滋賀県被爆者友の会
1958年03月14日 結成総会
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滋賀県被爆者友の会
1958年03月14日 結成総会
原水爆禁止世界大会各地(長崎・関西・東京・鎌倉)の大会(<1955年>8月10日~15日)
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 長崎大会 | 8月10日 勝山小学校公堂<ママ> | |
| 約2000人(県評傘下の労働者と市民) | ||
| 関西大会 | 8月13日午前10時~ 中之島公会堂 | |
| 1500人の代議員 | ||
| 夜 公会堂2000人、中之島公園5000人 | ||
| 被害者の訴えに満場泣く | ||
| 原爆被害者代表20名 | ||
| 森滝市郎(広島準備会委員長) | ||
| 安部静子 | ||
| 劉寧一(中国総工会副主席)ほか | ||
| 午前の議事終了 | ||
| 各界代表が意見発表 | ||
| 午後1時半再開 | ||
| 出口栄ニ(大本教代表) | ||
| 桑原武夫(京大教授) | ||
| 港野きよ子 | ||
| 西脇安 | ||
| 海外代表挨拶 | ||
| 兵庫県青野ガ原基地代表の訴え | ||
| 広島宣言(アッピール)再確認 | ||
| 3時20分第一部終了 | ||
| 第二部 外国代表を中に日本古典芸術の鑑賞 | ||
| 6時過ぎ閉会 | ||
| 東京大会 | 8月15日午後5時~ 東京都体育館 | |
| 原水爆禁止世界大会東京準備会主催 | ||
| 3万余名(午後6時の主催者発表) | ||
| 鎌倉海の平和祭 | ||
| 付録 | 1. 広島県下原爆被害者の実態(広島地域婦人団体連合協議会調査) | |
| 2. 原水爆禁止世界大会参加外国人名簿 | ||
| あとがき | ||
| 1955年10月23日 浅井正弘(原水爆禁止世界大会情宣部、同大会(広島)共同デスク 責任者) | ||
| 発売所:日本労働組合総評議会情報宣伝部 | ||
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止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月8日)本会議
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 本会議 | <広島公会堂> | ||
| 午前9時開会 | |||
| 議長席にソスノウスキ(ポーランド代表) | |||
| 運営委員長から大会宣言起草小委員指名11氏 安井郁、平野義太郎、中野好夫、森滝市郎、高野実、椎尾弁匡、西脇安、坂田昌一、清水慶子、田辺耕一郎、福島要一、 |
|||
| 第2日の各分散会の討議集約の報告 | |||
| 第一分散会の報告 横手小委員長 | |||
| 第二分散会の報告 浜田手小委員長 | |||
| 第三分散会の報告 安部小委員長 | |||
| 第四分散会の報告 山下小委員長 | |||
| 第五分散会の報告 小宮山小委員長 | |||
| 第六分散会の報告 今中山小委員長 | |||
| 第六分散会の報告に対する討論 | |||
| 安井郁事務総長の総括報告 | |||
| -正午休憩-午後二時再開 | |||
| 外国代表の挨拶
|
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| 外国代表に記念品贈呈
|
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| 国際科学者会議にメッセージ
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|||
| 歴史的な大会宣言を採択
|
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| 閉会
午後4時47分閉会 |
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止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第六分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 第六分散会 | <広大付属小学校講堂> | ||
| 議長(櫛田ふき女子) | |||
| (広島の被害者) | |||
| (長崎の被爆者・29歳の婦人) | |||
| 議長 | |||
| 植木仙次郎(平和懇談会) | |||
| 平田(埼玉医師) | |||
| 村上やすよ(広島民生委員連盟) | |||
| (広島学生協議会) | |||
| (富山県代表) | |||
| 居原キクエ(長崎「原爆乙女の会」教師) | |||
| ( 大阪代表・市会議員) | |||
| (滋賀県代表・臨時学校教員) | |||
| (原爆乙女の会の教師) | |||
| (福島県代表) | |||
| (〇〇) | |||
| 午後の部 | |||
| 午後2時再開 | |||
| 議長:大石(高知) | |||
| 西脇阪大助教授 | 講演 | ||
| 運営委 | 午前中の討議のとりまとめ発表 | ||
| 原水爆禁止の叫びを扶け合いのためでなくこれを大きく結集するため 第1 第2 第3 | |||
| 外国代表挨拶 | |||
| S・ Bシャー夫妻(ガンジー使徒会) | |||
| ヴェラユデン(インド代表) | |||
| (ポーランド代表) | |||
| W・ゴラン(オーストラリア代表) | |||
| 朴光海(在日朝鮮代表) | |||
| 原水爆禁対策問題 | |||
| (長野県代表) | |||
| ( 戸畑市長) | |||
| (東京西部代表) | |||
| (東京南部代表) | |||
| (東京中部代表、文京区議) | |||
| 岡本(京都代表) | |||
| 金子(高知代表) | |||
| 基地拡張反対について | |||
| 田辺よし子(山梨代表) | |||
| (千葉代表) | |||
| (東京三多摩砂川町代表) | |||
| (沖縄代表) | |||
| (愛知代表) | |||
| (岩国代表) | |||
| 国際緊張緩和の方法について | |||
| (富山代表) | |||
| 原爆身体障害者に対する第三会場よりの要請の資金カンパ、分科会設置、 青森代表の全国の地方自治体で署名決議を行う要請、を全会一致確認。 | |||
| 大山郁夫の国際緊張緩和についての講演 | |||
| 午後6時5分閉会 | |||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第五分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 第五分散会 | <藤田ビル> 78 | ||
| 原爆被害者約20名を含め250名が出席。地元広島準備会主催の原爆被害者との懇談会。会場内で5ブロックにわかれ、被害者を囲んで話しあい。
