA」など、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が軍人団体側の要求に沿って計画中の原爆特別展の展示内容を見直したことに反発、独自の原爆展の開催を検討。
94 11 06 「長崎の証言の会」、長崎市で総会を開催。政府・連立与党がまとめた被爆者援護法案に反対する要望書を首相と各政党の代表に送ることと、米国立スミソニアンン航空宇宙博物館が被爆資料の展示予定を貫くよう要請文を送ることを決める。
94 11 17 バーンシュタイン、ウィットナーなどアメリカの歴史学者ら52人、スミソニアン米航空宇宙博物館に、エノラ・ゲイ展の退役軍人会の圧力による修正企画案を元に戻すよう申し入れる書簡を発表。
94 11 21? 広島・長崎両市に、米スミソニアン航空宇宙博物館の展示台本の修正版が届く。広島分3点、長崎分5点を削除。
94 11 23 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から展示する広島原爆投下機エノラ・ゲイの胴体を、メリーランド州の同館ガーバー施設から展示場所に搬入。
94 12 03? スミソニアン協会が、原爆展示問題の説明のためハーウィト館長が広島・長崎を訪問することをストップさせていることが判明。
94 12 07 天江喜七郎外務省報道・広報審議官、スミソニアン博物館の原爆展について、日米のわがかまりが問題に発展していく可能性があれば無関心ではいられない、と広島市内の記者会見で語る。
94 12 07 米ワシントンのアメリカン大学で、スミソニアン博物館が企画している原爆投下の特別展についてのパネル討論会が開催される。約250人が参加。
94 12 15 核戦争防止国際医師の会米国支部「社会的責任のための医師の会」など17の平和団体代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示について、被爆の惨状を復活するよう要請。
94 12 21 広島市、米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について被爆者など11人から「意見を伺う会」を開催。9人が参加。
94 12 25 平岡広島市長、米国スミソニアン博物館への被爆資料の貸出に応じる考えを明らかにする。
94 12 25? 長崎の証言の会、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題で同博物館や退役軍人団体などに当初の展示計画を修正しないよう求めた緊急要請書に対する共感の返書4通を受け取る。
94 12 27 長崎市、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題で「市原爆被災資料協議会」を開く。被爆資料貸出に大半が前向き。
95 01 09 長崎県被爆者手帳友の会、拡大理事会を開催。5月に被爆50周年記念の慰霊祭の開催、2月から被爆地域是正要望地域住民の健康調査の実施、被爆資料の米国立スミソニアン航空宇宙博物館への貸出への反対などを決める。
95 01 10 平岡広島市長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展をめぐり際だってきた日米の原爆観の溝を修復するため6月頃に訪米する意向を表明。
95 01 10 本島長崎市長、米スミソニアン原爆展への被爆資料貸出に前向きな見解を表明。
95 01 18 米復員軍人協会、スミソニアン航空宇宙博物館に対し、エノラ・ゲイ展示の中止を申し入れ。
95 01 19 米下院の共和党議員2人、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示問題で、ハーウィット博物館長の辞任を要求すると言明。
95 01 25 アメリカ下院議員81人、スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展の内容を不満としてハーウィット館長の辞任を求める連名の書簡を同協会に提出。
95 01 26 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン協会の評議員に、エノラ・ゲイ展示計画批判派のサム・ジョンソン議員を指名すると発表。
95 01 26? 長崎市、2月上旬に原爆被災資料協議会を開き、スミソニアン航空宇宙博物館への被爆資料の貸出について決める方針を固める。
95 01 27 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン航空宇宙博物館の広島原爆投下機エノラ・ゲイの展示計画について、スミソニアン協会から大幅に縮小するとの話があったことを明らかにする。
95 01 27 マカリー米大統領報道官、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展についてクリントン大統領も関心を持っていると述べる。
95 01 30 アメリカの3大テレビネット、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示計画の大幅縮小についてニュースで大きく取り上げる。
95 01 30 マカリー米大統領報道官、クリントン大統領がスミソニアン協会の原爆展縮小を支持していると述べる。
95 01 30 米紙ニューヨーク・タイムズ、社説「歴史の乗っ取り」で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 01 30 スミソニアン協会、評議員会を開催。エノラ・ゲイ展示の大幅縮小を決定。
95 01 31 米紙ウォールストリート・ジャーナル、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 01 31 米紙ニューヨーク・タイムズ、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展変更を批判するバートン・バーンシュティーンの論文「書き換えられたヒロシマ」を掲載。
