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原爆被害者大分県協議会

原爆被害者大分県協議会

1957年9月15日

Y M D NEWS1
57 09 15 原爆被害者大分県協議会、結成(「被団協連絡」NO.2)
57 10 23 大分県原水爆禁止協議会、別府に被爆者温泉療養所を設置するための運動を行うことを決議。
57 10 29 大分県原水爆禁止協議会、別府市への原水爆患者温泉治療センター建設に対する国庫補助請願のため上京。
58 07 20 原水爆禁止大分県民大会、大分市で開催。被爆者の石田小百合が体験を訴える。(「被団協連絡」NO.5)
58 10 22 長崎市に大分の高校生から原爆患者の治療費として500円が届く。
59 04 11 日本被団協、九州ブロック代表者会議を別府市で開催。11人が参加。山田都美子(大分県会長)が議長。(「被団協連絡」NO.12)
59 06 06 広島県被団協、第7回世界青年学生平和友好祭へ参加する代表に高橋昭博同会青年部副部長と大分県庁勤務の辛島和子が選ばれたとの連絡を日本被団協から受ける。
59 06 06 広島県被団協、第7回世界青年学生平和友好祭の代表に高橋昭博(広島市平和記念館管理事務所勤務)と辛島和子(大分市在住の広島被爆者)が選ばれたとの連絡を日本被団協より受ける。
59 07 17 第4回大分県原爆被害者対策協議会、県庁で会合。原爆被害者別府温泉治療研究所の建設を決定。
59 08 05 原水爆禁止世界大会の大分県代表団一行105人、平和巡航船「つるみ丸」で広島港入り。関西地区代表団450人を載せた「須磨丸」、四国代表団500人を載せた平和巡航船も広島港入り。
59 08 22 辛島和子(31才、大分県庁勤務、広島被爆者)、第7回国際平和友好祭(ウィーン)参加の旅を終え東京に帰着(「西日本」)
60 05 13? 大分県原爆被害者対策協議会事務局長、広島市を訪れ、別府温泉利用研究所の利用を呼びかける。
60 06 19 日本被団協、九州ブロック会議を大分県原爆温泉センターで開催。(「被団協連絡」NO.27)
60 08 15 大分県被団協、第4回定例総会と慰霊祭を大分市・春日神社で開催。(「被団協連絡」NO.29)
67 06 08? 大分市内の女医・山田トミ、6年間にわたる原爆症の温泉治療の効果を、学位論文にまとめる。
77 07 16 NGO被爆国際シンポ大分県推進委員会、県内在住被爆者の実態調査まとめる。
78 08 06 大分市の中学校で、被爆者の体験談聞き平和学習。
78 08 17? 大分県教組、「大分の平和教育」発行。
79 08 06 大分市の中学校で、長崎市の被爆教師を迎え平和授業行われる。
82 01 12 大分市在住の老女、原爆で行方不明になった伯母のために積立てていた預金を、被爆者援護にと広島市に寄贈。
82 01 19 大分県の老女が捜していた原爆で行方不明になった伯母の消息が広島市の調査で判明。
82 05 16 大分県被団協など、反核軍縮をめざす1万人集会を開催.県内では初.
82 05 16 大分市で、SSD2に向け核兵器廃絶と軍縮を訴え「豊の国一万人集会」開催。
82 05 28 大分市の公立中学校、修学旅行で長崎市訪れ原爆映画観賞。
83 05 28 大分市、大東中学校生徒ら、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。
83 05 30 大分市の植田中学校生徒ら、修学旅行で、長崎市を訪れ、平和学習。
83 07 01 日本青年団協議会、大分市で、全国青年活動家研究集会開き、反核学習、実践運動に取り組むよう呼びかけを開始。
83 08 06 「高校生と平和を考える集い」、大分市で開催(大分県高教組主催、今年4回目、150人参加)。
83 09 24 大分県被団協国東支部など、核兵器廃絶と軍縮を求める「平和を考える集い」を国東町で開催.
84 05 12 大分県被団協、第29回定期総会.
84 06 06 大分市立植田中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ平和学習。平和ためにと長崎国際文化会館に寄金。
84 07 15 大分県被団協など、反核・軍縮・平和を語るシンポジウムを開催.
84 10 09 大分市青年の船、長崎市入りし、一行原爆資料館など見学。
85 07 05 大分県被団協大分市支部婦人部、発会式を挙行.
85 11 06 大分県立盲学校中学部生徒、修学旅行で来広し、広島原爆資料館の「触る平和教材」を用いて平和学習。
86 02 05 大分県中津市の市民グループ、長崎市を訪れ、 3月に中津市で開かれる博覧会での「非核平和展」開催について、長崎市に協力を要請。
86 02 05 大分県中津市の市民グループ、来広し、 3月に中津市で開かれる博覧会での「非核平和展」開催について、広島市に協力を要請。
86 02 11 大分県被団協など、非核平和大分県民連絡会議の結成総会を開催.130人参加.
86 03 21 大分県中津市の博覧会パビリオン「非核平和館」で、広島県の児童が原爆死没者を描いた「十四万人の顔」を展示。
86 04 30 「非核自治体運動全国交流集会」、大分県中津市で開催。非核自治体運動を広げようとのアピール採択。
86 07 13 大分県原爆被害者団体協議会、県内の平和推進キャラバンの出発式を県庁前で挙行.
86 11 16 非核平和大分県民連絡会議、ピースフェスティバル-平和の百貨店を大分市の若草公園で開催.
87 08 08 三ちゃん平和展、大分市で開催。戦争体験談など(9日も)。
87 10 31? スイス人ゴーティエ・レフラーらによる「ヒロシマの影」展、大分県中津市の市役所ロビーで開催。
88 03 29 大分県被団協、県知事にがん検診について陳情.
89 01 18 大分市在住の池本宗将(5才の時、長崎市で被爆した原爆孤児)、被爆後初めて長崎市を訪れ、肉親捜し。昨年9月に被爆体験などをまとめた自伝を自費出版。
89 05 21 大分県原爆被害者団体協議会、第34回定期総会を開催。
89 07 07 社会党土井たか子委員長、遊説先の大分県中津市で、「非核立法」制定などを提唱。被爆者援護法即時制定の必要性にも言及。
90 03 04 日本被団協中央相談所、「健康・生活相談会」を大分市で開催。初の試み。約100人が参加。
91 ?? 大分県宇佐市の市民グループ「豊の国宇佐市塾」、宇佐海軍航空隊の史実調査と飛行機を防護した掩体壕の保存運動を開始。
91 05 01? 大分県別府市の原爆被爆者療養施設「別府原爆センター」の開設30周年記念碑が完成し、除幕式(別府市助役・広島市原対部長ら約50人が出席)。
91 05 16 大分県被団協、定期総会を開催。
91 12 01 日本被団協中央相談所、九州ブロック講習会を大分県別府市で開催。-2日。60人が参加。
92 04 03 大分県被団協の会長を務めた佐々木憲夫、死去。88歳。
92 09 03 大分県玖珠郡九重町の宝泉温泉旅館組合、長崎市の恵みの丘長崎原爆ホームに「温泉」10トンをプレゼント。
94 10 22 森自民党幹事長、大分市で開催された同党政経セミナーの講演で、被爆者援護法問題で「国家補償」明記は困難との見解を示す。
95 03 ?? 大分県宇佐市、宇佐海軍航空隊の飛行機を防護した掩体壕の1基を市史跡に指定。
95 08 04 大分県被団協など、「ノーモアヒバクシャ 大分のつどい」を開催。
96 01 26 大分県被弾協会長を務めた吉田助男、死去。80歳。
96 04 23 大分県原爆被爆者対策協議会、原爆被爆者別府温泉療養研究所(別府原爆センター)に22年間にわたり寄付を続けた広島市の村田恒子に感謝状を贈る。
97 07 18 日本被団協中央相談所、大分県の研修会を開催。14人が参加。
97 08 01 第4回平和のための戦争展in大分、大分市内で開催。-3日。
97 11 08 大分県日田の昭和女子高校、学園祭を開催。-9日。県被団協提供の「原爆と人間展」パネルを展示。
98 08 21 大分県被団協、「平和のための戦争展」で「原爆と人間展」パネルを展示。約500人が参観。-23日。
98 09 12 大分県佐伯市の大入島小学校の児童、「別府原爆センター」の被爆療養者に千羽鶴を寄贈し、慰問。
99 08 09 長崎市立山里小学校、平和祈念集会を開催。島根・大分両県と韓国ソウル市の奨学生が特別参加。
99 08 19 大分市など、「ムッちゃん平和祭式典」を大分県立芸術会館で開催。16回目。長崎の被爆者が体験談を講演。
99 11 28 日本被団協中央相談所、九州ブロックの相談事業を大分県別府市で開催。-29日。540人が参加。

