ubuki のすべての投稿

県(区・市)民運動の展開

「日本における原水爆禁止運動の出発~1954年の署名運動を中心に~」(『広島平和科学5』広島大学平和科学研究センター、1982)

目次
はじめに
1 原水爆禁止決議
2 原水爆禁止運動の開始
3 県(区・市)民運動の展開
4 原水爆禁止署名運動全国協議会
5 原水爆禁止署名運動の意義

 

3.県(区・市)民運動の展開

 

5月9日に結成された水爆禁止署名運動杉並協議会は.署名を目的として結成された先駆であるとともに,「草の根運動」を展開した最初の団体であった(1)。杉並区では,すでに,ビキニ被災事件の報道後,「署名運動は自然発生的、かつ散発的に,民主団体,婦人団体,魚商組合というようなところからはじめられていた」(2)。4月17日の区議会の水爆禁止の決議は,これらの動きか結実したものである。

杉並協議会の結成意図は,区議会決議をうけて,「杉並区を中心に水爆禁止の署名運動をおこし、これをさらに全国民の署名運動にまで発展させ」よう(杉並アピールより)というものであった。区内の諸層から超党派的に選ばれた実行委員によって展開された署名運動は,「関係者さえ予想しなかったほどの成果をおさめ,6月29日現在で,暑名総数は,実に杉並区の総人口(39万)のおよそ7割にあたる26万8,956名の多きをかぞえるにいたった」(3)。

杉並協議会の運動は,これまで,運動の主体が婦人であったことおよび超党派的に進められ,区民の過半数の署名を獲得したことによって評価されている(4)。しかし,それらとともに,重要と思われるのは,区議会の決議という形で表わされた区民の意志を単にそれだげにとどめず,改めて区民の署名の結集として再び表現した点である。武蔵野市や世田谷区の場合,それぞれ3月27日と30日に市(区)議会が決議をおこなっている。ところが,署名運動を展開するのは,6月下旬以降のことであった(5)。世田谷原水爆禁止署名運動本部事務局長は,「原水爆被害の増大と杉並区の運動に刺激され」、区議会が署名運動を開始したと述べている(6)が,このことは,杉並区の運動が「議会の決議にもとづく原水爆禁止の署名運動」のモデルであったことを示すものである(7)。

杉並区の運動が,区議会決議をうけて,署名運動の超党派組織を結成するという経過をたどったのに対し,同じ時期に起った広島県の運動は.まず,超党派組織は,原水爆禁止大会のために結成され,大会の要請で,市および県に決議をさせ,その後,署名運動を開始するという経過をたどっている(8)。前述のように,4月21日の第6回婦人会議広島大会が契機となり,5月15日に,原水爆禁止広島大会が開催され,原水爆禁止の宣言とともに,原爆障害者救援のための特別保護法制定を求める決議が採択された。大会後の5月20日の常任世話人会は,運動の今後の発展のために,原水爆禁止県民連動連絡本部を設置することを決め,具体的な運動として県下全域にわたる署名運動の展開,広島県議会・市議会への決議の請願などを申し合せた。広島市・県議会は,この要請をうけ,それぞれ,5月25日,28日に原水爆禁止決議および原爆障害者治療費全額国庫負担に関する決議をおこなった。広島での署名運動は,6月4日から始まったが.8月6日までの2カ月間で89万8,000(全県民の42%)の署名が集められた。

東京・広島以外の地域での運動の詳細は詳らかではないが,原水爆禁止署名運動全国協議会の結成大会における各団体の代表の報告によれば,つぎのようなものであった(9)。

秋田県=7月上旬,秋田市議会が決議。その後,3日間全市にわたる署名運動で10万を集める。8月5日,全県協議会を結成,県議会議長が会長となる。
北海道=警察署長,CICの団体を除く全団体で協議会を結成。
大阪=幅広い形で連絡会を結成。100以上の団体が参加。7月26日現在で40万の署名。
島根=8月5日,世話人会が発足。6日県下より約1千名が集まって県民大会。県連合婦人会で署名をまとめる。
一応,対人口比で30%以上の署名を集めた県を「県民運動」の展開されたところと考えるならば(10)、広島県(47.4%)以外にも,東京都(40.8%),長野県(39.5%),島根県(38.8%),山口県(44.3%)で,県(都)民運動が展開されている。また.次表のように,全国各地で,市(区)民運動が展開された。

市(区)民運動一覧

県名 市区名 署名団体名 署名数
の対人口
比(%)
署名の
現在日
北海道 小樽市 小樽市 62.2 10. 2
美唄市 美唄市議会 49.9
秋田 横手市 原水爆禁止横手市民運動本部 51.4 8.31
秋田市 原水爆禁止運動秋田市協議会 40.5 8.15
大館市 大館市原水爆実験及び使用禁止同盟 34.3 8.31
宮城 石巻市 石巻原水爆禁止署名運動協議会 50.6
古川市 古川市原水爆禁止の会 33.0
福島 磐城市 磐城市原水爆禁止運動促進会 57.8 11.20
常磐市 常磐市原水爆禁止運動世話人会 53.7
郡山市 原水爆禁止運動郡山地方連絡会議 45.2
茨城 古河市 古河市原水爆禁止運動世話人会 62.5 12. 4
東京 中央区 中央区原水爆禁止運動特別委員会 115.5 10. 5
千代田区 千代田区議会,区役所,各種団体 108.4
杉並区 水爆禁止署名運動杉並協議会 69.2
世田谷区 水爆禁止署名運動世田谷本部 68.8 8.25
港区 原水爆禁止署名運動港区協議会 68.5
豊島区 原水爆禁止署名運動豊島区協議会 58.9 8.31
武蔵野市 原水爆禁止運動武蔵野協議会 58.6 10.8
目黒区 原水爆禁止署名運動日票区本部 55.1
中野区 原水爆禁止署名運動中野協議会 52.7 10. 2
渋谷区 原水爆禁止署名運動渋谷区協議会 50.9 10.20
立川市 立川平和協議会 49.3
新宿区 原水爆禁止署名運動新宿区協議会 47.8
台東区 原水爆禁止台東協議会 46.9
三鷹市 三鷹市婦人団体連絡協議会 39.7 9. 1
品川区 原水爆禁止運動品川区協議会 38.6
神奈川 逗子市 逗子市原水爆禁止促進協議会 58.7 10.23
茅ケ崎市 原水爆禁止運動茅ケ崎地区協議会 41.1
秦野市 秦野地方原水爆禁止の会上曽屋支部 30.3 10.23
山梨 都留市 山梨県都留仏教会 45.0
長野 上田市 上田市原水爆禁止運動協議会 60.2 10. 4
滋賀 彦根市 原水爆禁止署名運動彦根市連絡協議会 59.1
山口 下関市 下関市 40.6 9. 1
福岡 直形市 原水爆実験使用禁止運動直方市協議会 86.8

出典:「原水爆禁止署名数全国集計」1954年12月14日現在及び1955年8月4日現在

ところで,市(区)民運動34件のうち,27件は,ビキニ水爆被災事件を機に結成されたと思われる原水爆禁止団体である。これらの名称の付け方によれば,①原水爆禁止運動団体(15件),②原水爆禁止署名運動団体(10件),③原水爆(実験および)使用禁止団体(2件)の3種の団体が存在するが.この3種の団体名の差がそのまま各種団体間の運動の差とは考えられない。しかし,当時,原水爆禁止運動が一部では署名運動に限定されていた事実を示すものではある。

名称からみて,水爆実験の反対に限定した目的を持つ団体が極めて少ないことは,注目されるところである。原水爆禁止署名運動杉並協議会の結成時の名称は.前表のように水爆禁止署名運動杉並協議会であった。また,そのアピール(杉並アピール)には,広島・長崎への言及はみられるものの,訴えの根拠は,あくまで「死の灰」による原子病の恐ろしさと,「死の灰」まぐろ廃棄による日本国民の栄養源の不足である(11)。なお,つけ加えるならば,杉並アピールは,「原爆」が欠落している(12)のみでなく,「平和」も用いられていない。それは,「今,平和運動というと,とかく色がついているかのように誤解されやすい傾向をもつから」,「区民の誰もが安心して参加できるように」との配慮からであった(13)。このように,意図的に目的を限定して出発した杉並の運動でさえ,運動開始後,直ちに,「水爆禁止」団体から「原水爆禁止」団体に変化していることは,「水爆禁止」ではなく,「原水爆禁止」すなわち「核兵器全般の禁止」が当時の運動の普遍的な課題であったことを示すものである(14)。

1)安井郁は,すでに当時,「草の根」という表現を用いている。前掲『民衆と平和』76頁。
2)水爆禁止杉並協議会・安井郁「静かなる署名運動」(『改造』1954年8月号)。
3)水爆禁止杉並協議会・安井前掲論文。
4)『岩波講座日本歴史23』260頁(岩波書店、1977年)など。
5)「原水爆禁止署名運動東京都懇談会議事録(要旨)」1954年9月6日。
6)1954年9月6日に開催された懇談会での発言。
7)杉並の一婦人は,東京平和大集会世話人会において,「議会の決議にもとづく原水爆禁止の署名運動を,議会が先頭に立って行うようにさせる努力が必要である」と提案している。西尾昇「地方議会と平和」(『平和』1954年7月号)。
8)この経緯に関する資料は,広島市編『広島新史資料編』(1982年)にまとめてある。
9)「原水爆禁止署名運動全国協議会結成大会議事録」(1954年8月8日)より道府県の代表の報告のみ摘出。
10)人口は,総理府統計局『昭和30年国勢調査報告第1巻』(1956年)による。以下同じ。また,署名数は1955年8月4日現在である。
11)『ビキニ水爆被災資料集』536-537頁。
12)この点は,今堀前掲書10頁に指摘されている。
13)水爆禁止杉並協議会・安井郁、前掲論文。
14)団体名ではないが,広島の5月15日の大会は,水爆禁止広島市民大会として発起されていた(1954年4月22日付準備会案内状)が,実際には,原水爆禁止広島市民大会として開催された。

