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原水爆禁止世界大会(第1回)本会議

原水爆禁止世界大会(第1回)
本会議 1955年8月6日 広島公会堂
午前十時十四分-十二時
開会の挨拶(野々宮はつえ)
議長団選出
議長団代表挨拶(浜井信三)
大会運営委員選出
歓迎のことば(渡辺忠雄)
外国代表紹介
日本準備会代表挨拶(椎尾弁匡)
一般報告(安井郁)
各界の祝辞(鳩山一郎、東久迩稔彦)
外国代表挨拶
宗教界代表=チャラバテイ(全世界宗教界代表者会議代表)
米国代表

午後二時十分-六時
外国代表挨拶
政党、民主団体代表の挨拶
母親大会代表=私も長崎で夫と母を亡くし、二人の子を残されました。
自治体代表の挨拶
被爆者代表の挨拶
高橋昭博
山口みさ子(25)
久保山すず
各国・各団体メッセージ
ニューヨークの原爆十周年記念集会へのメッセージの提案と可決
基調報告(武谷三男、平野義太郎)
[原水爆被害について(草野信男、本田きみ子、田辺耕一郎)は、なされず]

(『原爆許すまじ-原水爆禁止世界大会の記録』)
資料)浜井信三「議長団代表挨拶」(1955.8.6)
なお、さいごに原水爆禁止運動と戦争反対の運動との関係につきまして、参考までに私、御紹介を申し上げたいと思いますことは、例の「ノー・モア・ヒロシマズ」という標語であります。これはアメリカのアルフレッド・パーカー氏がはじめてもちいたものでありますが、この原語は「ノー・モア・ウオア、ノー・モア・ヒロシマズ」の対句となっていたのでありますが、それがいつとはなしに、あとの方だけがいわれるようになったのであります。私たちもこの対句の形でなければならないと確信しております。

資料)東久迩稔彦「祝辞」(1955.8.6)
わが国は十年前に戦争に敗れ、広島、長崎とあいついで極悪非道な原子爆弾の攻撃を受けた。原爆は人類のもっとも恥ずべきものです。全人類に向い、原水爆禁止と世界平和を叫び、犠牲者の霊を少しでも慰めたい。

一九五五年八月六日午後二時-
本川小学校の3教室
広島教職員組合主催「原爆被害者を囲む懇談会」於天満小学校
体験者八名聴衆者四〇〇名程度
『関西共同デスク速報』
吉川清、峠三吉夫人、原爆乙女三人など一一人
『広島機関紙クラブ共同デスク』

七時四十分「歓迎と祈りの国民大会」於平和広場

学生「被爆者との懇談会」於修道高校

戦争と平和の理論

『戦争と平和の理論』(芝田進午編、勁草書房、19921110)

内容

部章
序文
核時代の平和思想
01 核時代の平和思想 芝田進午
02 ヒロシマの歴史と現在 宇吹暁
03 ナガサキの歴史と現在 鎌田定夫
04 原爆被爆者の意味 舟橋喜恵
05 核軍拡・軍縮の歴史と課題 山田浩
日本の加害責任と戦後責任
06 朝鮮への侵略と戦後責任 中塚明
07 中国への侵略と戦後責任 小林文男
08 「悪魔の飽食」の戦争犯罪と戦後責任 芝 田進午
09 ベトナムへの侵略と戦後責任 芝田進午
平和の理論と運動
10 平和学の課題-その歩みと展望 岡本三夫
11 帝国主義とソ連の崩壊 芝田進午
12 第三世界と平和 佐藤幸男
13 言葉と平和 松尾雅嗣
14 核兵器廃絶の思想と運動 宇吹暁
15 被爆者の援護 田村和之
16 日本国憲法の平和主義の原点と現点 水島朝穂
17 平和教育 藤井敏彦
18 反核文化 芝田進午
19 平和運動の社会学 児玉克哉
あとがき

