資料年表:中本たか子
年月日 |
事項 |
備考 |
1903 |
|
|
1119 |
誕生。 |
|
|
|
|
1954 |
|
|
0901 |
『中央公論 9月号 第792号』(中央公論社) |
|
|
中本たか子「壁にかかる書像 」243 |
|
1101 |
『婦人公論 11月号第451号』(中央公論社) |
|
|
中本たか子 「夫への公開状-理想と現実のジレンマ-」 182 |
|
|
|
|
1967 |
|
|
1001 |
『文化評論 1967-No.72』(日本共産党中央委員会) |
|
|
随想 人民の理性の勝利 中本たか子 86 |
|
1968 |
|
|
1201 |
『民主文学 第37号通巻87号』(新日本出版社) |
|
|
広津和郎追悼特集
尽きない感謝をもって 中本たか子…99 |
|
1969 |
|
|
1101 |
『民主文学 第48号通巻第98号』(新日本出版社) |
|
|
誓いの塔は見ている-新島・そのご- 中本たか子…152 |
|
|
|
|
1974 |
|
|
1115 |
『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社) |
|
|
ミサイル反対の新島闘争 中本たか子 87 |
|
|
|
|
1976 |
|
|
0815 |
『抵抗の群集』( 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編、白石書店) |
|
|
この非情なる風土 中本たか子 47 |
|
|
|
|
1983 |
|
|
0801 |
『日本の原爆文学 10 短編Ⅰ』(美川きよ [ほか]、ほるぷ出版) |
|
|
中本たか子「死の鞭と光」152 |
|
|
|
|
1986 |
|
|
0725 |
『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店) |
|
|
|
|
1988 |
|
|
0801 |
『とべ千羽鶴』(中本たか子著、青磁社) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1991 |
|
|
0928 |
没 |
|
|
|
|
1993 |
|
|
0806 |
『跛行 篠垤潔原爆小説集』(篠垤潔、青磁社) |
|
|
<評価> 中本たか子の「原爆文学」 167
<書評> 中本たか子「とべ・千羽鶴」 181 |
|
|
|
|
|
|
|
28 |
1991 |
中本 たか子 |
なかもと・ たかこ |
87 |
小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
中本 たか子
28 |
1991 |
中本 たか子 |
なかもと・ たかこ |
87 |
小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)
内容
章 |
見出し |
|
|
|
はじめに 3 |
|
|
1 |
原爆投下直後 11 |
|
|
|
スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと |
|
|
2 |
受難の広島レポート 20 |
|
|
|
二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打 |
|
|
3 |
広島への道 |
|
|
|
降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った |
|
|
4 |
広島--一九四五年九月三日 42 |
|
|
|
たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え |
|
|
5 |
妨害工作 57 |
|
|
|
なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード |
|
|
6 |
日本人がみた広島 67 |
|
|
|
裏切られた希望 ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談 |
|
|
7 |
二十六年後の広島 77 |
|
|
|
フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者 |
|
|
8 |
ヒバクシャ 90 |
|
|
|
聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙 |
|
|
9 |
生存者の抵抗 106 |
|
|
|
不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆 |
|
|
10 |
原爆製造のドラマ 116 |
|
|
|
ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車 |
|
|
11 |
原爆使用への誘惑 130 |
|
|
|
アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏 |
|
|
12 |
原爆パイロット 152 |
|
|
|
原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で |
|
|
13 |
広島と冷戦 179 |
|
|
|
トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと |
|
|
14 |
自殺するアメリカ 193 |
|
|
|
冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ |
|
|
|
|
|
|
|
訳者あとがき 220 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1911 |
|
|
0916 |
誕生。 |
|
|
|
|
1945 |
|
|
0905 |
デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905 |
|
|
「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331> |
|
|
|
|
1971 |
|
|
0801 |
『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会) |
|
|
「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220 |
|
1972 |
|
|
0530 |
『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社) |
|
|
|
|
1976 |
|
|
0101 |
『世界大百科年鑑 1976』(平凡社) |
|
|
(インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126 |
|
|
|
|
|
|
|
1983 |
|
|
0806 |
『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版) |
|
0927 |
死亡。 |
|
|
|
|
1985 |
|
|
0621 |
『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会) |
|
|
第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45
三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52
1 バーチェットの救援要請 52
2 マルセル・ジュノーの救援要請 52 |
|
0826 |
『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房) |
|
|
第1部
11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216
5.ジュノーとバーチェットの対応 253 |
|
|
|
|
1995 |
|
|
1005 |
『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社) |
|
|
第6章 原爆報道とプレス・コード 218
第1節 バーチェットの疑問 218
第11節 バーチェットの疑問への答え 253 |
|
|
|
|
1997 |
|
|
0520 |
『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社) |
|
|
第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み
世界遺産に登録決定 63
(この人からの一言)
ウィルフレッド・バーチェット 51 |
|
|
|
|
2007 |
|
|
0715 |
『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店) |
|
|
第7章 カバーラップ 191
「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ |
|
|
|
|
2014 |
|
|
0806 |
『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館) |
|
|
ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年]
section2 広島、長崎への原爆投下 11
4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15 |
|
2015 |
|
|
0806 |
『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社) |
|
|
第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する
―沈黙させられる被爆者
2.右往左往する海外メディア報道 79
バーチェットの「すっぱ抜き」 |
|
2016 |
|
|
0310 |
『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社) |
|
|
第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139
講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140
②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?
