『放射線影響研究の十年』(文部省科学研究費」(総合)「放射線の影響」研究班、1965年3月)
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| 前篇(時代別) |
| 田島英三、渡辺漸、桧山義夫、田島英三 |
| 後篇(分野別) |
| 山崎文男、三宅泰雄、田島弥太郎、桧山義夫、宮川正 |
| はしがき |
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『放射線影響研究の十年』(文部省科学研究費」(総合)「放射線の影響」研究班、1965年3月)
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| 前篇(時代別) |
| 田島英三、渡辺漸、桧山義夫、田島英三 |
| 後篇(分野別) |
| 山崎文男、三宅泰雄、田島弥太郎、桧山義夫、宮川正 |
| はしがき |
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議事要録 (第11回原水爆禁止世界大会)1965年
| 頁 | 見出し | 備考 |
| 〔付・アカハタ報道〕 | ||
| 議事要録[1] | ||
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| 01 | 国際会議第1日(7月27日) | |
| 会場:東京都・プリンス・ホテル | ||
| 01 | 開会のことば(吉田嘉清事務局長) | |
| 02 | 歓迎のことば(細井友晋代表委員) | |
| 02 | 海外代表の入国闘争報告と提案(高橋甫運営委員) | |
| 03 | 日本原水協の基調報告(畑中政春代表委員) | |
| 08 | 特別報告 | |
| 12 | 渡辺千恵子さん(被爆者代表) | |
| 13 | 各国・各国際団体代表演説 | |
| 21 | 7・27統一行動中央集会 | |
| 日比谷野外音楽堂 | ||
| 22 | 国際会議第2日(7月28日) | |
| 会場:東京都・プリンス・ホテル | ||
| 海外代表演説 | ||
| 40 | 運営委員会からの報告と提案(本田良介運営委員) | |
| 41 | 国際会議スナップ | |
| (7月28日)第11回原水禁世界大会外国代表にきく | アカハタ | |
| 42 | 国際会議第3日(7月29日) | |
| 会場:東京都・プリンス・ホテル | ||
| 42 | 各国代表演説 | |
| 56 | 自由討議 | |
| (7月29日)ベトナム民主共和国平和委員会代表団ファン・ホン団長の特別報告 | アカハタ | |
| 62 | 国際会議第4日(7月30日) | |
| 会場:東京都・プリンス・ホテル | ||
| 67 | 国際共同行動の強化に関する決議 | |
| 72 | アメリカ帝国主義のベトナム侵略を糾弾し、ベトナム人民の闘争を支援し、連帯を強化する決議 | |
| 73 | 声明 | |
| 75 | 国際会議役員名簿 | |
| 76 | 各国・各国際団体代表名簿 | |
| (7月30日) 米代表の発言捻じ曲げる朝日新聞 | アカハタ | |
| 議事要録[2] | ||
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| 2 | 集中平和行進 東京(7月31日) | |
| 4 | 第11回原水禁世界大会総会全体会議 京都(7月31日、2会場) | |
| 東京都体育館会場 | ||
| 14 | 中花田勝治(広島原水協)被爆者の特別報告 | |
| 大田区体育館会場 | ||
| (7月31日)各国首脳のメッセージ | ||
| 27 | 各分散会の討論のまとめ(8月1日)47会場 | |
| ・・ | ||
| 71 | 第74分散会 | |
| (8月1日)ベトナム侵略支持を強要 米帝国主義の代理人ーAFL・CIO幹部 | アカハタ | |
| (8月1日)全体会議開く | アカハタ | |
| (8月1日)各国代表の発言 | アカハタ | |
| (8月1日)日本代表団の報告 | アカハタ | |
| (8月1日)オーストラリア代表 | アカハタ | |
| 72 | 各階層別協議会の討議(8月2日)14会場 | |
| 72 | 労働者協議会(A) | |
| 76 | 労働者協議会(B) | |
| 81 | 婦人 協議会 | |
| 84 | 青年 協議会 | |
| 86 | 学生 協議会 | |
| 89 | 高校生 協議会 | |
| 90 | 農漁民 協議会 | |
| 91 | 商工業者協議会 | |
| 93 | 被爆者 協議会 | |
| 96 | 科学者 協議会 | |
| 100 | 宗教者協議会 | |
| 103 | 文化・芸術 協議会 | |
| 105 | 勤労市民協議会 | |
| 107 | 沖縄・小笠原返還要求特別集会 | |
| 113 | 総会全体会議・閉会(8月2日)東京・小石川サッカー場 | |
| (8月2日)国際会議を終って | アカハタ | |
| (8月2日)国際会議の声明 | アカハタ | |
