文献:スミソニアン原爆展示論争(論文)

文献:スミソニアン原爆展示論争

Y M D AUTHOR TITLE ZASSIMEI
94 04 寺島実郎 いまこそ再考せよ「原爆投下」の歴史を(ホワイトハウスの見える窓から25 Foresight5(4)
94 06 01 勝利を呼んだ4つの要因―それはまた、アメリカがドイツに原爆を投下しな ニューズウィーク日本版
94 06 25 アイゼン,ミッチェル 「エノラ・ゲイ」米国展示は是か非か 週刊現代36(23)
94 07 21 Eugene L. Meyer Dropping The Bomb : Smithonian Exibit Plan Detonates Controversy WASHINGTON POST
94 07 25 池田真規 核兵器の使用は国際法に違反する 「赤旗」評論特集版
94 07 25 広島小・中・高大生にみる平和意識-「原爆投下は仕方がない」が4割以上 木の葉のように焼かれて第28集
94 07 27 爆撃機修復で大論争―広島に原爆を落としたエノラ・ゲイの展示は「日本寄 ニューズウィーク日本版
94 08 05 奥住喜重;工藤洋三 スクープ!米軍が原爆投下に使った航空写真地図をついに発見! 週刊金曜日2(29)
94 08 12 奥住喜重;工藤洋三 原爆投下部隊の元機長が明かす「三発目の原爆」 週刊金曜日2(30)
94 08 30 Ken Ringle A-Bomb Exibit Plan Revamped : Smithonian Acts To Defuse Criticism WASHINGTON POST
94 09 桝井成夫 原爆が終戦を遅らせた―投下から半世紀、米国内で再燃する論争 THIS IS読売5(6)
94 09 09 工藤洋三;奥住喜重 米軍・原爆投下部隊の重要文献から切り抜かれていたある事実 週刊金曜日2(33)
94 09 20 Colman MacArthy Heeding All the Lessons of Hiroshima WASHINGTON POST
94 10 16 Gar Alperovitz Beyond the Smithonian Flap : Historians’ New Consensus WASHINGTON POST
94 10 16 Chalmers M. Roberts Our Boys or the Bomb? WASHINGTON POST
94 10 19 ヒロシマ エノラ・ゲイ論争に幕?―退役軍人の激しい反発で「原爆展」は ニューズウィーク日本版9
94 10 21 Eugene L. Meyer No Peace for Enola Gay WASHINGTON POST
94 11 18 Eugene L. Meyer A-Bomb Exhibit Takes Another Hit WASHINGTON POST
95 01 01 本田一二 原爆投下!「第一報」日米比較Ⅱ 総合ジャーナリズム研究NO.151
95 01 01 斉藤道雄 よみがえる亡霊エノラ・ゲイ-スミソニアン展示論争 中央公論
95 01 01 鈴木辰三郎 原子爆弾の開発を命ず-スクープ!50年目の証言 宝石
95 01 01 中野嘉子 原爆展と米国市民 諸君!
95 01 14 佐藤紘彰 米国エノラ・ゲイ論争が意味するもの(日米関係) 東洋経済5257
95 01 15 (ルポ)ヒロシマ・ナガサキ原爆機の発進基地テニアン島 グラフこんにちは
95 01 18 田中康夫 米国の「原爆切手」問題で感情的反発を超えて一人一人が抱くべき哲学とは SPA!44(2)
95 01 19 Eugene L. Meyer Smithonian Stands Firm On A-Bomb Exhibit WASHINGTON POST
95 01 20 Ken Ringle & Eugene L. Meyer Air & Space Director Under Fire WASHINGTON POST
95 01 27 Eugene L. Meyer Smithonian May Drop A-Bomb Exhibit WASHINGTON POST
95 01 30 アルペロビッツ 原爆投下は必要であったか 国際情報資料2-広島・長崎原爆投下50周年核兵器廃絶草の根共同行動
95 01 30 Eugene L. Meyer Target:Smithonian WASHINGTON POST
95 02 01 特集:原爆切手をめぐる原爆観 ウォッチング・被爆50
95 02 01 入江昭 日本とアジア-百年の重み 世界
95 02 01 本島等・平岡敬 被爆50年を迎えて-長崎・広島市長が語る 世界
95 02 01 袖井林二郎 原爆投下の歴史と政治-スミソニアン原爆展論争をめぐって 世界
95 02 01 B・バーンスタイン 検証・原爆投下決定までの300日 中央公論
95 02 01 Paul Blustein Japan Upset Over Decision On Enola Gay WASHINGTON POST
95 02 01 Joel Achenbach WASHINGTOLOGY : Exhibit A : The Pablum Museum WASHINGTON POST
95 02 04 Edwin M. Yoder Jr. … Or Hiroshima ‘Cult’? WASHINGTON POST
95 02 04 Gar Alperovitz Enola Gay : A New Consensus… WASHINGTON POST
95 02 15 広島の証言の会・長崎の証言の会 再びヒロシマ・ナガサキの悲劇をくり返さぬために対話と寛容を ヒロシマ・ナガサキ通信
95 02 15 トレーシー・ダルビー、ジェニファー・ラッチ 原爆展-エノラ・ゲイとアメリカの「常識」 ニューズウィーク日本版
95 02 18 Paul Blustein Hiroshima Mayor, Survivors Plan Low-Key Mission to U.S. WASHINGTON POST
95 02 19 なぜ中止になったアメリカでの「原爆展」-ワシントンの航空宇宙博物館 グラフこんにちは
95 02 24 Jacqueline Trescott Vietnam Exhibit Postponed WASHINGTON POST
95 03 野口亜輝良 米国の「原爆投下肯定論」の本質(特集・終戦50周年) 政財界ジャーナル28(3)
95 03 日本は原爆投下の前にアメリカに完敗していた(「アメリカの鏡・日本」抄 THEMIS4(3)
95 03 01 大牟田稔 米国での「原爆資料」展示中止-日米の歴史認識に深刻な溝 平和文化
95 03 01 山極晃 効果を基準に原爆目標選定-対日使用に慎重論も 平和文化
95 03 01 ビル・パウエル 戦後50年・ドイツの和解と日本の独善 ニューズウィーク日本版
95 03 01 バートン・バーンスタイン、小池洋次 (インタビュー)アメリカの「原爆論争」
95 03 15 油井大三郎 戦争責任をめぐる日米ギャップ 季刊戦争責任研究春季号NO.7
95 04 01 井出孫六・細谷千博 (特別対談)戦争を記憶するということ、歴史をきろくするということ 世界
95 04 01 袖井林二郎 パブリックヒストリィとは何か-スミソニアン原爆展と平和祈念館 世界
95 04 01 斉藤道雄 玉砕したスミソニアン原爆展 中央公論
95 04 20 Eugene L. Meyer Smithonian Sifts Debris of Enora Gay Plan WASHINGTON POST
95 05 吉原恒雄 国際、原爆投下は正当化できない(焦点) 改革者418
95 05 03 ヒロシマ あまりにも違う日米の認識―原爆投下の是非をめぐる日米の対立 ニューズウィーク日本版
95 05 15 大牟田稔 米国は原爆被害を直視せよ-スミソニアン「原爆資料展示」中止の余震 軍縮問題資料
95 05 19 Jacqueline Trescott Senator Warns Smithonian on Controversies WASHINGTON POST
95 05 26 マーク・セルデン 東京大空襲から「ヒロシマ」へ(下) 週刊金曜日
95 05 26 本多勝一 「ヒロシマ」からハノイ大空襲へ 週刊金曜日
95 06 城丸章夫 戦後平和教育の50年-成果と展望 平和教育48
95 06 保阪正康 原子爆弾「白人ではないから」落された 新潮45・14(6)
95 06 01 井出洋 NPT会議をめぐる核廃絶への逆流 前衛
95 06 01 山崎元 クリントン「原爆投下正当化発言」を問う 前衛
95 06 10 纐纈厚 原爆投下 昭和20年・1945年
95 06 15 村上光彦 アウシュビッツとヒロシマ 軍縮問題資料
95 06 15 リード,トム 原爆投下論議について(聞いた日本見た日本〔91〕) 週刊新潮40(23)
95 06 25 “新説”「原爆投下はマッチョの証明」の無神経(News Wave) 週刊読売54(30)
95 07 田川時彦 原爆をめぐる日本政府の戦争責任 歴史地理教育
95 07 西島有厚 国際政治からみた原爆投下と核開発 歴史地理教育
95 07 加藤文三 ポツダム宣言-あの日あのとき・1945年7月 歴史地理教育
95 07 01 田川時彦 被爆50周年を迎えた平和憲法の国際的意義 ほんりゅう
95 07 12 エノラ・ゲイ 博物館の「無条件降伏」 ニューズウィーク日本版
95 07 13 青木冨貴子 スミソニアン博物館の「エノラ・ゲイ展」が語ること(U.S.A.通信〔 週刊文春3(27)
95 07 14 坂本慎平 50年目の夏-エノラ・ゲイは語らず 週刊金曜日
95 07 26 タカキ,ロナルド トルーマン大統領は、“人種差別的憎しみ”から原爆投下を決定した! SAPIO7(13)
95 07 26 ブラック,キャロル;猪瀬 直樹 原爆投下を「謝罪」して欲しい日本人とパールハーバーへの「謝罪」を期待 SAPIO7(13)
95 07 26 エバン・トーマス 「決断」にいたる道 ニューズウィーク日本版
95 08 J・F・モリス 原爆投下とアメリカにおける歴史認識 歴史学研究
95 08 藤井晴雄 談話室:戦争を超えて:原子爆弾と共に投下されたわが3人の友の手紙 日本原子力学会誌
95 08 01 アージャン・マキジャニ 原爆投下、だまされていた科学者-マンハッタン計画 THIS IS
95 08 01 スタンリー・ゴールドバーグ(春名幹男訳) グローブズ将軍と原爆投下 世界
95 08 01 春名幹男 訳者解説 世界
95 08 01 [記者座談会]被爆50周年のヒロシマでいま何をなすべきか!? 月刊ぴーぷる
95 08 04 戦後50年=広島・長崎の責任は誰に!?-原爆投下をこう考える 週刊金曜日
95 08 04 末広栄 米国は慰籍を表明すべきだ 週刊金曜日
95 08 04 西川重則 天皇の生け贄にされた被爆者 週刊金曜日
95 08 04 池明観 韓国人差別が阻んだ原爆被害への共感 週刊金曜日
95 08 04 本島等 米国は「悪魔の兵器」使用を正当化できない 週刊金曜日
95 08 04 マーク・セルデン スミソニアン原爆展の失敗 週刊金曜日
95 08 04 ダグラス・ミラス 技術信仰と能率追究が生んだテロ 週刊金曜日
95 08 04 長崎プレ会議より=原爆投下をどう見るか 週刊金曜日
95 08 04 陸培春 根強い「天罰」論 週刊金曜日
95 08 07 長谷川煕(編集部) 「正義」の象徴原爆ニセ切手-アメリカ「草の根」の無謬主義 AERA
95 08 07 ガー・アルペロビッツ トルーマンが隠した「広島・長崎」の真実 AERA
95 08 09 山田朗 南京と原爆・空襲を結ぶもの 南京大虐殺と原爆
95 08 10 被爆地と沖縄-異例の訪問された天皇陛下の決意 週刊新潮
95 08 11 深津真澄 政治・明仁天皇の慰霊の旅をどう受け止めるべきか 週刊金曜日
95 08 21 草川誠 私が盗んだ原爆の秘密-旧ソ連KGB「原爆スパイ」2人の証言 アエラ8月14・21日合併号
95 08 23 ビル・モルディン 8月6日、アメリカはパンドラの箱を開けた ニューズウィーク日本版8月16・23日号
95 08 28 バートン・バーンステイン(聞き手:長谷川煕) 核兵器の廃絶-米国共和党の強力大統領に期待 アエラ
95 08 28 ガー・アルベロヴィッツ(聞き手:長谷川煕) トルーマンとバーンズで決めた-「原爆投下の内幕」を聞く アエラ
95 08 28 烏賀陽弘道 広島で出会った原爆と甘い青春-南方特別留学生50年後の同窓会 アエラ
95 08 28 原爆投下、50年目の真実、日米「バチカン・コネクション」が救えなかっ バート5(17)
95 08 31 陸培春 アジアからみた原爆投下-広島・長崎・日本に問う 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ナイジェル・ヤング 恐怖のバランスシート-1945年8月と最初の核戦争がもたらしたもの 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 被爆50年・ナガサキから証言する-証言95座談会1 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 被爆50年・ヒロシマから証言する-証言95座談会2 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 特集2:アメリカ原爆展論争を考える 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 鎌田定夫 原爆体験の人類的思想化を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 長崎の証言の会・広島の証言の会 原爆資料展に関する緊急要請書 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ジョゼフ・ガーソン 驚きと怒りと恥辱の中で 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 証言の会へ寄せられたアメリカからの反響 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 米国首都圏ヒロシマ・ナガサキ平和委員会 核のない世界のために 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ドナルド・レイスロップ 強い関心と共感をもって 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 バートン・バーンスタインほか 最終展示部「原爆と第二次世界大戦の終結」に関する勧告 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ゲイラード・T・ハント 原爆使用、内部にも反対が 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 栗原貞子 (詩)慈悲深い国アメリカ 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 広島の証言の会・長崎の証言の会 (声明)再びヒロシマ・ナガサキの悲劇をくり返さぬために対話と寛容を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 長崎の証言の会 米国での原爆展開催等についての要望書 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 エノラ・ゲイ行動連合 エノラ・ゲイ「もうひとつの展示」のよびかけ 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 トマス・J・キルクライン 航空宇宙博物館の使命 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 鎌田定夫 歴史の真実に立って対話と相互理解を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 アメリカ歴史家グループ 全米の大学で「ヒロシマ・ティーチ・イン」を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 ルイーズ・F・ラミレス、ジョン・スタインバック ヒロシマ・ナガサキの暴虐に謝罪を 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 平岡敬(広島市長) 希望の広島-核兵器のない世界へ 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 アメリカン大学における基調講演(1995年7月9日) 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 土山秀夫(前長崎大学学長) ナガサキは最後の被爆地となり得るか 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 高橋信雄 広がるアメリカ人の原爆論争-ワシントン現地取材から 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 第二次世界大戦終結50周年にあたり地球の平和を求める国際アピール 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 08 31 片田芳朗 NHK連続テレビ小説「春よ、来い」にかかわる問題発言を問う 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1995(第9集)
95 09 中野嘉子 アメリカは原爆をこう教えている 諸君!
95 09 01 河内朗 だれが原爆攻撃を命令・指揮したか 正論
95 09 08 越智道雄 アメリカはなぜヒロシマを恐れるのか? 宝島30
95 09 15 大牟田稔 アメリカ人と「原爆展」 軍縮問題資料
95 10 アルペロビッツ,G;伊藤成彦 原爆投下50年目の真実―トルーマンの罪と核廃絶への道 サンサーラ6(10)
95 10 01 米山リサ 越境する戦争の記憶-スミソニアン原爆展論争をめぐって 世界
95 10 15 荒井信一 こんにちはインタビュー・荒井信一さんの「戦後50年に思う」 グラフこんにちは
95 10 23 極秘電文発見「東京に原爆を投下せよ」 アエラ
95 10 31 荒井信一 原爆投下と戦争責任 平和文化研究第18集
95 11 01 米谷ふみ子 ヒロシマと真珠湾 世界
95 11 15 春名幹男 アメリカの核戦争観 軍縮問題資料
95 11 15 池田真規 核兵器廃絶と世界法廷-10月30日に始まる口頭弁論を前に 軍縮問題資料
95 11 19 核兵器使用は国際法に違反-広島・長崎両市長が証言 グラフこんにちは
95 11 27 平岡敬 核兵器の使用も威嚇も国際法違反-国際司法裁判所での陳述 赤旗評論特集版
95 12 01 神部明 極秘「マンハッタン計画」が築いた新戦略
95 12 01 福好昌治 ナチスはなぜ「原爆」製造に失敗したか
95 12 01 麻田貞雄 原爆投下の衝撃と降伏の決定 世界
95 12 04 伊藤一長 「核抑止論」は恐怖の均衡を保つこと 赤旗評論日曜版
95 12 15 袖井林二郎 スミソニアン原爆展論争から学ぶこと 季刊戦争責任研究第10号
96 01 15 大牟田稔 「核兵器違法」を明言した意義-ICJ陳述をめぐる被爆地と外務省の落差 軍縮問題資料
96 01 15 平岡敬 希望の広島-核兵器のない世界へ アメリカン大学の学生とともに原爆投下を考えた
96 01 19 西島有厚 原爆投下をどうみるか 近現代史の真実は何か-藤岡信勝氏の「歴史教育・平和教育」論批判
96 02 エンゲルハート,T. 原爆投下と滅亡への強迫観念(ヒロシマから50年) 世界 619
96 02 ロールズ,J. 原爆投下はなぜ不正なのか?(ヒロシマから50年) 世界 619
96 03 15 岡本公一 「戦勝50周年」と「戦後50年」 季刊戦争責任研究NO.11
96 04 15 池田真規 世界法廷での広島・長崎市長 軍縮問題資料
96 04 15 平岡敬 国際司法裁判所での口頭陳述の全文 軍縮問題資料
96 04 15 伊藤一長 国際司法裁判所での口頭陳述の全文 軍縮問題資料
96 04 15 河村武和 日本政府の陳述 軍縮問題資料
96 06 バートン・J・バーンスタイン 真珠湾と1945年の原爆投下の再考 平和研究20
96 07 牧田幸人 核兵器使用の違法性と国際司法裁判所の勧告的意見 日本の科学者
96 08 米山リサ 記憶の弁証法-広島 思想
96 08 15 本島等 「原爆投下」後の時代を生きて-はっきりさせねばならぬ二つのこと 軍縮問題資料
96 08 15 春名幹男 広島・長崎の声はなぜ伝わらないか 軍縮問題資料
96 08 15 徐龍達 敗戦50年から「アジア市民」への脱皮を ヒロシマの歩んだ道
96 09 武市銀治郎 アメリカの対日占領期における検閲政策-原爆報道を中心にして 防衛大学紀要第73輯
96 09 10 油井大三郎 スミソニアン原爆展示論争と国境の壁 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996(第10集)
96 09 10 栗原貞子 希望の都市への脱皮を-スミソニアン原爆展示と長崎原爆資料館 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996(第10集)
96 09 15 田中伸尚 「平和祈念館」の経緯と問題点-誰を追悼し、何を記憶するのか 軍縮問題資料
96 10 池田真規・新倉修 核兵器はどう裁かれたか-国際司法裁「勧告的意見」を検討する 世界
96 10 01 「戦後50年」調査プロジェクト 世界のテレビは戦後50周年をどう伝えたか 放送研究と調査
96 11 01 南アの核―謎が謎呼ぶ「原爆」科学者の告白 SCIaS 1(2)
97 03 01 アブドル・コロマ判事 [資料]国際司法裁判所意見の反対意見から 原爆と文学1997年版
97 03 31 ジョセフ・ロートブラット 第二次世界大戦と原爆投下 平和文化研究第19・20集
97 03 31 芝田進午 被爆50年・これからの課題-人体実験としての原爆 平和文化研究第19・20集
97 03 31 袖井林二郎 歴史および政治としてのヒロシマ・ナガサキ 平和文化研究第19・20集
97 03 31 樋口陽一 ナガサキで読む憲法50年のメッセージ 平和文化研究第19・20集
97 03 31 ポール・ジョゼフ 冷戦が終わったほんとうの理由 平和文化研究第19・20集
97 03 31 新井信之 「核兵器使用の違法性」に関するICJ勧告的意見のブリーフとその解釈に 平和文化研究第19・20集
97 03 31 芝野由和 本学学生・付属高校生の平和・核問題に対する関心・意識 平和文化研究第19・20集
97 04 マーティン・ハーウィット スミソニアン原爆展示はなぜ阻止されたか-マーティン・ハーウィット氏に聞く 世界
97 04 10 舟越耿一 「被爆・戦後50年」の思想状況 長崎平和研究創刊号
97 04 25 荒井信一 戦争・平和博物館設立の歩み <写真・絵画集成>世界の「戦争と平和」博物館6
97 04 25 荒井信一 歴史の中の加害と被害 <写真・絵画集成>世界の「戦争と平和」博物館4
97 10 米山リサ 「非国民」の記憶と記憶の非・国民化 世界
97 10 01 バートン・バーンステイン 戦艦大和は核魚雷計画の標的だった THIS IS 読売
98 03 15 リオ・メイリー3世、ウディ・モアHン アメリカでヒロシマを教える-記憶の浄化に抗する歴史教育 軍縮問題資料
98 03 31 芝野由和 「アウシュヴィッツ」と「ヒロシマ」-ひとくくりにしてはならないか- 平和文化研究第21集
98 03 31 長崎平和文化研究所 1997年本学学生・付属高校生の平和意識-アンケート調査集計結果報告 平和文化研究第21集
98 04 20 駒田和幸 歴史意識の再生をめざして-原爆投下史の授業 長崎平和研究第3号
98 04 20 「戦争と原爆」に関する意識調査報告 長崎平和研究第3号
98 09 15 林義勝 「エノラ・ゲイ論争」と歴史の記憶 歴史学研究
98 13 33 小林文男・柴田巌 中国人留学生のヒロシマ観に関する一考察 広島平和科学21
98 13 33 ダニエル・セルツ、松尾雅嗣 戦争責任と原爆をめぐって 広島平和科学21
98 13 33 Terence M. Duffy The Making of a Peace Museum Tradition: 広島平和科学21
99 05 31 上杉聰 戦争責任をどう考えていくか-若い世代とアジアと 平和文化研究第22集
99 05 31 上杉聰・木永勝也 対談:「新ゴーマニズム宣言」の周辺 平和文化研究第22集
99 05 31 ヴォルフガング・シュヴェントカー ヒロシマの影の中で-原爆投下50周年の環境での最近の文献 平和文化研究第22集
99 07 09 ロバート・J・リフトン、グレッグ・ミッチェル ヒロシマの真実を再訪する 核と対決する20世紀-核と人間Ⅰ
99 07 09 田中孝彦 ヒロシマ・ナガサキと日本 核と対決する20世紀-核と人間Ⅰ
99 08 04 米山リサ 核・レイシズム・植民地主義-真実と和解、その<差延>のポリティクス 核を超える世界へ-核と人間Ⅱ
99 09 10 伊良子由美 子どもたちに未来を託して-NACの活動レポート 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1999(第13集)
99 09 10 山川剛 アメリカ市民に原爆を伝える 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1999(第13集)

