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広島県議会意見書 原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望

広島県議会意見書

原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望

1959年12月15日

原爆犠牲者の大慰霊祭執行についての要望

理由

昭和二十年八月六日広島市に原子爆弾が投下されて以来十周年にあたる明、昭和三十五年を期し、広島県主催により原爆犠牲者の大慰霊察を厳粛盛大に執行せられたい。

ついては左記によりただちに準備に着手せられたい。

一 全国の原爆犠牲者の遺族、被爆者の参列を案内すること。
一 政府当局をはじめ各界の方々の参列を求めること。
一 意義あらしめるよう最も適当な日時及び場所を選定すること。
一 計画及ぴ実施については準備委員会(仮称)を設置する等万全を期すること。

右要望する。

原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案(大原亨君外13名提出)の提案理由説明

原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案(大原亨君外13名提出)の提案理由説明

衆議院社会労働委員会、1959年11月28日

○大原議員

私は日本社会党を代表して、わが党の提案いたしました原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案(原子爆弾被爆者等援護法案)に関しまして、提案の趣旨及び内容のおもな点を御説明申し上げます。

わが党は今日まで、原爆被害者救援の問題は生きながらにして死の恐怖に直面する原爆被害者を守る運動であり、原水爆禁止の運動は実験検による被害を含んで、将来一人の原水爆被害者も作らないという運動であって、この二つは表裏一体であるとの考え方より一貫して努力して参りました。

すなわち原水爆禁止に対する固い決意を前提としてのみ被害者救援の運動が成果をあげ得るものであり、被害者救援の決意なくして原水爆禁止運動の結実はあり得ないと考えるものてございます。一部の人々が運動発展の歴史を無視いたしましてこの二つの運動を切り離して考え、原水爆禁止の運動を非難するがごときは、その意識するとしないとにかかわらず原爆の被害を過小に評価することによって戦争の準備を正当化せんとする、誤った考え方に起因するものといわねばなりません。特に広島、長崎のあの惨劇の後十四年間、歴代の保守党内閣がこの恐るべき原爆症の科学的、社会的実相を国の責任において明りかにする努力を怠っていたことは人道的にも非難されなくてはなりません。

わが日本社会党は、昭和三十二年のいわゆる被害者医療法を抜本的にこの際改正して総合的な援護立法を制定することを主張する理由として次の四つの点をあげたいと存じます。

その第一は、原爆の投下は国際法規に違反する、非戦闘員をも対象とする大量無差別の殺戮行為であるという点であります。日本の加盟する一九○七年締結のハーグ陸戦法規の第二十二条は「交戦者は外敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ず」と規定し、同第二十三条A項では「毒又は毒を施したる兵器を使用すること」及び同条E項においては「不必要な苦痛を与うべき兵器、投射物その他の物資を使用すること」を禁止しているのであリます。そればかりではありません。一八六三年のセント・ペテルスブルグ宣言は、戦争の必要が人道の要求に一歩を譲るべき技術上の限界を決定している赤十字条約にも違反しており、空戦における軍事目標主義(空戦法規第二十四条)に反し、さらに一九二五年五月のジュネーブ議定書及び一九四八年の集団殺害防止処罰条約の精神に違反するものであることは明白であります。

日本がサンフランシスコ条約において締約国との間における一切の賠償請求権を放棄したとはいえ、被害を受けた国民の要求権を無視したものではなく、少なくとも講和条約締結の日本国政府が被害者に対する義務を負担するものであって、賠償が戦勝国のみに保障されるものであっては、人道を名にする国際法は無意味といわなければなりません。このことにつきましては、以上二つの点にわたりまして、去る十一月十九日の社会労働委員会におきまして、藤山外務大臣を招いて質問した際も、藤山外務大臣は私のその主張に対しまして、同意を表明いたしたのであります。要するに、原爆被爆者の損害に対して国は責任を負うものであることは明らかであります。

第二の理由は、原爆による傷害作用はいかなる凶器や毒ガス、細菌などよりも致命的被害を与えるものであり、特に被爆後の十四年の今日も放射能の影響によって死亡するものもあり、遺伝的影響をも与えることが実証されているのであります。わが国の放射能医学の第一線の権威である日赤の都築博士は「人体の細胞の中の核に放射線が作用するということが明らかになった。核の中の染色体だけに作用するという障害因子は細菌や毒薬にはなく放射能だけだ」と述ぺているのてあります。