 

熊本県原爆被害者団体協議会

熊本県原爆被害者団体協議会

熊本県原爆被害者の会

1958年10月30日

Y M D NEWS1
47 11 11? 熊本医大亀田教授、放射線による白血球の減少の治療を研究、虹波が有効であると発表。
48 03 26 中村正文(広島商工会議所観光協会)、米国ロサンゼルス在住の熊本俊典から、原爆都復興資金として3千数百ドル送金するとの書簡を受け取る。
57 08 07 熊本郵便局、原爆の犠牲となった郵政関係職員の13回忌を長崎国際文化会館で挙行。約100名が参列。
58 08 31 熊本県被団協結成のための第1回話し合い。(「被団協連絡」NO.6)
58 10 30 熊本県原爆被害者の会、結成。会員15名。(「原水爆禁止ニュース」NO.69)
59 03 09 原水爆禁止署名を集めながら自転車で日本一周をしている熊本の男性2人、広島市役所に到着。
68 07 02 広島市・長崎市・朝日新聞社、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を本土9会場(福岡・熊本・北九州・東京・名古屋・静岡・横浜・京都・四日市)と沖縄で開催。~11月28日。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
73 08 08 米返還被爆資料展、京都で開幕。九月中旬まで山形、新潟、宇都宮、大宮、熊本、宮崎の各市でも開催
73 08 31 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、熊本市で開催。-9月4日。
75 08 29 長崎県・市、「長崎原爆の記録展」を熊本市で開催。-9月2日。
77 07 16 原水禁九州ブロック会議の九州地区被爆者交流会、熊本で開催。(17日まで)
77 09 29 熊本県の中学生、修学旅行でヒロシマ学習のため来広。
78 08 06 (修学旅行で芽ばえた平和教育、文通主婦へ熊本の教諭)
79 05 17 熊本県の中学生、広島原爆病院へ寄金。
80 05 29 熊本県球磨郡の中学生、修学旅行で来広し原爆病院に地元特産品を寄贈。
81 05 21 熊本県の吉尾中学校生徒、修学旅行で来広し、平和学習。
81 09 04 熊本県被害者の会など、原爆写真展を市民会館ロビーで開催(~6日).
83 05 09 熊本県の八代第六中学校、広島原爆病院に寄金。
83 08 01 歴史教育者協議会、全国大会(於熊本市)で、全国の小学生から大学生まで約4400人を対象にした「戦争と平和」についてのアンケート調査結果を発表。
83 08 99 熊本県湯浦中学校生徒、広島・長崎の原爆死者数を実感するため「死者の図」を作成。
84 04 09 熊本県原爆被害者の会、トマホーク反対を各支部に呼びかける.
84 06 25 丸木位里、丸木俊「原爆の図」をみる会、(京都)など、広島市で、京都(7.13‐)熊本(7.30‐)、長崎(8.8‐)市での「原爆の図」展覧会の開催を発表。
84 10 25 熊本県八代郡の小学校生徒、修学旅行で長崎市訪れ、平和学習。
85 03 30 自民党熊本県連、同県内の市町村議会議長に「非核宣言都市」に同調しないよう文書で申し入れていることが判明。
85 08 09 熊本県原爆被害者の会苓北支部、核兵器廃絶祈念碑の竣工除幕式と慰霊祭を挙行.
85 08 09 熊本県原爆被害者の会苓北支部、核兵器廃絶祈念碑の竣工除幕式と慰霊祭を挙行.
86 01 20 熊本県被団協など、被害者調査推進委員会を発足させる.70人が登録.
86 03 29? 熊本市在住の歌人満田廣志、被爆体験をもとにした歌文集「花のいのち」(46判、 213ページ)を刊行。
86 08 07 「九州行脚平和行進」( 7月12日出発、鹿児島・熊本・福岡などを行進)、長崎市に到着。同市内で、被爆者援護法制定を訴え、行進(約 100人参加)。
86 08 28 熊本県在住の被爆者に、申請から14年ぶりに被爆証人が見つかり、手帳が交付されたことが判明。
86 11 原爆被害者調査熊本県推進委員会、自主がん検診を実施.
86 11 05 被団協原爆被害調査の熊本県推進委員会、ガン検診を実施(~9日).43名受診.経費30万円は募金でまかなう.
86 12 20 熊本市議会、被爆者にガン検診をとの請願を全会派一致で採択.
87 09 22 熊本県本渡市議会、原爆被爆者のガン検診に関する意見書を採択.
87 10 24 熊本市原爆被害者の会、平和の波・被爆者ルームを開く(~25日).
87 11 21 日本被団協中央相談所、九州ブロックの講習会を熊本県玉名市で開催(~22日).120人が参加.
89 06 18 熊本県原爆被害者の会、定期総会を開催。
89 10 14 第13回九州ブロック被爆者交流会(原水禁九州ブロック会議主催)、熊本市で開催(約100人参加)。社会党の田口健二衆院議員、被爆者援護法を10月末に国会に提出する方針を発表。
90 06 07 熊本県の南ケ丘小学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和公園で平和を誓う構成詩などを披露。
90 07 28 熊本県被団協、追悼慰霊祭を熊本市内で挙行。
91 08 09 熊本県被団協、追悼慰霊祭を天草郡で挙行。
92 07 11 熊本県・市の被団協共催、被爆47周年熊本県原爆死没者慰霊式典、熊本市内で挙行。100人が参列。
93 03 07 熊本県被団協、研修会を天草郡松島町で開催。-8日。86名が参加。
93 04 24 熊本県被団協など、第5回熊本平和フェスティバルを熊本市内で開催。200人が参加。
93 07 10 熊本県被団協、被爆48周年熊本県原爆死没者慰霊式典、熊本市内で挙行。100人が参列。
93 10 06 熊本県被団協、中国の核実験再開に対する抗議文を中国首相宛に送付するとともに、熊本城公園で抗議の座り込み。
94 01 20? 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、総会を開催。今年から福岡・熊本両県でも強制連行の実態の調査を実施することを決める。
94 09 27 広島市現代美術館所蔵作品を中心にの絵画・彫刻・写真約50点を集めた「ヒロシマ-21世紀へのメッセージ」展、熊本県立美術館で開幕。以後、大阪市や福島県郡山市を回り、来年10月広島市現代美術館に戻る予定。
95 03 12 日本被団協中央相談所、第2回熊本県被爆者研修会を熊本県八代市で開催。80人が参加。
95 08 06 熊本県原爆被害者の会、原爆犠牲者の碑除幕式と慰霊式を熊本市小峰墓地公園で挙行。2百数十人が参列。
95 08 06 熊本県原爆被害者の会、原爆犠牲者の碑除幕式と慰霊式を熊本市小峰墓地公園で挙行。2百数十人が参列。
95 08 09 熊本県天草郡市原爆死没者慰霊式典、苓北町・「核兵器廃絶祈念碑」前で挙行。110人が参列。
95 09 02 熊本県原爆被害者団体協議会、中国・フランスの核実験に抗議して、熊本市民会館前で座り込み。
95 09 12 熊本県議会、中国とフランスの核実験に抗議し今後の実験中止を求める決議を可決。
95 11 15 長崎ヒバクシャ医療国際協力会、被爆50周年記念講演会「医療と健康」を長崎市内のホテルで開催。草間朋子東京大学医学部助教授と鈴木健二熊本県立劇場館長が講演。約500人が参加。
96 06 28? 熊本県在住の浜田竜郎、長崎市在住の写真家池松経興が撮影した被爆写真を題材にした詩集「浦上の丘に登れば」(B6判、118ページ)を発行。
96 07 02 長崎市の樹木医・海老沼正幸、熊本県荒尾市の全小・中学校に長崎の被爆カキの木の二世を寄贈。[被爆樹木]
96 11 19 日本被団協中央相談所、九州ブロック爆者相談事業講習会を熊本県阿蘇で開催。-18日。427人が参加。
97 01 15 聖火リレー「ピースラン」、熊本へ向け長崎市の平和公園を出発。
97 03 27 アメリカの核実験被害者など29団体、ネバダ核実験場周辺で「地球の傷をいやす1997年春のつどい」を開催。-4月4日。熊本県被団協の中山高光が参加。
97 05 15 熊本県で開催される男子ハンドボール世界選手権に出場するロシアナショナルチーム、広島市の原爆慰霊碑に参拝。
98 08 06 熊本日日新聞社説「53年目の夏-被爆者の自分史に支援を」
98 10 21 ボスニアの子どもたち9人、熊本YMCAの招きで来日し、長崎市を訪問。-22日。
98 10 24 1998年九州のうたごえ祭典、熊本県立劇場で開催。-25日。800人が参加。松谷英子、裁判支援と核兵器廃絶を訴える。
98 11 27 熊本県原爆被害者団体協議会、米の臨界前核実験に対する抗議文をクリントン大統領あてに送付。
99 03 17 日本被団協中央相談所、熊本県玉名温泉で研修会を開催。地方巡回相談の一環。91人が参加。-18日。
99 08 01 熊本県被団協、被爆54年熊本県原爆死没者慰霊式典を熊本市内で挙行。62万3000円の公費補助。
99 08 06 熊本日日新聞社説「原爆忌-新世紀への羅針盤として」
99 08 09 熊本県天草郡苓北町で天草郡市原爆死没者合同慰霊式典を開催。38万2000円の公費補助。
99 09 05? 中山高光・熊本県原爆被害者団体協議会事務局長、アメリカの核実験被害者との交流体験をまとめたパンフレット「ベサニーはなぜ死んだ-アメリカにも100万のヒバクシャ」を発行。
99 09 30 中山高光熊本県原爆被害者団体協議会事務局長・山本英典日本被団協事務局次長ら、アメリカ訪問のため出発。-7日。10月2日にアラモゴードの核実験場跡を見学。
99 12 23 熊本日日新聞社説「臨界事故死-国策の矛盾背負った悲劇」
a0 07 30 熊本県被団協、「被爆55周年熊本県原爆死没者慰霊式典」を開催。
a0 08 06 熊本日日新聞社説「原爆忌 ”核なき新世紀”へ」
a0 09 30 熊本日日新聞社説「臨界事故1年 風化許されぬ衝撃の記憶」
a0 12 18 長崎平和推進協会継承部会の語り部3人と熊本県水俣市の水俣病被害者の語り部6人、水俣市の水俣病資料館で交流会を開く。今年3月に長崎市で開いて以来2回目。