 

文献:スミソニアン原爆展示論

 

書名コード 書名 編著者 発行所
95060901 アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか ロナルド・タカキ 草思社
95061502 天王山・沖縄戦と原子爆弾(下) ジョージ・ファイファー 早川書房
95063003 ヒロシマを壊滅させた男オッペンハイマー<新装版> ピーター・グッドチャイルド 白水社
95063007 原子爆弾の誕生(上)普及版 リチャード・ローズ 紀伊国屋書店
95063008 原子爆弾の誕生(下)普及版 リチャード・ローズ 紀伊国屋書店
95072503 日米戦争観の相剋-摩擦の深層心理 油井大三郎 岩波書店
95073005 京都に原爆を投下せよ-ウォーナー伝説の真実 吉田守男 角川書店
95080506 原爆投下訓練と島田空襲-聞かせてください1945年7月26日のことを 土居和江・小屋正文・小林大治郎 静岡新聞社
95080619 悲劇のヒロシマ・ナガサキ-原爆投下決断の内幕(上) ガー・アルペロビッツ ほるぷ出版
95080620 悲劇のヒロシマ・ナガサキ-原爆投下決断の内幕(下) ガー・アルペロビッツ ほるぷ出版
95081003 なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか(上) トマス・パワーズ ベネッセ
95081004 なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか(下) トマス・パワーズ ベネッセ
95082503 オッペンハイマー-原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか 中沢志保 中央公論社
95091801 葬られた原爆展-スミソニアンの抵抗と挫折 フィリップ・ノビーレ、バートン・J・バーンステイン 五月書房
95102501 原爆神話の50年-すれ違う日本とアメリカ 斉藤道雄 中央公論社
95111001 アメリカの中のヒロシマ(上) R・J・リフトン、G・ミッチェル 岩波書店
95122001 アメリカの中のヒロシマ(下) R・Jリフトン、G・ミッチェル 岩波書店
96021601 アメリカの中の原爆論争 NHK取材班 ダイヤモンド社
96032503 ロバート・オッペンハイマー-愚者としての科学者 藤永茂 朝日新聞社
96042501 アメリカの日本空襲にモラルはあったか-戦略爆撃の道義的問題 ロナルド・シェイファー 草思社
96072003 原子爆弾-その理論と歴史 山田克也 講談社
96092001 米軍資料・原爆投下の経緯-ウェンドーヴァーから広島・長崎まで 東方出版
970501 原爆はこうして開発された<増補版> 山崎正勝;日野川静枝編著 青木書店
97072503 現代歴史学と戦争責任 吉田裕 青木書店
97073102 拒絶された原爆展-歴史のなかの「エノラ・ゲイ」 マーティン・ハーウィット みすず書房
97091002 太平洋戦争の終結-アジア・太平洋の戦後形成 細谷千博・入江昭・後藤乾一・波多野澄雄編 柏書房
97100102 ヒロシマ・アメリカ-原爆展をめぐって 直野章子 溪水社
98082501 戦争と正義-エノラ・ゲイ展論争から T・エンゲルハート、E・T・リネンソール 朝日新聞社
99032701 データベース戦争の研究-ひと目でわかる現代軍事の基礎知識 三野正洋・深川孝行 光人社
99070901 核と対決する20世紀-核と人間Ⅰ 坂本義和編 岩波書店

 