 

 

 

 

 

原水爆禁止運動の開始

「日本における原水爆禁止運動の出発~1954年の署名運動を中心に~」(『広島平和科学5』広島大学平和科学研究センター、1982)

目次
はじめに
1 原水爆禁止決議
2 原水爆禁止運動の開始
3 県(区・市)民運動の展開
4 原水爆禁止署名運動全国協議会
5 原水爆禁止署名運動の意義

 

 

2.原水爆禁止運動の開始

 

平和擁護日本委員会など平和団体は,1954年の年頭から,6月開催予定の世界平和大集会の準備を進めていた。その準備組織である世界平和大集会日本連絡会は,ビキニ被災事件の報道から1か月後の4月18-20日,東京で「ジュネーブ会議,世界平和大集会のための集り」を開催し,「原水爆禁止のため国民に対する訴え」とともに「原水爆禁止について世界の人々への訴え」を発表した。後者では,全世界に「今後の平和運動は原水爆禁止に向ってこそ,その努力が集中されてゆくものだと考える」と訴えている。

つづいて,この会議の中で設置された世界平和大集会日本準備会は,6月7-9日に,日本平和大集会を東京で開催した。会議は,「当面の平和運動の目標は国際緊張緩和のために,原水爆禁止,アジアの安全保障.経済文化の交流.再軍備,軍事基地化反対,憲法擁護等にあるが,この中で原水爆禁止の運動を圧倒的に押し進め,平和運動を全国民的なものに統一していく」との日本の平和運動の任務を明らかにし,そのために原水爆禁止の中央センターを設けること,8月15日を目標に原水爆禁止の運動を中心とする平和月間を計画するとの方針を決定した。

世界平和大集会には,日本から,自由・改進・日自等の保守党議員を含む41名の代表か参加した(1)。

憲法擁護国民連合は,1954年1月15日,「保守反動勢力の憲法改悪計画に対応し,党派・主義・主張を超越し,平和憲法を守ろうとする広汎な国民的世論を喚起結集」(同連合運動方針より)することを目約に,総評・社会党(両派)・労農党などが中心となって結成した団体である(2)。同連合は,ビキニ被災事件後の状勢に対応するため,原子力特別委員会を設け,4月19日の第1回会合で,l,000万獲得を目標に原水爆禁止署名運動を展開することを決めた(3)。また,この構成団体である総評は,同月24日の第18回幹事会で原水爆兵器禁止署名4,000万目標を決定している(4)。

 

宗教団体では,世界連邦運動を推進していた人類愛善会が,署名運動の口火を切った。同会は,4月5日.緊急会員大会を開き、原子力兵器の禁止を求める決議を発表するとともに,大会席上に於て,署名運動の実行を決定した。署名運動は,期間を4月25日から5月25日の1カ月に限って行われたが,その理由は.「好事魔多くこの人道上の運動に対しても思想上の運動に之を利用せんとするものも輩出するに至り,此のまま運動を継続せんか,或は人道上の理念を域脱したる思想運動の蚕食するところとなり大に純度がいがめらるるに至るやも計り難きに至った」からであった(5)。

婦人団体では,4月3日の婦人月間中央集会が,原水爆禁止運動の展開を決議した。16日には,決議にもとづき実行委員会の代表が,外務省を訪れ,原水爆禁止の要求をアメリカにするよう申し入れるとともに(6)、翌17日には,婦団連傘下やその他の婦人団体,労組の婦人が,都内各所で署名運動に立った(7)。

一方,主婦連・地婦連・生活協同組合婦人部・日本婦人平和協会・婦人有権者同盟の5団体も.4月6日,”原子マグロ対策打合会”を開いている。この場で,原水爆禁止の決議がなされ,それを国連や在日各国大使館および各国婦人団体に送付することか決定された(8)。

広島では,「4月21日の第6回婦人会議閉会直後,全参加者により,強い希望」が出され.広島県地域婦人団体連絡協議会会長,矯風会広島支部長,国鉄労組広島支部婦人部長など10人の婦人が発起人として「水爆禁止広島大会」の開催を呼びかけている(9)。

一方,学生団体は,5月25日,東京で.全日本学生平和会議を開催した。この会議には,全学連,学生YMCA,同YWCA・ユネスコ学連、仏教学生会,わだつみ会などの代表1,600人が参加したが、平和の問題での学生の統一行動は,はじめてのことであった(10)。 会議では,思想・信条の異なる各学生団体間で一致できる点として,「再軍備に反対する」,「原水爆の製造・実験・使用に反対する」の2点を確認した(11)。

また,東大五月祭が,5月22-23日に行われたか,五月祭を”原・水爆禁止のための五月祭に”と多くのサークル・自治会がとりくみ,当日の展示の中でも圧倒的に原水爆を扱ったものか多かった。また,この中で,署名運動が展開され,20,192の署名が集められている(12)。

このように,既存の諸団体が.ビキニ被災事件を契機に,原水爆禁止を中心としたさまざまな運動を展開するようになった。次表のように,署名運動を早期に手がけた団体の多くは既存の平和団体であった。また,ある意味では平和運動あるいは原水爆禁止運動の一つの運動形態にすぎない署名運動が,次第に運動の中心となり,6月以降には,署名運動の実行団体が広汎に結成されるようになってきた。

署名運動の開始状況

4月 5月 6月 7月
平和団体 14
労働組合 13
原水禁団体 17
学生組織 10
その他 12
12 21 25 66

出典:『ビキニ水爆被災資料集」520-521頁。

1)労働省編,前掲書,1312-1313頁。
2)法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑第28集」700頁(時事通信社、1955年)。
3)労働省編,前掲書,1311頁。
4)法政大学大原社会問題研究所編,前掲書,606頁。
5)藤原勇造「原水爆署名運動を終りて」(『世界国家』1954年9月号)。
6)「社会タイムス」1954年4月19日。
7)『航路二十年-婦人民主クラブの記録』155頁(婦人民主クラブ、1967年)。
8)「日本経済新聞」1954年4月7日。
9)4月22日付「水爆禁止広島市民大会準備会御案内」。
0)全学連書記局「全学連第七回全国大会・一般方針」(三一書房編集部編『資料戦後学生運動3』、1969年)。
11)「連盟通信」(全日本学生新聞連盟)1954年5月10日。
12)「都学連情報号外・原水爆禁止特集」1954年5月23日,(三一書房編,前掲書)。

 

原水爆禁止決議

「日本における原水爆禁止運動の出発~1954年の署名運動を中心に~」(『広島平和科学5』広島大学平和科学研究センター、1982)

目次
はじめに
1 原水爆禁止決議
2 原水爆禁止運動の開始
3 県(区・市)民運動の展開
4 原水爆禁止署名運動全国協議会
5 原水爆禁止署名運動の意義

 

 

1.原水爆禁止決議

1954年3月16日,ビキニ水爆実験による被害の第一報が,読売新聞で報じられて以降,国内のさまざまな階層から抗議の声があがった。

日本共産党中央指導部は,19日,「原水爆を禁止せよ」との声明を発表,平和擁護日本委員会は,20日,平和問題懇談会を開いて原水爆禁止運動を全国的に展開することを申し合せた。また,3月30日のアカハタ主張「原子兵器禁止の運動は民族の安全と平和独立を守る憂国の闘いである」では,「府県市町村議会,労働組合,農民団体,学生,青年,婦人,文化などすべての団体が原爆禁止,一切の被害の完全な補償と救援の運動を展開」するよう呼びかけている(1)。

一方,総評は,22日14回幹事会で,原水爆製造禁止とその国際管理を求めるアピールを決定した(2)。また,25日には,総評の提唱に,左右両派社会党,労農党,憲法擁護国民連合が応じ,この5団体の代表が,ビキニ被爆問題につき懇談,つぎのことを決定している(3)。

☆原子力の国際管理と原子兵器の使用禁止に関する決議案を両社・労農三党から共同提出する。
☆全世界に原子力の被害の恐怖とその使用禁止を訴えるため,4月26日から開かれるジュネーブ会議,4月日本で開かれる世界平和者会議で提唱する。
☆全国地方議会に原子兵器の禁止決議を促す。

国会では,事件が報じられた当日,藤原道子(左社)が,参院予算委員会で緊急質間をおこなったのを皮切りに,連日討議に付された。26日の5党衆院国会対策委員長会談の申し合せにもとづき(4)、4月1日の衆院本会議は,国連に「原子力の国際管理とその平和的利用ならびに原子兵器の使用禁止の実現を促進し,さらに原子兵器の実験による被害防止を確保するための」有効適切な措置を直ちにとることを要請する決議案を採択した(5)。つづいて,5日の参院本会議も同様の決議をおこなった(6)。

「世界の文化人や平和主義団体の仲間から,この決議と同様な趣旨が,論議せられ,提案せられたことは,既に度々くり返されたことで,敢て異とするに足りないが,一国国民の意志を代表する国会の名に於て,このような決議かなされたことは,恐らくこれが世界最初の企てであった」(自由党・佐藤虎次郎)(7)。

一方.地方議会においても18日に焼津市議会が原子兵器使用禁止決議をおこなったのを皮切りに,全国各地で,同様の動きがられた。5月26日現在の地方議会の決議状況を,新聞はつぎのように報じている(8)。