頁数 285
大きさ 22
ISBN 4-326-00007-4

年表:沖縄・広島 ~1972年

年表:沖縄・広島<作業中

 年月日  事項
1953年
03 06 第4回広島長崎両原爆都青年交歓会、長崎市で開催(~8日)。沖縄代表団6名、オブザーバーとして参加。原爆傷害者の救済などについて協議。8月6日~9日に“原爆の羽”募金運動を行うことを決定。
03 21 広島市三篠小学校の4.5年生約300人、YMCA奉仕グループの河本一郎を囲み「広島と沖縄を結ぶ子供会」を開催。
1956年
07 06 沖縄返還国民運動準備会、広島市皆実町青年会館で開催。同大会は沖縄広島県学生会と県生連が準備。
07 18 沖縄青年連盟代表4人来県。広島・尾道・呉・因島、19日、福山・府中・三次・庄原の各地で沖縄問題実情報告会を開催。
07 20 沖縄問題解決広島県総決起大会、広島市児童文化会館で開催。800名参加。同大会実行委員会を沖縄返還国民運動広島県協議会に改組。
08 11 森滝日記=「被害者生活保護のための行政措置」等に関する決議を盛り込む。「沖縄問題の平和的解決に関する決議」も議論の結果、ついに加える。
09 03 沖縄返還国民運動広島県協議会、初の協議会。現地調査団派遣など決定。
1958年
04 16 社会党、参議院に核実験禁止、日本の非核武装、沖縄施政権返還の3決議案を提出。
1959年
01 18 核兵器搭載のF100戦闘機が太平洋地域の米国空軍基地で炎上。当時の基地は沖縄、韓国、台湾、フィリピン、タイ。
1960年
01 06? 沖縄の久米島で原因不明の病気で4人が死亡。うち3人は長崎で被爆。
03 01 広島県原水協・県安保共闘・県平和委員会、沖縄返還貫徹大行進を迎え、ビキニ被災6周年記念広島県民大会を広島市児童文化会館で開催。1500名。
1961年
03 01 沖縄即時無条件全面返還要求大行進広島県中央集会, 児童文化会館で開く.
04 16 原水協中国ブロック会議・山口県原水協, 「核武装阻止・原水爆禁止・軍事基地反対(沖縄・新島連帯)・岩国原爆基地撤去西日本大会」を開催. 岩国市役所前広場に約1300名参加(広島から約 300名)
1962年
04 28 安保破棄憲法擁護県民共闘会議, 広島労働会館で沖縄返還国民総決起全国統一行動広島県集会.
05 09 「沖縄は極東で核武装できる唯一の基地である」米下院軍事委員会でエイルズ陸軍次官ら証言。
05 10 米第五空軍司令部、「沖縄に1962年夏から水爆積載機を配備」と発表。
1963年
06 09 沖縄返還行進団, 広島入り.
1964年
04 26 沖縄返還要求・呉基地撤廃呉集会. 県下から47団体2500余名が参加.
07 12 沖縄原子爆弾被害者連盟結成
07 33 沖縄県原爆被爆者協議会、結成.
08 31 中国新聞、連載「沖縄の被爆者たち-現地ルポ」(~9月11日,11回).
10 16 佐久間澄広島県原水協(共産党系)理事長「私個人の意見だが、核実験に反対していた中国が実験したことは非常に残念だ。ただ沖縄の問題、原潜寄港、Fl05機の日本移駐問題などのために、日本人の立ち場として中国に抗議できないのをたいへん残念に思う。」
1965年
02 01 沖縄・小笠原返還要求国民大行進広島県実行委員会結成.
02 03 松岡政保琉球政府主席、沖縄在住被爆者救援についてワトソン高等弁務官に問題解決を要請。
02 11 沖縄在住の被爆者について、琉球政府と米民政府の話し合いまとまる。日本政府が専門医を派遣、原爆医療法なみの適用、費用の日本政府負担など。
02 12 琉球立法院、沖縄在住の原爆被爆者にたいし、本土原爆医療法に準ずる対策を進めるよう決議。
03 16 沖縄在往の原爆被爆者にたいする医療について日米間で合意。医療専門家を派遣して医学的調査を行ない、その結果必要があると認められた者は本土の医療施設で治療する。
04 02 「沖縄に住む原爆被爆患者に対する専門的診察と治療に関する了解覚書き」発効。
04 05 沖縄祖国復帰協議会、「沖縄の被爆者に原爆医療法が適用されていないのは憲法違反」として違憲訴訟を計画。
04 06 沖縄原爆被爆者医学調査団第一班、那覇で調査開始。-20日。
04 14 広島の原田東岷、水野宗之両医師、沖縄在住の被爆者診療調査団に参加するため出発。29日、帰任。
05 01 総理府、沖縄在住の原爆被爆者医学調査の結果を発表。検診を希望した者184人、このうち原爆医療法の規定による被爆者と認められる者は広島での被爆者62人、長崎被爆者110人、合計172人。
05 11 原爆被爆者医療審議会、沖縄在住の原爆被爆者のうち13人(広島被爆9人、長崎被爆4人)を原爆医療法に基づく認定患者にすることを内定。
08 01 平和を守る青少年広島大会開く。平和記念公園に沖縄、西日本各地から学生、青年男女千人が参加。
08 20 沖縄在住原爆被害者連盟が沖縄訪問の佐藤首相に陳情。「①原爆医療法を沖縄の被爆者に適用する②政府の実施する被爆者実態調査の対象に沖縄被爆者も含める③沖縄被爆者の三十二年原爆医療法制定以来の医療費を政府が負担する」
09 09 沖縄在住原爆被爆者が東京地裁に原爆医療費を払えと国を訴える。原告丸茂つるら五人。「日本国民は法の下に平等で、沖縄県に居住する被爆者も本土の被爆者と同様の保障を当然受ける権利があり、国は原告らの医療費計30万2488円を支払え」
09 17 沖縄・小笠原返還同盟広島支部, 広島市平和記念館で結成大会.
09 24 沖縄の原爆被爆者11人が本土で治療のため出発。広島へ9人、長崎へ2人。
09 26 沖縄の被爆者与那嶺盛徳ら男五人、女四人が広島原爆病院に入院
10 07 広島県原水協代表, 広島原爆病院に入院中の沖縄被爆者を見舞う.
11 02 第8回日米協議委員会で、沖縄の原爆被爆者(137人=総理府調ベ)に本土並みの定期検診や治療対策決まる。1966年度から実施。予算約600万円。
12 05 沖縄近海の太平洋で、米国空母タイコンデロガから核兵器を搭載したA4攻撃機が滑り落ち、核兵器は行方不明。89年5月に明るみに。
12 08 東京地裁、原爆医療費と渡航制限をめぐる沖縄違憲訴訟の第2回口頭弁論。国の答弁書=「沖縄には潜在主権があるが、その施政権は米国に属する特殊地域であり、とくに沖縄住民にも適用する趣旨で制定された法律以外は適用されない。」
1966年
03 17 沖縄・小笠原返還要求広島県実行委員会結成
05 19 米国KC135給油機が沖縄の嘉手納弾薬庫近くに墜落。車の住民1人が巻添え死亡。
06 25 沖縄・小笠原返還同盟広島県本部結成.
1967年
04 07 沖縄・小笠原返還要求広島県実行委員会結成.
08 03 -5 日本原水協の呼びかけにこたえて広島原爆病院, 広島原爆被爆者福祉センター, 民医連福島病院で県外にいる被爆者の特別検診. 沖縄・北海道をはじ   め, 第13回原水爆禁止世界大会広島大会に参加した県外の被爆者38人が受診
10 02 安芸郡府中町議会, 被爆者援護法制定・沖縄返還要求を決議.
1968年
01 02 米国B52爆撃機が沖縄・嘉手納弾薬庫と飛行場の境界地域に墜落。
02 29 ビキニ被災十四周年原水禁、核武装阻止、ベトナム反戦、被爆者救援全国大会。原水禁国民会議主催。静岡市公会堂で。全国代表約千人。三月一日まで。アピール「沖縄の即時無条件全面返還と〃日本非核武装宣言〃を実現しよう」