年表:スミソニアン協会とヒロシマ

Y M D NEWS1
87 08 03 米のスミソニアン国立航空宇宙博物館、原爆投下機「エノラ、ゲイ」号の原爆搭載部分を復元したと発表。
88 08 05? 広島に原爆を投下した米軍材「エノラ・ゲイ」、保存のためスミソニアン研究所で解体・修理中。
89 02 23? 米のスミソニアン天文台発行の機関紙、小惑星の1つに平和を願って「ヒロシマ」と命名されたことを報道。
90 01 29 米国スミソニアン博物館、ワシントン郊外に建設される同館別館に、原爆投下機「エノラ・ゲイ」を展示するとの計画を発表。
93 04 05 スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長ら、広島市役所を訪れ、平岡市長に被爆関係資料の貸与を要請。
93 04 06 スミソニアン協会国立航空宇宙博物館長ら、被爆資料の借用について大牟田広島平和文化センタ-長らと協議。広島市、博物館の計画策定がまとまる秋に貸出について最終決定することを伝える。
93 05 31 スミソニアン協会・国立宇宙博物館の職員3人、被爆50周年の原爆投下をテーマとした展示会の資料収集打ち合わせのため広島市を訪問。広島市、資料を貸し出す方向で検討。
93 06 01 トーマス・クローチ米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館航空学部長、広島市との協議を終え記者会見し、投下50周年の展示の概略について説明。
93 08 03 広島市、米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館が送ってきた被爆50周年の「展示計画書」(7月17日届く)の和訳を公表。長崎市にも同様の書簡が届く。
93 08 04 ハーウィット・米スミソニアン博物館館長、広島市入り。6日、平和祈念式典に参列。
93 10 08 平岡広島市長、米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館への被爆資料貸与問題について、今月中に結論を出すとの意向を表明。
93 11 24 長崎市原爆被災資料協議会、米国スミソニアン協会国立宇宙博物館への資料貸出に応じることで意見が一致。
93 11 30 広島・長崎両市、スミソニアン協会・国立航空博物館の被爆資料貸与要請を受け入れることを決定したと発表。
93 12 07 広島県被団協(森滝市郎理事長)、米スミソニアン協会・国立宇宙博物館への被爆資料貸出について、被爆地の意見や助言が的確に反映されるよう責任ある対処を求める要望書を広島市長に提出。
94 02 09? 長崎国際文化会館、日本映画社の記録フィルムを米国立公文書館から入手。(米国スミソニアン協会航空宇宙博物館が寄贈)
94 02 24 長崎市、米国のスミソニアン協会国立航空宇宙博物館から寄贈された「広島・長崎における原子爆弾の効果」の原板複写フィルムの試写会を開催。約3時間。
94 03 30? 米国の退役軍人ら、スミソニアン協会のエノラ・ゲイ機と被爆資料の同時展示に猛反発。
94 08 10 24人の米下院議員がスミソニアン宇宙航空博物館のエノラゲイ展示計画に、原爆被害を強調し過ぎているとの抗議の書簡を出していたことが判明。
94 08 17 ルイス米下院議員、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ展示計画の変更を求める声明を発表。
94 08 18 スミソニアン博物館が「エノラ・ゲイ」展示で米下院議員に意向を配慮するとの返答を出していたことが判明。
94 08 29 米スミソニアン航空宇宙博物館、退役軍人らの批判にこたえ、太平洋戦争のコーナーを追加設置すると発表。
94 09 08? ワシントン・ポストやウォールストリート・ジャーナルなど米紙がスミソニアン博物館の特別展「原爆投下と第二次世界大戦の集結」における被爆展示に批判を強めていることが判明。
94 09 12 本島長崎市長、市議会で、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆企画展の展示計画をチェックするため10月に調査団を同館に派遣することを明らかにする。
94 09 19 ナンシー・カッセボム米上院議員、スミソニアン航空宇宙博物館が予定しているエノラ・ゲイ展示は、バランスを欠き侮辱的だとして計画変更を求める決議案を提出。
94 09 20 米国のカトリック系の平和団体パクス・クリスティUSAや環境保護団体グリーンピースの代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館に被爆者関連の展示を増やすよう要請。
94 09 23 米上院本会議、エノラ・ゲイ機の展示を計画しているスミソニアン航空宇宙博物館に対して「米国人の思い出を非難することになるのを避けるべきだ」として展示内容の変更を求める決議を満場一致で可決。
94 09 26 広島県被団協・県原水協・県平和委員会、スミソニアン航空宇宙博物館で計画中の原爆投下に関する展示会に対し展示内容の修正を求める決議を採択した米上院に抗議などを求める要請書を平岡広島市長あてに提出。
94 09 27 スミソニアン航空宇宙博物館が計画しているエノラ・ゲイ展示問題で米下院に計画の修正を求める決議案が提出されていることが判明。
94 09 28 広島市、スミソニアン航空宇宙博物館から原爆投下展の最終スクリプトの送付が遅れるとのファックスが入る。
94 09 29 米紙ワシントン・ポスト、スミソニアン航空宇宙博物館が、全米退役軍人協会からのエノラ・ゲイ展示への抗議に対する譲歩として、被爆時計の展示中止など展示内容の変更を決めたと報道。
94 10 13? 長崎市、スミソニアン博物館から「原爆展問題に関する米上院決議は影響を受けない」、「計画に抗議していた米国在郷軍人会とは合意に達した」などと説明した文書を受け取る。
94 10 20 米スミソニアン航空宇宙博物館、エノラ・ゲイの展示をめぐる退役軍人らの批判を入れ、「感情に訴えるような(被爆状況の)写真や遺品」は展示から除き、太平洋戦争の経過に関する展示は増やすなどの修正計画の概要を公表。
94 10 20? 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展に関連し、ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長に、「ヒロシマの心」を伝える手紙を発送。
94 10 25 共産党広島市議会議員団、国家補償に基づく被爆者援護法の制定と米国スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題について、市議会決議に向けた各派代表者会議を召集するよう市議会議長に文書で申し入れ。
94 10 26 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から予定している広島原爆投下爆撃機エノラ・ゲイの詳細な展示計画書(約450頁)を公表。米退役軍人団体の批判を受け入れ、太平洋戦争全体の説明を大幅に増やした内容。
94 10 27 広島市、米スミソニアン航空宇宙博物館が原爆投下展の修正計画を発表したことに対し、展示計画書が届きしだい、被爆資料の貸与問題について被爆者らから意見を聞く場を設ける方針を固める。
94 10 28 「広島・長崎の証言の会」、米国立スミソニアン航空宇宙博物館と米上院に対し、原爆展示の内容の変更反対の緊急要請書を送付。
94 10 29? アメリカのキリスト教平和団体「パックス・クリスティUSA」など、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が軍人団体側の要求に沿って計画中の原爆特別展の展示内容を見直したことに反発、独自の原爆展の開催を検討。
94 11 06 「長崎の証言の会」、長崎市で総会を開催。政府・連立与党がまとめた被爆者援護法案に反対する要望書を首相と各政党の代表に送ることと、米国立スミソニアンン航空宇宙博物館が被爆資料の展示予定を貫くよう要請文を送ることを決める。
94 11 17 バーンシュタイン、ウィットナーなどアメリカの歴史学者ら52人、スミソニアン米航空宇宙博物館に、エノラ・ゲイ展の退役軍人会の圧力による修正企画案を元に戻すよう申し入れる書簡を発表。
94 11 21? 広島・長崎両市に、米スミソニアン航空宇宙博物館の展示台本の修正版が届く。広島分3点、長崎分5点を削除。
94 11 23 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から展示する広島原爆投下機エノラ・ゲイの胴体を、メリーランド州の同館ガーバー施設から展示場所に搬入。
94 12 03? スミソニアン協会が、原爆展示問題の説明のためハーウィト館長が広島・長崎を訪問することをストップさせていることが判明。
94 12 07 天江喜七郎外務省報道・広報審議官、スミソニアン博物館の原爆展について、日米のわがかまりが問題に発展していく可能性があれば無関心ではいられない、と広島市内の記者会見で語る。
94 12 07 米ワシントンのアメリカン大学で、スミソニアン博物館が企画している原爆投下の特別展についてのパネル討論会が開催される。約250人が参加。
94 12 15 核戦争防止国際医師の会米国支部「社会的責任のための医師の会」など17の平和団体代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示について、被爆の惨状を復活するよう要請。
94 12 21 広島市、米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について被爆者など11人から「意見を伺う会」を開催。9人が参加。
94 12 25 平岡広島市長、米国スミソニアン博物館への被爆資料の貸出に応じる考えを明らかにする。
94 12 25? 長崎の証言の会、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題で同博物館や退役軍人団体などに当初の展示計画を修正しないよう求めた緊急要請書に対する共感の返書4通を受け取る。
94 12 27 長崎市、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展問題で「市原爆被災資料協議会」を開く。被爆資料貸出に大半が前向き。
95 01 09 長崎県被爆者手帳友の会、拡大理事会を開催。5月に被爆50周年記念の慰霊祭の開催、2月から被爆地域是正要望地域住民の健康調査の実施、被爆資料の米国立スミソニアン航空宇宙博物館への貸出への反対などを決める。
95 01 10 平岡広島市長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展をめぐり際だってきた日米の原爆観の溝を修復するため6月頃に訪米する意向を表明。
95 01 10 本島長崎市長、米スミソニアン原爆展への被爆資料貸出に前向きな見解を表明。
95 01 18 米復員軍人協会、スミソニアン航空宇宙博物館に対し、エノラ・ゲイ展示の中止を申し入れ。
95 01 19 米下院の共和党議員2人、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示問題で、ハーウィット博物館長の辞任を要求すると言明。
95 01 25 アメリカ下院議員81人、スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展の内容を不満としてハーウィット館長の辞任を求める連名の書簡を同協会に提出。
95 01 26 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン協会の評議員に、エノラ・ゲイ展示計画批判派のサム・ジョンソン議員を指名すると発表。
95 01 26? 長崎市、2月上旬に原爆被災資料協議会を開き、スミソニアン航空宇宙博物館への被爆資料の貸出について決める方針を固める。
95 01 27 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン航空宇宙博物館の広島原爆投下機エノラ・ゲイの展示計画について、スミソニアン協会から大幅に縮小するとの話があったことを明らかにする。
95 01 27 マカリー米大統領報道官、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展についてクリントン大統領も関心を持っていると述べる。
95 01 30 アメリカの3大テレビネット、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示計画の大幅縮小についてニュースで大きく取り上げる。
95 01 30 マカリー米大統領報道官、クリントン大統領がスミソニアン協会の原爆展縮小を支持していると述べる。
95 01 30 米紙ニューヨーク・タイムズ、社説「歴史の乗っ取り」で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 01 30 スミソニアン協会、評議員会を開催。エノラ・ゲイ展示の大幅縮小を決定。
95 01 31 米紙ウォールストリート・ジャーナル、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 01 31 米紙ニューヨーク・タイムズ、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展変更を批判するバートン・バーンシュティーンの論文「書き換えられたヒロシマ」を掲載。
95 01 31 本島長崎市長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示縮小に関連し、アメリカでの独自の原爆展開催の意向を表明。
95 01 31 村山首相、米国のスミソニアン航空宇宙博物館が企画中の原爆展で広島・長崎の遺品を展示しない方針を決めたことについて「日本の国民感情からみれば残念なことだ」と述べる。
95 01 31 平岡広島市長、ヘイマン・スミソニアン協会事務局長から原爆投下展大幅縮小を伝えるファックスを受け取る。
95 01 31 平岡広島市長・原田浩原爆資料館館長、ハーウィット・米スミソニアン航空宇宙博物館館長から原爆投下展の大幅縮小に遺憾の意を示すファックスを受け取る。
95 01 31 原田広島原爆資料館長、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示縮小に関連し、アメリカの新聞に意見広告の掲載などを検討したいと語る。
95 02 01 米紙クリスチャン・サイエンス・モニター、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を批判。
95 02 01 米紙ワシントン・ポスト、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を支持。
95 02 01 米紙ロサンゼルス・タイムズ、社説で、スミソニアン協会の原爆展示縮小を支持。
95 02 02 スミソニアン協会が原爆展示縮小問題で退役軍人協会・歴史学者・平和団体の代表などによるシンポジウムを計画していることが、広島市に入った連絡で判明。
95 02 03 長崎の証言の会、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展中止問題で、米国内での原爆展開催への意向を伝えるなどを伝える声明を同博物館や博物館の当初企画を支持したグループなど約30団体・個人に送ることを決める。
95 02 10 広島市、米スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下展について「意見を伺う会」を開催。市民組織と連携して「ヒロシマの心」を米国側に伝えていくことなどが提案される。
95 02 17 広島市、被爆の実態を米国民に知らせるため、原爆資料展をスミソニアン航空宇宙博物館の特別展に近い時期に米国の大学で独自に開き、平岡市長や被爆者を派遣する方針を決める。本島長崎市長、共同開催に前向きの意向を表明。
95 02 23 ヘイマン米スミソニアン協会事務局長、エノラ・ゲイの展示は当初予定の5月から6月に延期される可能性を示唆。科学者団体から「否定的な側面を強調しすぎる」と批判されていた科学関連展示コーナー「米国生活の中の科学」を変更する方針を明らか
95 03 10 米下院歳出委員会内務小委員会、スミソニアン協会の「エノラ・ゲイ」公開展示問題を取り上げる。ヘイマン同協会事務局長、展示では原爆投下正当論を採用することを明らかにする。
95 03 10 岡本三夫元日本平和学会会長、米タフツ大学で開催された米国平和研究学会第7回年次大会で講演。スミソニアン航空宇宙博物館の原爆投下正当論に反論。
95 03 17? 長崎の証言の会、トーマス・キルクリン米退役軍人協会会長から、国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展計画に反対したことに対する抗議文への返書を受け取る。
95 03 22 長崎平和推進協会、「平和文化市民講座」を市平和会館で開催。米コルゲート大学平和学のニジェール・ヤング教授が「スミソニアン博物館の原爆展中止をめぐって」と題して講演。
95 04 19 米スミソニアン協会とミシガン大学、同大学でシンポジウムを開催。トム・クラウチ同博物館航空部長、原爆展の意図は挫折したと語る。
95 04 23? 市民団体「ピースボート」、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が退役軍人団体の圧力で中止にした原爆展を、今夏の世界一周航海を利用した「船上展示」で実現することを決める。
95 05 02 米スミソニアン航空宇宙博物館館長マーティン・ハーウィット、辞任。原爆展に対する退役軍人協会や議会筋の圧力を受け、責任を取る。
95 05 11 米上院議事運営委員会、スミソニアン航空宇宙博物館が企画した広島原爆展に関する公聴会を開催。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの元パイロットら退役軍人5人が原爆投下の正当性を主張。
95 05 18 米上院規則小委員会、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示問題で公聴会を開催。リンゾール・ウィスコンシン大学教授、中止を批判、クラウチ航空宇宙博物館部長、原爆投下についての米国の気持ちを理解できなかったと語る。
95 06 07 日本被団協、米国スミソニアン博物館の原爆展中止を受け、被爆語り部代表団5人をアメリカに派遣。長崎被災協から三輪博志が参加。7日、ワシントン到着、8日、原爆展示を開始。
95 06 11 NHKテレビ、NHKスペシャル「アメリカの中の原爆論争-スミソニアン展示の波紋」を放映。
95 06 11? 米スミソニアン航空宇宙博物館が企画した原爆展の大幅縮小の経緯を詳細に描いた著書『スミソニアンの審判』、7月中旬に出版の予定。著者は、ジャーナリストのフィリップ・ノビーレとスミソニアン博物館の館員4人。
95 06 15 小西悟日本被団協国際委員長ら5人、スミソニアン航空宇宙博物館を訪れ、玄関前の石段に原爆犠牲者の写真を並べ黙祷。
95 06 22? 米ワシントンのスミソニアン協会航空宇宙博物館のB29「エノラ・ゲイ機」の展示予定会場にペンキがまかれていたことが判明。
95 06 27 米国立スミソニアン航空宇宙博物館、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」展を報道陣に公開。会場入り口に当初の「原爆展」の企画を誤りだったとするヘイマン・スミソニアン協会事務局長の釈明文を掲示。
95 06 27 反核・平和団体の代表ら、米ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館前で「エノラ・ゲイ」展に対する抗議行動。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館、原爆投下機エノラ・ゲイの展示を開始。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展会場で抗議行動を行った反核活動家21人が逮捕される。
95 07 04? 米科学史家でスミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示の専門家諮問委員を務めたゴールドバーグ、原爆開発に巨費を投じた責任追及を恐れて原爆を投下したとの説をまとめ発表。
95 07 10 森下弘・池田精子・原田浩、米アメリカン大学での被爆証言を終え、スミソニアン博物館で「エノラ・ゲイ」を見学。
95 07 14? アメリカの科学史家スタンリー・ゴールドバーグ(スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展示専門家諮問委員を辞任)、マンハッタン計画の幹部が原爆の殺傷効果を高めるため投下直前に超強力サイレンか異常な光を利用することを計画していたことを示す
95 07 25 長崎市が昨年2月に米スミソニアン航空宇宙博物館から寄贈された記録フィルム「広島・長崎における原子爆弾の効果」の日本語版の試写会、長崎市女性センターで開催。約15人の関係者が出席。8月5日に一般公開。
95 07 31 マーティン・シャーウィン米タフツ大学教授、米歴史家でつくる「ヒロシマに関する公開論議のための歴史家委員会」の名で、ヘイマン・スミソニアン協会事務局長宛に抗議の手紙を送ったことを、広島市で明らかにする。
95 08 01 アメリカの歴史学者約200人、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展の縮小に対する抗議文をヘイマン・スミソニアン協会事務局長に提出。
95 08 06 テレビ新広島(フジテレビ系)、報道特別番組「揺らぐ太陽」をローカルで放映。スミソニアンの原爆展示の経過・背景を取り上げる。
95 09 08 シンポジウム「アジア・太平洋と戦争」をハワイ・ホノルル市で開催。米スミソニアン航空宇宙博物館・長崎市原爆資料センターなどの関係者が参加。
95 10 04? 中止となった米国立スミソニアン航空宇宙博物館の原爆展の展示説明書の邦訳が出版される。
95 10 06? フィリップ・ノビーレ、バートン・バーンスタイン、中止となった米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ展」の未公開展示台本を収録した「葬られた原爆展」の日本誤訳版が出版される。
96 01 31 「戦争と原爆展-幻のスミソニアン展、アジアから見た原爆」三次展、三次市教育会館で開催。県内の会場としては3番目。-6日。
96 06 13 米国スミソニアン航空宇宙博物館の新館長に元海軍中将のダナルド・エンゲンが就任。
96 06 28 米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展示が開幕1年を迎える。
96 09 03 ドール米共和党大統領候補、ユタ州で開催された全米在郷軍人大会で、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展に関連し、原爆投下決定を支持。
96 11 08 ハーウィット米国立スミソニアン航空宇宙博物館前館長、「原爆展拒否の真相」と題して東京大学教養部で講演。
96 12 10? マーチン・ハーウィット元米スミソニアン航空宇宙博物館館長、原爆展中止の経過を詳述した「拒絶された展示」を出版。
97 08 05 ハーウィット前米国スミソニアン航空宇宙博物館館長、広島市で開催された第4回世界平和連帯都市市長会議で講演。
97 08 05 スモーレン元アウシュビッツ館長とハーウィット元スミソニアン航空宇宙博物館長、広島市の原爆ドーム前で対面。
97 08 08? ハーウィット前米スミソニアン航空宇宙博物館館長の著書「拒絶された原爆展」の日本語版、出版。
97 08 27 広島平和文化センター、平和文化市民講座を開催。マーティン・ハーウィット前米スミソニアン航空宇宙博物館館長が「アメリカは広島・長崎への原爆投下をどう見ているのか」をテーマに講演。約300人が参加。
98 03 20 「科学技術と社会に関する国際会議組織委員会」、シンポジウムを広島国際会議場で開催。中山茂神奈川大学教授(広島の被爆者)の講演、グレッグ・ハーケン米スミソニアン博物館学芸員などによるシンポジウムなど。
98 05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。
98 07 26 石川県在住のアメリカ人劇団主宰者ウエスタハウト、スミソニアン航空宇宙博物館の依頼で原爆の子の像のモデル「サダコ」のミュージカルを作るため広島を訪れ取材。

 

