NHK原爆の碑 1966年3月22日除幕・広島市(大手町・NHK会館)
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| 撮影日:2021年3月15日 |
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NHK原爆の碑 1966年3月22日除幕・広島市(大手町・NHK会館)
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| 撮影日:2021年3月15日 |
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広島市立第二高等小学校慰霊碑
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| 撮影:2021年3月15日 | |
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無名戦士之碑
1963年5月1日、「無名戦士之碑」広島市小網町の平和大通りで除幕。古末憲一ら約200人参加。
広島県解放運動無名戦士合祀祭 1963年~
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原民喜略年譜
| 年 | 年齢 | 事項 |
| 1905 | 広島市幟町一六二番地に生まれる。 | |
| 1923(大正12) 18 広島高師付属中学4年を終了。 1924(大正13) 19 慶応義塾大学文学部予科入学。 1929(昭和 4) 24 慶応義塾大学文学部英文科に進む。1932年卒業。 1933(昭和 8) 28 永井貞恵と結婚。 |
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| 1942(昭和17) 37 千葉県立船橋中学校に英語教師として週3回通勤。 1944年退職。 |
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| 1945 | 40 | 1月末千葉の家をたたみ、郷里広島市幟町、兄信嗣の許に疎開。 8月6日同町にて被爆、東練兵場に2日をすごした後、 次兄守夫と共に広島市郊外八幡村に移る。 以後原爆症とはいえぬが、健康はすぐれないときが多くなった。 被爆の悲惨な体験は2年後「夏の花」として結晶。 |
| 1946 | 41 | 上京。慶応義塾大学夜間中学に教鞭をとる。 10月より「三田文学」の編集にたずさわる。 |
| 1947 | 42 | 「夏の花」の世評高し。12月夜間中学を退職。 作品:「夏の花」、「廃墟から」、「氷花」 |
| 1948 | 43 | 「近代文学」の同人となる。 12月「夏の花」に第1回水上滝太郎賞を受く。 |
| 1949 | 44 | 作品:『夏の花』、『鎮魂歌』、『長崎の鐘』。 |
| 1950 | 45 | 4月、日本ペンクラブ広島の会主催の平和講演会参加のため帰郷。 作品:『美しき死の岸に』、『原爆小景』。 |
| 1951 | 46 | 3月13日、吉祥寺西荻窪間の鉄路に身を横たえ自らの生命をたつ。 作品『碑銘』。 |
| 出典:『原民喜詩碑再建記念』(原民喜詩碑移転修復実行委員会、1968年3月1日) | ||
原民喜詩碑 除幕:1967年7月29日 場所:広島市大手町1丁目碑設計 谷口吉郎
1951年7月13日、広島城跡に建設されたが、毀損のため、現在地に再建。
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| 碑銘正面 原民喜 遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻 |
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| 裏面 原民喜詩碑の記 原民喜は人がら清純沈鬱に流俗と遇ひ難い詩人であった。一九五一年三月一二日夜、東京都西郊の鉄路に枕して濁世を去った。蓋しその生の孤独と敗戦の國の塵勞とは彼の如き霊の能く忍ぶところでは無かった。遺書十七通、先づ年来の友情を喜びさてさりげ無く永別を告げんと記し、うち二通の文尾に書き添へた短詩「碑銘」は思を最後の一瞬に馳せて亡妻への故郷壊滅の日を記した力作「夏の花」に寄する矜持と又啼泣とを「一輪の花の幻」の一句に秘めて四十六年の短生涯を自ら慰め弔ふもの、辞は簡に沈痛の情は深い。遺友等ために相謀り地を故郷に相し銘記せしめて之を永く天地の間に留めた。 一九五一年七月十三日夜 遺友中の老人 佐藤春夫記す |