原爆投下当時の地獄のような情景、治療面・生活面でも放置、ABCCが治療をせずに全くモルモット扱いをしていることに対するはげしい憎しみ。 吉川清さんがABCCの日本人職員の給料が厚生省からでている話をきいた岩手県の婦人の話。「私の主人は原子病で医療扶助で治療を受けているのですが、治療費がかさむから扶助をうちきるといわれた。今の話をきいて国民を犠牲にするいきどおらざるをえない」とかたり、今日は主人の代りに出席したのだとのこと。 どの代表もみな被害者からきいた実相に、医者や学者からきいたときよりもずっと原爆の恐しさを感じ、心の底から原子兵器の禁止をしなくては、苦しい生活をしている原爆被害者に愛の手をさしのべなくては、と思った。 昨年2月に発病し、12月ついに12歳で死亡した愛児儀江さんの写真を抱いた岩本さんの姿は目立ったが、京都大学で仏文学を教えているジョン・ピエール・オーンイコールヌ氏(仏人)も熱心に懇談していた。 子宮ガンの検査のためマスイをかけられて無断に一部を切りとられた婦人のはなしには一同、にえたぎるような怒りを禁じえなかった。 |
|||
| 9時50分から議事、吉江千賀子(婦人平和協会)、吉田資治(産別)、小宮市太郎(福岡市議)の各氏を議長団に送出。 | |||
| 被害者懇談会での感想が各グループ代表から発表 | |||
| 瓜生(尼崎代表) | |||
| 山崎(京都代表) | |||
| 杉本(三重代表) | |||
| 秋谷(全農林代表) | |||
| 奥山(山形代表) | |||
| 二岡(京都代表) | |||
| 宮野(東京三多摩代表) | |||
| 浅井(熊本代表) | |||
| (広島婦人団体連絡協議会代表) | |||
| (沖縄奄美青年) | |||
| 砂川(東京三多摩代表) | |||
| 山口(東京西部代表) | |||
| 池田(焼津代表) | |||
| 下条(福岡代表) | |||
| 秋山(全農林代表) | |||
| 古末(国民救援会代表) | |||
| (島根代表・原水協) | |||
| 鮎川(山梨代表) | |||
| 島本(広島代表) | |||
| 議長 | 午前中色々の階層の人から熱心な討議ああった。初めての人もいるが、その人を皆で援助するようにして、皆で話しあいを統一させていきましょう。 | ||
| (大阪代表) | |||
| 斎藤(東京文京区林町南町内会) | |||
| (岩手代表) | |||
| 松沼(福岡代表) | |||
| (北海道釧路代表) | |||
| (富山代表) | |||
| 中島(東京三多摩代表) | |||
| オーンイコールヌ(京大教授) | |||
| 議長 | 生々しい体験を外国代表の方に聞いていただく。 | ||
| 岩本夫人 | |||
| 岡崎しず子 | |||
| 議長(付言) | 彼女は口唇の整形手術をやってあれだけの形にもどった。 | ||
| 横川の松井 | |||
| 田辺(広島準備会) | |||
| 吉川清 | |||
| (質問) | 放射能禍の遺伝について | ||
| 瀬戸(日赤産婦人科医師) | |||
| 堀井(愛媛平和運動連絡協議会) | |||
| 議長 | 具体的な方策について述べてほしい。 | ||
| (富山代表) | |||
| (江戸川代表) | |||
| 上山(長野代表) | |||
| 田中(北海道代表) | |||
| 浅井(熊本代表) | |||
| 村上(広島代表) | |||
| 広島府中市長 | |||
| 鳥取代表 | |||
| 伊沢(富山代表) | |||
| 岩本 | |||
| 吉川 | |||
| 草間(東大助教授) | |||
| 質問 | ABCCの撤去についてどう考えるか? | ||
| 草間(答) | 日本人の手で治療を行う | ||
| 広島代表 | |||
| 次いで朝鮮代表の発言 | |||
| 議長 | 今迄の討論のまとめ | ||
| (1)国際緊張を和らげる | |||
| (2)被爆者の救済を具体的に進める―その人達の登録や、社会保障を政府に要望せよ、この被爆の惨状を世界に知らせること | |||
| (3)今後の運動の進め方として次のことがいわれた。 | |||
| 帰ったら部落の隅々まで報告し、運動の組織をつくる。 | |||
| 誰もが自由にこうした会議に参加していけるように運動を進める。 | |||
| 官民公同の運動を進めよう | |||
| ABCCを一日も早く撤去せよ。 | |||
| 第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 | |||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第四分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 第四分散会 | <農業協同ビル> 44 | ||
| 午前8時15分より約500名が出席して開会。議長団に山下(日教組)今中(広大教授)中野(新日本文学会)を選出、直ちに原爆被害者との懇談会。日詰忍・森岡久代・佐々木歌子・煙石さだ子・島庸子の各被害者より当時の様子、家族の被災状況、今日までの十年間の労苦、現在日赤入院中の病床での「手記」を読み上げ。 | |||
| 質問に入り、「国家補償はどうなっているか」(大阪)「未亡人会の結成、授産所の設置は」(福岡)「民生委員は医療、生活保護をどう扱っているのか」(大阪)、「当時の死亡者数、その後今日までの死亡者数、現在の原爆患者数は」(神奈川)、「ABCCは何をしているのか、し屍体を買上げているというが、罹災者の治療状況は、軍属並みの保障はないのか」(東京)「結婚問題はどうなっているか」風呂屋で入浴をきょひするというが、、また就職は」などの質問が約1時間、次いで静岡代表から第五福竜丸のビキニ被災状況についての詳細な報告。 | |||
| 分科会の討議の主なるものは次のとおり。 | |||
| 原水爆のおそるべき影響 | |||
| 草野信雄(東大教授) | |||
| 大阪代表 | |||
| 草野 | |||
| 東京学生代表 | |||
| 草野 | |||
| 東京婦団連 | |||
| 草野 | |||
| 滋賀県代表 | |||
| 草野 | |||
| 中野 | |||
| 静岡県代表 | |||
| 議長 | 科学的理論的な討議は進められているが結婚問題・精神面の現実の問題についてはいかがでしょう。 | ||
| 長野県代表 | |||
| 草野 | |||
| 石川県代表 | |||
| 草野 | |||
| 滋賀県代表(婦人) | |||
| 広島県代表 | |||
| 草野 | |||
| 議長 | |||
| 広島婦団連代表 | |||
| 議長 | |||
| 広島宗教連盟代表 | |||
| ―午後の部― | |||
| 基地反対闘争の経験 | |||
| 中野重治(議長) | |||
| 野原(沖縄代表) | |||
| 東京三多摩代表 | |||
| 鹿児島代表 | |||
| 山梨県代表 | |||
| 町田(兵庫県代表) | |||
| (福岡代表) | |||
| 議長 | |||
| (北海道代表) | |||
| (石川県代表) | |||
| イタリーで経験 | |||
| フォグレアレシ(イタリー代表) | |||
| フランスで経験 | |||
| ジャキエ(フランス代表) | |||
| 鳥取代表 | |||
| 東京三多摩代表 | |||
| 被害者の救援問題 | |||
| 議長 | 被害者の問題から入って行きたい | ||
| 九州代表 | |||
| 広島被害者 | |||
| 兵庫県代表 | |||
| 世界連邦代表 | |||
| 東京代表 | |||
| 愛媛県代表 | |||
| 京都代表 | |||
