原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第五分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
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第五分散会 |
<藤田ビル> 78 |
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原爆被害者約20名を含め250名が出席。地元広島準備会主催の原爆被害者との懇談会。会場内で5ブロックにわかれ、被害者を囲んで話しあい。
原爆投下当時の地獄のような情景、治療面・生活面でも放置、ABCCが治療をせずに全くモルモット扱いをしていることに対するはげしい憎しみ。
吉川清さんがABCCの日本人職員の給料が厚生省からでている話をきいた岩手県の婦人の話。「私の主人は原子病で医療扶助で治療を受けているのですが、治療費がかさむから扶助をうちきるといわれた。今の話をきいて国民を犠牲にするいきどおらざるをえない」とかたり、今日は主人の代りに出席したのだとのこと。
どの代表もみな被害者からきいた実相に、医者や学者からきいたときよりもずっと原爆の恐しさを感じ、心の底から原子兵器の禁止をしなくては、苦しい生活をしている原爆被害者に愛の手をさしのべなくては、と思った。
昨年2月に発病し、12月ついに12歳で死亡した愛児儀江さんの写真を抱いた岩本さんの姿は目立ったが、京都大学で仏文学を教えているジョン・ピエール・オーンイコールヌ氏(仏人)も熱心に懇談していた。
子宮ガンの検査のためマスイをかけられて無断に一部を切りとられた婦人のはなしには一同、にえたぎるような怒りを禁じえなかった。 |
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9時50分から議事、吉江千賀子(婦人平和協会)、吉田資治(産別)、小宮市太郎(福岡市議)の各氏を議長団に送出。 |
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被害者懇談会での感想が各グループ代表から発表 |
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瓜生(尼崎代表) |
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山崎(京都代表) |
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杉本(三重代表) |
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秋谷(全農林代表) |
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奥山(山形代表) |
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二岡(京都代表) |
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宮野(東京三多摩代表) |
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浅井(熊本代表) |
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(広島婦人団体連絡協議会代表) |
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(沖縄奄美青年) |
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砂川(東京三多摩代表) |
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山口(東京西部代表) |
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池田(焼津代表) |
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下条(福岡代表) |
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秋山(全農林代表) |
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古末(国民救援会代表) |
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(島根代表・原水協) |
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鮎川(山梨代表) |
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島本(広島代表) |
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議長 |
午前中色々の階層の人から熱心な討議ああった。初めての人もいるが、その人を皆で援助するようにして、皆で話しあいを統一させていきましょう。 |
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(大阪代表) |
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斎藤(東京文京区林町南町内会) |
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(岩手代表) |
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松沼(福岡代表) |
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(北海道釧路代表) |
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(富山代表) |
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中島(東京三多摩代表) |
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オーンイコールヌ(京大教授) |
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議長 |
生々しい体験を外国代表の方に聞いていただく。 |
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岩本夫人 |
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岡崎しず子 |
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議長(付言) |
彼女は口唇の整形手術をやってあれだけの形にもどった。 |
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横川の松井 |
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田辺(広島準備会) |
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吉川清 |
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(質問) |
放射能禍の遺伝について |
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瀬戸(日赤産婦人科医師) |
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堀井(愛媛平和運動連絡協議会) |
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議長 |
具体的な方策について述べてほしい。 |
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(富山代表) |
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(江戸川代表) |
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上山(長野代表) |
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田中(北海道代表) |
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浅井(熊本代表) |
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村上(広島代表) |
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広島府中市長 |
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鳥取代表 |
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伊沢(富山代表) |
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岩本 |
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吉川 |
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草間(東大助教授) |
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質問 |
ABCCの撤去についてどう考えるか? |
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草間(答) |
日本人の手で治療を行う |
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広島代表 |
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次いで朝鮮代表の発言 |
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議長 |
今迄の討論のまとめ |
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(1)国際緊張を和らげる |
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(2)被爆者の救済を具体的に進める―その人達の登録や、社会保障を政府に要望せよ、この被爆の惨状を世界に知らせること |
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(3)今後の運動の進め方として次のことがいわれた。 |
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帰ったら部落の隅々まで報告し、運動の組織をつくる。 |
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誰もが自由にこうした会議に参加していけるように運動を進める。 |
