『原爆被害に関する事例報告-生き続けた31年』(原爆被害者問題ケースワーカー懇談会<日本被団協気付・伊藤直子>、19760730刊)
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「原爆被害に関する事例報告」発刊にあたって―経過と目的――1976年7月30日原爆被害者問題ケースワーカー懇談会 |
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事例報告 |
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加藤礼子 |
1原爆に奪われた「人並み以上」の人生(広島赤十字病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴16年>)<当病院の医療社会事業部は、全国の日本赤十字社と足並を揃えて昭和28年ごろより始められ> |
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若林節美 |
2 被爆,下痢そしてスモン発病-2重の苦しみを背負って-(広島原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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西村清登 |
3ある被爆者の老後-24年目の親子再会-(放射線影響研究所・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴13年>) |
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中村住代 |
4 生きるのぞみをうばわれて(長崎原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴7年>) |
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白石照子 |
5 なおつづく「戦後」を背負って―二世に及ぶ被害(長崎原爆被災者協議会相談員) |
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野口文子 |
6 アル中,そして死-妻子にも語れたかった死の恐怖-(柳原病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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原玲子 |
7 影深く-尾をひく被爆体験(代々木病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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石田忠 |
原爆被害の全体像をどうとらえるか-ケースワークにおける生活史把握の意味-<1976年2月29日広島県社会事業協会主催「被爆者問題事例検討会」での講演をまとめたもの> |
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記録をおわって あとがき |
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参考資料 |
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ヨーク・フォーラム=軍拡競争の終結と軍縮のための国際フォーラム 1976年3月28日~4月1日 場所:イギリス・ヨーク大学
出典:『ヨーク宣言と原水爆禁止運動の新たな局面-「軍拡競争の終結と軍縮の為の国際フォーラム」の報告』(ヨーク・フォーラム日本代表団、1976?)
目次
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はしがき |
田沼肇(日本代表団代表委員) |
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1 |
ヨーク宣言・宣言付属文書 |
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2 |
日本代表団総括 |
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3 |
ヨーク・フォーラムに対する日本代表団報告 |
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4 |
分科会のまとめ |
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5 |
軍縮分野におけるGO・NGO関係の樹立について ―核廃絶への具体的第一歩 |
佐藤行通(日本原水協担当常任理事) |
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6 |
代表団活動日誌 |
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7 |
ヨーク・フォーラム、ユーゴ、ルーマニアの旅-日本代表団の報告と感想 |
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8 |
日本原水協 日本平和委員会 ユーゴ友好親善訪問代表団報告 |
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9 |
日本原水協 日本平和委員会 ルーマニア友好親善訪問代表団報告 |
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10 |
日本代表団名簿 |
[広島関係者なし] |
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『地域と科学者第3号』(日本科学者会議広島県支部機関誌)
支部創立10周年特集
〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 |
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出席者 |
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佐久間澄 |
広大名誉教授 |
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横山英 |
広大文学部 |
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北西允 |
広大経済学部 |
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中村義知 |
広大政経学部 |
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今中比呂志 |
広大総合科学部 |
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大森正信 |
事務局、司会 |
1 |
「大学人の会」の生い立ち |
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2 |
活躍された人々 |
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3 |
活動の内容 |
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4 |
困難の台頭 |
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5 |
’69年安保のころ |
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6 |
日本科学者会議とのつながり |
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7 |
広教組との関係 |
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8 |
「大学人の会」のそのほかの活動 |
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9 |
「大学人の会」の今後 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。