| (8月3日)朝日新聞の原水禁大会記事に批判の声 | アカハタ | |
| (8月3日)国際会議各国代表の発言<南西アフリカ、アメリカ、西ドイツ、仏領ギニア、ニュージーランド、ペルー、アンゴラ、> | アカハタ | |
| (8月4日)各国代表の発言<イタリア、アジア経済セミナー、スウェーデン、チャド、ポルトガル、スペイン、イギリス、エクアドル、象牙海岸、ケニア、ブラジル、> | アカハタ | |
| (8月5日)久保山すずさんのメッセージ | アカハタ | |
| (8月5日)第11回原水爆禁止世界大会科学者協議会「全国の科学者に訴える」19650802 | アカハタ | |
| 123 | 広島大会(8月6日)本川小学校校庭 | |
| (8月7日)被爆者とともに広島から訴えます | アカハタ | |
| 134 | 長崎大会(8月8日)大橋球場 | |
| (8月19日)各国代表の発言<バチュアナランド、ニジェール、コンゴ(レオポルドビル)、アルバニア、アジア・アフリカ人民連帯機構常設書記局、スーダン、ナイジェリア、> | アカハタ | |
| 148 | 大会に寄せられた主なメッセージ | |
| 151 | 大会で採択された決議と報告 | |
| (9月29日)第11回原水爆禁止世界大会の総括 | アカハタ | |
| 議事要録目次 | ||
海外代表参加者名簿
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新聞論調反核1965
| 月日 | 紙名 | 著者・「見出し」など | 備考 |
| 0109 | 中国 新聞 | 青ポスト 若い世代と平和 | |
| 青ポスト=投書 | |||
| 0112 | 中国 新聞 | 市政レポート 成人式と青年運動 | |
| 広島 ここにも原爆の傷 | |||
| 0113 | 中国 新聞 | 青ポスト 消防団員の被爆証明 | |
| 0117 | 朝日新聞 | 世界の鼓動 欧州核戦略の現実 | |
| 0122 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆証明は町名明記 | |
| 0129 | 中国 新聞 | 青ポスト お役所仕事に疑問 | |
| 0129 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆者救援の実態 | |
| 0304 | 中国 新聞 | 書評 「アメリカの英雄」(いいだ・もも著) | |
| 0310 | 中国 新聞 | 森滝市郎「シェルフ博士をいのぶ」 | |
| 0310 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆は過去か未来か | |
| 0316 | 中国 新聞(夕刊) | いやほん 原爆碑にもうでて | |
| いやほん=夕刊投書 | |||
| 0419 | 中国 新聞 | 被爆20年 ヒロシマは忘れない その「遺産」を見守る作家 | |
| エッセー 大江健三郎「ヒロシマ・ノート」 | |||
| 小説 いいだ・もも「アメリカの英雄」 | |||
| 映画 黒木和雄「とべない沈黙」 | |||
| 今井正「かあさんと呼べた」 | |||
| 演劇 宮本研「ザ・パイロット」 | |||
| 0422 | 中国 新聞 | 青ポスト 原爆でも銃弾でも | |
| 0422 | 中国 新聞(夕刊) | 風紋 平和ボケ | |
| 風紋=夕刊コラム | |||
| 0423 | 中国 新聞 | 田辺耕一郎「ベトナム戦争と平和運動」 | |
| 広島市原水協常任理事 | |||
| 0425 | 中国 新聞 | 青ポスト 悲願の鐘のトビラ | |
| 0512 | 中国 新聞 | 原田東岷「沖縄で原爆被爆者を健診」 | |
| 0515 | 朝日新聞 | 本社記者座談会 2回目の中国核実験 | |
| 0524 | 中国 新聞 | 青ポスト まず被爆者の団結を | |
| 0525 | 中国 新聞(夕刊) | いやほん 市当局へ三つの疑問 | |
| 0527 | 中国 新聞 | 青ポスト 広島人に理解できぬ | |
| 0601 | 朝日新聞(夕刊) | 大江健三郎「『原爆体験記』に思う(上)―配布禁止書の出版にあたって」 | |
| **** | 大江健三郎「『原爆体験記』に思う(下)―被爆者同士の救助」 | ||
| 0605 | 中国 新聞 | 田坂戒三「原爆被害補償の法制化を―原爆は国際法に違反する」 | |
| 広島弁護士会原爆対策特別委員会会長 | |||
| 0609 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆義勇隊員の援護 | |
| 0613 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆者白書を早く | |
| 0613 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆義勇隊員に答え | |
| 0616 | 中国 新聞 | 青ポスト うらやましい病院 | |
| 0617 | 中国 新聞 | 青ポスト 拝啓-永山自治大臣殿 | |
