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清水幾太郎

清水幾太郎

しみず・いくたろう 19070709生19880810没 享年81歳 社会学者。原爆孤児精神養子運動に協力。

資料年表:清水幾太郎

年月日
1907
0709 誕生
 1947
 0201  『世界 第14号』(岩波書店)
「ヒューマニズム」の性格 清水幾太郎 1
1948
0801  『世界 第32号』(岩波書店)
世代の差違をめぐって(座談會)-進歩的思潮の批判と反批判-(安倍能成・和辻哲郎・天野貞祐・清水幾太郎・高桑純夫・松村一人・都留重人・磯田進) 14
 1949
0701 『世界 第43号』(岩波書店)
平和のための教育(座談會) 24
清水幾太郎・今井譽次郎・上飯坂好實・宮原誠一・猪野謙二・新村猛・中井正一・吉野源三郎
1101 『女性改造 4巻11号』(改造社)
不運な書物 清水幾太郎 12
1951
0301 『世界 第63号』(岩波書店)
櫻の園をみて  清水幾太郎・渡邊一夫・竹内好・中野好夫 106
0501 『文芸春秋 第29巻第7号』(文芸春秋新社)
わが子の教育史…清水幾太郎 52
0501 『人間 6巻5号』(目黒書店)
清水幾太郎「私の社會觀」 林健太郎 124
0701 『世界 第67号』(岩波書店)
私の信篠/清水幾太郎 95
1015 『声なき民の声』(清水幾太郎編、要書房) U
1201 『世界 第72号』(岩波書店)
批准國會を傍聴して /清水幾太郎 113
1952
0101 『婦人公論 第416号(38巻1号)』(中央公論社)
 幸福について 清水幾太郎 98
0613 『岩波講座教育 第1巻 世界と日本』(編集責任者:清水幾太郎、岩波書店) U
清水幾太郎「Ⅰ現代文明論」
1953
0101 『婦人公論 第428号)』(中央公論社)
作文について 清水幾太郎 168
0425 『基地の子 この事実をどう考えたらよいか』(清水幾太郎 [ほか]編、光文社)
編集のことば 清水幾太郎・宮原誠一・上田庄三郎 1
0520 『平和の探求 河出新書』(亀井勝一郎編、河出書房)
現代の魔術に抗して 清水幾太郎 48
 0901  『世界 第号』(岩波書店)
 内灘 清水幾太郎 65
0901 『婦人公論 第4号)』(中央公論社)
悲しむべき偏見について 清水幾太郎 43
1954
0301 『中央公論 第786号)』(中央公論社)
弾圧はまず教育から 清水幾太郎 48
以下”雑誌”未入力
1955
1220 『戦争屋-あのころの知識人の映像- スマイルブック』(長尾和郎著、妙義出版)
清水幾太郎と三木清のこと 80
1956
1125 『岩波講座現代思想第1巻 現代の思想的状況』(岩波雄二郎編、岩波書店)
Ⅰ 現代の思想と歴史  清水幾太郎 3
1957
0710 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料』(原水爆禁止日本協議会)
Ⅴ 原水爆禁止運動と平和諸運動
原水爆禁止運動と国際的緊張緩和をめざす諸運動の関連について 上原専祿・高桑純夫・久野収・清水幾太郎・古在由重…223
0917 『岩波講座現代思想第6巻 民衆と自由』(岩波雄二郎編、岩波書店)
IIIプラグマティズム
プラグマティズムの本質 清水幾太郎 249
V自由の観念の発展
自由の観念の発展 清水幾太郎 357
1957
0725 『講座現代倫理 第9巻 世界と日本の道徳教育』(筑摩書房)
これからの日本人 清水幾太郎 3
1969
1220 『原点 「戦後」とその問題 「世界」座談会集III』(吉野源三郎編、評論社)
1980
0925 『日本よ国家たれ 核の選択』(文芸春秋)
1981
0125 『非戦・永世中立論 憲法九条と防衛の問題』(田畑忍著、法律文化社)
四 反憲法九条論に対する批判…42
一 清水幾太郎『日本よ国家たれ』(「諸君」昭和五五年七月号)批判…42
二 江藤淳『一九四六年憲法-その拘束』(「諸君」昭和五五年八月号)批判…50
0324 『戦後思潮 知識人たちの肖像』(粕谷一希著、日本経済新聞社)
4章 近代化の流れ
清水幾太郎-知の遍歴 100
1982
0320 『世界的に狂っている国防論 「世界連邦」創設の「政治的プロセス」』(三好康之著、勁草書房)
5 清水幾太郎筆「核の選択と日本が持つべき防衛力」は「世界の危機」を扇動、助長する以外の何ものでもない…228
1983
0315 『講座現代芸術 2 芸術家』(阿部知二 [ほか]編、勁草書房)
天才 清水幾太郎 171
1988
0810 死亡。
1995
0131 『ジャーナリストとマスコミ 松浦総三の仕事 3』(松浦総三著、大月書店)
第3章 清水幾太郎-極左から極右までの思想遍歴 41
1006 『「世界」主要論文選 1946-95 戦後50年の現実と日本の選択』(「世界」主要論文選編集委員会編、岩波書店)
いまこそ国会へ-請願のすすめ [60・5] 清水幾太郎 333
1996
0207 『丸山眞男集 第八巻 一九五九-一九六〇』(岩波書店)
「清水幾太郎氏の闘い」に寄す……341
1999
0625 『日本原爆論大系 第4巻 核兵器禁止への道Ⅰ』(岩垂弘 [ほか]、日本図書センター)
われわれはモルモットではない(清水幾太郎)66
2002
1120 『「核」論 鉄腕アトムと原発事故のあいだ』(武田徹著、勁草書房)
1980年論清水幾太郎の「転向」 163
2015
0125 『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(山本昭宏著、中央公論新社)
第4章 消費される核と反核-1980年代…161
清水幾太郎の核武装論-被爆国という特権

2023年8月(日録)

2023年8月(日録)