熊本日日新聞

年月日 タイトル
850806 「核をなくせ」の国際外交を
860806 四十一回目の原爆の日に
880806 四十三回目の原爆の日に
890721 米ソの核戦略下にある日本
890806 四十四回目の原爆忌に思う
890806 新しい時代を迎えた皇室
890812 夏祭りの中で平和を考える
890815 終戦と日本の基本的立場
900805 歴史見直し中の原爆の日
910806 強い平和への意思訴えよう
920806 47回目の「原爆の日」に思う
920809 核抑止論の限界と矛盾
950806 広島原爆忌ー被爆半世紀を「核兵器元年」に
950809 核実験ー仏は国際世論に従うべき
960806 広島原爆忌-「核なき世界」へ主導権を

 

長崎原爆被災者協議会

長崎原爆被災者協議会

1953年6月    原爆乙女の会(長崎)

一九五五年七月二十日 原爆乙女の会(長崎)、機関紙「原爆だより」第一号を発行。

一九五五年十月一日  原爆青年会

一九五五年五月三日  長崎原爆青年乙女の会

1956年6月    長崎原爆被害者協議会(原対協の総合診断名簿による7000人)

長崎原爆青年乙女の会編『原爆体験記もういやだ-原爆の生きている証人たち』(あゆみ出版社、一九五六年)

渡辺千恵子「十一年目の証言」

「毎年、夏が訪れるたびにいろんな原爆記念行事がくりかえされてきました。しかし肝心の私たち被爆者はいつも焦点の外におかれていました。ところが広島大会では私たち被爆者の救援がはじめて大きくとりあげられたのです。大会の模様が電波に乗って、世界の隅々まで伝わって行きました。

”ああ、生きていてよかった”

これは一人私だけでなく、生残りの被爆者の誰もがそう心から思ったにちがいありません。

 

「あとがき」

「長崎における原爆被害者の大衆活動は過去一年間唯一の被害者組織として歩みを続けた原爆青年乙女の会の呼びかけで、この六月やっと長崎原爆被害者協議会が発足したばかりである。しかもこれは原対協の総合診断名簿による被害者七千人が自動的に会員となった。さらに労働組合、民主団体など平和の力の総体的な弱さが被爆十一年後今なお被爆地としての問題点を明確にし得なかった根本原因であった。」

『中国新聞(夕刊)』一九五五年八月十日

「原爆殉難者慰霊祭奉賛会主催の被災者大会は八日午後七時から長崎市原口町国際文化会館で約五百名の被災者が集まって開かれ、直接恐怖の原爆を体験した人人が、原子爆弾に対する激しい怒りの声をあげたのち

一、原爆被害者に年金制度をつくれ。

二、原爆死亡者の遺族に扶助を与えよ。

三、財産上の損害を補償せよ。

など五項目を決議した。

 

『長崎日日新聞』一九五五年八月九日

「援護の不備を訴う 被爆者大会で悲痛の叫び

夜に入って原爆奉賛会主催の比婆宇社大会はきのう八日夜七時二十分から長崎国際文化会館講堂で開催、被爆者の悲痛な叫びをあげた。約一千名の被爆者が出席、開会の辞についで議長団に小佐々八郎(長崎市議)梶山清美両氏を選出して来賓のあいさつに入った。西岡知事、田川長崎市長、脇山市議会議長、矢野重俊氏らが原爆犠牲者のめい福と被爆者、犠牲者遺族の労苦をねぎらってあいさつを述べた。終わって意見発表に移り杉本亀吉氏(市内城山町)古瀬益司氏(同町)ら約十名の被爆者が援護の手の不備と被爆者の悲痛な叫びを訴えた。

ついで△原爆傷害者の国費による完全治療を実施するため①研究治療費の増額②傷害者はすべて健康管理下におき年金の支給△原爆犠牲者遺家族の範囲拡大と援護措置をはかるため①被爆者の遺族にも弔慰金の支給②被爆による財産の損害を国家で補償△原子兵器の製造実験および使用禁止の措置の三項の決議文を満場拍手のうちに採択、被爆者代表(後日選定)が政府、国会をはじめ各国大使館に手渡すことを決定した。

最後に”世界最初の原爆犠牲者であるわれわれに政府は責任と義務において万全の援護措置を構ずべきである。れわれは被爆者の権利をもって政府に訴える”との宣言文を高らかに宣言して大会を終った。このあと映画”陽のあたる家”を上映して午後十時過ぎ散会した。

山口仙二『115、500㎡の皮膚-被爆43年の自分史』(みずち書房、一九八八年)

六一頁

この入院生活では、私はその後の生き方にかかわる大きな収穫があった。調外科には、外傷をもつ多くの被爆者がいた。私は調先生から、追跡調査のため患者の組織づくりをしてくれるよう頼まれ、患者会をみんなで結成した。 何年??