東北・北海道地方=宮城県会,石巻・塩釜両市議会のほか5月20日盛岡で開かれた北海道,東北1道6県知事会議で「原爆実験の対策について」が決議され,被爆者の医療施設,生活補償,被爆船の補償を要求,また釜石での東北6県市長会議でも米国と国連への二つの要望決議をしている。
関東地方=東京都議会は3月30日の本会議で「原爆被害による不安除去にかんする意見書」を議,ほかに茨城,神奈川両県会,三崎町会と三崎町民大会。
中部地方=焼津,伊東両市会のほか,静岡、石川,岐阜,愛知の各県会。
近畿地方=3月29日の奈良市会をトップに京都.芦屋,田辺,新宮,彦根,舞鶴の各市会。
中・四国地方=4月初旬の岡山県会を皮切りに,高知など四国4県をはじめ.鳥取でも決議,25日には広島市議会が市民大会の要望に基づいて「原・水爆禁止」、「原爆障害者治療全額国庫負担」の決議を可決した。5月19日香川県庁で開かれた第2回四国地方行政連絡会議でも補償措置を中央に要望,また四国市議会,議長会は全国の自治機関に呼びかける「国民運動」の展開を申合せた。
九州地方=福岡県会と枕崎市会(鹿児島県)禁止決議している。

こうした動きは,議会のみでなく,次表のように,さまざまな分野の団体にもみられた。

決議(声明・宣言などを含む)を発表した団体・集会
(1954年3月~5月)
出典:『ビキニ水爆被災資料集』504-505頁,その他

月日 発表主体
3.19 自由人権協会
3.25 全日本海員組合
4. 2 買出人水爆対策市場大会
4. 3 婦人月間中央集会
4.15 日本私鉄労働組合総連合会
4.16 第1回全国教戒師大会
4.23 日本学術会議第17回総会
4.25 日本ユネスコ連盟第3回総会
4.25 新日本文学会中央委員会
4.27 全農林省労働組合第4回全国大会
4.28 日本赤十字社
4.30 日本社会学会・民主主義科学者協会法律政治部会
4.30 日本地質学会
5. 1 第29回中央統一メーデー
5. 1 生物進化研究会
5. 3 日本哲学学会第7回総会
5. 8 日本科学史学会1954年度総会
5.10 日本基督教団
5.12 国際民主法律家協会日本支部準備会
5.14 日本青年団協議会
5.15 日本政治学会
5.16 第2回PTA全国大会
5.20 日本気象学会
5.25 日本医師会代議員会
5.28 第7回全国図書館大会
5.29 日本弁護士連合会定期総会
5.30 日本民主主義科学者協会第9回全国大会
5. 日本文学協会第9回大会
5. 日本放射線学会

 

地域レベルでは,無数の決議が存在したであろう。広島では,広島市文化団体連絡協議会準備金(3月27日)(9)、広島県教組第11回定期大会(3月31日),世界平和者日本会議広島大会(4月12日),原爆水爆禁止広島市民大会(5月15日),全造船労組第15回定期大会(5月日)などを確認できる(10)。

決議の内容は,議会.諸団体を通じて,そのほとんどが,ビキニ被災のみでなく,広島・長崎の原爆被害に言及し,それを決議発表の動機もしくは根拠としている。国会の決議では,文面には現われていないか,衆参の提案の趣旨弁明,討論の中で,すべての発言者が取った立場であった(11)。たとえば,衆議院の決議案の趣旨弁明に立った須磨禰吉郎(改進党)は,つぎのように述べている(13)。

「わが日本は,人類多き中に,初めて原子兵器の犠牲となり,しかも二度ならず三度までも惨害を受けたのでございますから,ここに世界に対し,人類を代表して,かくのごとき惨禍の一日もすみやかに絶滅せられるよう,実効ある方法を立て,人類を破壊から救うことを提唱する上におきましても,最も崇高なる権利と,そしてまた最大の発言力とを有するものと信ずるのでございます。」
また,この決議案の賛成討論に立った自由党の佐藤虎次郎は,「日本の国会にこそ,この決議を提唱する権利と義務がある」とまで述べている(13)。

このようにビキニ水爆被災事件が広島・長崎の体験と当初から結びついていることは,広島・長崎の原爆被害が,この時期にすでに国民的な体験として,一定程度定着していたことを示すものといえよう。そして,この国民的な「被爆体験」こそは,ビキニ水爆被災事件以降の日本の原水禁運動が、単に水爆実験反対に止まらないい展開をとげ、また持続した根拠をなすものであったと思われる(14)。

なお,決議について.もう一つ注目されることは,4月23日の日本学術会23回総会や6月25日の江東区議会などのように,その声明・決議の中で,国会決議に言及しているものが存在することである(15)。

このことは,国会決議が,県・市町村議会,諸団体の決議を誘引する一つの要因であったことを示すものである。なお,日本哲学学会の決議(16)は,日本学術会議の声明に対する支持決議であるが,ビキニ水爆被災事件を契機とする原水爆禁止決議には,自然発生性のみでなくこうした「上から」の要因も存在していたのである。

1)労働省編『資料労働運動典昭和29年』1311頁(労務行政研究所、1955年)。なお世田谷区の共産党組織は.党の指示より前に,[日本人はモルモットではない」という怒りのピラの配布や原水爆禁止の署名運動などの行動に立ち上がっている(東京都西部地区委員会「原・水爆禁止運動の経験と教訓」,『前衛』1954年9月号所収)。
2)「社会タイムス」1954年3月23日。
3)「毎日新聞」1954年23日。
4)「朝日新聞」(夕刊)1954年3月26日。
5)「第19回国会衆議院会議録」第32号,1954年4月1日。
6)「第19回国会参議院会議録」第29号,1954年4月5日。
7)佐藤虎次郎「原子力の国際管理を主張する-原子力の国際管理に関する衆議院決議の意義-」(『政策』,1954年5月号,11-12頁)。
8)「中国新聞」1954年5月27日。なお,こうした地方議会における原水爆禁止決議は.10月22日の長崎県議会を最後に46都道府県議会全部が揃い,市町村においても10月26日現在で169市92町村に及んだ。労働省編,前掲書,1314頁。
9)「広島文学』1954年9月号,77頁。
10)「中国新聞」報道による。
11)5)・6)に同じ。
12)5)に同じ。
13)5)に同じ。
14)ここで筆者の言う「被爆体験」については,前掲拙稿を参照。
15)前掲『ピキ二水爆被災資料集』491頁,502頁。
16)『思想』1954年8月号。

 

 

日本における原水爆禁止運動の出発

「日本における原水爆禁止運動の出発~1954年の署名運動を中心に~」(『広島平和科学5』広島大学平和科学研究センター、1982)

目次
はじめに
1 原水爆禁止決議
2 原水爆禁止運動の開始
3 県(区・市)民運動の展開
4 原水爆禁止署名運動全国協議会
5 原水爆禁止署名運動の意義

 

はじめに

日本において,核兵器に反対する大衆運動が発生したのは,1954年3月以降のことである。それまでにも,核兵器禁止を求める動きはみられたが,大衆運動というには,その参加者は極めて限られており,また,散発的であった。

1954年3月1日のビキニ水爆被災事件を契機として全国各地で自然発生的に繰り広げられた原水爆禁止署名運動は,翌年8月6日~8日の広島における原水爆禁止世界大会の開催に結実した。以後,日本では,8月の世界大会を頂点とする原水爆禁止の大キャンペーンが,毎年欠かすことなく繰り広げられ、それは,今日まで引き継がれている。1955年の世界大会を第1回とするならば、今年(1982年)に,広島で開催された「原水爆禁止1982年世界大会」は,第28回に相当するものであった。

原水爆禁止運動のこうした展開のしかたは,他国に例を見ない極めて日本的な現象であろう。この運動の回顧は,現在の日本の反核運動のみでなく,世界の運動にとっても重要な意味をもつものと思われる。

日本の原水爆禁止運動が,「国民運動」もしくは「草の根運動」であったという指摘は,これまでしばしばなされてきた(1)。日本の運動の特質をそのように理解するとするならば,日本の原水爆禁止運動の流れは,つぎのように整理できるであろう。

1954年 ビキニ水爆被災事件を契機とする原水爆禁止運動の発生と国民運動としての展開。
1960年 安保問題を契機とする分裂。保守層を含んだ国民運動の崩壊。
1963年 「いかなる国」問題を契機とする分裂。「草の根」性の喪失。
1977年 国連軍縮特別総会(第1回)を契機とする国内の運動の統一。国民運動の復活。
1982年 欧米の反核運動の衝撃を契機とする国内における草の根運動の再生。

 

今日のマスコミ論調の多くは,原水爆禁止運動について,以上のような理解をしている。筆者には,現在,この「国民運動」性,「草の根」性を基準として日本の原水爆禁止運動を総括することの当否を論じる準備はないが,すでに別稿(2)で論じたように,日本の運動の特質は,運動の前提にある「国民的な被爆体験」にあると考えている。

小論の目的は,「国民運動」と「被爆体験」に注目しながら,1954年に日本全国で展開された署名運動の意義を明らかにしようとするものである。

1)この運動について,これまで,いくつかの紹介がなされている。主なものとして,運動の指導的立場からは,安井郁『民衆と平和-未来を創るもの-』(大月書店、1955年),熊倉啓安『原水爆禁止運動』(労働教育センター、1978年),伊藤茂『平和運動と統一戦線ー原水禁運動の歴史と展望(増補版)』(ありえす書房、1975年),参加者の立場からは,今堀誠二『原水爆禁止運動』(潮出版社、1974年),資料集としては,第五福龍丸平和協会編『ビキニ水爆被災資料集』(東京大学出版会、1976年)などがあげられる。
2)「日本における原水爆禁止運動の前提「被爆体験」の検討」(『日本史研究』№236、1982年)。

1.原水爆禁止決議

1954年3月16日,ビキニ水爆実験による被害の第一報が,読売新聞で報じられて以降,国内のさまざまな階層から抗議の声があがった。

日本共産党中央指導部は,19日,「原水爆を禁止せよ」との声明を発表,平和擁護日本委員会は,20日,平和問題懇談会を開いて原水爆禁止運動を全国的に展開することを申し合せた。また,3月30日のアカハタ主張「原子兵器禁止の運動は民族の安全と平和独立を守る憂国の闘いである」では,「府県市町村議会,労働組合,農民団体,学生,青年,婦人,文化などすべての団体が原爆禁止,一切の被害の完全な補償と救援の運動を展開」するよう呼びかけている(1)。