できごと
01 ヒロシマ遺文への投稿=「日本の原子力問題
02  ヒロシマ遺文への投稿=「平和な未来を!映画「はだしのゲン」感想文集
03  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆供養塔納骨名簿(呉市昭和支所掲示)
04  ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:粟屋仙吉」、「池田勇人
05  広島女学院大学出講「平和学特別演習ヒロシマ」
 ヒロシマ遺文への投稿=「キリスト教主義大学ジョイント8・6平和学習プログラム
06  ヒロシマ遺文への投稿=「社説20230806
07  ヒロシマ遺文への投稿=「岩波講座 教育
08  ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:明田弘司
09  ヒロシマ遺文への投稿=「小林文男」、「中国往還―現代史の視点
10  ヒロシマ遺文への投稿=「丸山真男」、「俳優・丸山定夫の世界
11  ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:田辺耕一郎」、「丸山眞男と広島─政治思想史家の被爆体験─
12 墓参:五日市・柳井墓地10:00―円福寺11:00帰宅。
12  ヒロシマ遺文への投稿=「奥久登先生 思い出の記
13  ヒロシマ遺文への投稿=「沖原豊」、「悟道入りの野人 奥久登
14  ヒロシマ遺文への投稿=「御幸教会五十年史 改りのあゆみ五十年」、「熊田秀雄」、「日本よ国家たれ 核の選択」、「その日の広島 キリスト者の原爆体験」、「社史に見る太平洋戦争
15   ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ・ノート」、「原水爆禁止運動(潮新書)
16  ヒロシマ遺文への投稿=「平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言」、「ふるさと文学館 第40巻 広島」、
17  ヒロシマ遺文への投稿=「集中講義「ヒロシマと平和」(2019~2023)
18  ヒロシマ遺文への投稿=財団法人ヒロシマ・ピース・センター「」、「」
19  ヒロシマ遺文への投稿=「中西巌」、「あしあと〈動員学徒援護会〉
20  ヒロシマ遺文への投稿=「動員学徒「慟哭の証言」
21  ヒロシマ遺文への投稿=「松前重義(逓信院総裁)褒状」、「わが戦いの日々 ―被爆四十周年記念
22  ヒロシマ遺文への投稿=「『わが昭和史(松前重義)』への宇吹コメント」、「資料年表:松前重義
23  ヒロシマ遺文への投稿=「広島女学院平和祈念式(被爆55〈西暦2000〉年8月6日~被爆65年)
24  ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:近藤幸四郎
25  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死没者追悼式(広島県動員学徒等犠牲者の会)第63回(2019年~)
26  ヒロシマ遺文への投稿=「御園生圭輔
27  ヒロシマ遺文への投稿=「動員学徒死没者慰霊式典(2015年)
28   ヒロシマ遺文への投稿=「山内敕靖」、「追憶 山内敕靖
29   ヒロシマ遺文への投稿=「校長の記録
30   ヒロシマ遺文への投稿=「広島県史-現代(通史Ⅶ)」、「資料年表:森田俊男
31   ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死没者慰霊式典(2023年)

岩波講座現代思想

『岩波講座現代思想 (全12巻)』(岩波書店)

