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香川県原爆被害者の会

香川県原爆被害者の会

1957年11月23日<作業中

事項
57 11 23 県内856人の被爆者が香川県原爆被害者の会を結成。内140人が県原水協に加盟。
(「会員おのしおり」571133、「被団協連絡」NO.2)
57 04 20 第1回原爆被害者の会総会。
59 08 23 第2回県原爆被害者の会総会。
60 08 28 第3回原爆被害者の会総会(高松市)。
61 09 17 第4回原爆被害者の会総会。
66 02 26 香川県原水協、第1回県被爆者救援バザー。
67 02 16 香川県原水協・県被爆者友の会連名で、被爆者援護の県独自措置を要求。
68 09 31 香川県原水協理事会。6・9行動の定着化を確認。
68 11 06 高松原水協、6・9行動開始。
69 05 05 三木町被爆者の会。
69 06 22 高松平和病院、第1回被爆者集団検診を高松労働福祉会館で実施。90名の被爆者が受診。
69 08 09 香川県被爆者友の会結成。
70 05 03 香川県高松市の香西寺で第1回原水爆死没者合同慰霊祭。木製慰霊塔建立。50名が参列。
70 05 29 香川県原水協、知事・県会議長に被爆者独自対策を要求。
70 07 12 第2回被爆者集団検診。高松・丸亀(7月19日)・津田(7月25日)。114名参加。
70 07 20 高松平和病院、厚生大臣より原爆医療機関として認定される。
70 11 25 香川県原水協・県被爆者友の会連名で、再び被爆者援護の県独自措置を要求。
71 07 11 第3回被爆者集団検診。89名(二世を含む)(平和病院)。~18日。
71 09 26 第2回原爆死没者合同慰霊祭。(高松市・香西寺)
71 10 24 香川県被爆者友の会と原爆被害者の会の組織統一成る。
72 07 09 第4回被爆者集団検診。(平和病院)。119名受診。~23日。
72 08 17 原爆死没者の碑建設委員会。
72 11 09 6・9行動100回記念集会。街頭での募金総額30万5065円。
72 11 23 第3回原爆死没者合同慰霊祭。(高松市・香西寺)。97柱合祀。
72 12 23 香川県被爆者の会会長、社・共の県委員長、県原水協会長、香川大学学長ら、「原爆死没者の碑建立」実行委員会。
73 01 06 原爆死没者の碑建立委員会。
73 01 19 高松平和病院長、原爆指定病院とするよう要請。
73 01 25 原爆死没者の碑建立募金、25万円達成(目標200万円)
73 07 10 死没者の碑建立募金。
73 09 09 第5回被爆者集団検診。~16日。87名受診。
74 08 09 香川県高松市奥の池堤防に「原爆死没者の碑」建立。募金250万円。
74 09 第6回被爆者集団検診。(平和病院)。94名受診。
75 08 09 原爆死没者の碑建立1周年式典(原爆死没者慰霊祭をきりかえる)
75 08 09 第7回被爆者集団検診。94名受診。
75 10 01 平和病院、原爆医療法による精密・希望検診の指定を受ける。
76 08 09 原爆死没者の碑2周年記念祭。前川香川県知事出席。脇高松市長メッセージ。
76 08 22 第8回被爆者集団検診。(平和病院)。116名受診。
77 02 11 香川県被爆者の会・県原水協・国連派遣実行委員会・民医連・日本科学者会議香川支部、県国際シンポジウム推進委員会を結成。4月15日正式発足。
77 07 31 第9回被爆者集団検診。(平和病院)。94名受診。
77 08 01 原水爆禁止香川県統一実行委員会結成。香川県原爆被爆者の会加入。
77 09 17 香川被爆問題シンポジウム(代表:岡本三夫)集会。200人参加。
78 02 04 「国連に核兵器完全禁止を要請する署名運動推進香川県連絡会議」結成。木場博・県原爆被害者の会事務局長ら4人の代表を決定。木場事務局長、5月21日に米・ニューヨークに向け出発。
78 03 29 日本被団協「被爆者行脚」香川県行動。~4月1日。
78 08 20 第10回被爆者集団検診。122名受診。
78 10 17 香川県原水協常任理事会。79年3月2~4日に被爆者写真展を、県婦連、県青協、被爆者、被爆者写真を送る会の4者共催で、三越・総合会館で行うことを決定。

