「1975年」カテゴリーアーカイブ

ヒロシマ HIROSHIMA (広島平和文化センター)

『ヒロシマ HIROSHIMA 』(広島平和文化センター編・刊、19750718)

目次

<表紙説明>原爆慰霊碑
碑文は、広島大学教授雑賀忠義氏の筆によるもので、碑文の意味は、世界恒久平和を希求するヒロシマの心であり、人類としてあの過ちを再び繰り返してはならない、という反省と平和への誓いが込められている。
1 まえがき 荒木武(広島市長)
2 原爆被災の記録<写真>
爆心地上空から
市中心部を上空から
御幸橋の上で
御幸橋の上で
専売局電停角
焼け野原
原爆ドーム
萬代橋の人影と荷車の影
元安橋
日赤広島支部ビル
本通りの時計台
旧護国神社の石灯ろう
横河駅前付近
自動車の残がい
丸焼けの市内電車
皆実町のガスタンク
ダイダイ
明治橋のヤツデ
被爆者の伝言板
第2陸軍病院
大芝国民学校救護所
救援トラックの上で
広島逓信病院
広島赤十字病院
目の治療
広島赤十字病院の治療
脱毛した婦人
死亡前の被爆兵士
焼きついた着物の柄
帽子の跡
心外景
頸部
平瓦
人骨と瓦礫
3 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

 

 

年表:原爆展(1975年)

年表:原爆展(1975年)

記事
01 29? 広島市、今年全国で巡回被爆資料展を開催することを計画。
02 20 カナダ在住の節子・サーローら、「ヒロシマ・ナガサキ被爆30周年トロント委員会」発足。
02 26 長崎市、原爆被災写真展の開催を申し入れていた米・セントポール市から、承諾の連絡を受ける。
03 15 広島県・広島市・中国新聞社・NHK中国本部、「ヒロシマ・原爆の記録展」の開催実行委員会設立総会を県庁で開く。関係者約30人が出席。
03 19? イタリアの詩人ダニエル・ドルチ、同国内での原爆展を開催するための準備会議を組織する意向のあつことを広島市に伝える。
04 10 宮沢広島県知事、オーストラリアから帰国。キャンベラの戦争記念館で、広島の被爆写真の提供を要請されたことを明らかにする。
04 13? 長崎市、米サンアントニオ市のバプテスト教会の牧師から原爆写真展開催のための資料提供を求められる。
05 13? 広島市、9月に被爆資料展が予定されているボルゴグラード市へ資料を送付。
05 23 中国新聞「広島の惨状-被爆30周年相次ぎ海外展示」
05 26 広島市、海外被爆資料展の今年の開催を断念。
06 27 原爆資料保存会、総会を開催。今秋、イタリアのシシリー島で被爆資料展を開催することを決める。
07 02 広島市、今秋カナダ・トロントで開催予定の被爆資料展のために被爆写真91点を送付。
07 04 長崎県・市、「長崎原爆の記録展」を北九州市小倉で開催。-8日。
07 09? 毎日新聞「ヒロシマの心伝えたい-アフリカで原爆写真展-被爆二世の青年、単身で」
07 11 「ヒロシマ・原爆の記録展」札幌市で開催。-16日まで。3万9594人入場。
07 16 長崎県・市、「長崎原爆の記録展」を福岡市で開催。-20日。
07 24 長崎市など、長崎展を米サン・アントニオ市で開催。-27日。諸谷長崎市長が出席。
07 24 カナダ・トロント市在住の被爆者サーロ節子、長崎市を訪れ、カナダで開催を計画シテイル原爆展への協力を依頼。8月25日、長崎市が資料98点を送付。
07 24 「ヒロシマ・原爆の記録展」、仙台市で開催。-26日。2万4496人入場。
07 26 長崎県・市、「ながさき原爆の記録展・世界平和祈念ポスター標語展」を長崎市で開催。-8月6日。
07 27 朝日新聞「「ヒロシマ」「ナガサキ」の認識深めよう-米に広がる平和の心-各地で原爆展や慰霊祭」
07 27 日本キリスト教団広島流川教会、「被爆30年史資料展」を開催。五日市方面(?)から撮影した新しい原子雲の写真を展示。
07 28 長崎市など、長崎展を米セントポール市で開催。-8月3日。
07 29 カナダのトロント市在住の被爆者サーロー・節子来広。荒木広島市長をトロントで開催する被爆写真展に招待。
07 31 高知新聞社、広島市から資料Wを借りだし、資料被爆資料展を高知市で開催。-8月6日。
08 01 長崎市など、長崎展を米ウィルミントン市で開催。-5日。
08 05 「ヒロシマ・原爆の記録展」(広島県、市、NHK中国本部、中国新聞社など主催)東京日本橋・三越で開催。-15日。入場者は5万7485人。
08 06 「丸木位里・俊原爆の図展」、広島市の福屋デパートで開催。-14日。約4万5000人が入場。
08 06 千葉県市原市青年団、被爆写真展を市民会館で開催。-10日。
08 15 「ヒロシマ・原爆の記録展」、,大阪市・心斎橋・そごう百貨店で開催。-20日。入場者4万3136人。
08 23 「ヒロシマ・原爆の記録展」、名古屋市・丸栄デパートで開催。-28日。入場者6万2106人。
08 29 中国新聞「ヒロシマ展全日程終わる-体験継承に大きな成果-5会場23万人入る」
08 29 長崎県・市、「長崎原爆の記録展」を熊本市で開催。-9月2日。
08 31 西宮市・市教委・市原水協、被爆資料展を市役所展示室で開催。-9月4日。
09 17 カナダ・トロントの「よみがえる広島・長崎」委員会、原爆写真展を同市役所で開催。-10月15日。
09 21 長崎新聞「核兵器の廃絶と平和の貴さ訴える-被爆30周年記念「ながさき原爆の記録展」から」
09 25 ソ連ボルゴクラード市で原爆資料展。広島の使節団訪問中。
09 27 「ヒロシマ・原爆の記録展」開催実行委員会、県庁で会合し、解散。
12 13 横田工原爆資料保存会会長ら2人、ダニロ・ドルチと移動原爆展の欧州での開催について相談するため、イタリアに向け出発。1月17日、帰国の記者会見。