| 大阪代表 | |||
| 広島婦人会 | |||
| 東京杉並代表 | |||
| 京都代表 | |||
| 富山県代表 | |||
| 運動の組織と闘い方 | |||
| 山口宇部代表 | |||
| 福島県代表 | |||
| 山口下関代表 | |||
| 東京学生代表 | |||
| 富山県代表 | |||
| 議長 | |||
| 議事の集約 | |||
| 山下議長 | ① | ||
| ② | |||
| ③ | |||
| ④ | |||
| ⑤ | |||
| ⑥ | |||
| 議長 | 本日の会合を終りにしたい(5時50分閉会) | ||
| 第五分散会<藤田ビル> 78 | |||
| 第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 | |||
止
『大竹から戦争が見える シリーズ広島地域近現代史 1』(阪上史子著、ひろしま女性学研究所、20160201)
内容
| 章 | |||
| はじめに 4 | |||
| 1 | 海南島に出会う 6 | ||
| 『大竹港引き揚げの記録』を観る 9 | |||
| 海南島へ行く 13 | |||
| 「神戸・南京をむすぶ会」について 16 | |||
| 大竹と海南島をつなぐもの 18 | |||
| 2 | 大竹から「戦争」が見える 22 | ||
| 歴史遺産たっぷりの大竹 23 | |||
| 大竹海兵団 26 | |||
| 城山三郎と笠原和夫の海兵団体験 26 消耗品としての悔しい日々 29 海兵団それぞれの思い出 31 海兵団と大竹 32 その後の海兵団-跡地利用 33 |
|||
| 大竹引揚港 35 | |||
| 海南島から復員 35 海南島の日本兵の戦争犯罪 37 大竹『引揚援護の記録』 39 厚生省『引揚援護の記録』 42 |
|||
| 企業城下町・大竹 46 | |||
| “社宅に住む” 46 大林組の飯場 49 |
|||
| 戦争と災害と大竹 52 | |||
| 戦時体制下の大竹 52 甚大な原爆被害 53 枕崎台風と広島 57 |
|||
| 占領時代の大竹 59 | |||
| 大竹の占領軍慰安所 59 天皇の大竹訪問 65 国立大竹病院 6 |
|||
| 3 | 大竹と朝鮮人 68 | ||
| 記録の中の朝鮮人 69 李相萬(リ・サンマン)さんのお話 75 姜周泰(カン・ジュテ)さんのお話 82 私と朝鮮の出会い 87 |
|||
| おわりに 89 | |||
止
『ヒロシマの空白 被爆75年』(著者 中国新聞社報道センターヒロシマ平和メディアセンター著、中国新聞社・ザメディアジョン、中国新聞社、ザメディアジョン、20210623)
内容
| 頁 | |||
| 002 | 「空白」を埋めていく 2 | ||
| 004 | 目次 | ||
| 1部 | 「埋もれた名前」編 13 | ||
| NEWS 原爆犠牲者 8万9025人把握 〈特集〉埋もれた犠牲者名 どう把握 14 1 70年余 公的記録なし 16 2 全容把握 消極的な国 17 3 生後数時間 名なき命 18 4 各地から応召 犠牲に 19 5 大学の調査 最近から 20 6 多数犠牲 解明には壁 21 7 国交なく援護対象外 22 8 亡命一家をほんろう 23 9 5万人余の記録不明 24 10 宙に浮く事業所名簿 25 11 「個人情報保護」壁に 26 12 「推定」79歳 わが名は 27 NEWS「消された命の証しあった」 28 NEWS「壊滅の悲惨さ 浮き彫り」 29 コラム1「空白 被爆翌年以降にも」 30 |
|||
| 2部 | 「帰れぬ遺骨」編 31 | ||
| NEWS 供養塔の遺骨 1体返還調査 〈特集〉帰れぬ遺骨 家族はどこに 32 1 祈念館の遺影 糸口に 34 2 墓の骨は誰 募る疑問 35 3 資料館周辺 生活の場 36 4 証言集に「麓」さん表記 37 5 供養塔も「家族の墓」 38 6 名前記載 眠ったまま 39 7 小さな「かけら」供養 40 8 1人で発掘「まだある」 41 9 収集「地方がやること」 42 10 死者の無念思い続け 43 11 捜し続けた子 どこに 44 番外編 死亡状況 記録と一致 45 コラム2「生きた証し訴える遺品」 46 |
|||
| 3部 | 「さまよう資料」編 47 | ||
| NEWS 米軍返還の組織標本 劣化 〈特集〉史料の散逸 阻まれた研究 48 1 標本 急性症状の痕跡 50 2 内部被曝 細胞貫く筋 51 3 健康追跡 膨大な蓄積 52 4 被害実態 鮮明に語る 53 5 遺品 焼け跡写す一枚 54 6 保存基準なく廃棄も 55 7 各地の歩み 無二の財産 56 8 屋外動員 教師は反対 57 9 手記や遺品 国・市にも 58 10 痛みや歩み「継承を」 59 コラム3「資料保存 オール広島で」 60 |
|||
| 4部 | 「国の責任を問う」編 61 | ||
| NEWS 原爆犠牲「米に賠償責任」 〈特集〉被害の全て 償われたか 62 1 「遺族も被爆」が条件 64 2 全ての死者に償いを 65 3 死没者銘記 まだ一部 66 4 空襲・原爆 共に被害者 67 5 91歳でやっと手に 68 6 「放射線起因」に限定 69 7 広範囲に「黒い雨」 71 8 「遺伝」未解明 援護の外 71 9 「生き残った者の務め」 72 |
|||
| 5部 | 「朝鮮半島の原爆被害者」編 73 | ||
| NEWS 朝鮮人被爆死 把握漏れ 〈特集〉埋もれた犠牲者 海外にも 74 |
|||
| 6部 | 「つなぐ責務」編 77 | ||
| 〈特集〉被害に迫る営み未来へ 78 1 75年経て肉親記載へ 80 2 「まだ発見あるはず」 81 3 公開情報に眠る事実 82 4 援護の外 見えぬ被害 83 5 「絶対悪」繰り返させぬ 84 6 一人一人の命 忘れぬ 85 |
|||
| 7部 | 「75年後の夏」編 87 | ||
| NEWS 投下前の写真3000枚寄贈 1 8・6前日 笑顔のわが家 88 2 生きた証し 語る反物 89 3 75年後の健康手帳取得 90 4 今向き合う「あの日」 91 5 捜し歩いた日々克明に 92 6 叔母の最期 初めて知る 93 |
|||
| ヒロシマの空白 街並み再現 95 | |||
| 写真グラフ 96 | |||
| 本通り 100 八丁堀 108 旧中島地区と周辺 110 本川地区 114 基町と周辺 116 国泰寺町 118 広島駅 120 島病院 122 〈特集〉日常のカケラ 埋めていく 124 |
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| ウエブサイト案内 127 | |||
止
『原爆と戦った特攻兵 8・6広島、陸軍秘密部隊(レ)の救援作戦』(豊田正義著、KADOKAWA、20150731)
内容
| 章 | |||
| まえがき…3 ベニヤ板製の特攻艇「㋹」 特攻兵が非戦闘員の死を看取らなければならなかった 大君の御楯となりて捨つる身と 思へば軽きわが命かな 被爆地を駆け回った特攻兵は原爆症に苦しめられた |
|||
| 1 | 学徒-学生は、戦地へ送り出された…21 | ||
| 二万五千人の八列縦隊 兵力補充に使われた学生たち 違和感を覚えた来賓の訓示 講道館の門を叩く 「権力に迎合する貴様には天誅を下す!」 「二、三年は徴兵猶予がつづく」と考えていた 開戦直後から軍部は大学生出兵を示唆していた 学生狩り 徴兵検査で評価が一変した 「俺は戦争に行きたくない!軍隊に入隊したくない!」 |
