『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
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初版19600415 | 19720401発行 | 19750401発行 |
中国書店発行 | 児童図書出版社(取扱) | |
宇吹蔵 | ピカ研蔵 |
『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
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初版19600415 | 19720401発行 | 19750401発行 |
中国書店発行 | 児童図書出版社(取扱) | |
宇吹蔵 | ピカ研蔵 |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会(編・刊)1983/02/21
目次
◆『八月六日』 峠三吉 1
◆『あの時…』 小林岩吉 2
◆『水ヲ下サイ』 原民喜 4
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
若者の願いはばたけ 森下弘 11
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎 12
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
君たちは知ったのです 宮崎安男 14
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作 15
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹 16
高校生の平和アピール・行動提起 17
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行 18
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍 19
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治 20
◆ちかいのことば 21
小学生のちかい・斉藤力(福山市立旭丘小学校 児童会代表)23
中学生のちかい・林文子(広島市立翠町中学校 生徒会代表)24
若者のちかい・山口小百合(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール)25
◆碑・制作を終えて 27
『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28
モニュマンの空高く 芥川永 30
平和を願う心の目を 吉田正浪 31
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊 34
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎 38
◆建設のあしどり 山下希昭 39
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし 41
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 62
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)63
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 69
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで 71
平和学習のシンボルとして 沢野重男 72
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 73
◆ヒロシマの碑プロフィール 77
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り 91
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 123
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊 131
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季 146
◆附属資料 147
1 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)149
2 除幕式関係・各社報道記事(紙面)151
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり 157
4 広島市長『平和宣言』 166
5 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 188
6 平和の歌 歌曲集 232
『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