被爆30年広島国際フォーラムの記録

『市民の学術双書 核廃絶か破滅か-被爆30年広島国際フォーラムの記録』(飯島宗一・具島兼健三郎・吉野源三郎編、時事通信社、19760520)

内容

著者 タイトル
具島兼三郎 はじめに
飯島宗一 はじめに
Ⅰ 核の脅威はここまできている
服部学 核の脅威はここまできている
ロバート・オルドリッジ 兵器の技術的高度化、核拡散と抑止の崩壊
デービッド・ジョンソン ジーン・ラロック 核軍備競争は規制されていない
ペギー・ダフ 中東-核戦争の新たな脅威
エンゾ・アニョレッティ ヨーロッパにおける核問題
グラハム・ベインズ 南太平洋海域の放射能汚染
三宅泰雄 核拡散と環境放射能汚染の諸問題
小野周 原子力開発をめぐる諸問題
Ⅱ 軍備管理に代わる真の核軍縮
関寛治 軍備管理に代わる真の核軍縮を-分析と提案をつなぐ理論-
アーサー・ブース ブラッドフォード提案と軍備管理の部分措置
山田英二 核兵器全面禁止への展望
川崎昭一郎 核兵器全面禁止国際協定実現の緊急性
佐藤行通 核拡散防止条約再検討会議からの報告
オーエン・ウィルクス 太平洋非核化をめざすたたかい
岡本三夫 軍備縮小から軍備撤廃へ-平和研究の視点-
Ⅲ 被爆30周年広島国際フォーラムは訴える
庄野直美 広島・長崎の原爆被害と後遺症
フィリップ・ノエルベイカー 1つの国家、1つの人類、1つの共同体をめざして
ショーン・マクブライド 完全軍縮と世界平和に敵対するもの
江口朴郎 平和運動における人民の位置
藤井日達 人類を絶滅から救うために
上代たの 核問題に免疫になることこそ危険
丸山益輝 被爆体験の継承を訴える
被爆30年広島国際フォーラム・コミュニケ
吉野源三郎 関寛治 服部学 川崎昭一郎 座談会・核廃絶をめざして、私たちは今、何をなすべきか
あとがき
著者紹介

 

 

『核時代の平和学』(目次)

『核時代の平和学』(日本平和学会編、時事通信社刊、 19760815)目次(抄)