書名 備考
1 現代の思想的状況発行年月日1956/11/25 Ⅰ 日本の思想
日本の思想 丸山眞男 3
Ⅱ 戦後日本の思想
戦後日本の思想状況 鶴見俊輔 49
Ⅲ 天皇制の間題
天皇制の問題 石田雄 89
Ⅳ 世代論
世代 日高六郎 127
Ⅴ 知識人の問題
日本の知誠人 堀田善衛 157
Ⅵ 平和の問題
平和の問題 清水幾太郎 187
Ⅶ 思想の平和的共存
思想における「平和的共存」の問題 上山春平 217
Ⅷ 自由の問題
自由の問題 粟田賢三 241
Ⅸ 伝統と近代化
伝統と近代化 桑原武夫 273
Ⅹ 戦争責任の問題
戦争責任の問題 真下信一 303
ⅩⅠ 日本の革命
日本の革命 清水幾太郎 329
2 人間の問題1956/12/25 Ⅰ現代における人間の条件および人間の問題
現代における人間の条件およぴ人間の問題 務台理作 3
Ⅱヒューマニズム
近代ヒューマニズムの系譜 山崎正 37
生活意識におけるヒューマニズム 前田陽一 65
新しい人間という問題 加藤周一 83
シモーヌ・ヴェーユの記録を繞って
Ⅲ実存主義
実存としての人間 金子武蔵 105
実存主義とキリスト教 吉村善夫 143
カトリック実存哲学 三雲夏生 161
無神論的実存主義 松浪信三郎 175
IVニヒリズム
ニヒリズムの周辺 寺田透 213
ニヒリズムと現代 原佑 235
V自由とモラル
現代人における自由の間題 滝沢克己 267
現代のモラルとモラリスト 杉捷夫 293
VI人間と歴史
大衆とは何か 高橋徹 309
歴史における大衆 遠山茂樹 337
VII人類の問題
人類の問題 務台理作 363
3 民族の思想1957/4/25 I現代における民族および民族主義 江口朴郎 3
II近代民族理論の系譜
民主主義と民族観 横越英一 33
ロマン主義と民族観念 矢田俊隆 51
マルクス主義による民族理論 井上清 73
[アジア民族主義の諸理論]
アジアの民族主義 飯塚浩二 93
インド民族主義の歴史的問題 飯塚浩二・荒松雄 97
中国の民族主義 竹内好 121
III民族意識と、民族運動
[民族意識の諸契機]
国家的利益
国家的利益の観念 林健太郎 137
国家理性と権力政治 鈴木成高 152
階級および集団との関係 松下圭一 168
国家的忠誠 大熊信行 195
国民的性格 高橋徹 225
愛国心の問題 家永三郎 241
ナショナリズムの構造 升味準之輔 259
[現代民族問題の展望]
帝国主義と民族国家 小椋広勝 303
小数民族と人種問題
ソヴィエトの場合 宇高基輔 327
アメリカの場合 鈴木二郎 346
中国の場合 野原四郎 360
現代民族問題の展望 江口朴郎 373
4 新しい社会1956/1/25 I社会主義思想の成立 水田洋 3
資本主義批判の展望過程
II現代社会主義の思想
[マルクス主義]
マルクス主義の世界観 古在由重 59
資本主義の理論と人間 向坂逸郎 117
マルクス主義による資本主義社会と文明の批判
[社会民主主義]
社会民主主義の成立と発展 猪木正道 149
ドイツ、オーストリアを中心として
現代社会民主主義の思想 石上良平 173
イギリスの場合
「福祉国家」とその思想 大河内一男 195
III社会主義と文化
革命と文化 蔵原惟人 217
革命と芸術 佐々木基一 241
革命と人間 阿部知二 269
IV社会主義に対する批判的諸思想
社会主義批判 喜多村浩 305
現代における社会主義の地位とその批判
5 反動の思想1957/7/25 Ⅰ反動の一般的考察
反動の概念 丸山眞男 3
現代ヨーロッパにおける反動の理論 加藤周一 33
アジアにおける進歩と反動 竹内好 63
Ⅱファシズムの諸形態
イタリアにおけるファシズムの成立 山崎功 87
ナチズムの意味 宮田光雄 117
天皇制とファシズム 藤田省三 153
戦後ファシズムの諸形態 勝部元 187
Ⅲ保守と反動の価値意識
保守の価値意識 小松茂夫 219
反動の価値意識 横田地弘 249
ファシズムの価値意識 久野収 259
Ⅳ反動的編成の過程と手段
反動的編成の一般的過程 石田雄 289
反動教育 勝田守一 319
反動化の具体的手口 高橋徹 335
Ⅴ現代科学と反動
社会科学と反動 高島善哉 355
自然科学における反動 武谷三男・富山小太郎 373
6 民衆と自由1957/9/17 I民主主義の発展
民主主義の歴史的形成 松下圭一 3
民主主義の風土化 斎藤真 31
危機の民主主義 小松春雄 51
現代民主主義の展望 辻清明 81
IIマス・デモクラシー
マスおよびマス・デモクラシー 升味準之輔 101
マス・デモクラシーと政治集団 岡義達 143
マス・デモクラシーと議会政治 尾形典男 163
マス・デモクラシーと政治的大衆運動 永井陽之輔 191
IIIプラグマティズム
プラグマティズムの発達概説 鶴見俊輔 223
プラグマティズムの本質 清水幾太郎 249
デューウィを中心として
問題解決の理論 上山春平 285
IV分析哲学
分析哲学 市井三郎 315
論理実証主義を含む運動の歴史と西欧民主主義
V自由の観念の発展
自由の観念の発展 清水幾太郎 357
[第5巻補遺]
反動の価値意識(承前)横田地弘 403
7 科学と科学者1957/2/25 I科学思想の発展
科学思想の発展 菅井準一 3
II現代科学の方法と成果
現代物理学の方法 湯川秀樹・井上健 41
現代の物質観 武谷三男 79
[現代の生命観]
生化学的生命観 江上不二夫 109
生理学的生命観 岡本彰祐 133
生物進化の理論 八杉竜一 167
III現代科学の自然像
宇宙の進化 畑中武夫 199
生命の起源 野島徳吉 219
生命の進化 早坂一郎 247
IV諸科学における数学的方法
自然科学における数学的方法 北川敏男 271
社会科学における数学的方法 青山秀夫 291
V科学と技術
科学と技術 星野芳郎 317
VI科学と価値
科学と価値 栗田賢三 345
VII科学者
科学者 坂田昌一 375
8 機械時代1957/3/25 機械文明
機械文明 清木幾太郎 3
II マス・コミュニケーション
マス・コミュニケーション 荒瀬豊・ 稲葉三千男 29
III 集団と組織の機械化
集団と組織の機械化 高橋徴 城戸浩太郎 綿貫譲治 87
-官僚化をめぐる諸間題-
IV 産ニにおける機械の問題
サイバネティックス 高橋秀俊 175
オートメーション 脇村義太郎 205
原子力時代における人間 田中慎次郎 227
V 人間の機枝化
人間機械論の系譜面 城塚登 253
-その立場と限界とを探って-
フロイト主義・新フロイト主義 c・エ助 283
杜会組織の未来像 佐々木斐夫 305
-ユートピア思想の逆転-
機械時代における人間の問題 日高六郎 335
9 戦争と平和1957/5/25 I 現代における戦争の性格
現代における戦争の性格 羽仁五郎 3
II 原子力戦争の様相
原子戦争 林克也 55
III 戦争原因論
戦争原因論 田中直吉 85
IV 戦争と平和の思想
戦争の思想 岡本溝一 117
平和論の出発点 杉捷夫 141
平和の思想 神山四郎 157
V 「戦争の不可避性」と平和的共存
「戦争の不可避性」と平和的共存の問題 古在由重 193
VI 平和保障の条件
平和保障の条件 田畑茂二郎 245
VII 平和運動における思想文化上の諸間題
異った立場の人々の協カの問題 谷川徹三 287
文化交流 中島健蔵 309
VIII 恒久平和の思想
恒久平和の思想-恒久平和を基礎づけるもの- 務台理作 323
平和の創造-キリスト教の立場から- 武田清子 339
10 現代芸術の思想1957/6/25 I 二十世紀芸術-現代思想と芸術観
二十世紀芸術 谷川徹三 3
マルクス主義の芸術観 佐々木基一 21
芸術と深層心理 島崎敏樹 39
実存主義と芙術 矢内原伊作 57
ブラグマティズムと芸術 中橋一夫 77
伝統主義と文学 青木雄造 91
民族意誠と伝統 木下順二 109
II 現代文明と芸術の社会的機能
芸術の社会的効果 柔原武夫 125
諸芸術の相互関連 中島健蔵 149
III 芸術と大衆
芸術と大衆 荒正人 159
IV 現代芸術の変遷とその発展
現代芸術の精神的基盤 中野好夫 189
社会主義リアリズム 佐々木基一 213
心理主義の文学 伊藤整 231
記録主義の精神 杉浦明平 247
機能主義と芸術 生田勉 267
現代の音楽 吉田秀和・入野義郎 289
モダン・アート 富永惣一 305
新芸術の可能性と限界 滝ロ修造 337
V 二十世紀芸術としての映画
二十世紀芸術としての映画 岩崎昶 343
11 現代日本の思想1957/11/12 Ⅰ 日本の思想
日本の思想 丸山眞男 3
Ⅱ 戦後日本の思想
戦後日本の思想状況 鶴見俊輔 49
Ⅲ 天皇制の間題
天皇制の問題 石田雄 89
Ⅳ 世代論
世代 日高六郎 127
Ⅴ 知識人の問題
日本の知誠人 堀田善衛 157
Ⅵ 平和の問題
平和の問題 清水幾太郎 187
Ⅶ 思想の平和的共存
思想における「平和的共存」の問題 上山春平 217
Ⅷ 自由の問題
自由の問題 粟田賢三 241
Ⅸ 伝統と近代化
伝統と近代化 桑原武夫 273
Ⅹ 戦争責任の問題
戦争責任の問題 真下信一 303
ⅩⅠ 日本の革命
日本の革命 清水幾太郎 329
歴史・人間・思想1957/12/14 人間と歴史 K・レヴィット 3
現代における個人 K・バルト 31
現代における人間の条件 E・フロム 37
選ばれた人々の生活 S・ド・ボーヴォワール 45
自由の相対性 J・サマヴィル 71
マルクス社会主義の将来 P・スウィージー 85
科学と文化 J・バナール 101
ヨーロッパとアジアとの対話 J・ニ-ダム 121
東アジアにおける共産主義と植民地主義 M・ボール 147
ブロスペロの復権 L・マンフォード 155
マス・ブロダグション時代の芸術 H・リード 189
印象脈の画家 I・エレンブルグ 197
議合制民主主義 S・ラダグクリシュナン 235
思想的自伝 G・ルカーチ 249
執筆者紹介 267
総索引
人名索引
事項索引

増本量

増本量

ますもと・はかる12 18950109生19870812没 享年92歳 金属物理学者。東北大学名誉教授。日本金属学会会長。広島県安芸郡矢賀村(現:広島市東区矢賀)出身。

 

『増本量伝』(石川悌次郎著、誠文堂新光社、1976/06/25)