頁 | タイトル | 備考 |
12 | 瓦が再現してみせた原爆 | |
実験-原爆を再現する 12 瓦が気体になった 12 ぼくたちの原爆 16 ヒロシマナガサキを「体験」する 17 熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19 核兵器廃絶の若い仲間 20 にのしま |
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25 | 「その日はいつか」の詩にあるように | |
ヒロシマの風景 27 そしてわたしのヒロシマ 29 ほんとうのところを見極めて欲しい |
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34 | 高枚生集会の高まり | |
原爆瓦までの道のり 34 歩み始めた高校生たち 35 高まり見せた高校生集会 37 「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
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46 | 平和ゼミナールで育つ高校生たち | |
無名戦士の碑 46 平和ゼミナールの授業 48 その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52 ヒロシマに生きる |
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56 | ヒロシマの子どもたち | |
拠点 56 八木満喜男のこと |
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62 | 初めて瓦を掘りあてたとき | |
片手落ちの広島 62 「あった!」 63 頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66 突然の新聞記事 |
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71 | 瓦のように溶かされたくない | |
アピール・ヒロシマの川を考えよう 71 初めての対市交渉 71 みんなの手で一枚でも多く 75 瓦のように溶かされたくない |
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79 | 各地に旅立つ原爆瓦 | |
輪の広がり 79 世界につながる瓦発堀 81 「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82 瓦を守れ |
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93 | はがき作戦 | |
荒木広島市長殿 93 再び瓦発掘ヘ 95 市の計画 97 急速に盛り上がる瓦保存運動 |
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100 | ボタンを見つけた | |
四種のボタンが語る戦争と原爆 100 「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102 「原爆さえなかったら……」 104 自分の手でつかみとったもの |
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108 | 「昭和の歴史」研究グループ | |
特別講座-学習から自分の生き方を考える 108 ヒロシマのもう一面 110 青春のひとみを支えるもの 113 米軍機ファントム墜落 114 安保によって米兵は裁かれない! 115 女性である前に人間であれ |
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120 | 受ける平和からつくりだす平和へ | |
ヒロシマ-一九八一・八・六 120 ええことばかりいって 121 “新天地”長崎ヘ 122 第八回八・六高校生集会 123 受ける平和からつくりだす平和ヘ 124 白いチョゴリの被爆者 126 吸収したものの重さ 127 「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128 ずっと続く道 |
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131 | 長崎研修旅行で得たもの | |
平和ヘの初旅 131 この怖さをいっぱいに広げよう 133 ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135 平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137 若者は若者らしい方法で |
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141 | ノエルベーカーの手紙運動 | |