年表:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の戦後

年表:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の戦後

Y M D NEWS1
45 08 06 米戦略爆撃機エノラ・ゲイ、ウラニウム爆弾(リトル・ボーイ)を広島に投下。世界初の原爆の実戦使用。
58 07 28 ロバ-ト・ルイス(広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の搭乗員)、日本での平和大会に出席するつもりはないと語る。
67 04 24 広島原爆投下機エノラ・ゲイ号の元乗員シャマード曹長(46)、自血病で死亡。米ミシガン州の退役軍人病院で。
70 08 04 毎日新聞の特派員、「エノラ・ゲイ」の元機長チベッツに電話でインタビュー。
70 08 05 「エノラ・ゲイ」のチベッツ元機長、英BBC放送のインタビューで「投下は必要だった」と語る。
70 08 06? 中国新聞特派員、「エノラ・ゲイ」の元爆撃手トーマス・W・フィアビーにインタビュー。
71 11 23 エノラ・ゲイの副操縦士ロバート・A・ルイス大尉の飛行日誌、ニューヨークの画廊で競売に付され、3万7000ドル(1332万円)で落札される。
75 08 05? 米週刊誌ピープル、広島原爆投下に出撃した「エノラ・ゲイ」のパイロットなど4人とのインタビュー記事を掲載。
75 08 09? チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長、「計画完遂に誇り」、「罪の意識はない」とAP記者に語る。
76 10 11 米の航空ショー「エアショー76」(南部民間航空協会主催)、原爆投下を再現。テキサス州ハーリンゲンで。一万八千人の観衆の前でエノラ・ゲイ機のチベッツ元機長が模擬原爆を投下
77 10 08 広島に原爆投下したB29「エノラ・ゲイ」の機長だったP.ティベッツ退役将軍、米の航空ショーでB29操縦。
78 10 12 スパークマン米上院外交委員長、第25回在郷軍人賞を元「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツに授与すると発表。
78 11 14 エノラ・ゲイの飛行日誌(ルイス副操縦士による鉛筆書き)、ニューヨークで競売に付され、8万5000ドル(約1600万円)で雑誌出版社が入手。
79 08 07? ワシントンの米国立航空宇宙博物館、エノラ・ゲイを復元して一般公開することを検討。
79 11 23 広島市の被爆者、広島へ原爆を投下したエノラ・ゲイ号の飛行日誌などを、P・ティベッツ米退役将校から入手。
79 11 28 広島市の被爆者が購入したエノラ・ゲイ号の飛行日誌など、広島に届く。
80 01 09 原爆投下ドキュメント「エノラ・ゲイ」の著者ゴードン・トーマス、来広。
80 03 20? 原爆を投下した「エノラ・ゲイ号」乗員らの証言を記録したテープ、広島市の被爆者のもとに届く。
80 06 18? 中国新聞のニューヨーク特派員、広島原爆の投下機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・チベッツにインタビュー。
80 11 26? 広島原爆投下作戦の全容を描いたテレビ番組「エノラ・ゲイ」、米国で放送される。
81 02 25 エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ、「原爆投下は悔いぬが、法王の訴えには敬意」と語る。
81 02 25 広島に原爆を投下した米空軍機「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツ、原爆投下について後悔していないと言明。
81 06 16 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長P・チベッツより広島原爆資料館長へ書簡届く。
81 06 26? 元エノラ・ゲイの関係者ら、同機を保存するよう求める運動を計画。
81 06 29? 「エノラ・ゲイ」号機長P・チベッツより、広島原爆資料館長に手紙届く。米のテレビ映画「エノラ・ゲイ」について。
81 08 03 広島原爆資料館長、「エノラ・ゲイ」号保存を進めている元機長に手紙を送付。
82 07 33 米ワシントンの国立航空宇宙博物館、シルバーヒル別館に「エノラ・ゲイ」の胴体を展示し一般公開。
82 08 06 米のニュースショー番組で、広島への原爆投下機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・チベッツと在米被爆者との対談を放送。
83 06 18 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」号の副操縦士ロバート・ルイス、死去。
83 08 06 米紙、原爆塔載機「エノラ・ゲイ」機長ポール・チベッツの談話掲載。「原爆は、戦争のむなしさを示した。」
83 08 12 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の副繰縦士だった故ロバート・ルイス、原爆投下について悩み、キノコ雲の彫刻を創作していたことが判明。
84 07 18 米国の臨床心理学者グレン・バン・ウィロビー、来日。同博士は、エノラ・ゲイの副操縦士の心理療法に従事。
84 07 22 「84平和のための戦争展」大阪市で開催、(同展実行委主催)(29日まで)広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の副操縦士故ロバート・ルイスが制作した「キノコ雲」の彫刻展示。(8.2-8.10京都市で)。
87 08 03 米のスミソニアン国立航空宇宙博物館、原爆投下機「エノラ、ゲイ」号の原爆搭載部分を復元したと発表。
88 08 05? 広島に原爆を投下した米軍材「エノラ・ゲイ」、保存のためスミソニアン研究所で解体・修理中。
88 12 31? 広島に原爆を投下した米軍の爆撃機エノラ・ゲイ復元作業が進行中。新設の航空宇宙博物館別館に展示することを計画。
89 09 25 画家平山郁夫、米の原爆投下機「エノラ・ゲイ」号の水彩画2点を広島市に寄贈。
89 11 27 米の原爆投下機「エノラ・ゲイ」の乗組員ら(5人)、英の原爆をテーマにしたテレビ出演のため来広。原爆資料館など見学。
90 01 29 米国スミソニアン博物館、ワシントン郊外に建設される同館別館に、原爆投下機「エノラ・ゲイ」を展示するとの計画を発表。
90 02 07 広島に原爆を投下した米の爆撃機「エノラ・ゲイ」の航空日誌、競売にかけらる。偽物説が流れ、競売は不成立。
90 08 03 広大原医研横路教授・「エノラ・ゲイ」元乗員ら、スペインのテレビ局が企画した討論番組に参加し、「戦後45年間の平和」について討論。スペイン全土に放映。
90 08 14? 広島に原爆を投下した米空軍機エノラ・ゲイ号の元乗員らが、原爆投下記念グッズを販売していることが判明。元機長ポール・チベッツによる「エノラ・ゲイ号の飛行」と題する本・カップ・Tシャツなどを販売。
90 08 21 広島平和文化センター事業部長高橋昭博、エノラ・ゲイ号の元機長ポール・チベッツに「原爆グッズ」の販売中止を求める手紙を送付。
90 08 25 原爆投下機エノラ・ゲイ号の元乗員ら、米ユタ州で戦後45年の記念集会を開催(約400人参加)。戦争終結に原爆投下は必要だったとの発言が相次ぐ。世界平和を願う碑を建立し、除幕式。
90 09 11 日本被団協、エノラ・ゲイ号の元乗員らによる原爆記念グッズ販売問題で、チベッツ元機長に抗議文を送付。
90 10 22 中国新聞社、広島に原爆を投下した米軍機エノラ・ゲイ号の航空日誌の写真コピーを入手。
92 08 31 ワイアット・デューゼンバリ(エノラ・ゲイの航空機関士)、死亡。
93 01 29? 佐世保市の末次昌子、広島での入市被爆の体験などを詠んだ歌集「エノラ・ゲイ航空日誌」を出版。
93 08 02 クリントン米大統領、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイを展示する博物館をワシントン郊外のダレス空港近くに建設する法律に署名。
94 03 30? 米国の退役軍人ら、スミソニアン協会のエノラ・ゲイ機と被爆資料の同時展示に猛反発。
94 07 31? アメリカの作家ゴードン・トマス、広島への原爆投下機エノラ・ゲイの元乗組員の証言の録音テープの買い手を募る。
94 08 10 24人の米下院議員がスミソニアン宇宙航空博物館のエノラゲイ展示計画に、原爆被害を強調し過ぎているとの抗議の書簡を出していたことが判明。
94 08 17 ルイス米下院議員、スミソニアン博物館にエノラ・ゲイ展示計画の変更を求める声明を発表。
94 08 18 スミソニアン博物館が「エノラ・ゲイ」展示で米下院議員に意向を配慮するとの返答を出していたことが判明。
94 09 19 ナンシー・カッセボム米上院議員、スミソニアン航空宇宙博物館が予定しているエノラ・ゲイ展示は、バランスを欠き侮辱的だとして計画変更を求める決議案を提出。
94 09 23 米上院本会議、エノラ・ゲイ機の展示を計画しているスミソニアン航空宇宙博物館に対して「米国人の思い出を非難することになるのを避けるべきだ」として展示内容の変更を求める決議を満場一致で可決。
94 09 27 スミソニアン航空宇宙博物館が計画しているエノラ・ゲイ展示問題で米下院に計画の修正を求める決議案が提出されていることが判明。
94 09 29 米紙ワシントン・ポスト、スミソニアン航空宇宙博物館が、全米退役軍人協会からのエノラ・ゲイ展示への抗議に対する譲歩として、被爆時計の展示中止など展示内容の変更を決めたと報道。
94 10 20 米スミソニアン航空宇宙博物館、エノラ・ゲイの展示をめぐる退役軍人らの批判を入れ、「感情に訴えるような(被爆状況の)写真や遺品」は展示から除き、太平洋戦争の経過に関する展示は増やすなどの修正計画の概要を公表。
94 10 20? 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、米国立スミソニアン航空宇宙博物館が計画している原爆展に関連し、ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長に、「ヒロシマの心」を伝える手紙を発送。
94 10 26 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から予定している広島原爆投下爆撃機エノラ・ゲイの詳細な展示計画書(約450頁)を公表。米退役軍人団体の批判を受け入れ、太平洋戦争全体の説明を大幅に増やした内容。
94 11 01 栗山駐米大使、記者会見で、エノラ・ゲイの展示計画問題について、大使館が注文を付ける筋合いのものではないと語る。
94 11 17 バーンシュタイン、ウィットナーなどアメリカの歴史学者ら52人、スミソニアン米航空宇宙博物館に、エノラ・ゲイ展の退役軍人会の圧力による修正企画案を元に戻すよう申し入れる書簡を発表。
94 11 23 米スミソニアン航空宇宙博物館、来年5月から展示する広島原爆投下機エノラ・ゲイの胴体を、メリーランド州の同館ガーバー施設から展示場所に搬入。
94 12 15 核戦争防止国際医師の会米国支部「社会的責任のための医師の会」など17の平和団体代表ら、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示について、被爆の惨状を復活するよう要請。
95 01 18 米復員軍人協会、スミソニアン航空宇宙博物館に対し、エノラ・ゲイ展示の中止を申し入れ。
95 01 19 米下院の共和党議員2人、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示問題で、ハーウィット博物館長の辞任を要求すると言明。
95 01 26 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン協会の評議員に、エノラ・ゲイ展示計画批判派のサム・ジョンソン議員を指名すると発表。
95 01 27 ギングリッチ米下院議長、スミソニアン航空宇宙博物館の広島原爆投下機エノラ・ゲイの展示計画について、スミソニアン協会から大幅に縮小するとの話があったことを明らかにする。
95 01 30 スミソニアン協会、評議員会を開催。エノラ・ゲイ展示の大幅縮小を決定。
95 01 30 アメリカの3大テレビネット、スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展示計画の大幅縮小についてニュースで大きく取り上げる。
95 02 23 ヘイマン米スミソニアン協会事務局長、エノラ・ゲイの展示は当初予定の5月から6月に延期される可能性を示唆。科学者団体から「否定的な側面を強調しすぎる」と批判されていた科学関連展示コーナー「米国生活の中の科学」を変更する方針を明らか
95 03 10 米下院歳出委員会内務小委員会、スミソニアン協会の「エノラ・ゲイ」公開展示問題を取り上げる。ヘイマン同協会事務局長、展示では原爆投下正当論を採用することを明らかにする。
95 05 11 米上院議事運営委員会、スミソニアン航空宇宙博物館が企画した広島原爆展に関する公聴会を開催。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの元パイロットら退役軍人5人が原爆投下の正当性を主張。
95 06 03 広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの乗員ボブ・キャロン、死亡。
95 06 22 米国自治領北マリアナ諸島連邦の「北マリアナ記念委員会」、8月6日にエノラ・ゲイの航跡を辿りながら広島を目指す「平和飛行」計画を発表。
95 06 22? 米ワシントンのスミソニアン協会航空宇宙博物館のB29「エノラ・ゲイ機」の展示予定会場にペンキがまかれていたことが判明。
95 06 27 米国立スミソニアン航空宇宙博物館、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」展を報道陣に公開。会場入り口に当初の「原爆展」の企画を誤りだったとするヘイマン・スミソニアン協会事務局長の釈明文を掲示。
95 06 27 反核・平和団体の代表ら、米ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館前で「エノラ・ゲイ」展に対する抗議行動。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館、原爆投下機エノラ・ゲイの展示を開始。
95 06 28 米スミソニアン協会航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展会場で抗議行動を行った反核活動家21人が逮捕される。
95 07 02 B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元機長チベッツ、米オハイオ州の地元紙のインタビューで、広島への出撃は仕事である義務であったと語る。
95 07 10 森下弘・池田精子・原田浩、米アメリカン大学での被爆証言を終え、スミソニアン博物館で「エノラ・ゲイ」を見学。
95 07 17 全米鉄鋼労組(USWA)の500人、日本のタイヤ最大手ブリジストンの米現地子会社の労使紛争に関連し、「エノラ・ゲイをもう一度」などのプラカードを掲げてワシントンの日本大使館前でデモ。
95 07 31 広島テレビ、原爆に関する米国の学校教育を取材した「原爆を落とした国は-エノラ・ゲイと消されたヒロシマ」を放映。
95 07 31 広島テレビ(日本テレビ系)、「ドキュメント95-原爆を投下した国は・・・エノラ・ゲイと消されたヒロシマ」をネット放送。(午前0時15分-1時10分)
95 08 03 ポール・チベッツ元「エノラ・ゲイ」機長、米CNNテレビのインタビューに答え、原爆投下を後悔せずと語る。
95 08 06 米原爆投下機エノラ・ゲイの元爆撃手トム・フェアビー、「原爆投下を遺憾に思う」と語る。
95 08 06 北マリアナ連邦テニアン島・テニアン市のハーマン・マングローナ市長、広島市の平和記念式典に参列。同島は、「エノラ・ゲイ」が飛び立った島。
95 08 06? エノラ・ゲイの副操縦士ロバート・ルイスの航空日誌がニューヨークのフォーブス博物館に展示されていることが判明。昨年6月から。
95 08 07 ポール・チベッツら元米第509爆撃混成団の元隊員、米ニューメキシコ州アルバカーキで記者会見。原爆投下について「悔いなし」と語る。(「エノラ・ゲイ」)
95 09 22 ティベッツ元米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」機長、ワシントンでの講演で、女性や子どもたちを殺す意図は無かったと語る。
95 10 06? フィリップ・ノビーレ、バートン・バーンスタイン、中止となった米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ展」の未公開展示台本を収録した「葬られた原爆展」の日本誤訳版が出版される。
96 04 06 広島県・甲山防空監視哨保存会、同哨跡で記念石碑の除幕式を挙行。約40人が参列。同哨は、「エノラ・ゲイ」の襲来を通報。
96 06 08 戦時中、広島県尾道防空監視隊・甲山防空監視哨副哨長だった寺地文人、原爆搭載機「エノラ・ゲイ」の上空通過の報を受信した基地に勤務していた女性を訪問。
96 06 28 米スミソニアン航空宇宙博物館の「エノラ・ゲイ」展示が開幕1年を迎える。
96 07 20 米原爆投下機エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ、アメリカ国立航空殿堂入り。
96 08 06? 広島原爆投下機エノラ・ゲイが長崎にも飛来していたことが米軍資料で明らかになる。
96 09 03 ドール米共和党大統領候補、ユタ州で開催された全米在郷軍人大会で、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展に関連し、原爆投下決定を支持。
97 04 05? ティベッツらエノラ・ゲイの元乗員4人、ユマの米海兵隊基地で、原爆投下を正当化する発言を行う。
98 04 15 米国の劇作家クリス・ハードマン、広島平和文化センターを訪れ、原爆をテーマにした空間芸術の自作「独りぼっちのエノラ・ゲイ」を収録したビデオを寄贈。
98 05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。

 

スミソニアン特別展計画中止についての広島市長コメント

スミソニアン協会特別展計画中止についての広島市長コメント(1995年1月31日)
[広島市資料]
スミソニアン航空宇宙博物館が当初の意図に反して、特別展の規模を縮小し≪米国戦勝50年≫一色に修正したことは、極めて遺憾である。
世界がなお、核の脅威にさらされている今日、戦勝国の論理で原爆を投下した工ノラ・ゲイ号を展示する時代ではない。
広島・長崎両市には、今回の被爆資料貸し出しによって米国を責め、非難する意図はまったくなかった。ただ、核兵器がもたらした残虐な実態を米国の人々に知ってもらうことによって、核兵器のない世界を築く世論を高めたい、と願っていただけに、残念さは一層強い。
広島市としては、今回のスミソニアン側の決定とは関係なく、≪被爆50年≫にあたって米国で討論の場を設けるなど、独自な催しを展開することによって、米国民に核兵器廃絶にかけるヒロシマの思いを訴えかけていくつもりである。
平成7年1月31日
広島市長 平岡 敬

スミソニアン「原爆展」計画をめぐる8名のアメリカ研究者グループの館長あて申入書

スミソニアン航空宇宙博物館「原爆展」計画をめぐって8名のアメリカ研究者グループの申入書
1994年11月17日
あて先:国立航空宇宙博物館館長 マーティン・ハーウィット
差出人:バートン・バーンスタイン、ケイ・バード、キャロル・ガラハー、ジョゼフ・ガースン、ロバート・J・リフトン、グレッグ・ミッチェル、ロバート・ミュージル、ローレンス・S・ウィットナー
「終幕:原爆と第二次世界大戦終結」展に関する勧告
1)原爆使用および、それが第二次世界大戦終結に必要であったがどうかに関する50年間にわたる論争を明確にふまえること。

2)原爆投下以前に日本は敗北に近づいていたことの証拠を認めること。
3)原爆使用について留保を示した歴史的人物たちの重要な発言を含めること。
4)日本への焼夷弾爆弾がもたらした破壊に関して正確な評価を取り入れること。
5)広島とそこに居住する市民を標的とすることは正当であり主に軍事的な目的があったという印象を修正すること。
6)アメリカが日本に侵攻した場合に予想されたアメリカ人死傷者に関する記述を修正すること。
7)日系アメリカ人の強制収容所について明記すること。
8)第400セクション「グランド・ゼロ」から削除された部分を復活させること。
9)被爆者の扱いを修正すること。
10)原爆投下に対して当時まき起こった宗教的、道徳的、政治的な反対運動に関する歴史的な記録を盛り込むこと。
11)原爆投下が後世に残した事柄について適切な扱いを行うこと(第500セクション)
出典:原水爆禁止日本協議会『国際情報資料1』(1994年12月28日)

スミソニアン特別展に関する米国上院議長あて広島市長書簡

スミソニアン協会特別展に関する米国上院決議につき上院議長あて広島市長書簡(1994年10月20日)
[広島市資料]
米国上院議長
アルバート・ゴア様
拝啓 時下益々御清祥のことと存じあげます。
この度、私たちは、アメリカ合衆州国上院が来年5月から開催が予定されているスミソニアン協会・国立航空宇宙博物館の展示会「最後の幕:原爆と第2次世界大戦の終結」に関し、「原爆を投下したエノラ・ゲイは第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。展示が、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。」との決議を満場一致で採択したことを知りました。
私たち広島市民は、原爆投下を肯定し、ひいては戦争を正当化するこのような考え方に強い怒りと悲しみを感ぜざるを得ません。いずれの国の国民も決して核兵器や戦争は求めていないと確信しているからです。戦後50年を経て、私たちが成すべきことは、歴史に学ぶ視点を持ち、全人類の共存と繁栄を願い、その実現に向けて努力することであります。
私たちは過去の戦争の是非を議論するのではなく、いかにして核兵器が存在する時代の戦争をなくすべきかを議論することに意義があると考えております。そのためには、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実態を世界の人々が知り、核兵器の持つ非人道性を認識することが大切です。
核時代に生きていることを身をもって知っている私たちは、その最初の体験を世界の人々に知って欲しいと思っております。この展示会が、私たちの意図を汲み取り、よりよき未来社会の形成に向けて、大きな役割を果たされんことを切望しております。
敬具
1994年10月20日
広島市長 平岡 敬

スミソニアン原爆展に関する決議(アメリカ合衆国上院)

アメリカ合衆国上院
スミソニアン原爆展に関する決議
1994年9月23日
アメリカ合衆国上院決議
来る国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示におけるアメリカ軍兵士の適切な記述に関して、上院の意見を表明する。
一.エノラ・ゲイは、第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。
一.国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示の現在の企画書は、修正主義的で、多くの従軍兵士にとって侮辱的である。
一.連邦法は、「スミソニアン協会は、アメリカ合衆国における、自由で、平和で、独立した社会及び文化を、創造し、発展させ、維持するために、アメリカ軍によってなされた貢献を記念し、展示するものである。」と謳っている。
一.連邦法は、「アメリカ軍兵士の勇気ある行為、献身的な軍務は、アメリカの現在、未来の世代への鼓吹として、描かれるべきである。」とも、謳っている。
一.国立航空宇宙博物館は、交戦におけるアメリカの役割を記念するため、連邦法のもとに、時代の適切な文脈で、歴史を記述する義務をもっている。
従って、ここに、次のとおり上院の意見を決議する。
エノラ・ゲイに関する国立航空宇宙博物館による展示はすべて、第2次世界大戦中、忠実に、無私にアメリカ合衆国に仕えた兵士に対して、適切な記述をすべきであり、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。

栗原貞子

くりはら ・さだこ 19130304生20050306没 享年92
詩人・歌人・評論家。『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)。広島原水禁常任理事 http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0505_1.htm

著書

書名 出版社 出版年月日
黒い卵 詩歌集 中国文化発行所 19460830
私は広島を証言する-栗原貞子詩集 詩集刊行の会 19670715
どきゅめんと・ヒロシマ24年-現代の救済 社会新報 19700420
詩集 ヒロシマ・未来風景 詩集刊行の会 19740330
ヒロシマの原風景を抱いて 未来社 19750731
ヒロシマというとき 三一書房 1976
核・天皇・被爆者 三一書房 19780715
未来はここから始まる-ヒロシマ詩集 詩集刊行の会 19790401
反核詩集 核時代の童話 詩集刊行の会 19820321
核時代に生きる-ヒロシマ・死の中の生 三一書房 19820815
黒い卵 占領下検閲と反戦・原爆詩歌集(完全版) 人文書院 19830720
栗原貞子詩集 土曜美術社 19840715
詩と画で語りつぐ 反核詩画集 ヒロシマ 詩集刊行の会 19850315
栗原貞子詩、吉野誠画
反核詩集-核なき明日への祈りをこめて 詩集刊行の会 19900731
問われるヒロシマ 三一書房 19920630
栗原貞子詩集 忘れじのヒロシマわが悼みうた 詩集刊行の会 19970630

資料

 資料
『栗原唯一追悼 平和憲法の光りをかかげて』(栗原貞子編、詩集刊行の会刊、19801115)
栗原貞子「文明の野蛮を憂う」(『朝日新聞 論壇』1995.8.4)
 事項
 谷本清平和賞(第3回 1990年)受賞
 栗原貞子生誕100年記念展示(広島市立中央図書館、2013)

2013年夏・反核ヒロシマ(メモ)

2013年10月14日メモ(宇吹)

第8回平和市長会議総会(この総会で平和首長会議と名称変更)
テーマ 「核兵器のない世界」の実現を目指して-「ヒロシマ・ナガサキの心」を世界に-
8月3日~6日  参加者数 157都市 251人 各国政府11か国 13人 自治体組織・NGO等18団体 41人 合計 305人
広島戦災供養会原爆死没者慰霊行事
8月6日 06:15~
平成25年(2013年)平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)
8月6日 08:00~08:57  約5万人
70カ国と欧州連合(EU)の代表(核兵器保有5カ国では、中国を除く4カ国代表)
合唱団(約360名)吹奏楽団(約240名)
原爆死没者名簿=名簿には過去一年に亡くなった被爆者と新たに確認された死亡者5859人の名前を追加、総数は28万6818人。被爆者健康手帳所持者=3月末現在、20万1779人。
広島286,818+長崎162,083=計448,901人
原水爆禁止2013年世界大会
8月6日  原水爆禁止2013年世界大会・広島
広島県立総合体育館グリーンアリーナ 2,200人
8月9日10:30~13:00 原水爆禁止2013年世界大会・長崎の閉会総会
長崎市民会館体育館・文化ホール 7,000人
被爆68周年原水禁世界大会
7月28日 被爆68周年原水禁世界大会・福島大会 福島市 約1200人
8月4日  被爆68周年原水禁世界大会・広島大会 広島グリーンアリーナ 3,500人
8月6日  まとめ 中国新聞ホール 約700人
8月7日  被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会開会総会 長崎ブリックホール 1600人
8月9日  被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会閉会総会
長崎県立総合体育館メインアリーナ 2000人
核禁
8月5日  核禁広島全国集会  リーガロイヤルホテル広島
8月8日  2013核兵器禁止平和建設国民会議長崎集会
生協連
8月5日  2013虹のひろば 広島県立総合体育館1,100人(52生協、県外600人、県内500人)
広島県生協連では2003年より、ピースアクション(日生協提唱)のスタート集会の位置づけで「ピースフォーラム」を毎年開催しています。あわせて、ピースリレー結団式を同時開催していますhttp://hiroshima.kenren-coop.jp/activity/heiwa/heiwa20060710_01.html
8月6日  ピースナイター2013  広島市マツダスタジアム 28,400人
主催団体:生協ひろしま・広島東洋カープ・中国新聞社・広島平和文化センター・広島電鉄
連合
8月5日  連合2013平和広島集会  広島市中区の上野学園ホール 約2,000人
8月8日  連合2013平和長崎集会  長崎県立総合体育館メインアリーナ 約3,300名
連合主催、原水禁・核禁会議共催、後援8団体(長崎県、長崎市など)
2005年~2012年 核兵器廃絶20**平和ヒロシマ大会(連合・原水禁・核禁会議3団体主催)
日本会議広島
8月6日  第5回 8.6広島平和ミーティング「ヒロシマ反核平和の終焉」
リーガロイヤルホテル広島 1200名  講師:佐藤正久防衛政務官、森本敏前防衛相

