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ヒロシマはどう伝えられているか

ヒロシマはどう伝えられているか-―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」(90原爆の会編、日本評論社刊、19920725)目次

 

はじめに
総論 報道という観点からみたヒロシマ
反響呼んだマス・メディアのキャンペーン…昭和40年代 テーマの設定に苦労する報道現場、「世界のヒバクシャ」、韓国・朝鮮人被爆者、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移転問題(執筆:90原爆の会)
新聞 <社説>継承の大切さとともに政治への提言を(執筆:薮井和夫)
資料/新聞社説
<連載企画>風化を食い止めるべき連載に現れる風化(執筆:川路恵理子)
資料/新聞連載企画
<投書欄>読者の声がストレートに反映する大切さ(執筆:中川幹朗)
資料/新聞投書欄
雑誌
<雑誌一般>時の流れを映す雑誌の中にみる「原爆」は(執筆:長谷川洋)
<郷土雑誌>生活地としてのヒロシマで受け継ぐものは(執筆:中川幹朗)
資料/雑誌
テレビ・ラジオ 日本の中のヒロシマから世界の中のヒロシマヘ(執筆:羽原好恵)
資料/テレビ・ラジオ
書籍
<単行本>神話化のすすむヒロシマを目前にして(執筆:中川幹朗)
<手記>「あの日」の再現に欠かせない体験者の証言(執筆:中川幹朗)
資料/書籍・定期刊行物・目録
映画・ビデオ・CD 映像と旋律が呼びかけるヒロシマのこころ(執筆:吉田雄一郎)
資料/映画・ビデオ・CD
慰霊行事  イベント化の進む「8・6」(執筆:吉田雄一郎)
資料/慰霊行事
 イベント
形の違いを超え底流に続くメッセージ、平和(執筆:羽原好恵)
資料/イベント
被爆建造物 被爆建造物解体のかげに潜む意識の変容(執筆:中川幹朗)
資料/被爆建造物
物故者・来訪者 ヒロシマにかかわった人々から何を受け継ぐか(執筆:中井幹夫)
資料/物故者・来広者・来長者
韓国・朝鮮人被爆者 対岸の慰霊碑をめぐる被爆者の思いを受けて(執筆:川路恵理子)
資料/韓国・朝鮮人被爆者
修学旅行 心の「原点」となるヒロシマとの出会いに(執筆:中井幹夫)
 資料/修学旅行
おわりに  90原爆の会

資料’82反核

資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)

目次

まえがき
<共同検証82反核>
1 新味に欠ける原爆出版
2 消極的な大手出版社
3 新刊しのぐ重版・再刊
4 手記・体験記に多様性
5 「読む」から「見る」へ
6 すそのを支える童話
7 無難さ目立つ教科書
8 雑誌-欠落した原点
9 新聞連載-不十分な総括
10 新聞社説-もの足りぬ分析
<82出版物リスト>
1 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ
2 単行本-防衛・原発・学術・再刊
3 童話-絵本・平和教育
4 教科書-国語科82年採択
5 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊
6 新聞-連載・社説
おわりに
「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所

ヒロシマの「史点」―占領下の原爆文献考(目次)

ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。

目次

No. 見出し(文献名) 見出し
1 石うすの歌 初の被爆テーマ小説 小学国語のテキストに
2 終戦経緯報告書 国が被害データ発公表
3 絶後の記録 被爆直後の壮絶なルポ
4 ちちははの鐘  自分の理念盛った三吉
5 回顧五年原爆広島の記録  「8・6」の思い込める
6 原子爆弾傷  「ガス」の部分伏せ字に
7 原爆体験記  根拠薄い初刊本発禁説
8 月刊中国  1年後廃虚の街を特集
9 原子爆弾と世界恐慌  知られていない小冊子
10 原爆の子  素朴な表現で反響呼ぶ
11 科学朝日  投下操縦士の証言掲載
12 原子爆弾(同盟通信版)  GHQ意識 外電で構成
13 原子爆弾の法律観  国際法の精神転換迫る
14  御楯隊しのぶ学徒の声
15 ヒロシマを忘れるな  禁止訴え署名呼びかけ
16 原子力の軍事的利用  極秘に印刷された2冊
17 反戦詩歌集  人類の愚挙へ怒りの声
18 ピカドン  絵で告発した最初の本
19 生ましめん哉  最も早い時期の有名詩
20 原子爆弾の効果 兵器としての威力誇示
21 ヒロシマ日記  米国で出版され逆輸入
22 あの当時  両親慕う孤児の思い
23 天よりの大いなる声  1年半も出版ためらう
24 原爆体験記(京都大学版)  学生が危機感抱き編集
25 ヒロシマ  悲惨さを世界に初紹介
26 夏の花  体験記の枠超えた傑作
27 屍の街  初版本は5節分を削除
28 さんげ  被爆の非情短歌で告発
29 原爆詩集  峠三吉の唯一の作品集
30 まとめ  ”神話”の洗い直し急げ
プレスコード神話、強すぎた自己規制、収集保存に努力を
「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」>

 

ピカ資料研究所(ピカ研)

ピカ資料研究所(ピカ研)田原幻吉(所長)

関係年表(出典:原爆被災資料広島研究会『原爆被災資料総目録』第4集)

1967.10.02  ピカ資料研究所(ピカ研)が「原爆資料の調査・研究」について提言。全井利博賛同して、「ピカ研を母体」で合意、以後具体化をめぐって七回会談。
1968.01.16 結成準備会五回開く。出席、今堀誠二、金井、山崎与三郎、ピカ研。
1968.02.15 『原爆被災資科広島研究会』発足。
1968.07.30  役員会 人事、企画、運営方針を決定。
1968.12.06 金井利博事務所開設。所内に原災研「編集部室」設置。(1970.3.28閉所)
1969.08.06 原爆被災資料総目録第一集を発刊。
1970.03.04 ピカ研 原災研「編集部室」を長崎に移設。
1970.08.06 総目録第二集を発刊。
1970.11.24 編集部会文沢隆一、ピカ研が第三集専任。
1972.10.25  総目録第三集を発刊。
1974.06.16 金井利博死去。
1975.04.30 ピカ研・長崎「第一~三集」の作成による累積債務で一時閉鎖。
1977.12.17 役員会 企画、運営をめぐり討議。分裂決定。
1980.08.25   編集部会 編集企画会議。
1982.07.23 ピカ研・長崎書庫冠水害
 続刊=第五集以降企画編集進行占領下の文献解説・占領下の新聞・著作選集録・原爆史詳細年表・写真、映像・長崎の手記・広島の手記・教育児童文学・社会科学評論…(順不同)

関係年表(宇吹メモ・資料・報道)

年月日 事項
197107 「平岡敬(中国新聞社)に会い,「ヒロシマの記録」取材当時ののことを聞く.参考になったもの-今堀・浅野・県立・田原伯・金井」(宇吹メモ)
19710818 「金井利博(中国)より教示.田原伯のことを聞く」(宇吹メモ)
19720107 田原伯、長崎より帰り来室。(宇吹メモ)
 197302  宇吹暁(広島県史編さん室)宛田原幻吉(ピカ資料研究所 長崎市万才町** **ビル)葉書「ピカ資料研究所を一時閉鎖」
 19770316  田原伯来所。文献の売却について。(宇吹メモ)
 19770620  田原伯来所。内田と3人で8時半まで話す。(宇吹メモ)
19770803 田原伯と平和文化センタ-で会う。「地域と被爆者」の原稿について抗議を受ける。(宇吹メモ)
19770710 現代と広島の会発足準備の話合い。於朝日会館屋上。木村、石踊、今田夫妻、田原、安藤、藤原、宇吹。(宇吹メモ)
 19780710  田原幻吉(ピカ資料研究所代表)を囲む会「現代と広島の会」、発足。
19830715 『資料’82反核』(「ひろしまをよむ」会編・渓水社発行)
19840616 原爆被災資料総目録第4集、刊行。紹介記事
 19860630  ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」>
19860710 ピカ資料研究所の提言で「碑の会」スタート。
ピカから15706日 『資料・広島平和記念公園』(ピカ資料研究所編集委員会編、ピカ資料研究所刊、19880926<宇吹宛て「ピカ研・幻吉」書留の日付>)
19890805 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志(加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎)、「ピカ資料研究所」(田原幻吉・中川幹朗)刊行:「碑の会」(全朝教有志・ピカ研))
19891103 宇吹宛て祝電(発信:ピカ研内せせらぎ、りょう)
 19920725  『ヒロシマはどう伝えられたか―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」』(90原爆の会編、日本評論社発行)
19930414 田原幻吉(ピカ資料研究所代表=竹原市)「文化 GHQに日本訳規制されたJ・ハーシー著『ヒロシマ』 原爆報道一切禁止は「神話」」(『中国新聞』19930414)