ノエルベーカー卿との再会 141 ノエルベーカーの手紙 142 ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
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156 | 原爆の証を消してはいけない | |
第三回対市交渉 156 こっちの力を大きくすることだ |
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163 | げんばくがわらをほりました | |
すすむ発掘作業と交流 P63 現実と理想が一体化されない不安 164 げんばくがわらをほりました 166 一〇フィートフィルムカンパ 170 お供養して下さい |
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174 | 平和への願いが市を動かした | |
「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174 平和への願いが市を動かした 176 最後の原爆瓦発掘 |
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182 | 原爆瓦モニュメントの土台の重さ | |
かわらおばさん 182 あの平和公園はきれいすぎる 183 安田女子高校社会科学研究部の場合 185 出会いのすばらしさ 190 原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
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196 | アリス・ハーズ賞受賞 196 アリス・ハーズ賞 196 生にむかって先頭に立ってください 197 生命が未来をもつように 199 実践を通じて学ぶこと 201 高校生平和ゼミの意義深さ |
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206 | 原爆瓦のモニュメント建設へ | |
建設募金一番乗り 206 原爆の子の像 207 第二の原爆の子の像建設にむけて 209 平和のためのモニュメント 214 街頭行動ヘ 216 世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
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220 | 各地の高校生平和ゼミ“出航” | |
被爆体験継承の役目を担って 220 神奈川でも 221 長崎でも 223 呉でも 223 埼玉でも |
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236 | 平和の記念碑を | |
相つぐ募金と手紙 236 小学生たちの奮闘 238 ヒロシマの心を世界に 244 第五回平和ゼミナール 5 別れと出発の季節 247 もどらぬ風 249 平和教育“戦士”の新しい門出 251 平和は待つものではない、つくりだすものだ |
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254 | あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に | |
第9次平和教育のとりくみ実態調査1990年度のまとめ
(広島市教職員組合平和教育部会、1991年11月)
内容
年月日 | ||
199111 | はじめに | 向井康員(広島市教職員組合執行委員長) |
199103 | 第9次平和教育のとりくみ実態調査アンケート用紙 | |
平和教育各校のとりくみ状況 | ||
アンケートによせられたご意見・ご感想 | ||
日の丸・君が代に関わってのご意見 | ||
平和教育分科会基調提案 | ||
199104 | 『ヒロシマの子育て・教育 第10号』(全教広島教育研究所) | |
19910820 | 市教組平和教育部会だより | |
19910202 | 『それ行け1組 No.272』(南区・仁保小学校2年1組) | |
広島赤十字病院被爆建造物保存運動の報告 | ||
19910728 | 第3回原爆の子の像碑前祭 | |
19910728 | 原爆の子の像碑前祭アピール | |
19910805 | 似島で原水爆禁止少年少女の集い(全広島教職員主催) | 新聞記事 |
似島の遺跡保存から | 米田進(原水爆禁止似島少年少女の集い) | |
1990年度平和教育のとりくみ実態調査のまとめ | ||
1990年度平和教育視聴覚教材利用状況 |
広島教育研究所(資料年表) <敬称略>
年月日 | 事項 | 備考 |
1989 | ||
12 | 全教広島結成 | |
http://ww5.enjoy.ne.jp/~zenkyo/ | ||
1990 | 広島教育研究所設立 | |
1991 | ||
0306 | <全日本教職員組合結成> | |
http://www.zenkyo.biz/ | ||
0907 | 設立1周年のつどい | |
0913 | <民主教育研究所設立準備会> | |