->被爆者約一万名のリスト作り

->長崎原爆青年会の結成(十月一日) 七六頁

六八頁

第一回世界大会直後、辻幸江・江頭千代子と長野へ。

六九頁

この土地の、原爆への関心の高さには驚かされた。十三カ所の会場で、私たちの話をきいてくれた人びとはおよそ三万人。善光寺の半田孝海大僧正も会場にみえられ、のちに寺をあげての接待をして下さった。

七〇頁

長野から帰った直後、第一回原爆被害者救援委員会に出席

七七頁

(中国からの原爆被害者慰問金五万円をたずさえて)安井氏と私とで県庁へ相談に行った

。(安井がそのまま持ち帰る)。

 

第二回原水爆禁止世界大会長崎実行委員会『長崎における被爆者に関する調査資料』(一九五六年八月一日)

福岡県原爆被害者団体協議会

福岡県原爆被害者団体協議会

1958年2月2日

原水爆禁止福岡市協議会準備会『資料・福岡市原水協準備会の活動をふりかえって』(一九五六年)[抄]

七月十三日 福岡市在住の被爆者に対し、第二回原水爆禁世界大会福岡県準備会への招待状を発送

七月十六日 第二回県準備会(県庁議事堂)に於て市内被爆者十二名集り当面救援金の交付をうけ健康診断等の仕事をするため被爆者の会をつくることを申合す。

七月十八日 第一回の被爆者救援金の交付方日本原水爆禁止協議会に上申す。

八月三日 東京・日本原水協より救援金審査遅れ二、三日まての来電あり。

八月四日 八月分予算書作成。原水協日本協議会より再び来電(救援資金長崎大会后交付となる旨)。

八月二十日 被爆者の会開く(午后五時県職会館)。五十余名参。世話人七名決定。被爆者の会をつくり健康管理、相互扶助のため団結することを確認。

 

『アカハタ』(一九五六年九月二十二日)

「さる十五日福岡市で原爆被害者の会結成会が開かれ約六十名が出席、藤井全国被害者協議会事務局長、原水協黒田事務局次長、長崎青年乙女の会からも出席、会長に入江県教育長を推し、検診を手始めに被害者援護法の制定を実現することなどの宣言を確認した。