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官民公同の運動を進めよう |
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ABCCを一日も早く撤去せよ。 |
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第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 |
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止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第四分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
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第四分散会 |
<農業協同ビル> 44 |
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午前8時15分より約500名が出席して開会。議長団に山下(日教組)今中(広大教授)中野(新日本文学会)を選出、直ちに原爆被害者との懇談会。日詰忍・森岡久代・佐々木歌子・煙石さだ子・島庸子の各被害者より当時の様子、家族の被災状況、今日までの十年間の労苦、現在日赤入院中の病床での「手記」を読み上げ。 |
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質問に入り、「国家補償はどうなっているか」(大阪)「未亡人会の結成、授産所の設置は」(福岡)「民生委員は医療、生活保護をどう扱っているのか」(大阪)、「当時の死亡者数、その後今日までの死亡者数、現在の原爆患者数は」(神奈川)、「ABCCは何をしているのか、し屍体を買上げているというが、罹災者の治療状況は、軍属並みの保障はないのか」(東京)「結婚問題はどうなっているか」風呂屋で入浴をきょひするというが、、また就職は」などの質問が約1時間、次いで静岡代表から第五福竜丸のビキニ被災状況についての詳細な報告。 |
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分科会の討議の主なるものは次のとおり。 |
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原水爆のおそるべき影響 |
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草野信雄(東大教授) |
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大阪代表 |
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草野 |
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東京学生代表 |
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草野 |
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東京婦団連 |
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草野 |
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滋賀県代表 |
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草野 |
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中野 |
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静岡県代表 |
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議長 |
科学的理論的な討議は進められているが結婚問題・精神面の現実の問題についてはいかがでしょう。 |
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長野県代表 |
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草野 |
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石川県代表 |
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草野 |
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滋賀県代表(婦人) |
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広島県代表 |
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草野 |
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議長 |
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広島婦団連代表 |
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議長 |
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広島宗教連盟代表 |
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―午後の部― |
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基地反対闘争の経験 |
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中野重治(議長) |
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野原(沖縄代表) |
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東京三多摩代表 |
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鹿児島代表 |
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山梨県代表 |
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町田(兵庫県代表) |
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(福岡代表) |
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議長 |
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(北海道代表) |
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(石川県代表) |
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イタリーで経験 |
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フォグレアレシ(イタリー代表) |
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フランスで経験 |
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ジャキエ(フランス代表) |
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鳥取代表 |
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東京三多摩代表 |
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被害者の救援問題 |
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議長 |
被害者の問題から入って行きたい |
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九州代表 |
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広島被害者 |
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兵庫県代表 |
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世界連邦代表 |
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東京代表 |
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愛媛県代表 |
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京都代表 |
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大阪代表 |
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広島婦人会 |
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東京杉並代表 |
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京都代表 |
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富山県代表 |
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運動の組織と闘い方 |
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山口宇部代表 |
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福島県代表 |
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山口下関代表 |
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東京学生代表 |
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富山県代表 |
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議長 |
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議事の集約 |
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山下議長 |
① |
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② |