スミソニアン特別展への広島市の対応

「米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展の開催に伴う主要な経緯について」[広島市資料]

[広島市資料]

年 月 日 内容
1993.04.05 航空宇宙博物館のハーウィット館長とクローチ航空学部長が来広し、市長を表敬訪問するとともに資料館を見学し、引き続き、広島市側(平和記念資料館、平和記念館、(財)広島平和文化センター)との協議を行った。
その後、ハーウィット館長とクローチ部長は長崎市を訪問した。
05.31 同館のクローチ航空学部長と特別展担当学芸員等が来広し、広島市側と協議を行った。
07.17  展示計画書(英文)を受領した。
その後、翻訳を行い、その内容について検討を重ねるとともに、疑問点について博物館側に質問するなどの協議を行った。
その後、長崎市を訪問した。
10.22  特別展に貸出しを希望する資料リストを受領した。
11.30  特別展に広島市から資料を貸し出すことを決定した。
1994.09.23  米国上院議会が「原爆を投下したエノラ・ゲイは第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、目米両国民の命を救った。展示が、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきでない。」との決議を採択した。
10.20  上記の決議の採択に対し、米国上院議長あてに書簡を提出した。
11.18  展示台本を受領した。
12.21  「米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会」を開催した。
1995.01.20  米国在郷軍人協会が、博物館に展示の中止を申し入れた。
01.26  米国下院議員が、スミソニアン協会にハーウィット航空宇宙博物館長の辞任を要求した。上院では、公聴会の開催が要求された。
01.30  スミソニアン協会が評議員会を開催し、特別展の規模を縮小し、広島・長崎の被爆資料等の展示を行わないことを決定した。
01.31  市長あてスミソニアン協会ヘイマン事務局長及びハーウィット航空宇宙博物館長より、特別展の計画を中止する旨の書簡が届いた。
書簡の届いた旨の記者発表を行い、あわせて市長コメントを出した。

私の「スミソニアン原爆展示論争」(日記より抄録)

 スミソニアン原爆展示論争

Y M D J
92 10 21 国際交流基金(東京)より電話。内容:1995年スミソニアン博物館が、エノラ・ゲイを復元する。これを機に、原爆についての詳しい状況を調査したい。ついては、日本の研究者を紹介して欲しいとの依頼が8月に館長からあった。
92 10 27 広島原爆資料館の話=国際交流基金からの電話には、戸惑った。スミソニアン博物館に被爆資料の現物を送って、変な扱いをされたら、市民の間から抗議がでる。現在市には余裕が無いので、費用の点も心配だ。
92 11 05 広島原爆資料館より電話=資料館では、資料の貸出について検討している。スミソニアン博物館よりの問い合わせの経緯について詳しく知りたい。
93 02 02 ハーウィット・スミソニアン協会航空宇宙博物館長より手紙(1月18日付)が届く。
93 02 26 この週、スミソニアン博物館関係者来広の予定であったが、連絡が無いまま過ぎる。
93 03 17 A新聞社より電話。スミソニアン博物館館長の4月上旬の広島入りについて、どう対応するか問い合わせ。よく解らないと回答。
93 03 23 原爆資料および情報ネットワーク委員会懇談会。スミソニアン問題が話題になる。4月5日に放影研に関係者が来るので、一緒に会うことになる。
93 04 04 広島平和文化センターより電話。スミソニアンの件について。明朝、広島市で会議を開き、態度を決める、資料を提供する方向で検討している由。
93 04 05 放影研理事長室。ハーウィット(スミソニアン・航空宇宙博物館館長)とクロウチ(アメリカ歴史博物館社会文化史部門議長)と会う。
93 04 09 広島平和文化センターより電話。放影研でのスミソニアンとの話合いの様子について聞かれる。
93 05 06 スミソニアン博物館のニューフェルトより手紙が届く。資料の礼と5月下旬に来日の連絡。
93 05 07 スミソニアンのハーウィット館長より礼状が届く。
93 05 21 広島原爆資料館より電話。スミソニアン関係者との会合の日程についての問い合わせ。
93 05 31 Bテレビ局より電話。スミソニアンの件。広島市は資料貸出に前向きの姿勢を示しているが宇吹が働きかけているのではないかと言われる。
93 05 31 スミソニアン関係者(クラウチ・ニューフェルト・ジェイコブス)来所。広島市の対応が良かったらしく、こちらにあまり関心を示さなかった。前回のことがあるので儀礼的訪問だろう。
94 07 11 C・D(広島原爆資料館)来所。スミソニアンから展示のシナリオが届いたので目を通して欲しい、委員会を組織し検討する体制を作りたいとのこと。
94 07 21 広島原爆資料館の話=スミソニアンのシナリは、当初はひどかったが、資料を借りることが困難との雰囲気を察知してから、真剣に対応するようになった。
94 08 04 スミソニアン企画案を一通り読み終える。
94 10 03 宇吹の感想=スミソニアン展示問題は、重大な事件だと思うが、マスコミの取り上げ方にそうした認識が見られない。タブー視の可能性あり。被爆50周年後の見通しは暗いが、投げ出すわけには行かない。
94 10 04 B(テレビ局)から電話(ワシントンから)。スミソニアン博物館問題に関してアメリカで世論調査を行ってみたいので知恵を貸して欲しい、とのこと。
94 10 11 B(テレビ局)より電話。約1時間にわたりスミソニアン博物館の展示について話す。現在、スミソニアンと退役軍人の間で詰めの作業中。100万人の救った、いやせいぜい3100人ぐらいだろうなど。両者を取材するので、知恵をつけておきたい、とのこと。展示する時計を一つにする、戦後の核開発部分をカットするなどのスミソニアンの譲歩。どこまでの譲歩なら、貸し出すか。広島の資料によって伝えたいヒロシマのメッセージとは何か、などなど。
94 10 14 E(長崎市役所)の話。スミソニアン博物館への資料貸出について、広島市は色々躊躇しているが、長崎市は積極的に貸し出す方針。
94 10 21 F新聞社より電話。スミソニアン博物館の修正展示案に対する意見を聞かれる。積極的に応じるべき、と述べる。
94 11 02 広島原爆資料館より電話。スミソニアン博物館問題についてはマスコミの方が詳しい情報を提供。日本訳が届いたらまた読んで欲しい。
94 11 21 広島原爆資料館より電話。スミソニアンから資料が届いた。先ほど、記者発表。近々、コピーを届ける由。
94 11 22 C・D(広島原爆資料館)、スミソニアンの修正展示案を持参。市としては一応貸す方向、どういう条件を付けるかに議論がしぼられる可能性。貸出を求めているもののほとんどは、現在展示してあるもの。国会での展示点数より少し少ない。
94 12 08 スミソニアン原爆展示のシナリオを読了。
94 12 10 自宅にスミソニアン展示シナリオについての意見を書く用紙が届いている。
94 12 12 Gにスミソニアン原爆展示の話をすると関心を示す。同博物館を見学したいとのこと。宇吹がツアーを組んで見学に行くという夢を語る。
94 12 14 F新聞社との話。私のスミソニアン博物館見学ツアーの話は非常に面白いとのこと。自分が同行取材したいが、おそらく若い記者が行くことになるだろう。同館長が、H大使に相談。外務省は、広島原爆資料館長と会って、外務省として仲介の労をとっても良いと伝達した。とのこと。
94 12 14 I研究会でスミソニアン見学ツアーについて提案。関心は示されたが、通信発行の中で検討することになる。
94 12 15 広島原爆資料館へスミソニアン展示についての意見書をファックスで送る。
94 12 18 Jより電話。被団協の意向を聞く。両被団協とも、修正するというなら、スミソニアンへの貸出を断るべきとの見解。
94 12 20 F新聞社の取材。平岡市長が、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展示に出席するというのは、すでに予算化されており周知の話。独自の原爆展を開催するというのは、市長の希望の段階。
94 12 21 米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。於平和記念資料館東館地下1階会議室。報道陣多数の中で。 私の発言=スミソニアン関係者と会い、非常に立派な人たちとの印象を持った。その結果、台本を読んだ感想ではバイアスがかかっている。ヨーロッパにおけるドイツと他国間の、アジアにおける日本と他国間での共通の教科書作りの試みが日本とアメリカとの間で欲しいと思っていた。スミソニアン関係者は、私にとって、日米の共通理解のための貴重な人材と思える。シナリオの修正案を見て、彼らが、まだ自分達の主張を残そうと頑張っている様子が感じられた。この企画は、もともとB29からエノラ・ゲイに至る航空史である。それを企画担当者が、広島・長崎への深い同情と理解を持つものにしようとした。それに対する反発として退役軍人会からの反発があり、太平洋戦争史の側面が加えられた。展示としては妙なものになった。修正案で数が減ったとはいえ、アメリカで開催される原爆展としては、これまでにない大規模なものとなる筈。
94 12 22 Kより電話。新聞で昨日のスミソニアン関係の会合での宇吹発言を読んだ。一人、変わったことを発言していた。
95 01 13 スミソニアン展示シナリオ検討会議。原爆資料館東館地下1階会議室。3人で先日の会で出された意見の検討と集約。平岡市長が5月の展覧会開会式に出席しないと言っており、予算が削られたとのこと。
95 01 24 Fの話=市長がスミソニアンのエノラ・ゲイ展の開幕式に出席しないのは招待されていないから。
95 01 31 L新聞社より電話。スミソニアン博物館の原爆展示が中止になったことについてコメントを求められる。
95 01 31 広島原爆資料館より電話。スミソニアンのハーウィット館長より原爆資料展示の中止の連絡が入った由。
95 01 31 M放送局より電話。スミソニアン博物館の原爆展中止についてインタビュー場面を撮影させて欲しい。断る。
95 01 31 F新聞社より電話。スミソニアン博物館の原爆資料展示中止について意見を求められる。
95 02 03 I研究会。2月後期号から2回、スミソニアン博物館問題を取り上げることになる。
95 02 10 米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。原爆資料館長の話=ヘイマン・スミソニアン協会事務局長がシンポジウムの開催に言及したので、問い合わせたが、現在のところ具体化はされていない。 Nとの会話=ダートマス大学のシャーウィンと会った。スミソニアンの展示の諮問委員会の委員9人の1人。スウェインは現在ノースキャロライナに帰っているが、地元でスミソニアンの展示中止に対し抗議文を出した。WHOやIPPNWとの連携。私の発言=平和データベースを始動させ、スミソニアン問題に関する海外の情報を集めてはどうか。 私の感想=マスコミは、市長の行動に期待しているが、アメリカ国内での原爆展やシンポジウムにどれだけに意味があるのか、という評価は難しい。
95 02 10 Aと平和公園で会う。スミソニアン問題でアメリカ取材をするつもりとのこと。
95 02 13 O新聞社より電話。14日OR15日にスミソニアン問題で広島を取材したい。
95 02 18 Pより自宅に電話。Q誌へのスミソニアン問題についての原稿依頼。
95 03 02 長崎県立図書館。2月1日のスミソニアン問題の長崎での報道をコピー。
95 03 06 I研究会。第5号の編集。次号は、スミソニアン年表で合併号を発行することになる。
95 03 17 Rより電話。総会での講演に手を入れて欲しい。スミソニアン原爆展について加えることとの依頼。
95 04 11 広島市役所。アメリカン大学での原爆展の話を聞く。うまく進んでいない様子。
95 06 14 広島原爆資料館より電話。アメリカン大学での原爆展開催を正式に決定し、昨日、現地で記者会見、日本では今日10時に記者会見を開くとのこと。
95 07 21 S新聞社京都支局より電話。1962年に学生がアメリカの約10の大学で原爆展を開催した。その歴史的意義について。
95 07 31 S新聞社京都支局より電話。学生の原爆展が全米20か所で開催されていた由。
95 08 08 ヒロシマ平和セミナー(アメリカン大学・立命館大学一行への講演)。討論の途中で中国人女性留学生が発言。スミソニアンにバランスの取れた展示を要望すると同様に、原爆資料館に加害の展示をするよう求めるとの流れに傾く。Tが、東京に加害展示をすべきとの持論。私は、原爆被害者が「被害者意識」を持つまでの大変な歴史を話す。
95 09 20 国立国会図書館新聞閲覧室。地方紙の8・6社説の調査。6時過ぎ終了。独自の連載が少なかった。社説に被爆者問題に言及するものなし。スミソニアン、加害、核廃絶、体験継承などが主なテーマ。
95 09 30 日本科学者会議広島支部創立30周年記念集会。シンポジウム「被爆50周年を考える」。私の発言=スミソニアン原爆展示問題で明らかになったことは、日米ともに戦争体験が過去のものになりつつあるということ。退役軍人会の攻撃は、50周年以後に戦争体験をどのように残していくのかについての戦略の一環ととらえるべき。
95 10 09 平和科学研究センター20周年記念シンポジウム「21世紀の平和学と広島の貢献」。於広島国際会議場。 鈴木=スミソニアン問題を見たとき、パール・ハーバーに日本が如何に取り組んだかを考えた。国際政治は国家間政治という時代は終わった。日本は、ウチとクニが一緒に考えられる珍しい国。大江健三郎と野坂昭如がこの点を考えてきた。関の話=スミソニアン問題では、アメリカの学者が日本の右翼の論理を採用し、退役軍人が左翼の論理を採用するというねじれ現象があった。 私の感想=パネラーがスミソニアン問題や歴史研究の重要さに触れた。彼らは、アメリカからの動きがなければ、原爆資料に対する関心は無かったであろう。一方、核実験反対運動や国際司法裁判所の動向には誰も触れず。平和運動と距離を置いた平和研究の限界が現れている。
95 10 20 「戦争と原爆展」。於カレント・コスモ。平和集会が開かれており、参観者多数。
95 12 08 F来所。フランスの反核運動の様子を聞く。日本の原爆展の押しつけに反発。パリのデモに参加。歌手の歌に合わせて歌いながら行進。ミホ・シボ氏が、フランスの実情を知らない日本からのさまざまな要請に困っている、とのこと。
95 12 27 Fの話=アメリカの学者のダブル・スタンダード(=日本人に戦争責任を理解させるためにアメリカの原爆投下責任を追求)。
96 01 30 Fへの話=スミソニアン原爆展に関連した資料を収集して、原爆資料館として展示会をやってはどうか。今年なら、まだ資料が集まるし、また、関心も呼ぶことができるのではないか。
96 02 17 シンポジウム「ピース・クリエイト・シンポジウム・21世紀の平和公園を考えよう」。於国際会議場。 金沢=スミソニアン問題で言われた「歴史観の差」は、実際には「歴史観の欠如」。 直野=「ヒロシマの心」は「核兵器廃絶と恒久平和」という平岡市長のメッセージは、アメリカでの原爆展を準備した人々には、反発を受けた。「ヒロシマ」の人間にしか解らないという姿勢に受け取られた。被爆者自身の生の声・姿が必要。
96 02 27 福岡市原爆被害者の会。T(長崎の被爆者)の話=スミソニアンの原爆展示に反対した米在郷軍人の気持ちは理解できた。
96 05 01 朝日新聞がインターネットで記事データベース(1985年-95年10月)を無料で公開しているとのこと。1日中かけて、「原爆展」・「スミソニアン」・「被爆者援護法」・「原爆」(1995年分のみ)の記事見出しをTXTファイルに吸い上げる。
96 09 24 アメリカンセンター資料室(東京都港区芝公園)。10時半-6時。ワシントンポスト紙の「スミソニアン博物館・エノラ・ゲイ展」関係記事38枚を自分でコピー。1枚20円。利用者にとっては便利な体制。
96 10 11 スミソニアン関係文献、英文文献の整理。
97 05 22 Uに電話。彼の話では、お茶の水大学の学生が、スミソニアン原爆展示問題をテーマに論文を書きたいと相談に来た由。
97 08 03 ノビーレを囲む会。於中国新聞ビル702会議室。参加者にはさまざまな顔ぶれ。ノビーレの話=スミソニアンのスクリプトの公開はスクープのはずなのに、ニューヨークタイムズなどマスコミは無視した。
97 08 27 ハーウィット「拒否された原爆展」読了。
97 10 02 一日、スミソニアン原爆展関係資料の整理。インターネット上のエノラ・ゲイ関係のデータをテキストファイルに取り込むことが簡単に出来た。
97 10 15 V(アメリカ・ブラウン大学の卒論にスミソニアン問題を取り上げ、今回、博物館と記憶、平和公園などをテーマとして取り上げるため来日)より電話。道に迷って広島市役所の前にいるとのこと。迎えに行く。エノラ・ゲイ展示をめぐる記憶についての卒業論文を預かる。広島原爆資料館の展示への要望資料を貸す。
98 01 14 W(コネチカット大学教師)来所。アメリカの様子を聞く。アメリカの知識人の間では、スミソニアンの原爆展示問題後、原爆問題に対する関心が高まっている。大江健三郎がプリンストンで講演したが、アメリカの友人とともに、聞きに行った。大江の英語は滅茶苦茶。HEとSHEの間違いなど。しかし、堂々と話した。
98 02 15 シンポジウム「<原爆資料館の外部委託>を考える」。於中国新聞社7階会議室。 宇吹=スミソニアン問題を卒論に取り上げたアメリカの青年が、今度はヒロシマを取り上げようとしている。しかし、ヒロシマにはハーウィット館長やクラウチ学芸員に相当する人物がいない。彼の意見では、原爆資料館の最初の印象は、強烈、しかし、それに続く自己主張が無い。
98 07 21 X(シンガポールの学校に通う女子高校生)来所。広島の高校へ通っていた由。8月半ばまで夏休み。学校の2年間の学習報告として原爆投下問題を取り上げている。スミソニアン原爆展示論争関係の英文の本などを貸す。