第三に、いわゆる医療法は原爆症の特殊性を認めた立法でありますけれども、この医療法は実施三年にしてその法的な欠陥が明らかとなり、医療の目的を達するためには国の責任による生活保障が不可欠となったのであります。

第四に、社会立法との均衡上の問題でございますが、今日公務員すなわち軍人軍属に国家保障を限るということは、当時国家総動員法などから見て不当であるばかりでなく、戦犯や引揚者に対する恩給や一部保障軍がなされていることからも被爆者の家族及び遺族に対する援護は当然といわねぱなりません。

以上の理由によりまして、わが党は次の項目を骨子とする原爆被爆者援護のための法律改正を提出いたす次第でございます。

第一に、現行医療法の治療認定基準を拡大し、被爆者の負傷または疾病が原子爆弾の傷害作用に関連しているもののすぺてを対象とすることにいたしました。

第二に、医療給付を受ける被爆者に対して援護手当を支給することにいたしました。この際援護手当は栄養補給など医療中の被爆者の家族の生活援護であって、いわゆるボーダー・ライン層を含んだわけであります。

第三に、医療を受けるため労働することができず、このため収入が減じたと認めるものに対しまして、援護手当とは別個に医療手当を支給することにいたしました。

第四に、健康診断または医療給付を受ける被爆者に交通手当を支給することにいたしました。

第五に、被爆死亡者の遺族には三年に限り、一人年額一万五千円の給与金を支給することにいたしました。ただし戦傷病者戦没者遺族等援護法の規定による年金、給与金を受けるものを除外いたしました。

第六に、被爆死亡者の遺族に、一人につき十年以内に償還すべき記名国債で三万円の弔慰金を支給することといたしました。

第七に、厚生大臣の諮問機関として被爆者援護に関する重要事項の調査審議のため原爆被爆者等援護審議会を置き、この審議会には被爆者及び死亡者の遺族代表も加えることにいたしました。

第八に、原爆の影響を総合的に調査、研究、及び治療をし、原爆症患者の医療と福祉向上のため原子爆弾影響研究所を設立し、付属病院を併置することにいたしました。

以上が国際法規の精神を中心として、国が全責任を持って放射能の影響と治療の根本的研究、その上に立つ完全なる医療給付と生活援護についての方針を骨子とする援護法の内容でございます。

言うまでもなく、日本はただ一つの被害国であります。世界ただ一つの被害国が原爆被害の実相を究明し、再びこのあやまちを繰り返さないために、この決意をこの援護法を通して表明することは、全世界の人々が原水爆、ミサイルの究極兵器の今日、原水爆禁止と完全なる軍縮を願い、国連にもこれにこたえて討議、諸決議を上げられておる。そういう現状から見て、わが日本の政府、国会の当然の責務であると存じます。すでに本委員会におきましても、渡辺厚生大臣、中曽根科学技術庁長官、藤山外務大臣等が出席いたされました際に、すべて賛意を表し、努力を約束されておるところてございまして、特に広島や長崎を中心といたしまして、被爆関係者あるいはその地域、全国的に与野党とも一致いたしましてこのことを要求をいたしておるのでございます。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに可決あらんことをお願い申し上げまして、提案の説明を終わります。

原爆被爆者対策についての陳情並びに請願経過概要

『原爆被爆者対策についての陳情並びに請願経過概要』(広島市、[1959年9月])

