ドキュメント:1950年8月6日<作業中>
| 事項 | 備考 |
| 広島戦災供養会、中島本町の供養塔前と似島で供養会を挙行。 | |
| 浜井広島市長、米国ロサンゼルス市で戦災5周年にあたりコメントを発表。「この戦災によって一挙に21万8000人を失った」。 | |
| 観音学区母子愛育会、上野妙大師堂で原爆犠牲者合同慰霊祭を挙行。
丸木位里・赤松俊子(絵・文)平和を守る会(編)「ピカドン」(ポツダム書店)発刊. |
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ドキュメント:1950年8月6日<作業中>
| 事項 | 備考 |
| 広島戦災供養会、中島本町の供養塔前と似島で供養会を挙行。 | |
| 浜井広島市長、米国ロサンゼルス市で戦災5周年にあたりコメントを発表。「この戦災によって一挙に21万8000人を失った」。 | |
| 観音学区母子愛育会、上野妙大師堂で原爆犠牲者合同慰霊祭を挙行。
丸木位里・赤松俊子(絵・文)平和を守る会(編)「ピカドン」(ポツダム書店)発刊. |
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歩兵第11連隊略歴
| 設置者:歩十一会 |
| 昭和55年7月建立 平成6年8月改定 |
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| 明治8年 1875 創設 明治9年 1876 萩の乱に出動 明治10年 1877 西南戦争に出動 明治27年 1894 日清戦争に出動 明治33年 1900 北清事変[義和団事件]に出動 明治37年 1904 日露戦争に出動 大正8年 1919 シベリアに出兵 昭和12年 1937 日中戦争に出動 昭和16年 1941 太平洋戦争勃発。マレー作戦に参加。 のち南太平洋諸島を転戦 |
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| この間、昭和十二年日中戦争[日支事変]以降、歩兵第十一連隊を母体とする藤部隊、槍部隊、開部隊、望部隊、西部第二部隊等を創設、各々克く健闘した[各々勇戦奮闘、克く郷土部隊の名声を高揚した] |
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| 1999年7月31日撮影 |
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『原爆慰霊碑巡礼の案内』(後藤純、原爆慰霊碑研究所、19670801)
内容<作業中>
| 表紙 | ||||
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| 原爆死没者慰霊碑巡礼順路(昭和41年7月31日現在 原爆資料保存会 ) | ||||
| 慰霊碑合祀者(団体名) | 所在地 | |||
| 01 | 慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
| 02 | 供養塔 | 中島町1(平和公園内) | ||
| 03 | 中島本町町民慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
| 04 | 安佐郡佐東町義勇隊慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
| 05 | 広島県立第二中学校職員・生徒慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
| 06 | 広島市立商業造船科職員・生徒慰霊碑 | 中島町1(平和公園内) | ||
| 07 | 損害保険合同慰霊碑 | 中島町2(平和公園内) | ||
| 08 | 広島市立第一高女職員・生徒慰霊碑 | 中島町11(平和公園内) | ||
| 09 | 広島県庁職員慰霊碑 | 加古町 | ||
| 60 | 中国四国土木出張所職員慰霊碑 | 大手町1-1 (ドーム内) | ||
被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ (19750804)
出典:『核廃絶か破滅か-被爆30年広島国際フォーラムの記録』(時事通信社、19760520)