現在福岡市には百三十五世帯百五十五名の被害者がいる。」

愛媛県原爆被害者の会

愛媛県原爆被害者の会

1956年1月11日

Y M D NEWS1
46 05 11? 河野正己(安芸郡音戸町)、楽団を編成し愛媛県下を1か月間巡回、戦災児童・引揚者を慰問、同時に広島市の原子爆弾による惨禍を発表。[孤児]
51 05 20? 愛媛県東宇和郡宇和町、広島市の原爆死没者調査に関して、該当者に連絡を要望。
54 07 21 山下清子(広島県病院看護婦として被爆、愛媛県在住)、県病院を退院。5月26日、広島で診察した結果原爆症と判明、広島市原爆障害者治療対策協議会の費用で入院していたもの。
54 08 06 広島市原対協、平和公園の供養塔前に治療相談所設置。愛媛・京都の障害者を含め登録数は100余件。
54 11 04 愛媛県社会福祉課、1953年5月17日に県内の被爆者野中実が白血病で死亡したことを把握。
56 01 愛媛県原爆被害者の会、結成.
56 04 20? 愛媛県教組、「被災者の会」などと協力し、県下の原爆被害者・被災児童の実態調査を計画。
56 05 27 広島県原爆被害者団体協議会結成総会。長崎から8名、愛媛から1名参加。議長:井上昇・島本正次郎。
56 05 27 広島県原爆被害者団体協議会結成総会で中林智子に追悼文を送ることを決議。会終了後、永田尚子(長崎)・久保仲子(愛媛)・村戸由子・吉川清ら8名、遺族宅を訪問。
56 07 19 原・水爆禁止愛媛県協議会、国立松山病院で無料診察した県内被爆者130人のうち、重症者13人を広島市民病院で受診させることを決定。28日、受診。
56 07 28 愛媛県原爆被害者の会の資金カンパで、同県下の原爆症患者13人、来広し、広島市民病院で受診。県外からの集団検診は今回が初めて。
56 08 09 新居浜市の被爆者日野教繁(長崎で被爆)、原爆症で死亡。生前、ABCC・広島市民病院などで受診。
56 08 21 京都府原爆被災者の会、東京の会より被爆者実態調査用紙を受領。(厚生省が被爆地以外の実態を知るため企画したもので東京・京都・愛媛・埼玉・長野が参加)。(「京友会のあゆみ」910333)
57 04 04 久保仲子(愛媛県原爆被害者の会副会長),広島県原爆被害者団体協議会に慰霊碑前の座り込みへの参加を申し出る.
57 04 06 原爆慰霊碑前で原爆被害者大会.愛媛・岡山・山口各県の代表や広島県内の安芸・賀茂・三原・府中・安佐・高田各郡代表など約100人が参加.原爆医療法制定に対する感謝決議文を採択.
57 08 10 愛媛県松山保健所、松山市内・温泉郡内在住被爆者(126人)一般検診(15日まで)。
57 08 20 愛媛県伊予市の長崎被爆者八塚勇、原爆症で死亡(朝日新聞)。
57 10 11 日本被団協、代表委員会・常任理事会を開催。杉本・小佐々・入江(福岡)・藤居・森滝・伊藤(神奈川)・桑原(愛媛)・辻本・香田が出席。(「被団協連絡」NO.1)。「当面の運動方針」・「組織活動上の当面の重点」・「財政問題」などを討議。
58 03 02 日本被団協、四国ブロック会議を開催。[被団協既組織:愛媛・高松・徳島](「原水爆禁止ニュース」NO.55)
58 03 19 愛媛県原爆被害者の会、役員を改選。会長久保仲子、副会長竜原善亀。(「被団協連絡」NO.4)
59 03 02 谷口定義(33才、愛媛県在住の長崎被爆者)、広島市民病院で死亡。
59 04 18 愛媛県原爆被害者の会、第4回総会を松山市で開催。(「被団協連絡」NO.12)
59 06 28 日本被団協、四国ブロック会議を愛媛県松山市で開催。(「日本被団協総会議案・資料」)
59 07 30? 自民党愛媛県連、党本部からの通達で、各支部に原水爆禁止世界大会に関連し、政治的に利用されないよう指示。
72 07 09 広島・山口・愛媛三県青年学生代表者会議, 中国・四国青年学生集会を岩国市労働会館で開催. 800人参加.
74 04 原爆死没者慰霊碑(愛媛県松山市・石手川公園)
74 04 21 愛媛県被団協、松山市石手川公園に原爆死没者慰霊碑を建立.
74 04 21 愛媛県被団協、松山市石手川公園に原爆死没者慰霊碑を建立.
79 03 25 愛媛県被団協、第11回原爆死没者墓前祭を開催.
79 06 09 愛媛県松山各界連絡会議、伊方の原発調査をおこなう.
79 07 16 広島市、平和祈念式の内容を決定。原爆投下時刻の黙祷を中国地方全県と愛媛・香川両県に呼びかけることなどを決める。式典が国庫補助(300万円)の対象となる。
79 08 愛媛県原爆被害者の会松山支部、市内居住の被爆者とその子弟に対する実態調査を実施(~9月).670人に調査表を送り162人分回収.
81 01 17 愛媛県被団協、合宿研修会を蒲郡市で開催(~18日).32名参加.
81 07 25 えひめ母親連絡会など、母親がつくる平和のための戦争資料展をNHKロビー(愛媛県)で開催(8月3日).
82 03 12 愛媛県議会、「核兵器の全面撤廃と軍縮推進」を採択。
82 04 21? 愛媛県今治市の市民グループ、被爆者の生の声とスライドを組み合わせスライド映画「げんばく」を作成。
82 05 23 愛媛原水協、戦争・原爆への怒りを描いた児童文学「おこり地蔵」のモデルを紹介する小冊子を作成。
82 07 11 、愛媛・広見町で「にんげんをかえせ」上映,パネル展,被爆者の話などの集会を開催.2200人が参加.
83 03 21 愛媛県被団協松山支部、第6回総会.
83 11 11 愛媛大学大学祭でテーマの1つに平和問題を取り上げ、原爆資料展示、講演会など開催。
83 12 99 愛媛大学法文学部学生祭実行委、核問題についてのアンケート調査結果をまとめ発表。「原爆投下日を知っている」‐約50%
85 03 12 全国行脚沖縄コース、愛媛県八幡浜から四国入り.
85 03 24 、愛媛県新井浜市に核兵器廃絶都市宣言を記念するモニュメント完成.
85 07 14? 愛媛県原爆被害者の会新居浜支部、「被爆体験手記」をまとめ刊行。
86 03 07? 愛媛県在住の被爆者脇水成子、反核を訴える短詩集「熱線四千度-地獄からの生還」(B5、143ページ)を自費出版。
88 03 11 愛媛県議会、非核平和宣言を採択。その中で、日米友好と核平和利用の推進を提唱。
88 06 25 愛媛県宇和郡の四国電力伊方原発の東1.5/キロ/の山中に、米国軍ヘリコプターが墜落。
88 07 10 「反核・日本の音楽家たち」の呼びかけによる「反核平和コンサート」開催計画に対して、愛媛県東予市中央公民館、会場使用を拒否。
90 01 21 松山市の「愛媛県平和委員会」、本島長崎市長狙撃事件について抗議声明を発表。
90 01 26 「愛媛玉ぐし料訴訟」報告会で、本島長崎市長銃撃事件に言及したアピールを採択。
91 06 11 愛媛県川之江市立南小学校の6年生(93人)、来広し、平和学習。
92 03 10 久保仲子愛媛県原爆被害者の会会長、死去。64歳。13日の葬儀には約500人が参列。
92 03 22 愛媛県原爆被害者の会など、松山市石手川公園で愛媛県原爆死没者合同慰霊墓前祭を挙行。約100人が参列。
92 06 23 愛媛県川之江市の「紙まつり実行委員会」、広島平和記念公園に折り鶴4万羽を送る運動を開始。
92 07 27? 愛媛県原爆被害者の会役員会、会長に古川唯雄を決定。
92 08 04 愛媛県川之江市の中学生ら18人、広島市平和公園の原爆の子の像に約13万6,000羽の折り鶴を供える。
92 08 06 愛媛県被団協、追悼慰霊祭を原爆慰霊碑前で挙行。
93 07 22? 愛媛県「今治市・越智郡原爆被害者の会」、発足。約20人が参加。
94 03 21 愛媛原水協・愛媛県原爆被害者の会、1994年原爆死没者合同墓前祭を松山市石手川公園の原爆死没者慰霊碑前で開催。遺族ら60人が参列。
94 08 03 愛媛県松山市の会社員小野洋子、米粒大のミニ千羽鶴2000羽を広島市の原爆の子の像に供える。
94 12 02 日本被団協中央相談所、四国ブロック被爆者相談事業講習会を愛媛県で開催。-3日。40人が参加。
95 03 21 愛媛県原水協・同県原爆被害者の会など、原爆死没者墓前祭を松山市の石手川公園の原爆死没者慰霊碑前で挙行。約80人が参列。
95 06 20 国民平和大行進四国コース愛媛県実行委員会、非核平和行政と被爆者援護について愛媛県と松山市に申し入れ。
95 07 01 第41回原水爆禁止四国大会、愛媛県大洲市で開催。約300人が参加。
95 08 03 原水爆禁止国民平和大行進四国コース愛媛県実行委員会、平和行進の中で折られた約20羽の千羽づるを海外を送るつどいを松山市内で開催。今年が6回目。
95 09 07 小林文男広島大学総合科学部教授、最終講義。愛媛大学教育学部に転任。最終講義には江口保も参加。
95 09 30 愛媛医療生協・愛媛民医連、宇藤千枝子の講演会「セミパラチンスクの悲劇」を松山市と新居浜市で開催。
96 07 03 愛媛県議会総務企画生活委員会、市民団体から提出されていた「非核法制定に関する意見書」と「核兵器全面禁止・廃絶国際条約締結の促進を求める意見書」をともに賛成少数で否決。
96 07 27 「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議第26回大会、愛媛県宇和島市で開催。-28日。
97 05 05? 愛媛県菊間町に開館予定の「かわら館」に広島原爆資料館から同町で作られた被爆瓦が永久貸与されるこことなる。22日、引き渡される。
97 08 09 愛媛県今治市原水協・今治市越智郡原爆被害者の会、今治市吹揚公園の原爆死没者慰霊碑前で慰霊祭を挙行。40人が参列。
98 08 04 「原爆と人間展」、愛媛県松山市の愛媛新聞社1階ロビーで開催。-6日。
98 08 09 愛媛県・今治原水協、原爆慰霊祭を同市吹揚公園で挙行。約50人が参列。
98 08 11 愛媛県・大西町非核平和都市宣言推進実行委員会、平和原爆写真展を星の浦海浜公園で開催。今年で4回目。
98 12 28 愛媛県東予市立西中学校の生徒と教諭11人、広島市平和公園の「原爆の子の像」に1万羽の折り鶴で作ったハトの絵をささげる。
99 03 04 愛媛県立三瓶高校教諭、同校生徒会の呼びかけで県内52校から寄せられた折りづる2000羽を広島市平和公園の原爆の子の像に届ける。
99 06 16? 瀬戸内しまなみ海道開通後、愛媛の修学旅行生が増加していることが判明。
99 06 20 四国八十八ケ所霊場会の代表、広島市平和公園の平和の灯から採火。愛媛県今治市内に運ぶ。88寺全てに届け、8月6日に各寺院で原爆犠牲者の慰霊法要と平和祈願法要を実施する予定。
99 08 06 愛媛新聞社説「核兵器廃絶への歩み強めよう」
99 08 06 原水爆禁止国民平和大行進愛媛県実行委員会、「平和の使者、千羽鶴を海外に送る集い」を松山市内で開催。今回で10回目。

原水爆禁止愛媛協議会準備会会長松本久子(愛媛連合婦人会長)から原水爆禁止日本協議会あて書簡(一九五五年十一月一日)