|||
| 2 | 志願-見習士官、水上特攻兵となる…51 | ||
| 「佐倉兵営」 「まるでロボット養成所にいるようでした」 殴る蹴るの懲罰 「将校・下士官・馬・豚・兵」 えんえんと繰り広げられた私的制裁 露骨な機嫌取りで競い合う 後悔した施術がある 玉砕への洗脳 「決死生還を期せざる要員」 「これが母さんに会える最後かもしれない」 「えっ、江田島に陸軍基地があるのか!?」 「一艇を以て一艦を屠る、それが諸君の任務である」 ㋹はベニヤの板だった |
|||
| 3 | 開発-技術者の願いは砕かれた…91 | ||
| 特攻作戦の本格化 ㋹の研究開発チーム 「これは戦闘だと思って掛かれ」 「人命を救いたい」という設計技術者の願い ベニヤ板製の㋹「甲一号型」の完成 「特攻隊なんだから、体当たりしかない」 技術者たちの望みは打ち砕かれた 戦闘方法大綱に「帰還」「生還」の文字はなかった 十五~十九歳の少年兵 「これで下士官になれるぞ!」 「みんな今年いっぱいの命だと覚悟して精進してくれ」 「手柄を立てんでもよいから絶対帰ってきてね」 拳銃を口に咥え、引き金を引く |
|||
| 4 | 戦場-㋹、戦果をあげ、散る…127 | ||
| 「捷号作戦」 アメリカのフィリピン侵攻を予想した大本営 隊員の多くがフィリピンに到着できなかった バシー海峡は〝魔界〟であった ルソン島上陸 決戦準備は、判断ミスにより瞬く間に瓦解した 隊員は誰ひとり残っていなかった ㋹の戦果 隊員たちを「特攻戦没者」として扱わなかった 「私たちには玉砕は許されませんでした」 「身体を…、東の方へ…、向けてくれ…」 総員千四百人のうち、約千二百人が命を失った |
|||
| 5 | 敗北-㋹輸送船、爆沈す…169 | ||
| 第三十戦隊長・富田稔大尉 「憲兵がなんだ!上等兵のくせして生意気な事を言うな!」 父の背中は小さかった ㋹を貨車で輸送する 慣れからくる失態 出港 「敵機来襲!」 奇跡が起こった 二十二名の隊員が久慈湾で戦死した ㋹はすべて燃えた 三人は沖縄をめざして出発した 「これはとんでもない所へ来てしまった!」 「内地防衛を頼む」 特攻兵同士の友誼 帰還 |
|||
| 6 | 原爆-秘密部隊は広島を奔走した…217 | ||
| 全軍特攻化 少年特攻兵の訓練教官となる 機密系将校 本土空襲 親日家が支持した原爆投下 「対日原爆使用問題」 候補地は広島、小倉、新潟、長崎に絞られた トルーマンの態度は「別人のように変わった」 ポツダム宣言発表前に原爆投下命令は承認された トルーマンのシナリオ通りの展開 「諸君、我々の運んでいる爆弾は世界最初の原子爆弾だ!」 見習士官の目に映った原子雲 民間人救助は司令官の即断だった 惨状 全隊員、出動 少年兵、突入す 猛火の中を駆け回る 「今は眠る時ではない」 「見ていろ!この仇は必ず取ってやる!」 少年特攻兵たちが見た地獄 広島市民に告ぐ 御前会議 すべての㋹は特攻兵の手で焼かれた |
|||
| 7 | 被曝-「戦後」を戦いつづける…289 | ||
| ㋹の特攻兵たちの戦争は終わらなかった 兵士を襲った被曝症状 当初「被爆者健康手帳」の交付は「直接被爆者」のみだった 病状がもっとも重かった時期には、何の支援もなかった 奇跡的にみつかった特幹隊の戦友名簿 四十代で毎年数人の戦友たちが逝った 「俺が原爆症だと知れ渡ったら、子供たちが何されるかわからん」 ㋹特攻兵を襲った被爆者差別 証言は鎮魂であり、継承であり、遺言である |
|||
| あとがき…317 | |||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第三分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 第三分散会 | <本川小学校講堂> 44 | ||
| 議長は相沢重明(国鉄)。被害者****(原爆被害者)、市川千代子(未亡人会副会長)、松岡、永田(静岡焼津代表)らとの懇談後、シャ-夫妻(外国代表)、ヴェラユダン、ウイリアムゴランの挨拶を受けたのち分科会に移る。 | |||
| 被害者の救援問題 | |||
| 河野かい | 大阪婦人団体協議会 | ||
| 斎藤(東京南部代表) | |||
| 久保田(東京南部代表) | |||
| 山口りゆう子<山口勇子>(広島子供を守る会) | |||
| 鈴木一男(福島代表) | |||
| (和歌山代表) | |||
| (外山代表) | |||
| 大崎綾太郎(東京都南部代表、杉並区議) | |||
| 西田(神奈川代表) | |||
| 松本(愛知代表) | |||
| 芦田(石川代表) | |||
| 島原(長崎代表) | |||
| 山田(福岡代表) | |||
| 本田キミ女史(東京済生会大井診療所長) | |||
| 討議の集約 | |||
| 議長 | これまでの発言をとりまとめて | ||
| 小川(北海道代表) | |||
| 岡本(広島代表) | |||
| 江川(広島代表) | |||
| 小川(和歌山) | |||
| 小川(広島代表) | |||
| 山田(福岡代表) | |||
| 議長 | 午前中の討議集約(省略) | ||
| ―午後の部― | |||
| 安部女史(アジア諸国会議出席者) | |||
| 緊急動議 一、分科会ごとに被爆者に対する救援カンパを決議する件 | |||
| 富山代表 | |||
| 松井エツ(兵庫県代表) | ==職場婦人懇談会代表 | ||
| 金(在日朝鮮人総連広島支部代表) | |||
| 原子砲、軍事基地の問題 | |||
| 金城良明(沖縄代表) | |||
| 小川(和歌山代表) | |||
| 本田実男(東京三多摩代表) | |||
| 栗林(三多摩代表) | |||
| 駒沢(新潟代表) | |||
| =(東京武蔵野?PTA連合会会長= | |||
| 栗林(東京代表) | |||
| (新潟代表) | |||
| 有沢(山梨県代表) | |||
| 大津清水(滋賀県代表) | |||
| 星野(東京代表) | |||
| 大橋(青森県代表=弘前市平和の会=) | |||
| 大野(島根県代表=婦人団長=) | |||
| 松井(兵庫県代表) | |||
| 松本(愛知県代表=小牧基地=) | |||
| 佐藤(東京三多摩代表=全日自労=) | |||
| 岡一枝(京都府代表、婦人連合会) | |||
| 山本(石川県母親大会代表) | |||
| 門田(広島県代表、広島婦団連) | |||
| 西岡(佐賀県代表) | |||
| 松下(島根県代表、=国鉄鳥取工場=) | |||
| (滋賀県代表) | |||
| 高木竜夫(大分県代表、=平和擁護委員=) | |||
| 坂本(東京大学伝染病研究所、職員組合長) | |||
| 松本ヒサ子(愛媛連合婦人会長) | |||
| 藤本(大阪婦人団体協議会) | |||
| 石井(埼玉県代表、教員) | |||
| 佐久間(東京代表=杉並PTA代表=) | |||
| 議長 | これまでの議事集約 | ||
| 島根県代表 | |||
| 和歌山県代表 | |||
| 議長 | |||
| 第四分散会<農業協同ビル> 63 | |||
| 第五分散会<藤田ビル> 78 | |||
| 第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 | |||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第ニ分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 第ニ分散会 <平和記念館ホール> 35 | |||