スミソニアン原爆展示論争

スミソニアン原爆展示論争

スミソニアン協会航空宇宙博物館は、原爆投下50周年を記念して、「クロスロード-第2次世界大戦の終結、原子爆弾、そして冷戦の始まり」との名称で特別企画展を開催しようとした。この企画は、広島への原爆投下機エノラ・ゲイと併せて広島・長崎の被爆資料を展示し、アメリカ国民の間に根強く定着している「原爆投下の正当性」を問い直そうとする野心的な試みであった。
1994年3月、シナリオの概要が明らかになると、アメリカ国内では退役軍人協会を中心に、この企画に反対する動きが起こった。こうした動きは、同年9月には上院が全会一致で同博物館に企画の修正を求める決議をおこなうまでに発展した。結局今年1月にスミソニアン協会が、エノラ・ゲイを中心とした展示への変更を決め、被爆資料の展示は取りやめとなった。さらに、5月には航空宇宙博物館館長が、責任を取る形で辞任している。
日本側では、被爆資料を広島への原爆投下機「エノラ・ゲイ」と一緒に展示するという初めての試みに、大きな関心を寄せていた。マスコミは、この一連の経緯を大きく取り上げるとともに、展示内容についても詳細に報道した。
広島・長崎両市は、スミソニアン協会が両市に被爆資料の貸出を要請したことから、この問題への対応をせまられた。両市は、即座に貸出の結論を出すことは避け、スミソニアン側と展示シナリオの内容や貸出条件をめぐり協議する一方で、市民の意見の聴取をおこなった。広島市の場合、1994年12月と95年2月の2回、平和記念資料館(通称=原爆資料館)の被爆資料貸出をめぐり「市民の意見を伺う会」を開いている。市民の間には、当初、貸出に消極的な意見も見られた。その主な理由は、被爆資料が原爆投下の正当化ないし原爆の威力誇示のために利用される結果となることが心配されたからであった。
スミソニアンの企画展示をめぐる論議の中で強調されたことは、原爆投下をめぐる日米の歴史認識の溝の大きさであった。
しかし、このことが明らかになったのは、今回が始めてではない。1991年の真珠湾攻撃50周年に関連した動きは記憶に新しい。当時、日米のマスコミの多くが、原爆投下に関する世論調査を行った。その一つである共同通信社の日米同時世論調査の結果では、「戦争の早期終結のため、やむを得なかったと思う」は、日本=15%、アメリカ=64%、「あの段階では必要なかったと思う」は、日本=8%、アメリカ=10%、「いかなる状況においても、原爆の投下は許されないと思う」は、日本=76%、アメリカ=22%という結果であった(『中国新聞』1991年11月25日)。
ブッシュ米大統領が同年の12月1日に「原爆投下への謝罪の必要はない、真珠湾も過去のこと」と発言したことに対し、日本側から強い反発が起こった。 1995年にも、これと同じようなことが起こった。本島長崎市長の東京・外国人記者クラブでの講演の中での「原爆の使用はユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と並ぶ、人類が犯した20世紀最大の罪」との発言(1995年3月15日)やクリントン米大統領の原爆投下は正当だったとの発言(4月7日、18日)が、日米両国のマスコミで大きく報じられ、大きな波紋を呼び起こした。
1994年から95年にかけてのこれら一連の動きは、一見1991年の繰り返しのように見える。しかし、今回には、1991年には見ることのできなかった新しい動きを確認することができる。アメリカ側では、歴史研究者の多くが、この問題についてつぎつぎと見解を表明した。このことは、原爆投下をめぐる歴史認識の溝が、日米間の問題にとどまらず、アメリカ国内の問題でもあることを明らかにするものであった。
一方の日本側では、原爆投下問題のみでなく被爆資料に対する関心の高まりも見られた。アメリカの退役軍人の中から弁当箱や衣服など被爆者の遺品の展示に対する強い拒否反応が示されたが、このことは、遺品が観覧者に与えるインパクトの大きさを改めて認識させるものであった。
広島市は、スミソニアン協会への資料貸出をめぐり展示シナリオの詳細な検討をおこなった。私は、これに参加しスミソニアン側から送られてきた展示シナリオに目を通す機会に恵まれたが、それは、いわば展示予定の一つ一つの資料について、日米の見解の相違を確認する作業であった。
結果的には、スミソニアン協会航空宇宙博物館における被爆資料展示は中止となった。しかし、アメリカ国内の歴史認識の溝が初めて広範に論議され、日米間の溝が事実に即して検討されたことは、原爆投下を歴史の文脈に位置づけるための貴重な第一歩となった。これを契機に、アメリカでは、原爆投下をテーマとしたシンポジウムが、また日本側では、アメリカ国内での独自の原爆資料展が開催されている。

 

母の自分史

私の想い出 やす

左:「自分史」を書くように勧めた際に渡した暁のメモ

右:上記のメモととも手書き原稿が入れられていた袋の表書き

無題
<自分史の冒頭>
大正10年1月19日生、安芸郡矢野町字**、**吾一郎の五女として生まれる。
父 吾一郎
母 キクヨ
長男 次郎   矢野町在住
長女 キヨノ  **筆雄と結婚 50歳にて死亡
次女 千代   **太郎と結婚
三女 ユキ   宇吹静男と結婚 21歳にて死亡
四女 シズ   幼児中死亡とのこと 記憶なし
五女 ヤス   三女ユキ死亡後の後妻として意志なきままを結婚させられ今日に至る
六女 キミ   **節郎と結婚 43歳にて死亡
次男 一士   焼山**家に養子縁組現在に至るいつわり多き 一生と思う 夏草の

茂る季 生れしと 亡母言いませり

私が五年生、妹きみちゃんが二年生の時、合同で学芸会をした写真が一枚残っている。「乞食と王子」。妹が「乞食」で私は陸軍大臣か何か大臣になって演じた。父は乞食の配役に文句を言っていた。妹は上手に演じた。ハワイ帰りの**さんが英語で歌をうたった。美しいベールをかぶりながら。今の学校の様に主役でもめる事はなく先生が適役を決められるので芸達者が主役で面白かった。
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つづく

都築正男

都築正男(つづき・ まさお)略歴

1892(明治25)年10月20日 兵庫県姫路市に生まれる。
1913(大正2)年7月1日 第一高等学校卒業
1917(大正6)年12月6日 東京帝国大学医科大学医学科卒業
1917(大正6)年12月19日 海軍中軍医
1923(大正12)年4月1日 海軍軍医学校選科学生。東京帝国大学大学院入学
1925(大正14)年2月16日 東京帝国大学助教授、高等官5等に叙せらる。歯科口腔外科研究のため満2年間ドイツ・アメリカ合衆国に留学。
1929(昭和4)年2月6日 東京帝国大学教授(歯科学講座担当)
1934(昭和9)年3月31日 歯科学講座を免ぜられ、第2外科学講座を担任。
1936(昭和11)年9月10日 アメリカ合衆国へ出張。
1939(昭和14)年11月15日 海軍軍医少将に任ぜらる。12月21日、海軍予備役編入。
1940(昭和15)年6月14日 ドイツへ出張。

 

1946(昭和21)年8月3日 文部教官を免ぜらる(海軍将官のため公職・教職追放)。
1947(昭和22)年7月16日 都築正男を原子爆弾傷害調査委員会より解任。
1952(昭和27)年10月10日 東京大学名誉教授
1954(昭和29)年9月30日 日本赤十字社中央病院長。同社輸血研究所長。
1958(昭和33)年9月17日 姫路市初の名誉市民の称号を贈られる。
1958(昭和33)年月日 西独赤十字功労章。
1959(昭和34)年7月2日 日本放射線影響学会初代会長。
1960(昭和35)年6月日 発病。
1961(昭和36)年4月5日 死去。

出典:『都築正男研究業績目録 1925-1960-都築正男大人命20年祭』(広島市史編纂室編、都築正和発行、19810405)

著書

書名コード 書名 編著者 発行所
54023301 医学の立場から見た原子爆弾の災害 都築正男 医学書院
81033104 広島新史・資料編Ⅰ-都築資料 広島市(編) 広島市
81040501 都築正男研究業績目録 1925-1960-都築正男大人命20年祭 広島市史編纂室 都築正和

 

論文

Y M D ZASSIMEI TITLE メモ
45 10 01 日本医事新報 原子爆弾による広島市の損害に就いて 5P以下欠
45 10 01 総合医学 所謂「原子爆弾傷」に就いて-特に医学の立場からの対策 ゲタバキ部分あり。「昭和20年9月8日米国原子爆弾損害調査団を案内して広島市へ向ふ時記す」
54 01 25 日本週報 赤十字精神で原爆を禁止せよ
54 06 広島医学 外科臨床の立場から考察した原子爆弾傷、特にその後遺症状に就て
54 08 思想 歐米に於ける原子力と放射能障害との問題
54 08 改造 キューリー夫妻を訪ねて
54 08 外科 (座談会)放射能症の権威に聞く-ビキニの灰をめぐって 都築正男・中泉正徳・筧弘毅・清水健太郎・石川浩一・柳壮一
54 08 05 思想 欧米に於ける原子力と放射能障害との問題
54 10 15 日本医師会雑誌 慢性原子爆弾症の診断と治療について
54 11 中央公論 水爆傷害死問題の真相
54 11 01 日本医師会雑誌 放射能障害について
54 11 15 日本医師会雑誌 原爆熱傷後の瘢痕異状に対する皮膚移植成形術について
54 12 保健医学雑誌 放射能障害の予後について
55 01 自警 医学的に見た原水爆の災害 「原水爆禁止運動資料集第4巻」の情報。
55 02 東京医学雑誌 広島長崎の被爆とビキニの被灰
55 04 平和 原子力医学のために
55 08 01 婦人朝日 特集・原子力とはどういうものか-女性として知りたい疑問のかずかず 崎川範行・武谷三男・都築正男(解答者)
55 11 学術月報 生物学並びに医学領域の話題と感想
56 04 01 世界 原水爆と放射能禍
56 08 学術月報 原子放射線影響調査に関する国際連合科学委員会に出席して
57 01 学術月報 原子放射線影響調査に関する国連科学委員会第2回会議に出席して
57 04 総合医学 核爆発に伴う人工放射性物質の影響-国際連合科学委員会を中心として
57 05 01 世界 核爆発と放射能
57 06 学術月報 原子放射線影響調査に関する国連科学委員会第3回会議に出席して
58 02 学術月報 わが国における放射能影響調査の研究体制について-問題点提起ならびに討 都築正男[座長]
58 02 学術月報 国連科学委員会について
58 05 学術月報 原子放射線影響調査に関する国際連合科学委員会第四回会議に出席して
58 08 10 週刊朝日 (徳川夢声連載対談)問答有用 都築正男・徳川夢声
58 09 学術月報 原子放射線影響調査に関する国際連合科学委員会第5回会議に出席して
58 10 国連評論37-10 国連科学委員会に関する報告
58 12 日本臨床外科医会雑誌 原子爆弾傷害の本態とその後遺症
59 03 学術月報 「原子力時代の人類への放射線影響に関するシンポジウム」について
59 07 学術月報 原子放射線影響調査に関する国際連合科学委員会第6回会議に出席して
59 07 学術月報 ICRP新勧告の意義
59 11 01 原子爆弾後障害研究会講演集[第1回] 原子爆弾による障害の研究経過について(総括講演)

 

日本ジャーナリスト会議広島支部

沿革

月日
1967 0218 広島支部結成
0304 機関紙「広島ジャーナリスト」NO.1発行
1969 0628 時事通信・田島さんの人権を守る呉市民の会結成
1130 広島県文化団体連絡会議結成。支部が加盟
1970 第1回 不戦の夕べ
1982~ 1988年 活動休眠 「不戦のつどい」中断
1989 0815 第13回 不戦のつどい
1990 0618 JCJ広島支部再建総会
1995 1103~04 JCJ創立40周年・被爆50年全国交流集会
2021 0718
ジャーナリスト会議広島支部総会&記念講演会
講師:宮崎園子さん
会場:広島市まちづくり市民交流プラザ

 

原爆資料および情報ネットワーク委員会経緯(宇吹メモ)

原爆資料および情報ネットワーク委員会経緯(宇吹メモ)

1991年

06 17 *(中国)より電話。慰霊施設について調べるため長崎に行く。7月に広島でこじんまりと話し合える場を持ちたい。考えておいて欲しい。
08 02 *広島市原対課長より電話。慰霊施設との関連で市内の諸機関所蔵の原爆資料が把握したい。援護課長を行かせる。
09 25 *(中国新聞デ-タベース部)来所。瀬戸内図書館連絡協議会委員の就任依頼。今年度中に3回ほど会議を開催の予定。パソコンネットワークについて3時過ぎまで話す。中国新聞のデ-タベースのモニターになることを勧められる。
10 04 厚生省の原爆慰霊施設検討にかかわる関係者、9人来所。手帳・病理標本・電算室・資料調査室を案内。電算室については、*が説明。放影研との違いを強調。
12 06 スウェインに慰霊施設や国際放射線被曝者医療推進協議会の動きを知らせる。岩波の原爆被災白書が今入手できないことを話すと驚いていた。
12 17 *より電話。慰霊施設検討委員会が動向の問い合わせ。放影研が原爆資料の一元化をめざしていることへの危ぐ。

1992年

01 13 *の情報=午後、放影研でHICAREと慰霊施設の合同会議。夕方、厚生省の医療保健局長が来所、*が応対予定。
01 16 *来室。藤居のこと(中国夕刊)、慰霊施設の委員会(17日長崎で会議)のことを話す。宇吹の感想=どういう態度をとればよいのか、頭が痛い。
01 24 *より電話。爆心地復元地図、NHKのものを使用してよいか。慰霊施設の動向にについて一度詳しく意見交換したい。
03 02 *来室。放影研の「原爆資料および情報ネットワーク委員会報告書(案)」を持参。1時間ほど話す。*=情報が一か所で見ることができるようになることは望ましい。宇吹=上下関係のあるネットワークシステムはうまくゆかない、対等のものにすべき。
03 03 *(不在)へ放射線影響研究所の「平成3年度原爆資料および情報ネットワーク委員会報告書」(案)への意見を渡す。新施設が「既設の機関の総合的機能を果たす」という意志表示は、貴重であるが、表に出すべきものではない。結果としてそうなるよう努力すべき。
04 21 原爆被災建物等継承方策検討委員会。-5時10分。*と隣合わせ。会議の進行のメチャクチャに対する文句を私にヒソヒソ言う。厚生省の慰霊施設の委員は股裂きになるので降りたとのこと。広島市としては、国がやろうとしていることに文句は付けられない。
05 24 *・*と酔心で昼食。*に慰霊施設が出来た場合、移れれば行く気持ちがあるかどうか聞く。
06 02 *(中国)より電話。「90反核」日本評論社より出版。1500冊(1冊2500円)を引き取ることが条件。慰霊施設の動向について聞かれる。彼の話では厚生省と広島市が全く意志疎通がうまくいってない模様。広島市衛生局長の評価が低い。
06 18 厚生省企画課長補佐来所。-3時。*応対。宇吹関わらず。慰霊施設関係で資料集めが目的とのこと。
06 24 *と話す。*より放影研の「ネットワーク小委員会」で民博などへ行くよう(7月10日?)に言われた由。
07 01 *に電話。慰霊施設に対する市のその後の動きを聞くが、何もない由。
07 02 *より電話。午後2時に来所。国際平和シンポジウムへのレクチュア依頼。慰霊施設関係の情報サービス小委員会の委員になったとのこと。また、原爆資料館に学芸員がいないことはおかしい。外部で指摘して欲しいとのこと。今後の講師候補に*の名前を挙げておく。
07 09 *(中国)来所。広島のあら捜しの取材。慰霊事業委員会で上坂冬子が全原爆死没者デ-タベースの作成を提案し、厚生省はそれを受けたとのこと。慰霊施設は、放影研とは別の建物を考えている模様。HICAREは一緒。秦野の作成した新聞記事デ-タベースの話をする。
07 14 *(中国)より電話。「ヒロシマはどう伝えられているか」の書評を宇都宮の軍縮問題資料に書いて欲しい。断わる。慰霊施設についての情報を交換。16日、炭谷企画課長が広島市に乗り込む由。
07 27 広島関係資料小委員会・長崎関係資料小委員会・情報サービス検討小委員会合同会議。-16時半。於広島厚生年金会館4階牡丹の間。座長小松隆二。個人的立場から、一元的ネットワークに反対の意見を述べる。情報サービスの中心はレファレンスであり電算化でカバーしきれない
07 31 慰霊施設「被爆者対策小委員会」。於放影研。-4時半。4時に中座。約2時間、「原爆被爆者対策史編集方針案」を説明。編集長・小委員会委員を引き受ける。
08 19 *(庶務)にネットワーク委員会のデ-タベースに関するアンケート調査を渡す。
08 28 宇吹が核被害情報が重要と発言したら、*(放影研)が、それは慰霊施設でやっているから、平和問題を中心にすべきと発言。平和文化センタ-は、平和記念資料館の資料のデ-タベース化は考えている。しかし、市公文書館の資料は、同館が独自に計画。
09 09 *に話す=コンピュ-タ-ネットワークは、技術者をいくら集めても答えは決まっている。問題は、何を入力するかだ。平和文化センタ-は、田原資料を中心にすればよい。
10 27 原爆資料および情報ネットワーク委員会・拡大委員会。於メルパルク5階。-5時半。5時過ぎより参加。11月8-14日、22-28日(*・*・*)アメリカ諸機関視察。炭谷厚生省企画課長は、被爆体験継承に熱意のあることは、伝わってきた。
10 27 ネットワーク委員会懇親会。長崎*の話=友の会は、長崎の諸悪の根元。*長崎市原対部長=平和記念式典の資料は、古くから残っている。伊藤達也長崎国際文化会館館長=資料の公開に尽力したい。原爆被爆地域の部落問題。
10 28 *日本医療情報センタ-常務理事(ネットワーク委員会)、*日本総合技術研究所取締役部長、*同主任研究員来所。新聞記事デ-タベースの紹介をするとともに、ネットワーク委員会をめぐる広島動向を話す。主に放影研批判。
12 03 *が広島の状況が知りたいというのでネットワーク委員会の話を中心に話す。-2時半。資料センタ-の仕事との関連を心配する。「諸君!」の中国新聞の内紛に興味を持っていた。被爆者数に関連して広島市の被爆者動態調査が取り上げられていたのを喜ぶ。
12 09 原爆資料および情報ネットワーク委員会デ-タバンク小委員会。於放射線影響研究所C211会議室。-4時30分。山中高女の死没者調査の様子を報告し、あいまいな情報から捜せるという機能が必要性を強調。データバンクに何が期待されているか。この2点について発言。

