わが戦いの日々 ―被爆四十周年記念

『わが戦いの日々 : 被爆四十周年記念』(長崎県動員学徒犠牲者の会・長崎県被爆者手帳友の会、長崎県被爆者手帳友の会刊)

内容<作業中

運動の部
1長崎県動員学徒犠牲者の会の結成当時の状況・・・・1
2原爆医療法制定当時の状況・・・・・・12
3ビキニ水爆を起点として、もりあがった原水禁運動の初期の状況15
4分裂した原水禁運動・・・・・18
5浦上天主堂の存置運動は空しかった・・・・・・23
6医療費無料化への道・・・・25
7長崎県被爆者手帳友の会を何故つくったか・・28
8原爆特別措置法の制定の前後・・・・・・・34
9近距離被爆者に対する保健手当はこのようにして作られた・・37
10時津・長与地区の被爆地指定の運動・・・48
11現川、中尾等六キロから八キロ圏の被爆地指定について・・50
12その後の被爆地区是正について・・・・・52
13“長崎の鐘”を作ろう・・・・・・54
14原爆特養“かめだけ”建設について・・・56
15原爆病院の建設について・・・・・・・65
16原子力船「むつ」について・・・・・70
17伊木力円満寺、川棚海軍病院の被爆者手帳交付について・・74
18原爆後障害研究施設の研究所への昇格について・・・・79
19被爆二、三世の運動の行方・・・・・81
20参議院の公聴会に参考人に招かれて・・・・・83
21被爆者の期待を裏切った基本懇の答申から・・・・85
22組織、組織と組織づくりして県下最大の被爆者団体となった熱意91
23思い出 理事長 吉川秀夫・・108
24苦労した組織づくりについて・・・・・・・109
行事の部
安日晋先生の記念碑について・・・・・・・111
被爆地区是正ならびに被爆者援護法推進総決起大会・・118
全国戦争犠牲者国家補償要求長崎大会・・・・125
終戦の詔勅が放送されていたとき 腕切断の手術を受けた私 下谷富太郎・・

妻、子、父母の家族全員を失ったその後の人生 深堀市五郎193
夫の理解と協力により幸せな結婚が出来た私 渕本玲子195
体にガラス片の残ったまま命懸けで故郷に帰った 私泉ワカ195

原爆で妻、子を亡くし逆境にもめげず
農業会のために情熱を燃やした私 佐木篤二・・・198
夫に感謝しながら生きてきた私 八窪松代・・199
多くの人の善意にささえられて 村崎圭子・・・201
母と叔父の看病で奇跡的にも助かった私 土岐えみ子・202
ケロイドで生涯悩まなければならない私 犬山春吉204
運命の悪戯か家族全員を失ったその後の私 上 好成206
被爆者援護についてこのように活動をした 永元安夫207
私はこのようにして友の会を知ることができた 大浦愛子208
いまなお傷痕に苦しむ私 佐藤文子210
救援第一号のトラックに乗って 平井茂・・・211
最愛の一人娘を原爆で亡くした私 山本ユキ・214

支部紹介の部(友の会には県下一二〇支部ありますが提出された八〇支部をのせております)
支部の素顔
長崎市 立山、戸町、川平、小榊、三重、平山、西城山、
西町、古賀、油木、飽の浦、矢上、現川、坂本、
西山、稲佐、三原、式見、山里、中尾、竹之久保、
銭座、城山、茂木(大崎)・・・・・・217
佐世保市 佐世保・・・・・・・・・・239
諌早市 小野、有喜、本野、小栗、諌早中央・・・・240
西彼杵郡 長与、神浦、多良見(東)、大瀬戸、崎戸、高島、
時津、大島、西海、西彼、三和、野母崎、琴海、
琴海(西海)、多良見(西)・・・・244
南高来郡 瑞穂、国見、口ノ津、有明、布津、北有馬、吾妻
南串山、西有家、南有馬、加津佐、千々石、深江259
北高来郡 小長井、森山、高来西、飯盛・・・・・・274
東彼来郡 川棚・・・・279
福江市 福江・・・・・・・・・・・・279
南松浦郡 奈良尾、岐宿、奈留、有川、玉の浦、富江、
新魚目(北)・・・280
北松浦郡 田平、鹿町、小佐々、宇久、世知原、江迎285
対馬島 美津島、上対馬、厳原・・・・・・289
友の会記録の部
被爆者手帳友の会結成趣意書・・・・・325
被爆者手帳友の会々 則・・・・326
昭和四十二年度から昭和五十八年度までのあゆみ・・・328
資料の部
制度の概要・・・・・・・・353
1原子爆弾被爆者の医療等に関する法律・・353
2原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律・・353
原爆医療法及び特別措置法の概要・・・・・・354
各種手当等の改正経緯・・・・・・358
その他
本部役員及び職員名簿・・・・・・365
あとがき.・・・・・・366
巻末折込・長崎市原爆被災地域図”