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| 撮影日:2017年8月6日09:36 撮影者:宇吹 | |
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日本ペンクラブ歴代会長<出典:https://japanpen.or.jp/about/>
| 代 | 会長名 | 在任期間 | 備考 | |
| 初 | 島崎藤村 | 1935~1943 | ||
| 1935年(昭和10年) 外務省の文化事業部関係者と国際文化振興会の斡旋により、11月26日に創立総会を開催。初代会長に島崎藤村、副会長に有島生馬、堀口大學、主事に勝本清一郎、会計主任には芹沢光治良が就任。当時の会名は「日本ペン倶楽部」。事務所を銀座西8丁目の日吉ビルに設置。 |
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| 02 | 正宗白鳥 | 1943~1947 | ||
| 03 | 志賀直哉 | 1947~1948 | ||
| 1947年(昭和22年)2月、旧メンバーを含む文化人多数の手によって「日本ペンクラブ再建大会」を開催。「日本ペンクラブ」の名称や新規約を定め、第3代会長に志賀直哉、副会長に辰野隆、幹事長に豊島与志雄を選出。 | ||||
| 04 | 川端康成 | 1948~1965 | ||
| 1948年(昭和23年)6月、第20回国際ペン・コペンハーゲン(デンマーク)大会で日本ペンクラブの国際ペン復帰が承認される。同6月、第4代会長に川端康成が就任。 | ||||
| 19491126 | 川端康成らヒロシマを訪問(『中国新聞』) | |||
| 19500415 | 日本ペンクラブ主催「広島の会」。於広島市(『中国新聞』) | |||
| 1950年 (昭和25年)8月、第22回国際ペン・エジンバラ(イギリス)大会に代表阿部知二、北村喜八を派遣。 | ||||
| 19510401 | 日本ペンクラブ月例集会。故原民喜の詩碑建設案が提案される。(『中国新聞』) | |||
| 1951年(昭和26年)6月、第23回国際ペン・ローザンヌ(スイス)大会に代表芹沢光治良、石川達三を派遣。オブザーバー池島信平が参加。 | ||||
| 19510713 | 原民喜詩碑建立。 | |||
| 19510921 | 日本ペンクラブ、米文化評論誌に翻訳・掲載される日本の戦後文学作品として原民喜「夏の花」など12作品を推薦(『中国新聞』) | |||
| 1952年(昭和27年)6月、第24回国際ペン・ニース(フランス)大会に代表小松清、丸岡明を派遣。オブザーバー田村泰次郎、平林たい子らが出席。 | ||||
| 1953年(昭和28年)3月、ペン『会報』再刊第1号を発行。6月、第25回国際ペン・ダブリン(アイルランド)大会に代表平松幹夫、真杉静枝を派遣。オブザーバー火野葦平、米川正夫が出席。 | ||||
| 1956年(昭和31年)3月、評議員会で国際ペン大会東京招致を正式に決定。4月、ロンドンの国際ペン執行委員会に代表松岡洋子を派遣。7月、第28回国際ペン・ロンドン(イギリス)大会に小牧近江、松岡洋子を派遣。オブザーバー佐藤朔、田村泰次郎が出席。同大会で第29回国際ペン東京大会開催が満場一致で可決。9月、年次総会で組織を社団法人に改め、会長に川端康成、副会長に青野季吉、芹沢光治良、専務理事に立野信之、事務局長に松岡洋子が就任。 | ||||
| 1957年(昭和32年)4月、社団法人認可。ロンドンの国際執行委員会に川端康成、松岡洋子を派遣。9月2日?8日、第29回国際ペン東京大会を東京と京都で開催。26カ国30センターから代表者171名、日本ペン会員208名が参加。日本代表は桑原武夫、高見順。 | ||||
| 1958年(昭和33年)3月、川端康成が国際ペン副会長に選出される。9月、パリの国際執行委員会に伊藤整と滞欧中の今日出海を派遣。 | ||||
| 1959年(昭和34年)7月、第30回国際ペン・フランクフルト(ドイツ)大会に代表高橋健二、西村孝次を派遣。ゲスト・オブ・オナーに芹沢光治良。 | ||||