95 01 31 本島長崎市長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示縮小に関連し、アメリカでの独自の原爆展開催の意向を表明。
95 01 31 村山首相、米国のスミソニアン航空宇宙博物館が企画中の原爆展で広島・長崎の遺品を展示しない方針を決めたことについて「日本の国民感情からみれば残念なことだ」と述べる。
95 01 31 平岡広島市長、ヘイマン・スミソニアン協会事務局長から原爆投下展大幅縮小を伝えるファックスを受け取る。
95 01 31 平岡広島市長・原田浩原爆資料館館長、ハーウィット・米スミソニアン航空宇宙博物館館長から原爆投下展の大幅縮小に遺憾の意を示すファックスを受け取る。
95 01 31 原田広島原爆資料館長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示縮小に関連し、アメリカの新聞に意見広告の掲載などを検討したいと語る。
95 02 01 米紙クリスチャン・サイエンス・モニター、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 02 01 米紙ワシントン・ポスト、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を支持。
95 02 01 米紙ロサンゼルス・タイムズ、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を支持。
95 02 02 スミソニアン協会が原爆展示縮小問題で退役軍人協会・歴史学者・平和団体の代表などによるシンポジウムを計画していることが、広島市に入った連絡で判明。
95 02 03 長崎の証言の会、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展中止問題で、米国内での原爆展開催への意向を伝えるなどを伝える声明を同博物館や博物館の当初企画を支持したグループなど約30団体・個人に送ることを決める。
95 02 10 広島市、米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展について「意見を伺う会」を開催。市民組織と連携して「ヒロシマの心」を米国側に伝えていくことなどが提案される。
95 02 17 広島市、被爆の実態を米国民に知らせるため、原爆資料展をスミソニアン航空宇宙博物館の特別展に近い時期に米国の大学で独自に開き、平岡市長や被爆者を派遣する方針を決める。本島長崎市長、共同開催に前向きの意向を表明。
95 02 23 ヘイマン米スミソニアン協会事務局長、エノラ・ゲイの展示は当初予定の5月から6月に延期される可能性を示唆。科学者団体から「否定的な側面を強調しすぎる」と批判されていた科学関連展示コーナー「米国生活の中の科学」を変更する方針を明らか
95 03 10 米下院歳出委員会内務小委員会、スミソニアン協会の「エノラ・ゲイ」公開展示問題を取り上げる。ヘイマン同協会事務局長、展示では原爆投下正当論を採用することを明らかにする。
95 03 10 岡本三夫元日本平和学会会長、米タフツ大学で開催された米国平和研究学会第7回年次大会で講演。スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下正当論に反論。
95 03 17? 長崎の証言の会、トーマス・キルクリン米退役軍人協会会長から、国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展計画に反対したことに対する抗議文への返書を受け取る。
95 03 22 長崎平和推進協会、「平和文化市民講座」を市平和会館で開催。米コルゲート大学平和学のニジェール・ヤング教授が「スミソニアン博物館の原爆展中止をめぐって」と題して講演。
95 04 19 米スミソニアン協会とミシガン大学、同大学でシンポジウムを開催。トム・クラウチ同博物館航空部長、原爆展の意図は挫折したと語る。
95 04 23? 市民団体「ピースボート」、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が退役軍人団体の圧力で中止にした原爆展を、今夏の世界一周航海を利用した「船上展示」で実現することを決める。
95 05 02 米スミソニアン航空宇宙博物館館長マーティン・ハーウィット、辞任。原爆展に対する退役軍人協会や議会筋の圧力を受け、責任を取る。
95 05 11 米上院議事運営委員会、スミソニアン航空宇宙博物館が企画した広島原爆展に関する公聴会を開催。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの元パイロットら退役軍人5人が原爆投下の正当性を主張。
95 05 18 米上院規則小委員会、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示問題で公聴会を開催。リンゾール・ウィスコンシン大学教授、中止を批判、クラウチ航空宇宙博物館部長、原爆投下についての米国の気持ちを理解できなかったと語る。
95 06 07 日本被団協、米国スミソニアン博物館の原爆展中止を受け、被爆語り部代表団5人をアメリカに派遣。長崎被災協から三輪博志が参加。7日、ワシントン到着、8日、原爆展示を開始。
95 06 11 NHKテレビ、NHKスペシャル「アメリカの中の原爆論争-スミソニアン展示の波紋」を放映。
95 06 11? 米スミソニアン航空宇宙博物館が企画した原爆展の大幅縮小の経緯を詳細に描いた著書『スミソニアンの審判』、7月中旬に出版の予定。著者は、ジャーナリストのフィリップ・ノビーレとスミソニアン博物館の館員4人。