序 藤森成吉
1 矢賀の春秋
1 出稼ぎの村 1
2 結婚開運 5
3 一等公民 10
4 みのほど 15
5 模索する精神 19
6 門構えの家・高女出の妻 22
7 海老の寺詣り 29
8 “ちょうさい”の里 34
9 排日移民法の公布 40
2 才蔵峠
1 畦のバイオリニスト 47
2 父と子 51
3 二宮穠 56
4 涙の峠路 60
5 肝臓と自転車 68
6 ぼん倉が立つ 76
3 螢雪の時代
1 富士の肩雲 85
2 妥協を排す 90
3 洟水とチブス 97
4 意外な曲り角 103
5 別名“亀さん”決る 112
6 大道無門の実学 118
4 コバルトの妻
1 緑は異なもの 129
2 提灯に吊鐘 136
3 教育代議士 141
4 コバルトの妻(その1) 153
5 コバルトの妻(その2) 162
5 死線を越えて
1 肺患の急襲 173
2 エネルギー哲学 182
3 スーパーインパー 187
4 広島の人々 193
5 不可思議の解明 200
6 錬金術師 208
7 学士院賞と母 214
8 磁石鋼もの語り(その1) 222
9 磁石鋼もの語り(その2) 227
10 磁石鋼もの語り(その3) 232
6 戦局と研学
1 耳栓のはなし 239
2 欧米出張 247
3 センダストもの語り 260
4 焦眉のアルフェル 267
5 広島の原爆 274
7 金研所長時代
1 学士院恩賜賞 285
2 金研の履歴書 288
3 学者の俗務 292
4 金研の復興拡充(その1) 297
5 金研の復興拡充(その2) 301
6 本多先生の終焉(その1) 307
7 本多先生の終焉(その2) 315
8 電磁研とともに
1 航空計器材料試作研究所 325
2 電磁研の躍進(その1) 330
3 電磁研の躍進(その2) 338
4 電磁研の躍進(その3) 344
5 増本式健康法 356
6 栄誉と褒章の道 374
増本量年譜 384
あとがき 松永陽之助

 

忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集

『忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集』(栗原貞子著、詩集刊行の会、1997/06/30)

内容

まえがき
1 ヒロシマのうたを歌い続けて
ヒロシマの道標 10
寂寞を希望にかえて 11
相次ぐ発禁-言論弾圧と細田民樹 13
日米ピースセンターの活動 16
悪い政治と斗って 18
崩れぬ平和都市を 19
生と死 20
ヒロシマのうたを歌い続けて 22
2 忘れじのヒロシマ
原爆で死んだ幸子さん 26
夾竹桃 27
異形 29
日詰さんと原水禁広島母の会 30
黒い十字架 32
いまは安らかに眠りませ 34
眼 35
白い虹 36
愛と死 37
ケロイドの背で証言する 38
まどうてくれ 40
ヒロシマの人体実験はまだ続いている 41
原爆半世紀ヒロシマの女たちは 44
3 歴史の立会人だったのだから
歴史の立会人だったのだから 48
石のなかから 49
歴史の残像 50
ヒロシマと言うとき 52
何のために戦ったのか 53
護憲の碑除幕 56
楽譜「世界とともに」 57
献詩「弟よ」 58
射程距離 60
昇天 61
終わりのとき 62
知らなかった 63
呼ぶ 64
空席 65
献詩 66
4 物故作家を語る会の記録 70
第1回 代表 田辺耕一郎
第2回 代表 好村富士彦
あとがき

田沼肇

田沼肇

たぬま・はじめ 19260419生20000809没 享年74歳 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。

資料年表:田沼肇<作業中

年月日
1926
0419 誕生
 1954
0825  『日本資本主義講座 戦後日本の政治と経済 9 軍国主義の復活』(遠山茂樹編、岩波書店)
 1967
11101  『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局)
 第3分科会 被爆者問題
被爆者援護立法について 田沼肇 96
 1970
 0228  『静岡の被爆者 全戸訪問調査中間報告』(静岡県原水爆被害者の会)
 2.特別寄稿 「全戸訪問調査の意義」 4
日本原水協被爆担当常任理事 田沼肇
 1971
 0720  『原爆被爆者問題 新日本新書,132』(田沼肇、新日本出版社)
 0730  『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社)
 あとがき 田沼肇 212
 1972
0718  『被爆婦人の集い 第4集』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 援護法をめぐって 田沼肇 37
1975 
 1201  『友情の人文字MINE 被爆二世の死を越えて』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 被爆二世のこと 田沼肇 40
 1977
 0125  『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会、広島平和教育研究所出版部)
 核をめぐる国際情勢と平和教育 166 田沼肇
1978
 0915  『被爆の実相と被爆者の実情 1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』(日本準備委員会編、朝日イブニングニュース社)
 被爆者調査 はじめに 田沼肇 217
 1985
 0530  『核兵器廃絶 資料集』(労働者教育協会編、学習の友社)
 5 内外人民の反核・平和運動 運動の歴史と核兵器廃絶への展望 田沼肇 123
 1028  『原爆犯罪 被爆者はなぜ放置されたか』(椎名麻紗枝著、大月書店)
 椎名麻紗枝さんのこと 田沼肇 227
 1987
 1021  『非核自治体 抗議・学習・連帯』(森田俊男著編、平和文化)
 序章 非核自治体運動の意義を生かすために 田沼肇 23
1995
0530 『私のなかの平和と人権』(草の根出版会)
2000
0809 没。享年74歳。
2008
0704 『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売))(投稿

資料年表:韓国人原爆犠牲者慰霊碑

資料年表:韓国人原爆犠牲者慰霊碑<作業中

年月日 事項  備考
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑(堺町・本川橋西詰)除幕式。金在権駐日韓国公使、崔成源在日大韓民国居留民団広島地方本部団長、山田節男広島市長ら100人が参列。 C
1971
0326 李方子女史(元韓国李王朝最後の皇太子妃)、韓国人原爆犠牲者慰霊碑と原爆慰霊碑を参拝。 C
1999
0205 韓国人原爆犠牲者慰霊碑を広島平和記念公園の対岸から公園内移設を進める「移設委員会」が発足。 C
0521 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設工事がスタート。 C
0721 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設完工式。権養伯移設委員会委員長・秋葉忠利広島市長ら関係者約300人が参加。 C
0806 小渕恵三首相、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。「潮流」(岩崎誠「潮流」『中国新聞』20171109) C
1017 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の台座部分にペンキがかけられているのが見つかる。 C
2001
0401 崔相龍韓国駐日大使、広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ記念植樹。
2005
0805 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭。 C
 2015
 0805  日韓両国の大学生23人と駐広島韓国総領事館、韓国人原爆犠牲者慰霊碑のそばに植樹。
2019
1205 「ヒロシマの空白 被爆75年 埋もれた名前〈6〉朝鮮半島出身者」『中国新聞』 C
2023  
 0521  尹韓国大統領夫妻、岸田首相夫妻と広島平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ追悼。