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③ |
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④ |
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⑤ |
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⑥ |
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議長 |
本日の会合を終りにしたい(5時50分閉会) |
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第五分散会<藤田ビル> 78 |
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第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 |
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止
『大竹から戦争が見える シリーズ広島地域近現代史 1』(阪上史子著、ひろしま女性学研究所、20160201)
内容
章 |
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はじめに 4 |
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1 |
海南島に出会う 6 |
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『大竹港引き揚げの記録』を観る 9 |
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海南島へ行く 13 |
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「神戸・南京をむすぶ会」について 16 |
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大竹と海南島をつなぐもの 18 |
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2 |
大竹から「戦争」が見える 22 |
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歴史遺産たっぷりの大竹 23 |
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大竹海兵団 26 |
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城山三郎と笠原和夫の海兵団体験 26
消耗品としての悔しい日々 29
海兵団それぞれの思い出 31
海兵団と大竹 32
その後の海兵団-跡地利用 33 |
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大竹引揚港 35 |
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海南島から復員 35
海南島の日本兵の戦争犯罪 37
大竹『引揚援護の記録』 39
厚生省『引揚援護の記録』 42 |
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企業城下町・大竹 46 |
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“社宅に住む” 46
大林組の飯場 49 |
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戦争と災害と大竹 52 |
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戦時体制下の大竹 52
甚大な原爆被害 53
枕崎台風と広島 57 |
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占領時代の大竹 59 |
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大竹の占領軍慰安所 59
天皇の大竹訪問 65
国立大竹病院 6 |
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3 |
大竹と朝鮮人 68 |
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記録の中の朝鮮人 69
李相萬(リ・サンマン)さんのお話 75
姜周泰(カン・ジュテ)さんのお話 82
私と朝鮮の出会い 87 |
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おわりに 89 |
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止
『』(著者 中国新聞社報道センターヒロシマ平和メディアセンター著、中国新聞社・ザメディアジョン、中国新聞社、ザメディアジョン、20210623)
内容
頁 |
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002 |
「空白」を埋めていく 2 |
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004 |
目次 |
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1部 |
「埋もれた名前」編 13 |
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NEWS 原爆犠牲者 8万9025人把握
〈特集〉埋もれた犠牲者名 どう把握 14
1 70年余 公的記録なし 16
2 全容把握 消極的な国 17
3 生後数時間 名なき命 18
4 各地から応召 犠牲に 19
5 大学の調査 最近から 20
6 多数犠牲 解明には壁 21
7 国交なく援護対象外 22
8 亡命一家をほんろう 23
9 5万人余の記録不明 24
10 宙に浮く事業所名簿 25
11 「個人情報保護」壁に 26
12 「推定」79歳 わが名は 27
NEWS「消された命の証しあった」 28
NEWS「壊滅の悲惨さ 浮き彫り」 29
コラム1「空白 被爆翌年以降にも」 30 |
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2部 |
「帰れぬ遺骨」編 31 |
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NEWS 供養塔の遺骨 1体返還調査
〈特集〉帰れぬ遺骨 家族はどこに 32
1 祈念館の遺影 糸口に 34
2 墓の骨は誰 募る疑問 35
3 資料館周辺 生活の場 36
4 証言集に「麓」さん表記 37
5 供養塔も「家族の墓」 38
6 名前記載 眠ったまま 39
7 小さな「かけら」供養 40
8 1人で発掘「まだある」 41
9 収集「地方がやること」 42
10 死者の無念思い続け 43
11 捜し続けた子 どこに 44
番外編 死亡状況 記録と一致 45
コラム2「生きた証し訴える遺品」 46 |
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3部 |
「さまよう資料」編 47 |
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NEWS 米軍返還の組織標本 劣化
〈特集〉史料の散逸 阻まれた研究 48
1 標本 急性症状の痕跡 50
2 内部被曝 細胞貫く筋 51
3 健康追跡 膨大な蓄積 52
4 被害実態 鮮明に語る 53
5 遺品 焼け跡写す一枚 54
6 保存基準なく廃棄も 55
7 各地の歩み 無二の財産 56
8 屋外動員 教師は反対 57
9 手記や遺品 国・市にも 58
10 痛みや歩み「継承を」 59
コラム3「資料保存 オール広島で」 60 |
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4部 |
「国の責任を問う」編 61 |
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NEWS 原爆犠牲「米に賠償責任」
〈特集〉被害の全て 償われたか 62
1 「遺族も被爆」が条件 64
2 全ての死者に償いを 65
3 死没者銘記 まだ一部 66
4 空襲・原爆 共に被害者 67
5 91歳でやっと手に 68
6 「放射線起因」に限定 69
7 広範囲に「黒い雨」 71
8 「遺伝」未解明 援護の外 71
9 「生き残った者の務め」 72 |
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5部 |
「朝鮮半島の原爆被害者」編 73 |
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NEWS 朝鮮人被爆死 把握漏れ
〈特集〉埋もれた犠牲者 海外にも 74 |
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6部 |
「つなぐ責務」編 77 |
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〈特集〉被害に迫る営み未来へ 78
1 75年経て肉親記載へ 80
2 「まだ発見あるはず」 81
3 公開情報に眠る事実 82
4 援護の外 見えぬ被害 83
5 「絶対悪」繰り返させぬ 84
6 一人一人の命 忘れぬ 85 |
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7部 |
「75年後の夏」編 87 |
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NEWS 投下前の写真3000枚寄贈
1 8・6前日 笑顔のわが家 88
2 生きた証し 語る反物 89
3 75年後の健康手帳取得 90
4 今向き合う「あの日」 91
5 捜し歩いた日々克明に 92
6 叔母の最期 初めて知る 93 |
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ヒロシマの空白 街並み再現 95 |
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写真グラフ 96 |
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本通り 100
八丁堀 108
旧中島地区と周辺 110
本川地区 114
基町と周辺 116
国泰寺町 118
広島駅 120
島病院 122
〈特集〉日常のカケラ 埋めていく 124 |
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ウエブサイト案内 127 |
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止
『原爆と戦った特攻兵 8・6広島、陸軍秘密部隊(レ)の救援作戦』(豊田正義著、KADOKAWA、20150731)
内容
章 |
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まえがき…3