/バーチェットのスクープ 159 |
|
0802 |
『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社) |
|
|
第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51
ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52 |
|
|
|
|
2021 |
|
|
1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
|
|
第一四章 占領・・・・・418
バーチェット・深刻な放射線被害の記事 |
|
2022 |
『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社) |
|
|
第8章 5人のジャーナリスト
「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158
ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者)
ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者) |
|
|
|
|
|
|
|
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
バーチェット
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
資料年表:久保山愛吉<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1914 |
|
|
0621 |
誕生 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1954 |
|
|
0923 |
没 |
|
1101 |
『中央公論 11月号 第794号』(中央公論社) |
|
|
久保山さんの死
死の床にて 久保山愛吉 180 |
|
1955 |
|
|
0215 |
『未来をつくりだす原子力 青木新書』(林克也著、青木書店) |
|
|
総論-久保山愛吉氏を悼み、その死に学ぶ
1この声をわれらの声に 13
2久保山氏の三つの遺訓 15
3ABCCを日本の手に 19
4抵抗のみ、人間性を守る 23
5放射能謀略Kは」開始された 27
6地球汚染の責任はアメリカ 31
7結論-ねばり強く禁止運動を 37
8追記-科学化されたトリック 38 |
|
0920 |
『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社) |
|
|
『ノー・モア・ヒロシマズ』から『ビキニの・灰』まで………1
―隔離される第五福竜丸―焼津から米軍用機で東京に移送された第五福竜丸の患者たち―酵素吸入中の久保山愛吉さんを看護する肉親たち―マグロの放射覧査―防毒面とビニール服で作業中の俊鶻丸の調査団員―俊鶻丸甲板上で魚の解剖― |
|
|
|
|
1957 |
|
|
0725 |
『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会) |
|
|
Ⅰ 原水爆の被害
(絶筆)死の床にて 久保山愛吉…21 |
|
|
|
|
1968 |
|
|
1015 |
『平和の思想 戦後日本思想大系 4』(鶴見俊輔編、筑摩書房) |
|
|
II 戦後、平和運動の遺産
絶筆 死の床にて 久保山愛吉 346 |
|
|
|
|
1975 |
|
|
0701 |
『第五福竜丸 1954年3月1日その日から』(第五福竜丸平和協会) |
|
|
|
|
1978 |
|
|
0906 |
『原水協通信 第421号』(原水爆禁止日本協議会) |
|
|
久保山愛吉氏追悼のつどい=焼津 7 |
|
|
|
|
くぼやま・あいきち |
19140621生19540923没 |
享年40歳 |
第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。 |
止
ひろしまの河 NO.2(1961年8月1日)
内容
頁 |
著者 |
タイトル |
|
01 |
(写真) |
[堀川町の十字路にて:慰霊碑の] |
|
02 |
山川菊栄 |
原爆と世界の動き |
|
03 |
山口勇子 |
モスクワの託児所で |
|
03 |
近藤幸子 |
短歌 火のいたみ |
|
04 |
|
座談会―被爆体験と今日の私たち |
|
|
|