0924 | 藤井敏彦より電話。27日、藤井研究室で全教の平和教育研究会を開催する。研究員は佐中・田村・宇吹。1年かけて平和教育の基礎資料集を作成したい。<宇吹メモ> | |
1003 | 藤井敏彦研究室。広島教育研究所「平和教育部会」第1回会合。藤井・江種・川島・沢野・忍岡・宇吹。研究テーマを「平和と人権」にする。19時から21時過ぎまで。<川島資料><宇吹メモ> | |
1127 | 第1回拡大研究評議会。 | |
1204 | 広島教育研究所「平和教育部会」第2回会合。宇吹は欠席<川島資料><宇吹メモ> | |
1992 | ||
0113 | 広島教育研究所「平和教育部会」第3回会合。藤井・沢野・忍岡・田村。川島は欠席。宇吹・忍岡が報告。沢野=朝鮮人問題に取り組みたい。<川島資料><宇吹メモ> | |
0218 | 広島教育研究所「平和教育部会」。藤井・横山・忍岡・田村・江種・宇吹、出席。忍岡の報告「核実験と環境破壊」。<宇吹メモ> | |
0327 | 広島教育研究所「平和教育部会」。欠席。前日「世界のヒバクシャ」の数をまとめて郵送。<宇吹メモ> | |
0427 | 92年度研究員総会 | |
0824 | 広島平和教育研究所平和教育部会。於広島教育研究所会議室。忍岡の「ビキニ」原稿の検討。忍岡・田村・高橋・藤井・宇吹。始まる前、楠と話す。6時半-9時50分。田村の話=平和学会で会った高知で原爆文学を教えている女性が宇吹のことを知っていた。<宇吹メモ> | |
0831 | 広島教育研究所「平和教育部会」。江種・忍岡・沢野・高橋・藤井・宇吹。忍岡の原稿「核実験と環境破壊」原稿完成。藤井の話=*はイタリアのユダヤ人と結婚している。<宇吹メモ> | |
1009 | 広島教育研究所平和教育部会。藤井・高橋・江種・沢野・忍岡・川島・宇吹。高橋=「平和教育への提言」案の説明。沢野=安田の平和教育の紹介。川島=意識調査が、広島の平和教育の出発点だった。再度、意識調査を実施し、その分析の中で、提言をまとめる。<宇吹メモ> | |
1110 | 「広島教育研究所・平和部会のまとめ」出席者:藤井・沢野・楠・高橋。(資料) | |
11 | 『環境破壊から地球を救うための平和教材 教育・教材シリーズ Vol.1(広島教育研究所平和教育部門)』(冊子) | |
1216 | 平和教育部会。江種・高橋・田村・藤井・川島・沢野重男・宇吹。「平和意識アンケート」案について検討。8時30分から20分ほど、被服廠保存について意見を聞く。江種=400人位が平和学習できる場が欲しい。<宇吹メモ> | |
1993 | ||
0107 | 平和教育部会。平和意識調査の質問票の検討。藤井・田村・川島・沢野・江種・高橋。<宇吹メモ> | |
0225 | 平和教育部会。藤井・江種・沢野・忍岡・高橋・田村・宇吹。今年度の活動の総括と来年度の計画についての意見。アンケート(案)の検討。<宇吹メモ> | |
0421 | 広島教育研究所研究員総会。於研究所。<宇吹メモ> | |
0608 | 広島教育研究所平和教育部会。連絡が無いので欠席。<宇吹メモ> | |
1206 | 平和教育部会。江種・高橋・川島・沢野・田村・宇吹。「平和に関する意識調査」の検討。<宇吹メモ> | |
1994 | ||
0107 | 広島教育研究所へアンケート結果に対する意見を郵送。<宇吹メモ> | |
0125 | 広島教育研究所平和部会。開始前、忍岡にエスペランチストについて聞く。藤井・江種・川島・高橋・沢野・忍岡。アンケート結果の分析。沢野の提案で小・中学校の例数を増やすことになる。森滝の死去が話題になる。<宇吹メモ> | |
0301 | 8時過ぎから広島平和教育研究所平和部会に参加。平和意識調査の分析。担当:原爆資料館、原発関係の3項目。3月末締切。<宇吹メモ> | |
0323 | 広島教育研究所平和意識調査の分析に取りかかるが意外と難しい。<宇吹メモ> | |
0422 | 「94年度広島教育研究所研究員総会」<資料> | |
0519 | 平和教育部会。欠席。<宇吹メモ> | |
0606 | 全教広島より電話。今晩、平和部会開催の由。欠席を伝える。<宇吹メモ> | |
0615 | 教育研究所平和教育部会。藤井、田村、高橋、沢野、江種。-10時20分。意識調査のまとめ。<宇吹メモ> | |
0629 | 広島教育研究所平和教育部会。田村・高橋・沢野・江種・宇吹。意識調査の最終まとめ。<宇吹メモ> | |
0722 | 広島教育研究所平和教育部会。平和意識調査分析の最終会合。藤井・高橋・沢野・江種・宇吹。6時半-8時半。<宇吹メモ> | |
0801 | 広島教育研究所平和教育部門『<被爆50周年・平和教育への提言>今、ヒロシマの子どもたちは・・・-広島県下小・中・高・大学生の平和意識調査』(冊子) | |
1005 | 広島教育研究所平和部会開始前の藤井の話=アジア大会の開会式に参加したが、演出が全くけしからん。特に、君が代。アジアへの配慮に欠ける。小倉豊文の娘は同級生。その関係で小倉の考えに接する機会があった。原爆投下を責めることは出来ないという考えは一貫していた。私の考えには、良い感情を持っていなかったようだ。<宇吹メモ> | |
1005 | 「広島教育研究所平和部会まとめ(10月5日)」。<資料(B4 1枚)> | |