95 06 15 小西悟日本被団協国際委員長ら5人、スミソニアン航空宇宙博物館を訪れ、玄関前の石段に原爆犠牲者の写真を並べ黙祷。
95 06 22? 米ワシントンのスミソニアン協会航空宇宙博物館のB29「エノラ・ゲイ機」の展示予定会場にペンキがまかれていたことが判明。
95 06 27 米国立スミソニアン航空宇宙博物館、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」展を報道陣に公開。会場入り口に当初の「原爆展」の企画を誤りだったとするヘイマン・スミソニアン協会事務局長の釈明文を掲示。
95 06 27 反核・平和団体の代表ら、米ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館前で「エノラ・ゲイ」展に対する抗議行動。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館、原爆投下機エノラ・ゲイの展示を開始。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展会場で抗議行動を行った反核活動家21人が逮捕される。
95 07 04? 米科学史家でスミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示の専門家諮問委員を務めたゴールドバーグ、原爆開発に巨費を投じた責任追及を恐れて原爆を投下したとの説をまとめ発表。
95 07 10 森下弘・池田精子・原田浩、米アメリカン大学での被爆証言を終え、スミソニアン博物館で「エノラ・ゲイ」を見学。
95 07 14? アメリカの科学史家スタンリー・ゴールドバーグ(スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示専門家諮問委員を辞任)、マンハッタン計画の幹部が原爆の殺傷効果を高めるため投下直前に超強力サイレンか異常な光を利用することを計画していたことを示す
95 07 25 長崎市が昨年2月に米スミソニアン航空宇宙博物館から寄贈された記録フィルム「広島・長崎における原子爆弾の効果」の日本語版の試写会、長崎市女性センターで開催。約15人の関係者が出席。8月5日に一般公開。
95 07 31 マーティン・シャーウィン米タフツ大学教授、米歴史家でつくる「ヒロシマに関する公開論議のための歴史家委員会」の名で、ヘイマン・スミソニアン協会事務局長宛に抗議の手紙を送ったことを、広島市で明らかにする。
95 08 01 アメリカの歴史学者約200人、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展の縮小に対する抗議文をヘイマン・スミソニアン協会事務局長に提出。
95 08 06 テレビ新広島(フジテレビ系)、報道特別番組「揺らぐ太陽」をローカルで放映。スミソニアンの原爆展示の経過・背景を取り上げる。
95 09 08 シンポジウム「アジア・太平洋と戦争」をハワイ・ホノルル市で開催。米スミソニアン航空宇宙博物館・長崎市原爆資料センターなどの関係者が参加。
95 10 04? 中止となった米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展の展示説明書の邦訳が出版される。
95 10 06? フィリップ・ノビーレ、バートン・バーンスタイン、中止となった米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ展」の未公開展示台本を収録した「葬られた原爆展」の日本誤訳版が出版される。
96 01 31 「戦争と原爆展-幻のスミソニアン展、アジアから見た原爆」三次展、三次市教育会館で開催。県内の会場としては3番目。-6日。
96 06 13 米国スミソニアン航空宇宙博物館の新館長に元海軍中将のダナルド・エンゲンが就任。
96 06 28 米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展示が開幕1年を迎える。
96 09 03 ドール米共和党大統領候補、ユタ州で開催された全米在郷軍人大会で、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展に関連し、原爆投下決定を支持。
96 11 08 ハーウィット米国立スミソニアン航空宇宙博物館前館長、「原爆展拒否の真相」と題して東京大学教養部で講演。
96 12 10? マーチン・ハーウィット元米スミソニアン航空宇宙博物館館長、原爆展中止の経過を詳述した「拒絶された展示」を出版。
97 08 05 ハーウィット前米国スミソニアン航空宇宙博物館館長、広島市で開催された第4回世界平和連帯都市市長会議で講演。
97 08 05 スモーレン元アウシュビッツ館長とハーウィット元スミソニアン航空宇宙博物館長、広島市の原爆ドーム前で対面。
97 08 08? ハーウィット前米スミソニアン航空宇宙博物館館長の著書「拒絶された原爆展」の日本語版、出版。
97 08 27 広島平和文化センター、平和文化市民講座を開催。マーティン・ハーウィット前米スミソニアン航空宇宙博物館館長が「アメリカは広島・長崎への原爆投下をどう見ているのか」をテーマに講演。約300人が参加。
98 03 20 「科学技術と社会に関する国際会議組織委員会」、シンポジウムを広島国際会議場で開催。中山茂神奈川大学教授(広島の被爆者)の講演、グレッグ・ハーケン米スミソニアン博物館学芸員などによるシンポジウムなど。
98 05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。
98 07 26 石川県在住のアメリカ人劇団主宰者ウエスタハウト、スミソニアン航空宇宙博物館の依頼で原爆の子の像のモデル「サダコ」のミュージカルを作るため広島を訪れ取材。