永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斎藤富美江・煙井美津子・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・(司会者)藤井ゆり。於:平和会館。 |
|
06 |
永瀬清子 |
詩 広島開眼 |
|
07 |
森滝しげ子 |
働く被爆者たち |
|
08 |
小西信子 |
原爆慰霊碑めぐり(2)慰霊碑の街ひろしま |
|
09 |
山本紀代子 |
遺稿 かの日の吾子は |
|
|
南雅子 |
歌集「小さき旗」から |
|
10 |
|
座談会―原水爆時代の文学をめぐって |
|
|
|
中川国雄・*原*夫・小久保均・大原美耶雄・増原正・浜野千穂子・深川宗俊・小西信子・司会:栗原貞子、於:平和会館。 |
|
12 |
八島蒔子 |
詩 ひびわれた地球 同じ空の下で―安保の学生によせる― |
|
13 |
藤井ゆり |
少女たち |
|
14 |
日詰しのぶ |
署名 |
|
15 |
前田とみ子(事務局) |
原水爆禁止広島母の会の活動について |
|
16 |
|
第7回原水爆禁止世界大会へ向けての署名 軍縮全廃アピール |
|
|
|
あとがき |
|
|
|
発行所:前田とみ子方 原水爆禁止広島母の会事務局 |
|
|
|
編集人:栗原貞子 |
|
|
|
印刷所:増田兄弟活版所 |
|
|
|
|
|
止
ひろしまの河 NO.1(1961年6月15日)
内容
頁 |
著者 |
タイトル |
|
01 |
四国五郎 |
題字「ひろしまの河」 |
|
01 |
|
原爆17回忌に捧ぐ |
|
01 |
絵島(写真) |
[広島市立女学校の殉職職員と学徒の慰霊碑の碑面] |
|
02 |
山口勇子 |
原爆孤児 |
|
02 |
南雅子 |
歌集「小さき旗」から |
|
03 |
正田篠枝 |
私の苦悩と寂寞 |
|
04 |
升川貴志栄 |
十六年後の二人の娘からの手紙 |
|
04 |
油井善子 |
未だ癒えず |
|
04 |
小玉満子 |
九回の手術を受けて |
|
05 |
栗原貞子 |
広島・現代の救済 5 |
|
06 |
小西信子 |
原爆慰霊碑めぐり
石田学園の巻(1) 市立女学校の巻(2) |
|
07 |
〈原水協通信〉 |
殖える核保有国 今年こそ実験停止を |
|
07 |
〈原水協通信〉 |
盛んなイギリスの平和大行進 |
|
07 |
八島藤子 |
詩 平和公園にて |
|
07 |
N |
老人に腰かけを |
|
|
S |
原爆十七回忌 |
|
|
|
広島と死神 S |
|
|
|
あとがき |
|
|
|
発行所:前田とみ子方 原水爆禁止広島母の会事務局 |
|
|
|
編集人:栗原貞子 |
|
|
|
印刷所:増田兄弟活版所 |
|
止
ひろしまの河(原水爆禁止広島母の会機関誌)
各号発行年月日
号 |
発行年月日 |
号 |
発行年月日 |
号 |
発行年月日 |
号 |
発行年月日 |
1 |
19610615 |
6 |
19621201 |
11 |
19650101 |
16 |
19720720 |
2 |
19610801 |
7 |
19630501 |
12 |
19650801 |
17 |
19730725 |
3 |
19611001 |
8 |
19630806 |
13 |
19660301 |
18 |
19740725 |
4 |
19611201 |
9 |
19631220 |
14 |
19660801 |
19 |
19750725 |
5 |
19620801 |
10 |
19640425 |
15 |
19670801 |
『ひろしまの河』の主要掲載記事
号数 |
発行年月日 |
記事 |
1 |
19610615 |
原爆十七回忌に捧ぐ |
2 |
19610801 |
座談会「被爆体験と今日の私たち」出席者=永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斉藤冨美江・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・藤井ゆり
座談会「原水爆時代の文学をめぐって」出席者=中川国雄・荏原肆失・小久保均・大原美耶雄・増原正・浜野千穂子・深川宗俊・小西信子・栗原貞子 |
3 |
19611001 |
米・ソ核実験抗議特集号 |
4 |
19611201 |
特集:被爆地の原水禁運動はどうあるべきか |
5 |
19620801 |
被爆十七年の市民感情の方向-ABCCを中心に、 今なおつづく広島:手記八編 |
6 |
19621201 |
岩国基地:わたしたちのまわりは米軍基地にとりまかれている |
7 |
19630501 |
原爆孤児あゆみグループのこと |
8 |
19630806 |
八月特集号 |
9 |
19631220 |
特集:故峠三吉詩碑建設記念 |