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被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ
被爆三〇年広島国際フォーラムは、飯島宗一(広島大学学長)、江口朴郎(東京大学名誉教授)、小野周(東京大学教授)、具島兼三郎(長崎大学学長)、上代たの (元日本女子大学学長)、関関治(東京大学教授)、藤井日達(日本山妙法寺山主)、三宅泰雄(日本学術会議会員)の八氏がよびかけ、吉野源三郎(評論家)を代表とする準備委員会によって組織され、一九七五年八月三、四日広島において開催された。
フォーラムは、核抑止の理論が核軍縮への道をきりひらくものではなく、核開発・核軍拡のとどまるところを知らない悪循環をもたらしていること、また、核保有国による核軍備の管理とその下での核の傘が諸国人民の安全を直ちに保障するものでないことを認識し、こんにちまでの核軍縮をめぐる政府間交渉の限界と問題点を諸国人民の意思によってどのように突破すべきかを、被爆三〇年にあたって明らかにすることを目的に、つぎの四項目を討議の主題に設定した。
一、被爆三〇年、核軍拡と核拡散の現状について - それは、いかなる危険と被害を現在と未来の人類にもたらしつつあるか。
二、軍縮、安全保障、エネルギー問題に関する政府間交渉に含まれている問題点は何か。
三、核兵器の完全禁止と廃絶に向かって、私たちはいかなる展望をもつことができるか。
四、私たちはいま何をなすべきか、何をすることができるか、広島から何を訴えるべきか。
上記の趣意は多くの賛同を得、フォーラムには海外二二カ国(オーストラリア、カナダ、チリ、キューバ、フィジー、東ドイツ、グァム、インド、アイルランド、イタリア、ミクロネシア、ニュージーランド、PLO、フィリピン、ポーランド、ルーマニア、スリランカ、スウェーデン、イギリス、アメリカ、北ベトナム、南べトナム)から六六名と、日本国内各界から一二八名、計一九四名が参加した。このフォーラムの全経費は、フォーラム参加者の登録料と、フォーラムを支持した広範な個人、団体(四七六名、二〇団体) の醸金によってまかなわれた。
フォーラムでは、広島・長崎への原爆投下以後三〇年間にわたる原水爆禁止運動、とりわけビキニ事件以降の日本における国民的規模での運動の発展が、広島・長崎の被爆の実相とその後遺、被爆者の現状と問題点とともに報告された。
三〇年経過したこんにち、一方では、ベトナム人民を先頭とするインドシナ諸国人民の崇高な闘争が勝利し、それに勇気づけられて第三世界で民族解放闘争がもりあがり、それらへの支持・連帯を示す世論がアメリカを含め各国でたかまっているが、他方では、平和と軍縮に反対する勢力は、歴史から正しい教訓をくみとることなく、産軍複合体をますます強化してきており、核戦争の危機はかえつて増大してきている面もあるといえよう。そして、いまや世界的に拡大しつつある原子力発電も、核兵器の完全禁止を実現しない限りきわめて危険な面をもち、放射能被害の面からも各国民にとつて脅威となっている。
こうした情勢評価をふまえて、フォーラムにおいては、いかにして核兵器の廃絶を実現するかという問題について、多くの提言がおこなわれた。
全面軍縮をめざす世界軍縮会議を開催させることが重要であり、それに国連のNGO (非政府組織) の意見を正しく反映させていかねばならないこと、太平洋非核武装地帯の設置、海洋法のなかで原子力潜水艦の航行を禁止すること、などが提起されるとともに、こんにちのように膨大な核が貯蔵・配備され、核の拡散がすすんでいる状況のもとでは、核兵器の完全禁止こそがもっとも緊急であり、かつ現実的な措置であることが指摘された。軍備管理ではなく真の軍縮へ向かって発想を転換すべきことが、討論全体の基調をなしており、とりわけ国際的レベルで核兵器禁止の条約を実現することの重要性が強調された。
討論のなかでは、人間性の追求を含め心の問題をあらためて深くふりかえり、考え方の根本的転換が求められていることが確認された。科学者・知識人は、こんにちの科学技術革命の時代についての正しい認識にたって、戦争を目的とする科学には従わないという決意を新たにするとともに、自然科学者、教育者、宗教者が相互に連帯し、国際連帯を強化しつつ、核抑止の信仰を打破するための具体的な研究をすすめ、その知識を広く大衆に伝えることによって運動の発展に寄与すべきことが確認された。