1005 | 被爆50年に向けて何をするか。藤井・江種・高橋・沢野・宇吹。「語り部」は差別的表現である、との強い指摘があったのでこれからは使わないことにする。この日の会の結論として、全教平和部会の被爆50周年の活動としては、広島の近現代史をまとめることになった。<宇吹メモ>。 | |
1005 | *の話=ABCCから学校に迎えがあった時、柱にすがりついて離れない女子生徒がいた。占領期のことでもあり、宥めて行かせた。ABCCの職員が、病理解剖の申し入れをするため、遺族の所にきて、胸のポケットから金をちらつかせながら説得していた。<宇吹メモ> | |
1021 | 広島教育研究所平和部会。藤井・江種・高橋・沢野・田村・宇吹。-9時。広島県の近現代史の構想。大久野島・宇品・加計など、歴教協の優れた成果のあることは確認出来たが、うまくまとまらず。藤井の提言で、「原爆投下をめぐって」をテーマに考えることとなる。<宇吹メモ> | |
1021 | 沢野に、図説戦後50年記念史のために「原爆瓦」関係の写真提供を依頼。来週までに調べてくれるとのこと。<宇吹メモ> | |
1021 | 田村の話=パグウォッシュの会議は、ほとんどが東京で準備されるので、広島準備委員会は、あまり仕事は無い様子。<宇吹メモ> | |
1022 | <川島メモ>前日の欠席事情。当日提出予定の教材「宇品」案 | |
1125 | 広島教育研究所平和部会「被爆50年・アジア太平洋戦争終結50年を迎えるにあたって 平和教育部会として何に取り組むか」(資料B5 1枚)。22日欠席の連絡。<宇吹メモ> | |
1214 | 平和教育部会=藤井・田村・江種・高橋・忍岡・川島・沢野・宇吹。 | |
1214 | 教育研究所平和教育部会。「被爆50年・アジア太平洋戦争終結50年をどう迎えるか -平和教育部会として―」(資料B4 1枚)。 | |
1214 | 被爆50周年の取り組みについて議論。宇吹が、報道・出版・行事など沢山計画されているので、その動きを平和教育の立場から評価し、紹介してはどうか、編集はできないが、資料は提供すると提案。<宇吹メモ>川島が宇吹提案を積極的に支持。宇吹提案に沿って、月2回の通信を発行することになる。しかし、実行部隊の裏付けは無し。スミソニアン見学ツアーについても関心があったが、通信発行の中で検討することになる。<宇吹メモ> | |
1021 | 全教平和教育部会。於二葉中学校。-8時半。間違って二葉公民館で20分ほど待つ。メンバー全員が出席。「82反核」と自治研での講演のコピーを皆に贈呈。タイトルは「被爆50年」、月2回刊、4頁とすることが決まる。私が毎号、4頁目を担当することになる。<宇吹メモ> | |
1129 | 広島教育研究所第13回市民教育講座「子どもたちの学力を豊かに育てるために―教課審「中間まとめ」をどう読むか―」。講師:大槻和夫。会場:二葉公民館。(資料 ビラ1枚 B5 1枚) | |
1995 | ||
0105 | 全教「被爆50年」用の資料をまとめる。<宇吹メモ> | |
0106 | 全教平和教育部会。「被爆50年」1月上旬号編集会議。於二葉中学校。藤井・川島・高橋・江種・忍岡・宇吹など計10人。良いスタート。<宇吹メモ> | |
0116 | 『ウォッチング被爆50』創刊号 | |
0119 | 全教平和教育部会。於二葉中学校。-8時。「ウォッチング!被爆50」創刊号完成。1月下旬号の編集会議。高橋・川島・沢野・田村・若い女性2人・宇吹。川島に中国新聞年表の解説原稿を渡し、意見を聞かせて貰うよう頼む。<宇吹メモ> | |
0201 | 『ウォッチング被爆50』第2号 | |
0203 | 全教平和教育部会。於二葉中学校。1月後期号を入手。2月前期号の編集会議。教研集会を特集する。若い女4・男1人、川島・高橋・沢野・田村・宇吹。2月後期から2回、スミソニアン博物館問題を取り上げることになる。川島より中国年表解説への感想を貰う。<宇吹メモ> | |
0216 | 『ウォッチング被爆50』第3号 | |
0220 | 全教平和教育部会。第4号の編集。6-8時。於二葉中学校。川島・高橋・宇吹他4人。<宇吹メモ> | |
0307 | 第23回全国平和教育シンポジウム第2回実行委員会。於エコード広島。「大会テーマ:ヒロシマ・ナガサキ50年、そしてアジアとの連帯・共生」に高橋信雄が異議を唱えるが通らず。私は、平和・戦争博物館の分科会を設けるよう提案。企画委員会へ一任となる。<宇吹メモ> | |
0323 | 第23回平和教育シンポジウム第3回実行委員会。於エコード広島4F。朝、空辰男に欠席の旨連絡。<宇吹メモ> | |
0327 | 「ウォッチング被爆50周年」の作成。川島に速達で届ける。<宇吹メモ> | |
0401 | 『ウォッチング被爆50』第4号 | |
0414 | 全国平和教育シンポジウム第4回実行委員会。於エコード広島4F会議室。第4分科会「平和とマスコミ・教科書・博物館問題を考える」の運営委員を引き受ける。高橋と相談の結果、私がマスコミ関係者にリポートを依頼することになる。20分から40分。<宇吹メモ> | |
0422 | 「95年度広島教育研究所研究員総会」(資料) | |
0426 | *(ウォッチング95の編集会議メンバー)より電話。生徒から「原爆切手」の現物が見たいとの希望があった。どこかで入手できないか。<宇吹メモ> | |