「原爆被害者救援活動御助力依頼について」

原水爆禁止世界大会及び同四国大会の運動と成果の上にたって、愛媛県でも原水爆禁止愛媛協議会が近い将来発足するはこびとなっています。

すでに現在までの活動の結果、当準備会は極めて一部分ではありますが、原爆被害者を組織することが出来ました。更に今後の活動の中でまだ組織されていない被害者を発見し組織し、救援する活動を続け発展させたいと考えています。

つきましては、この原爆被害者の救援活動に対して何分の御助力を賜りたく願いあげる次第です。今当県でも独自の救援活動が出来るよう努力を続けていますが、現在まだその力がなく、被害者を組織するうえでも多面の御助力をいただければ幸甚に存じます。同封の被害者の要請も御考慮のうえよろしく御配慮の程願いあげます。

 

被害者の会発起人久保仲子から原水爆禁止広島県協議会あて書簡(一九五五年十一月二十一日)

拝啓

原水爆禁止及被害者救済に日々御活躍のことと存じます。

私達愛媛県にも原水爆禁止愛媛協議会も来春一月に結成のはこびとなっております。現在は準備会として八・六大会より引き続き活動しております。

広島に近い関係、被爆者も多く、日々を不安な思いですごしております。一人でも二人でもと被害者を探し、現在十五六家族を持って被害者の会をつくろうと思っております。御地の被害者の会とも連絡しております。

尚、中国よりの見舞金の残金を少しでも分けて頂ければと日本協議会にお願いしたところ、次のような御返事が来ました。

貴会にも連絡すると書いてありますので、すでに連絡があったことと存じますが・・・

被害者の治療、援助の実際的な基準は、現在の所広島県協議会が詳しく具体的に立てていますので、治療援助費については暫定的に広島県協議会へ御依頼致しました。

とのことです。

此の間原対協で、愛媛県の原爆症の方は原対協の診断書を頂いても無料の治療は出来ないとのことでした。

広島の方は証認になれば無料で入院や治療が出来るそうだと聞きますけど・・

私の知っている方でも悪い方が沢山あるのです。其の日の生活に困る方もありまる。貴会に二百五十万円のお見舞金はどのように分配されますか?

いろいろお教え頂きたいと思いますので、十一月二十六日午後の便で広島へ参ります。何時お逢い出来るでせうか?日曜日にはいらっしゃいませんでせうか?お返事を頂くひまがありませんから、被害者の会の温品さんか事務局員の大原さんか川手さんか、いずれかに御連絡下さいませんでせうか。

宿泊は温品さん方に致します。御面会のくわしい方法、時間等、御連絡しておいて下さいませんでしょうか・・・

私も努めておりますので、長くも休めません故、よろしくお願い致します。

(以下略)

 

愛媛県原水協準備会では昨年暮より被爆者の実態調査、・・・(不明)・・・一月十一日松山市教育会館において県下の被爆者四十余名が集って愛媛県原爆被害者の会を結成した。

会は当面の運動として①県内被爆者の実態調査、②毎月一回の定期検診、③原爆の悲惨な実相を広く訴えることなどをきめている。

『原水爆禁止広島協議会機関紙ひろしま』(一九五六年二月二五日)

 

愛媛県原爆被害者の会『陳情書』(一九五六年一月二六日付)

 

国会請願第一号 愛媛被害者の会から

さきに中国の救援金による集団検診の機会に結成された愛媛県原爆被災者の会では、二月九日高木靖登会長が上京し、被害者の治療と生活の国家保障を要望する請願を衆参両院に対して行った。

『原水爆禁止国会請願デー運動速報第一号』(一九五六年二月十日)

 

(愛媛原水協発)県下に千六百名の被爆者をようする愛媛県では、全国的に展開中の「原水爆実験阻止週間」の行事の一つとして十五、十七日の両日愛媛県原水協が中心となり被爆者も参加して”原水爆被災者の検診治療健康管理を国家の手で””原水爆の実験を止めてもらおう!”のスローガンをかかげて街頭で被爆者救援の募金活動を行った。

又十四日には愛媛県原爆被災者の会(会長高木靖登氏)の主催、松山市社会課、愛媛新聞社後援のもとに松山市役所職員会館で県市当局の関係者を招いて「被爆者を囲む会」を開いた。

被爆後十年たった現在、今なお原爆症特有の白血球減少、悪寒、呼吸困難、どうきなどで仕事も出来ず悲惨な状態に放置されている被爆者のなまなましい模様が訴えられ、被爆者の医療処置と生活保障の対策を、県市当局でも協力にすすめられたいということが強く叫ばれた。

この「被爆者を囲む会」で出された被爆者の要求を次のような請願書にまとめて、十九日あらためて松山市議会に請願を行った。

原爆被害者救援に関する請願書(要旨)

原水爆禁止日本協議会『原水爆禁止ニュース第八号』(一九五六年五月一日)

『中国新聞』(一九五六年七月二十三日)

原・水爆禁止愛媛県協議会では、”原爆被災者を救おう”と去る三月から県下の被爆者治療資金カンパを行い、国立松山病院の協力で被爆者のうち百三十名について無料診察を行ったが、このうちとくに重症とみられる十三名を広島市民病院に送り、同協議会が診療費を負担して綿密な診断を受けさせることを十九日決め、必要があるものは同市民病院に入院させることになった。

この十三名はいずれも白血球が四千以下または一万七千以上にふえている患者で県原・水爆被災者会長高木靖登氏が引率して二十七日広島に向う。」

 

『中国新聞』(一九五六年七月三十日)

愛媛県原爆被害者の会(会長高木靖登氏、会員二百二十名)の資金カンパを受けた山岡オヌイさん(五七)=松山市太山寺町=ら同県下の原爆症患者十三人は、同被害者の会副会長、久保仲子さん(二九)に付添われて二十七日午後六時半高浜から来広、二十八日午前九時から広島市民病院で河野内科部長ほか一名の医師の手で精密検査を受けた。これらの人はいずれも白血球四千以下の患者で、八月初め判明する検査結果によって入院が必要かどうか決める。なお広島県外からの原爆症患者の集団検診は今度が初めてである。

愛媛新聞社説

年月日 タイトル
850807 広島の心を全人類に語り継げ[8.7]
860807 “広島の声”にどうこたえるか
880809 反核・平和への意志再確認を
880815 “平和大国”として果たす責任
890805 恒久平和確立へ果たす役割
890808 「広島」と「長崎」の 間に立って
900806 被爆の惨禍を更に語り伝えよう
910806 被爆を語り継ぐのは国民の責務
920806 あたらしい時代の「ヒロシマ」
950806 「平和な21世紀」へ反核の輪を
960806 きょうを反核外交の出発点に

 