一方,総評は,22日14回幹事会で,原水爆製造禁止とその国際管理を求めるアピールを決定した(2)。また,25日には,総評の提唱に,左右両派社会党,労農党,憲法擁護国民連合が応じ,この5団体の代表が,ビキニ被爆問題につき懇談,つぎのことを決定している(3)。

☆原子力の国際管理と原子兵器の使用禁止に関する決議案を両社・労農三党から共同提出する。
☆全世界に原子力の被害の恐怖とその使用禁止を訴えるため,4月26日から開かれるジュネーブ会議,4月日本で開かれる世界平和者会議で提唱する。
☆全国地方議会に原子兵器の禁止決議を促す。

国会では,事件が報じられた当日,藤原道子(左社)が,参院予算委員会で緊急質間をおこなったのを皮切りに,連日討議に付された。26日の5党衆院国会対策委員長会談の申し合せにもとづき(4)、4月1日の衆院本会議は,国連に「原子力の国際管理とその平和的利用ならびに原子兵器の使用禁止の実現を促進し,さらに原子兵器の実験による被害防止を確保するための」有効適切な措置を直ちにとることを要請する決議案を採択した(5)。つづいて,5日の参院本会議も同様の決議をおこなった(6)。

「世界の文化人や平和主義団体の仲間から,この決議と同様な趣旨が,論議せられ,提案せられたことは,既に度々くり返されたことで,敢て異とするに足りないが,一国国民の意志を代表する国会の名に於て,このような決議かなされたことは,恐らくこれが世界最初の企てであった」(自由党・佐藤虎次郎)(7)。

一方.地方議会においても18日に焼津市議会が原子兵器使用禁止決議をおこなったのを皮切りに,全国各地で,同様の動きがられた。5月26日現在の地方議会の決議状況を,新聞はつぎのように報じている(8)。

東北・北海道地方=宮城県会,石巻・塩釜両市議会のほか5月20日盛岡で開かれた北海道,東北1道6県知事会議で「原爆実験の対策について」が決議され,被爆者の医療施設,生活補償,被爆船の補償を要求,また釜石での東北6県市長会議でも米国と国連への二つの要望決議をしている。
関東地方=東京都議会は3月30日の本会議で「原爆被害による不安除去にかんする意見書」を議,ほかに茨城,神奈川両県会,三崎町会と三崎町民大会。
中部地方=焼津,伊東両市会のほか,静岡、石川,岐阜,愛知の各県会。
近畿地方=3月29日の奈良市会をトップに京都.芦屋,田辺,新宮,彦根,舞鶴の各市会。
中・四国地方=4月初旬の岡山県会を皮切りに,高知など四国4県をはじめ.鳥取でも決議,25日には広島市議会が市民大会の要望に基づいて「原・水爆禁止」、「原爆障害者治療全額国庫負担」の決議を可決した。5月19日香川県庁で開かれた第2回四国地方行政連絡会議でも補償措置を中央に要望,また四国市議会,議長会は全国の自治機関に呼びかける「国民運動」の展開を申合せた。
九州地方=福岡県会と枕崎市会(鹿児島県)禁止決議している。

こうした動きは,議会のみでなく,次表のように,さまざまな分野の団体にもみられた。

決議(声明・宣言などを含む)を発表した団体・集会
(1954年3月~5月)
出典:『ビキニ水爆被災資料集』504-505頁,その他

月日 発表主体
3.19 自由人権協会
3.25 全日本海員組合
4. 2 買出人水爆対策市場大会
4. 3 婦人月間中央集会
4.15 日本私鉄労働組合総連合会
4.16 第1回全国教戒師大会
4.23 日本学術会議第17回総会
4.25 日本ユネスコ連盟第3回総会
4.25 新日本文学会中央委員会
4.27 全農林省労働組合第4回全国大会
4.28 日本赤十字社
4.30 日本社会学会・民主主義科学者協会法律政治部会
4.30 日本地質学会
5. 1 第29回中央統一メーデー
5. 1 生物進化研究会
5. 3 日本哲学学会第7回総会
5. 8 日本科学史学会1954年度総会
5.10 日本基督教団
5.12 国際民主法律家協会日本支部準備会
5.14 日本青年団協議会
5.15 日本政治学会
5.16 第2回PTA全国大会
5.20 日本気象学会
5.25 日本医師会代議員会
5.28 第7回全国図書館大会
5.29 日本弁護士連合会定期総会
5.30 日本民主主義科学者協会第9回全国大会
5. 日本文学協会第9回大会
5. 日本放射線学会

 

地域レベルでは,無数の決議が存在したであろう。広島では,広島市文化団体連絡協議会準備金(3月27日)(9)、広島県教組第11回定期大会(3月31日),世界平和者日本会議広島大会(4月12日),原爆水爆禁止広島市民大会(5月15日),全造船労組第15回定期大会(5月日)などを確認できる(10)。

決議の内容は,議会.諸団体を通じて,そのほとんどが,ビキニ被災のみでなく,広島・長崎の原爆被害に言及し,それを決議発表の動機もしくは根拠としている。国会の決議では,文面には現われていないか,衆参の提案の趣旨弁明,討論の中で,すべての発言者が取った立場であった(11)。たとえば,衆議院の決議案の趣旨弁明に立った須磨禰吉郎(改進党)は,つぎのように述べている(13)。

「わが日本は,人類多き中に,初めて原子兵器の犠牲となり,しかも二度ならず三度までも惨害を受けたのでございますから,ここに世界に対し,人類を代表して,かくのごとき惨禍の一日もすみやかに絶滅せられるよう,実効ある方法を立て,人類を破壊から救うことを提唱する上におきましても,最も崇高なる権利と,そしてまた最大の発言力とを有するものと信ずるのでございます。」
また,この決議案の賛成討論に立った自由党の佐藤虎次郎は,「日本の国会にこそ,この決議を提唱する権利と義務がある」とまで述べている(13)。

このようにビキニ水爆被災事件が広島・長崎の体験と当初から結びついていることは,広島・長崎の原爆被害が,この時期にすでに国民的な体験として,一定程度定着していたことを示すものといえよう。そして,この国民的な「被爆体験」こそは,ビキニ水爆被災事件以降の日本の原水禁運動が、単に水爆実験反対に止まらないい展開をとげ、また持続した根拠をなすものであったと思われる(14)。

なお,決議について.もう一つ注目されることは,4月23日の日本学術会23回総会や6月25日の江東区議会などのように,その声明・決議の中で,国会決議に言及しているものが存在することである(15)。

このことは,国会決議が,県・市町村議会,諸団体の決議を誘引する一つの要因であったことを示すものである。なお,日本哲学学会の決議(16)は,日本学術会議の声明に対する支持決議であるが,ビキニ水爆被災事件を契機とする原水爆禁止決議には,自然発生性のみでなくこうした「上から」の要因も存在していたのである。

1)労働省編『資料労働運動典昭和29年』1311頁(労務行政研究所、1955年)。なお世田谷区の共産党組織は.党の指示より前に,[日本人はモルモットではない」という怒りのピラの配布や原水爆禁止の署名運動などの行動に立ち上がっている(東京都西部地区委員会「原・水爆禁止運動の経験と教訓」,『前衛』1954年9月号所収)。
2)「社会タイムス」1954年3月23日。
3)「毎日新聞」1954年3月26日。
4)「朝日新聞」(夕刊)1954年3月26日。
5)「第19回国会衆議院会議録」第32号,1954年4月1日。
6)「第19回国会参議院会議録」第29号,1954年4月5日。
7)佐藤虎次郎「原子力の国際管理を主張する-原子力の国際管理に関する衆議院決議の意義-」(『政策』,1954年5月号,11-12頁)。
8)「中国新聞」1954年5月27日。なお,こうした地方議会における原水爆禁止決議は.10月22日の長崎県議会を最後に46都道府県議会全部が揃い,市町村においても10月26日現在で169市92町村に及んだ。労働省編,前掲書,1314頁。
9)「広島文学』1954年9月号,77頁。
10)「中国新聞」報道による。
11)5)・6)に同じ。
12)5)に同じ。
13)5)に同じ。
14)ここで筆者の言う「被爆体験」については,前掲拙稿を参照。
15)前掲『ピキ二水爆被災資料集』491頁,502頁。
16)『思想』1954年8月号。

 

 

内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ

内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ

事項
1955 鳩山一郎首相の広島・長崎訪問
1960 9月11日 池田勇人首相、首相就任後初のお国入り。広島市の原爆慰霊碑を参拝、広島原爆病院を慰問。
1971 佐藤栄作首相の広島市平和式典参列
1974 6月 田中角栄首相の長崎平和祈念像(4日)と広島原爆慰霊碑への参拝(8日)
1976 三木武夫首相の広島市・長崎市平和式典参列
1977 福田赳夫首相の広島(8月22日)・長崎(9月18日)訪問
1981 鈴木善幸首相の広島市平和式典参列
1982 鈴木善幸首相の長崎市平和式典参列
1983 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1984 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列
1985 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1986 7月1日 中曽根康弘首相の広島訪問、原爆慰霊碑参拝
1986 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列
1987 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1989 宇野宗佑首相の広島市平和式典参列
1990 海部俊樹首相の広島市・長崎市平和式典参列
1991 海部俊樹首相の広島市平和式典参列
1992 宮沢喜一首相の長崎市平和式典参列
1993
1994 村山富市首相の広島市平和式典参列
1995 村山富市首相の広島市・長崎市平和式典参列
1996 橋本龍太郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
1997 橋本龍太郎首相の広島市平和式典参列
1998 小渕恵三首相の広島市・長崎市平和式典参列
1999 小渕恵三首相の広島市平和式典参列
2000 森喜朗首相の広島市・長崎市平和式典参列
2001 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
<2002~2006>小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2007 安倍晋三首相の広島市・長崎市平和式典参列
2008  福田康夫
 2009  麻生太郎
2010  菅直人
 2011  菅直人
2012  野田佳彦
 2013  安倍晋三
 <2014~2020>安倍晋三