広島・長崎の事実を広く世界に知らせるとともに、運動の縦承発展のためにも平和教育を重視し、核兵器をもつことがみずからの利益にならない大衆の間における核廃絶の意識をさらに強め、大衆とともにたたかうことによって核兵器完全禁止の展望がひらけることが確認された。
このフォーラムは、当初、文書の採択を予定していなかったが、例外として、ショーン・マクプライド氏によつて提案され、満場の共感を得た、核兵器不使用国際協定締結に関する次の特別決議を採択した。
特別決議
被爆三〇年広島国際フォーラムは、軍拡、とりわけ核軍拡のかつてない重大なエスカレーションについて審議した結果、国際連合に対して緊急の問題として次のような国際法規を採択するよう要請する。
--どのような状況のもとで、どのような核兵器を使用しようとも、これを国際法と人道に対する犯罪とすること。
この決議は、マクプライド氏を通じてただちに国連事務総長に手渡すとともに (マクプライド氏からのその後の連絡によるとこの決議はすでに国連NGO加盟の全組織に配布されたとのことである)、フォーラムの全参加者がそれぞれの国の政府にはたらきかけ、この決議を国連の場にもちこませるよう努力すること、また、それぞれの組織を通じてもこの決議の実現のため広くよびかけとはたらきかけをおこなうことを申し合わせた。
一九七五年八月四日
本コミュニケは、国際フォーラムで採択された最終議長のまとめにもとづき、よびかけ人と準備委員会の責任で成文化されたものである。
『福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌 原爆被爆体験記』(福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌編集委員会編 福山市原爆死没者慰霊碑建立委員会・福山市原爆被害者の会刊、19900401)
内容
| 目次 発刊のことば 福山市原爆死没者慰霊碑建立委員会委員長 福山市原爆被害者の会会長 吉田悦三 「記念誌」発刊によせて福川市長 牧本幹男 「記念誌」発刊によせて福山市議会議長 三好章 「記念誌」発刊によせて福山市教育長 藤井祥三 はじめに 1 行政関係者との打合わせ 1 公園用地使用の陳情書提出 2 既設慰霊碑の現地視察 3 現場説明会の開催 3 牧本市長と面談 3 建立趣意書の起案と印刷 4 三役会の開催 4 役員会の開催 5 建立委員会設立総会の開催 5 被爆石の引取り 5 公園占用許可申請書の提出 5 推たい書およびあいさつ状の発送 6 工事請負契約の締結と調印 6 募金活動の展開 7 死没者名簿登載申請者は215柱 7 地鎮祭の厳修 7 碑文作成に行政当局の協力を得る 8 碑銘と碑文の揮毫すすむ 9 公園使用許可申請書の提出 9 除幕式の挙行 10 第1回慰霊式の執行 12 記念誌等編集委員会の結成 13 原爆死没者慰霊碑除幕式 式辞 14 第1回原爆死没者慰霊式 あいさつ 16 原爆死没者慰霊碑建立資金 分類別集計表 18 原爆死没者慰霊碑建立資金 寄付者芳名録 18 |
|||
| 思い出の記 赤瀬菊一…1 被爆の思い出 秋山マツヨ…3 原爆の石 麻生公士…7 原爆の追憶 荒木常市…8 思い出したくない原爆 安藤祥子…11 私の被爆体験記 池尻博…11 原爆死没者慰霊碑の建立によせて 石井定夫…14 私の被爆体験記 板崎富佐子…15 私の被爆体験 井上ウメヨ…16 核兵器廃絶のために 井上宗頼…18 私の被爆体験記 一被爆者…20 思い 岩川正男…21 被爆の証言 梅田清子…23 見たまま思うまま 大本文男…25 原爆被爆者体験記 大村右一…28 被爆の思い出 大村善一…30 被爆44年想い出 大垣綱男…32 原爆の地に主人を捜して 岡田花子…33 被爆体験記 岡本四郎…35 忘れられない長く苦しい一日 岡本寿子…37 忘れられない原爆 沖浦金市郎…40 私の被爆体験記 小澤俊一郎…42 慰霊碑除幕に際して 柏原律衛…44 私の原爆体験 梶川尭子…45 あの日あの時爽竹桃の花咲けば心の傷がまた痛む 梶田瞳…47 私の被爆体験記 片岡昌子…48 父を求めて広島へ 片田憲子…50 私の被爆体験 川口三世子…52 とどめの一発 川崎英男…54 原爆の追憶 河相弘…56 忘れることのできぬ8月6日 河相行夫…59 原爆と救援活動 川中三郎…60 戦争と私 神原秋…61 救護班の思い出 神野ミチ子…65 あなたは、見たのでしょうか 木本茂.