川田侃 まえがき
関寛治
核に覆われた世界の危険性
進藤榮一・(討論者)白鳥令 国際危機と核抑止
森利一・(討論者)西川潤 第三世界への核拡散
丸山益輝・(討論者)袖井林二郎 平和的核開発の限界
山田浩・(討論者)関寛治 米ソ核戦略の展開と批判
D・ゼングハース・(討論者)鴨武彦 軍拡力学と軍縮
核抑止論からの脱出
木村修三・(討論者)増田祐司 核拡散防止条約体制を超えるもの
岸田純之助・(討論者)小山内宏 非核武装地域の可能性
R・フォーク・(討論者)田畑茂二郎 非核未来秩序計画
文沢隆一・庄野直美(補論)・行宗一(討論者) 被爆者の現状と問題点
永井秀明・(討論者)浮田久子 平和教育の構造と平和研究の課題
核軍縮と平和研究の課題
坂本義和 核軍縮と平和研究の課題
関寛治 報告・討論のまとめ-核時代の平和学における争点の展開
付録 D・ゼングハース 欧米の平和研究の成果と課題
R・フォーク 非核世界の実現は幻想か
夏の核問題会議から
被ばく30年・広島国際フォーラム 8月3日・4日 広島
パグウォッシュ国際シンポジウム―完全軍縮への新しい構想 8月28日―9月1日 京都
日本平和学会―核と平和 9月3・4日、広島

 

年表:平和教育(1975年)

年表:平和教育(1975年)

04 30 広島平和教育研究所、平和教育カリキュラムの第一案をまとめる
06 14 第3回全国平和教育シンポジウム、広島市・幟町中学校で開催。全国18都道府県から1000人近くが参加。-15日。
07 03 広島市教委、「平和教育の指導例集・小学校編」まとめる
08 06 広島県三次市の高杉小学校、集団疎開した広島市袋町国民学校の疎開児童6人を招き、体験を聞く。
08 06 広島市の安田女子高校、栗原貞子の詩「生ましめん哉」のモデルになった平野美貴子の被爆体験を聞く。
09 25 愛知県名古屋市の立花高校2年生209人、修学旅行で広島を訪問。平和公園の慰霊碑前で合唱・詩の朗読などを実施。同校が修学旅行で来広するのは今回で5回目。
10 23 愛知県立佐屋高校2年生256人、修学旅行で広島を訪問。平和公園の原爆慰霊碑前で平和式典を開く。

 

 

国際連合訪問の経緯(1975~76年 )

国際連合訪問の経緯(1975~76年 )
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(広島市・長崎市編 ・刊、19770331 )
概要
昭和50年、ちょうど原爆投下後30年目の記念にあたり、広島と長崎両市は、姉妹都市の提携を結び、しっかり手を組んで核兵器のもたらす悲劇を進んで世界に知らせることを誓い合った。
その第一歩として昭和51年度に、まず現存する国際機構のもっとも確立されている国際連合に、核兵器の廃絶と全面軍縮を訴えることを決意した。
両市とも広く市民の賛同を得、市議会の賛同を得て、国連事務総長に会う準備を始めたが、この事業を進めるに当って考えなくてはならないことは、国連という場へ地方自治体が臨めるかどうかという点であった。
もともと国際連合は、世界146力国が加盟している組織で、日本もその加盟組織の一単位に過ぎない。各都市は、国連に対しては直接的には関係がない存在である。
そこで両市は、まず外務省の国連局を通じて手続きを始めるのが順序となる。そのためには十分な根まわしが必要で、外務省の指導と自治省の了解を求める必要があった。
つぎに国連側の事務局との連絡は、東京の出先機関として東京に駐在している国際連合広報センターと折衝した。
幸いなことに国連事務次長で、事務総長の下で広報活動をする部の長である赤谷源一氏(外務省から出向している大使級で、国連広報センターの直接上司)が、たまたま、神戸に帰国した機会をとらえて、ワルトハイム事務総長との連絡を依頼した。
赤谷氏の好意的な尽力により、事務総長との会見日が12月1日と決定されたのは8月23日であった。
この段階で、訪問の今一つの大きな内容である主要国代表部の大使との会見、すなわち核保有国、核保有の可能性のある国および核反対を表明している国の大使こ直接訴えることが考えられた。そこで、会見の希望を伝える書簡を14カ国に送った。また、現地での日時設定は、ニューヨークの日本政府国連代表部に依頼した。

 