| 0619 | 中国 新聞 | 青ポスト 生体解剖も考えよう | |
| 0622 | 中国 新聞 | 原爆おとめにやっと”春” 晴れてゴールイン 花嫁探しの日系二世と | |
| 0622 | 中国 新聞 | 青ポスト 一日も早く援護を | |
| 0624 | 中国 新聞 | 青ポスト ”生体解剖”を読んで | |
| 0626 | 中国 新聞 | 田丸久夫(広島県松永警察署長)「私の秘けつ」 | |
| 朝日新聞(夕刊) | 風紋 原爆歌人の死 | ||
| 0629 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆児の母として | |
| 0630 | 中国 新聞 | 青ポスト 生体解剖より生活を | |
| 0701 | 中国 新聞 | ようこそ 大浜信泉(のぶもと)氏(早稲田大学総長)「平和運動乱す政治 ”人類”の純粋さに戻れ」 | |
| 0703 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0710 | 朝日新聞 | 『原水爆白書』へ高まる要求 ”権威ある資料を” 学者・文化人が具体的構想 政府も秋に被爆者調査 | |
| 0719 | 朝日新聞 | 社説 原水禁中国代表の入国許可 | |
| 0720 | 朝日新聞 | 都内に住む原爆被災者 ”傷跡”生々しい4018人 | |
| 0720 | 朝日新聞 | 被爆20年目を迎えた二つの原水禁大会 焦点はベトナム ソ連系代表、出席に慎重 | |
| 0724 | 中国 新聞 | ニュース世界図 200回記念特集 | |
| どこまで届いたヒロシマの悲願 | |||
| 0727 | 朝日新聞 | 社説 原水禁運動は再出発を | |
| 0729 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0728 | アカハタ | 連載 被爆者はたたかっている 被爆20周年を迎える広島と長崎(1)~ | ~0807(10) |
| 0731 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0731 | 中国 新聞(夕刊) | 『ヒロシマ』の写真を4万枚 20年撮影し続けた佐々木さん 廃墟・復興ありあり 肉親13人の死で決意 供養に出版したい | |
| 0801 | 中国 新聞 | 青ポスト 原爆資料館と市民球場の間 | |
| 0802 | 中国 新聞 | 読書 8月6日をめぐる本 20年後にえがかれた実存ヒロシマ | |
| 0802 | 中国 新聞(夕刊) | 好核武装 | |
| 0803 | 中国 新聞 | 原爆への怒りと平和への悲願 この20年 ステージ 映画 | |
| 0803 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 中国 新聞(夕刊) | 風紋 生きのびて | ||
| 0804 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆避難者の遺骨 中島小学校吉島分室の生存者へ | |
| 0804 | 朝日新聞 | 「ヒロシマ」の歩み ”原爆記者”の手帳から | |
| 0805 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0806 | 朝日新聞 | 社説 原爆記念日に思うこと | |
| 0806 | 中国 新聞 | 小西ノブ子「追憶の記」 | |
| 0806 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0806 | 中国 新聞(夕刊) | ニュースの主役 浜井信三 被爆20周年平和記念式典を主催する広島市長 | |
| 0807 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 中国 新聞 | 青ポスト 暗すぎる平和公園 所期の目的に戻れ | ||
| 0807 | 中国 新聞(夕刊) | ひろしまの宿 女優望月優子 大江氏の原爆観に共鳴 ”母親”役に気概と自信 | |
| 0808 | 朝日新聞 | おとうさんがいない 原爆で身内を失って | |
| 0808 | 中国 新聞 | 大原博夫(元広島県医師会長、前広島県知事)「原爆直後のこと 医師の献身的な活動」 | |
| 0808 | 中国 新聞 | きょうのスナップ 作家井上光晴氏 被爆者の差別追及 進歩的ポーズを批判 | |
| 0809 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0809 | 中国 新聞 | 青ポスト 原爆短歌 | |
| 0809 | 中国 新聞(夕刊) | 風紋 長崎の日に思う | |
| 0810 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0811 | 中国 新聞 | 青ポスト 完全医療を一日も早く 平和公園の照明度 | |
| 0812 | 中国 新聞 | 岩崎昶「原爆 悪夢からの脱出 『持つこと』と『使うこと』」 | |