…一….67 私の誓い 久良一五三…69 私の体験記 小土井虎造…71 追憶 後藤久江…74 俳句 小林正巳…75 私の被爆体験 小林マツコ…76 被爆の追憶 小史妙子…78 私の被爆体験 坂本五郎…80 被爆の思い出 坂本百合子…82 被爆体験記 作田民夫…84 広島の原子爆弾投下に依る救援活動の状況 佐藤茂累…85 私の被爆体験記 佐藤武男…89 回想 佐々木一二…91 原爆の思い出 三箇只雄…92 原爆に思う 三箇照一…93 私の被爆体験記 塩形貞枝…94 原爆慰霊碑と平和の願い 下江花子…96 八月六日は生地獄 新谷徳美…97 ピカドンを顧みていま思い出してもゾッとする 鈴木正次…101 平和を祈って 杉原邦恵…103 被爆体験 炭広トシコ…105 被爆と救護 高橋定雄…107 原爆の思い出 高橋菊美…108 被爆体験記 田口敬一…110 劫火の中を生き延びて 玉川カズ子…114 被爆体験のひとこと 段畑吉之…115 被爆の現状を顧みて 田原弘…118 被爆体験の追憶 土岡巧…118 原爆のない平和を祈る 堂前きみ子…121 地球から核を無くしよう 長久吉人…121 私の被爆体験 沼本熊太…123 末期の水 野田恒男…124 被爆体験記 原田代吏男…126 被爆の思い出 東貞夫…127 不忘の視界 平田震一郎…129 原爆被害で濃くなられた方々の慰霊碑の建立にあたって 藤井一三…132 被爆体験記 藤井辰夫…134 ノーモアヒロシマ 藤井三郎…135 私の原爆 藤内智夫…137 鳴呼集練兵場 藤坂正一…139 広島原爆記念日に際して 藤原徳磨…142 被爆体験記 藤本勇…143 被爆の惨禍を後世へと残す 前田良雄…145 原爆投下時救護班に参加して 松井清子…147 私の被爆体験記 松岡伊登…149 地獄 松岡泰三…151 焼け残りの板原爆忌によせて 三浦脩二…151 広島の夏から生までの道のり 三村正一…153 原爆の思い出 向井喜三衛門…156 被爆者の一人としての願い 村上久子…157 被爆体験 村上信義…158 愛情に救われる 守岡隆一…159 私の被爆体験 守屋勇…160 原爆の日に思う 山口千代子…161 私の八月六日前後 山崎昭治…162 爆死より生還 吉田悦三…164 私の被爆体験記 渡辺孝人…170 私の被爆と兄の死に思う(地球から核兵器をなくそう )渡辺光彬…172 |
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2021年6月(日録)
| 日 | 事項 |
| 01 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る」。 |
| 03 | ヒロシマ遺文への投稿=「れんがと広島 広島市郷土資料館調査報告書第16集」 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「2021年6月(日録)」 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌 原爆被爆体験記」 |
| 06 | ヒロシマ遺文への投稿=「被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ」、「原爆慰霊碑巡礼の案内」 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「歩兵第11連隊略歴」 |
| 08 | ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:1950年8月6日」 |
| 09 | ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:1955年8月6日」、「ドキュメント:1960年8月6日」、「ドキュメント:1965年8月6日」、「ドキュメント:1970年8月6日」、「ドキュメント:1975年8月6日」、「ドキュメント:1980年8月6日」、「ドキュメント:1985年8月6日」、「ドキュメント:1990年8月6日」、「ドキュメント:1995年8月6日」、 |
| 10 | K・H・T(広島原爆資料館)、来宅。 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:2019年8月6日」、「ドキュメント:2020年8月6日」、「ドキュメント:2021年8月6日」 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島文理科大学・広島高等学校 原爆死没者遺骨埋葬の地の碑」 |