平和記念式典後の総理記者会見20010806

小泉内閣総理大臣記者会見録
(広島市)
平成13年8月6日(月)
【司会】それでは、ただいまから小泉内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。
初めに、広島市政記者クラブから代表質問をお願いいたします。

【質問】 第1点目ですが、在外被爆者の支援問題についてお尋ねします。
大阪地裁は6月1日、在外被爆者にも、被爆者援護法の適用を認める判決を出しました。国外に出ると援護法の適用が認められない現状に、在外被爆者の不満は強く、国内でも支援の動きが強まっています。
判決後、厚生労働省も援護法見直しの検討会を設置しましたが、総理として、在外被爆者支援の在り方をどのように考えておられますか、お聞かせください。

【小泉総理】今日は坂口大臣もお見えになっておられますが、この在外被爆者の問題については、保健・医療等、どういう辺の措置ができるかというのを検討会を設けまして、年内に一定の結論を出していただこうかなということで今、検討を進めていると思います。その検討結果を待って、しかるべき援護措置を講じたいと思っております。

【質問】2点目をお伺いします。
国が平和記念公園内に建設中の原爆死没者追悼平和記念館の展示説明文を巡って、被爆者団体は国策の誤りが戦争につながったという文言を盛り込むように強く求めています。総理はこの問題をどう解決しようと考えていらっしゃいますか。

【小泉総理】 各方面の御意見を伺って、碑文ですから、どういう表現がいいか、それぞれ専門家の意見を伺って妥当なものにしていけばいいのではないか思っております。

【質問】地元からは最後の質問になります。
米国のブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約の死文化を目指して、議会に批准を求めない姿勢を見せたり、ミサイル防衛システムの早期配備に意欲を示したりして、核軍縮の動きを逆行させていると被爆者から懸念の声が出ています。
総理は核軍縮を前進させるため、どのような対応を取られるつもりでしょうか。

【小泉総理】アメリカはアメリカの事情もありますし、確か、上院で一度否決されているんじゃないですか。そういうことも伺っております。日本としては、唯一の被爆国として今後も核軍縮に向けて国際社会の場でも今までの歩んできた道を振り返りながら、今後も核廃絶に向かって一歩一歩地道な努力を続けていきたい。また、それぞれの場を生かして、積極的な核廃絶に向かっての努力を世界にも理解してもらえるような努力を続けていきたいと思っております。

【司会】引き続きまして、内閣記者会から代表質問をお願いいたします。

【質問】まず、初めに靖国神社の参拝について、改めて伺います。
総理は8月15日の靖国神社参拝をこれまで繰り返し表明されてきましたけれども、今現在もその気持ちにお変わりはないでしょうか。
また、参拝する場合には、公式参拝という認識かどうか。どのように記帳なさるか。参拝の形式は神道形式にするのかしないのか。公用車を使用し、秘書官を同行させるか。以上の点について、それぞれ御見解をお述べください。

【小泉総理】相変わらずの御質問で、相変わらずの答弁で申し訳ないんですが、虚心坦懐に各方面からの御意見を伺っているところでございます。それぞれ傾聴に値すべきいい御意見だと、お聞きしながら感じております。私自身のことを心配してくださる方、また、日本国家の利益とは何ぞやという観点から、いろいろ御助言くださる方、また、近隣諸国の友好関係を増進していくという外交的見地から、忠告やら御提言をいただく方々、それぞれ本当に親身になって御心配していただく方々の御意見に対しまして、本当にありがたいと思っております。
私自身はそういう御意見をいろいろ今伺っている最中でございまして、まさに賛否両論ありますが、虚心坦懐、熟慮している最中でございますので、いずれ結論を出さなきゃならない問題でございますが、もう少し時間をいただきたいと思います。まさに今、熟慮している最中でございます。

【質問】続いての質問に移ります。来年度予算の概算要求基準の問題なんですけれども、経済財政諮問会議で従来の歳出から5兆円を削減をして、重点7分野に2兆円を配分する方針が確認されました。塩川財務大臣は、公共事業の10%削減などにも言及されていますが、総理御自身は公共事業やODA、防衛費などをどの程度削減するイメージを持っていらっしゃるのでしょうか。
それから、これまで重点化枠と称して与党に配分を任せる方法も取られてきましたけれども、この点などについて与党とどのように調整されるお考えでしょうか。

【小泉総理】

【質問】続きまして、最後の質問ですけれども、今年度予算の補正予算の問題です。経済指標の低迷から、景気の先行きに対する不安が高まり、与党内からも景気対策のための補正予算を望む声が出ています。現時点での総理の補正予算についての考えをお聞かせください。
それから、景気対策の策定の判断基準についてもお聞かせください。

【小泉総理】

平和記念式典後の総理記者会見20000806

森内閣総理大臣記者会見録
(広島市)
平成12年8月6日(日)
【司会】それでは、ただいまから森内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。

【質問】まず、1つ目の質問ですけれども、森総理の「神の国発言」に対して、被爆者団体の中からは不快感を示す声が上がりました。「森総理は広島に来て欲しくない」という声も上がりました。今日のこれから開かれる被爆者の「要望を聞く会」では、代表の出席を取りやめるということでボイコットの意思を示した団体もあります。こういう反応をどのように感じておられるか。まず最初にお聞かせください。

【森総理】私の発言が十分意を尽くさない表現で、多くの方々に誤解を与えたことにつきましては、その後、いろんな機会におきまして、その真意を御説明を申し上げてきております。私の発言が原因で、本日の一部代表の方が御参加いただけなかったことは、大変残念なことだと思っております。
私は、過去の歴史に学び、反省すべきことは反省し、未来に向かっていくことが必要であると考えております。
本日、広島を訪れ、再びこのような悲劇が繰り返されるようなことがあってはならないという思いを新たにいたしております。その意味で、私にとっても今日の会合は大事な機会でありまして、出席された方々のお話は十分真摯にお承りをして対応してまいりたいと、こう考えております。

【質問】それでは、2つ目の質問ですが、今年5月にニューヨークで開かれたNPTの再検討会議の最終文書で、「核兵器廃絶に向けた明確な約束」という文言が盛り込まれました。これまでの「究極的目標」という表現との違いはどこにあって、今後の核兵器廃絶への取り組みをどのように促していかれるのか。また、具体的な日本の役割は何だと思われるか、お聞かせください。

【森総理】我が国は、94年に初めて究極的核廃絶決議を国連総会に提出をいたしましたが、このことは、核兵器国に最終的には核兵器のない世界を目指すという目標を認めさせた点では画期的なものであったと思います。
先般の核兵器不拡散条約運用検討会議にて採択されました最終文書では、5核兵器国が「究極的」という文言を削除をいたしまして、「核兵器廃絶に向けた明確な約束」という文言を認めたわけでありまして、このことは核廃絶をより現実的な課題として認めたということになるわけでありまして、核廃絶へ向けてさらなる前進であったと、このように考えております。
それから、先般の九州・沖縄サミットにおきましては、議長国として核兵器不拡散条約運用検討会議の成果に基づいて、核軍縮・不拡散に向け一層努力していくということで、G8の合意を達成をいたしました。改めて沖縄から世界に向けて平和へのメッセージを発出することができたと、このように感じております。
我が国は唯一の被爆国といたしまして、今後とも核軍縮推進の先導役を果たす考えでありまして、今後は運用検討会議で合意された核軍縮に関する現実的措置の実施を確保するために、外交努力を一層強化していきたいと考えております。
その一環といたしまして、この秋行われます国連総会にも新たな核廃絶決議案を提出したいと考えております。

【質問】それでは、最後3つ目の質問ですが、日本国内、そして朝鮮半島など海外には今も多くの被爆者の方が、今も続く被害と闘っています。今後、日本の被爆者、それから海外の被爆者、それぞれどのような援護対策を講じるべきだと思われておられますか。

【森総理】多くの被爆者の方が、今もなお国の内外において後遺症等で苦しんでおられることは誠にお気の毒に思っております。今日、平和記念式典に参列させていただきますこの機会に、原爆養護ホームの「倉掛のぞみ園」を慰問させていただきまして、あのような惨禍が2度と繰り返されることがないよう、また、被爆者の方々が安心して暮らしていくことができるように努力していくことが私の責務であるという思いを新たにいたしました。被爆者の方々の援護に関しましては、被爆者援護法に基づく各種援護施策が講じられているところでございますが、これからお伺いする御要望も真摯に受け止めて、被爆者の方々の実情を十分に酌み取りながら、被爆者援護法に基づく援護施策の着実な実施に努めてまいる、そのような所存であります。
なお、朝鮮半島を始めとする在外被爆者の方への援護に関してでありますが、被爆者援護法は、法制定当時の経緯やその給付が保険料等の拠出を要件とせず公的財源により賄われているものであることなどから、国内に居住又は滞在している方のみを対象としております。
しかしながら、この法律では国籍要件を設けていないことから、在外被爆者の方でありましても、日本においでになられた場合には、国籍を問わず、その間、被爆者援護法に基づく医療の給付等が可能になっておりまして、政府としては、対象となる方々が訪日される場合には、きちんと誠意を持って対応し、被爆者援護法に基づく医療の給付等の援護を行う考えでございます。
また、韓国、北米、南米の海外の被爆者に対しましては、これまでも医療支援、健康診断事業といった措置を実施してきております。
また、北朝鮮につきましては、本年2月から3月にかけて、朝鮮被爆者実務代表団が訪日し、日朝双方関係者の意見交換が行われたと承知をいたしております。
今後ともかかる交流を通じまして、相互の認識が深められることを期待いたしておりますとともに、政府としても、在北朝鮮被曝者の実態に応じて、医療上の人道支援を含め、どのような援助が可能であるかを検討していきたいとこのように考えております。