出典:山本繁「香川の原水禁運動30年史」

Y M D NEWS1
59 07 09 香川県警、「原爆救済」を悪用した自称日本平和推進協議会理事長を詐欺容疑で逮捕。
73 08 04 吉川清、被爆28周年原水爆禁止香川県大会(於高松市)で「被爆者の訴え」。
79 03 29 香川県の中学生、被爆者救援にと寄金。
79 07 16 広島市、平和祈念式の内容を決定。原爆投下時刻の黙祷を中国地方全県と愛媛・香川両県に呼びかけることなどを決める。式典が国庫補助(300万円)の対象となる。
82 01 29? 昨年香川県内で開かれた「広島・長崎原爆展」を見た子どもたちによる「平和への願いを親から子へ-戦争の実像を見きわめ平和の貴さを知る感想文集」、刊行される。
82 02 19 香川県総評、「3.21反核・軍縮・広島平和大集会」に国鉄の借り切り列車で700人を動員することを決定。
82 03 18 香川県善通寺市議会、核兵器全面撤廃などを訴える意見書を採択。
82 03 19 香川県丸亀市議会、核兵器の全面撤廃と軍備縮小の推進訴える意見書を採択。
82 03 25 香川県議会、核軍縮の促進に関する意見書を採択。
82 12 01 香川県善通寺市の四国学院大学・短大学生自治会、定期学生大会で非核学園宣言を決議。
83 09 15 香川県三豊郡三野町、同町在住の被爆者の被爆体験記出版に補助金を出し、町内全戸に配布。
84 05 10 香川県在住の被爆者母子(71才・39才)、倉敷市で自殺。
84 09 13 香川県丸亀市議会、非核平和都市宣言を採択(香川県では初)。
84 10 06 香川県議会、「非核三原則を守る宣言」を採択。
84 12 25 香川県内で、27自体(県・4市・22町)が非核都市宣言をしていることが判明。香川県非核都市宣言運動連絡会調べ。
85 02 17 香川県原爆被害者の会高松支部準備会、発足.
85 02 18 長崎県原水禁、県評被爆連、被爆者援護法制定を訴え奈良・香川などに被爆者八名を派遣。
85 04 99 香川県坂出市の坂出地方労働組合連盟、(41組合約3千人)春闘要求に非核平和都市宣言への賛同署名を求める項目を加え、提出
85 10 10 原水爆禁止日本協議会、香川県で、「非核自治体づくり運動全国活動者会議」を開催( 11日まで) 。
86 03 02 香川県沖多度郡琴平町の金刀比羅宮境内で、同町民ら、核兵器廃絶署名を呼びかけ。
86 04 03? 香川県琴平町・三野町で、核兵器全面禁止・廃絶署名運動が盛り上がる。
87 08 03 香川県の小学生ら、原爆の子の像にと、千羽鶴を送付。
87 10 27 香川県在住の被爆者遺族、被爆直後救護所で両親の世話をしてくれた婦人から当時の様子を聞く。
88 05 04? 福岡県で保存されている“原爆の火”、原水爆禁止香川県協議会の働きかけで、香川県大川郡の寺院に分火され永久保存されることが決定。
88 08 03 香川県小豆郡在住の菊井文江、来広し被爆した軍需工場を訪れ、被爆死した同僚らを慰霊。
88 08 09 香川県被団協、慰霊祭を高松市峯山公園で開催.
88 10 24 四国霊場八十八番札所の香川県の寺院で、「原爆の火」を永久保存するため、原爆の火平和塔の建立式。香川県原爆被害者の会などによる原爆の火永久保存実行委員会が建立。
88 12 16 香川県香川郡直島町議会、非核平和宣言を採択。これで同県と県内43自治体のすべてが非核宣言。鳥取・山梨に次いで全国3番目。
89 06 06? 女優香川京子、ヒロシマ・ナガサキ平和基金に寄金(今年で5年目)。
89 08 06 香川県被団協、追悼慰霊祭を高松市峯山公園・平和の像前で挙行。
90 04 29 開業助産婦香川千代江(84才、被爆者)、勲五等瑞宝章を受章。
90 06 27? 「非核の政府を求める香川の会」、平和を願う声を集めた文集「平和への伝言」(A4、192ページ)を自費出版。
91 03 02 日本被団協中央相談所、四国ブロック講習会を香川県高松市で開催。-3日。
91 08 02 第37回全国高等学校演劇コンクール、香川県丸亀市で開幕。広島市立舟入高校演劇部が原爆をテーマにした「がんぎものがたり」を上演。