 

年表:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の戦後

年表:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の戦後

Y M D NEWS1
45 08 06 米戦略爆撃機エノラ・ゲイ、ウラニウム爆弾(リトル・ボーイ)を広島に投下。世界初の原爆の実戦使用。
58 07 28 ロバ-ト・ルイス(広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の搭乗員)、日本での平和大会に出席するつもりはないと語る。
67 04 24 広島原爆投下機エノラ・ゲイ号の元乗員シャマード曹長(46)、自血病で死亡。米ミシガン州の退役軍人病院で。
70 08 04 毎日新聞の特派員、「エノラ・ゲイ」の元機長チベッツに電話でインタビュー。
70 08 05 「エノラ・ゲイ」のチベッツ元機長、英BBC放送のインタビューで「投下は必要だった」と語る。
70 08 06? 中国新聞特派員、「エノラ・ゲイ」の元爆撃手トーマス・W・フィアビーにインタビュー。
71 11 23 エノラ・ゲイの副操縦士ロバート・A・ルイス大尉の飛行日誌、ニューヨークの画廊で競売に付され、3万7000ドル(1332万円)で落札される。
75 08 05? 米週刊誌ピープル、広島原爆投下に出撃した「エノラ・ゲイ」のパイロットなど4人とのインタビュー記事を掲載。
75 08 09? チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長、「計画完遂に誇り」、「罪の意識はない」とAP記者に語る。
76 10 11 米の航空ショー「エアショー76」(南部民間航空協会主催)、原爆投下を再現。テキサス州ハーリンゲンで。一万八千人の観衆の前でエノラ・ゲイ機のチベッツ元機長が模擬原爆を投下
77 10 08 広島に原爆投下したB29「エノラ・ゲイ」の機長だったP.ティベッツ退役将軍、米の航空ショーでB29操縦。
78 10 12 スパークマン米上院外交委員長、第25回在郷軍人賞を元「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツに授与すると発表。
78 11 14 エノラ・ゲイの飛行日誌(ルイス副操縦士による鉛筆書き)、ニューヨークで競売に付され、8万5000ドル(約1600万円)で雑誌出版社が入手。
79 08 07? ワシントンの米国立航空宇宙博物館、エノラ・ゲイを復元して一般公開することを検討。
79 11 23 広島市の被爆者、広島へ原爆を投下したエノラ・ゲイ号の飛行日誌などを、P・ティベッツ米退役将校から入手。
79 11 28 広島市の被爆者が購入したエノラ・ゲイ号の飛行日誌など、広島に届く。
80 01 09 原爆投下ドキュメント「エノラ・ゲイ」の著者ゴードン・トーマス、来広。
80 03 20? 原爆を投下した「エノラ・ゲイ号」乗員らの証言を記録したテープ、広島市の被爆者のもとに届く。
80 06 18? 中国新聞のニューヨーク特派員、広島原爆の投下機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・チベッツにインタビュー。
80 11 26? 広島原爆投下作戦の全容を描いたテレビ番組「エノラ・ゲイ」、米国で放送される。
81 02 25 エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ、「原爆投下は悔いぬが、法王の訴えには敬意」と語る。
81 02 25 広島に原爆を投下した米空軍機「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツ、原爆投下について後悔していないと言明。
81 06 16 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長P・チベッツより広島原爆資料館長へ書簡届く。
81 06 26? 元エノラ・ゲイの関係者ら、同機を保存するよう求める運動を計画。
81 06 29? 「エノラ・ゲイ」号機長P・チベッツより、広島原爆資料館長に手紙届く。米のテレビ映画「エノラ・ゲイ」について。
81 08 03 広島原爆資料館長、「エノラ・ゲイ」号保存を進めている元機長に手紙を送付。
82 07 33 米ワシントンの国立航空宇宙博物館、シルバーヒル別館に「エノラ・ゲイ」の胴体を展示し一般公開。
82 08 06 米のニュースショー番組で、広島への原爆投下機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・チベッツと在米被爆者との対談を放送。
83 06 18 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」号の副操縦士ロバート・ルイス、死去。
83 08 06 米紙、原爆塔載機「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツの談話掲載。「原爆は、戦争のむなしさを示した。」
83 08 12 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の副繰縦士だった故ロバート・ルイス、原爆投下について悩み、キノコ雲の彫刻を創作していたことが判明。
84 07 18 米国の臨床心理学者グレン・バン・ウィロビー、来日。同博士は、エノラ・ゲイの副操縦士の心理療法に従事。
84 07 22 「84平和のための戦争展」大阪市で開催、(同展実行委主催)(29日まで)広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の副操縦士故ロバート・ルイスが制作した「キノコ雲」の彫刻展示。(8.2-8.10京都市で)。
87 08 03 米のスミソニアン国立航空宇宙博物館、原爆投下機「エノラ、ゲイ」号の原爆搭載部分を復元したと発表。
88 08 05? 広島に原爆を投下した米軍材「エノラ・ゲイ」、保存のためスミソニアン研究所で解体・修理中。
88 12 31? 広島に原爆を投下した米軍の爆撃機エノラ・ゲイ復元作業が進行中。新設の航空宇宙博物館別館に展示することを計画。
89 09 25 画家平山郁夫、米の原爆投下機「エノラ・ゲイ」号の水彩画2点を広島市に寄贈。