1993年

01 06 *より電話。*よりFAXが届いた。年賀状に予算がついたことの礼が書いてあったので、問い合わせたところ、中性子発生装置の3年度で、新たに予算がついた訳ではなかった。慰霊施設の中間報告が届いた。伊東壮は山梨大学の学長。
01 08 *=*資料について。公的資料を私物化している可能性。放影研が中心になって進めているネットワーク委員会の動向についての意見。宇吹=被爆者対策小委員会の委員として報告。
01 13 慰霊施設の中間報告が吉沢康雄名で委託事務局より届く。*がコピー。
01 30 立命館大学国際平和ミュージアム。一通り見終ったところで山辺昌彦と会う。館長室で話をする。途中、*課長が加わる。厚生省援護局・広島県・市平和記念資料館が見学に来たとのこと。援護局も慰霊施設の建設を計画していることを初めて知る。県は、被服廠の保存策について日本開発銀行に調査を依頼。
02 05 第4回デ-タバンク検討小委員会。於日本薬学会長井記念ホール1階会議室B。*の話=この事業は4年計画。平成6年度で一句切り。ソフトを形にして貰わないと、金を何に使ったのかということになる。事務局設置問題は、次の段階で考えるべきこと。慰霊施設は被爆50周年には間に合わない。早くて4年後。
02 05 宇吹=広島市の動態調査を貰うことを前提にしているがそれが大問題。原医研ABSも作成者としては出したくないだろう。靖国・川崎・立命館・大阪の資料館を見てきた。いずれも長い期間の資料収集の成果。今日のソフトだけが慰霊施設開館時の成果とすればオソマツ。
02 09 広島市平和に関するデ-タベース構築検討委員会(第3回)。於国際会議場3階研修室。宇吹の発言=1.それぞれ自機関が所有する資料の電子化の原則。2.死没者名簿を是非入力してほしい。3.ネットワーク使用を無料というのは非現実的。
02 11 藤居より自宅に電話。エソが出来たが、自宅で治療。中間報告(慰霊施設)を*と*に送った。*への連絡を頼む=*が今後どうのようにしたいのか。歴史をどうまとめてゆくか、日本被団協あるいは広島県被団協にもどるかどうか。今考えている。
02 28 藤居より自宅に電話。被団協の慰霊施設についてのシンポジウムが赤旗に掲載されていたかどうか。
03 03 藤居銘木より速達が届く。被団協の慰霊施設シンポジウムに関する資料。2時半、藤居より電話。自分は読んでいないが、よく読んでおくようにとのこと。
03 04 *=被爆者対策資料の補助者の謝金、12日の厚生記者会来所の件。被団協の慰霊施設シンポジウムへの意見書を貸す。
03 04 *の話=慰霊施設の中間報告は5~6月にずれそう。長崎は個別弔慰を要求するので断わったが、広島では、平和文化センタ-へという意見が出ている。慰霊施設と吉沢班の関係が良くわからない。川本原爆資料館館長は3月末で退官。
03 05 ネットワーク委員会被爆者対策小委員会。於長崎厚生年金会館2階雲仙・松の間。宇吹説明。被爆者対策の定義が問題になる。*=1.行政施策、2.その裏付けになった実態調査、3.その行政はどう評価されたか。*=法律や通知に基づかない施策も多い。
03 05 *の話=加藤は3月で定年。慰霊施設を広島と長崎のどちらが先に造るか今綱引きをしている。
03 08 *に、「被団協」新聞の慰霊施設シンポの記事をファックスで藤居銘木に送るよう依頼。
03 23 第3回原爆資料および情報ネットワーク委員会・拡大委員会。於広島ガーデンパレス2階白鳥の間。-5時。*の原爆資料の量の調査が必要との発言を受けて、原医研原爆文献デ-タベースの件数が約5000件で4.5メガバイトであることを紹介。
03 23 原爆資料および情報ネットワーク委員会懇談会。*=スミソニアンには困っている。*=長崎市医師会は原爆問題(IPPNWも含めて)に積極的だが、県医師会はそっぽを向いている。
03 25 原爆後障害研究会抄録原稿完成。*に原対協へ持参して貰うよう依頼。ついでに、23日のネットワーク委員会の模様を報告。
04 05 藤居より資料がファックスで届く。日本被団協の慰霊施設についての見解。
04 12 学内科研報告書を*に2部(含ネットワーク委員会事務局用)渡す。
04 14 *より電話。原医研デ-タベースがネットワーク化されているかどうかの問い合わせ。これからの課題と回答。
04 21 内科より電話。28日のネットワーク委員会デ-タベース小委員会に蔵本の代理で出席して欲しい。
06 03 *事務長来室。資料の返却。ネットワーク委員会、広島市のデータベース構築検討委員会、慰霊施設の中間報告を新たに貸す。学内科研報告書を1部贈呈。
06 29 ネットワーク委員会データバンク検討小委員会システム設計準備ワーキンググループ(第1回)。於広島・放影研C-211。-5時。*に資料目録のフローッピーを渡す。*の話=*が慰霊施設の委員になった。運営は、平和文化センターになりそう。
08 17 *より電話。27日に国会図書館に行けなくなった。被爆者対策小委員会(9月22OR24日)・ネットワーク委員会(10月8日)の連絡。
08 24 ネットワーク委員会国会図書館調査。16時15分、館内呼び出し。総務課へ行き*(機械化室長)に会う。中国新聞の*より電話があった由。*の部屋から*に電話。コンピュ-タ-関係の講演を依頼される(9月16日、11月18日、1月20日、3月17日)
08 25 国会図書館。10時過ぎ、*と*が来る。*から協力を依頼されていた様子。4時半、3人で館内の喫茶店で話す。*がネットワーク委員会のアメリカ調査を誉める。イギリス調査の話が出る。第102回国会まで終了。
09 02 藤居より電話。吾妻鏡総索引の話。村上との生活保護論争の時、著者の及川儀衛門も同席した。及川は認定被爆者。総索引が20数冊あった。宇吹が1冊持っておいて欲しい。石井勲が紙碑と言っていた。慰霊施設が出来たら、森田省三の骨とともに納めたい。
09 10 *(平和文化センター)から、「平和の推進」最新版(校正中)の新しいデータを貰う。*の話=原医研の改組は、厚生省の慰霊施設を取り込むためのものか?
09 22 ネットワーク委員会被爆者対策小委員会。於放射線影響研究所(広島)講堂。-4時半。*広島市衛生局長、気分が悪いとのことですぐに中座。宇吹=国会議事録索引の説明。吉沢=今年度中に報告書をまとめ、最終年度の来年は、一般から意見が聴取できるようにしたい。
10 07 広島国際会議場着。*の話=埼玉県平和館・川崎市平和館を見学してきた。来年の平和記念館開館時に、平和館の会合を開く予定。大久島は加えたくない様子。立命館はすでに大阪と連携。宇吹=原爆・戦災を基準にネットワーク化を進めてはどうか。
10 08 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)平成5年度第1回会議。於広島ガーデンパレス2階孔雀の間。-5時半。*=慰霊施設関係の会議は7月・9月に会合。あと2-3回会議を持って結論。場所が決まらないので予算要求が難しい。
10 08 ネットワーク委員会懇親会。*に国会会議録の詰めの作業への協力を依頼。*に長崎側の被団協資料の調査を依頼。12日に具体的な要望をファックスで入れること。*の話=どこかの施設に合設して終わりということを恐れる。
10 08 *の話=1月に*副委員長が団長で海外調査予定。あと2-3人が随行。*の話=慰霊施設が修学旅行を対象に考えるのはナンセンス。*は昨晩帰国。気分が悪いということでIPPNWの記者会見だけすませて、この会議は欠席。
12 09 *より電話。3月28日にネットワーク委員会を開催。
12 28 国会議事一覧のネットワーク委員会提出用原稿を資料センターのプリンターで打ち出す。

1994年

01 14 *(中国)より電話。今朝の共同配信の記事について。厚生省をプッシュする必要は無いか。あまり意味は無い、ネットワーク委員会の海外調査でやっている、と回答。
02 07 原爆資料および情報ネットワーク委員会被爆者対策資料小委員会。於放射線影響研究所講堂。-5時。5時半、ステーション・ホテルの料理屋で懇親会。*が元気が無いように見える。*と*の間もうまくいっていない様子。
03 01 *の話=慰霊施設がレストハウスでは、狭すぎはしないか。広島市の被爆50周年の行事の新聞報道を見て、お粗末さに驚いた。湯崎の子どもは、通産省に入り、3年間アメリカに行っていた。
03 28 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於広島ガーデンパレス。厚生省関係者は姿を見せず、盛り上がりに欠けた。休憩中、*に国会会議録の心残りメモを渡す。-5時半。6時-8時、懇親会。*(中国)が取材に来ていた。
05 12 HICAREパネル展担当スタッフ(日当:7900円)とネットワーク委員会被爆者対策小委員(日当:22000円)の就任依頼が届く。
06 16 HNP死亡.DBF作製。ネットワーク委員会の情報サービス小委員会の基礎資料として。
06 27 ネットワーク委員会「情報サービス検討小委員会」のメンバーが原田館長の案内で広島平和記念資料館(東館)見学。現在のところゆったりとしていて、良い。-14時30分。小委員会。-16時30分。於東館地下会議室。
06 28 放影研のネットワーク委員会事務局で宮川から話を聞く。宮川は昭和30年にABCCに就職、統計関係の仕事をしていた由。調査対象を図示したスライドのコピーを依頼。1950年調査の名簿が提供されたことを示す資料を宮川に渡す。
06 29 *来室。改組の案内発送先一覧を持参。その他の候補を聞かれる。長崎国際文化会館、慰霊施設懇談会関係者、広島大学の記者クラブを挙げる。藤居が日赤に入院したことを伝える。
07 04 *・*(大阪朝日・社会部)来所。-12時30分。特に原爆資料ネットワークについて取材。今日からしばらく広島で取材する予定とのこと。学内科研報告書2部、論文別冊「商用データベースと原爆・被爆情報」を進呈。
07 11 *(放影研)より電話。厚生省に昭和60年度調査の調査票をネットワーク委員会に提供するよう申し入れている。実現すれば整理について協力を依頼したい。
09 06 *(中国)より電話。ネットワーク委員会の各年度の報告書を見せて欲しい。中国新聞社から委員が出ているので、先にそれに当たるよう回答。
09 06 ネットワーク委員会情報サービス小委員会用の「原医研案内」(要覧0.JSW)を作成。
09 12 放影研へ。-11時20分。ネットワーク委員会原稿「広島大学原爆放射能医学研究所」を提出。センターの資料利用規定を欲しいとのこと。DC.DBFの1945-47年分を打ち出したものを渡す。
09 12 *の話=厚生省は、援護法問題で資料に関心は回らない。慰霊施設は早くて平成10年開館という状況。ネットワーク委員会を現状のままで、継続するのではもったいない。どういう方向が望ましいか、長崎の会議までにメモが欲しい。
09 28 ひかり172号広島駅発(*・*・*と)-新大阪11時47分着。旅費9570円。*の話=広島市の原対部調査課では*が慰霊施設担当、自分が援護史の担当とのこと。
09 29 10時、朝日新聞着。午後、*と少し話す。3時過ぎ、斉藤は広島へ。*の話=原爆関係の広島市の施策は来年の市長選挙待ち。慰霊施設は、平和文化センターが委託予定。
10 14 ネットワーク委員会被爆者対策小委員会。於ハーバーイン長崎。-4時20分。宇吹=佐久間澄・森滝市郎・長田新の資料について話し、資料の収集・保存について注意を促す。「被爆者対策資料」の定義について*の見解を質す。
10 31 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於ガーデンパレス2階孔雀の間。-5時50分。懇親会は欠席し、すぐ帰宅。
10 31 *=教育は広島市が行う。慰霊施設は研究に集中すべきではないか。(私へのつぶやき=広島市は、慰霊施設の合築を断った。慰霊施設の将来は暗いのではないか。)
10 31 *(長崎市)の話(休憩中)=厚生省が慰霊施設の運営を広島・長崎に委託を考えている。腰を引かれると、大きな事業が出来なくなるので困る。伊東壮は、慰霊施設は東京に作るべきとの意見であった。
12 14 *=慰霊施設は、初めは原対協への委託が有力であったが、現在は平和文化センター。*は、委託して欲しいのは山々だが、センターの人的能力に不安を感じており、積極的になれないのではないか。*から英文図書の収集を依頼された。月末に委員会がある。
12 21 宇吹=佐久間・森滝・吉川など被爆者の資料の散逸を恐れている。慰霊施設が、そういう資料の保存機能を持つのならそれで良いが、いまのところ読めない。現在の広島市にこういう機能がない。
12 21 *=慰霊施設を平和文化センターに押しつけようとしているが、私は絶対反対。(宇吹=それでは原対協か)。国自身にやらせなくてはダメだ。

 

1995年

01 12 *(*出版部)来所。宇吹=完成原稿は、2月末締切の原稿を書き上げるまで待って欲しい。「平和教育」と「原爆被害白書」について書き足したい。原爆遺跡保存や慰霊施設をめぐる動きを見ていると、発想が萎縮している。歴史的には「原爆白書」提起は大きな枠組みを持っていた。
02 24 *広島市原対部調査課長=慰霊施設は平和公園内に設置の方向。5-6月に市としての意志決定の予定。公園の建物の規制面積が広がったので、レストハウスを壊さなくても考えられるが、今後どうなるか。地上は制限があり地下2階となるので平成8年度には着工する。
03 08 松林より電話。*の後任の件の連絡。松林の話=慰霊施設は迷惑施設。担当にならないよう願っている。白書の問題は全く進んでいない。
03 27 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於東京・松本楼。2月24日に欠席の連絡。
04 04 高橋昭博退職挨拶、木村泰三広島平和文化センター事業部長就任挨拶のため来所。高橋は、語り部活動はこれまでどおり続けるつもり、重松から厚生省ネットワーク委員会の小委員は継続してやって欲しいと頼まれたとのこと。
04 21 *(放影研)より電話。慰霊施設の開館時に稼働予定の主要事項解説作成のワーキンググループ(高橋昭博・*・*などを予定)に加わって欲しい。方針が違うという理由で断る。
06 06 *より電話。ネットワーク委員会でセンターの蔵書データベースを試験的にインターネットに乗せたいとの意見があるので、その節にはデータの提供をお願いしたいとのこと。原医研にサーバーを設置しようとの話もあるとのこと。了承。
06 25 NHKスペシャル『沖縄・23万人の碑・戦後50年目の祈り』を見る。「平和の礎(いしじ)」の名簿作成過程に復元調査と同様の方法論を見る。これへの反応を原爆犠牲者慰霊施設の犠牲者名簿作製の参考とする必要がある。
07 05 *よりセンター所蔵文献データベースについての問い合わせ。ネットワーク委員会での作業が進んでいる様子。
07 25 平和会館で図書を購入。*(元*新聞)と会う。ネットワーク委員会の下請けで、解説事項の原稿を書いていた。*から「森滝市郎追悼集」を貰う。
07 25 *の話=高橋昭博は、人の批判を随分したが、本の中では省いた。彼は、事実なのにと言って、不満そうだった。ネットワーク委員会の原稿では、新聞記事は、参考資料に止めざるをえなかった。基本資料に当たる必要性を痛感している。
09 08 *=15日の京大の慰霊祭に出る予定。ネットワーク委員会は、当初の計画は吹き飛び、インターネットのホームページをつくることに集中している。12日に原爆文献データベースのファイルが欲しい。
10 24 広島市公文書館で松林らと話す。中国新聞社と原爆・平和報道50年展の写真についてゴタゴタがあった、午後*が慰霊施設について取材に来た由。*が宮川の日記と体験記集のコピーを撮ってくれる。
11 15 *より電話。共同配信で掲載された陸軍の調査団の報告と笹本のコメントについて。慰霊施設について、「市の決算委員会で取り上げたい」との反響が昨日あった。20日からパリに行く。
11 17 *より電話。慰霊施設について=レストハウス取り壊し計画、建物以外の予算的な裏付けは無い。市長は建物が建つのならそれで良いとの考え。関係者が市長宛に意見を出す必要あり。誰に声をかければ良いか。シラード関係の資料を集めたい。内田恵美子について。
11 17 *より電話。27日の平和部会の案内。*の慰霊施設についての意見を伝える。
11 21 *の話=慰霊施設を平和公園に設置する必然性はない。しかし、それを主張する委員はいない。レストハウス撤去の流れに乗っている。近藤幸四郎は、市政記者の内々の場では、取り壊しに反対はしない、と語っている。
12 04 *の話=松谷訴訟で、厚生省は、まじめに取り組んでいるようには見えず、勝つつもりがない様子。伊東壮は、慰霊施設の委員として何のために出ているのがわからない。役に立っていない。
12 06 *から電話。*が慰霊施設の連載記事で書いていた原水爆白書運動についての問い合わせ。中国新聞のデータベースについての報告書の拙稿を読むように返答。
12 08 *=被団協(伊藤サカエ)は理事会でレストハウスの取り壊しを決議した。*が完全に丸め込まれている。*(文団連、文学資料保存の会)から、慰霊施設について相談、近々会う予定。シンポジウムを開けないか。
12 08 宇吹=慰霊施設への意見は、現状では、追悼の場不要論と修学旅行生受け入れ施設論。広島国際会議場は、貸座敷になっている。これを修学旅行生向けにすれば良い。
12 08 *=慰霊施設問題は、原爆資料館の平和推進の*が担当することに決まった。来年度、広島平和文化センターに担当者を配置するということで話が進んでいる。
12 16 *とセレナーデで話す。広島市の官僚の質の悪さについて=14日の慰霊施設についての意見聴取で、金子がレストハウス取り壊しについて質問、それに対し、原爆資料館長が取り壊しの方針を説明。厚生省は困惑し、議事録から削除。
12 16 *の話=中国新聞社は、完全に報道の方向を見失った。在韓被爆者のビデオ収録に朝日の記者は随行したが、中国はダメ。慰霊施設についての情報を流しても、ありきたりの記事にしか書いていない。
12 20 *の話=レストハウス取り壊しには反対。慰霊施設は不要。これ以上、平和公園に建物は不要。伊藤サカエ・近藤幸四郎はレストハウス不要論。川本一郎は、こまめに資料を残している。竹内武、阿部静子、池田精子、村戸由子。*は、*と元の主人を天秤にかけていた
12 27 *来所。ネットワーク委員会の情報提供小委員会での論議についての批判。*が、頑張っている。*が責任者。石踊と一緒に比治山へ。シンポジウム「21世紀の平和記念公園を考えよう」(案)を持参。-2時半。95年出版物一覧を提供。