91 08 06 香川県被団協、追悼慰霊祭を高松市・峰山公園で挙行。
92 08 06 香川県原爆被害者の会など、第3回平和祈願灯ろう流しを高松市の春日川河川敷で開催。約300人が参加。
92 08 09 香川県被団協、追悼慰霊祭を高松市・峰山公園で挙行。
93 04 17 京都市舞鶴市が広島市から借り受けた原爆ドームのれんがが、香川県の煉瓦製造会社の製品と判明。
93 05 16 香川県原爆被害者の会高松支部、第9回総会を高松市の医療生協会館で開催。約30人が参加。
93 08 09 香川県被団協、原爆死没者慰霊式典を高松市・峰山公園で挙行。
93 08 11 香川県原爆被害者の会など、第4回平和祈願灯ろう流しを高松市内の河川敷で実施。約300人が参加。
94 05 20 香川民主医療機関連合会、高松市内で平和学習会を開催。宇藤千枝子甲府共立病院医師が「旧ソ連の核実験場を訪ねて」と題して講演。約50人が参加。
95 04 24? 香川県高松市の峰山の中腹に峠三吉の詩を刻んだ「原爆の碑」が完成。
95 08 06 香川県原水協など、被爆50周年祈念祭を高松市峰山で開催。160人が参列。
95 08 07 鳥取県議会、中国の核実験再開とフランスの核実験の再開決定に抗議し実験中止を求める議員提案の意見書を採択。県議会レベルでは香川・高知に続き3番目。
95 08 08 「ヒロシマ50-入野忠芳・香川龍介・田谷行平展」、広島県民文化センターで開催。-14日。引き続き県内6か所で巡回展。
95 10 02 香川県議会経済委員会、中国の核実験に抗議し、10月下旬から予定していた中国への視察旅行の中止を決定。
95 10 24 香川県大川郡長尾町・結願寺の大窪寺で「原爆の火」建立7周年集会。約30人が参加。
97 07 23 山梨・滋賀・和歌山・香川・高知・沖縄の6県が、広島市が平和記念式に都道府県から一人ずつ招いている遺族代表を派遣しないことが判明。
97 08 06 香川県原爆被害者の会、原爆死没者慰霊平和祈年祭を高松市峰山公園・原爆慰霊碑前で挙行。70人が参列。
97 08 15? 香川県原爆被害者の会、「戦災・原爆写真展」を高松市役所ロビーで開催。1981年に始め、今回が17回目。
98 03 06 社会精神医学会、香川県高松市で開催。長崎大学医学部の朝長万左男・中根允文教授ら、長崎原対協で受診した7670人を対象とした被爆体験などに関するアンケート調査の結果を発表。
98 07 24 香川県議会、インド・パキスタンの核実験に抗議し、すべての国の核実験と核兵器開発の即時中止を求める決議を採択。
98 08 05 広島への原爆投下直後、宇品港から似島に被爆者を運んだ輸送船の乗組員・三原マスエ(香川県観音寺市在住)、昨年他界した夫の形見の被爆羅針盤を携え、戦後初めて広島市を訪問。
98 08 09 香川県原爆被害者の会・原水爆禁止香川県協議会、原爆死没者慰霊平和祈念祭を高松市峰山公園の原爆慰霊碑前で挙行。70人が参列。
99 07 06 香川県の善通寺(75番札所)で原爆死没者慰霊・平和祈願法要を挙行。高橋昭博元広島平和記念資料館長の被爆者証言会も開催。「平和の灯」巡礼の一環。
99 07 18 香川県原爆被害者の会・県原水協など、日曜日に病院を開放する被爆者検診を高松平和病院で実施。今年で31回目。
99 07 30 原水爆禁止香川県民会議、被爆54周年原水爆禁止香川大会を高松市内で開催。
99 08 06 香川県被団協、1999年原爆死没者慰霊祈念祭を挙行。37万5000円の公費補助。
99 08 06 香川県原爆被害者の会、99年原爆死没者慰霊祈年祭を高松市峰山公園の原爆慰霊碑前で挙行。80人が参列。
99 08 21 香川県原爆被害者の会など、第10回平和祈願灯ろう流しを高松市内で開催。約80人が参加。
99 09 05 長崎市で開かれた原水爆禁止世界大会の高校生平和集会に参会した高校生ら、香川県善通寺市で高校生平和ゼミナールを結成。
99 10 24 香川県原水協など、「原爆の火」建立11周年式典を長尾町・大窪寺で開催。30人が参加。
99 11 10 日本被団協中央相談所、四国ブロック講習会を香川県高松市で開催。-11日。35人が参加。