0510 | 第23回平和教育シンポジウム第5回広島実行委員会。於エコード広島4F。8日に欠席の連絡。<宇吹メモ> | |
0512 | 全教平和教育部会、ウォッチング被爆50年の編集会議。-8時。久しぶりの会合。6月1日号の編集について相談。原爆投下をめぐる資料の整理。<宇吹メモ> | |
0525 | 全教平和部会。於二葉中学校。原爆投下関係資料を届けて、会合は欠席。高橋に明日の平和教育シンポの会合も欠席することを伝える。<宇吹メモ> | |
0526 | 全国平和教育シンポジウム第6回実行委員会。於エコード広島4F。欠席。<宇吹メモ> | |
0615 | 全教平和部会。於二葉中。高橋・沢野・女性3人・宇吹。-8時。1号分を平和ゼミの報告にあてることになる。高橋の話=最近の平和教育シンポジウムの参加者は300程度に減った。分科会が二日目まで持つかどうか心配。シンポでの司会は自分がする。<宇吹メモ> | |
0616 | 第23回全国平和教育シンポジウム実行委員会総会。於エコード広島4F。欠席。<宇吹メモ> | |
0624 | 第23回全国平和教育シンポジウム。於幟町中学校体育館。-12時全体会記念講演「ある戦中派の平和」(山田浩)。参加者400人。自分史的なものに期待をしたが、「戦後補償」についての話。加害というテーマに引きずられ、とってつけたような内容。<宇吹メモ> | |
全国平和教育シンポ分散会。第4「平和とマスコミ・教科書・博物館問題を考える」。参加者21人。-5時。宇吹報告「博物館と平和教育」、武河隆司報告「紙面にみる新聞社の戦争責任と自己批判」。宇吹は持ち時間30分のところを1時間半しゃべる。<宇吹メモ> | ||
岡本三夫や*(朝日)・読売記者が参加していた。高橋の話では、この分科会は、これまで小人数で成立しにくかったが、この程度の参加で一応成功とのこと。25日の分科会は休ませて貰うように交渉。<宇吹メモ> | ||
分科会終了後、*(朝日)と会う。一緒に幟町中学校から郵便貯金会館に歩いて行く。長崎の軍縮シンポの取材に行った由。東京で笠原十九司・吉見・日本被団協の取材した話を聞く。私から、*の程度の悪さ、地方自治体の国際貢献・交流の問題点について話す。<宇吹メモ> | ||
全国平和教育シンポ-市民に贈る夕べ「きたがわてつ」平和コンサート。於広島郵便貯金ホール。-9時。開演前に、北川に付き添っている新江と会う。プログラムによれば「サウンドディレクター」として参画。元気そうで安心。<宇吹メモ> | ||
市民に贈る夕べ。「ヒロシマ夢現太鼓」・安田女子高校音楽部=久しぶりの文化行事参加。ストレス解消にこうした行事への参加が必要。トーク=海老根勲・空辰男・児玉(女学院)・萩本(安田高校)=女子高校生の話と空の話がかみ合わない。北川の歌とトーク。<宇吹メモ> | ||
全国平和教育シンポジウムの感想=運営の中心を担っているのは、定年後の高齢者。初期の熱気は感じらず。このままでは、先細りは確実。枠組みそのものの精度疲労もある。<宇吹メモ> | ||
06 | 『戦後50年・被爆50年 平和を考えよう -仲間の実践に学び、ヒロシマの平和教育の前進を-』(全広島教職員組合)(冊子) | |
0703 | 全教平和部会。於二葉中学校。川島・女性2人・宇吹。-8時過ぎ。次回が決まらず。川島は、今年度で定年退職の由。佐藤正のことを聞く。一緒に勤めたことがある由。夏休みに合宿をしようとの話が出る。<宇吹メモ> | |
1024 | 23回全国平和教育シンポジウム第7回実行委員会。エコード広島。欠席。<宇吹メモ> | |
1127 | 全教平和部会。於教育研究所。藤井・田村・高橋・江種・忍岡・宇吹。「教育についての父母アンケート」検討会。-9時。私が、長田新の悪口を言ったら、藤井から反論が返ってきた。藤井=森戸は常に東を向いていた。<宇吹メモ> | |
1996 | ||
0420 | 広島教育研究所研究員総会<資料>。於二葉公民館。欠席。<宇吹メモ> | |
1997 | ||
0313 | 全教平和部会。-8時半。高橋・江種・沢野・松井・宇吹。来年度の方針案の作成。高橋=戦争展は、予算的にしんどい。昨年は200万円掛かった。沢野=「子ども平和の像」建立の動きについて報告。楠の話=レストハウス保存について市議会に新たな動き。公明党が質問、新生クラブが関心を示す。議長裁定が出るかも?<宇吹メモ> | |
0419 | 「97年度広島教育研究所研究員総会」(資料) | |
0929 | 広島教育研究所平和教育部会。6時-8時40分。藤井・高橋・川島・江種・忍岡・沢野・?・宇吹。今後の部会活動について。広島市の指導案や原爆展のシナリオを検討することになる。<宇吹メモ> | |
江種の話=被団協への修学旅行生向けの講話申し込みは、最大時の5分の1に減っている。。<宇吹メモ> | ||
*の話=4月から*中学校に勤務。給料は20万円程度。年金は25万円貰っている。経済的には現役時代より恵まれている。<宇吹メモ> | ||
1118 | 全教平和部会。高橋・江種・忍岡・沢野・?・宇吹。広島市の小・中学校の平和教育資料集をめぐって。<宇吹メモ> | |
高橋の話=歴教協は、宇品・大久野島・強制連行などの問題を、典型教材・地域教材として取り上げてきた。広島市の博物館は、中島地域の建物を実物大で復元するつもり。広島の右翼で理論的なのに*がいる。<宇吹メモ> | ||