ベニヤ板製の特攻艇「㋹」
特攻兵が非戦闘員の死を看取らなければならなかった
大君の御楯となりて捨つる身と 思へば軽きわが命かな
被爆地を駆け回った特攻兵は原爆症に苦しめられた |
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1 |
学徒-学生は、戦地へ送り出された…21 |
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二万五千人の八列縦隊
兵力補充に使われた学生たち
違和感を覚えた来賓の訓示
講道館の門を叩く
「権力に迎合する貴様には天誅を下す!」
「二、三年は徴兵猶予がつづく」と考えていた
開戦直後から軍部は大学生出兵を示唆していた
学生狩り
徴兵検査で評価が一変した
「俺は戦争に行きたくない!軍隊に入隊したくない!」 |
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2 |
志願-見習士官、水上特攻兵となる…51 |
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「佐倉兵営」
「まるでロボット養成所にいるようでした」
殴る蹴るの懲罰
「将校・下士官・馬・豚・兵」
えんえんと繰り広げられた私的制裁
露骨な機嫌取りで競い合う
後悔した施術がある
玉砕への洗脳
「決死生還を期せざる要員」
「これが母さんに会える最後かもしれない」
「えっ、江田島に陸軍基地があるのか!?」
「一艇を以て一艦を屠る、それが諸君の任務である」
㋹はベニヤの板だった |
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3 |
開発-技術者の願いは砕かれた…91 |
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特攻作戦の本格化
㋹の研究開発チーム
「これは戦闘だと思って掛かれ」
「人命を救いたい」という設計技術者の願い
ベニヤ板製の㋹「甲一号型」の完成
「特攻隊なんだから、体当たりしかない」
技術者たちの望みは打ち砕かれた
戦闘方法大綱に「帰還」「生還」の文字はなかった
十五~十九歳の少年兵
「これで下士官になれるぞ!」
「みんな今年いっぱいの命だと覚悟して精進してくれ」
「手柄を立てんでもよいから絶対帰ってきてね」
拳銃を口に咥え、引き金を引く |
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4 |
戦場-㋹、戦果をあげ、散る…127 |
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「捷号作戦」
アメリカのフィリピン侵攻を予想した大本営
隊員の多くがフィリピンに到着できなかった
バシー海峡は〝魔界〟であった
ルソン島上陸
決戦準備は、判断ミスにより瞬く間に瓦解した
隊員は誰ひとり残っていなかった
㋹の戦果
隊員たちを「特攻戦没者」として扱わなかった
「私たちには玉砕は許されませんでした」
「身体を…、東の方へ…、向けてくれ…」
総員千四百人のうち、約千二百人が命を失った |
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5 |
敗北-㋹輸送船、爆沈す…169 |
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第三十戦隊長・富田稔大尉
「憲兵がなんだ!上等兵のくせして生意気な事を言うな!」
父の背中は小さかった
㋹を貨車で輸送する
慣れからくる失態
出港
「敵機来襲!」
奇跡が起こった
二十二名の隊員が久慈湾で戦死した
㋹はすべて燃えた
三人は沖縄をめざして出発した
「これはとんでもない所へ来てしまった!」
「内地防衛を頼む」
特攻兵同士の友誼
帰還 |
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6 |
原爆-秘密部隊は広島を奔走した…217 |
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全軍特攻化
少年特攻兵の訓練教官となる
機密系将校
本土空襲
親日家が支持した原爆投下
「対日原爆使用問題」
候補地は広島、小倉、新潟、長崎に絞られた
トルーマンの態度は「別人のように変わった」
ポツダム宣言発表前に原爆投下命令は承認された
トルーマンのシナリオ通りの展開
「諸君、我々の運んでいる爆弾は世界最初の原子爆弾だ!」
見習士官の目に映った原子雲
民間人救助は司令官の即断だった
惨状
全隊員、出動
少年兵、突入す
猛火の中を駆け回る
「今は眠る時ではない」
「見ていろ!この仇は必ず取ってやる!」
少年特攻兵たちが見た地獄
広島市民に告ぐ
御前会議
すべての㋹は特攻兵の手で焼かれた |
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7 |
被曝-「戦後」を戦いつづける…289 |
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㋹の特攻兵たちの戦争は終わらなかった
兵士を襲った被曝症状
当初「被爆者健康手帳」の交付は「直接被爆者」のみだった
病状がもっとも重かった時期には、何の支援もなかった
奇跡的にみつかった特幹隊の戦友名簿
四十代で毎年数人の戦友たちが逝った
「俺が原爆症だと知れ渡ったら、子供たちが何されるかわからん」
㋹特攻兵を襲った被爆者差別
証言は鎮魂であり、継承であり、遺言である |
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あとがき…317 |
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止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第三分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
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第三分散会 |
<本川小学校講堂> 44 |
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議長は相沢重明(国鉄)。被害者****(原爆被害者)、市川千代子(未亡人会副会長)、松岡、永田(静岡焼津代表)らとの懇談後、シャ-夫妻(外国代表)、ヴェラユダン、ウイリアムゴランの挨拶を受けたのち分科会に移る。 |
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被害者の救援問題 |
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河野かい |
大阪婦人団体協議会 |
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斎藤(東京南部代表) |
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久保田(東京南部代表) |
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山口りゆう子<山口勇子>(広島子供を守る会) |
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鈴木一男(福島代表) |
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(和歌山代表) |
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(外山代表) |
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大崎綾太郎(東京都南部代表、杉並区議) |
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西田(神奈川代表) |
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松本(愛知代表) |
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芦田(石川代表) |
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島原(長崎代表) |
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山田(福岡代表) |
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本田キミ女史(東京済生会大井診療所長) |
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討議の集約 |
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議長 |
これまでの発言をとりまとめて |
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小川(北海道代表) |
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岡本(広島代表) |
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江川(広島代表) |
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小川(和歌山) |
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小川(広島代表) |
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山田(福岡代表) |
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議長 |
午前中の討議集約(省略) |
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―午後の部― |
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安部女史(アジア諸国会議出席者) |
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緊急動議 一、分科会ごとに被爆者に対する救援カンパを決議する件 |
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富山代表 |
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松井エツ(兵庫県代表) |
==職場婦人懇談会代表 |
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金(在日朝鮮人総連広島支部代表) |
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原子砲、軍事基地の問題 |
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金城良明(沖縄代表) |
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小川(和歌山代表) |
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本田実男(東京三多摩代表) |