香川県原爆被害者の会

香川県原爆被害者の会

1957年11月23日<作業中

事項
57 11 23 県内856人の被爆者が香川県原爆被害者の会を結成。内140人が県原水協に加盟。
(「会員おのしおり」571133、「被団協連絡」NO.2)
57 04 20 第1回原爆被害者の会総会。
59 08 23 第2回県原爆被害者の会総会。
60 08 28 第3回原爆被害者の会総会(高松市)。
61 09 17 第4回原爆被害者の会総会。
66 02 26 香川県原水協、第1回県被爆者救援バザー。
67 02 16 香川県原水協・県被爆者友の会連名で、被爆者援護の県独自措置を要求。
68 09 31 香川県原水協理事会。6・9行動の定着化を確認。
68 11 06 高松原水協、6・9行動開始。
69 05 05 三木町被爆者の会。
69 06 22 高松平和病院、第1回被爆者集団検診を高松労働福祉会館で実施。90名の被爆者が受診。
69 08 09 香川県被爆者友の会結成。
70 05 03 香川県高松市の香西寺で第1回原水爆死没者合同慰霊祭。木製慰霊塔建立。50名が参列。
70 05 29 香川県原水協、知事・県会議長に被爆者独自対策を要求。
70 07 12 第2回被爆者集団検診。高松・丸亀(7月19日)・津田(7月25日)。114名参加。
70 07 20 高松平和病院、厚生大臣より原爆医療機関として認定される。
70 11 25 香川県原水協・県被爆者友の会連名で、再び被爆者援護の県独自措置を要求。
71 07 11 第3回被爆者集団検診。89名(二世を含む)(平和病院)。~18日。
71 09 26 第2回原爆死没者合同慰霊祭。(高松市・香西寺)
71 10 24 香川県被爆者友の会と原爆被害者の会の組織統一成る。
72 07 09 第4回被爆者集団検診。(平和病院)。119名受診。~23日。
72 08 17 原爆死没者の碑建設委員会。
72 11 09 6・9行動100回記念集会。街頭での募金総額30万5065円。
72 11 23 第3回原爆死没者合同慰霊祭。(高松市・香西寺)。97柱合祀。
72 12 23 香川県被爆者の会会長、社・共の県委員長、県原水協会長、香川大学学長ら、「原爆死没者の碑建立」実行委員会。
73 01 06 原爆死没者の碑建立委員会。
73 01 19 高松平和病院長、原爆指定病院とするよう要請。
73 01 25 原爆死没者の碑建立募金、25万円達成(目標200万円)
73 07 10 死没者の碑建立募金。
73 09 09 第5回被爆者集団検診。~16日。87名受診。
74 08 09 香川県高松市奥の池堤防に「原爆死没者の碑」建立。募金250万円。
74 09 第6回被爆者集団検診。(平和病院)。94名受診。
75 08 09 原爆死没者の碑建立1周年式典(原爆死没者慰霊祭をきりかえる)
75 08 09 第7回被爆者集団検診。94名受診。
75 10 01 平和病院、原爆医療法による精密・希望検診の指定を受ける。
76 08 09 原爆死没者の碑2周年記念祭。前川香川県知事出席。脇高松市長メッセージ。
76 08 22 第8回被爆者集団検診。(平和病院)。116名受診。
77 02 11 香川県被爆者の会・県原水協・国連派遣実行委員会・民医連・日本科学者会議香川支部、県国際シンポジウム推進委員会を結成。4月15日正式発足。
77 07 31 第9回被爆者集団検診。(平和病院)。94名受診。
77 08 01 原水爆禁止香川県統一実行委員会結成。香川県原爆被爆者の会加入。
77 09 17 香川被爆問題シンポジウム(代表:岡本三夫)集会。200人参加。
78 02 04 「国連に核兵器完全禁止を要請する署名運動推進香川県連絡会議」結成。木場博・県原爆被害者の会事務局長ら4人の代表を決定。木場事務局長、5月21日に米・ニューヨークに向け出発。
78 03 29 日本被団協「被爆者行脚」香川県行動。~4月1日。
78 08 20 第10回被爆者集団検診。122名受診。
78 10 17 香川県原水協常任理事会。79年3月2~4日に被爆者写真展を、県婦連、県青協、被爆者、被爆者写真を送る会の4者共催で、三越・総合会館で行うことを決定。