1975(昭和50年)8月1日

国際連合に対するアピールについて審議
荒木市長は昭和50年度第2回平和文化推進審議会(広島市平和文化センター所管)で「平和宣言の精神を基調として具体的行動を考えたい。それにはまずヒロシマを世界に広めるため、国連にアピールすることを思っている
が、これについて各委員の意見を伺いたい。」と発言した。
同審議会は小委員会を設置して検討を始めることとなった。
小委員会の委員はつぎの通りである。
今堀誠二(広島大学総合科学部長)
岡崎怒一(弁護士)[岡咲恕一]
小谷鶴次(広島大学教授)
坂田修一(元広島市助役)
原田東岷(原田外科病院院長)
丸山益輝(広臭大学教授)
森脇幸次(中国地方経済連合会専務理事)


1975(昭和50年)9月2日

平和文化推進審議会小委員会の各委員に対し、ヒロシマ・アピールに関する意見書の提出を依頼した。
各委員の意見の要点はつぎのとおりである<以下未入力>

1975(昭和50年)9月9日

平和文化推進審議会小委員会の開催
協議要旨は、つぎのとおりである。
<以下未入力>

1975(昭和50年)10月31日

<未入力>

1976(昭和51年)2月4日

<未入力>

1976(昭和51年)2月19日

<未入力>

1976(昭和51年)2月27日

1976(昭和51年)3月8日

1976(昭和51年)3月17日

1976(昭和51年)3月30日


1976(昭和51年)4月1日

広島市平和文化センター局、財団法人広島平和文化センターとして発足する。

1976(昭和51年)4月16日

1976(昭和51年)4月26日

1976(昭和51年)4月28日

1976(昭和51年)5月8日

1976(昭和51年)5月10日

1976(昭和51年)5月11日

1976(昭和51年)5月12日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島憩いの家原爆被災者の会一同(代表 田辺耕一郎)

1976(昭和51年)5月10日

1976(昭和51年)5月13日

1976(昭和51年)5月15日

1976(昭和51年)5月21日

1976(昭和51年)5月27日

1976(昭和51年)5月29日

1976(昭和51年)5月31日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島県原爆被害者団体協議会 理事長 森滝市郎

1976(昭和51年)6月1日

1976(昭和51年)6月9日

1976(昭和51年)6月14日

1976(昭和51年)6月16日

1976(昭和51年)6月17日

1976(昭和51年)6月24日

国連訪問支持決議<内容未入力>

明るい釈迦づくり広島県民大会 宮沢弘

1976(昭和51年)6月25日

第5回6月定例長崎市議会において、ナガサキーヒロシマ国連アピール準備委員会に対する負担金220万円を予算計上する。

1976(昭和51年)6月26日

林田国際文化会館館長 広島市へ出張する。 (広島市側国連アピール資料編集専門委員会委員選定の件、広島市長国連訪問支持決議の件)

1976(昭和51年)6月29日

佐野外務省事務次官、同政治課長らに国連訪問の主旨および折衝経過等を説明し、協力を要請する。(荒木市長、諸谷市長、広島・長崎両東京事務所長ほか)

1976(昭和51年)6月30日

第1回国連アピール市民懇談会の開催(世話人=岡咲恕一、小谷鶴次、原田東岷、広瀬ハマコ、丸山益輝、森脇幸次の在広各氏)
市長への要望事項
1、核兵器と戦争廃絶のために世論の流れを変える努力をして来てほしい。
2、核兵器を過少評価する動きがある。広島の生の声をぶっつけて来てほしい。
3、在米市民運動団体にも働きかけてほしい。

1976(昭和51年)7月1日

長崎市国連アピール資料編集専門委員会委員を選任する。

1976(昭和51年)7月3日

国連アピール資料編集専門委員会初会合協議内容
アピール内容は、事務総長へ要請する事項と被害資料とする。被害資料は物理的破壊、身体的障害、社会的破壊および今後の課題の4部とし、すべて歴史的事実に基づいて執筆することを申し合わせた。
構成メンバーは、つぎのとおりである。
顧問  飯島宗一 広島大学学長
貝島兼三郎 長崎大学学長委員長 今堀誠二 広島大学総合科学部長
〔広島側〕
副委員長 原田東岷 原田外科病院々長
委員   石田定  広島原爆病院内科部長
岡本直正 広島大学原爆放射能医学研究所長
庄野直美 広島女学院大学教授
湯崎稔  広島大学原爆放射能医学研究所助教授
〔長崎側〕
副委員長 秋月辰一郎 聖フランシスコ病院医長
委員   市丸道人 長崎大学医学部教授
岡島俊三 長崎大学医学部教授
島内八郎 長崎原爆資料協議会副会長
西森一正 長崎大学医学部教授
宮城重信 長崎原子爆弾被爆者対策協議会医療部会長
国連訪問医師  大内五良広島県医師会長