03 01 ビキニ被災十四周年、三・一ビキニデー中央集会。日本原水協主催。焼津市体育館に二千人。沖縄即時無条件全面返還、被爆者救援強化などを決議
04 20 沖縄・小笠原即時無条件全面返還要求広島県中央集会. 広島市見真講堂に 200人参加.
07 02 広島市・長崎市・朝日新聞社、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を本土9会場(福岡・熊本・北九州・東京・名古屋・静岡・横浜・京都・四日市)と沖縄で開催。~11月28日。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
08 14 被爆23周年原水禁世界大会・沖縄国際会議。原水禁国民会議主催。琉球大学で1000人参加。15日まで
09 06 沖縄・那覇軍港の海底泥からコバルト60を検出。原潜寄港・汚染問題調査研究委員会が発表。「原潜から放出された一次冷却水に含まれているコバルト60に間違いない」
10 27 安保破棄・諸要求貫徹広島県実行委員会, 呉市で「米軍弾薬輸送反対・軍事基地撤去・沖縄三大選挙勝利・ベトナム人民支援・安保条約廃棄・物価値上げ反対・被爆者救援・秋闘勝利広島県民大集会」を開催. 3000人が参加.
11 19 米国B52爆撃機が沖縄・嘉手納弾薬庫近くの飛行場に墜落。16人が重軽傷、住宅などにも被害。
1969年
02 04 県労主催の B52撤去・原潜「寄港」阻止・総合労働布令撤廃・沖縄即時無条件全面返還要求広島県中央集会, 県庁前で開催. 1500人参加. 庄原では地区労が共・社両党に呼びかけ 200人参加.
02 24 厚生省派遣の沖縄被爆者医療班、東京を出発。メンバーは内野治人広島大学原医研教授ら3人。1965年・66年に続き3回目。
03 16 安保条約廃棄・沖縄全面返還・統一戦線促進などを中心スローガンに全国統一行動.3 ・16広島県民大集会. 広島県庁前広場に3000人が参加.
06 323 安保条約廃棄・沖縄全面返還・大学立法と反動諸法案粉砕・第15回原水爆禁止世界大会成功 6・23広島県中央集会, 県庁前で開催. 28団体 800人参加.
07 19 ベトナム反戦・広島と沖縄を結ぶ原水禁広島県大会。広島市社会福祉センターに200人。沖縄原水協の仲吉良新理事長出席。沖縄への医師団派遣、広島と沖縄の交流強化など決議。
08 03 原水禁国民会議の被爆二十四周年原水禁大会閉会総会。東京・台東体育館に六千人。七○年核安保反対、沖縄奪還、被爆者救援など決議
08 04 日本原水協の第15回原水禁世界大会本会議。広島県立体育館に1万2000人。五日まで。「アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争反対、ベトナム人民支援」「沖縄の核基地撤去、即時全面返還」「七○年核安保廃棄」「核兵器完全禁止、被爆者救援」を柱
08 13 被爆24周年原水禁世界大会沖縄大会。原水禁国民会議主催。那覇で十五日まで。喜屋武真栄沖縄復帰協会長、「月はやるから沖縄はよこせ」
11 08 公明党、沖縄基地総点検で核、化学・生物兵器の配備を確認と発表
11 21 ワシントンで日米首脳会談、沖縄の一九七二年、「核抜き」返還決まる。日米共同声明第八項「佐藤首相は核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、ニクソン大統領は深い理解を
1970年
04 28 共・社・県労などによる 4・28沖縄即時無条件全面返還・安保条約廃棄全国統一行動広島県中央集会, 県庁前で開催. 54団体・6500人参加.
06 23 安保条約廃棄・沖縄即時無条件全面返還・毒ガス撤去・弾薬輸送反対 6・23広島県中央集会, 県庁前で開催. 1500人参加. 県内20地区で統一行動を展開,  5万人参加.
08 03 日本原水協の世界大会本会議閉幕。ベトナム人民支援決議、沖縄の核基地毒ガス抜き返還、被爆者救援活動の前進、第五福竜丸保存運動の強化を決議。「原水禁運動の統一」に関する七〇年アピール採択
1971年
05 23 「基地のない平和で豊かな沖縄を返せ!真の沖縄返還をめざす全国キャラバン」来広.
06 17 日米両国が沖縄返還に同時調印
06 23 原水禁(社会党・総評系)が沖縄核兵器実態調査の結果発表①沖縄貯蔵の核兵器はほとんど戦術核で約千発②場所は沖縄本島の読谷村、美里村、久志村の三カ所
07 20 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十六周年原水禁世界大会、沖縄で開幕。二十三日まで
08 15 日本原水協の原水禁沖縄大会
10 27 ロジャーズ米国務長官、沖縄の核兵器撤去を上院外交委で言明.
11 07 弾薬輸送反対・米軍基地撤去広島県民共闘会議, 軍事基地(黄幡・秋月・川上)即時全面返還・沖縄返還協定批准阻止広島県中央集会を呉市役所広支所前で開催. 62団体・2000人参加.
11 13 沖縄協定批准反対・アムトチカ核実験抗議・被爆者援護法要求・国際共同行動広島集会.
11 16 社会党の楢崎弥之助代議士、衆院沖縄返還協定特別委で「岩国の米軍基地に核兵器貯蔵の疑いがある」と政府追究。同基地貯蔵庫は核兵器の取り扱いを決めた米軍事故防止点検表に出てくる核貯蔵庫の基準に合致していると指摘
11 19 沖縄協定の強行採決に抗議して, 広島・福山・呉など県下13地区で13万人が集会・デモに参加. 22日にも県中央集会開催. 4300人参加.
11 24 沖縄返還協定、衆院通過。社共欠席。自、公、民三党で非核決議
1972年
01 18 日本原水協と沖縄在住被爆者との交流に,広島から田辺勝広島県被団協理事長と福島生協病院の田阪正利院長, 三村正弘相談員が参加, 現地で交流・調査・検診活動.
01 20 日本原水協(共産党系)の沖縄県被爆者激励・医療調査団(小佐々八郎団長)、沖縄へ出発。二十八日まで
03 01 日本原水協のビキニデー集会に参加したアル・ハバド(反戦ベトナム帰還兵の会書記長・元米空軍曹長)、日本に核を持ち込んだと証言。「一九六○-六三年に二、三十回にわたり日本本土と沖縄の米軍基地に核兵器を運んだ」。八日、広島も訪問
03 15 沖縄協定批准書交換抗議・全軍労連帯スト・春闘勝利全国統一行動. 県下各地で集会・デモ.
05 15 沖縄、日本に正式復帰
05 15 沖縄協定発効に抗議する全国統一行動. 広島県中央集会, 県庁前で開催. 2600人参加. 三次・三原・尾道でも集会.
07 13 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十七周年原水禁世界大会沖縄大会。那覇市で。十七日まで
08 09 長崎市、平和祈念式典を開催。7000人が参列。金城秀一沖縄県原爆被害者協議会理事長、原爆死没者名簿を奉安。広島の代表も初参加。平和宣言、世界平和旬間を提唱。
08 14 日本原水協の第十八回原水禁大会沖縄大会。那覇市で十六日まで
09 23 日本被団協、沖縄各地で原爆被爆者の実態調査を実施。沖縄被爆者協議会と始めて懇談。-26日。