沢野の話=韓国の独立紀念館には、特別展示のような形で、従軍慰安婦が展示してあった。市立大学であった大江健三郎の講演を年休を取って聞きに行った。大変良かった。<宇吹メモ> | ||
*の話=現在の加害教育は、解放教育の路線上で行われている。<宇吹メモ> | ||
1998 | ||
0114 | 全教平和部会。高橋・江種・沢野・松井・宇吹。-8時半。平和教育に関わって来た先輩に原稿を書いてもらうことになる。<宇吹メモ> | |
0309 | 高橋信雄(全教)より電話。15日(日曜日)に平和教育のインタビューを実施するとのこと。欠席の旨を伝える。<宇吹メモ> | |
0724 | 広島教育研究所市民講座(資料 案内ビラ B5 1枚) | |
1006 | 「98年度広島教育研究所研究評議会」(資料) | |
1999 | ||
0201 | 全教広島・広島教育研究所教育課程検討委員会「全教広島 号外」 | |
0417 | 「99年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。二葉中学校図書室。欠席。<宇吹メモ> | |
2000 | ||
0422 | 「2000年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。於・生涯学習センター。-4時半。沢野=今年の旅行のテーマは「環境」で、四万十川へ行く由。<宇吹メモ> | |
0510 | 教育研究所平和部会。私と江種しか集まらず、帰る。大江健三郎の資料。<宇吹メモ> | |
0713 | 広島教育研究所「人権・平和教育合同部会」。-8時半。楠・高橋・舟橋・江種・松井・人権関係2人・宇吹。<宇吹メモ> | |
0823 | 全教広島平和部会。江種・舟橋・沢野・松井・高橋。沢野の話=ゾンタクラブで藤田知事と同席したが、平和教育に関心を持っていた。これまでの祈り中心から創造に変化する必要性を訴えていた。海外からの研修生と高校生の交流など。<宇吹メモ> | |
0913 | 全教広島平和部会。同和教育部会と合同。-8時半。<宇吹メモ> | |
1004 | 全教広島平和部会。欠席。<宇吹メモ> | |
2001 | ||
0420 | 「2001年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2002 | ||
0417 | 「2002年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2003 | ||
2004 | ||
2005 | ||
0428 | 「2005年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2006 | ||
0428 | 「2006年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2007 | ||
0420 | 「2007年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2008 | ||
2009 | ||
0507 | 「2009年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2010 | ||
2011 | ||
2012 | ||
2013 | ||
0521 | 「2013年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2014 | ||
0523 | 「2014年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2015 | ||
10 | 『第17次平和教育へのとりくみ実態調査報告』(全教広島・広島市教職員組合 広島教育研究所<平和教育部会>)(冊子) | |
2016 | ||
0520 | 「2016年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
2017 | ||
2018 | ||
2019 | ||
0517 | 「2019年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
『加害基地宇品-新しいヒロシマ学習』
空辰男著 汐文社 1994 /07/10
目次
章 | 見出し | 備考 |
はじめに | ||
1 | 原爆につながっていた軍港宇品 | |
金輪島で見た火の玉 似島で叫ぶ母の呼び声 凱旋湯の子、日出子さんはまだ 若き海上特攻隊の被爆者救出 「軍港・宇品」の終結とヒロシマ |
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2 | 「臨戦地宇品」とはなんだったのか | |
日清戦争と軍港のはじまり その頃の世界勢力と富国強兵 臨時首都(帝都)広島と神話 木口小平と正岡子規 軍港と陸軍検疫所似島のあゆみ 凱旋碑が平和碑になり得るか |
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3 | 宇品築港の本当の目的はなんだったのか | |