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栗林(三多摩代表) |
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駒沢(新潟代表) |
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=(東京武蔵野?PTA連合会会長= |
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栗林(東京代表) |
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(新潟代表) |
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有沢(山梨県代表) |
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大津清水(滋賀県代表) |
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星野(東京代表) |
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大橋(青森県代表=弘前市平和の会=) |
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大野(島根県代表=婦人団長=) |
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松井(兵庫県代表) |
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松本(愛知県代表=小牧基地=) |
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佐藤(東京三多摩代表=全日自労=) |
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岡一枝(京都府代表、婦人連合会) |
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山本(石川県母親大会代表) |
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門田(広島県代表、広島婦団連) |
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西岡(佐賀県代表) |
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松下(島根県代表、=国鉄鳥取工場=) |
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(滋賀県代表) |
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高木竜夫(大分県代表、=平和擁護委員=) |
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坂本(東京大学伝染病研究所、職員組合長) |
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松本ヒサ子(愛媛連合婦人会長) |
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藤本(大阪婦人団体協議会) |
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石井(埼玉県代表、教員) |
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佐久間(東京代表=杉並PTA代表=) |
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議長 |
これまでの議事集約 |
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島根県代表 |
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和歌山県代表 |
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議長 |
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第四分散会<農業協同ビル> 63 |
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第五分散会<藤田ビル> 78 |
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第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 |
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止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第ニ分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
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第ニ分散会 <平和記念館ホール> 35 |
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議長(松本つる子 広島県代表 ) |
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次の被害者4氏
(1)*しげ子=原爆中心地より2粁半の地点
(2)*とく子=原爆中心地より1粁半の地点
(3)*よし子=原爆中心地より2~3粁の地点
(4)*まさ子=原爆中心地より1~2粁の地点
の体験談を聞くこととし、次でインドネシア、朝鮮人民民主主義共和国、ポーランドの核代表の挨拶を受ける |
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議長 |
議題1原水爆の脅威について、被害者実態調査について、3原水爆禁止の運動について、討議 |
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草川昭ニ(全日本造船代表) |
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日野(広島婦団協代表) |
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山崎林太郎(福竜丸対策委員) |
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伏見教授(大阪大学) |
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議長 |
日本医科大学の木原教授が原爆の遺伝について発表しようとしたらアメリカから禁止された。こんな問題をどう考えるか。 |
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一般討議議 |
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熊津(埼玉代表) |
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草川(造船代表) |
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草川 (福岡代表) |
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鈴木(千葉代表) |
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(石川代表) |
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青木(大分代表) |
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大津(北海道代表) |
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―午後の部― |
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被災者の救援はどうしたらよいか |
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百瀬なる子(長野代表) |
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細井友信(京都) |
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楠本銀也(東京代表) |
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松山(富山代表) |
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藤井(原爆医療協議会・広島医師会代表) |
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富士基地反対代表 |
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児玉(埼玉代表) |
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島本(福岡代表) |
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新潟代表 |
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東京新宿代表 |
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小松(埼玉代表) |
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松野(福岡代表) |
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中親(岐阜代表・未亡人代表) |
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今井(石川代表) |
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基地問題 |
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高橋(東京三多摩代表) |
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岸根(東京三多摩代表) |
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(鹿児島代表) |
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広沢(関西主婦連豊中支部代表) |
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細井(京都代表) |