| 0813 | 朝日新聞 | 本社記者座談会 原水禁各大会を終って | |
| 0815 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0816 | 中国 新聞 | 原水禁運動の反省と展望 | |
| 中島健蔵(原水協、評論家) | |||
| 末次一郎(核禁会議系、日本健青会会長) | |||
| 日高六郎(原水禁系、東大教授) | |||
| 0816 | 中国 新聞 | ことしの原水禁大会 三つの大会を振り返る | |
| 0820 | 中国 新聞 | 灯浮標 野地潤家「夏の花」 | |
| 0821 | 中国 新聞 | 三木利英「大クレゴリウスの回心 平和運動の再出発のために」 | |
| 0821 | 中国 新聞 | 大野允子さん 原爆長編童話「海に立つにじ」を出版した | |
| 0822 | 中国 新聞 | ドームによせて(10) 秋島芳恵「光が地上を射すのは」 | |
| 0823 | 中国 新聞(夕刊) | いやほん 八・六集会の跡始末 | |
| 0824 | 中国 新聞 | 読書 「海に立つにじ」大野允子著 | |
| 0828 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 0903 | 中国 新聞 | 三好英夫「原爆症治療への試み」 | |
| 0904 | 中国 新聞 | <ラテ欄>作業中ひろしまの歌 原爆症宣告されヤケ 殺人のむすこに悩む母親 | |
| 0906 | 中国 新聞 | 宍戸(共同通信社)「シュバイツァー博士 ランパネレ訪問の思い出」 | |
| 0906 | 中国 新聞(夕刊) | 風紋 魂の師 | |
| 0910 | 中国 新聞 | 青ポスト 広島市歌作詞者としての反省 | |
| 0911 | 中国 新聞 | 明窓 八月六日の恐怖 | |
| 0914 | 中国 新聞 | この人この本 「失意の虹」大木惇夫氏 | |
| 0916 | 中国 新聞 | 青ポスト 原爆体験記を読んで | |
| 0920 | 中国 新聞 | こだま 新聞協会賞と原爆 | |
| 1002 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 1004 | 中国 新聞 | 丸木位里画伯 墨絵の未来を切り開く 「原爆の図」で国際画壇に | |
| 1010 | 中国 新聞 | 青ポスト 広島憩の家の利用 | |
| 1013 | 中国 新聞 | 青ポスト 「広島憩いの家」についてお答え | |
| 1020 | 中国 新聞 | 今日から新聞週間 新聞の勇気が守る世界の平和 新聞週間代表標語 | |
| 1020 | 中国 新聞(夕刊) | 本紙(原爆報道)協会賞を受賞 第18回新聞大会ひらく | |
| 1021 | 中国 新聞 | 新聞協会賞受賞記念座談会 20年目の日本―戦争と平和を考える― | |
| 出席者:猪木政道、桑原武夫、高橋和巳 | |||
| 本社側:森脇編集局長、平岡編集委員 | |||
| 1021 | 中国 新聞(夕刊) | 風紋 被爆者援護法の推進 | |
| 1023 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 1023 | 中国 新聞 | この人この本 坂田稔・伊東壮「大正文化」 | |
| 1024 | 中国 新聞 | どうなる戦後処理法 広島平和都市兼摂法旧軍港市転換法 | |
| 1024 | 中国 新聞 | 青ポスト 原爆死亡者の調査を | |
| 1026 | 中国 新聞 | 青ポスト 平和公園前の戦車 天獏慰霊碑と自衛隊 | |
| 1027 | 中国 新聞 | 青ポスト 観閲行進に大賛成 平和の誓いにそむく | |
| 1027 | 中国 新聞(夕刊) | 回想 | |
| 1029 | 中国 新聞 | ぺんだこ 余震続く平和公園問題 | |
| 1030 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆手帳は何のため 被爆者にも法の壁 | |
| 1111 | 中国 新聞 | 青ポスト 被爆者手帳と被爆者援護についてお答え | |
| 1116 | 中国 新聞 | 原爆小頭症の娘さん ”短い生涯”終える 20年の闘病の末 小頭症コロニー造れ | |
| 1123 | 中国 新聞 | NHKTV28日放送「耳鳴り」 原爆のむごさ訴える 広島一主婦の記録 | |
| 1203 | 中国 新聞 | この人この本 憂鬱なる党派 戦後の青春と対決 広島の生と死を起点に | |
| 1211 | 中国 新聞 | 天風録 | |
| 1221 | 中国 新聞 | 連載 在日朝鮮人(14 おわり) | |
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被爆20周年原爆死没者慰霊祭趣意書
| 広島県被団協 |
| 森滝市郎(広島県原爆被害者団体協議会理事長)・桧垣益人(事務局長) |
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| 日本被団協 |