| 議長(松本つる子 広島県代表 ) | |||
| 次の被害者4氏 (1)*しげ子=原爆中心地より2粁半の地点 (2)*とく子=原爆中心地より1粁半の地点 (3)*よし子=原爆中心地より2~3粁の地点 (4)*まさ子=原爆中心地より1~2粁の地点 の体験談を聞くこととし、次でインドネシア、朝鮮人民民主主義共和国、ポーランドの核代表の挨拶を受ける |
|||
| 議長 | 議題1原水爆の脅威について、被害者実態調査について、3原水爆禁止の運動について、討議 | ||
| 草川昭ニ(全日本造船代表) | |||
| 日野(広島婦団協代表) | |||
| 山崎林太郎(福竜丸対策委員) | |||
| 伏見教授(大阪大学) | |||
| 議長 | 日本医科大学の木原教授が原爆の遺伝について発表しようとしたらアメリカから禁止された。こんな問題をどう考えるか。 | ||
| 一般討議議 | |||
| 熊津(埼玉代表) | |||
| 草川(造船代表) | |||
| 草川 (福岡代表) | |||
| 鈴木(千葉代表) | |||
| (石川代表) | |||
| 青木(大分代表) | |||
| 大津(北海道代表) | |||
| ―午後の部― | |||
| 被災者の救援はどうしたらよいか | |||
| 百瀬なる子(長野代表) | |||
| 細井友信(京都) | |||
| 楠本銀也(東京代表) | |||
| 松山(富山代表) | |||
| 藤井(原爆医療協議会・広島医師会代表) | |||
| 富士基地反対代表 | |||
| 児玉(埼玉代表) | |||
| 島本(福岡代表) | |||
| 新潟代表 | |||
| 東京新宿代表 | |||
| 小松(埼玉代表) | |||
| 松野(福岡代表) | |||
| 中親(岐阜代表・未亡人代表) | |||
| 今井(石川代表) | |||
| 基地問題 | |||
| 高橋(東京三多摩代表) | |||
| 岸根(東京三多摩代表) | |||
| (鹿児島代表) | |||
| 広沢(関西主婦連豊中支部代表) | |||
| 細井(京都代表) | |||
| (山形代表) | |||
| 伊藤(山形代表) | |||
| 松野(福岡代表) | |||
| 議長 | 基地問題は、第二の原水爆競争への道であると確認された。 | ||
| 世界各国との提携をどう進めるか | |||
| 林百郎(長野代表) | |||
| 佐々木(東京代表) | |||
| 芳賀哉(山梨代表) | |||
| 中濃(東京代表) | |||
| 倉島(和歌山代表) | |||
| わだつみ会代表 | |||
| 神奈川代表 | |||
| 熊井( 石川代表) | |||
| —石川県は封建的といわれているが、この大会には10余名も参加している- | |||
| 討議集約 | |||
| 議長 | 今までの発言を次のように整理したい。 | ||
| 1 救援の問題 | |||
| 2 基地問題 | |||
| 3 経農宣伝 | |||
| 4 各国との連携 | |||
| 第三分散会<本川小学校講堂> 44 | |||
| 第四分散会<農業協同ビル> 63 | |||
| 第五分散会<藤田ビル> 78 | |||
| 第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 | |||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
| 第一分散会<広島公会堂> 26 | |||
| 一般討議 | |||
| (富山県代表) | われわれの提案 | ||
| 森田きみ(東京西部地区準備会) | |||
| (大阪市代表) | |||
| (東京都目黒準備会代表) | |||
| (宮城県平和懇談会代表) | |||
| 東レイ子(東京都板橋区代表) | |||
| 加藤辰夫(島根県町村会長) | |||
| (東京都代々木代表) | |||
| (東京都西多摩代表) | |||
| (静岡県の母親代表) | |||
| (山梨県純議会代表) | |||
| (沖縄 祖国復帰促進準備委員会代表) | |||
| 荒井武蔵野市長 | (武蔵野市原水爆対策協議会会長) | ||
| —-午後の部 | |||
| (在日朝鮮人代表) | |||
| 近藤一郎(焼津) | |||
| 高田なお子(原水爆禁止切手平和促進協議会) | |||
| 後藤みつる(東京代表) | |||
| (郡山婦人代表) | |||
| 田中早苗(広島代表) | |||
| 久原国一(長崎代表) | |||
| (全国私学連代表) | |||
| 宮藤正樹(新潟代表) | |||
| *辻和子(福岡代表) | |||
| (名古屋大学理学部代表) | |||
| 坂間(神奈川県代表) | |||
| (岡山県婦人代表(アジア諸国会議日本代表)) | |||
| 長野県代表 | |||
| 原田(人類愛前会) | |||
| 藤谷(茨城日農常総) | |||
| 大原(日教組滋賀) | |||
| 秋元(新日本医師協会) | |||
| 議長 | 富山県婦人会の緊急議題「原爆被害者の人に世界大会出席者が慰問金を送りたい」については、明日会議に提案し全体としてやりたい。 | ||
| 以上で提案と意見の発表を終り、同趣旨提案38県の分は割愛。 | |||
| 討議の集約 | |||
| 安井事務総長 | 1.長崎へ大会の名でメッセージを送ろう
2.被害者の救援カンパをやろう 3.被害者の声を全国的にひろげる必要がある。そのため、出来るかぎり被害者を招いたり、文通したりする便宜をはかる。 4. 5. 6. |
||
| 第二分散会<平和記念館ホール> 35 | |||
| 第三分散会<本川小学校講堂> 44 | |||
| 第四分散会<農業協同ビル> 63 | |||
| 第五分散会<藤田ビル> 78 | |||
| 第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 | |||
止
ボーヴォワール、シモーヌ・ド・
学生時代、宇吹の下宿にオルグにきた友人にボーヴォワールの講演会を勧められ聴講。
1966年10月9日、ボーヴォワール、サルトルと一緒に広島訪問。
片山美沙子
京都大学美術研究会の会員。『オパールの炎』(桐野夏生、中央公論新社)のモデル。
原水爆禁止世界大会第1日(8月6日) 本会議 広島公会堂
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容
| 大会第1日 本会議 広島公会堂 | ||||
| 午前10時14分~ 代議員1900名 | ||||
| 野々村はつえ(国際友和会日本支部幹事) | 開会の挨拶 2 | |||
| <司会者> | 議長団57名選出、氏名読みあげ | |||
| 日本代表 | ||||
| 外国代表 | ||||
| 浜井信三(広島準備会代表) | 議長団代表挨拶 | |||
| 椎尾弁(宗教界代表) | ||||
| 安井郁(日本準備会事務総長) | 経過報告 | |||
| 各界の祝辞 | ||||
| 鳩山一郎 | 内閣総理大臣 | |||
| 東久邇稔彦 | ||||
