ドキュメント:1975年8月6日

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できごと 備考
倉本寛司北カリフォルニア被爆者協会会長と据石和南カリフォルニア被爆者協会代表世話人、ホワイトハウスを訪れ、在米被爆者に対する連邦政府の援助を求めるフォード大統領宛ての直訴文を渡す。
田中正巳厚相、外国人被爆者への原爆医療法の適用について、治療目的のビザに限らず適用するとの方針表明。
米オハイオ州ウィルミントン大学で開かれた「広島・長崎30年後」会議で、倉本寛司、据石和、在米被爆者の救いのない実情を訴え、参加者の支援を求める。
田中厚生大臣、平和式典終了後、広島原爆養護ホーム・原爆病院・放射線影響研究所を訪問。
韓国原爆被害者援護協会、日本政府に在韓被爆者の治療と補償を求める声明を発表。
大阪市の被爆二世の高校生、白血病で死亡。
旧陸軍兵器学校広島分校所の元学徒兵19人、広島市内で開催。
広島県公安委員会・広島市、午前7時から3時間、平和記念公園前の平和大通り900メートルを車両通行止めとする。(初)
広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。約4万人が参列。88人が流れ献花。式中、糾弾状を持った男が荒木市長にかけ寄ったが制止される。
大阪・西成あいりん地区の「釜ケ崎被爆者の会」代表13人、広島平和式典に参加。
ラロック米海軍退役少将、広島市の平和式典に参列。
荒木広島市長平和宣言。(被爆の惨状を述べたあと)「今や世界が、無秩序な核戦略時代という人類の滅亡を招く重大危機に突入しつつあることは、広島市民として絶対に黙視できないところである」と訴え
式典出席の田中厚相、外国人被爆者の治療で「治療目的のビザでなくても正規の手続きで入国、一定期間滞在すれば原爆医療法を適用」の方針を表明
中核派の学生、早朝広島平和公園の原爆慰霊碑を「占拠」、平和宣言を読み上げる直前の市長に突進し、それぞれ逮捕される。
浄土真宗本願寺派築地別院(東京)で「原爆被爆30周年追悼法要。約150人が参列。江戸屋猫八(落語家)・佐々木久子(雑誌「酒」編集長)らの発起。
広島県庄原市山内町で元広島第1陸軍病院庄原分院山内病棟で死亡した軍関係被爆者の慰霊祭と死没者追悼座談会。
広島市立中学慰霊碑除幕式。約300人が参列(小網町・天満川岸)
極楽寺山地蔵尊(佐伯郡廿日市町)
被爆者青年同盟のメンバー、原爆ドームに上がり、軽犯罪法違反などの疑いで逮捕される。
福島菊次郎の写真展「30年目のゲンバク-放射能遺伝障害の恐怖」、東京・赤坂で開催。
山田典吾監督の映画「はだしのゲン」の撮影が、広島市で始まる。
阿部野人監督の日本とポーランドの合作映画「灯は生きている」の撮影が、広島市で始まる。
「丸木位里・俊原爆の図展」、広島市の福屋デパートで開催。-14日。約4万5000人が入場。
反戦集会「ヒロシマ+1」(核実験抗議船フリーのよびかけ)、広島市内で開催。約200人が参加。
第3回原爆と科学・教育・文化を考える集い実行委員会、「原爆30年を考える長崎市民の集い」を開催。
広島市の安田女子高校、栗原貞子の詩「生ましめん哉」のモデルになった平野美貴子の被爆体験を聞く。
広島県三次市の高杉小学校、集団疎開した広島市袋町国民学校の疎開児童6人を招き、体験を聞く。