 

年表:被爆樹木

年表:被爆樹木

記事
70 11 13? 広島市西白島町の三篠橋のたもとにそそり立つ被爆エノキが県の同橋拡幅工事のため撤去される予定であることが判明。[被爆樹木]
73 04 23 中国郵政局で新庁舎の地鎮祭。この場で、同局中庭にある被爆アオギリを平和公園に移植することが決まる。[被爆樹木]
76 04 30 広島市基町の住民有志で作る「基町明治会」の代表5人、基町公園内の旧第5師団経理部倉庫と県立体育館裏の柳の木3本(樹齢60年以上)を保存するよう求めた要望書を広島市に提出。[原爆遺跡][被爆樹木]
76 09 16? 広島市、被爆大楠を保存するため基町の高層アパート20号館の建設場所を変更。[被爆樹木]
77 04 27? 広島市基町広島城公園内の被爆ユーカリ、今冬の異常寒波で葉枯れ。[被爆樹木]
77 08 06 被爆に耐えた舟入公園の老松、伐採。[被爆樹木]
77 08 15 中国新聞(夕刊)「”天然クーラー”ばっさり-被爆にも耐えた老松三本-広島市舟入公園-護岸工事の犠牲」[被爆樹木]
78 12 26 広島市基町の「被爆エノキ」、伐採される。[被爆樹木]
79 06 12? 広島市基町小学校の生徒ら、同地区の被爆エノキを守る運動広げる。[被爆樹木]
80 03 08? 原爆で焼失した広島市縮景園の「しだれ梅」、元の位置に植樹され復元される。[被爆樹木]
80 08 06 広島ホームテレビ制作のローカル番組で、基町の被爆エノキを取り上げ放送。[被爆樹木]
81 04 05 被爆して切り倒された松の根、仏像を制作するため引き出される。[被爆樹木]
82 12 01 原爆で倒れたケヤキの株を保存していた広島市在住の書道教師、その株でついたてを作り、広島護国神社へ奉納。[被爆樹木]
84 04 99 広島市役所構内にある被爆した桜(ソメイヨシノ)、満開。(昭和15年「紀元二千六百年」記念に植えられた約十本のうちの1本)[被爆樹木]
84 05 28 寝屋川市の成美小学校生徒、来広し平和学習。被爆エノキの保存運動をしている広島市の基町小学校生徒と交流。[被爆樹木]
84 08 21 広島市中区の被爆エノキ、台風による強風で折れる。[被爆樹木]
84 08 24 広島市、22日に倒れた「被爆エノキ」の保存作業を開始(折れた枝などは平和学習研究資料として利用)。[被爆樹木]
84 08 99 広島市、被爆した樹木の保存のための基礎調査を開始。[被爆樹木]
84 09 03 広島市の安田女子高校の社会科学研究部、広島城橋御門跡近くの被爆樹の保存策を求める要望を広島市に提出。[被爆樹木]
84 09 04 広島市の京橋川左岸の被爆ヤナギに8月台風で亀裂が入り、南区役所、保護作業を開始。[被爆樹木]
84 09 04 先月の台風で折れた被爆エノキの倒木、原爆資料館、広大理学部などへ引き渡されることが決定。[被爆樹木]
84 09 99 大阪府、寝屋川市立成美小学校児童から、8月21日に台風で倒れた被爆エノキを見舞う手紙が広島市の小学校に届く。[被爆樹木]
84 10 99 被爆した樹木のリスト作成を進めている広島市に、26本の情報集まる(1日までに)。[被爆樹木]
84 10 99 広島市役所の現庁舎南側の被爆した桜の木の保存決定。[被爆樹木]
84 11 18 広島県高校生平和ゼミナール実行委、台風で倒れた被爆エノキの一部を「平和のための京都の戦争展実行委員会」へ寄贈。[被爆樹木]
85 01 99 「ヒロシマを語る会」会員、原爆の惨禍を描いた紙芝居「アオギリ物語」を制作。[被爆樹木]
85 03 29 広島市役所構内の被爆桜、開花。[被爆樹木]
85 04 14 被爆の熱線の跡をとどめる竹、長崎国際文化会館に寄贈。(今年になって12人から約60点被爆資料の寄贈相次ぐ)。[被爆樹木]
85 05 28 広島市基町小の児童ら、昨夏の台風で倒れた被爆エノキ(広島市中区基町)に芽が出たことを確認。[被爆樹木]
85 07 01 広島市役所の被爆桜、同市役所前庭整備のため、一時移植。[被爆樹木]
85 07 28 テレビ番組「ふれあいシリーズ『語り始めた青桐』」、被爆の語り部の活動を取り上げ、放送( 8月 4日も) 。[被爆樹木]
85 07 31? 広大理学部など、被爆エノキの年輪調査を実施。それによると、被爆後1~2年は年輪の幅が小さいことが判明。[被爆樹木]
85 08 04 被爆クスノキで作った十字架(1949年頃、原爆乙女が、渡米の際に米ハリウッドの教会に寄贈したもの)、同教会で確認される。[被爆樹木]
85 10 04 長崎市の造園業者、被爆したモミジなどの樹木 3本を長崎国際文化会館に寄贈。[被爆樹木]
85 11 10 アマチュア人形劇団「なかよし」、被爆エノキを題材にした劇「榎」を、広島市で上演。[被爆樹木]
85 12 13? 広島市立倉掛小学校児童ら、同校に一時移植されていた同市役所の被爆桜を、同校に残してほしいと、市に要望。[被爆樹木]
85 12 23 広島市、市立倉掛小学校に一時移植していた被爆桜を市役所校内に植え戻し、同校には接ぎ木した桜を贈ることを決定。[被爆樹木]
86 01 17 長崎市、長崎国際文化会館に、被爆樹木を寄贈した同市の造園業者に、感謝状を贈呈。[被爆樹木]
86 01 20 広島市の「被爆エノキ」と地元の小学生らの交流を描いた物語「WITH LOVE THEY LIVE 」を収録した英語副読本、刊行。[被爆樹木]
86 03 11? 広島市公会堂解体に伴い、被爆アオギリなどの樹木の植え替え作業開始。[被爆樹木]
86 07 02 広島市、同市本庁舎建設で、一時移植していた被爆桜を庁舎玄関そばへ植え戻す作業を開始。[被爆樹木]
86 08 21 広島市、平和記念公園内の「被爆したアオギリ」などの日本語の説明板を、英語併記の標識と交換。[被爆樹木]
86 11 25? 広島市の「被爆老松」(県天然記念物)、松くい虫に侵され枯死。[被爆樹木]
87 04 01? 広島市役所の被爆桜、開花(移植後初)。[被爆樹木]
87 04 25 広島市の平和記念公園の被爆アオギリの枝が折られているのが見つかる。同アオギリは東白島町で被爆したもので1973年、同公園に植え替え。[被爆樹木]
87 06 19? 長崎市で被爆したワクの木、被爆後初めて実をつける。[被爆樹木]
87 06 27 広島市の調査で、平和記念公園の被爆アオギリ一本が枯死寸前になっていることが判明。[被爆樹木]
87 07 02 広島市、平和記念公園の枯死寸前の被爆アオギリに支柱を立て保護。[被爆樹木]
87 07 08? 1984年に台風で倒れた広島市基町の被爆エノキ、枝をのばし再生。[被爆樹木]