| 12 | 新聞記事(2020年8月・9月分)の切り抜き作業。 |
| 12 | ヒロシマ遺文への投稿=「段原町原爆慰霊碑」 |
| 13 | 新聞記事(2020年9月分)の切り抜き作業。 |
| 13 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県宗教連盟」。 |
| 14 | ヒロシマ遺文への投稿=「動員学徒慰霊塔」。 |
| 15 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止五日市市協議会原爆死没者慰霊碑」、「原爆展<新日本婦人の会呉支部>」。 |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=「被爆建物壁面部材の展示会」、「ヒロシマ・ナガサキ被爆の実相等に関するポスター展」、「ニック・ユソフ墓」。 |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「鎮魂之碑」。 |
| 18 | 昭和図書館へ。『平家物語(四)』返却、再借り出し手続き。 |
| 18 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県職員原爆犠牲者慰霊碑」、「広島県地方木材株式会社慰霊碑」。 |
| 19 | ヒロシマ遺文への投稿=「第29回オマール氏法要」。 |
| 20 | ヒロシマ遺文への投稿=「祈りの像」 |
| 21 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:被爆樹木」 |
| 22 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:沖縄・広島」 |
| 23 | 沖縄「慰霊の日」 |
| 23 | ヒロシマ遺文への投稿=「戦争と平和の理論」。投稿「年表:沖縄・広島」の校訂作業。 |
| 25 | 中国新聞社『ヒロシマの空白 被爆75年』(20210623)レターパックで届く。 |
| 25 | ヒロシマ遺文への投稿=「8・6世界大会準備ニュース(原水爆禁止世界大会日本準備会)」、「原水爆禁止世界大会広島準備会」 |
| 26 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島女子高等師範付属山中高等女学校慰霊祭」 |
| 27 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止日本協議会代表委員(1955年11月現在)」、「独立運動と民主化闘争に学ぶ 韓国・歴史と平和の旅」、「【論!2010】「被爆者」にこだわるべき 宇吹暁さん」、 |
| 28 | 「76年前の呉空襲 検事報告書複写 息子の富村さん保管」『中国新聞(湯浅梨奈記者)』 |
| 28 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被爆者援護事業概要目次(広島県健康福祉局被爆者支援課、202007)」、 |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「内閣総理大臣(安倍晋三)挨拶 20200806」 |
| 30 | ヒロシマ遺文への投稿=「特別論文編22原爆と広島大学(構想)」 |
『れんがと広島 広島市郷土資料館調査報告書第16集』( 広島市郷土資料館編、広島市教育委員会、 20010731)
| はじめに | |
| 関連年表 | |
| 『れんが』『レンガ』『煉瓦』 | |
| 1 世界のれんがのはじまり | |
| 2 日本のれんがのはじまり | |
| 3 広島のれんがのはじまり | |
| (1)広島のれんが生産 10 (2)統計書にみるれんが生産 10 (3)広島市内で創業したれんが工場 11 (4)油紙で包まれたれんが 11 (5)れんが生産の広まり 12 (6)れんが生産県広島 14 |
|
| 4 広島市郷土資料館の建物 16 | |
| 5 広島の代表的なれんが建物 18 | |
| 6 れんがの作り方とその活用 25 | |
| (1)れんが製造の今昔 25 (2)様々な形をしたれんが 31 |
|
| 7 れんがの積み方・敷き方と刻印 32 | |
| (1)れんがの積み方 32 (2)れんがの敷き方 33 (3)れんがの刻印 33 |
|
| 8 れんがの使い方と現在のれんが事情 35 | |