年表:韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑

年表:韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑<作業中

年月日
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑(堺町・本川橋西詰)
1977
0108 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の折りヅル焼かれる。
0603 被爆死した元皇族李鑛公のおば李方子、韓国人原爆犠牲者の33回忌供養のため来広、慰霊碑参拝。
0607 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の供花などにいたずら発見。
0805 韓国人被爆者の慰霊祭、市内堺町韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で。
1978
0305 駐日韓国大使、来広。韓国人原爆慰霊碑参拝。在韓被爆者の援護訴え。
0805 「第9回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」、本川河畔の碑前で。
1979
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭。
09 長崎市で、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」の除幕式。
1980
0728? 広島県朝被協(広島県朝鮮人被爆者協議会)、平和記念公園内に朝鮮人原爆死没者慰霊碑を建立する運動を始める。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、在日大韓民国居留民団広島地方本部主催の慰霊祭。
0809 長崎県朝鮮人被爆者協議会、追悼碑前で原爆犠牲者の慰霊祭。
1981
0516? 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」の台座設置で募金を呼びかけ。
0809 長崎市の「朝鮮人被爆者追悼の碑」前で、追悼集会。
1982
0417 長崎外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会、外国戦争犠牲者追悼文集「核廃絶人類不戦」を出版。被爆した中国人・朝鮮人などの証言を掲載。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で韓国人被爆者慰霊祭。
0917 在日朝鮮人による歌劇団、来広し、原爆慰霊碑に参拝。
1983
0425 韓国の僧りょ、原爆犠牲者遺族ら、来広し韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で、供養祭。
0520 韓国女子バレーボールチームのメンバーら、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0805 韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭(約100人)
0809 長崎市の朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭。長崎在日朝鮮人の人権を守る会主催。
1212 広島県朝鮮人被爆者協議会、平和記念公園内への慰霊碑建立許可の要請書を広島市に提出。
1984
0206 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」建立委員会、広島市に同碑平和公園内移転を申し入れ。
0805 広島市の韓国人犠牲者慰霊碑前で慰霊祭(約200人参列)。
0809 長崎市の朝鮮人犠牲者追悼碑前で、「朝鮮人被爆者追悼式」(今年6回目、約50人参加)。
1985
0402 韓国の歌手趙容弼、来広韓国人原爆犠性者慰霊碑に参拝。
0518 創価学会の広島県女性平和文化委員会編「もうひとつの被爆碑-在日韓国人被爆体験の記録」(A6、193ページ)刊行。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭(約 150人参加)。
0809 長崎市の朝鮮人被爆者追悼碑前で、慰霊式(約 100人参列、長崎在日朝鮮人の人権を守会主催)。
1205 広島市の浜本武一、被爆死した韓国・朝鮮人被爆者慰霊の鎮魂曲を作り、同市内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で披露。
1986
0712? 広島市中区の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の周囲の玉砂利、減少。関係者、修学旅行生らが、記念に持ち帰るのではと困惑。
0805 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の由来の石碑(堺町・本川橋西詰)
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊式( 約 200人参列) 。同碑の由来を刻んだ石碑を除幕。
0806 広島県山県郡の住職、韓国人原爆犠牲者の墓碑を再建し、法要。
0825 広島県山県郡芸北町の寺院に、「韓国人原爆犠牲者」の碑、建立され、追悼法要 (約20人参列) 。
0825 韓国人原爆犠牲者の碑(山県郡芸北町)
0918 京都市の宋斗会、広島市に、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑 」の平和記念公園内への移 を求める署名簿を提出。
1114 大阪府の在日韓国人の小学生、修学旅行で来広し、韓国人原爆犠牲慰霊碑前で民族舞踊などを披露。
1987
0115 広島折鶴の会、韓国人原爆犠牲者の慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう求める署名運動を開始。
0313? 「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」、長崎市の朝鮮人徴用工宿舎跡近くに、碑銘板を設置することを計画。
0515 韓国の李奎浩、駐日大使ら(5人)、来広し、韓国人原爆慰霊碑などに参拝。
0529 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の折づるにろうそくの火が燃えうつり、修学旅行で訪れていた大阪府の八尾市立高見中学校生徒ら、消火。
0620? 韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移転させるよう求める運動が活発化。
0629 広島県内の韓国・朝鮮人青年ら、広島平和記念公園の原爆慰霊碑前で、韓国の民主化闘争支援の座り込み(約120人参加)。
0708? 「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」、戦時中強制連行された朝鮮人徴用工の宿舎跡への碑銘板設置計画で、用地の提供を市に再要請。
0709 長崎市長、「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の碑銘板設置のための用地提供要請に対して、提供できないと回答。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭(約200人参列)。
0809 「第3回日・台・韓YMCAユース・キャンプ」(広島YMCA国際平和教育センタ ー主催)の一行、原爆資料館など見学し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
1988
0114 韓国の駐下関総領事、来広し、広島市長に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園内に移すよう要請。
0401? 広島市の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の周囲の石に、落書きが多いことが判明。
0729 在日韓国居留民団広島県地方本部、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を平和記念公園内に移設するよう広島市に要請。市、「国際親善を重視したい」と規制方針緩和を検討すると回答。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で19回目の慰霊祭(約200人参列)。碑の公園内移設を求めたアピ-ルを作成。
0806 「ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座」など市民団体、「朝鮮人被爆者慰霊碑の平和公園内建立」などを訴えたチラシ「市民による平和宣言」を平和式典参加者らに配布。
0809 長崎市の朝鮮人犠牲者追悼碑前で、追悼早朝集会(約80人参列)。「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」、日本語・英語・朝鮮語で書いた同碑の説明板を設置し、披露。
0913 「中国地区カトリック高校生会」、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移すよう要望。
1209 韓国の詩人高銀、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。原爆資料館など見学。
1216 韓国平和研究所の趙誠学所長、来広し、平和運動の進め方などについて広島県原水禁事務局長らと対談。17日、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
1989
0227 広島県安芸郡の熊野中学校生徒ら、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう申し入れ。広島・大阪の中学生の4000人分の署名簿を添付。
0412? 広島市のピカ資料研究所など、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に関する資料集を作成中。8月に発行の予定。
0726 全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島の有志ら、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立経緯などをまとめた「資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑」(A5、139ページ)を出版。
0728 「朝日文化サロン」(7月15日、福山市で開催)の参加者ら、韓国人被爆者慰霊碑の平和公園内移転を広島市に要請。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭(約150人参列)。今年20回目。過去帳(2101人分)奉納。
0809 長崎市の長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前で追悼式(約100人参列)。長崎在日朝鮮人の人権を守る会主催で、今年11回目。
0907 8月に訪韓した広島県観光連盟会長、広島市長に帰国報告。韓国人原爆犠牲者慰霊碑が平和公園外に建立されていることへの反発が韓国内で強かったことを報告。
1990
0405 広島県安芸郡の熊野中学校生徒、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう広島市に申し入れ。
0416 韓国原爆被害者協会の訪日団、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に参拝後、同碑の平和記念公園内移設などを広島市に申し入れ。
0418 中山外相、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内移設に努力する意向を表明。
0419 広島県総務部長、県議会総務委で、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内への円満な移設を望むと答弁。
0420 広島県朝被協の李実根会長、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題で、新慰霊碑の建立を訴え。
0427 社会党広島市議団、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への移設を広島市に要請。広島市長、積極的に働きかける考えのないことを表明。
0427 韓国の駐下関総領事、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への移設を広島市に要請。
0514 朝鮮総連広島県本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設は市の判断にゆだねるとの見解表明。
0518 広島市、民間からの要望に対して、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を8月6日までに平和記念公園内に移設する考えを表明。