【質問】総理は衆議院予算委員会で、靖国神社の参拝について、「国民や遺族の思い、近隣諸国の感情を考慮し、慎重に、自主的に判断したい」と答弁されましたが、公式参拝について最終的にどう判断されますか。日をずらしての私的参拝といった可能性も含めてお答えください。
また、靖国神社を巡りましては、野中幹事長が官房長官時代にA級戦犯の分祀と特殊法人化を提唱しましたが、この考えについてはどう思われますか。

【森総理】常に申し上げておりますとおり、私自身、戦没者に対する追悼の気持ちは誰にも増して強く、また、今日の我が国の平和と繁栄が、戦没者の方々の尊い犠牲の上にあると考えておりますことには、変わりはございません。
今年の8月15日につきましては、諸般の事情を総合的に考慮した結果、先に国会でも申し上げておりますように、私自身が、自主的に、また慎重にいろいろ判断をいたしまして、公式参拝することは控えたいと考えております。
なお、今お尋ねの私的参拝についてということでございますが、これはまだその時期に至っているわけでもございませんし、これも国会で申し上げておりますように、私個人の心の問題でございますから、慎重、かつ自主的に判断をしたいとこのように考えております。
それから、分祀の問題、あるいは特殊法人化の問題でありますが、これはもう我が党でも20年以上、この靖国問題を議論している中ではいつもこの問題が出ているわけでございまして、私自身も、まだ若いころにも、この点につきましても、議論を重ねてまいりました。靖国神社は宗教法人でありますから、憲法の保障する信教の自由に基づいて検討されるべきものと考えております。この時点で、政府として見解を申し上げる事項ではないと考えております。

【質問】総理は先の臨時閣議で公共事業の大幅な見直しの方針を示されています。これはどういったことを念頭に置いておられるのか。具体的にお答えいただければと思います。
その中でも象徴的な存在となっています吉野川の可動堰、あと中海の干拓事業については、どのように対処されようと考えていらっしゃいますでしょうか。

【森総理】

【質問】最後の質問になりますが、あっせん利得罪について、国会議員だけではなく、秘書や地方議員も含める案がありますけれども、総理は適用範囲、法制化の時期についてどう考えておられますか。

【森総理】

平和記念式典後の総理記者会見19990806

小渕内閣総理大臣記者会見録
広島市
平成11年8月6日

【司会】それでは、ただいまから小渕内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。

【質問】3点ほど質問させてもらいます。
まず第1点目は、広島平和研究所などの主催でとりまとめられた「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」の報告書が7月26日に総理に提出されました。毎年の平和宣言で核の傘からの脱却を求めている被爆地、広島と長崎の訴えを踏まえて、小渕総理は、今後、東京フォーラムの報告書を被爆国日本の外交に具体的にどのように生かしていくのか、お考えがあればお聞かせください。

【小渕総理】まず皆様御苦労様です。ただいまのお尋ねに対してでございますけれども、この東京フォーラムは昨年のインド、パキスタンの核実験を受けまして、私自身が提案をして開催をされたという経緯がございます。核不拡散、核軍縮の道筋を示すものとして大変有意義な提言が作成されたと考えております。今後、世界各国の政治指導者や核政策の立案を担当しております政府当局者、学術関係者等の目に広く触れられるように、広報に最大限努めていきたいと思っております。
特に、政府としては、国連に対し、国連の正式文書として是非加盟国に配布するように要請をいたしてまいりたいというふうに思っております。政府といたしましては、報告書を踏まえ、核拡散を防止、核兵器のない世界を実現するため努力していく考えであります。特に、米露を始めとする核兵器国に対し、核軍縮努力を求めるほか、包括的核実験禁止条約の早期発効などのための外交努力を推進していきたいと思っております。
一部、理想に向かってまだ足りないのではないかというような意見も聞こえないではありませんけれども、私はこのフォーラムに参加した方々が本当に熱心にお取り組みいただきまして、現実的に米露の核兵器を千発に、まずまずそういう目標を設定して、着実に続けていきたいという熱意の下に、広島平和研、日本国際問題研究所、こういうところで代表してやっていただきました。若干、各国の代表者の中にも意見を異にする向きもありまして、とりまとめに非常に苦労されたという経過を先般、官邸にこの報告書を持参されたときに承りました。改めて、いろいろ各国代表の中に意見の差異がありましても、とりまとめていただきました座長の松永、明石両氏を始めとして、本当に御苦労だったと思っております。是非、申し上げましたように、まず、こうした日本の提案でフォーラムが開催され、報告書が出されましたので、これを国連という場において各国にこれを提起いたして、我が国の意思というものもその中に盛り込ませていただいて、着実にひとつ一歩一歩前進できるように、そういう運びにさせていただきたいと考えております。

【質問】それでは、2点目なんですが、来年の介護保険制度、4月から導入されるんですが、その介護保険制度の導入で、被爆者や広島市、長崎市が不利益を被ることがないかどうか。また、介護保険に関連して、被爆者や広島市、長崎市に特別な措置を考えておられるかどうか、お聞かせください。

【小渕総理】介護保険につきましては、申すまでもありませんけれども、高齢者の介護を社会全体で支える制度として、利用者の選択により、保健、福祉、医療のサービスを総合的に提供することを目指すものでありまして、平成12年4月からの実施に向けて引き続き万全を期してまいりたいと考えておりますし、特に、地方自治体、市町村の大変な御苦労によりまして、この目標のとおりに実施をしていける環境づくりに御苦労いただいていることについては、政府としても心から敬意と感謝をし、その努力が実り得るものとなっていかなければならないと思っております。
ドイツで介護保険をやりましてから5年でございまして、まだドイツにおきましてもいろいろな問題を抱えているということでありますが、そういった問題については、厚生省を中心にいたしまして、先進国の在り方というものに十分目配りをしながら、我が国として万遺漏なきを期して、現在最後の段階に来たと考えております。そういう意味で、改めて御苦労いただいている市町村の御協力を得ながら、円滑に実施のできるように政府としては支援をしてまいりたいと思っております。
そこで、お尋ねの趣旨は、介護保険制度が実施された場合における被爆者に対する援護措置に関してということでありまして、これは広島市、長崎市、こういう関係市がございます。そうしたところの御要望を受けまして、現在行われております被爆者への援護措置よりも、特に不利な取り扱いにならないように、このことを基本に配慮していきたいというふうに考えております。

【質問】韓国に住む被爆者への原爆被害者福祉基金が近い将来枯渇しそうな状況です。また、外務省では、旧ソ連の核実験場の後遺症に苦しむカザフスタン共和国のセミパラチンスクの住民を支援するために調査団を派遣しました。こうした状況を踏まえて、国として海外に住む被爆者や核実験の被害者などに対する支援を今後どのように展開していくのか、また、支援の対象を更に広げる方針はないのかをお聞かせください。

【小渕総理】まず、世界のさまざまな地域に在住されている方の中で、広島、長崎の原爆や、外国の核実験によって被爆されまして、今なお後遺症等に苦しんでおられる方々がおられることは誠にお気の毒に感じております。
今、お話しのありました在韓被爆者の方々に対しては、平成3年度及び4年度におきまして、人道的観点から我が国政府は大韓赤十字社に対し、計40億円の拠出を行っているところであり、我が国政府としては拠出金の使用に関するガイドラインに従って、適正な運用が大韓赤十字社によって確保されるよう見守ってまいりたいと考えております。
なお、広島、長崎の原爆によって被爆され、現在、国外に在住している方々につきましては、被爆者援護法の対象になっておりませんが、この法律は、国籍要件を設けておりませんので、訪日される場合には、きちんと誠意をもって対応し、被爆者援護法に基づき、医療の給付等の援護をする考えでございます。
本件、特に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に在住する被爆者の問題は、たしか昨年に、これから行われるでありましょう代表者の皆さんの話し合いの中にも出てきておりまして、たしかあのとき私も、もし、日本に参られて、病院その他でいろいろな検査をしたり、あるいはそれに対しての手当てをするということがあれば、積極的に政府としてはお手伝いをさせていただくというメッセージを発しているところでありますが、残念ながら、現時点において、北朝鮮側から、そうした個別の案件についての御要望は参っていないと思いますが、気持ちとしては、昨年と同じような気持ちで対応していきたいというふうに思っております。
それから、直接、広島、長崎に関係をするわけではありませんけれども、世界の原水爆実験に関連いたしまして、被爆者というものが出ているのではないか、特に、セミパラチンスクの被爆者支援につきましては、今日の新聞を拝見しますと、平岡前市長も、広島・セミパラチンスク・プロジェクトということで、市民団体の名誉会長としてこの問題にお取り組みされておるやに今朝の新聞で拝見しましたが、政府としても、国連の要請も受けまして、本年の9月のセミパラチンスク支援国際会議を東京で開催するほか、具体的案件の形成を行うため、調査団を本年6月に現地に派遣したり、対カザフスタン核兵器廃棄支援の枠内にて、セミパラチンスクに対し医療機材、医薬品、及び遠隔医療診断システム等の供与を行っているところでございます。このような外国の核実験によって被爆された方々についての支援につきましては、当該国の努力を支援するという観点から、今後各国より要請がありますれば、そのニーズ等も踏まえつつ、いかなる支援が可能か検討してまいりたいと思っております。
本件は、いわゆる核実験による被爆者に対する援助活動の問題でありますが、その他、原発によっての被爆問題につきましても、政府としてはいろいろな形で今協力させていただき、その根底とするところはやはり広島と長崎で、こうした原爆の被害によって被爆された方々が今なお後遺症に悩んでおられるという、世界で初めての大変不幸な経験をしたということに鑑みまして、それに対しての医療機関あるいは施療の在り方等につきましては、今までそれぞれ広島、長崎を中心にして、御苦労されてきたことを広く、ある意味の責任として世界のこうした方々に対してお役に立てればという気持ちでまいりたいと思っております。
このセミパラチンスクにつきましては、実は私が外務大臣になる前に、現地、といいますか、実験場ではありませんけれども、カザフスタンに行きましたときに強く要望されまして、一緒に参りましたのが中山太郎先生、医学博士でございまして、その先生を中心に取り組んできて、ようやくこれがある意味では実りつつあるということでございまして、そうした意味での責任が果たし得る体制になったことは、私なりにうれしく思っているところでございます。
以上です。