| おわりに 37 | |
| 参考文献 38 |
『ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る』(原爆被害者相談員の会 編著、かもがわ出版、 20190806)
内容<作業中>
| 章 | |||
| はじめに 1 | |||
| Ⅰ | 原爆被害者相談員の会の原点と未来 7 | 三村正弘 | |
| 1、不条理の是正に挑む道のり 8 | 太田昌克 | ||
| 2、原爆被害者相談員の会はなぜ生まれたのか 15 | 若林節美 | ||
| 3、ソーシャルワーカーの役割はどこにあるか-1990年代から今日まで 30 | 三村正弘 | ||
| 4、被爆者支援の今日的役割-福島第一原発事故被害者に対する健康相談会の取り組み 44 | 山地恭子 | ||
| 5、ソーシャルワークの本質に迫る-ソーシャルアクションを志向して 51 | 村上須賀子 | ||
| 6、被爆者を引き受ける-同伴者としての「相談員の会」から継承者としての「相談員の会」へ 62 | 直野章子 | ||
| 7、次世代による平和と人権の学び 70 | 中野春乃、奥西栄介 | ||
| Ⅱ | 被爆者の苦しみに寄り添って 79 | ||
| 1、ひたすらに生きる-援護のない被爆後を生きぬく 80 | 塚本弥生 | ||
| 2、原爆小頭症患者とその家族史 85 | 村上須賀子 | ||
| 3、孤独な死を選んだ若年被爆者 90 | 山地恭子 | ||
| 4、原爆症認定集団訴訟原告の生き様 94 | 櫻下美紀・山地恭子 | ||
| 5、「被爆者」として毎日を生きる 98 | 米澤美紀 | ||
| 6、ケロイドは放射線に起因しない 101 | 櫻下美紀 | ||
| 7、在外被爆者の原爆症認定申請 105 | 山地恭子 | ||
| 8、在外被爆者の被爆者健康手帳申請 109 | 山地恭子 | ||
| 9、被爆当時の証人なしで被爆者手帳を取得するまで 113 | 松本ソノ | ||
| 被爆者のための制度と用語の解説 117 | |||
| Ⅲ | 被爆者とともに行うソーシャルアクション 119 | ||
| 1 | 被爆者相談活動 | 塚本弥生 | |
| 被爆者相談活動前期 120 | 櫻下美紀 | ||
| コラム 日曜日はいつも… 124 | 山田寿美子 | ||
| コラム 卒業してすぐの相談員は 125 | 渡辺美加 | ||
| 被爆者相談活動後期-次世代のMSWの挑戦 126 | 櫻下美紀 | ||
| 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立 134 | 塚本弥生 | ||
| 原爆症認定制度のうつりかわり 136 | 三村正弘 | ||
| 集団訴訟・裁判資料作り-三次高女入市救護実態調査 140 | 三宅文枝 | ||
| 2 | 被爆者証言活動を支えるソーシャルワーカー | ||
| 8.6「原爆被害者証言のつどい」開催から現在まで 143 | 三宅文枝 | ||
| コラム 一日カメラマン 151 | 胡明憲二 | ||
| コラム 私にとっての相談員の会 152 | 黒岩晴子 | ||
| 「原爆被害者証言のつどいグループ」の誕生と活動 153 | 三村正弘/山地恭子 | ||
| コラム 第3回国連軍縮特別総会への参加 156 | 石橋京子 | ||
| 被爆証言の場につどうということ 157 | 奥村栄介 | ||
| 3 | 基本懇意見書を被爆者とともに乗り越えるために | ||
| 12.11「基本懇意見書」にこだわる 163 | 中村有紀子 | ||
| 4 | 自分史 | ||
| 被爆者が書く「自分史」活動を支えて 169 | 古寺愛子 | ||
| 5 | 原爆小頭症問題 | ||
| 原爆小頭症患者に医療ソーシャルワークを 180 | 村上須賀子 | ||
| 原爆小頭症患者の専任相談員として 184 | 河宮百合恵 | ||
| 6 | 同志と手を組む・その1・専門職との協働 | ||
| 本会を構成する多様な人たち 187 | 鈴木勉 | ||
| 相談員、原爆二法研究会、在外被爆者裁判 189 | 田村和之 | ||
| 原爆症認定裁判とソーシャルワーカー 191 | 二國則昭 | ||
| 7 | 同志と手を組む・その2・幅広い市民との協働 | ||
| 幅広い市民(同志)との協働 193 | 村上須賀子 | ||