89 11 27 米の原爆投下機「エノラ・ゲイ」の乗組員ら(5人)、英の原爆をテーマにしたテレビ出演のため来広。原爆資料館など見学。
90 01 29 米国スミソニアン博物館、ワシントン郊外に建設される同館別館に、原爆投下機「エノラ・ゲイ」を展示するとの計画を発表。
90 02 07 広島に原爆を投下した米の爆撃機「エノラ・ゲイ」の航空日誌、競売にかけらる。偽物説が流れ、競売は不成立。
90 08 03 広大原医研横路教授・「エノラ・ゲイ」元乗員ら、スペインのテレビ局が企画した討論番組に参加し、「戦後45年間の平和」について討論。スペイン全土に放映。
90 08 14? 広島に原爆を投下した米空軍機エノラ・ゲイ号の元乗員らが、原爆投下記念グッズを販売していることが判明。元機長ポール・チベッツによる「エノラ・ゲイ号の飛行」と題する本・カップ・Tシャツなどを販売。
90 08 21 広島平和文化センター事業部長高橋昭博、エノラ・ゲイ号の元機長ポール・チベッツに「原爆グッズ」の販売中止を求める手紙を送付。
90 08 25 原爆投下機エノラ・ゲイ号の元乗員ら、米ユタ州で戦後45年の記念集会を開催(約400人参加)。戦争終結に原爆投下は必要だったとの発言が相次ぐ。世界平和を願う碑を建立し、除幕式。
90 09 11 日本被団協、エノラ・ゲイ号の元乗員らによる原爆記念グッズ販売問題で、チベッツ元機長に抗議文を送付。
90 10 22 中国新聞社、広島に原爆を投下した米軍機エノラ・ゲイ号の航空日誌の写真コピーを入手。
92 08 31 ワイアット・デューゼンバリ(エノラ・ゲイの航空機関士)、死亡。
93 01 29? 佐世保市の末次昌子、広島での入市被爆の体験などを詠んだ歌集「エノラ・ゲイ航空日誌」を出版。
93 08 02 クリントン米大統領、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイを展示する博物館をワシントン郊外のダレス空港近くに建設する法律に署名。
94 03 30? 米国の退役軍人ら、スミソニアン協会のエノラ・ゲイ機と被爆資料の同時展示に猛反発。
94 07 31? アメリカの作家ゴードン・トマス、広島への原爆投下機エノラ・ゲイの元乗組員の証言の録音テープの買い手を募る。
94 08 10 24人の米下院議員がスミソニアン宇宙航空博物館のエノラゲイ展示計画に、原爆被害を強調し過ぎているとの抗議の書簡を出していたことが判明。
94 08 17 ルイス米下院議員、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ展示計画の変更を求める声明を発表。
94 08 18 スミソニアン博物館が「エノラ・ゲイ」展示で米下院議員に意向を配慮するとの返答を出していたことが判明。
94 09 19 ナンシー・カッセボム米上院議員、スミソニアン航空宇宙博物館が予定しているエノラ・ゲイ展示は、バランスを欠き侮辱的だとして計画変更を求める決議案を提出。
94 09 23 米上院本会議、エノラ・ゲイ機の展示を計画しているスミソニアン航空宇宙博物館に対して「米国人の思い出を非難することになるのを避けるべきだ」として展示内容の変更を求める決議を満場一致で可決。
94 09 27 スミソニアン航空宇宙博物館が計画しているエノラ・ゲイ展示問題で米下院に計画の修正を求める決議案が提出されていることが判明。
94 09 29 米紙ワシントン・ポスト、スミソニアン航空宇宙博物館が、全米退役軍人協会からのエノラ・ゲイ展示への抗議に対する譲歩として、被爆時計の展示中止など展示内容の変更を決めたと報道。
94 10 20 米スミソニアン航空宇宙博物館、エノラ・ゲイの展示をめぐる退役軍人らの批判を入れ、「感情に訴えるような(被爆状況の)写真や遺品」は展示から除き、太平洋戦争の経過に関する展示は増やすなどの修正計画の概要を公表。
94 10 20? 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展に関連し、ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長に、「ヒロシマの心」を伝える手紙を発送。
94 10 26 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から予定している広島原爆投下爆撃機エノラ・ゲイの詳細な展示計画書(約450頁)を公表。米退役軍人団体の批判を受け入れ、太平洋戦争全体の説明を大幅に増やした内容。
94 11 01 栗山駐米大使、記者会見で、エノラ・ゲイの展示計画問題について、大使館が注文を付ける筋合いのものではないと語る。
94 11 17 バーンシュタイン、ウィットナーなどアメリカの歴史学者ら52人、スミソニアン米航空宇宙博物館に、エノラ・ゲイ展の退役軍人会の圧力による修正企画案を元に戻すよう申し入れる書簡を発表。
94 11 23 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から展示する広島原爆投下機エノラ・ゲイの胴体を、メリーランド州の同館ガーバー施設から展示場所に搬入。
94 12 15 核戦争防止国際医師の会米国支部「社会的責任のための医師の会」など17の平和団体代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示について、被爆の惨状を復活するよう要請。
95 01 18 米復員軍人協会、スミソニアン航空宇宙博物館に対し、エノラ・ゲイ展示の中止を申し入れ。
95 01 19 米下院の共和党議員2人、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示問題で、ハーウィット博物館長の辞任を要求すると言明。
95 01 26 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン協会の評議員に、エノラ・ゲイ展示計画批判派のサム・ジョンソン議員を指名すると発表。
95 01 27 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン航空宇宙博物館の広島原爆投下機エノラ・ゲイの展示計画について、スミソニアン協会から大幅に縮小するとの話があったことを明らかにする。
95 01 30 スミソニアン協会、評議員会を開催。エノラ・ゲイ展示の大幅縮小を決定。