1996年

02 06 *・*と話す。二人とも熱心にあれこれ質問。ネットワーク委員会での資料収集について意見を聞かれたが、意見は避ける。平和祈念館で原爆手記を収集したい様子。改めて相談したいとのこと。
02 11 ネットワーク委員会用のレジメ作成。「被爆者対策資料の収集方法について」、「原爆手記掲載文献一覧(1995年発行分)」、「原爆被爆者団体の出版状況」。12日朝、*(放影研)に届ける。
02 14 *より電話。昨日の会議は独演場だったそうだな、と皮肉られる。原爆資料の収集について相談したい由。厚生省とネットワーク委員会の模様を伝える。市長に話を取り次ぐから何かあったら相談するように言われる。
03 25 平成7年度第1回原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於放影研講堂。-5時。間違って終了後の懇親会場である広島ガーデンパレスに行き、25分ほど遅刻。-5時。懇親会は欠席。
04 15 *来室。ネットワーク委員会の「原爆死没者追悼平和祈念館」原爆資料情報案内データベース構築作業グループに加わって欲しいとのこと。断る。
04 19 今朝届いたネットワーク委員会被爆者対策小委員会の議事録(案)の訂正を*(放影研)に連絡。被爆者団体の資料収集の必要性については、良く発言出来ていた。
05 02 *の話=開館時に目玉になるものが無い。*は、体験記を集めると言っている。「祈念館=ごみ箱論」は参考にさせて貰う。平和文化センターは、無くなっても良い。*は、市立大学に換わってもらえば良い。ネットワーク委員会の年間予算は3000万円。
06 27 *(大阪朝日)より自宅に電話。最近平和問題担当になった由。慰霊施設について意見を聞かれる。
07 08 *とネットワーク委員会へのセンターの資料提供・刊本の整理方法について話す。
11 11 *、来室。ネットワーク委員会用に原爆文献データベースの説明が欲しいとのこと。すぐ書いて渡す。
12 04 *(中国新聞)より電話。「生きているヒロシマ」について問い合わせ。ネットワーク委員会について。
12 12 午前中、長崎の会議のためにネットワーク委員会などの資料に目を通す。午後は、インターネットで、原爆関係のホームページを検索。
12 13 原爆資料および情報ネットワーク委員会全体委員会会議。於セントヒル長崎(筑後町4-10、TEL0958-22-2251)。-5時半。冒頭、*が、祈念館の地中化に異議。*が、広島市としては、景観を壊さないとの配慮から、と回答。

1997年

03 17 原爆資料および情報ネットワーク委員会全体会議(最終回)。「孔雀の間」。-16時半。*厚生省課長補佐=手記の収集は広島市に委託(5000万円)。データベース構築は引き続き放影研に依頼する予定(1億3000万円)。
04 17 *の話=今のところ、厚生省との委託契約を結ぶ準備で手一杯。担当者としては、手記を基礎に形あるものにし、その上で手を広げてゆきたい。放影研のネットワーク委のような結果を招きたくない。
06 05 ネットワーク委員会と原爆死没者追悼平和祈念館関係資料の整理。
09 04 *の話=森座長は、追悼平和祈念館=本堂論。原資料の展示を考えておらず、資料の電子化だけ。資料は、原爆資料館にあれば良いとの考え。従って、名称にもミュージアムを採用せず、メモリアル・ホール。*の影響。ネットワーク委員会は、大風呂敷を広げただけ。

1998年

03 13 比治山に上る途中、*(厚生省ネットワーク委員会)と会う。*と会った由。午後2時過ぎ来所。
04 07 *、来所。放影研で*と会った帰り。ネットワーク委員会3億円の成果についての疑問、50周年の厚生省調査結果の分析遅延、広島市立大学の平和研究所などについて話す。厚生省は、昭和40年の調査票などを東京へ送り返せと言っている由。厚生省では、廃棄される虞れ。
04 10 *より電話。ネットワーク委員会の吉沢座長と電話連絡が取れた。2年で終えるつもりが、長引いてしまった、とのこと。
04 16 *より電話。原爆資料ネットワーク委員会の件で、23日に来所とのこと。
04 23 *・*、*放影研ネットワーク委員会)・*、来所。日本総合技術研究所(*)「原爆用語シソーラス作成実施報告書」を基に検討。いくらか参考になりそうな文献を紹介。
12 16 *(放影研ネットワーク委員会)、来室。-4時。シソーラスの途中経過を聞く。若干の打ち出しを貰う。*と一緒に*に地図の件で会ってきた由。厚生省は、ネットワーク委員会の成果を無視、一切話に乗ってこないが、明日、*と一緒に課長と会うとのこと。

 

 

平和記念資料館メルマガ第98号(2011/ 9/ 1)

 

平和記念資料館メルマガ第98号(2011/ 9/ 1

最近、研究過程で作成した過去の資料を整理中、「広島大学原医研新聞切抜きの分類別枚数(1975~81年分)」とのタイトルのデジタルデータを見つけた。そして二つのことを思い出した。

その一つは、私の提案が原因で、「原発」関係の記事の収集が1982年から取りやめとなったことである。1975~81年分の切り抜き枚数総計は、12507枚、うち「核軍事」(3221枚)と「核平和利用」(3083枚)に分類されている枚数の合計は6304枚で全体のほぼ半数を占めている。原爆放射能医学研究所では、原爆被害に関する資料を収集対象としていたので、私には、限りある予算・人員を考えれば、この二つの分類に属する記事収集を中止するのはやむを得ないと主張した。

もう一つは、広島の眼科医・杉本茂憲先生(故人)との出会いである。チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)から2ヶ月あまり後に先生が原医研に来所、この事故関連の新聞記事の閲覧を希望された。要望された資料は収集対象としていないことを伝えると、非常に残念がられた。そして、ヒロシマの蓄積をこの被災者に生かすことはヒロシマの医師の使命と力説されたのである。被爆者医療に情熱を注ぐと同時に、世界にも目を向ける医師の存在に直接触れる ことのできた貴重な体験であった。

       元広島大学原爆放射能医学研究所 宇吹 暁(うぶき さとる)

広島原爆被災撮影者の会の初会合(宇吹メモ)

広島原爆被災撮影者の会の初会合(宇吹メモ)

1978.9.14 於YMCA

広島原爆被災撮影者の会の初会合(宇吹メモ)

(佐々木)東京に行っている広島の撮影分は、入れるというより記録に残しておくだけにしないと。

(松重)それらを入れないと、集大成にならないのではないか。ほとんど出版されているのではないか。

(佐々木)出版物掲載分も記録として残してはどうか。木村さんのは(大和人絹内撮影)ほとんど東京へ行っているのではないか。それを入れるとなると、いろいろ問題が出てくる。個人と写したものと、軍や警察が写したものを一緒にするとトラブルが起きはしないか。

(木村)主人も死んでいるし、撮影を指示した医師も死んでいて、当時のことがわからなくなっている。当時の看護婦さんなどは生きている。

(佐々木)行動記録が今は一番大切ではないか。今後写真が出てきた場合、推定の根拠になる。死なれた人のは、もうわからなくなってしまう。6×6で何枚、キャビネで何枚などという記録が大事。

川本さんの写真――N.G.ピンボケなどのネガが残っている。最初写したものは、米軍が全部持って帰った。それではもう一度撮れとの警察の指示で写したものが残っている。

大和人絹の中には相原さんは行っていない。日赤と逓信病院のみ。大和人絹の中は木村さんのものだけで済ましている。軍と警察のものだけがわからない。

(尾糠)憲兵隊に提出。ネガを提出したかどうかわからない。

(佐々木)川本さんも尾糠さんと同じコースを歩いている。

(尾糠)終戦後すべての写真を焼いた。写真班の横に穴を掘ってうめた。

(佐々木)東京空襲のも警視庁のものだけ残っている。東京のもの、ライカで30本ぐらい写している。

(松重)川本さんの写真、現像ミスも含めれば4~50枚残っているのでは。見たものだけでもそれくらいある。

(佐々木)

(松重)出版物のも写したものにまちがいなければ、複写してでも残してはどうか。

(佐々木)それはいいが、あいまいなものまで加えると目録の価値がなくなる。木村さんは自分の責任でとったもの以外は、自分で写したものとは言われなかった。軍と警察以外のものは、ほぼ検討がつく。

(松重)今日来ておられない人のネガ、枚数の確認と行動記録をつくることが必要。

(川原)6日は罹災者へ食料をもていったと言っていた。7日から写したものと思われる。軍人と一緒に巡ったそうだ。

(木村)宇品が解散になるまで、やめさせてもらえなかった。

(佐々木)9月15日頃までと聞いた。

(川原)相原さんが(調べるため)問い合わせた件についてもすべて返事を主人の代理で書いた思えがある。あの手紙が借りれれば書けると思うんだが。

(佐々木)相原さんがどこかに出すつもりがなければ、借りれると思うが。

川原さんが我々にもっと心を開いてくれたらなあ。

(川原)あの頃は市役所とのいきちがいがあったので、何もしゃべらなくなった。

(佐々木)相原さんは、S44、ぼくが東京へ行くまでは何も知らなかった。

(入室)(山本よしえ)中国新聞写真部に松重君と一緒にいた。

(佐々木)川原さんがついて行ったのは憲兵隊の人と一緒だったと言っていた。

(尾糠)私も憲兵隊と一緒に行った。

(川原)次の日(終戦日)行かれないからと憲兵隊の人にカメラを貸したら、もう返してもらえなくなった。

(佐々木)江波へも行っている。どうやって行ったのか、宇品から船で行ったのかも知れない。

(川原)楠木を写したものは、ゆがんだので写し直した。ゆがんだものが相原さんのところにあり、まっすぐなったのが残っている。

(松重)藤井さんは撮影しているか。

(川原)藤井さんは出ていないと聞いているが、会って話した時には、自分も出たと言っておられた。

(松重)来年どうしても出版しなければならないということはないが、みんないつ死ぬかわからないから早くしておきたい。

(深田)林(タクマ)さんは、自分のは大したことは何(ママ)から、と言っておられたが、早く行っていないと、もう高齢だから。

(松重)川本さんのは、息子が私に任せると言っているが、足どりをまとめておかなくては。

(佐々木)息子さんではわからないのではないか。私も警察関係の人々にずい分聞いたがわからなくなった。

(松重)いよいよ本職の新聞記者にやってもらわなくてはどうにもならないのではないか。今、原災研は150~60万ある。

(岸田)キャビネで揃えたらどうか。費用の点は自分でやっておくことにし、やれない人は私のところでもやるから。

(佐々木)36mmはベタ焼きの方がよい。

(岸田)虫目がねで見るようなですよ。

(山本)出版するのなら写真のサイズを考えておかないと。

中国新聞屋上から、同僚(谷川君)と一緒に移した。合計4枚出てきた。あとは整理してみないとわからない。

(佐々木)わかるものは、もう作業しましょうや。

(川原)当時のことは何も知らないから、私は遠慮さしてください。

(佐々木)尾糠さんは川原さんの行動を知っていないか。

(尾糠)わからない。写真を見ればわかるものがある。

(佐々木)藤井さんが元気な時聞いたら、現像焼付みな別々の人間がやったのだから、だれが写したかわかりはしないよと言っておられた。それがほんとのことだろうと思う。

(松重)キャビネに統一して。

(佐々木)35mmもか。

(松重)そうだ。

(山本)(岸田)利用にはキャビネが良い。

(松重)カード添付写真はキャビネ版とする。行動記録はいつにするか。

(岸田)11月末までにやったらどうか。

(松重)行動記録、11月末までに〆切ったらどうか。

(松重)<ネガ再製について>

市平和文化センターから手紙。田中にやらせるからオリジナルネガを貸して欲しいとの要請があった。それについての私案をつくった。8・6前に依頼があった。

(岸田)<貸出しの場合撮影者の同意をうる>は個人ではなく撮影者の会にしたらどうか。

(山本)撮影者の会を通してやったらどうか。

(岸田)撮影者の会としての権威をもたなくては。

(佐々木)個人で協力しない人もいる。それをどう考えるか。職員が個人でやって、充分責任をもっていない。

(深田)島本

(川原)〃

(入室)(黒石)

(岸田)佐々木さんは佐々木さんの意志ですればよい。

(松重)字句については、また考えてみる。

(佐々木)出版などで依頼があった場合どうか。

(岸田)個人へ来たら、撮影者の会へ連絡することにする。代表者・会則をつくる必要がある。

(松重)原爆写真は公共性が強いから、金銭面は慎重でなくてはならぬ。文化センターは永久保存用ネガと貸出用ネガをつくろうとしている。

(佐々木)文化センターは、いる写真といらない写真を別けようとしている。公文書館は全部を保存しようとしている。

(松重)文化センターは、貸出用ネガがあれば良い。

(松重 三)借りに来たが(キャビネ)何のあいさつもない。

(山本)原稿なら原稿料がでるのだから写真に対しても謝礼があって当然。

(松重)これは森本タイジさんの写真です。

(佐々木)もうこれで集まって話すよりも、あとは通信でやったらどうか。

(黒石)会費をとったらどうか。

(佐々木)1000円づつ集めたらどうか。2000円。

            次回11月末までに通信でやる。

(川原)記録の会の写真は返ってくるか。

(松重)あれは言いますよ。

            15:35 終了

 

 

被爆問題国際シンポジウム広島準備委員会第1回社会科学委員会(広島)議事録(文責 宇吹)

第1回社会科学委員会(広島)議事録(文責 宇吹)
(被爆問題国際シンポジウム広島準備委員会)

第1回社会科学委員会(広島)議事録
1977.4.30 午後1:30~ 於YMCA
[出席者]宇吹暁、大西典茂、北西允、山本鎮雄、湯崎稔
議題
1. 日本準備委主催 第1回・第2回社会科学委員会の報告
湯崎世話人より概要の報告、内容は別添資料のとおり
2.「総合報告書」のItemsの検討
各委員に予め『市長国連レポート』を第0次案とし、これに関する修正・加筆の意見を送付してもらうよう事務局より依頼してあったが、寄せられた意見がなかったので、出席者で3月9日国際準備会に提出されたItemsをもとに討論をおこなった。その大要はつぎのとおりである。
作業文書Ⅲ(社会科学)
1. アプローチと原爆被害の全体像
2. 原爆投下をめぐる政治的諸問題
3. 原爆による社会の破壊
4. 原爆による生活の破壊
4-1家族の破壊
4-2労働力の損壊
4-3病気と貧困の悪循環
5. 原爆による精神的崩壊
6. 被爆者の運動
〇2.はどういう意図か。項目の中で2.が異質な感じがする。6.と一緒に論じた方がよいのではないか。
〇被害の実態にしぼってはどうか。政治的諸問題を扱うとすれば、さまざまな解釈があるので慎重を要する。報告書としては、2.の項目を立てない方がよい。
〇外国人被爆者の問題もとりあげるべきだ。
〇4.の項目内容は個人レベルの問題という感じが強いが、これが3.とどう結びつくのか。
〇これを機会に、広島における被爆者の実態を示す諸資料を集めたいので関係者をあげて欲しい。
<名前のあがった関係機関・個人>
市役所労政課、原対協、吉田治平、田中一郎、相原和光、温品道義、藤居平一、山口夕[ママ]子、中野清一
3.その他
〇湯崎世話人より、第3回社会科学委員会(東京)への出席要請および生活史調査(広島)の世話人決定の要請があったが、未定。
<文責 宇吹>