87 08 05? 広島逓信病院の被爆ヒマラヤ杉、健在。[被爆樹木]
87 08 06 テレビ番組「アオギリは枯れず-語り部沼田鈴子の夏」(NHK)、放送。[被爆樹木]
87 11 07 広島市で被爆したイチョウの木で制作された「合掌童子像」、広島市に寄贈される。[被爆樹木]
88 02 01 童話作家長崎源之助ら、来広し、被爆エノキを題材にした絵本をつくるため取材。[被爆樹木]
88 03 02? 爆心地から1.5キロの旧広島逓信局で被爆したアオギリ(1973年、平和記念館北側に移植)の「二世」づくり、広島市植物公園で実施。[被爆樹木]
88 04 14? 旧広島市役所中庭で被爆した桜の木の二世、広島市の小学校の校庭で初めて開花。[被爆樹木]
88 04 26 広島県、「花と木の百選」を決定。平和記念公園の被爆アオギリなどを選定。イラスト・解説入りのリーフレット・マップを作成。[被爆樹木]
88 05 09 広島市の基町小学校児童らの観察で基町の被爆エノキに新芽が出ていないことが判明。[被爆樹木]
88 05 20 福岡県築城町の寒田小学校生徒、修学旅行で来広し、平和学習。広島市の小学生と「被爆エノキ」前で交流会。[被爆樹木]
88 06 06 広島市出身の被爆者黒川万千代、ソ連でのロシア正協会一千周年記念式典で被爆体験を語るため訪ソ。広島市の被爆ハマユウを持参し、寄贈。[被爆樹木]
88 06 10/ 福岡県築上郡の寒田小学校生徒、広島市に、被爆エノキの保存を訴えるポスターなどを送付。同校は5月に修学旅行で来広、被爆エノキについて平和学習。[被爆樹木]
88 06 10? 広島市、鶴見橋架け替えのため、被爆柳の移植を計画。[被爆樹木]
88 07 01? 広島市の被爆エノキをテーマにした絵本「ひろしまのエノキ」(長崎源之助作・二俣英五郎画、B5、36ページ)出版。[被爆樹木]
88 07 08? 被爆アオギリ(爆心1.5キロで被爆)の保存のため、広島市が同市植物公園に依頼し ていた同アオギリの二世、発芽。[被爆樹木]
89 01 06? 広島市中区基町の「被爆エノキ」(昨年、枯死したことを確認)の根元に、同エノキのひこばえを確認。[被爆樹木]
89 01 24? 広島市大須賀町で被爆したフジ、広島市立原小学校に平和学習用教材にと寄贈される。[被爆樹木]
89 02 28 広島市立基町小学校生徒らが世話をしていた「被爆エノキ」が枯死したことが判明。生徒ら、同エノキのそばに実生の幼木を植樹。[被爆樹木]
89 02 28 東エルサレムのパレスチナ劇団のメンバー(4人)、来広し、原爆資料館など見学。被爆者沼田鈴子の案内で被爆アオギリなどを見学。[被爆樹木]
89 03 10 アニメ映画「ひろしまのエノキ」(カラー、20分)完成試写会、東京で開催。[被爆樹木]
89 03 19 アニメ映画「ひろしまのエノキ」(山崎哲監督、20分)、広島市で初上映。被爆エノキと広島市立基町小学校生徒との交流を描いた絵本「ひろしまのエノキ」を映画化。[被爆樹木]
89 04 13? 広島市、枯死した中区の「被爆エノキ」を切り倒して保存する計画を断念。同エノキは基町小学校生徒らが草むしりなどをして保護。[被爆樹木]
89 06 22 広島市の西本光男、自宅庭の被爆樹クロガネモチを、母校の市立観音小学校に、平和教育用として寄贈。[被爆樹木]
89 08 12 「おはなしとアニメ“平和のつどい”」、広島市で開催(約30人参加)。「似島学園」園長の講演「平和について―私の歩んだ道」とアニメ「ひろしまのエノキ」。[孤児][被爆樹木]
89 11 27 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」、広島市での全国同和教育研究大会に参加の教師らに被爆アオギリの種を配布。[被爆樹木]
90 03 15? 被爆エノキをめぐる人々との交流を記録した「平和の木」(長崎源之助著、B5,104ページ)、出版。[被爆樹木]
90 06 30 広島教育レクリエ-ション研究会、被爆エノキ保存運動をテ-マにした紙芝居を作成し、広島市安佐南区で上演。[被爆樹木]
90 06 30? 広島市中区白島北町の被爆クスノキ、新交通システムのル-トから避けられ、保存されることが決定。[被爆樹木]
90 07 18 広島市の市民グループ「明日の千田を創る会」、千田公園の被爆樹木に説明板を取り付け。
90 07 27 広島市、平和記念公園内の被爆アオギリの説明板を3月に撤去し、8月6日に向けて仮の説明板を設置。[被爆樹木]
90 07 28 広島市の五日市中央公民館で、映画会開催。「ヒロシマのエノキ」を上映。[被爆樹木]
90 11 21 宮城県牡鹿郡の女川高校生徒、修学旅行で来広。被爆アオギリの種子から育てた二世を被爆者沼田鈴子に贈呈。[被爆樹木]
91 03 20 「被爆エノキ」を育てている広島市の基町小学校で、卒業式。卒業生ら、「エノキ」についての平和学習の成果を披露。[被爆樹木]
91 04 10? 広島市の横田聡、保管している被爆クスノキのいわれを書いたリーフレットを作成し、平和教育教材などへの利用を呼びかけ。同クスノキは、広島市の国泰寺境内で被爆したもの。[被爆樹木]
91 05 12? 修学旅行で来広した宮城県の女川高校の生徒らが育て被爆者沼田鈴子に贈った被爆アオギリ二世の苗、約20センチに成長。[被爆樹木]
91 06 25 前広島市立井口台中学校PTA会長の下崎末満、平和教育に役立てて欲しいと、被爆くすのきに刻字をした作品を同中学校に寄贈。[被爆樹木]
91 07 13 親子平和映画会、広島市の竹屋公民館で開催。「ひろしまのエノキ」などを上映。[被爆樹木]
91 08 01 平和文化映画上映会(広島平和文化センター主催)、広島平和記念館で開催(6日まで)。「ひろしまのエノキ」など上映。[被爆樹木]
91 08 05 広島市中区の被爆クスノキ、工事のため近くの道路わきに仮移植。[被爆樹木]
91 09 28 広島赤十字・原爆病院構内の被爆したニワウルシの大木が、台風19号の強風で倒壊し撤去される。[被爆樹木]
91 10 17? 広島県立ろう学校生徒ら、被爆クスノキの材木を使ったコースター製作に取り組み。[被爆樹木]
92 04 03 広島市植物公園、広島逓信局の被爆アオギリの種や挿し木で130本を植栽。市内の全小学校に鉢植えを送ることを計画。[被爆樹木]
92 05 26 広島市、市立全小学校に植えられる旧逓信局中庭で被爆したアオギリの二世の贈呈・植樹式を本川小学校で開催。平岡市長・池田正彦教育長などが参列。[被爆樹木]
92 07 16? 広島市立本川小学校広報委員会の児童、「アオギリ新聞」第3号を発行。被爆アオギリを特集。[被爆樹木]