【質問】自由党の小沢党首が強く求めている自自合意の履行についてお伺いいたします。
この問題について自民党総裁として具体的にどのように取り組むお考えでしょうか。とりわけ、衆院比例代表定数を50削減するとした公職選挙法改正案の取り扱いや、介護保険の税法式化などについてどのように対応されるのか、党首会談を開くお考えがあるかどうかを含めてお答えいただければ幸いです。

【小渕総理】

【質問】次ですが、自民党の総裁選についてお伺いいたします。
総理は、再出馬について、いつ判断を明らかにされるのでしょうか。また、次期自民党総裁はどのような政策課題に重点的に取り組むべきとお考えでしょうか。

【小渕総理】
【質問】最後になりますけれども、北朝鮮のミサイル発射問題についてお伺いいたします。
ミサイル再発射の可能性について、政府として現時点でどのような情報を得られているのでしょうか。また、再発射があった場合、日本政府としてどのような対応策をとられるお考えでしょうか。

【小渕総理】本件につきましては、政府としては北朝鮮のミサイル関連の動向につきましては関係諸国と密接に連絡をとりつつ、細心の注意を払って情報の収集・分析に努めておりますが、現時点の情報を総合いたしますと、北朝鮮によるミサイルの再発射が差し迫っているとは判断しておりません。
北朝鮮によるミサイルの再発射がある場合、我が国の安全や北東アジア地域の平和と安定に深刻な影響を与え、我が国を含む関係諸国と北朝鮮との関係に重大な影響を及ぼすこととなることは必定であります。そして、このことは北朝鮮にとっても決して利益にならないものと考えられます。我が国政府としては、まずそのような事態を回避すべく、米韓と連携しつつ、北朝鮮のミサイル再発射の抑止のために最大限の努力を行っていくことが肝要であると考えております。
なお、ミサイル再発射の場合に我が国がとる対応措置につきましては、ミサイル再発射が我が国のみならず米国及び韓国との間におきましても深刻な影響をもたらすものであり、米韓と連携しつつ対応することになりますが、現時点におきましてはそれ以上具体的なことを申し上げることは差し控えたいと思っておりますが、これまた過去のことになりますが、私もケルンサミットにおきましてもこの問題を取り上げさせていただきました。アジアから出席をする国として我が国でございますので、この北東アジアの平和と安定という問題につきましては広く全世界的にもこの問題に注視してもらいたいということで発言を申し上げ、そしてこれはコミュニケの中にも発表させていただいているわけであります。
なお、現在ジュネーブにおきまして4か国における話し合いが進められております。この点についても、私はかねて外務大臣の時代から、4か国だけでなくてロシアあるいは日本を入れた6か国でこの地域の安全保障の問題について話し合うべきではないかと御提案を申し上げておりますが、残念ながら各国すべての了解を得られておりませんので4か国で話し合いを進めるという過程になっておりますが、我が国の安全保障にとりましても最大の関心事でございますので、細心の留意を払いつつ、その実験を行うことによってこの地域の不安が増すということのないように、またそのことは同時に先ほど申し上げましたように、これから日本がKEDOを含めまして北朝鮮の原子力発電所に対して、国民の皆さんの御理解を得ながら10億ドルというものを拠出をしようということであります。そういう日本側の態度に対して逆なでと言っては何ですが、日本人の気持ちにそぐわないような行動は是非避けてもらいたい。このことはひとり日本だけでなくて、アジア全体についてそのミサイルの攻撃機能の拡散を防ぐという意味での極めて重要なことだと認識をいたしております。
回答は冒頭申し上げましたように、現時点におきましては今その兆候というものは当面見られないと思いますが、改めて北朝鮮側の自制を期待しておるということでございます。

 

平和記念式典後の総理記者会見19980806

小渕内閣総理大臣記者会見録
広島市
平成10年8月6日(木)
【司会】 それでは、ただいまから小渕内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。

【質問】 早速ですけれども、国が広島市に計画している原爆死没者追悼平和祈念館建設についてお伺いしたいと思います。今年3月に衆議院の厚生委員会で小泉前厚生大臣が建設計画の見直しともとれる発言をなさいました。総理の方針を確認させていただきたいと思います。併わせて、予定どおりもし建設推進ならば今後の建設スケジュールと建設理念もお聞かせください。お願いいたします。

【小渕総理大臣】 まず、皆さん御苦労様でございます。若干、遅参をいたしましてお許しいただきたいと思います。

まず、ただいまのお尋ねでございますが、原爆死没者追悼平和祈念館につきましては被爆者援護法や同法制時の衆議院厚生委員会の附帯決議におきまして早期に設置を図るべきものとされておりまして、これを受けまして検討会を設けておりまして、開設準備のための検討を鋭意進めていると聞いております。この祈念館につきましては、国が原爆死没者の犠牲を明記し、かつ恒久の平和を祈念するための施設を設置することに意義があると考えております。

また、検討会におきましてはこの既存の施設と重複しない形での整理も可能との検討が進められておりまして、9月にも報告をまとめられるものと聞いております。その報告を受けまして、建設に向けて具体的な作業に入ってまいりたいと考えておりますが、私といたしましてもせっかく今、申し上げましたように国会の決議にも委員会の決議にもございますので、既存のこの施設との関係も十分検討していただきまして、ともにこの死没者のための慰霊も含めまして意義あるものが建設されることになれば望ましいと思っておりますが、いずれにしても検討会で進めておることでございますので、これ以上申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、気持ちとしてはそこにあると御理解いただきたいと思います。

【質問】 分かりました。続いて、臨界前核実験について広島では以前からCTBTの精神に反すると明確に抗議しています。それで今後なんですが、アメリカを始め核保有国各国の核軍縮と、このほど核実験を強行したインド、パキスタン、両国間の関係改善について総理はどうイニシアチブをとるおつもりなのか、お聞かせください。

【小渕総理大臣】 我が国は従来より核保有国に対し一層の核軍縮を推進することを求めてきておるところでございまして、今後とも米露両国に対して第二次戦略兵器削減条約、いわゆるSTARTⅡが今ロシアにおきまして、国会で批准が非常に停滞しておるということでございますので、私もプリマコフ外務大臣と会う度にこのことを申し上げてきておりますが、Ⅱが終わったらⅢの問題もあるわけですから、早期にこれが交渉開始を粘り強く米露、すなわち5大国において最も核保有国、この2つの国が徹底的に核を削減しなければ究極の核はなくなるという方向にならないわけですから、それを現実の問題としては是非両国に強く求めていきたいというふうに思っております。米露以外の核兵器保有国に対しましても、現在の核軍縮努力を一層強化していくように求めていくところでございます。

なお、未臨界高性能爆薬実験、包括的核実験禁止条約、CTBTにおきまして禁止されていないというのが国際的な認識であると考えておりまして、現時点では有効な検証手段が存在しない等の事情もあり、将来の課題として検討されるべきものと考えております。

いずれにいたしましても外務大臣時代、いわゆる印パの核実験に対して、日本政府は唯一の被爆国としての立場から両国に強くその中止を求めてきたところでありますが、残念ながらこれを強行してしまったということでありまして、その後ジュネーブの軍縮会議でもありましたし、G5での会合もありました。その後G8、ロンドンでの会議に私自身も出席をしまして強く求めましたが、私としてはいわゆるG8の中には核保有国があるわけでありまして、それと同時に核を保有をすればできたと思われる国、あるいはその開発を途中で中止した国について、その連携をできる限りとりたいと私が念願をしまして、G8につきましてもそうした国々の御参加を実は求めて会議が開かれたわけでございます。

その後、私もその国の一か国と思われるブラジルにこの間、日本の移民90周年に行った折にカルドール大統領に強くこのことを申し上げまして、できればアルゼンチン、それから今、言ったブラジル、南ア等々の国と連携を密にしていきたいというふうに考えておりますが、今日の新聞によればでございますけれども、あの永世中立国たるスイスにおきましても、核保有のための検討がなされておったやに聞いておりますが、これはもう中止されたと、正確な報道でないから私も承知しませんが、こういう国々と連携をとりながら現実に保有する5か国プラス2か国に対して、きちんとこれから核保有について人類のために少なくしていく努力を、確実になるように、日本の立場をより主張していきたいというふうに考えております。

【質問】 分かりました。続きまして、今日の式典のあいさつでも少し触れられたかと思うんですが、国際フォーラムの時期と内容、あとは出席候補者について構想を伺わせていただきたいと思います。 合わせて、2000年に日本で予定されておりますサミットの誘致について、広島も立候補しておるんですが、各地で地元を挙げた運動が始まっております。開催地選考についてのお考えを伺わせてください。

【小渕総理大臣】 インド、パキスタンの核実験を受けまして不拡散体制を堅持強化し、世界的な核軍縮を一層促進することについて検討を行うために日本国際問題研究所及び広島平和研究所の共催によりまして核不拡散、核軍縮に関する緊急行動会議を開催することとし、現在8月30日、31日に第1回の会合を東京で行うべく準備中でございます。内外の著名な有識者20名程度の参加を得て、この1年間に4回程度の会合を行いまして、国際社会の提言をまとめることを目的といたしておりますが、こうした類似ではありませんがいろいろな目的を持っての会合は豪州等で開かれた経緯もあります。