原爆被災資料総目録第4集(紹介記事)

原爆被災資料総目録第4集(紹介記事)

記事見出し 掲載書誌
占領下の文献網羅 原爆被災資料総目録 独力で第4集刊行へ 田原さん(竹原)30年かけ収集 『中国新聞』19831108
 検閲くぐり伝える被爆実相 占領下平和念じルポ・学術書・地下出版物 初期の文献続々 歴史的価値大きい労作 資料1000点超す 通説を上回る 広島研究会の手で12年ぶり目録4集。 『 朝日新聞』19841119
 文化 占領期の文献明らかに 検閲研究にも貢献 40年近い歳月かけた労作。  『中国新聞』19850201、 宇吹暁・記
 占領下の原爆資料  『毎日新聞』19850204
 図書資料紹介 原爆被災資料総目録第4集=占領期文献の発刊。  『ヒロシマ・ナガサキの証言’85冬 第13号』19850220、 内田恵美子・記
  内田恵美子<抜粋「最後に田原氏へ提言(お願い)する。次の企画には占領下の原爆文献解題を最優先されることを願う。それによって、先述した誰でも閲覧できる場が提供されることと併せて四集が真に有効に活用されることになり、更に、一点一点について今まで30年余に渡って蓄積されたデータを全て吐露されることにより原爆問題の正史を書き残していただきたいと切望する」>

広島原爆被災撮影者の会

広島原爆被災撮影者の会

設立準備会?:19780715

関係資料

 資料名 備考
広島原爆被災写真撮影者名簿
  22名の住所、電話番号、
初会合(宇吹メモ)
   1978.9.14 於広島YMCA
 本
『広島壊滅のとき―被爆カメラマン写真集』 (広島原爆被災撮影者の会、198108)
 『被爆の遺言 被災カメラマン写真集』(広島原爆被災撮影者の会、19850801)
 『中国新聞』(20050801、編集委員 西本雅実)
 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?gallery=20110613141546676_ja

明治100年(関連年表と資料)

明治100年(関連年表と資料)

年月日 事項
19660325 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議了解。
19660415 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議決定。内閣内に明治百年記念準備会議設置。
19660511 国の明治百年記念準備会議(第1回)開催。記念式典実施日1968年10月23日と決定。
19660526 明治百年記念準備会議(第2回)開催。4部会(式典・行事・事業・広報)設置。
196710 政府、各都道府県に記念事業の実施を要請
196711 広島県明治百年記念行事等協議会設置。
19681023 政府主催明治百年記念式典。
広島県の行事(出典:『戦後50年広島県政のあゆみ』)
広島県明治百年記念式典(19681023)。
県章・県旗の制定。
県民の森の整備。
県史の編さん
その他

 

 

肥田舜太郎

肥田舜太郎

ひだ・しゅんたろう 生20170320没 享年100

資料

新聞 掲載年月日 見出し
赤旗 20020326 ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。
赤旗 20040301 本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史
朝日新聞 20130409 ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん
20170321~26、死亡記事