92 07 21? 広島市国泰寺町の被爆クスノキをつかった市内の書道家の刻字「飛翔」、第5回瀬戸大橋書道展で総理大臣賞を受賞。[被爆樹木]
92 07 29 渡部照範(広島市内在住の仏師)、被爆クスノキを素材に1月半かけて製作した天女像を広島市の平和記念館に寄贈。[被爆樹木]
93 04 26 沼田鈴子の生きざまを描いた単行本「青桐の下で」(広い岩近広執筆)、明石書店から出版。[被爆樹木]
93 04 28 原爆語り部沼田鈴子、広島市平和記念公園内の被爆アオギリの枝が折られているのを発見。[被爆樹木]
93 07 22? 広島市内で生き残っている被爆樹木が40本にのぼることが、広島市内の被爆者の調査で判明。[被爆樹木]
93 07 29 滝口秀隆の写真展「廃墟に生きた樹木たち」、広島市内の中国電力電化ホールで開幕。-8月7日。[被爆樹木]
93 09 26 広島市の太田川沿いの枯死した「被爆エノキ」、幹が崩れてばらばらになっっているのが見つかる。いたずらの疑い。[被爆樹木]
93 10 01 広島市平和公園の被爆アオギリが折られているのが見つかる。[被爆樹木]
94 03 17 広島市基町・旧陸軍病院の敷地にあった被爆エノキの苗木、翠町中学校に植樹。[被爆樹木]
94 05 17 長崎市内の被爆した柿の木の樹木医による治療始まる。[被爆樹木]
94 06 08 大阪府高槻市立第4中学校の修学旅行生、被爆柿の木を枯らさないようにと長崎市の所有者にカンパ2万円を届ける。[被爆樹木]
94 06 17 長崎センター合唱団、創立40周年記念演奏会を市民会館で開催。原爆に耐えて山王神社内で生き続ける2本の大クスをテーマにした合唱構成曲「くすの木の詩(うた)」を発表。(初披露)[被爆樹木]
94 06 18? 広島市の福田安次、被爆エノキの記念碑建立を呼びかける。[被爆樹木]
94 06 21 日本樹木医会九州総支部、研修会を長崎市で開催。21人が参加し、同市・大徳寺の大クスや被爆したカキの木を診断。[被爆樹木]
94 07 12? 市民団体「地球家族機構」の設立をめざす月下美紀・沼田鈴子(広島の被爆者)ら、被爆アオギリの種を各国政治的指導者にメッセージを付けて送ることを計画。[被爆樹木]
94 07 16 長崎の市民グループ「平和公園の被爆遺構を保存する会」、市内に現存する被爆樹木のマップ作りのため現地調査を開始。[原爆遺跡]
94 10 07 被爆クスノキの板に「ヒロシマの思い」を刻んだ刻字展、広島市内のギャラリーで開催。[被爆樹木]
94 10 20 長崎市若草町の被爆柿の「二世」づくり始まる。[被爆樹木]
94 11 22 中国郵政局、広島市の平和公園の被爆アオギリの二世(苗)を被爆50周年を記念して元々植えられていた同局に里帰りさせることを決める。[被爆樹木]
94 11 22? 長崎市の被爆者ら、同市山王神社境内の「原爆クスノキ」を世界遺産に推薦する運動を計画。[被爆樹木]
94 12 01 平和公園の被爆遺構を保存する会(長崎)、被爆樹木や被爆遺構の情報を集める「被爆樹木ホットライン」を開設。-3日。
94 12 04 長崎の平和公園の被爆遺構を保存する会、市民から寄せられた情報を基に焼け跡の残る柿の木など4件の樹木を確認。[被爆樹木]
95 02 08 長崎市の樹木医海老沼正幸が、被爆カキの木の「後継木」作りを目指し採取した種に新芽が出ていることが確認される。[被爆樹木]
95 02 08 「平和公園の被爆遺構を保存する会」、民間の被爆樹木保存のために助成を求める要望書を長崎市に提出。[原爆遺跡]
95 03 13 長崎市の山里中学校、広島市の翠町中学校から贈られた「被爆エノキ」を正門近くに植樹。[被爆樹木]
95 03 19 広島市佐伯区の「区誕生10周年記念式典」を前に、五日市中央公園で被爆桜を植樹。[被爆樹木]
95 03 23 広島市緑政課、平和公園の枯れかけた被爆アオギリを再生手術を施すため市植物公園に運搬。[被爆樹木]
95 04 10 広島市、被爆桜「ヒロシマエバヤマザクラ」の命名式を江波山公園の現地で開催。約50人が参列。[被爆樹木]
95 04 13? 広島市、新品種と確認された「ヒロシマエバヤマザクラ」を緑化のシンボルとして増殖することを計画。[被爆樹木]
95 04 24 中国郵政局で被爆アオギリの2世の植樹式。平岡広島市長や被爆の語り部沼田鈴子らも参加。[被爆樹木]
95 06 15? 白石進九州大学農学部助教授、長崎市・山王神社境内の被爆クスノキの放射線の影響調査を開始。[被爆樹木]
95 07 09 「竹やぶへの恩返し実行委員会」のメンバー、被爆直後に被爆者を真夏の日差しから守った広島市牛田旭2丁目の竹薮の手入れを実施。[被爆樹木]
95 07 19 広島市の流川教会の被爆クスノキで作られ十字架が、米国ハリウッドのプロテスタント教会で「愛と慣用の象徴」として信仰を集めていることが判明。[被爆樹木]
95 07 29 RCCテレビ、「アオギリに生かされて-語りべ沼田鈴子さんの歳月」を放映。[被爆樹木]
95 08 02 中国郵政局、「アオギリの下で被爆体験を聞く会」を広島市の平和記念公園で開催。沼田鈴子の体験談を聞く。[被爆樹木]
95 08 06 中国郵政局、原爆犠牲者の慰霊式を挙行。今年4月に局内に植樹した被爆アオギリ二世の記念碑の除幕式も。[被爆樹木]
95 10 04? 白石進九州大学農学部助教授、山王神社境内にある楠に被爆の痕跡と見られる突然変異を発見。[被爆樹木]
95 10 11 広島県立福山北養護学校高等部2年生の7人、広島市内の長性院で被爆アオギリを植樹。[被爆樹木]
96 02 24 長崎市の樹木医・海老沼正幸、同市内の諌山浩司方の被爆した5本の柿の木の接ぎ木から育てた「二世苗木」を諌山方に植樹。[被爆樹木][被爆樹木]
96 02 25? 長崎市の造園業者・池田操、被爆松を4月に開館する長崎原爆資料館に寄贈することを決める。[被爆樹木]
96 03 05 東京都台東区立柳北小学校の生徒ら、長崎原爆で被爆した柿の木の二世の苗木を同校内に植樹。長崎市内の樹木医・海老沼正幸が育てた苗の一本。[被爆樹木]
96 04 06? 広島市教育委員会、江波山公園内にある「ヒロシマエバヤマザクラ」(被爆樹木)を市指定天然記念物に指定。
96 04 25 長崎市のみのりが丘幼稚園の年長組60人、長崎原爆で被爆したカキの木から育てた二世苗木を園内に植樹。[被爆樹木]
96 05 08 長崎市内の樹木医・海老沼正幸、高田知事に被爆カキの木の二世苗を寄贈。[被爆樹木]
96 06 04 環境庁、広島市平和記念公園の「平和の鐘」・長崎の「山王神社被爆の楠の木」など100件を「日本の音風景百選」に決定。[被爆樹木]