10 |
19640425 |
|
11 |
19650101 |
|
12 |
19650801 |
|
13 |
19660301 |
|
14 |
19660801 |
|
15 |
19670801 |
|
16 |
19720720 |
復刊一号<原爆体験の今日的課題> |
17 |
19730725 |
原爆体験特集号 |
18 |
19740725 |
援護法制定の悲願をこめて |
19 |
19750725 |
思出の疎開児童紙芝居 |
止
資料年表:谷本清<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1909 |
|
|
**** |
香川県 坂出市 で誕生。 |
|
|
|
|
1949 |
|
|
0425 |
『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清訳、法政大学出版局) |
|
1950 |
|
|
0401 |
『文芸春秋 第28巻第4号』(文芸春秋新社) |
|
|
ハーシイ氏訪問記…谷本清 13 |
|
0725 |
『ヒロシマの十字架を抱いて』(谷本清、大日本雄弁会講談社) |
|
|
|
|
1952 |
|
|
1001 |
『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター刊) |
|
|
跋 谷本清 75 |
|
|
|
|
1960 |
|
|
0925 |
『ふるさとを訪ねて 少年少女文学風土記 9 広島』(井伏鱒二編、泰光堂) |
|
|
谷本清「原爆と広島」 94 |
|
|
|
|
1969 |
|
|
04 |
『ひろしまの観光 35号』(広島市観光協会) |
|
|
谷本清「ヒロシマ-その平和への姿」 |
|
0806 |
『濱井信三追想録』(浜井信三追想録編集委員会) |
|
|
谷本清「原爆禁止10万人署名」 473 |
|
|
|
|
1976 |
|
|
0720 |
『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚』(谷本清著、日本放送出版協会) |
|
1201 |
『広島通信 No.54』(「広島通信」の会) |
|
|
谷本清「原爆体験は風化するか」 |
|
|
|
|
1982 |
|
|
0501 |
『平和文化 第35号』(広島平和文化センター) |
|
|
ヒロシマの原点に帰ろう
ヒロシマ・ピース・センター理事長 谷本清 |
|
1983 |
|
|
0730 |
『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会) |
|
|
『破壊の日』発刊に寄せて ヒロシマ・ビース・センター理事長 谷本清 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1986 |
|
|
0928 |
死亡。享年77歳 |
|
|
|
|
|
|
|
1997 |
|
|
0201 |
『原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集』(宇吹暁) |
|
|
IV.占領期の原爆問題
2.平和祭・文化祭
3.被爆者援護の構想
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想 |
|
|
|
|
2011 |
|
|
1206 |
『被団協 第395号』 |
|
|
第23回谷本清平和賞 坪井代表委員が受賞 |
|
|
|
|
2005 |
|
|
0624 |
『ヒロシマ、60年の記憶』(近藤紘子著、リヨン社) |
|
|
|
|
2015 |
|
|
0601 |
『広島市公文書館紀要 第28号』(広島市公文書館) |
|
|
光平有希「広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として」 14 |
|
|
|
|
2018 |
|
|
0110 |
『原爆の図 丸木美術館ニュース 第132号』(原爆の図丸木美術館) |
|
|
丸木美術館が谷本清平和賞受賞 谷本清平和賞受賞を祝って(井野口慧子)……p2
谷本清平和賞受賞スピーチ抄録(岡村幸宣)……p3 |
|
2019 |
|
|
1201 |
『憎しみを乗り越えて ヒロシマを語り継ぐ近藤紘子』(佐藤真澄著、汐文社) |
|
|
|
|
2021 |
|
|
1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
|
|
|
|
|
|
|
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。