それで、このフォーラムにつきましては私がG8のときに我が国の主張ということで、こうした行動会議を開きたいという提案をいたしましたところ、参加国がこぞって賛同の意を表したわけでございます。そういった意味では、日本のイニチアチブの一つだというふうに私は認識をしておりますし、こうした地道ではありますけれども行動会議を通じて世界の有識者の皆さんに核廃絶、核軍縮に向けて、こうした努力の積み上げということは非常に地味でありますが効果を発揮するものだというふうに考えておりますし、今、申し上げましたように広島に平和研究所が設立をされました。長い間、私も国連と日本政府という立場でありますけれども、同一の考えを持ちまして行動してきた明石さんが所長に就任をされたということを大変心強く実は思っておるわけでございまして、是非この行動会議が意義ある会議として今後継続をしていっていただきたいと思っております。

時期によりましては、また当広島においての開催等も念頭に置いてしかるべきではないかと私自身は考えております。

それから、第2点の2000年のサミット、これにつきましては一時ロシアがこの年にサミットを開催したいという希望が申し述べられておりまして、実は今年のサミットにおきましてロシア側からそういう御希望が我が国にも伝えられておるところでございますが、いずれにしてもこれは開催国のイギリスがお預かりしておりまして、現時点においては恐らくこのサミットの開催地の変更ということはあり得ないのではないか。日本側としては、もしその他のサミット国が御賛成されれば、日本としては新しく加盟したロシアのお立場というものも決してないがしろにするつもりはないと思っておりましたが、ほかの国々も順序を変えることは望ましくないのではないかという考え方に傾いておるということでございますので、最終的にはイギリスのクック外相にお話申し上げておりますが、対応としてはそういう形であれば2000年には我が国ということになると思います。

そこで、その開催地につきましてですが、私は国会でも申し上げているように、過去3回実は東京で開いております。それで、それぞれのサミット国も実は3回同一でやったところはありますけれども、4回目からはその他の地区に移っているんです。それで、日本はもちろん首都東京が最も便利と言えば便利なのかもしれませんが、この機会に日本全国各地区で御希望があり、また国民の皆さんもそうした形を望まれると言うのであれば、いわゆる地方で開催することも望ましいと私は国会でも答弁しております。

でありますが、しからばいかなる地域かということでございますが、広島も希望されておると聞いておりますが、ほかの地区も熱心に熱心に希望しておりますので、今の段階ではいずれとも判断しておりませんが、あらゆる条件ができる限り整っておる地域に最終的には決定をしていくと思っておりますが、これまた御案内かと思いますけれども、従来のサミット、首脳会談と、その前に開かれる外相、大蔵大臣の会合がロンドンから実は2段構えになっております。したがって、2000年の東京におきましてはどのような方式になるか、これも一つの大きなポイントだろうと思っております。99年のドイツにおきまして、従来のような形で同一の地域において2つの会合が行われるか、今年開かれたようにロンドンで外相、蔵相会議をして、その後、首脳会談は静かなるバーミンガムで開くという初めてのケースもございますので、そうしたことを勘案いたしまして、我が国におきましても1か所で行い得るのか、あるいはそうした時間差を置いての会合になるか。これまたこれからの判断があるかと思いますが、現時点におきましてはいずれとも決定をしておらないということでございます。

【質問】 まず最初の質問です。不良債権処理の関連法案をめぐってですが、野党側には政府自民党は経営者の責任などが不明確だとして修正を求める動きがあります。総理は政策ごとの野党との連携にこれまで積極的なお考えを示してきたんですが、これらの法案の扱いについてどのような態度で臨むのか、よろしくお願いします。

【小渕総理大臣】

【質問】 続いてですが、政府自民党は所得課税の最高税率の引下げと、ほかの所得階層で税額を一定の割合で減らす定率方式との組み会わせで7兆円規模の減税を行う方向で調整中ですが、具体的な減税の方式や規模について総理としてお考えをお聞きしたいと思います。

【小渕総理大臣】

【質問】 最後の質問ですが、減税などの財源の確保のために総理は財政構造改革法の凍結を主張してきましたが、凍結の期間はどの期間が適当か。あるいはまた、凍結のための法案は通常国会での提出を考えているのか、それとも今の臨時国会か。併せてお伺いしたいと思います。

【小渕総理大臣】

平和記念式典後の総理記者会見19970806

広島平和祈念式典における橋本内閣総理大臣記者会見
平成9年8月6日
【質問】 まず、被爆者団体からの要望についてお伺いします。国が広島市に建設する原爆死没者追悼平和記念館をめぐって、地元被爆者からは建設理念を明確にせよとの声が挙がっています。これまでの要望を聞く会でもこの問題が取り上げられましたが、誠意ある回答がないとして、今年は3団体が出席をとりやめました。このことについての見解をお願いします。

【橋本総理】 原爆死没者追悼平和記念館開設準備検討会、この中間報告ではもう既に皆さんも御承知のように、その設置の理念については日本国憲法の前文並びに被爆者援護法の前文及び第41条の精神にのっとり設置するとされておりますし、具体的な内容については現在厚生省の準備検討会で、地元や被爆者団体の皆さんの意見を伺いながら準備を進めている最中です。

これは、我々として更にその設置の理念の問題も含めて、広く国民の共感の得られるような施設としたいと、そういう思いで皆さんからの御要望を踏まえながら検討をしてきましたし、これからもしていくつもりです。今回、一部の方々が出席をしていただけないということは私は大変残念ですけれども、私どもとしては被爆者団体を始めとして、地元の方々から実情あるいは御要望を聞くというのは大事なことだと思っておりますし、そういう機会は大変貴重なものですから、広く御意見を伺いたいという姿勢は、参加をしていただけない方々があった、それは残念だけれども、その姿勢を変えるつもりはありません。これからも耳を傾けていきたいと、そう思っています。

【質問】 次に、広島における原爆関連施設についてお伺いします。日米共同出資で運営している放射線影響研究所の移転問題が持ち上がっています。広島市は、新しい研究所を建設して放影研側に賃貸する方法を提案していますが、政府としての今後の見通しをお願いします。また、被爆者の高齢化が進む中、広島県・広島市が新たな原爆養護ホームの建設を検討した場合、国として補助の考えがあるか、お願いします。

【橋本総理】 放影研の移転費用の圧縮のために、新たな研究施設を放射線影響研究所に賃貸するという方式を考えていただいていることも知っていますが、この移転問題というのは実現に向けてこれまでも積極的に米国政府と協議を続けてきましたし、今後とも引き続き移転の実現に向けて努力をしていきたいと、そう考えていることに変わりはありません。

また、原爆特別養護ホームあるいは原爆養護ホームといった被爆者を対象とする施設、これは地域の実情に即して考えられていくべきものですから、これから県や市とまたお話をする機会がありますけれども、その県や市の御意向を伺いながら、具体的にその御要望が出てくれば、国としてどういうお手伝いが出来るか、検討していきたいと思っています。

【質問】 アメリカの臨界前核実験についてお伺いします。今月中にも臨界前核実験の実施を明らかにしているアメリカに対し、地元からは政府の毅然たる態度を求める声が挙がっています。本日の平和宣言で、平岡広島市長は核の傘という言葉を使い、アメリカの核兵器に頼らない安全保障体制構築への努力を求めました。政府としての今後の対応をお願いします。

【橋本総理】 私は、被爆地広島の市長として、市長さんが核の傘という言葉を使われたお気持ちを理解出来ないと申し上げるつもりはありません。これは恐らく広島だけではなく、長崎でも同じような思いの方がおられるだろうと思います。そして、そういうお気持ちがあることを理解をしますけれども、同時にアジア・太平洋地域というものを振り返っていただくとき、いろいろ不安定な要素がある。そういう状況の中で、日米安全保障条約というものによって支えられている安全保障の仕組みというものが、私はこの国にとって必要なことだと考えています。

そういう中で、確かに市長さんの平和宣言の中に込められた思いというものは理解をしながら、逆に日米安全保障条約というもの、それを基盤とした日米関係というもの、そして同時にこの日米安保体制というものの中で、米軍のプレゼンスがアジア・太平洋地域に確保されていくということが、この地域の安定の上で大きな役割を果たしているということも是非御理解をいただきたいなと、そんな思いも持っています。

同時に、正確には未臨界構成の爆薬実験ですか、これは申し上げるまでもなく包括的核実験禁止条約において禁止されていないというのが国際的な認識だと思います。そして、我々は今CTBTそのものの発効のために努力をしています。そのCTBTの発効、発効前ということにかかわりなく、この条約で禁止されていない行動というものに対して抗議をするといった考え方は持っていません。

むしろ我々としては、一日も早くこれが発効するように努力をしていくということが、我々にとって大事なことではないかと、それは本当にそう思います。

【質問】 3点御質問させていただきます。橋本総理の自民党総裁再選が確実視されていますけれども、党役員人事と、それから閣僚の改造人事の時期及び規模について御見解を伺いたいと思います。

【橋本総理】

【質問】 では、2点目なんですが、北朝鮮との審議官級の会議の開催が難航するという見方が一部報道では出ていますけれども、それについての見通しと、それから北朝鮮の食糧事情あるいは政治状況などについて総理の御見解あるいは認識を伺いたいと思っております。

【橋本総理】

【質問】 3点目ですが、日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインなんですが、この見直しに絡んで、いわゆる日本周辺事態、日本周辺有事の範囲についてどう考えるかという論議が一部で盛り上がっていますけれども、それについて総理の御見解をお話いただきたいと思います。

【橋本総理】