| 「わが国は10年前に戦争に敗れ、広島・長崎とあいついで極悪非道な原子爆弾の攻撃を受けた。原爆は人類のもっとも恥ずべきものです。全人類に向い、原水爆禁止と世界を叫び、犠牲者の霊を少しでも慰めたい」 | ||||
| トリプパヒ・チャラパテイ | 宗教界代表 | |||
| 「東京で開かれた全世界宗教者会議の代表として本大会でごあいさつ致します」「200名の宗教界代表」が8月1日~4日、東京で話合い。 | ||||
| 外国代表の挨拶 | ||||
| ミルドレッド・スコット・オルムステッド女史 | アメリカ代表=国際婦人自由平和連盟 | |||
| 12:00 | 午前の部終了、休憩 | |||
| 14:10 | 再開 | |||
| ポプレア・デシー | イタリー代表 | |||
| パリチウドル女史 | インド代表 | |||
| アチアリア | インド代表 | |||
| レオナルド・ソフノフスキー | ポーランド代表 | |||
| 韓徳銖 | 朝鮮民主主義共和国代表=平和委員会= | |||
| ウイリアム・ゴラン | オーストラリア代表 | |||
| アーム・ストロング | アメリカ | |||
| ジャキエ | フランス代表 | |||
| メッセージ(世界科学者連盟、世界民婦連コットン夫人、国際学連)朗読 | ||||
| 元心昌 | 朝鮮平和統一連盟代表 | |||
| 政党、民主団体代表の挨拶 | ||||
| 高津正道 | 左派社会党代表 | |||
| 柳原白蓮女史 | 短歌発表 〇原爆のみたまに捧げる歌 原爆のみたまにちかう人の世に 浄土をたてむみそなわして |
|||
| 前田英之助 | 右派社会党代表 | |||
| 黒田寿男 | 労農党代表 | |||
| 須藤五郎 | 共産党代表 | |||
| 松本治一郎 | アジア平和大会日本代表 | |||
| 大山郁夫 | ||||
| **** | 母親大会代表 | |||
| 穂積七郎 | 憲法擁護国民連合 | |||
| 自治体代表の挨拶 | ||||
| <北島都議会議長の代読> | 全国都道府県代表 | |||
| 松本賢一(呉市長) | 全国市長代表 | |||
| 被爆者代表の挨拶 | ||||
| 高橋明究<高橋昭博> | 原爆被爆者(広島) | |||
| 山口みさ子 | 長崎原爆乙女の会会長 | |||
| 久保山すず夫人 | ||||
| 議長祝電・祝辞報告:国内 メッセージ 117、電報 545、外国 メッセージ 40、電報 50以上、合計700通をこえる。 | ||||
| 演壇前の紙の花輪=広島の罹災者が大会成功のために一つ一つ紙に署名。 | ||||
| ニューヨーク大会に祝辞 | ||||
| 8月10日ニューヨークで開催の原爆10周年記念集会あてメッセージ提案、満場一致可決「広島にあつまった原水爆禁止世界大会は、アメリカの平和愛好者に心からの挨拶をおくります。本大会はわがアメリカに努力するよう訴えます。 原水爆禁止世界大会」 | ||||
| 基調講演 | ||||
| 武谷三男 | 原水爆の脅威について | |||
| 平野義太郎 | 世界の平和と国際連帯による原水爆の完全禁止 | |||
| 午後6時閉会 | ||||
『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容
| 写真(アート) | |||
| 大会宣言 | |||
| 安井郁(原水爆禁止世界大会日本準備会事務総長)「序文 無限の前進への一里標」 | |||
| 大会第一日 本会議 <広島公会堂 1955年8月6日> | |||
| 開会の辞 2 議長団挨拶 3 経過報告 5 各界の祝辞 8 外国代表の挨拶 9 政党、民主団体代表の挨拶 15 自治体代表の挨拶 19 被爆者代表の挨拶 20 ニューヨーク大会に祝辞 23 |
|||
| 大会第二日 <1955年8月7日> | |||
| 第一分散会<広島公会堂> 26 第二分散会<平和記念館ホール> 35 第三分散会<本川小学校講堂> 44 第四分散会<農業協同ビル> 63 第五分散会<藤田ビル> 78 第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 |
|||
| 大会第三日 本会議 <広島公会堂 1955年8月6日> | |||
| 各分散会の報告 102 報告に対する討議 109 事務総長の総括報告 112 外国代表の挨拶 115 外国代表に記念品贈呈 118 国際科学者会議にメッセージ 119 歴史的な大会宣言を採択 120 閉会 121 |
|||
| 各地の大会 | |||
| 長崎 124 | |||
| 関西 125 | |||
| 東京 129 | |||
| 鎌倉 132 | |||
| 付録 | |||
| 広島県下原爆被害者の実態 136 | |||
| 参加外国代表名簿 140 | |||
| あとがき 145 | |||
止
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| 第8回広島市民生委員児童委員大会 永年勤続民生委員被表彰者名簿 |
| 第8回広島市民生委員児童委員大会 模範構成世帯被表彰者名簿 |
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止
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| 皇后宮御歌(昭和32年4月15日民生委員に御下賜 |
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| (民生委員の歌)花咲く郷土<略> |
| (民生委員を讃える歌)光とともに<略> |
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| △総会 |
| △閉会の辞 |
| 散会 |
| 物故民生委員名簿<略> |
| 永年勤続民生委員被表彰者名簿<略> |
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|
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止
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| 物故者委員名簿<略> |
| 被表彰者名簿<略> |
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| 研究意見発表議題及び発表者 |
| 神崎民生区 藤居平一 |
| 3.議題 「(1)国民健康保険について(2)社会保障制度の確立について」 |
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| 段原民生区 森下泉 |
| 議題9.「原爆障害対策について」 |
| 1. 原爆障害者の治療費全額国庫負担 |
| 2.原子爆弾被爆生存者の健康管理実施 |
| 3.原爆症治療並びに研究機関の設置を決議として更に強力に推進したい。 |
第4回広島市民生委員児童委員大会開催要綱
止
| M | D | NEWS1 |
| 01 | 16 | 日本原水協、核兵器廃絶訪問交流団をインドに派遣。-30日。 |
| 01 | 26 | 松谷裁判ネットワーク、国の上告を棄却するよう求める署名約11万9000人分を最高裁に提出。 |
| 01 | 31 | 福岡県被団協、第4回相談員交流会を県福祉プラザで開催。74人が参加。 |