96 06 13 広島市基町小学校の教職員、「被爆エノキの像」を完成させる。[被爆樹木]
96 06 27 広島市の「二葉山を守る会」、小学校を造成するために計画されている被爆原生林の開発工事に反対する署名9500人分を環境庁・文部省・林野庁に提出。[被爆樹木]
96 07 02 長崎市の樹木医・海老沼正幸、熊本県荒尾市の全小・中学校に長崎の被爆カキの木の二世を寄贈。[被爆樹木]
96 07 06 長崎市立小島中学校生徒、樹木医の海老沼正幸が寄贈した被爆カキの木の二世を同校玄関前に植樹。[被爆樹木]
96 07 26 長崎市在住の洋画家・今泉信男、「山王神社被爆の楠の木」の油絵を同神社に寄贈。[被爆樹木]
96 07 27 長崎市の山王神社内の被爆の楠の木を題材にした合唱曲「日本のくすの木」(大倉芳郎作詞・斉藤正浩作曲)の発表会、同木の下で開催。75人が熱唱。[被爆樹木]
96 07 31 長崎市山王神社の氏子ら、同神社の被爆クスノキに活力を与えるため根の周囲を耕す。[被爆樹木]
96 08 14 NHKテレビ、「原爆大楠への祈り」を放映。長崎市・山王神社の楠の保存運動にスポット。[被爆樹木]
96 09 01? 茨城県在住の現代美術家・宮島達男らでつくる「『時の蘇生』柿の木プロジェクト実行委員会」、長崎で被爆した柿の苗をフランスに植樹することを計画。[被爆樹木]
96 09 19 福岡県三橋町の「平和のつどい」実行委員会、長崎原爆で傷付いた柿の木の二世の苗を役場前で配布。[被爆樹木]
96 09 19 福岡県三橋町の「平和のつどい実行委員会」、長崎原爆で傷ついたカキの木の種から育てられた二世の苗木を同町役場玄関前に植樹。[被爆樹木]
96 10 11 長崎貯金事務センター、長崎市・山王神社「大楠を守る会」に職員の募金2万3000円を寄贈。[被爆樹木]
97 01 22 長崎県時津小学校の児童ら、校庭に被爆カキの木の二世の苗木を植樹。[被爆樹木]
97 01 29? 広島平和教育研究所、絵本「被爆アオギリ二世物語-アオギリのねがい」を発刊。[被爆樹木]
97 01 31 広島市内の教師、被爆アオギリをテーマにした絵本「アオギリのねがい」を出版。[被爆樹木]
97 05 04 「ひろしま人と樹の会」などの市民ボランティアが2年前から進めていた、広島市牛田の原爆被爆直後に被災者の避難所となった竹藪の整備作業が終了。[被爆樹木]
97 06 27 長崎市、被爆遺構の一つで長崎県内で最古とされる柿の木通称「川平の柿」を伐採。完全に枯れたため。[被爆樹木]
97 06 28 広島市の城北中・高校、文化祭を開催。-29日。戸坂の藤井順市が育ててきた被爆したアンズの木を社会問題研究部が紹介。[被爆樹木]
97 07 17 広島市立宇品東小学校で平和学習。3年生の児童が1・2年生に被爆アオギリについて話す。[被爆樹木]
97 07 18? 長崎市・山里中学校の生徒、枯れかけている市の天然記念物である山王神社の「被爆したクスノキ」を救うための募金活動を開始。[被爆樹木]
97 07 29 絵本作家・はらみちおら30人、広島市東区で「ピカドンたけやぶ」を語り継ぐ集いを開く。[被爆樹木]
97 08 04 <被爆アオギリ二世>を育てている広島市立山羊小学校4年生約50人、平和公園で<母親>のアオギリと対面。[被爆樹木]
97 09 23 広島市比治山町の長性院、被爆クスノキで作った仁王像を披露。[被爆樹木]
97 09 29 グリーンコープ生協、牛乳パック回収による収益金10万円を「山王神社大楠を守る会」に寄贈。[被爆樹木]
97 10 05? 広島市の原爆ドーム横のエノキが育ち過ぎていることが判明。[被爆樹木]
97 11 11 長崎市の山王神社で、被爆クスノキの「治療」を前に、安全祈願祭を挙行。[被爆樹木]
97 11 12 長崎市立式見中学校の2年生53人、修学旅行で訪れた広島市の平和公園で、長崎の被爆クスノキの苗木を広島の樹木医に贈呈。[被爆樹木]
97 12 15 広島市在住の被爆者・福田安二、被爆エノキの幼木を福岡県の小学校に送付。[被爆樹木]
97 12 20? 長崎の「山王神社大楠を守る会」、同会の名称を元の団体名「被爆くすの木を守る会」に戻すよう求めていた埼玉県在住の赤瀬守に名称を戻さないとの回答を文書で送る。[被爆樹木]
98 02 21 長崎市立川平小学校、学習発表会を開催。全児童、被爆柿木の二世を育てながら原爆や平和について学んだ成果を劇で披露。[被爆樹木]
98 03 22? 広島県廿日市市・桝井農場社長が4年前に広島市から栽培を委託された被爆桜「ヒロシマエバヤマザクラ」の二世がつぼみを付け始める。[被爆樹木]
98 03 26 広島市、広島城などで「被爆樹木」の解説プレートの設置を開始。
98 03 26? 長崎市の造園業者・海老沼正幸が育てた被爆カキの木の二世を世界各地に植樹する計画が進む。4月18日は、スイス・ジュネーブの世界保健機構(WHO)本部中庭に植えられる予定。[被爆樹木]
98 04 04? 長崎県松浦市調川公民館の前年度高齢者学級の関係者、同館敷地に植えられた被爆カキの木に表示板を設置。[被爆樹木]
98 04 10 4月18日にスイス・ジュネーブの世界保健機構(WHO)本部中庭に被爆カキの木の苗木を植える海老沼正幸ら、長崎市役所で伊藤市長に出発の挨拶。13日、金子県知事がメッセージを託す。[被爆樹木]
98 04 11 広島市の長性院、境内の被爆クスノキを使った仁王像に魂を吹き込む開眼法要を挙行。200人が参列。[被爆樹木]
98 04 30 海老沼正幸、世界保健機関(WHO)へ「被爆カキの木」二世を植樹し帰国、長崎市役所と県庁を訪れ、WHO関係者から市長・県知事宛のメッセージを伝達。[被爆樹木]
98 07 20? 東京都・国立市の女性ら、沼田鈴子著「青桐の下で-「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり」を英訳・出版。[被爆樹木]
98 07 26 「ひろしまと人と樹の会」など、原爆被爆直後多くの人が逃げ込んだ広島市牛田の通称「ピカドン竹やぶ」で被爆死者のための追悼コンサートを開催。約40人が参加。[被爆樹木]
98 09 25 広島の被爆エノキなど古木・銘木を治療した日本初の「樹医」で日本樹木保護協会名誉会長・山野忠彦、大阪市の自宅で死亡。98才。[被爆樹木]
98 10 27? 長崎市立式見中学校の生徒が育てている山王神社で被爆したクスノキの二世の苗の「里親」の申し出が相次ぐ。[被爆樹木]
98 11 13 沼田鈴子や広島市教組など、「被爆アオギリのねがいを広める会」を結成。[被爆樹木]
98 11 28 「プロジェクトくすの木委員会」、設立総会を長崎原爆資料館で開催。[被爆樹木]