| 1960年(昭和35年)6月、日米新安保条約の批准承認に対する抗議声明を発表。7月、リオデジャネイロとサンパウロ(ブラジル)で開かれた第31回国際ペン大会に代表大和資雄、湯浅克衛を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。 | ||||
| 1965年(昭和40年)5月、「ベトナムにおける事態を憂うる」声明を発表。10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。 | ||||
| 05 | 芹沢光治良 | 1965~1974 | ||
| 1965年(昭和40年) 10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。 |
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| 1967年(昭和42年)3月、『日本ペンクラブ三十年史』刊行。 | ||||
| 1968年(昭和43年)12月、川端康成がノーベル文学賞を受賞。 | ||||
| 1970年(昭和45年)6月、第37回国際ペン・ソウル(韓国)大会に阿川弘之、平林たい子を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成、草野心平。大会テーマ「文学におけるユーモア―東と西」。アジア作家会議(台北)開催。団長立野信之、他11名が参加。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。テーマ「今日のアジアの作家たちが直面している問題」。 | ||||
| 06 | 中村光夫 | 1974~1975 | ||
| 1974年(昭和49年)2月、作家ソルジェニーツィン逮捕に対し、即時釈放を求める抗議電報をソ連政府などに打電。7月、金芝河の減刑要請のため藤島泰輔、白井浩司、井口順雄事務局長を韓国へ派遣。記者会見における藤島発言に端を発したジャーナリズムの日本ペン批判、退会者相次ぐ。8月、緊急理事会で藤島発言は個人的見解と発表。9月、緊急理事会で事態収拾のための再建委員会(委員長石川達三)発足を決定、全理事辞表を提出。10月、再建委員会による理事選挙。臨時総会で定款改正、理事改選を承認。11月、新理事会で第6代会長に中村光夫、副会長に山本健吉、桑原武夫、専務理事に佐伯彰一、常務理事に杉森久英、土岐雄三を選任。 | ||||
| 07 | 石川達三 | 1975~1977 | ||
| 1975年(昭和50年)5月、石川達三を第7代会長に選出。 | ||||
| 08 | 高橋健二 | 1877~1981 | ||
| 1977年(昭和52年)1月、韓国の詩人、金芝河の実刑判決に対する声明を発表。5月、ハンブルクの国際執行委員会に高橋健二を派遣。7月、第8代会長に高橋健二を選任。副会長に杉森久英、田辺茂一、中屋健一、専務理事に土岐雄三、常務理事に井上ひさし、早乙女貢を選任。12月、第42回国際ペン・シドニー(オーストラリア)大会に代表越智道雄、袖井林二郎を派遣。ゲスト・オブ・オナー中屋健一。大会テーマ「文学、アジアとヨーロッパ文化のかけ橋」。韓国で投獄されている金芝河の窮状について深い憂慮を表明するステートメントを発表。 | ||||
| 09 | 井上 靖 | 1981~1985 | ||
| 1981年(昭和56年)5月、第9代会長に井上靖を選出。副会長に桑原武夫、杉森久英、中村光夫、専務理事に巌谷大四、常務理事に早乙女貢、三好徹を選任。7月、「教科書検閲に抗議の声明」を発表。 | ||||
| 1984年(昭和59年)4月、年次総会で会員数が1000名を超えたことを報告。5月14-18日、新宿京王プラザホテルで第47回国際ペン東京大会開催。参加センター45、海外から参加219名、日本ペン会員参加351名、一般参加53名。テーマ「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのか」。代表者会議で核兵器の廃絶についての決議案ほか可決。 | ||||
| 1985年(昭和60年)3月3日、東京において第1回「平和の日」の集い開催(以後、毎年開催)。5月、ブレドの国際ペン平和委員会に井出孫六、小中陽太郎を派遣。 | ||||
| 10 | 遠藤周作 | 1985~1989 | ||
| 1985年 6月、第10代会長に遠藤周作を選出。11月、日本ペンクラブ創立50周年記念「ペンの日」懇親会開催。12月、国際ペン東京大会の論集『文学者の声’84』を刊行。 | ||||