| 02 | 08 | 日本被団協、第273回代表理事会を開催。-9日。 |
| 02 | 09 | 米エネルギー省、6回目の臨界前核実験をネバダ州の地下核実験場で実施。 |
| 02 | 18 | 岡山県被団協、第8回被爆者相談員研修会を岡山市内で開催。115人が参加。 |
| 02 | 25 | 生協ひろしま、日本被団協制作の写真集「原爆と人間展」のスリランカ・マレーシア・フィリピン・シンガポール4カ国への発送式を広島市の本部で開催。26日、郵送。 |
| 02 | 27 | 長崎原爆松谷訴訟を支援する会、定期総会を長崎被災協講堂で開催。約50人が出席。 |
| 03 | 01 | 原爆松谷裁判弁護団事務局長の中村尚達弁護士、長崎県弁護士会長に選ばれる。 |
| 03 | 01 | 社団法人・韓国原爆被害者協会、「会報」を創刊。 |
| 03 | 01 | ビキニ被災45周年3・1ビキニデー集会、焼津市で開催。1700人が参加。伊東壮日本被団協代表委員が挨拶。 |
| 03 | 02 | 佐賀県被団協、役員会と会員の研修会を佐賀市内で開催。100人が参加。 |
| 03 | 06 | 大阪府被団協、相談員研修会を大阪市内で開催。150人が参加。 |
| 03 | 11 | 日本被団協中央相談所、関東甲信越ブロックの講習会を埼玉県春日部市で開催。-12日。58人が参加。 |
| 03 | 17 | 日本被団協中央相談所、熊本県玉名温泉で研修会を開催。地方巡回相談の一環。91人が参加。-18日。 |
| 03 | 29 | 広島原爆資料館、図録を発刊。開館44年で初めて。 |
| 04 | 03 | ジャン・リュルサのタペストリー「世界の歌」展、高崎市の群馬県立近代美術館で開催。-5月9日。 |
| 04 | 15 | 倉本寛司在米被爆者協会名誉会長、日本被団協の関係者とともに今井澄・民主党参議院議員と懇談。 |
| 04 | 20 | 東友会、第10回常任理事会名で、新ガイドライン法案に反対する要求書を首相宛に送付。 |
| 04 | 25 | 日本被団協制作の「原爆と人間展」、この日現在で658セット普及。 |
| 05 | 06 | 原爆松谷裁判弁護団、国の上告理由に対する反論書を最高裁第3小法廷に提出。 |
| 05 | 06 | 国民平和大行進(日本原水協系)、東京都・夢の島を出発。出発式に約350人が参加。 |
| 05 | 12 | 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、オランダのハーグ市国際会議場で開催。-15日。100か国から日本の400人を含む約8000人が参加。 |
| 05 | 14 | 三重県被団協、「原爆犠牲者追悼・被爆体験を語り継ぐ三重の集い」を津市で開催。150人が参加。 |
| 05 | 16 | 福岡県被団協、第41回定期総会を開催。新ガイドライン法案に反対する決議を採択。 |
| 05 | 21 | 広島市平和公園対岸にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の公園内への移設工事の起工式。約50人が参列。 |
| 05 | 26 | 辛泳洙・元韓国原爆被害者協会会長、ソウル近郊の病院で死去。80才。国外に住む外国人としては始めて原爆被爆者手帳を取得。 |
| 06 | 09 | 日本被団協被爆者中央相談所、第22回定期総会を東京で開催。 |
| 06 | 09 | 日本被団協、第44回定期総会を東京都内で開催。-10日。米国の原爆投下責任を告発する運動を本格化させる方針を決める。 |
| 06 | 11 | 片野光男元千葉県友愛会会長、死去。83歳。 |
| 06 | 11 | 日本被団協の代表、原爆被害への国家補償、核兵器廃絶などを求め、各政党、国会議員、厚生省に対し要請行動を実施。 |
| 06 | 29 | 東京都町田市在住の長崎被爆者・東数男(70歳)、原爆症認定却下の取り消しを求める訴訟を東京地裁に提訴。 |
| 07 | 09 | 大阪地裁、「郭貴勲裁判」第4回公判を開廷。 |
| 07 | 10 | コープぎふ、「99年平和フェスティバル」を岐阜市内で開催。「原爆と人間展」パネルを展示。 |
| 07 | 18 | 宮城県・仙台戦災復興記念館で第13回追悼平和祈念式。60万円の公費補助。 |
| 07 | 23 | 女優・吉永小百合、長崎の詩の朗読を収めた2作目のアルバム「第2楽章 長崎から」を制作発売。 |
| 07 | 25 | 東友会(東京都被団協)、第35回東京都原爆犠牲者慰霊祭と1999年度追悼のつどいを東海寺境内で挙行。約250人が参列。(「東友」) |
| 07 | 25 | 石川県被団協、原爆死没者追悼法要を金沢市の東別院本堂で挙行。 |
| 07 | 28 | 新潟県巻町、「原爆と人間展」を開催。-8月6日。 |
| 07 | 29 | 愛知県被団協、被爆50周年原爆犠牲者を偲ぶつどいを挙行。75万円の公費補助。 |
| 07 | 29 | 愛知県被団協、原爆犠牲者を偲ぶつどいを名古屋市内で挙行。 |
| 07 | 29 | 埼玉県被団協など、平和のための埼玉戦争展を浦和市内で開催。-8月2日。2万5000人が見学。 |
| 07 | 29 | 藤平典日本被団協事務局長と山本英典同次長、村山富市元首相と会見し、在外被爆者問題などで陳情。 |
| 07 | 30 | 東京都美術館、第47回平和美術展を開催。-8月11日。 |
| 08 | 01 | 千葉県被団協、第21回慰霊祭を千葉市亥ノ鼻公園で挙行。37万5000円の公費補助。 |
| 08 | 01 | 埼玉県被団協、第14回慰霊祭を浦和市別所沼公園で挙行。 |
| 08 | 01 | 熊本県被団協、被爆54年熊本県原爆死没者慰霊式典を熊本市内で挙行。62万3000円の公費補助。 |
| 08 | 02 | 鳥取市役所ロビーで「原爆と人間展」。-9日。 |
| 08 | 02 | 日本被団協の被爆者訪米遊説団、出発。仁木巌・近藤正六・米田チヨノ・田丸正夫・安井晃一・田辺俊三郎の6人。-12日。 |
| 08 | 05 | 韓国人原爆犠牲者慰霊祭(広島市平和公園)。公園内に移設後初。約400人が参列。 |
| 08 | 06 | 広島の被爆者7団体代表、小渕首相に広島市内のホテルで陳情。「被爆者代表から要望を聞く会」。 |
| 08 | 06 | 鳥取県被団協、追悼平和祈念式典を鳥取市内で挙行。37万5000円の公費補助。 |
| 08 | 06 | 香川県被団協、1999年原爆死没者慰霊祈念祭を挙行。37万5000円の公費補助。 |
| 08 | 06 | 北海道被団協、原爆死没者北海道追悼会で挙行。50万円の公費補助。 |
| 08 | 06 | 広島県被団協、「被爆54周年原爆死没者追悼慰霊式」を広島市のメルパルクで挙行。約200人が参列。50万円の公費補助。 |
| 08 | 06 | 被爆54周年韓国人原爆犠牲者追悼式(第32回)、ソウル市・大韓赤十字ソウル支社講堂で挙行。約400人が参列。 |
| 08 | 06 | 秋田県被団協、第6回原爆犠牲者追悼の集いを秋田市内で挙行。 |
| 08 | 06 | インド・ナグプール市で平和展。-9日。ふくしま生協と愛知平和委員会がインド平和・軍縮・環境保護研究所に贈った「原爆と人間展」パネルを展示。 |
| 08 | 06 | 広島高校生平和ゼミナール、世界子供の平和像スタート集会を「原爆犠牲ヒロシマの碑」前で開催。約70人が参加。 |