 

 

祈りの像

平和祈念慰霊国民大祭記念祈りの像
建立年月日:1960(昭和35)年8月15日
場所:広島市・平和記念公園

(台座正面)
祈り
(台座裏面)
施工者 今村正範
(台座右側面)
平和祈念慰霊国民大祭記念
昭和三十五年八月十五日建立
慰霊対象
被爆者   軍人軍属
官公吏   警察官
警防団員  動員教師
動員学徒  派遣看護婦
助産婦   抑留同胞死没者
戦犯処刑者 殉死者
自決者   在外同胞非業死没者
其他一般犠牲者

〔側碑〕

平和を祈り
御霊を鎮めん
大木惇夫
山河に歎きはみちて
叫ぶ声あり 戦ひは
げに 人類の恥辱ぞと
ああ 奮ひ起ち挙り立て
心つなぎて つつましく
世界の平和 祈らばや
やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の
み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ

青空の光をうけて
闇を絶たずや 戦ひは
げに 人類の愚劣なり
ああ 奮い起ち挙り立て
呼べば応へて たくましく
世界の平和 祈らばや
やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の
み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ

夕星のさとしはありて
こだま地にみつ 戦ひは
げに 人類の自滅ぞと
ああ 奮い起ち挙り立て
まこと尽して 美はしく
世界の平和 祈らばや
やすらぎの日をもたらして
国に殉ぜしもろ人の
み霊をこそは鎮めまし
み霊よ 地下に哭くなかれ

 

 

第29回オマール氏法要

第29回オマール氏法要

1990年9月2日11時、京都市一乗寺の円光寺で、サイド・オマール氏(マレーシア出身の南方特別留学生、広島文理科大学在学中被爆、昭和20年9月3日京都で死亡)の45周年目の供養が営まれました。また、墓前での法要終了後、修学院の平八茶屋本店で懇親会が持たれました。
HISTU09A
HISTU09B
HISTU09C
参列者は17名、広島からは、故人と生前親交のあった菅野義信(本学歯学部教授)・吉川英子・中村千重子の御三方と小笠邦久御夫妻、中野伍法経事務部事務長補佐それに私の7名が参列しました。
私は、広島大学原爆死没者慰霊行事委員会から派遣されての初参加でしたが、法要に先だつ30分ほどの間と懇親会の席で、世話人である園部宏子様より、参列者の皆様の故人との関係を丁重に説明していただきました。はるばる東京から参加された上遠野寛子様は、故人の来日当初に日本語教育などのお世話をされた方とのことでした。今年8月3日のジャパンタイムズは、「マレーシアの原爆被爆生存者、日本との深い関係を発展させる」などの見出しで、南方特別留学生についての特集を掲載していましたが、上遠野様が持参されたこの記事のコピーを囲んで、参列者は改めて往時を偲びました。また、数年前より京都大学工学部がマラヤ大学と学術交流を行っていますが、その関係から得丸英勝同学部長が参列されていました。
私は、予め「天の羊-被爆死した南方特別留学生」(中山士朗著、三交社刊)を読んではいました。しかし、この一日の体験は、書物からの知識では得られない貴重なものでした。

 

 

広島県地方木材株式会社慰霊碑

広島県地方木材株式会社慰霊碑
建立年月日:1967(昭和41)年8月6日
場所:広島市大手町・原爆ドーム側

 HIC091
[正面]
 慰霊
 [裏面]
 此のドームは第二次大戦時吾国の木材統制機関であった広島県地方木材株式会社の本社として職員二百六十名の本拠であったが昭和廿年八月六日午前八時十五分至近上空に原爆投下され不幸にも役職員百余名がドーム内外に於て被爆殉職したここに原爆ドーム永久保存の決定をみて当時の社長田中好一氏の発起により生存の役職員相集いその霊の冥福を祈ると共に世界永久平和を祈願して之を建碑する併せて木材統制機関の日本木材株式会社広島支店及び広島船舶木材株式会社の殉職者を合祀する昭和四十二年八月六日
広島県地方木材株式会社
旧役職員有志

 

 

鎮魂之碑

鎮魂之碑

建立年月日:1975年8月
場所:広島市・比治山公園・陸軍墓地
(正面)
HIC124A
HIC124b
(正面)鎮魂の碑
友よ 安らかにねむれ
兄等 修羅の巷に逝きて三十年
祖国存亡の秋に 少年学徒の身をもって馳せ参し 人類史上例をみない被爆によってこの地にねむる

瀕死の身をいとわず友の安否を訪ねし兄等
混迷のまにまに痛恨の思いをのこして散華せし友よ
兄等ののこした痛哭の思いは生きのひた吾等の心に今なおうずく

ここ同期の友等相集い 兄等在りし日の至純を追慕し いまわの声を継承しとわの平和を誓う
安らかにねむれ 若き日の友よ

(裏面)爆死者名簿(原文左横書)
由来記
船舶特別幹部候補生は 第二次大戦の末期 風雲急を告げる戦局打開のため志願応募した学徒少年兵で 若潮部隊と称されていた。主力は海上挺身戦隊として小型舟艇に爆雷を搭載し 先輩は比島及び沖縄に出撃千有余名の者が散華していった船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊は小豆島での基礎教育後広島に転属 *と称した輸送船舶の通信用員として 千田町
国民学校を宿舎にして教育を受けていた
八月六日 朝の点呼中校庭で被爆 帰営中の三期生を含め 全員が重軽傷を負い特幹隊は壊滅の状態に陥ちた
各施設に収容されたものの 終戦の混乱で治療もままならず 旬日のうちに数十名の者が散華していった
昭和四十五年以来生存者有志相集いこれら友の惨死を風化させるにしのびず 相はかりて還らざる友の冥福を祈り あわせていまわの声を継承し とわの平和を誓って鎮魂の碑を建立するものである

昭和五十年八月吉日元船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊
若潮千通会有志一同建之

若潮千通会