| 森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長) |
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『「被爆者実態調査」に対する日本被団協の要望』(森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)、1965年3月)
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| 調査対象:未登録被爆者、沖縄在住被爆者 |
| 全被爆者調査 |
| ABCC調査資料 |
| 発病被爆者の医療上・生活上の環境 |
| 医療上の予防措置、生活上の保障 |
| 発病・体力低下・身体障害 |
| 就職・就労・結婚・進学 |
| 家族構成、母子家庭、孤老、孤児 |
| 就業、就労、収入、支出 |
| 根治療法研究状況 |
| 各地の健診、治療期間 |
| 被爆二世、被爆者の生殖機能 |
| 意思による健康状態調査 |
| 被爆直後から被爆者と接触した家族への影響 |
| 特別被爆者・一般被爆者区分の適否 |
| 調査の立案・実施・集約の各段階での被爆者・学識経験者の意見反映 |
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| 要望事項 一、この調査対象に、未登録被爆者、沖縄在住被爆者が含まれるよう、あらゆる方法を適用して下さい。未登録を含め被爆者実数を把握して下さい。 一、健康・生活両面について、全被爆者の全数調査を行って下さい。健康調査については十分の一描出ということが伝えられていますが、この調査を完全なものにするためにも、またこの調査を機に個々の被爆者の精密な医学検査が行われるためにも、全数調査をして下さい。 一、今後の医学的研究のためにも、ABCCの調査資料等も活用し、原爆障害死亡者の数、死因等について、できる限り性格に把握して下さい。その遺族の生活実態を把握して下さい。 一、現に発病している被爆者が、安心して療養できるような医療上・生活上の環境におかれているか否かを調査して下さい。 一、被爆者が発病をくいとめ健康を維持して社会生活を営む上で、医療上の予防措置、生活上の保障は充分か否かを調査して下さい。 一、現に発病しているか、体力(=従って労働力)が低下しているか、あるいは身体障害を有するか、いずれかに該当する被爆者およびその家族の、経済生活、社会生活の実態を調査して下さい。 一、被爆ということが、就職、就労、結婚、進学等、被爆者の社会生活にどういう影響を与えているかを調査して下さい。 一、被爆ということが、家族構成にどういう影響を与えているかを調査して下さい。その中で母子家庭、孤老、孤児等の生活実態を把握して下さい。 一、被爆者の就業、就職、収入、支出の状況を調査して下さい。被爆者の就業、就職している生業について、その業種、業態、収入等の特徴を把握して下さい。 一、被爆者に特徴的な病気を調査して、それに対する根治療法研究の状況を把握して下さい。 一、被爆者の検診、治療について、各地の検診、治療機関は充実しているか、被爆者が利用し易いか、利用上の障害は何か、被爆者がどういう不満と要求をもっているかを把握して下さい。 一、医学上の問題として特に被爆者二世に対する原爆障害の遺伝的影響、被爆者の生殖機能等の問題について調査して下さい。 一、健康状態の調査については、自覚症状等のききとり調査にとどまらず、医師による検査を行って下さい。 一、医療法第二条第三号に定める被爆者について、例えば被爆直後から被爆者と接触した家族への影響の問題等を調査して下さい。 一、特別被爆者、一般彼爆者の現行法規による区分が適当か否かを調査して下さい。 一、この調査の立案・実施・集約の各段階を通じて、審議会の設置その他の方法により、被爆者及び学識経験者の意見が反映されるようにして下さい。 |
止
広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい
| 広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい |
| ―被爆体験記・原爆被害資料・文献・作品等の蒐集・整理・保存・出版・翻訳等について― |
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| 私たちが広島・長崎でたいへんな不幸に会いましてから今年はちょうど二十周年にあたります。 あの運命の日に死んで行ったもの、その後原爆症とたたかいながら死んで行ったものの声なき声に代って世に訴える義務を私たちは感じます。 同時にこの二十年を何とか生きて来た私たち自身のくるしみ-病苦・生活苦・醜悪苦・孤独苦・就職難・結婚難など-について、そのいくぶんでも書き残し、訴えることは歴史の一つ証言となると痛感するに至りました。 既に死んで行ったものたちやその遺族たちの手記や日記や手紙、またその苦悩や悲願を詩や短歌や創作や絵画で伝えようと試みたものもあります。そうした多くのものが埋れていることを私たらは知っています。 