出典:山本繁「香川の原水禁運動30年史」

Y M D NEWS1
59 07 09 香川県警、「原爆救済」を悪用した自称日本平和推進協議会理事長を詐欺容疑で逮捕。
73 08 04 吉川清、被爆28周年原水爆禁止香川県大会(於高松市)で「被爆者の訴え」。
79 03 29 香川県の中学生、被爆者救援にと寄金。
79 07 16 広島市、平和祈念式の内容を決定。原爆投下時刻の黙祷を中国地方全県と愛媛・香川両県に呼びかけることなどを決める。式典が国庫補助(300万円)の対象となる。
82 01 29? 昨年香川県内で開かれた「広島・長崎原爆展」を見た子どもたちによる「平和への願いを親から子へ-戦争の実像を見きわめ平和の貴さを知る感想文集」、刊行される。
82 02 19 香川県総評、「3.21反核・軍縮・広島平和大集会」に国鉄の借り切り列車で700人を動員することを決定。
82 03 18 香川県善通寺市議会、核兵器全面撤廃などを訴える意見書を採択。
82 03 19 香川県丸亀市議会、核兵器の全面撤廃と軍備縮小の推進訴える意見書を採択。
82 03 25 香川県議会、核軍縮の促進に関する意見書を採択。
82 12 01 香川県善通寺市の四国学院大学・短大学生自治会、定期学生大会で非核学園宣言を決議。
83 09 15 香川県三豊郡三野町、同町在住の被爆者の被爆体験記出版に補助金を出し、町内全戸に配布。
84 05 10 香川県在住の被爆者母子(71才・39才)、倉敷市で自殺。
84 09 13 香川県丸亀市議会、非核平和都市宣言を採択(香川県では初)。
84 10 06 香川県議会、「非核三原則を守る宣言」を採択。
84 12 25 香川県内で、27自体(県・4市・22町)が非核都市宣言をしていることが判明。香川県非核都市宣言運動連絡会調べ。
85 02 17 香川県原爆被害者の会高松支部準備会、発足.
85 02 18 長崎県原水禁、県評被爆連、被爆者援護法制定を訴え奈良・香川などに被爆者八名を派遣。
85 04 99 香川県坂出市の坂出地方労働組合連盟、(41組合約3千人)春闘要求に非核平和都市宣言への賛同署名を求める項目を加え、提出
85 10 10 原水爆禁止日本協議会、香川県で、「非核自治体づくり運動全国活動者会議」を開催( 11日まで) 。
86 03 02 香川県沖多度郡琴平町の金刀比羅宮境内で、同町民ら、核兵器廃絶署名を呼びかけ。
86 04 03? 香川県琴平町・三野町で、核兵器全面禁止・廃絶署名運動が盛り上がる。
87 08 03 香川県の小学生ら、原爆の子の像にと、千羽鶴を送付。
87 10 27 香川県在住の被爆者遺族、被爆直後救護所で両親の世話をしてくれた婦人から当時の様子を聞く。
88 05 04? 福岡県で保存されている“原爆の火”、原水爆禁止香川県協議会の働きかけで、香川県大川郡の寺院に分火され永久保存されることが決定。
88 08 03 香川県小豆郡在住の菊井文江、来広し被爆した軍需工場を訪れ、被爆死した同僚らを慰霊。
88 08 09 香川県被団協、慰霊祭を高松市峯山公園で開催.
88 10 24 四国霊場八十八番札所の香川県の寺院で、「原爆の火」を永久保存するため、原爆の火平和塔の建立式。香川県原爆被害者の会などによる原爆の火永久保存実行委員会が建立。
88 12 16 香川県香川郡直島町議会、非核平和宣言を採択。これで同県と県内43自治体のすべてが非核宣言。鳥取・山梨に次いで全国3番目。
89 06 06? 女優香川京子、ヒロシマ・ナガサキ平和基金に寄金(今年で5年目)。
89 08 06 香川県被団協、追悼慰霊祭を高松市峯山公園・平和の像前で挙行。
90 04 29 開業助産婦香川千代江(84才、被爆者)、勲五等瑞宝章を受章。
90 06 27? 「非核の政府を求める香川の会」、平和を願う声を集めた文集「平和への伝言」(A4、192ページ)を自費出版。
91 03 02 日本被団協中央相談所、四国ブロック講習会を香川県高松市で開催。-3日。
91 08 02 第37回全国高等学校演劇コンクール、香川県丸亀市で開幕。広島市立舟入高校演劇部が原爆をテーマにした「がんぎものがたり」を上演。
91 08 06 香川県被団協、追悼慰霊祭を高松市・峰山公園で挙行。
92 08 06 香川県原爆被害者の会など、第3回平和祈願灯ろう流しを高松市の春日川河川敷で開催。約300人が参加。
92 08 09 香川県被団協、追悼慰霊祭を高松市・峰山公園で挙行。
93 04 17 京都市舞鶴市が広島市から借り受けた原爆ドームのれんがが、香川県の煉瓦製造会社の製品と判明。
93 05 16 香川県原爆被害者の会高松支部、第9回総会を高松市の医療生協会館で開催。約30人が参加。
93 08 09 香川県被団協、原爆死没者慰霊式典を高松市・峰山公園で挙行。
93 08 11 香川県原爆被害者の会など、第4回平和祈願灯ろう流しを高松市内の河川敷で実施。約300人が参加。
94 05 20 香川民主医療機関連合会、高松市内で平和学習会を開催。宇藤千枝子甲府共立病院医師が「旧ソ連の核実験場を訪ねて」と題して講演。約50人が参加。
95 04 24? 香川県高松市の峰山の中腹に峠三吉の詩を刻んだ「原爆の碑」が完成。
95 08 06 香川県原水協など、被爆50周年祈念祭を高松市峰山で開催。160人が参列。
95 08 07 鳥取県議会、中国の核実験再開とフランスの核実験の再開決定に抗議し実験中止を求める議員提案の意見書を採択。県議会レベルでは香川・高知に続き3番目。
95 08 08 「ヒロシマ50-入野忠芳・香川龍介・田谷行平展」、広島県民文化センターで開催。-14日。引き続き県内6か所で巡回展。
95 10 02 香川県議会経済委員会、中国の核実験に抗議し、10月下旬から予定していた中国への視察旅行の中止を決定。
95 10 24 香川県大川郡長尾町・結願寺の大窪寺で「原爆の火」建立7周年集会。約30人が参加。
97 07 23 山梨・滋賀・和歌山・香川・高知・沖縄の6県が、広島市が平和記念式に都道府県から一人ずつ招いている遺族代表を派遣しないことが判明。
97 08 06 香川県原爆被害者の会、原爆死没者慰霊平和祈年祭を高松市峰山公園・原爆慰霊碑前で挙行。70人が参列。
97 08 15? 香川県原爆被害者の会、「戦災・原爆写真展」を高松市役所ロビーで開催。1981年に始め、今回が17回目。
98 03 06 社会精神医学会、香川県高松市で開催。長崎大学医学部の朝長万左男・中根允文教授ら、長崎原対協で受診した7670人を対象とした被爆体験などに関するアンケート調査の結果を発表。
98 07 24 香川県議会、インド・パキスタンの核実験に抗議し、すべての国の核実験と核兵器開発の即時中止を求める決議を採択。
98 08 05 広島への原爆投下直後、宇品港から似島に被爆者を運んだ輸送船の乗組員・三原マスエ(香川県観音寺市在住)、昨年他界した夫の形見の被爆羅針盤を携え、戦後初めて広島市を訪問。
98 08 09 香川県原爆被害者の会・原水爆禁止香川県協議会、原爆死没者慰霊平和祈念祭を高松市峰山公園の原爆慰霊碑前で挙行。70人が参列。
99 07 06 香川県の善通寺(75番札所)で原爆死没者慰霊・平和祈願法要を挙行。高橋昭博元広島平和記念資料館長の被爆者証言会も開催。「平和の灯」巡礼の一環。
99 07 18 香川県原爆被害者の会・県原水協など、日曜日に病院を開放する被爆者検診を高松平和病院で実施。今年で31回目。
99 07 30 原水爆禁止香川県民会議、被爆54周年原水爆禁止香川大会を高松市内で開催。
99 08 06 香川県被団協、1999年原爆死没者慰霊祈念祭を挙行。37万5000円の公費補助。
99 08 06 香川県原爆被害者の会、99年原爆死没者慰霊祈年祭を高松市峰山公園の原爆慰霊碑前で挙行。80人が参列。
99 08 21 香川県原爆被害者の会など、第10回平和祈願灯ろう流しを高松市内で開催。約80人が参加。
99 09 05 長崎市で開かれた原水爆禁止世界大会の高校生平和集会に参会した高校生ら、香川県善通寺市で高校生平和ゼミナールを結成。
99 10 24 香川県原水協など、「原爆の火」建立11周年式典を長尾町・大窪寺で開催。30人が参加。
99 11 10 日本被団協中央相談所、四国ブロック講習会を香川県高松市で開催。-11日。35人が参加。

 

広島県原爆被害者団体協議会

広島県原爆被害者団体協議会<作業中

1956年5月27日

原爆被害者大会・国会請願デーの開催は,広島におlナる既存の原爆被害者組織の大同団結と新たな被害者組織づくりの重要な契機となった。原爆被害者大会実行委員会は,1956(昭和31)年4月8日,事務局に県内各地から30人が参加して代表者会議を開催,次のような決議を行った。

資料:広島県原爆被害者全県地区代表者会議 1956年4月8日

県内の原爆被害者の組織は,被害者大会までに,大竹市(1955年8月6日結成)・甲奴郡(9月1日)・芦品郡(10月11日)・深安郡・神石郡・三次地区(1956年3月15日)などに結成されており,大会後の3月29日には,賀茂郡原爆被害者の会が結成された。一方,広島市内の場合,原爆被害者連絡協議会世話人会は発足しても協議会が結成さしていたわげではなかった。5月4日,市内の6団体の代表と吉田広島市社会課長ら約20人が市役所で協議会第1回準備会を開き,市婦連・未亡人会・民生委員などの協力を得て全市的な組織化をすすめ,協議会を結成することを決めた。また,この日には,毎月6日を追悼の日にしようと申し合わせ,5月6日,5団体の代表約20人が,平和公園の原爆慰霊碑に敬虔な祈りを捧げたのち,1時間iこわたって付近の清掃を行った。

被害者大会実行委員会は,こうした組織づくりに積極的にかかわる一方で,注目すべき国際的な活動を行っている。5月15日には,渡米する大原県知事にアメリカ国民へのお礼と訴えの言葉を託した。お礼は,さきに渡米し治療中の原爆乙女25人への配慮に対してであり,訴えの内容は,原爆障害の根本的な治療法を確立するのは核兵器所有国の務めであり,さらに被害者の念願は二度と原子力兵器が人類の上で炸裂しないことであり,またこれを可能ならしめるのはアメリカはじめ全人類の良識であると強調したものである(「中国新聞」1956年5月15日)。また,5月21日には,訪中視察団の代表である山田恥目および本間大英に,まだ結成前であったが広島県原爆被害者団体協議会名で,中国人民へのお礼を託した。

資料:中国人民への御礼

原爆被害者大会実行委員会は,4月8日につづいて5月13日にも代表者会議を開催,5月21日には,事務局長藤居平一の名で,5月27日の広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協と略称)結成総会の案内状を発送した。広島YMCA講堂で開かれた結成総会には,県内の被害者団体代表120人のほか,長崎8人,愛媛1人の代表が参加した。総会は,経過報告,規約案の審議ののち,次のような運動方針を決定した。

資料:広島県原爆被害者団体協議会結成総会・今後の運動方針 1956.5.27

なお,総会は,藤居平一(原爆被害者大会実行委員会事務局長・広島原水協事務局次長)・井上昇(広島県東部被害者連絡協議会)・日野義隆(大竹市被害者同志会)の3人を代表委員に,また,藤居を事務局長に選出した。