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(山形代表) |
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伊藤(山形代表) |
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松野(福岡代表) |
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議長 |
基地問題は、第二の原水爆競争への道であると確認された。 |
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世界各国との提携をどう進めるか |
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林百郎(長野代表) |
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佐々木(東京代表) |
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芳賀哉(山梨代表) |
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中濃(東京代表) |
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倉島(和歌山代表) |
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わだつみ会代表 |
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神奈川代表 |
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熊井( 石川代表) |
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—石川県は封建的といわれているが、この大会には10余名も参加している- |
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討議集約 |
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議長 |
今までの発言を次のように整理したい。 |
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1 救援の問題 |
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2 基地問題 |
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3 経農宣伝 |
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4 各国との連携 |
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第三分散会<本川小学校講堂> 44 |
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第四分散会<農業協同ビル> 63 |
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第五分散会<藤田ビル> 78 |
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第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 |
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止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
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第一分散会<広島公会堂> 26 |
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一般討議 |
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(富山県代表) |
われわれの提案 |
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森田きみ(東京西部地区準備会) |
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(大阪市代表) |
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(東京都目黒準備会代表) |
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(宮城県平和懇談会代表) |
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東レイ子(東京都板橋区代表) |
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加藤辰夫(島根県町村会長) |
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(東京都代々木代表) |
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(東京都西多摩代表) |
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(静岡県の母親代表) |
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(山梨県純議会代表) |
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(沖縄 祖国復帰促進準備委員会代表) |
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荒井武蔵野市長 |
(武蔵野市原水爆対策協議会会長) |
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—-午後の部 |
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(在日朝鮮人代表) |
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近藤一郎(焼津) |
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高田なお子(原水爆禁止切手平和促進協議会) |
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後藤みつる(東京代表) |
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(郡山婦人代表) |
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田中早苗(広島代表) |
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久原国一(長崎代表) |
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(全国私学連代表) |
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宮藤正樹(新潟代表) |
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*辻和子(福岡代表) |
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(名古屋大学理学部代表) |
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坂間(神奈川県代表) |
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(岡山県婦人代表(アジア諸国会議日本代表)) |
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長野県代表 |
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原田(人類愛前会) |
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藤谷(茨城日農常総) |
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大原(日教組滋賀) |
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秋元(新日本医師協会) |
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議長 |
富山県婦人会の緊急議題「原爆被害者の人に世界大会出席者が慰問金を送りたい」については、明日会議に提案し全体としてやりたい。 |
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以上で提案と意見の発表を終り、同趣旨提案38県の分は割愛。 |
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討議の集約 |
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安井事務総長 |
1.長崎へ大会の名でメッセージを送ろう
2.被害者の救援カンパをやろう
3.被害者の声を全国的にひろげる必要がある。そのため、出来るかぎり被害者を招いたり、文通したりする便宜をはかる。
4.
5.
6. |
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第二分散会<平和記念館ホール> 35 |
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第三分散会<本川小学校講堂> 44 |
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第四分散会<農業協同ビル> 63 |
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第五分散会<藤田ビル> 78 |
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第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 |
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止
ボーヴォワール、シモーヌ・ド・
学生時代、宇吹の下宿にオルグにきた友人にボーヴォワールの講演会を勧められ聴講。
1966年10月9日、ボーヴォワール、サルトルと一緒に広島訪問。
片山美沙子
京都大学美術研究会の会員。『オパールの炎』(桐野夏生、中央公論新社)のモデル。
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。