同時にこの二十年を生き残った私たちの間でも体験記を集める努力をして居りますし、乏しい金で仲間たちの実態調査をした資料もあります。 また小さなサークル誌で自分の体験や苦悩をかたったり、ひそかに斗病日誌を書いているものもあります。発表するすべも知らずひそかに机の中にしまっているものもあります。 また原爆の孤児とその精神養親との間でとりかわされた貴重な手紙もたくさんある筈です。 もちろん既に発刊された体験記や白書や詩集や歌集や絵画や調査資料も数多くありますが、絶版になっているものもあります。 私たちはこの二十周年におたり、これらのものをくまなく堀り起し、蒐集整理して、保存し、せめてその所在を明らかにするリストをつくり、可能ならば出版もしたく、また外国語に翻訳もしたく存じます。 だんだん死んで行くものも多く、今のうちに蒐集し記録しておかなければ、永遠に日の目を見ない無数の貴重なものがあると思います。 私たちは被爆二十周年のしごととして、せめてこれだけのことはして、歴史の証言とし、「あやまちは繰りかえしてはならぬ」という悲願と行動の源泉ともしたいと思います。 人類が生きのこるために、そして人類の未来の偉大な可能性を確保するために、私たちのかなしみとくるしみと死とが役立つ道を拓きたいと思います。 しかしこれは貧弱な私たちの被爆者団体の手だけで出来ることではありません。私たちは全国の作家・芸術家・学者・文化人の皆さんの御協力を是非仰ぎたいと願います。どうか御知恵と御時間のいくぶんかを私たちのためにさいて下さい。被爆二十周年に私たち被爆者がいだく願いを実現させるために。 一九六五年三月十五日 |
| 森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長 |
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大江健三郎依頼文(日本被団協事業への側面援助)
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| 〔以下抄録〕 |
| 原爆後二十年の夏をむかえようとして、被爆者たちの唯一の団体である日本原水爆被害者団体協議会が、ひとつの事業をすすめようとしています。それは、原爆をめぐるすべての資料、被爆者たちの手記を収集し、確実に保存し、まさに切実な事業であります。 |
| 被団協は、かつて日本原水協と深く密接にむすばれていました。いうまでもなく、こうした強力な政治運動体に所属していることで、被団協に、ダイナミックな活動の手と足とがあたえられた、ということがあったにちがいありません。 |
| 被爆者たちが、手記を書きのこすということ、原爆に関わるすべての資料を整理、保存しようとすることは、いわば最もストイックな自己証明、あるいは自己救済の意思による事業です。 |
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| この文章を私が書きますまでに、被団協の呼びかけに応じて、吉野源三郎氏、日高六郎氏、坂本義和氏それに私が会合をひらきました。 |
| 原爆後二十年目の夏をむかえようとして、被爆者たちの唯一の団体である日本原水爆被害者団体協議会が、ひとつの事業をすすめようとしています。それは、原爆をめぐるすぺての資料、被爆者たちの手記を収集し、確実に保存し、やがては出版、翻訳しようとする、まさに切実な事業であります。それはまず、この戦後二十年を、もっとも苛酷な生きのび方を強制された、被爆者たち自身にとって、切実な事業ですし、同時に、われわれ、被爆しなかったすぺての人間にとって、あの二十年前の原爆が人類を破壊すべき最後のそれであったにしても、あるいは明日の原水爆がなお現実に殺戮の武器として使用されることがあるにしても、切実きわまる必要をもった事業であることは疑いをいれません。
被団協は、かつて日本原水協と深く密接にむすぱれていました。いうまでもなく、こうした強力な政治運動体に属していることで、被団協に、ダイナミックな活動のための手と足とが,あたえられた、ということはあったにちがいありません。しかし、同時に、被団協の被爆者たちが、かれら独目の主体性において、切実に要求していた事業が、つねに第一に実行にうつされるということは不十分であった、ともいわねばなりません。それはいま、被団協があらためて単独に歩みはじめようとして、まず、このように基本的な命題にとりくまねぱならぬことを考えれば、あきらかであろうと思います。 被爆者たちが、手記を書きのこすということ、原爆に関わるすぺての資料を整理、保存しようとすることは、いわば最もストイックな自己証明あるいは自己救済の意志による事業です。しかもそれは、われわれ、被爆しなかったすぺての人間の、今日の自己認識、明日の運命にむすぴついている事業であつて、すなわち、われわれは被爆者たちの計画を、畏敬の念とともに側面援護すべきだと考えるのであります。 一般に、ひとりの知識人が、個人的に、その書斎のなかで、自分自身と人類の運命について考えようとすれば、かれはつねに、二十年前に現実に原爆を体験した人々について思いださざるをえない筈です。そして、かれの個人的な志が、そのまま被爆者たちの志につながるような、そうした方法はないものかと考えることであろうと思います。 