 

広島県原爆被害者団体協議会

広島県原爆被害者団体協議会<作業中

1956年5月27日

原爆被害者大会・国会請願デーの開催は,広島におlナる既存の原爆被害者組織の大同団結と新たな被害者組織づくりの重要な契機となった。原爆被害者大会実行委員会は,1956(昭和31)年4月8日,事務局に県内各地から30人が参加して代表者会議を開催,次のような決議を行った。

資料:広島県原爆被害者全県地区代表者会議 1956年4月8日

県内の原爆被害者の組織は,被害者大会までに,大竹市(1955年8月6日結成)・甲奴郡(9月1日)・芦品郡(10月11日)・深安郡・神石郡・三次地区(1956年3月15日)などに結成されており,大会後の3月29日には,賀茂郡原爆被害者の会が結成された。一方,広島市内の場合,原爆被害者連絡協議会世話人会は発足しても協議会が結成さしていたわげではなかった。5月4日,市内の6団体の代表と吉田広島市社会課長ら約20人が市役所で協議会第1回準備会を開き,市婦連・未亡人会・民生委員などの協力を得て全市的な組織化をすすめ,協議会を結成することを決めた。また,この日には,毎月6日を追悼の日にしようと申し合わせ,5月6日,5団体の代表約20人が,平和公園の原爆慰霊碑に敬虔な祈りを捧げたのち,1時間iこわたって付近の清掃を行った。

被害者大会実行委員会は,こうした組織づくりに積極的にかかわる一方で,注目すべき国際的な活動を行っている。5月15日には,渡米する大原県知事にアメリカ国民へのお礼と訴えの言葉を託した。お礼は,さきに渡米し治療中の原爆乙女25人への配慮に対してであり,訴えの内容は,原爆障害の根本的な治療法を確立するのは核兵器所有国の務めであり,さらに被害者の念願は二度と原子力兵器が人類の上で炸裂しないことであり,またこれを可能ならしめるのはアメリカはじめ全人類の良識であると強調したものである(「中国新聞」1956年5月15日)。また,5月21日には,訪中視察団の代表である山田恥目および本間大英に,まだ結成前であったが広島県原爆被害者団体協議会名で,中国人民へのお礼を託した。

資料:中国人民への御礼

原爆被害者大会実行委員会は,4月8日につづいて5月13日にも代表者会議を開催,5月21日には,事務局長藤居平一の名で,5月27日の広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協と略称)結成総会の案内状を発送した。広島YMCA講堂で開かれた結成総会には,県内の被害者団体代表120人のほか,長崎8人,愛媛1人の代表が参加した。総会は,経過報告,規約案の審議ののち,次のような運動方針を決定した。

資料:広島県原爆被害者団体協議会結成総会・今後の運動方針 1956.5.27

なお,総会は,藤居平一(原爆被害者大会実行委員会事務局長・広島原水協事務局次長)・井上昇(広島県東部被害者連絡協議会)・日野義隆(大竹市被害者同志会)の3人を代表委員に,また,藤居を事務局長に選出した。

 

山口県原爆被害者団体協議会

山口県原爆被害者団体協議会<作業中

1957年11月10日

 

『中国新聞』一九五六年二月二日

「山口県玖珂郡美和村、中川国雄君(一八)は八月六日原爆投下の日、当時三篠小学校一年生だったが、市内中広町(爆心から一キロ)で通学途中被爆、焼けただれた身体で父母とともに田舎に疎開したまま、不自由な身で極貧の生活に突き落とされた。希望も楽しみも奪い去られた灰色の生活-ところが、正月早々ふと開いた新聞で治療機関の原対協の存在を知り、一筋の希望を抱いて去る十二日来広、治療へトビラをたたき、さっそく治療を承認され市民病院での入院生活が始まった。

・・・

またこの愛の執刀に加え、原爆被害者の会の温品道義さん(五〇)が寂しく横たわる同君の親代りとなりしばしばベッドを訪れ精神面で援助、原・水爆禁止広島協議会からも見舞金として千円が贈られるなど三百円しかフトコロになかった同君はまるで夢のよう。・・・」

 

 

『中国新聞』一九五六年六月二十六日

「原・水爆患者の集団検診や治療にあたりながら禁止運動を展開していこうと原・水爆禁止山口県協議会(山口市後河原県教組内)が発足したが、同会推薦の第一号として徳山地方の養老院にいる山田豊(六四)=広島市出身=が二十五日県立防府中央病院へ収容された。

山田さんは広島で原爆にあって以来、二十二年には歯ぐきから血が出て歯が抜けてしまい、二十五年ごろからは心臓や肝臓に障害が認められ、去る四月八日養老院に収容されてからも、医者にかかっている。防府病院では専門医の長崎医大病院糸賀博士の精密検査を受ける。」

 

56 11  08? 下関市福祉事務所、市内の原爆被災者の実態をまとめる。広島被災115名、長崎被災11名、計126名。 09 042   C 1108

 