1.原爆医療法制定以前

年月 陳情・請願先 陳情・請願者 内容
1953.07 国会
(衆参両院)
広島市・議会
長崎市・議会
原子爆弾による障害者に対する治療援助に関する請願
(概要)治療費の国庫負担に関すること
1954.06 厚生省 広島原対協 原爆障害者治療費国庫負担につき陳情書
(概要)健康管理と治療費に関すること
1954.06 厚生省 広島原対協 原爆症調査治療研究の総合機関に関する陳情
(概要)広島に設置されたいこと
1954.09 厚生省 広島・長崎特別都市建設
促進議員連盟会長
広島・長崎両県選出国会議員
原爆障害者治療費の国庫支出に関する陳情書
(概要)3カ年計画
①原爆障害者治療費 301,500,000円
②治療に伴う生活援護費 24,300,000円
計 325,800,000円
1955.09 厚生省 広島市・議会
広島原対協
原爆障害者治療費等増額に関する陳情書
(概要)3カ年計画
①原爆障害者治療費 207,000,000円
②治療に伴う生活援護費 18,000,000円
③被爆者検査費 18,000,000円
計 243,000,000円
1956.11 厚生省 広島市・議会
長崎市・議会
原爆障害者援護法制定に関する陳情書
(法案要綱)
①医療及び健康管理を行うこと
②医療手当を支給すること
③原爆障害に関する調査研究機関の設置

 

2.原爆医療法制定以後

年月 陳情・請願先 陳情・請願者 内容
1958.08 厚生省 広島市・議会 1.原爆被爆者の健康管理及び医療を促進するための対策に関する陳情書
(概要)
①健康診断車の設置
②栄養物の補給
③医療範囲の拡大と認定手続の簡素化
④現地に原爆医療研究機関の設置
2.被爆者援護対策の確立に関する陳情書
(概要)
①医療中における生活保障の確立
②医療交通費の支給
③寝具の備付
④身体障害者の装具の支給
⑤被爆者福祉センターの設立
3.原爆白書の作成に関する陳情書
国家において原爆白書の作成
1958.09 郵政省
厚生省
広島県・議会
広島市・議会
広島原対協
寄付金つき郵便葉書等の発売に係る寄付金の配分方に関する陳情書

1.生活援護 11,200,000円
①生活援護費
②特別医療費
③身体障害者に対する補装具費
④医療交通費
⑤寝具購入費
5,760,000円
720,000円
220,000円
2,700,000円
1,800,000円
2.健康診断車(艇)の設置 8,800,000円
3.原爆福祉センターの建設 48,000,000円
4.原爆医療の総合的研究調査 10,000,000円
78,000,000円

「注記」福祉センターについては、本申請において約1億円の規模とした。

 

第5回原水爆禁止世界大会日程

第5回原水爆禁止世界大会日程

月日 時間 会議名 会場
8.1 09:00-17:00 予備会議総会

(議事次第)1開会のことば、2議長団選出、3議長団あいさつ、4運営委員選出、5日程説明、6地元歓迎あいさつ、7外国代表答辞、8一般経過報告、9主要国および国際組織活動報告

平和記念館集会室
8.2 09:00-17:00 予備会議分科会
第一分科会(A)(議題)1東西首脳会談と緊張緩和全般的軍縮達成の道、2原水爆の全面的禁止と原子戦争の絶滅、3各国における核武装阻止、4中立と軍事同盟の問題
平和記念館第2会議室
第一分科会(B) 第3会議室
第二分科会(議題)1原水爆禁止運動の発展とその方向、2原水爆被害者の救援運動 平和記念館集会室
18:00-20:00 広島市長主催外国代表歓迎レセプション 新広島ホテル・ガーデン
20:00-02:00 予備会議起草委員会 平和記念館第3会議室
8.3 09:00-12:00 被害の実相見学

(コース)平和記念公園-平和記念館-平和記念資料館-市公会堂-慰霊碑-原爆の子の像-原爆ドーム-住友銀行-県庁-市民病院-広島城-縮景園-平和記念聖堂-比治山-ABCC-広大-日赤-原爆病院-市役所-平和大橋-平和公園

(観光バスで巡回)
13:00-18:00 予備会議総会 平和記念館集会堂
8.4 16:30-17:10 平和行進歓迎集会 平和記念広場
8.5 14:00-16:00 ライナス・ボーリング博士講演会 広大政経大教室
19:00-21:30 世界大会総会

(議事次第)1開会のことば、2議長団選出、3議長団あいさつ、4運営委員選出、5原爆犠牲者に対する黙とう、6日程説明、7広島市長あいさつ、8一般基調報告(安井理事長)、9外国代表あいさつ、10意見発表(広島,長崎の被爆者代表,基地代表,沖縄代表各1人)、11国際平和巡礼代表あいさつ、12平和行進代表あいさつ、13閉会