知識人が、ひとつの運動にコミットする際に、かれ自身の個人的な志が、かれの最も協同したいとねがう対象の志につながるまでに、様ざまなクッションがはさまれて、ついには、自分の個人的な志の行方がわからなくなってしまう、というようなことはたびたびありました。また、自分が一体どこまでコミットしているのか、自分の期待はどこまで達せられ、自分はどこまで責任をおっているのか、それが不分明となってしまうようなこともたびたび体験されたところです。 そこでいま、ひとりの知識人が、原水爆の脅威と悲惨について、個人的にいだいている思想と志とを、まったく直接に、被爆者たちの生活と志とにつなぐこと、しかも、かれの期待がどのように果たされ、かれがどれだけの責任をおったか、ということを明瞭に見きわめることのできる条件において、原爆後二十年の夏のこの被団協の事業に側面援助をおこなう集りを提唱したいのであります。 この文章を私が書きますまでに、被団協の呼びかけに応じて、吉野源三郎氏、日高六郎氏、坂本義和氏それに私が会合をひらきました。しかし、この文章は私個人の意見をあきらかにしたもので、このたびの被団協事業とそれへの知識人の協同が、知識人ひとりひとりの個人的な声を許容する性格のものであることを考えて、こうした、手紙を書かせていただいたのであります。御協力をおねがいいたします。(大江健三郎) |
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森滝市郎日本被団協理事長「経過報告ならびに連絡事項」(19650406)<作業中>
| 一九六五・四・六 経過報告ならびに連絡事項 日本被団協理事長 森滝 市郎 各会 各代表理 殿 |
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| 1.被爆者実態調査について 厚生省では当初の予定を再度変更し、実態調査の時期を十一月一日としています。また健康、生活両面の調査についても、全数か抽出かについてもまだ確定的な線が出ていません。したがって厚生省原案について、関係者の意見をきくのも当初のテンポよりは遅れてくると思います。 日本被団協としては、森滝理事長の若松公衆衛生局長に対する申入れの後、同封の要望書を、関係国会議員および厚生省に送りました。 今緊急に必要なことは、被爆者実態調査について世論を喚起し、それを背景にして厚生省の方針を改善させることであります。 そのために二月二八日の代表理事会決定のうち、①困窮被爆者の実態報告活動、②モデルケースの自主的調査が必要ですが、とくに①については先便の形式によって、至急とり組んで下さい。 これを集約してジャーナリズム対策および厚生省対策の資料とします。 |
| 2.被爆体験資料蒐集について |
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| 2.被爆体験資料蒐集について 代表理事会決定にもとずき、文学者、知識人を主体とする協力委員会の結成に努力してきましたが、さる四月二日東京学士会館で会合をもち次のような運びまでこぎつげました。 ① 同封の文書によって、文学者、知識人の協力委員会結成の呼びかけ人となる方をお願いしてきましたが、現在まで左記の方々が呼ひかけ人となることを承諾して下さいました。 作 家 阿部知二、井上光晴、大江健三郎、開高健、芹沢光冶良、堀田善衛、木下順二(交渉中) 学 者 学習院大講師久野収、東大教授坂本義和、同日高六郎、法政大助教授藤田省三 評論家 岩波書店編集長吉野源三郎 広 島 市長浜井信三、広島大文学部長小川二郎、中国新聞論説委員金井利博 長 崎 交渉中 ②呼びかけ状は大江健三郎氏が執筆する。 ③協力委員会は五月中旬に発足する ④八月には中間報告を行う。 各会ではこの事業の意義を徹底され、会員の手記募集、資料提供および所在の報告に御協力下さい。被爆後二十年にして、改めて被爆の実相を回顧し、国民的に検討することは、原水爆禁止と被爆者救援-援護法制定へ向っての重大な意義を担う活動であることを御勘案の上、活発な活動をお願い致します。 |
| 原爆被災体験資料蒐集と出版の計画要綱 |
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| (一)資料蒐集一.対象 1.被爆体験から生まれた小説・詩・短歌・俳句等の文学作品の刊行物一切 2.医学・物理学・社会科学的な研究論文や刊行物 3.被爆者のサークル活動で生まれた文集や同人誌 4.各地方被爆者の会で出した文集や機関紙誌、調査資料 5.被爆孤児の精神養子の親子の間の往復書簡 6.個人の手記や日記 7.その他 二、蒐集 1.以上について目録を完備する 2.そのうち必要なものについては所有者名簿をつくる 3.できる限り現物を集める 4.現物を入手できないもののうち、必要なものについては写しをとる 5.焼失、紛失等の恐れのない場所に保管する 三、方法 1.日本原水爆被害者団体協議会の中央地方組織を通して行う、とくに日本被団協では、被爆二十周年の現時点から、被爆後の生活を回顧斗した、会員の手記を募る 2.全国的規模で、学者・文学者・知識人を中心とする「協力委員会」(仮称)をつくっていただく。協力委員会は各界への協力よびかけ、日本被団協の募金よびかけの口ぞえその他日本被団協への援助と助言を行う。協力委員会は五月中旬に発足する。 3.広島と長崎には特別体制をつくる。 4.中国新聞、長崎新聞、出版社等の適当な団体、機関の後援を得る。 5.八月までに事業進行の中間報告を行う。 |