千田貞暁と願いと苦難 漁場を失う地元漁民の反対運動 人造石と服部長七と功労 「呉鎮」と「海兵」と「字品」 無用の長物と士族授産の行彼 西方をみつめる千田銅像 |
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4 | “うじな”にそろっていた自然条件 | |
仁保姫神社の伝説と港 宇品島観音寺伝説と港 三代十郎兵衛物語りと大河のり “うじな”の名の由来と港 |
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5 | 軍港と陸軍墓地と歴史的責任 | |
離散家族・三百万人の責任 平頂山事件と撫順戦犯管理所の教え 陸軍墓地の兵士の骨と被爆者の骨 「港」唱歌とヒロシマの心 |
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6 | 古代から年表が語る「港・宇品」 | |
主催:平和国際教育研究会
参加者:89人(内、高校生20人、大学生2人、大学院生1人)。
1998年8月17日(月)-21日(金)
日 | 地名 | 訪問施設 | メモ |
17 | ソウル | 景福宮 | |
李朝の王宮。1395年創建。 | |||
明成皇后(閔妃)遭難の地 | |||
景福宮境内 | |||
パゴタ公園 | |||
正式名称:塔洞公園。 | |||
西大門独立公園 | |||
延世大学 | |||
18 | 漢陽大学 (韓日平和教育シンポジウム) |
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ハンギョレ新聞(当日夕刊)が、シンポジウムの模様を大きく取り上げる。 大半は、シンポジウムに出席したが、1人が板門店へ、8人(私を含む)が市内観光。 観光組は、ロッテワールド内の免税店と民族博物館で大半の時間を費やす。 |
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安重根義士記念館 | |||
19 | 広州郡 | ナヌムの家 | |
水原市 | レストラン | ||
昼食。「堤岩里教会」(水原の虐殺事件現場=1919年4月15日)の近くだったが、日程の都合か、寄らなかった。 | |||
天安市 | 独立記念館 | ||
20 | 柳寛順(ユガンスン)記念堂 | ||
柳寛順の生家と梅峰教会 | |||
光州市 | 5・18メモリアルパーク | ||
光州学生独立運動記念館 | |||
レストラン | |||
光州の民主化運動関係者・犠牲者遺族との懇談会。 |
ユネスコ特定実験報告書(昭和30年1月30日)
実験題目『原爆と平和』
広島大学教育学部 付属東千田中学校
Ⅰ | 序説 | ||
1 | 学校の環境条件および生徒の特性、教育方針などについての概略 | ||
ロ | 国際理解のための全般的な指導計画および指導状況の概略 | ||
ハ | 国際理解テスト等実施の結果と指導上問題とすべき諸点の指摘 | ||
ニ | 特定実験テーマ設定の理由 | ||
ホ | 実験のための組織 | ||
運営委員会 | |||
森戸辰男(顧問:広島大学長) | |||
皇至道(顧問:広島大学長教育学部長) | |||
森岡文策(委員長:広島大学長教育学教授兼附属東千田高・中学校長) | |||
(委員:)<22人氏名等未入力> | |||
へ | 実験学級の生徒についての一般的諸テストとその結果 | ||
Ⅱ | 短期実験経過の大要 | ||
Ⅲ | 集団討議・感想文・面接等の結果の処理及びその解釈 | ||
イ | 2年生の場合 | ||
A | 感想文 | ||
生徒の作品の一例 | |||
B | 集団討議及び面接の結果 | ||
ロ | 1年生の場合 | ||
Ⅳ | 実験教育指導に関する評価 | ||
Ⅴ | 総括的結論 | ||
資料:戦争並びに原爆に関する調査用問題 |
国際平和教育研究会(広島大学教育学部付属小学校内、1974年組織)
資料
本 | |||
子どもと父母と教師が書いた原爆の記録 | |||
1=国際平和教育研究会編、2・3=小川利雄編 教育出版センター刊 |
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1 | ヒロシマの雨はドームの涙 | 1975/08/06 | |
2 | 地獄からの汽車 | 1975/08/17 | |
3 | 悪魔の銀のサイコロ | 1975/08/15 | |
『折り鶴の子どもたち 原爆症とたたかった佐々木禎子と級友たち』(那須正幹作・高田三郎絵、PHP研究所 1984/07/02 )
目次<未完>
部章 | 登場人物・組織・団体(抄) | |
第1部 | ||
第1章 | 運動会 | 広島市立幟町小学校、野村剛(担任) |
第2章 | きらめきの日々 | |
第3章 | 悪魔の爪あと | |
第4章 | 死の予感 | |
第5章 | 飛べない鶴 | |
第2部 | ||
第1章 | 残された人たち | |
第2章 | 悲しみをこえて | |
第3章 | 平和へのさけび | |
第4章 | 友よ やすらかに | |
第5章 | 折り鶴の系譜 | |
あとがき | ||