平和記念広場
8.6 08:00-09:00 平和記念式典(広島市主催) 平和記念広場
09:30-17:00 世界大会分散会

[会場]1児童童文化会館、2千田小学校、3竹屋小学校、4広大皆実分校、5国泰寺高校、6袋町小学校、7松本商業、8労働会館、9広陵高校、10広島女学院中、11幟町小学校、12中央公民館、13広瀬小学校、14天満小学校、15観音小学校、16観音高校、17市公会堂

19:00-22:00 宣言決議起草委員会 平和記念館食堂
19:00-21:00 外国代表をかこむ懇談会

1アラブ・アフリカ代表との懇談会 竹屋小学校
2インド代表との懇談会 千田小学校
3インドネシヤ・オーストラリヤ代表との懇談会 記念館第2会議室
4北アメリカ代表との懇談会 広瀬小学校
5ソ連・蒙古(東欧を含む)との懇談会 神崎小学校
6ドイツ・ヨーロッパ代表との懇談会 天満小学校
7朝鮮・ベトナム代表との懇談会 記念館第3会議室
8労働者代表との懇談会 広陵高校
9婦人代表との懇談会 広島女学院中
19:00-21:00 被爆者との懇談会

[会場]1児童文化会館、2広大皆実分校、3国泰寺高校、4袋町小学校、5本川小学校、6労働会館、7観音高校、8中央公民館、9記念館集会室、10中国新聞舎ホール

23:00より 燈ろう流し 太田川ベリ
8.7 09:00-14:00 宣言決議起草委員会 平和記念館集会室
09:00-14:00 階層別協議会

労働 広島市公会堂
婦人 国泰寺高校
青年 千田小学校
大学生 中央公民館
農民 竹屋小学校
漁民 天満小学校
商工 広陵高校
宗教 広島女学院
自治体 児童文化会館
文化人・ジャーナリスト 中国新聞社ホール
科学者 記念館集会室
被爆者 広大皆実分校
高校生 農協ビル
法律家 記念館第3会議室
情宣 労働会館
14:30-18:00 被爆の実相見学 (観光バスで巡回)
15:00-17:00 宣言決議草案審議代表団会議 児童文化会館
19:30- 世界大会総会

(議事次第)1開会、2宣言,決議草案審議代表団会議の報告、3大会宣言決議,特別決議案の提案と採択、4広島アピールの提案と採択、5日本原水協あいさつ、6花束贈呈、7外国代表答辞(5人)、8万歳三唱、9閉会、10アトラクション(3~40分)

市民球場

出典:日本原水協『第5回原水爆禁止世界大会案内』

平和県に関する宣言(広島県議会)

平和県に関する宣言

1959年3月18日

平和県に関する宣言

広島県は、人類の福祉を念願する世界の人々とともに核兵器を禁止し、世界の恒久平和を実現するため世界連邦建設の趣旨に賛同し、永遠の平和県であることを、ここに宣言する。

昭和34年3月18日

広島県議会

第1回原爆被爆者調査団会議開催案内(1959年2月16日)

第1回原爆被爆者調査団会議開催案内

1959年2月16日

拝啓

原爆被爆者調査の件について、調査団員となることを御承諾いただき、御礼申しあげます。

2月8日に第1回調査団会議を開き、次のように決定致しましたので御報告します。

一、調査案骨子の件

調査委員会決定「被爆者調査案」(同封別紙)を諒承

二、調査団員(広島側のみ)

石井金一郎(広島女子短大)、庄野博允(女学院大)、大西典茂(女学院大)、北西允(広島大学)、大江志乃夫(広島大学)、山手茂(広島女子短大)、小久保均(文学者)、仮井節子(広島女子短大)、長本伸枝(ABCC)

その他二、三の人について検討し、本人の意向を確かめ、次回調査団会議にはかることになった。

三、調査票

同封別紙調査票を決定

ついては、次の調査団会議を次の次第で開きます。御多忙中を恐縮ですが、実質的には調査の出発点となる会議ですから、万難を排し御出席下さるようお願い致します。

時日 2月22日(日)午後2時~6時

所  広島女子短大紫水会館(電停宇品13丁目下車、正門入って左手の建物)