56 11  11 山口県下関市原爆被災者の会、結成総会を開催。C 1108

 

島根県原爆被爆者協議会

島根県原爆被爆者協議会

『アカハタ』(一九五六年七月二日)

「[島根県通信員発]二十四日島根県松江市で島根県原爆被害者懇談会がひらかれ、広島、長崎の原爆被害者十七名があつまった。損害補償や治療費全額国庫負担と原水爆禁止運動を強く発展させることをきめるとともに、県下全被害者によびかけて島根県原水爆被害者協議会を結成することになった。

島根県下には広島、長崎の原水爆被害者が約千七百名いる。」

 

鳥取県原爆被害者協議会

鳥取県原爆被害者協議会

作業中

1958年8月3日

『朝日新聞』(一九五五年八月五日)

日赤鳥取県支部では四日午後日赤鳥取病院で「原爆から十年」の座談会を開いた。出席者は同院原爆症担当の北村内科医長はじめ相良鳥取県衛生部長、原爆症患者十数人で、次の申合せをした。

広島を中心とした中国五県には被爆者が相当数散在しているので、日赤各支部が中心となって連絡協議会を設け、これらの人たちを登録し、常時健康診断できるような態勢にする。県衛生部にも連絡機関を設けて協力する。鳥取県では六日の原爆記念日からこの登録をはじめ、近く中国五県に呼びかける。

 

56 05  08? 鳥取県婦人連合会、原爆被害者に見舞金(1円募金による8万4000円)を贈る。(朝日新聞)

 

『アカハタ』(一九五六年六月四日)

「[伯西地区通信員発]国鉄労組地方本部では同地本管内の国鉄職員で原爆被災者が相当数あるためこれらの生活と健康をまもるための保障措置を当局に要求することになり、被災者名簿を準備していたがこのほど後藤、今市両支部をのぞく五支部から四十二名の被災者名簿が提出された。同地本ではこの名簿を基礎にちかく当局と本格的な交渉をすすめることになっている。」

 

 

鳥取県原爆被害者協議会『原爆と地獄第二集』(一九八六年)

浜田且己「本県原被協発足を回顧する」

54 08  04 森田利男(島根県鹿足郡)、再生不良性貧血症のため日赤広島病院で死亡(朝日新聞)。 012     A 0806

 

和歌山県原爆被災者の会

和歌山県原爆被災者の会

作業中

和歌山県原爆被害者の会結成準備委員会発足について

和歌山市山吹町一ノ一〇和歌山原水協

準備委員会代表

番健

八月二十四日

日本原水爆被害者関係協議会

事務局長 藤居平一殿

一、先日長崎市に於て結成された被爆者の全国組織中の未結成組織県として和歌山県も会を持つ為努力して来ましたが、ここに準備委員会を持ち来る九月中旬を目標として全県四百余名の被害者が大会を開き、和歌山県の会を作る様運動を開始致しました。依って確明せる氏名を報告しますから何とぞ今後の御支援を御願申ます。

[以下略]

 

和歌山県原爆被災者の会

和歌山 1956.9

和歌山県原爆被害者の会結成準備委員会発足について

和歌山市山吹町一ノ一〇和歌山原水協

準備委員会代表

番健

八月二十四日

日本原水爆被害者関係協議会

事務局長 藤居平一殿

一、先日長崎市に於て結成された被爆者の全国組織中の未結成組織県として和歌山県も会を持つ為努力して来ましたが、ここに準備委員会を持ち来る九月中旬を目標として全県四百余名の被害者が大会を開き、和歌山県の会を作る様運動を開始致しました。依って確明せる氏名を報告しますから何とぞ今後の御支援を御願申ます。

[以下略]

 

兵庫県原爆被害者団体協議会

兵庫県原爆被害者団体協議会

資料年表:兵庫県原爆被害者団体協議会

年月日 事項 メモ
1956
1125 「兵庫県原爆被害者の会」結成総会、神戸市の県遺族会館で開催(約50人参加)。被爆者援護法制定促進を確認。(『中国新聞』1126)
1125 副島まち子『あの日から今もなお-母のヒロシマ原爆戦史』(東都書房、19561125)
同上筆者紹介:「芦屋あすなろ友の会代表」として第一回世界大会に参加。広島から帰り、報告大会で一円募金を提唱、みずから開始。私服刑事の訪問。被爆者代表として長崎大会に参加全国被爆者協議会の府県選出理事に就任。
1958
**** 尼崎支部・西宮支部、結成。
1966
**** 兵庫県原爆被害者団体協議会として再発足。
作業中