| 1987年(昭和62年)11月、『日本ペンクラブ五十年史』刊行。 | ||||
| 11 | 大岡 信 | 1989~1993 | ||
| 1989年(平成元年)4月、第11代会長に大岡信を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、専務理事に尾崎秀樹、常務理事に高田宏、三好徹を選任。 | ||||
| 1990年(平成2年)1月、緊急理事会で「長崎市長狙撃事件に対する抗議声明」発表。 | ||||
| 12 | 尾崎秀樹 | 1993~1997 | ||
| 1993年(平成5年)4月、第12代会長に尾崎秀樹を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、三好徹、専務理事に早乙女貢、常務理事に井出孫六、小中陽太郎を選任。7月、「教科書検定に関する声明」発表。8月、臨時理事会を開催。韓国出身慰安婦に関する韓国ペン書簡への対応を討議、謝罪と今後の対応を慎重にする旨の書簡を会長名で韓国ペン会長宛に送付。 | ||||
| 1995年(平成7年)1月、「差別表現」に関する公開研究会を開催。テーマ「放送界における用語規制の実態」。2月、理事会において「阪神淡路大地震」の被災会員に対する2年間の会費免除を決定。3月、第11回「平和の日」広島の集いを開催。7月、フランスの「核実験再開に対する声明」を発表。 | ||||
| 13 | 梅原 猛 | 1997~2003 | ||
| 1997年(平成9年)4月、第13代会長に梅原猛を選出。副会長に井上ひさし、加賀乙彦、三好徹、専務理事に小中陽太郎、常務理事に下重暁子、辻井喬、眉村卓を選任。 | ||||
| 1998年(平成10年)2月、「イラク危機に対する声明」発表。3月、5月、「諫早湾干拓の現状」を視察(梅原猛、加賀乙彦、小中陽太郎、下重暁子ほか)。「インドの核実験に対する声明」、「パキスタンの核実験に対する声明」発表。9月、第1回「文学の夕べ(作家が語る作家)」開催(月1回、1年間)。「アメリカの未臨界実験に対する声明」発表。11月、「ロシアおよびアメリカの未臨界実験に対する声明」発表。12月、「イラクへの武力行使に抗議する声明」発表。 | ||||
| 1999年(平成11年)7月、「国旗国歌の法制化についての意見書」を発表。 | ||||
| 2000年(平成12年)1月、「公安調査庁の日本ペンクラブ等に対する調査監視への抗議と要求」を発表。2月および3月、「アメリカの未臨界核実験に対する声明」を発表。9月、「ロシアの未臨界核実験に対する声明」を発表。 | ||||
| 2001年(平成13年)12月、9・11テロとその報復としてのアフガニスタン侵攻を機に、講演会「いま『戦争と平和』を考える」を開催。 | ||||
| 2003年(平成15年)1月、講演会「いま『戦争と平和』を考える」開催。3月、「アメリカ、イギリスのイラク攻撃に抗議する緊急声明」を発表。 | ||||
| 14 | 井上ひさし | 2003~2007 | ||
| 2003年(平成15年)4月、第14代会長に井上ひさしを選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓、専務理事に阿刀田高、常務理事に新井満、高橋千劔破、米原万里を選出。5月、「今回の米英軍等によるイラク攻撃について国連に対して実態調査をするよう要請する」書面をアナン国連事務総長宛に送付。11月、「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」を発表。12月、女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争Ⅱ―心の『教育』をめぐって」を開催。 | ||||
| 2006年(平成18年)10月、「北朝鮮の核実験に反対して、関係諸国に非核兵器地帯の拡大を訴える」声明を発表。 | ||||
| 15 | 阿刀田高 | 2007~2011 | ||
| 2007年(平成19年)5月、第15代会長に阿刀田高を選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓を再任。専務理事に浅田次郎、常務理事に新井満、高橋千劔破、西木正明、堀武昭、松本侑子、吉岡忍を選任。 | ||||
| 2009年(平成21年)5月、「北朝鮮の核実験に抗議する声明」を発表。 | ||||