 

 

参考資料:『ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請』(広島市・長崎市 1976年10月)』
無題
<上記の抄録> 専門委員会は,今年7月上旬に発足以来,今回の問題に関心ある諸方面と連絡をとりながら、熱心な討議を重ね短期日の間にこの要請書並びに資料編を作成し。国連事務総長への要請項目の起草は、当初から,広島・長崎の被爆者を中心とする市民とくに被爆者団体と平和運動団体の代表者の意見を受けてまとめられた。またこれには財団法人・
広島平和文化センター」の理事会の意見も反映されている。
特にその資科編『原爆被害の実態-広島・長崎』の作成にあたっては、「原爆による物理的破壊」および「原爆による身体的障害に閔する原案を、庄野直美氏が石田田定氏の協力で起草し、また、「原爆による社会的破壊」の原案は湯崎稔氏が起草し宇吹暁氏(広島大学助手)の協力を得た。これらの原案に基づき.専門委員全体で検討を加えて資料編が完成された。
この要請書並びに責料編の英文翻訳にあたっては、「財団法人・放射線影響研究所(旧ABCC)の協力を得た。

 

1976(昭和51年)8月24日(宇吹メモ)
 19760824

1976(昭和51年)7月5日

国連訪問支持決議<内容未入力>

日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 行宗一

1976(昭和51年)7月13日

1976(昭和51年)7月19日

1976(昭和51年)7月16日

1976(昭和51年)7月22日

1976(昭和51年)8月2日

外務省政治課長と打ち合せる。(広島市東京事務所長)
国連広報センターと打ち合せる。(同)

1976(昭和51年)8月3日

 広島市側国連アピール資料編集専門委員会第一回会合の資料の送付を受け、長崎市国連アピール資料編集専門委員に配布する

1976(昭和51年)8月6日

  広島三十一年目の「原爆記念日」
参拝した三木内閣総理大臣に対し、「国際連合訪問に関する要望書」を提出(荒木市長)
提出した要望書の全内容
人類史上初の被爆体験をした広島市民は、この凄惨な体験をみつめながら、ひとたび核戦争がはじまれば人類の滅亡と文明の終えんは明らかであることを予見し、一切の悲しみと憎しみを越えて、ヒロシマを再び繰り返さないよう、全世界に訴え続けてきました。
しかしながら、世界における核軍備の情勢は、全人類をせん滅して余りある巨大な量の核兵器が蓄積されつつあり、人類の安全にとって危険な兆候にあります。
広島市民は、こうした危険な事態を憂慮し、このうえは国際連合に対し、核兵器の廃絶を訴えなければならないとする機運が盛りあがってまいりました。
もちろん、国際連合および政府における核軍縮へのご努力は、広島市民としてまことに喜ばしいことではありますが、この際、ヒロシマーナガサキの立場において、国際連合総会が議決した核兵器の使用禁止・核拡散防止・核実験停止に関する諸決議の目ざす核兵器廃絶への具体的措置が早急に実現されるよう要請いたしたく、広島市民の総意と支持のもとに、長崎市長と共に、今秋国際連合に赴くことを決意した次第であります。
国際連合訪問計画および要請事項等については、現在、外務省当局のご指導を得ながら進めておりますが、政府におかれても、非核三原則の国是に立脚され、別添の要望事項について絶大なご指導とご協力を賜わりたく、お願い申しあげます。
昭和五十一年八月六日
広島市長 荒木武
内閣総理大臣 三木武夫殿
(別紙)国際連合訪問に関する要望事項(未入力)

1976(昭和51年)8月9日

  長崎三十一回目の「原爆記念日」
参拝した三木総理大臣に対し、広島市長が提出したように「国際連合訪問に関する要望書」を提出する。(諸谷市長)
内容は広島市とほぼ同一のため省略