0523 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の折りづる約100羽、焼失。広島中央署、放火とみて捜査。広島市長、「誠に残念」とコメント。
0526 韓国大統領、特使を派遣し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑と平和記念公園の原爆慰霊碑に献花。
0528 大阪府三島郡島本町立第一中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。朝鮮人犠牲者追悼碑前で、平和集会を開催。
0613 在日本朝鮮人総連合会の民族舞踊団、来広し、原爆慰霊碑に参拝。
0614 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内移設について、市民有志ら、広島市役所で会合(原田東岷・今堀誠二・横路謙次郎ら8人)。
0618 「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」(仮称)について話し合う市民有志による建立準備委員会、広島市役所で第2回会合。現在の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を改修し移設することで一致。
0623 「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」(仮称)建設準備委員会、広島市役所で第3回会合。碑文について検討。
0626 在日大韓民国居留民団、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内への移設で、碑文の全面削除に同意。
0626 「今、平和公園のあり方を問うシンポジウム」実行委、広島市長に同シンポ(7月15日)への出席を要請(7月12日にも再要請)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑問題・原爆資料館展示などを討議の予定。
0627 「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会」のメンバー豊永恵三郎が、同委員会に辞表を提出していたことが判明。日本人が表に出すぎて納得できないとの理由。
0627 外国人指紋押捺をなくす会のメンバーら、「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会」に質問書を送付。碑の移設を拒否してきた広島市の責任などについて質問。
0629 「韓国被爆者を迎える広島の会」など、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を、現状のまま平和公園に移設するよう市に申し入れ。
0709 広島市、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の8月6日までの移設は困難との見解を表明。
0710 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」建立当時の張秦熈建立委員長、碑は「現在のままの姿で公園内に移設して欲しい」と広島市に要望。
0711? 広島市のキリスト教関係者ら、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の碑文の書き換えをやめるよう広島市に要望。
0715 「いま平和公園のあり方を問うシンポジウム」(同実行委主催)、広島市で開催(約250人参加)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設などについて討議。
0717? 在日本大韓民国居留民団、「朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」の新碑文案について協議。
0718 全国キリスト教連絡協議会、広島市長らに、碑文の削除を条件にした韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設を中止し、当事者の意見を尊重するよう申し入れ。
0720 広島市、平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設予定地の工事用くいを撤去。8月6日までの工事開始を断念したため。
0720? 広島市、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内の移設先を、原爆供養塔南側に決定。
0723 広島市、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設について、8月6日までに努力するとの意向を表明。
0724 「いま、平和公園のあり方を問う」シンポジウム実行委員会、韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会に、碑文の削除反対を申し入れ。
0726 大阪市の中島中学校生徒会役員ら、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の現状のままの移設を広島市に要望。
0726 在日本韓国居留民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題について臨時地方委員会を開催。碑文修正についても再検討することを決定。
0728 「韓国原爆被害者協会」の辛泳洙会長、広島市で記者会見。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の碑文を削ってはいけないとの見解を表明。
0730 韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会、在日本大韓民国居留民団側の統一碑への意思一致を待つとの見解を表明。
0730 「平和公園のあり方を問う八十六人委員会」、広島市で結成され、初会合(30人参加)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設問題について協議。
0730 在日本大韓民国居留民団広島県本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を、現状のまま仮移設するよう広島市に申し入れ。
0804 広島市、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設問題で、8月6日までの移設を断念したことを正式表明。
0805 韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市の同慰霊碑前で挙行(約200人参列)。在日本大韓民国居留民団広島県本部代表、碑の移設に努力するとの決意表明。
0809 韓国の「釜山日報」記者、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題取材のため、来広。
0809 在日本大韓民国居留民団と在日本朝鮮人総連合会代表、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の移設問題について、広島市で会談(両団体代表による会談は初めて)。
0813 韓国の駐下関総領事が、韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設問題で、碑文を削除しないよう広島市に要請していたことが判明。
0815 「不戦の集い」(長崎の証言の会・長崎原爆被災協など主催)、長崎市の爆心地公園の「核廃絶人類不戦の碑」前で開催(約50人参加)。長崎県朝鮮人被爆者協議会会長も参加。
0820 韓国の演舞集団「サムルノリ」、来広し、平和記念公園の原爆慰霊碑前と韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊演奏。
0915 市民団体「いま平和公園のあり方を問う86人委員会」、広島市で、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑の建立経過に学ぶ」集いを開催(約40人参加)。長崎市の岡正治の講演など。
1010 「在韓被爆者広島訪日団」(女性被爆者10人)、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝(17日まで滞在)。戦後帰国して以来の初来日で、被爆者健康手帳を申請(16日、手帳取得)。
1017 「平和公園のあり方を問う86人委員会」、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和公園への早期移設などを申し入れ。
1101 第二次大戦に兵士・軍属として駆り出された韓国人らによる対日賠償訴訟原告団、来広し、韓国人原爆慰霊碑などに参拝。同碑が平和記念公園の外に置かれていることに、遺憾の意を表明。
1115 韓国の金宇相駐下関総領事、退任を前に来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への早期移設を改めて要望。
1217 駐下関韓国総領事、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題について、在日同胞社会が意見をまとめ円満な解決を目指したいとの見解を表明。
1219 広島市、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」移設問題について、来週の広島-ソウル便就航までに実現するよう努力するとの見解表明。
1991
0122? 平和公園のあり方を問う広島86人委員会、広島市長選候補者に、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園移設について公開質問状を送付。
0304 広島市長、市議会で、韓国人原爆犠牲者慰霊碑移転問題について、民団と総連の合意調整に努力していくと発言。碑はまず移転し、それから話し合えばよいとの前言を撤回。
0323 「韓国原爆被害者協会」の被爆者ら12人、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。1990年に韓国を訪問した浄土真宗本願寺派安芸教区の僧りょとの交流がきっかけで来広。
0417 在日本韓国居留民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の新しい碑文案を発表。それによると、碑正面を「韓国朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」とすることを提案。
0427 韓国の釜山日報社長ら、来広し、広島市長を表敬訪問。同社長、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園への早期移設を要請。
0509 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部の新役員ら、就任あいさつに広島市役所を訪れ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園への早期移設実現を要望。
0514 朝鮮総連広島県本部の幹部ら、韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設問題について、広島市長に、民団広島県地方本部が示した新碑文案(「韓国朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」)は認められないとの見解を表明。「南北分断を示す碑文は受け入れられない」との理由。
0514 平和公園のあり方を問う86人委員会、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう求める7400余人分の署名を提出。26日の同委員会主催のシンポジウムへの広島市長の出席を要請。市側、拒否回答。
0519 ファミリーサイクリング広島県大会、広島市で実施(150人参加)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを見学。
0526 平和公園のあり方を問う86人委員会、広島市で、韓国人原爆犠牲者慰霊碑問題などをテーマにしたシンポジウムを開催(約80人参加)。1990年7月に次いで2回目。韓国人原爆犠牲者慰霊碑をテーマにした劇などを上演。
0615 韓国の社会科教師ら19人、日韓交流文化基金の招きで来広し、原爆資料館などを見学。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0622 「『韓国人原爆犠牲者慰霊碑』について学ぼう」、広島市のYMCAで開催。講師は広島電機大付属高の豊永恵三郎教諭。
0703 平岡広島市長、韓国人慰霊碑の移設問題で、「南北統一碑が移設の前提」と発言。2月の選挙期間中の「現在の碑をまず移設」との見解を変更。
0711 「広島の民族差別と闘う会」、南北統一を韓国人原爆慰霊碑移設の前提条件とする3日の広島市長発言に抗議し、慰霊碑の無条件移設を申し入れる。
0712 広島市長、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題について、「即刻移転」から「統一碑での移転」に見解が変わった理由を説明。当事者らが統一碑で合意したいとなったからと説明。