議題 調査分担、調査票説明

昭和34年2月16日

原爆被爆者調査団

代表 石井金一郎

 なお、同封葉書に御出席の有無を御記入のうえ、御返送下さい。

原子爆弾被爆者の医療・健康管理並びに援護に関する陳情書

原子爆弾被爆者の医療・健康管理
並びに援護に関する陳情書

1958年8月30日

 私共原爆被爆者のため、昨年四月原子爆弾被爆者の医療等に関する法律を制定せられ、被爆者の医療並びに健康診断が行われることとなり、誠に感謝に堪えない次第であります。

しかしながら、原爆症の治療につきましては、未だ根本的な治療法はないと伝えられているのであります。

加うるに被爆者は特別の健康状態にあり被爆後十三年の今日に至ってもなお発病し重体に陥り不測のうちに死亡するものがあとをたたない現状であります。

これは現に原爆症で悩んでいる多数の患者のみならず被爆者は一様に原爆症に対する不安におびえているのであります。

又、原爆被爆者は、一般の被災者と異なり、経済の基盤を失ったものが多く身体的にも活動能力を阻害され、日常生活をおびやかされているものが多数あるのであります。

以上申し述べました事情御賢察の上、被爆者の医療と健康管理との万全並びに援護対策の確立のため左記事項につきまして格別の御配慮を賜わらんことを切に懇願申し上げる次第であります。

一 医療範囲の拡大

二 温泉治療を認められたいこと

三 医療交通費の支給

四 生活援護費の支給

五 被爆者福祉センターの設立

六 健康管理の完全を期するため栄養物の補給

七 根治療法の確立

八 原爆死没者の遺族援護の確立

昭和三十三年八月三十日

広島市原爆被害者の会連合会 会長 渡辺 忠雄

  広島県原爆被害者団体協議会

代表委員 森滝 市郎

〃 藤居 平一

〃 伊藤 正子

〃 井上  昇

       殿

被爆者の援護対策の確立に関する陳情書

被爆者の援護対策の確立に関する陳情書

1958年8月30日

 被爆者は、一般の被災者と異なり経済の基盤を失った者が多く、身体的にも活動能力をそ害されているのが現状であります。

医療をうけるに際しましても、経済基盤がしっかりしていないと生活に優先されて医療がおろそかにならざるを得ません。

現に障害者の中には人院治療を必要としながらなお入院をちゆうちょするもののあることであります。

その数は明らかにすることは困難でありますが、これらの事実のあることは被害者の集いのあるところ必ず聞かれるところであります。

これらの人々は、生活保護法のあることを承知しているものでありますが、できるだけこれをさけて自立再起したいという念願に外なりません。

つきましては、右事情御賢察の上、左記各項目について被爆者の援護対策を確立せられ、もって、被爆者の医療と健康管理との万全が期せられますよう格段の御配慮を賜わりたく、切に懇願する次第であります。

一 医療中における生活保障(医療前に得ていた収入を一定限度において確保する。)を確立すること。

二 医療交通費の支給

三 指定病院へ寝具の備付

四 身体障害者の装具の支給(例えば白内障治療による眼鏡或は身体障害者の義足等)

五 被爆者福祉センターの設立(被爆者の生活相談、職業補導施設、休養施設、宿泊施設など総合的なもの)

昭和三十三年八三十日

広島市長 渡辺 忠雄

広島市議会議長 仁都栗 司 殿

原爆白書の作成に関する陳情書 1958年8月30日

原爆白書の作成に関する陳情書

1958年8月30日

 原爆の被害と障害に関しましては、その悲惨と残酷なることは周知のとおりでありますが、今回、これらの実態が国家においてまとめられていないというのは甚だ遺憾なことであります。

広島と長崎との各分野にわたる資料の収集と記録とは一地方の手に委ぬられることなく国家においてとりまとめられなければならないと存ずるものであります。

これは国民一般に権威あるものとして、その実態が認識せられ併せて対外的関係においても同様の措置は当然のことと思われます。

資料も時日を経るに従って散逸するのでありますからこの措置は速かに行われなければなりません。

つきましては、右事情御賢察の上、速かに原爆白書が作成されるよう格段の御配慮を賜わりたく、切に懇願する次第であります。

昭和 年 月 日

広島市長 渡辺 忠雄

広島市議会議長 仁都栗 司 殿