1976(昭和51年)8月10日

1976(昭和51年)8月11日

1976(昭和51年)8月13日

1976(昭和51年)8月16日

1976(昭和51年)8月18日

1976(昭和51年)8月21日

1976(昭和51年)8月23日

1976(昭和51年)8月24日

1976(昭和51年)8月26日

1976(昭和51年)8月27日

1976(昭和51年)8月31日

1976(昭和51年)9月3日

1976(昭和51年)9月4日

1976(昭和51年)9月6日

1976(昭和51年)9月8日

1976(昭和51年)9月10日

1976(昭和51年)9月13日

1976(昭和51年)9月14日

1976(昭和51年)9月15日

1976(昭和51年)9月16日

国連訪問支持決議<内容未入力>

日本ペンクラブ会長 石川達三

1976(昭和51年)9月18日

1976(昭和51年)9月24日

1976(昭和51年)9月27日

1976(昭和51年)9月29日

1976(昭和51年)9月30日

1976(昭和51年)10月1日

1976(昭和51年)10月2日

1976(昭和51年)10月4日

1976(昭和51年)10月5日

1976(昭和51年)10月7日

1976(昭和51年)10月15日

国連訪問支持決議<内容未入力>

財団法人広島市連合母子会長 栗栖ミツヨ、財団法人安佐連合未亡人会長 西山春子

1976(昭和51年)10月24日

国連訪問支持決議<内容未入力>

第25回広島市民生委員・児童委員大会会長 宮本福松

1976(昭和51年)10月25日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島市地域婦人団体連絡協議会会長 藤野考子

1976(昭和51年)10月30日

1976(昭和51年)11月1日

国連訪問支持決議<内容未入力>

日本自動車産業労働組合連合会日産プリンス販売労働組合(中国・四国地区長沖実)

1976(昭和51年)11月4日

1976(昭和51年)11月5日

1976(昭和51年)11月8日

1976(昭和51年)11月9日

1976(昭和51年)11月10日

1976(昭和51年)11月13日

国連訪問支持決議<内容未入力>

(長崎)世界平和祈念旬間行事実行委員会

1976(昭和51年)11月14日

1976(昭和51年)11月15日

1976(昭和51年)11月17日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島ユネスコ協会総会

1976(昭和51年)11月19日

広島市渉外課長先発する。
同日
外務省および国連広報センターに渡米あいさつ回りをする。(広島市渉外課長)
同日
外人記者クラブに英文資料を提供する。(同)

1976(昭和51年)11月23日

荒木市長、大内県医師会長は渡米報告のため慰霊碑に参拝。同日夕刻、荒木市長広島を新幹線で出発。出発に先立ち、広島駅で壮行会を開催する。
511123(昭和51年11月23日)
諸谷市長一行は、杉本長崎原爆遺族会長、宮城原対協医療部会長、江角原爆老人ホーム理事長ら関係者多数の見送りと激励を受けこれに対し市長は「核廃絶の声が、国際世論となるよう全力を挙げて来たい」と決意をひ歴し、出発する。

1976(昭和51年)11月24日

大内県医師会長は広島空港から上京する。

1976(昭和51年)11月25日

両市長は、「スタジオ102」に出演したのち、東京を発ち、ニューヨーク経由でワシントンに到着した。
511125(昭和51年11月25日)
ブリュセルで開かれた第六回国際自由労連執行委員会は、両市長の国連に対するアピールをとりあげ、これを支持することを決定し、つぎのようにワルトハイム事務総長に打電した。

 

NPT再検討会議(1975年)

NPT再検討会議(1975年)

1975年は,核兵器不拡散条約の発効後5年目にあたり,同条約の規定に従つて発効後5年目にその運用を検討するための再検討会議が5月5日より30日までジュネーヴにおいて開催された。同会議においては勿論のこと,同会議に前後して開催された軍縮委員会春会期及び夏会期並びに第30回国連総会においても,核の一層の拡散をいかにして防止するかという問題が大きくとりあげられた。75年の軍縮に関する最も中心的な問題は,この核拡散防止問題であつたといつてよいであろう。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1976_1/s51-2-4-2.htm#c1

72カ国の参加のもとで75年5月開催された核兵器不拡散条約の再検討会議は,メキシコ等の非同盟グループと米英ソ等が対立し難航したが,最終日になり,同条約体制の維持強化を謳つた最終宣言が全会一致で採択された。わが国は,決定には加わることができない署名国の資格で同会議に参加したが,多くの国がわが国の主張に耳を傾け,わが国の主張が最終宣言にとり入れられたことが注目された。また,同会議と相前後して西独,イタリア等が核兵器不拡散条約に参加し,同条約の普遍性は,一段と高まつた。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1976_1/s51-2-4-2.htm#c4