| 08 | 08 | 日本被団協など、「今こそつたえよう ヒロシマ・ナガサキ99」を長崎市民文化ホールで開催。800人が参加。 |
| 08 | 09 | 長崎被災協・県平和労働センター被爆連など被爆者5団体、宮下創平厚相に、長崎市内で陳情。 |
| 08 | 09 | 熊本県天草郡苓北町で天草郡市原爆死没者合同慰霊式典を開催。38万2000円の公費補助。 |
| 08 | 11 | 岡山市原爆被爆者会、天満屋で原爆展を開催。-16日。1万5000人が参観。 |
| 08 | 13 | 「反核平和のための朝鮮被爆者協会」、原爆展を平壌・人民大学習堂で開催。開催セレモニーに約300人が参加。-18日。 |
| 08 | 29 | 群馬県被団協、第20回県原爆犠牲者慰霊式を挙行。60万円の公費補助。 |
| 08 | 29 | 東海4県の被爆者団体の代表と日本共産党議員団との懇談会、名古屋市内で開催。 |
| 08 | 29? | 韓国・米国・ブラジルの3カ国の被爆者団体と日本の市民団体など、被爆者援護法が海外の被爆者にも適用されるよう求める署名集めを開始。 |
| 08 | 31 | 松永正史、厚生省保険医療局企画課長に就任。 |
| 08 | 33 | 篠崎英夫、厚生省保険医療局長に就任。 |
| 09 | 06 | 山口県被団協、第25回ヤマグチ原爆死没者追悼・平和祈念式典を開催。75万円の公費補助。 |
| 09 | 13 | 日本被団協中央相談所、東北ブロック講習会を宮城県仙台市で開催。-14日。 |
| 09 | 21 | 原爆松谷裁判ネットワーク、国の上告の棄却を求めて、最高裁前でのビラ配布と要請講堂を実施。8回目。 |
| 09 | 22 | 新潟県被団協、県原爆死没者追悼式を挙行。22万5000円の公費補助。 |
| 09 | 26 | 神奈川県被団協、1999年追悼のつどいを開催。75万円の公費補助。 |
| 09 | 26 | 宮城県被団協、「原爆展」を仙台市内で開催。45万円の公費補助。 |
| 10 | 01 | 北海道札幌市在住の広島被爆者・安井晃一、厚生省に前立腺がんの原爆症認定を求め、札幌地裁に提訴。 |
| 10 | 01 | 日本被団協、日本原水協、連合など、それぞれ、米大使館前で臨界前核実験に対する抗議行動を実施。 |
| 10 | 02 | 浜友の会(神奈川県横浜市の被爆者の会)、神奈川新聞社と同社厚生文化事業団の「地域社会事業賞」を受賞。 |
| 10 | 06? | 厚生省が補助を決定した「被爆者慰霊等事業」=26都道府県92件。うち慰霊式典=63件、刊行事業=6件、イベント事業=22件、その他=1件。[原爆死没者慰霊等施設] |
| 10 | 06? | 故・高野真静岡県被団協副会長の自分史「真」、刊行。 |
| 10 | 07 | 鹿児島県被団協、県内被爆者相談員等研修会を開催。60人が参加。 |
| 10 | 13 | 日本被団協中央相談所、相談事業講習会を北海道旭川で開催。25人が参加。 |
| 10 | 20 | 日本被団協、全国代表者会議を東京都内で開催。-21日。 |
| 10 | 20 | 日本被団協中央相談所、第5回全国相談員研修会を東京で開催。テーマ:介護保健法と被爆者。100人が参加。 |
| 10 | 22 | 「原爆被害への国家補償と現行法の充実を迫る決起集会」、東京・衆議院第一議員会館で開催。被爆者と在外被爆者を支援する市民ら120人が参加。 |
| 10 | 22 | 米国・ブラジル・韓国の被爆者団体と日本被団協の代表20人、在外被爆者への被爆者援護法の適用などを厚生省などに要望。 |
| 10 | 24 | 核兵器も戦争もない21世紀をめざして、子どもの手で「世界の子どもの平和像」をつくる「サポーターの会」、つどいとシンポジウムを東京都内で開催。85人が参加。 |
| 11 | 04 | 日本被団協中央相談所、東海・北陸ブロック講習会を石川県金沢市で開催。-5日。120人が参加。 |
| 11 | 06 | 兵庫県被団協、役員研修会を城崎で開催。-7日。40人が参加。 |
| 11 | 06 | 被団協連載「在外被爆者はいま」(-2月、4回) |
| 11 | 07 | 福岡市原爆被害者の会、「原爆と人間展」を福岡市内で開催。 |
| 11 | 09 | 東京地裁、東数男裁判の第1回口頭弁論を開く。国側、全面的に争う答弁書を提出。 |
| 11 | 09 | 国連総会第1委員会(軍縮)、新アジェンダ連合による核兵器廃絶に向けた決議案を賛成90、反対13、棄権37で採択。日本は、棄権。 |
| 11 | 10 | 日本被団協中央相談所、四国ブロック講習会を香川県高松市で開催。-11日。35人が参加。 |
| 11 | 12 | 大阪地裁、郭貴勲裁判の口頭弁論を開く。森田隆在ブラジル原爆被爆者協会会長と倉本寛司米国原爆被爆者協会名誉会長が証言。 |
| 11 | 17 | 日本被団協、来月の国連総会全体会議で迅速な核兵器廃絶を求める諸決議に賛成するよう、小渕首相宛に要請。 |
| 11 | 17 | 日本被団協中央相談所と京都府被団協、近畿ブロックの「健康・生活相談会」を京都市で開催。125人が参加。 |
| 11 | 18 | 大阪被団協婦人部、大阪被爆者研修会を開催。80人が参加。 |
| 11 | 19 | 「原爆を許すまじ」を作曲した木下航二・元東京都立日比谷高校教諭、死去。73才。 |
| 11 | 19 | 大阪高裁、京都原爆裁判の第4回公判を開く。 |
| 11 | 20 | 静岡県原水爆被害者の会、結成40周年記念式典と祝賀会を静岡市内で開催。100人以上が参加。 |
| 11 | 24 | 神奈川県被団協、被爆者医療講習会を湯河原で開催。60人が参加。 |
| 11 | 25 | 原爆松谷裁判で弁護団が最高裁に提出した「上告理由反論書」の学習会、東京都内で開催。50人が参加。 |
| 11 | 27 | 埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)川口鳩ケ谷支部、「原爆と人間展」を川口市内で開催。-28日。400人近くが参観。 |
| 11 | 28 | 日本被団協中央相談所、九州ブロックの相談事業を大分県別府市で開催。-29日。540人が参加。 |
| 11 | 29 | 北海道・札幌地裁、「安井原爆訴訟」の第1回口頭弁論を開催。 |
| 11 | 30 | 日本被団協中央相談所、中国ブロックの相談事業を宮島で開催。-12月1日。250人が参加。 |
| 12 | 01 | 「コープおおいた」、「原爆と人間展」パネル2セットを、マレーシアの市民団体に寄贈。 |
| 12 | 05 | 東京マイコープなど、「原爆と人間展」をパプア・ニューギニアの首都ポートモレスビーにあるパプアニューギニア大学で開催。-11日。 |
| 12 | 11 | 長崎被災協など、シンポジウム「いま、<戦争被害受認論>を考える」を長崎市内で開催。 |
| 12 | 21 | 東海村臨界事故で被ばくしたJCO社員・大内久、午後11時21分、多臓器不全のため東大病院で死亡。 |
| 12 | 21 | 三重県議会、同県原爆被災者の会から提出されていた「福祉事業」についての請願を全会一致で採択し国に対する意見書を決議。 |
| 12 | 30 | アメリカの平和団体、「ミレニアム2000・平和への道をあゆむ」の集いとデモを、ラスベガスとネバダ核実験場前で実施。-1月2日。 |
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