95 01 30 アメリカの3大テレビネット、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示計画の大幅縮小についてニュースで大きく取り上げる。
95 02 23 ヘイマン米スミソニアン協会事務局長、エノラ・ゲイの展示は当初予定の5月から6月に延期される可能性を示唆。科学者団体から「否定的な側面を強調しすぎる」と批判されていた科学関連展示コーナー「米国生活の中の科学」を変更する方針を明らか
95 03 10 米下院歳出委員会内務小委員会、スミソニアン協会の「エノラ・ゲイ」公開展示問題を取り上げる。ヘイマン同協会事務局長、展示では原爆投下正当論を採用することを明らかにする。
95 05 11 米上院議事運営委員会、スミソニアン航空宇宙博物館が企画した広島原爆展に関する公聴会を開催。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの元パイロットら退役軍人5人が原爆投下の正当性を主張。
95 06 03 広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの乗員ボブ・キャロン、死亡。
95 06 22 米国自治領北マリアナ諸島連邦の「北マリアナ記念委員会」、8月6日にエノラ・ゲイの航跡を辿りながら広島を目指す「平和飛行」計画を発表。
95 06 22? 米ワシントンのスミソニアン協会航空宇宙博物館のB29「エノラ・ゲイ機」の展示予定会場にペンキがまかれていたことが判明。
95 06 27 米国立スミソニアン航空宇宙博物館、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」展を報道陣に公開。会場入り口に当初の「原爆展」の企画を誤りだったとするヘイマン・スミソニアン協会事務局長の釈明文を掲示。
95 06 27 反核・平和団体の代表ら、米ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館前で「エノラ・ゲイ」展に対する抗議行動。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館、原爆投下機エノラ・ゲイの展示を開始。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展会場で抗議行動を行った反核活動家21人が逮捕される。
95 07 02 B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元機長チベッツ、米オハイオ州の地元紙のインタビューで、広島への出撃は仕事である義務であったと語る。
95 07 10 森下弘・池田精子・原田浩、米アメリカン大学での被爆証言を終え、スミソニアン博物館で「エノラ・ゲイ」を見学。
95 07 17 全米鉄鋼労組(USWA)の500人、日本のタイヤ最大手ブリジストンの米現地子会社の労使紛争に関連し、「エノラ・ゲイをもう一度」などのプラカードを掲げてワシントンの日本大使館前でデモ。
95 07 31 広島テレビ、原爆に関する米国の学校教育を取材した「原爆を落とした国は-エノラ・ゲイと消されたヒロシマ」を放映。
95 07 31 広島テレビ(日本テレビ系)、「ドキュメント95-原爆を投下した国は・・・エノラ・ゲイと消されたヒロシマ」をネット放送。(午前0時15分-1時10分)
95 08 03 ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長、米CNNテレビのインタビューに答え、原爆投下を後悔せずと語る。
95 08 06 米原爆投下機エノラ・ゲイの元爆撃手トム・フェアビー、「原爆投下を遺憾に思う」と語る。
95 08 06 北マリアナ連邦テニアン島・テニアン市のハーマン・マングローナ市長、広島市の平和記念式典に参列。同島は、「エノラ・ゲイ」が飛び立った島。
95 08 06? エノラ・ゲイの副操縦士ロバート・ルイスの航空日誌がニューヨークのフォーブス博物館に展示されていることが判明。昨年6月から。
95 08 07 ポール・チベッツら元米第509爆撃混成団の元隊員、米ニューメキシコ州アルバカーキで記者会見。原爆投下について「悔いなし」と語る。(「エノラ・ゲイ」)
95 09 22 ティベッツ元米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」機長、ワシントンでの講演で、女性や子どもたちを殺す意図は無かったと語る。
95 10 06? フィリップ・ノビーレ、バートン・バーンスタイン、中止となった米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ展」の未公開展示台本を収録した「葬られた原爆展」の日本誤訳版が出版される。
96 04 06 広島県・甲山防空監視哨保存会、同哨跡で記念石碑の除幕式を挙行。約40人が参列。同哨は、「エノラ・ゲイ」の襲来を通報。
96 06 08 戦時中、広島県尾道防空監視隊・甲山防空監視哨副哨長だった寺地文人、原爆搭載機「エノラ・ゲイ」の上空通過の報を受信した基地に勤務していた女性を訪問。
96 06 28 米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展示が開幕1年を迎える。
96 07 20 米原爆投下機エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ、アメリカ国立航空殿堂入り。
96 08 06? 広島原爆投下機エノラ・ゲイが長崎にも飛来していたことが米軍資料で明らかになる。
96 09 03 ドール米共和党大統領候補、ユタ州で開催された全米在郷軍人大会で、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展に関連し、原爆投下決定を支持。
97 04 05? ティベッツらエノラ・ゲイの元乗員4人、ユマの米海兵隊基地で、原爆投下を正当化する発言を行う。
98 04 15 米国の劇作家クリス・ハードマン、広島平和文化センターを訪れ、原爆をテーマにした空間芸術の自作「独りぼっちのエノラ・ゲイ」を収録したビデオを寄贈。
98 05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。

