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被爆建物壁面部材の展示会

被爆建物壁面部材の展示会
(広島アンデルセンの北側側面の一部)
主催:広島大学原爆瓦発送之会(会長 嘉陽礼文)
期間:2019年7月22日~8月22日
会場:広島大学医学資料館

撮影:20190725
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動員学徒慰霊塔

動員学徒慰霊塔
建立年月日:1967(昭和42)年5月
場所:広島市中区大手町・原爆ドーム側

HIC090C
HIC090A
HIC090B

動員学徒慰霊塔

[裏面]
広島県動員学徒犠牲者の会
会長 石橋礒一
建設委員長 大東和徳雄
後援会長 檜山袖四郎
設計者 村田相互設計事務所
彫刻者 円鍔勝三
施工者 株式会社砂原組

昭和42年5月
[右側碑]
慰霊塔建設委員
委員長 大東和徳雄
副委員長 朝日輝一 松田亀夫
委員 石橋礒一 沖本津代 栗末義則 笹野口栄 佐々木寿雄 住田道子 平馨 辰本キミヨ 寺前妙子 土井通哉 二井サワエ 温品康子 判田勇 升田建造 丸谷儀一
[側碑]

動員学徒 歌
ほのお果てては
一、君知るや 学徒百万 祖国こそ 生くる命と うち捨てぬ ペンもノートも

二、たたかいの すさぶ折から こぞり立ち 力つくして うち振りし 鎌やハンマー

三、黒髪の 子らも男の子も 若き胸 血汐こぼれて うち絶えし 者や幾人

四、禍つ日の ほのお 果てては いけにえの 人となりもて うち目守る 明日の世界を
うち目守る 明日の世界を ああ学徒 動員学徒

(広島県動員学徒犠牲者会撰)
第二次世界大戦中増産協力等いわゆる勤労奉仕に動員された学徒は全国にわたり三百数十万人あたら青春の光輝と学究の本分を犠牲にしつつ挺身した者の内戦禍にたおれた者は一万有余人その六千余人は原爆死を遂げたこの塔は明眸青雲を望み将来空高く羽ばたこうとした夢も空しく祖国に殉じたそれら学徒の霊を慰めようと有志同胞の手によってうち建てた

広島県宗教連盟

広島県宗教連盟

略年表

年月日 事項 備考
19450806 被爆直後、爆心地に近い慈仙寺(現在の原爆供養塔付近)の境内は、臨時火葬場となり、そこには、氏名、年齢、性別などほとんどわからない痛ましい無数の死体が運ばれ火葬されました。
194601 広島市宇品神田三丁目養徳院住職 国居道憲氏、呉市西辰川町白蓮寺住職 吉川元晴氏らが原動力となって、広島市戦災死没者供養会が設立され、名誉会長に浅野公爵、会長に広島市長が就任
19460429 慈仙寺鼻に供養塔を建設することを決定
194605 「広島市戦災死没者供養塔」建立。卒塔婆を形どった高さ6mのもの(木材不足のため張りぼて)
供養塔完成後の約1週間、広島県仏教連合会、供養会、町会連盟、広島市、広島県は在広各新聞社の後援で戦災死没者遺骨収容大供養週間とし、各町内会は、遺骨収集作業日とし、自主的に区域内の遺骨を収容し、追善供養を執行。
194607 バラック建ての納骨堂と礼拝堂が市民の喜捨により建立。
19460806 供養塔前で各宗派合同の慰霊祭。以後、毎年開催
1950 広島市戦災死没者供養会を「広島戦災供養会」に改組。新供養会は、地元各界から選ばれた民間組織となる。以後、毎年の慰霊祭は、供養会主催により8月6日、朝6時15分から執行。
195507 50m北寄りの現在地に新供養塔を建設。大きさ:直径16m、高さ3.5m。表面に芝生を植える。
以上の出典:『原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ 』(原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ  https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/15507.html
19960806  『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌 平和と慰霊・追悼の歩み』刊行。

 

ドキュメント:2021年8月6日

ドキュメント:2021年8月6日<作業中

できごと 備考(主催・場所など)
原爆死没者慰霊行事  広島戦災供養会・原爆供養塔前
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式  広島市・平和公園
原水爆禁止2021年世界大会
被爆76周年原水禁世界大会
連合2021平和ヒロシマ集会
日本生活協同組合連合会~ピースアクション~  ?