| 私のボランティア活動の報告 197 | 相良カヨ | ||
| コラム 爆心地の遺族を訪ねて 204 | 熊谷睦子 | ||
| 8 | 被爆者とともに成長したSW | ||
| 「被爆者」の真の意味を学んだ「相談員の会」 207 | 米沢美紀 | ||
| 被爆者の願いを受け取って 208 | 村田朱 | ||
| 「相談員の会」で学んだソーシャルワーク 209 | 吉岡智子 | ||
| 3世として、医療ソーシャルワーカーとして 210 | 岡野恵美 | ||
| 自分史サポーターの経験を通じて得た学び 211 | 福原優子 | ||
| 終章 | |||
| 「相談員の会」のこれから 212 | 舟橋喜恵 | ||
| 被爆者支援ソーシャルワークは私たちの実践モデル 215 | 山地恭子 | ||
| おわりに 220 | 三宅文枝 | ||
| 執筆者一覧 222 | |||
執筆者一覧 222
備考
黎明短歌会
『短歌雑誌 黎明』
発行所:黎明短歌会(広島市 金子美代子)
創刊: 2001(平成13)年
刊行周期: 月刊
※ 第40号(2008年)を以って終刊。
第5巻第32号 目次
| 頁 | 見出し | 作者など | 備考 |
| 01 | 第32号作品 | 柳井ルリ子 他 | |
| 16 | 第30号作品批評 | 二羽ミツコ | |
| 原爆の日特集 | |||
| 18 | 私の八月六日 | 黐池満智子 | |
| 20 | 私の8月6日 | 柳井ルリ子 | |
| 21 | 「1945年八月六日」 | 油野はつ枝 | |
| 22 | 原爆の事 | 沖本茂子 | |
| 22 | 瓦礫の町 | 金子美代子 | |
| 22 | 後記 | ||
『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会 、2020/03/01)
内容<作業中>
| 部 | |||
| はじめにかえて 東組の被爆に思う 中西巌(旧被服支廠の保全を願う懇談会代表) 2 |
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| 1 | 一人一人の「倉庫の記録」 | ||
| 広島陸軍被服支廠の被爆状況 9 原爆について 清水元男美 9 倉庫の記録 峠三吉 10 峠三吉日記 12 救援・救護 小笠原貞雄、藤井三千明、平栗忠夫 19 コンクリート倉庫2階にいた女性 佐藤泰子、加藤春江 他 21 レンガ倉庫以外の場所 河野シズエ 他 25 勤務していた人 高見スス子、高田刑一 他 26 逃げ込んだ人の証言 27 広島被服支廠での原爆被災終戦処理について 佐藤種三郎主計大佐 29 広島が消滅した日-一年目の記憶 香川昇 36 15歳 動員学徒 森武徳 44 広島高等師範学校附属中学東組の被爆状況52 石田民生さんの証言 56 被爆体験記 三木正 62 被服支廠の荷を運ぶ途中 日南千代子(当時15歳 女子挺身隊) 65 |
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| 2 | 蘇る旧広島陸軍被服支廠 67 | ||
| 在りし日の旧陸軍被服支廠縫製工場(石木信明氏提供) 68 蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と広島文化 橋本秀夫 69 被服支廠と私 切明千枝子 82 近藤登代子資料(荒木登代子氏提供) 84 佐々木サツキ資料(下迫瑞恵氏提供) 84 池上豊子資料(川元敦子氏提供) 85 久保性三資料(久保忠司氏提供) 86 四國五郎資料(四國光氏提供) 88 西垣武史さんの証言 90 広島第一県女の学徒勤労動員 92 6.被爆前後の状況(広島第一県女の被爆状況) 109 被服廠での生活 森武德 112 広島の町と級友 熊崎照 122 被服廠の終焉 秋田銀一(陸軍経理部 主候11) 126 |
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| 3 | 資料編 131 | ||
| 旧被服支廠赤レンガ倉庫の動向 132 懇談会の活動記録 134 被服支廠年表 139 出汐町倉庫(旧広島陸軍被服支廠)について 142 |
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| おわりにかえて | |||
| 地味な建物だからこそ 山野上純夫 144 | |||
備考