広島・長崎30年の証言

『広島・長崎30年の証言』広島・長崎の証言の会編、未来社 (上) 19750806(下)19760430

内容

(上) 19750806
序章  原爆30年目の問い
秋月辰一郎 ヒロシマ・ナガサキ三十年の想い
鎌田定夫 わが内なるヒロシマ・ナガサキ
第1章 歴史の暗点から
小堺吉光 ヒロシマ・救われない犠牲者 -国民義勇隊員の惨禍
秋月辰一郎 ナガサキ・歴史の暗点
第2章  ”核権力”と被爆者
栗原貞子 天皇と核権力と被爆者と
山田かん 原爆とキリシタン
李奇相 被爆朝鮮人の受難と怒り -在日朝鮮人の証言と告発
第3章 ビキニ水爆20年目の告発
広田重道 ビキニ被災二十年目の証言 -原水禁運動の原点をみつめて
久保山さんへの手紙は訴える -原水爆への国民的怒りの原点をさぐって加納竜一 近藤弘 長岡弘芳
第4章 30年を生きて今-被爆者30年目の証言
鎌田信子 原爆を生きつづける証人たち -長崎原爆青年乙女の会のふたり
古浦千穂子 生きられなかった被爆者たち
文沢隆一 胎内被爆から三十年-きのこ会のこと
広瀬方人 被爆二世の生と死
石田明 原爆裁判への情念と論理
福田須磨子 〔遺稿〕 われなお生きてあり(続)
第5章 無国の谷間から -海外被爆者の告発
辛泳洙 被爆と民族の問題-日本政府・天皇・国民への苦言
鎌田定夫 在韓被爆者三十年の遺恨と告発
林福順 苦しみの淵から
 厳粉連 広島から韓国へ地獄はつづく
島津邦弘 核に追われる難民 -ミクロネシアの被爆者たち
立ちあがる在米被爆者たち
据石和江 アメリカ人に原爆の悲惨を訴えて
倉本寛司 カリフォルニア州上院小委員会 原爆被爆者公聴会における証言
関係文献目録
(下) 19760430
第6章 反原爆運動の中から
伊東壮 日本被爆者運動の三十年
草の根・被爆者運動の中で
前座良明 長野における反原爆運動二十年と私--長野県原水爆被災者の会と共に
杉山秀夫 私の原水禁運動・被爆者運動二十年 --静岡県原水爆被害者の会と共に
 伊藤普 福岡被団協の二十年と私
平山良明 おきなわ・二重苦の被爆者たち
伊東壮 東友会二十年のあゆみ
深川宗俊 朝鮮人被爆者復権のたたかい
浜崎均 原水禁運動とともに生きる--渡辺千恵子さんの生を支えるもの
北西允 原水禁運動の統一と静岡・広島
鎌田定夫 歴史の証言から歴史の変革へ--「長崎の証言」運動とその周辺
第7章 原爆体験の継承をめざして
瀬戸口しのぶ おさなき弱者と「見えない被爆者」
今田斐男 戦争・原爆体験の伝承者として
森下弘 沈黙の決議 --被爆者教師としての三十年
空辰男 平和教育の諸相と課題
 島田麗子 ひろしまを考える旅
長岡弘芳 原爆から原発まで  --《原爆体験を伝える会》
第8章 原爆体験の思想化
石田忠 福田須磨子さんの生と死
文沢隆一 原爆資料発掘作業の試み
湯崎稔 原爆被災復元調査の中から--人間の復権めざして
山手茂 社会科学者は原爆被害問題とどうとりくんできたか
小川岩雄 原水禁運動とパグウォッシュ運動--その問題点と今後の課題
山田かん 詩の中の反原爆
 岩崎清一郎 文学のなかの「原爆」--記録の虚構・その変貌
栃木利夫 日本近・現代とヒロシマ・ナガサキ
高橋真司 反原爆の思想 --広島・長崎の現代史的意義
終章 反原爆三十年目の課題と展望--「広島・長崎の証言の会」座談会
ヒロシマ・ナガサキ30年とは何か--広島での討論記録
被爆者運動30年と今後の課題--東京での討論記録
核権力と民衆と証言運動--長崎での討論記録
鎌田定夫 あとがき