0712 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の現状移設の方針を決め、広島市に伝達。
0716 韓国大学生日本研究会の日本訪問団(42人)、来広し、平和記念公園などを訪問。広島県知事に韓国人被爆者慰霊碑問題の善処を訴え。
0717 広島市の市民団体「平和公園のありかたを問う86人委員会」の相原一博代表ら、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題についての公開質問状を広島市に提出。「南北統一碑でないと平和公園に入れないのか」などを質問。
0724 韓国・仁川市の高校生と安芸郡内の高校生(36人)、広島市平和公園の原爆慰霊碑に参拝し、原爆資料館を見学。仁川市の高校生は、安芸ニューライオンズクラブの招きで来日。
0725 在日本朝鮮人総連合会広島県本部、広島市長に原爆犠牲者の南北朝鮮統一碑案を提示、統一碑で移設するよう申し入れ。
0804 朝日新聞社、「原爆の日」を前に、平和問題についての広島市長へのインタビュー記事を掲載。平和宣言・韓国人慰霊碑問題などについて見解を表明。
0805 第22回韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市平和公園側の慰霊碑前で挙行(約300人参列)。民団広島県地方本部団長、碑の平和公園内への移設を要望。
0805 「91年反戦反核広島集会」、広島市の県民文化センタ-で開催。「韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和公園内移設を求める決議」を採択。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、長崎市爆心地公園の原爆被爆朝鮮人犠牲者碑の前で総長追悼集会を開催(約100人参列)。南北朝鮮代表が初めて同時参加。今年で13回目。
1204 平和公園の在り方を問う86人委員会、韓国人原爆慰霊碑の移設推進を求める1万4600人分の署名を広島市に提出、同問題について平岡市長に対する公開質問状を公表。
1210 太平洋戦争犠牲者遺族会の原告団一行22人、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
1216 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部の役員4人、広島市に7月在日本朝鮮人総連合会が提示した原爆犠牲者慰霊の統一碑の碑文を拒否する意向を伝える。
1992
0112 広島折鶴の会の子どもたち5人、河村病院で韓国人被爆者と一緒に書初め。ハングル文字で「韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園に」。
0123 韓国大学生日本文化研究会の学生14人、広島市を訪問。韓国人慰霊碑などを参拝。
0309 韓国の被爆者18人、浄土真宗本願寺派安芸教区の招きで広島入り。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0527 広島県原水禁・平和公園のありかたを問う86人委員会など12団体、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の公園内移設問題で、現状のまま公園内に移設するよう平岡市長に申し入れ。
0711 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部と在日本朝鮮人連合会広島県本部、平岡広島市長との個別会談を通じて、10月を目途に広島市の平和公園内に統一碑を建立することで合意。
0805 第23回韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で開催。約150人が参列。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、長崎市爆心地公園の長崎原爆朝鮮人追悼碑前で早朝追悼集会を開催。約100人が参列。
0827 「浮島丸事件」原告団一行17人、広島市の韓国人原爆慰霊碑に参拝。
0902 「アジア・太平洋の戦争犠牲者に対して反省し、心に刻む碑(仮称)」の建立委員会結成準備会、広島市内で開催。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」のメンバーら約15人が参加。
0923 壱岐芦辺町など、昭和20年10月11日の阿久根台風のため帰国途中遭難した朝鮮半島出身者の「大韓国人慰霊碑」の碑文除幕式を挙行。約20人が参列。
1008? 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の公園内移設問題で公園内に「南北統一碑」を建立する計画、目標とした10月中旬までの実現は困難なことが明らかになる。
1027 第10回アジアカップサッカー選手権大会に出場のため広島入りしている北朝鮮の選手団一行約30人、原爆慰霊碑に参拝。
1123 韓国の壬乱護国英霊還国奉行委員会、広島市を訪問。韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを参拝。
1993
0104 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)韓国支部に加盟している韓国の医学生17人、広島入り。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0201 在韓被爆者金順吉、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0203 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」代表江口保、福岡県の修学旅行生に広島の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に咲くムクゲの種を贈る。前年10月から実施。
0301 「平和公園のありかたを問う86人委員会」、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和公園内移設問題で、現状のまま公園内に移設するよう平岡広島市長に文書で申し入れ。
0318? 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部、平和公園外の原爆慰霊碑の公園内移設に関連し、碑前面の碑文の変更以外は認めず、朝鮮総連がこれを認めない場合は、今年8月までに現状での移設を求める方針を決める。
0322 韓国の被爆者21人、浄土真宗本願寺派安芸教区の招きで来日し、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。30日、帰国。
0423 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部、定期地方委員会を広島韓国会館で開催。韓国人慰霊碑の碑文問題で合意が出来ない場合は、碑の現状移設を広島市に求めて行くことを改めて確認。
0809 韓国の大学生ら37人、「韓国在日同胞会」(祖国に留学中の在日韓国人学生らで組織)の呼掛けによる「呉-広島-下関」の旅の途中で広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑参拝。
1112 第3回「在日韓国・朝鮮人の未来と人権」、広島市内で開催。-13日。韓国人原爆慰霊碑の平和公園内への即時移設などがアピールされる。
1994
0712 韓国慶尚北道の被爆者26人、浄土真宗本願寺派安芸教区の招待で広島入りし、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、長崎市爆心地公園の「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」前で追悼早朝集会を開催。約120人が参加。
0819 第15回全国在日朝鮮人教育研究集会、広島市内で開催。韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを見学し、韓国人被爆者の証言を聞く。-21日。広島での開催は1987年に次いで2回目。
0901 長崎市の平和公園にある長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前の青銅香炉が盗まれていることが判明。
0905 在日本大韓民国民団広島県地方本部、広島アジア大会開会式当日の朝に韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で同大会に参加する韓国選手団の関係者を招いて追悼式を開催することを計画。
0920 広島アジア大会に出場のため広島入りした韓国のヨットチームの3人、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を参拝。
1002 在日本大韓民国民団中央本部など、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭を挙行。約700人が参列。
1995
0322 韓国・大邱市の原爆被害者協会慶北支部の会員20人、浄土真宗本願寺派安芸教区の協力で広島入り。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。9人が市役所に原爆手帳を申請。24日、市内の親類や戦前暮らした場所などを訪問。
0417 韓国大邱広域市の実務協議団一行、広島市と姉妹都市提携の協議のため広島市入り。平和公園の原爆慰霊碑と韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。18日、両市が初協議。当面の交流計画などで合意。
0513? 「広島高校生平和学習ゼミナール実行委員会」など、「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑建設委員会」に60万円を寄付。
0515 「日韓地方新聞編集局長フォーラム」に参加する韓国側5紙の代表、広島市を訪問。韓国人原爆犠牲者慰霊碑と平和公園の慰霊碑に献花。
0721 「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」の除幕式、広島県比婆郡高野町で挙行。約200人が参列。費用は約300万円。
0805 第26回韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で挙行。約250人が参列。
0805? 広島の韓国・朝鮮人原爆慰霊碑のについて広島市の調整で公園内への「並立」案が浮上。
1996
0220 韓国・大邱市、5月に予定されている姉妹都市縁組みを前に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園内に移設するよう求めていることが判明。
0222 韓国・大邱市が、広島市内の韓国人原爆慰霊碑の移設問題で広島市の事情説明のための職員派遣を断っていたことが判明。
0805 在日本大韓民国民団広島県地方本部、第27回韓国人原爆犠牲者慰霊祭を広島市の慰霊碑前で挙行。約200人が参列。
1997
0501 韓国・大邱市長ら、広島市を訪れ韓国人原爆犠牲者慰霊碑を参拝。
0512 韓国原爆被害者協会慶北支部(本部:大邱市)のメンバー23人、広島市を訪れ、被爆者健康手帳の交付申請や韓国人原爆犠牲者慰霊碑への参拝を行う。浄土真宗本願寺派安芸教区の受け入れ。
0723 広島市の古田公民館と交流している韓国・ソウルのユソク初等学校の訪問団、韓国人原爆慰霊碑に参拝。
0805 在日本大韓民国民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊祭(28回目)を慰霊碑前で挙行。約200人が参列。
0806 橋本首相、「被爆者代表から要望を聞く会」に出席。広島県内の被爆者7団体のうち4団体代表から意見を聞く。今回初めて10分間の質疑応答。この中で首相、韓国人の原爆慰霊碑に「近いうちに参拝する」と述べる。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、追悼集会を長崎市松山町の長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前で挙行。約150人が参列。
0920 「ヒロシマ・平和のリボンの会」、米の2回目の核実験に抗議行動を広島市平和公園の原爆慰霊碑前で実施。韓国ソウル在住の子供記者2人も参加。
1998
0501 曹圭泰駐広島大韓民国総領事、広島市役所を訪れ、平岡市長に就任挨拶。韓国人慰霊碑の移転について要請。
1224 平岡広島市長、平和公園対岸にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑を来年の8月6日を目標に公園内に移設する方針を明らかにする。
1225 中国新聞社説「韓国人慰霊碑の移設を歓迎」
2023
0521 尹韓国大統領夫妻、岸田首相夫妻と広島平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、追悼。