| (二)出版 以上蒐集した資料について、日本被団協および「協力委員会」で出版の問題を検討する。 |
| 昭和四十年三月 日本原水爆被害者団体協議会 広島市大手町八-五九 広島平和会館内 電話 広島四一-七二二六、六六○○ 東京連絡所 新宿区戸塚町二-七二三 和田陽一方 |
止
「広島」原爆記念文庫設置について(原爆資料保存会、19650606開設)
| 「広島」原爆記念文庫設置に就いて |
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| 広島に原爆が投下されてから、もう二十年を経過した。その当時の惨状に就いては、今日迄科学的研究書や各方面の新聞、雑誌に依って報道されて居るが、現地広島では、今尚年々三○人-四○人づつが原爆病院で病死して居る。
其外被爆による不幸の境遇にある人々は救護の途も充分に講ぜられて居らぬ為、華々しい都市復興の裏に取り残されて、気の毒な生活を続けて居る有様である。私共被爆生存者はこの計り知れない原爆の惨禍を語り再び人類の過ちを繰り返えささぬ様世界へ訴えて来たが、現下の世界情勢は、私共の念願を裏切る方向に、向いつつある様うかがわれるのである。それと共に広島の被爆者も年々死亡してこの惨状を語りつづける人も段々少なくなって行くのである。 そこで私共原爆資料保存会のグループ(現在会員二十四名)は此、原爆二十周年を記念に、世界最初に原爆を受けた広島、長崎の体験を永久に後世え伝える為、今日迄内外で出版された原爆文献を蒐集整理し広島市内で最も、保存活用上最適の場所である、平和公園内の記念資料館の一室に原爆記念文庫を設ける承認を得、広島を訪れられる学者、研究家に公開し平和推進の一助にする事にしたのである。 尚、本会は昭和二十三年頃、市立の原爆資料館が設置された当時からその後援団体として二十数人が相寄り、原爆資料保存会を発足さし、今日迄二十年間、物的資料を始め原爆文献蒐集に着手し始めた。其当時の広島は全市焼野原で、被爆市民は焼跡にバラックを建て、どん底生活をして居ったのて原爆資料などに目をつける人は殆んどなかった。其の上占領政治下にあったので、きびしい圧迫が加えられ原爆資料蒐集の仕事等は命懸でないと出来ない有様であった。然し私共被爆生存者は吾が肉親の犠牲を犬死させない一念から会員一同団結して、資料蒐集の仕事に力を打ち込んで来たのであった。そして昨年九月本会の総会で原爆記念文庫設置の事を決議し今迄集められて倉庫に秘蔵されて居ったものえ更に市内の百書店並に個人の蒐集家を訪ねて文献買厚めに奔走し現在(昭和四十年五月)では千四百冊迄蒐集し得たのである。 この文庫の内容は、左記十種類で広範囲に亘って居って、而かもその九割が古本、絶版本ばかりで、入手出来ない貴重なものが少なくない。これから原爆研究センターを目指して内容の充実を計りたい。 文庫の内容一覧 文庫の中で特殊なもの、実例 |
| ○原爆記念文庫(標語) 広島、長崎の体験を永久に伝える為に 人類の過ちを繰り返えさぬ為に 尊い原爆記念文庫が広島に生れました みんな血と涙と訴えて綴られた記録です この文庫の保存と成長に御協力を |
| 昭和四十年六月六日文庫開き記念の日 |
| 原爆資料保存会長 横田工 稿 |
止
編年資料:ヒロシマ―1965年(日本被団協の動向を中心に)
| 月日 | 事項・資料名など | 発⇒宛 |
| 03 | 「被爆者実態調査」に対する日本被団協の要望 | 森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)⇒ |
| 03 | 原爆被災体験資料蒐集と出版の計画要綱 | 日本原水爆被害者団体協議会 |
| 0325 | 広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい | 森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長)⇒ |
| **** | <被団協事業への側面援助依頼状> | 大江健三郎⇒(知識人) |
| 0406 | 経過報告ならびに連絡事項 | 森滝市郎(日本被団協理事長)⇒ |
| 1.被爆者実態調査 | ||
| 2.被爆体験資料蒐集について | ||
| 0707 | 「原爆被災体験資料」蒐集のための御協力者のお集まりのお願い | 森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)⇒ |
| 0701 | 被爆20周年原爆死没者慰霊祭の趣意書 | 森滝市郎(広島県原爆被害者団体協議会理事長)・桧垣益人(事務局長)⇒ |
| 0720 | 被爆20周年原爆死没者慰霊祭趣意書 | 森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長)⇒ |
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