 

スミソニアン特別展計画中止についての広島市長コメント

スミソニアン協会特別展計画中止についての広島市長コメント(1995年1月31日)
[広島市資料]
スミソニアン航空宇宙博物館が当初の意図に反して、特別展の規模を縮小し≪米国戦勝50年≫一色に修正したことは、極めて遺憾である。
世界がなお、核の脅威にさらされている今日、戦勝国の論理で原爆を投下した工ノラ・ゲイ号を展示する時代ではない。
広島・長崎両市には、今回の被爆資料貸し出しによって米国を責め、非難する意図はまったくなかった。ただ、核兵器がもたらした残虐な実態を米国の人々に知ってもらうことによって、核兵器のない世界を築く世論を高めたい、と願っていただけに、残念さは一層強い。
広島市としては、今回のスミソニアン側の決定とは関係なく、≪被爆50年≫にあたって米国で討論の場を設けるなど、独自な催しを展開することによって、米国民に核兵器廃絶にかけるヒロシマの思いを訴えかけていくつもりである。
平成7年1月31日
広島市長 平岡 敬

スミソニアン「原爆展」計画をめぐる8名のアメリカ研究者グループの館長あて申入書

スミソニアン航空宇宙博物館「原爆展」計画をめぐって8名のアメリカ研究者グループの申入書
1994年11月17日
あて先:国立航空宇宙博物館館長 マーティン・ハーウィット
差出人:バートン・バーンスタイン、ケイ・バード、キャロル・ガラハー、ジョゼフ・ガースン、ロバート・J・リフトン、グレッグ・ミッチェル、ロバート・ミュージル、ローレンス・S・ウィットナー
「終幕:原爆と第二次世界大戦終結」展に関する勧告
1)原爆使用および、それが第二次世界大戦終結に必要であったがどうかに関する50年間にわたる論争を明確にふまえること。

2)原爆投下以前に日本は敗北に近づいていたことの証拠を認めること。
3)原爆使用について留保を示した歴史的人物たちの重要な発言を含めること。
4)日本への焼夷弾爆弾がもたらした破壊に関して正確な評価を取り入れること。
5)広島とそこに居住する市民を標的とすることは正当であり主に軍事的な目的があったという印象を修正すること。
6)アメリカが日本に侵攻した場合に予想されたアメリカ人死傷者に関する記述を修正すること。
7)日系アメリカ人の強制収容所について明記すること。
8)第400セクション「グランド・ゼロ」から削除された部分を復活させること。
9)被爆者の扱いを修正すること。
10)原爆投下に対して当時まき起こった宗教的、道徳的、政治的な反対運動に関する歴史的な記録を盛り込むこと。
11)原爆投下が後世に残した事柄について適切な扱いを行うこと(第500セクション)
出典:原水爆禁止日本協議会『国際情報資料1』(1994年12月28日)