 

1999年

年月日 事項
1999
0205 韓国人原爆犠牲者慰霊碑を広島平和記念公園の対岸から公園内移設を進める「移設委員会」が発足。 C
0521 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設工事がスタート。 C
0721 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設完工式。権養伯移設委員会委員長・秋葉忠利広島市長ら関係者約300人が参加。 C
1017 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の台座部分にペンキがかけられているのが見つかる。 C
2001
0401 崔相龍韓国駐日大使、広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ記念植樹。
2005
0805 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭。 C

李鍝

李鍝

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 李氏朝鮮王族の子孫。広島原爆で被爆死。

資料年表:李鍝<作業中

年月日 事項 備考
1912
1115 誕生。
1926
04 学習院中等科を経て、陸軍士官学校予科入学。
1945
07 第二総軍司令部(広島)参謀部第一課教育参謀に任命さる。
李方子『過ぎた歳月』
0806 原爆被災。
0807 似島(広島沖)で逝去。32歳。
0808 遺体を吉島飛行場から朝鮮京城へ。
宮内省発表(8日正午)李鍝公殿下には一昨六日広島に於て作戦任務御遂行中空爆により御負傷、昨七日戦死せられたり
0810 宮内省告示第21号 大勲位李鍝公殿下本月七日薨去セラレタルニ付長子李清公系ヲ襲カセラル 宮内大臣 石渡庄太郎
0815 葬儀。
0825 『昭和天皇実録』(1945年8月25日の項)=朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。○侍従日誌、侍従武官日誌、王公族録、徳川義寛終戦日記、松平慶民手帖
1963
1106 ~7日。 朴賛珠(李鍝夫人)、陸軍士官45期生の招待でソウルから来広。広島平和記念公園、原爆死没者慰霊碑、相生橋、前田別荘など訪問。
1969
1016 広島県、広島韓国人原爆慰霊碑建立委員会が進める韓国人慰霊碑を平和公園対岸の本川橋西詰河岸緑地への建立を許可。
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑―李鍝公殿下他弐万余霊位、除幕
1973
01 李方子『すぎた歳月』
第8章
戦局は日々に暗く/広島に原爆投下/ああ、八月十五日/韓国は独立したけれど
1988
0915 中国放送、テレビ『民族と海峡・広島で原爆死した朝鮮王族李鍝 その生と死を追う』放映。
1989
0805 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志<加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎>、「ピカ資料研究所」田原幻吉・中川幹郎)、刊行「碑の会」(全朝教有志・ピカ研)
 1999
2015 
 0903  『ともに歩んできた50年 韓日国交正常化50周年記念 駐広島大韓民国総領事館 ニュースレター特別版』(駐広島大韓民国総領事館)
  韓国人原爆犠牲者慰霊碑と李鍝 35

 

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』