| 16 | 浅田次郎 | 2011~2017 | ||
| 17 | 吉岡 忍 | 2017~ | ||
「黒い雨どこまで降った?42年目の検証」(『読売新聞(広島市内版)』、1987年6月16日~6月20日 5回連載)
| 回 | 掲載日 | 見出し | |
| 1 | 16 | 爆心地から29キロで よみがえった少年の思い出 | |
| みなし被爆者 | |||
| 2 | 17 | 急がれる雨域解明 倉橋町でも・・・新たな証言 | |
| 増田・元気象研究所の調査方法 | |||
| 3 | 18 | 報告覆す証言相つぐ 卵型の雨域に抱いた疑問 | |
| 「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会 | |||
| 4 | 19 | 線引きに疑問の声 ひとり歩きしたデータ | |
| 広島管区気象台 | |||
| 5 | 20 | 2万人調査を廃棄 公表されなかったデータ | |
| 黒い雨問題の今後 |
死体処理と遺骨授受
原爆被爆の翌日1945年(昭和20年)8月7日、広島にあった軍官施設の指導者は、在広陸海軍官衙長会議を開催し、被害対策の基本方針を検討した。その中で「屍体処理ハ出来ルダケ迅速ニ行フコト」を決定、具体的内容として、つぎの3点が指示された。(『広島県戦災記録』)
1 輸送困難ニツキ現地デ焼クカ埋葬等ニ付スコト
2 右ノ中比治山八丁堀紙屋町付近市役所土橋水主町付近ハ刑務所ノ囚人400名ヲ出動応援スルコト
3 郡部ヨリ僧侶ヲ集メ読経セシム
第2項にあげられた地域では、それぞれ5,000人近い学徒隊、国民義勇隊が建物疎開作業のために動員されており、大量の死者が発生した(志水清「動員学徒等特殊集団にみられる原爆被爆直後の人的被害調査補遺」)。
これらの死体収容は、軍と警察の指揮のもとに実施されたが、8月11日までに軍部隊は、1万2,054体、警察機関は、1万7,865体、市外の救護施設は、3,040体を、それぞれ処理している(広島市調査課『戦災被害調書』1946年1月26日)。
原爆に生き延びた広島の市民の生活は、肉親や知人の消息捜しと死者への慰霊から始まった。広島市立高等女学校を例にとれば、その日誌の8月7~14日の項には、つぎのような記述をみることができる。
8月 7日
仮本部ニテ事務受付ク(中略)捜査全面的実施
上野教諭 日赤、富士見町、共済病院御捜査
柳楽教諭 同上
宮脇教諭 船舶司令部運輸部御捜査
8月 9日
捜査続行
似島方面ニ小谷教諭御捜査
現場ニ於テ御骨ヲ頂戴シ帰ル 同時ニ遺品ヲ持チ帰ル(中略)
8月14日
校長御欠席ノママ事務佐々木氏ノ斡旋ニヨリ、唯信寺御坊ヲ招キ、職員室ニ於テ午前9時半ヨリ納経引続キ判明遺家族及御希望家族ニ御分骨申上グ 約百名ノ遺家族御参列
(『昭和20年8月6日罹災関係 経過日誌 広島市立高等女学校』)
広島市は、市内各所に収容された原爆死者の遺骨を引き取り、市民部保健課で遺族への遺骨交付を行なったが、10月31日現在での授受取扱数は、受領1万1,525体、交付4,805体、残6,720体であった(『昭和20年広島市事務報告書並財産表』)。
書誌2017一覧
| 月日 | 書名 | 著者 | 出版社 | メモ |
| 0201 | 戦後70年を超えて―平和と軍縮に向けた論点と課題 | 広島市立大学広島平和研究所 | 受贈。 | |
| 03 | 広島戦災児育成所と山下義信―山下家文書を読む | 新田光子編著 | 法蔵館 | |
| 0815 | 戦時秩序に巣食う「声」 日中戦争・国共内戦・朝鮮戦争と中国社会 | 笹川裕史編著 | 創土社 | 受贈。 |
| 1020 | 核開発時代の遺産 未来責任を問う | 若尾祐司 編/木戸衛一 編 | 昭和堂 | 受贈。 |
| 1031 | 楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書 | 楠忠之著、石田雅春、布川弘編 | 受贈。 | |
| 1104 | 昭和天皇物語1 | 能條純一<原作:半藤一利> | 小学館 | |
| 1210 | 心さわぐ憲法9条 護憲派が問われている | 大塚茂樹 | 花伝社(共栄書房) | 受贈 |
止
書誌2018一覧
| b80404 | 昭和天皇物語2 | 能條純一<原作:半藤一利> | 小学館 |
| b80404 | 昭和天皇物語3 | 能條純一<原作:半藤一利> | 小学館 |
| b80404 | 昭和天皇物語4 | 能條純一<原作:半藤一利> | 小学館 |