スミソニアン特別展に関する米国上院議長あて広島市長書簡

スミソニアン協会特別展に関する米国上院決議につき上院議長あて広島市長書簡(1994年10月20日)
[広島市資料]
米国上院議長
アルバート・ゴア様
拝啓 時下益々御清祥のことと存じあげます。
この度、私たちは、アメリカ合衆州国上院が来年5月から開催が予定されているスミソニアン協会・国立航空宇宙博物館の展示会「最後の幕:原爆と第2次世界大戦の終結」に関し、「原爆を投下したエノラ・ゲイは第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。展示が、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。」との決議を満場一致で採択したことを知りました。
私たち広島市民は、原爆投下を肯定し、ひいては戦争を正当化するこのような考え方に強い怒りと悲しみを感ぜざるを得ません。いずれの国の国民も決して核兵器や戦争は求めていないと確信しているからです。戦後50年を経て、私たちが成すべきことは、歴史に学ぶ視点を持ち、全人類の共存と繁栄を願い、その実現に向けて努力することであります。
私たちは過去の戦争の是非を議論するのではなく、いかにして核兵器が存在する時代の戦争をなくすべきかを議論することに意義があると考えております。そのためには、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実態を世界の人々が知り、核兵器の持つ非人道性を認識することが大切です。
核時代に生きていることを身をもって知っている私たちは、その最初の体験を世界の人々に知って欲しいと思っております。この展示会が、私たちの意図を汲み取り、よりよき未来社会の形成に向けて、大きな役割を果たされんことを切望しております。
敬具
1994年10月20日
広島市長 平岡 敬

スミソニアン原爆展に関する決議(アメリカ合衆国上院)

アメリカ合衆国上院
スミソニアン原爆展に関する決議
1994年9月23日
アメリカ合衆国上院決議
来る国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示におけるアメリカ軍兵士の適切な記述に関して、上院の意見を表明する。
一.エノラ・ゲイは、第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。
一.国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示の現在の企画書は、修正主義的で、多くの従軍兵士にとって侮辱的である。
一.連邦法は、「スミソニアン協会は、アメリカ合衆国における、自由で、平和で、独立した社会及び文化を、創造し、発展させ、維持するために、アメリカ軍によってなされた貢献を記念し、展示するものである。」と謳っている。
一.連邦法は、「アメリカ軍兵士の勇気ある行為、献身的な軍務は、アメリカの現在、未来の世代への鼓吹として、描かれるべきである。」とも、謳っている。
一.国立航空宇宙博物館は、交戦におけるアメリカの役割を記念するため、連邦法のもとに、時代の適切な文脈で、歴史を記述する義務をもっている。
従って、ここに、次のとおり上院の意見を決議する。
エノラ・ゲイに関する国立航空宇宙博物館による展示はすべて、第2次世界大戦中、忠実に、無私にアメリカ合衆国に仕えた兵士に対して、適切な記述をすべきであり、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。

栗原貞子

くりはら ・さだこ 19130304生20050306没 享年92
詩人・歌人・評論家。『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)。広島原水禁常任理事 http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0505_1.htm

著書

書名 出版社 出版年月日
黒い卵 詩歌集 中国文化発行所 19460830
私は広島を証言する-栗原貞子詩集 詩集刊行の会 19670715
どきゅめんと・ヒロシマ24年-現代の救済 社会新報 19700420
詩集 ヒロシマ・未来風景 詩集刊行の会 19740330
ヒロシマの原風景を抱いて 未来社 19750731
ヒロシマというとき 三一書房 1976
核・天皇・被爆者 三一書房 19780715
未来はここから始まる-ヒロシマ詩集 詩集刊行の会 19790401
反核詩集 核時代の童話 詩集刊行の会 19820321
核時代に生きる-ヒロシマ・死の中の生 三一書房 19820815
黒い卵 占領下検閲と反戦・原爆詩歌集(完全版) 人文書院 19830720
栗原貞子詩集 土曜美術社 19840715
詩と画で語りつぐ 反核詩画集 ヒロシマ 詩集刊行の会 19850315
栗原貞子詩、吉野誠画
反核詩集-核なき明日への祈りをこめて 詩集刊行の会 19900731
問われるヒロシマ 三一書房 19920630
栗原貞子詩集 忘れじのヒロシマわが悼みうた 詩集刊行の会 19970630

資料

 資料
『栗原唯一追悼 平和憲法の光りをかかげて』(栗原貞子編、詩集刊行の会刊、19801115)
栗原貞子「文明の野蛮を憂う」(『朝日新聞 論壇』1995.8.4)
 事項
 谷本清平和賞(第3回 1990年)受賞
 栗原貞子生誕100年記念展示(広島市立中央図書館、2013)