『新人国記(1)静岡県/富山県/広島県/岩手県/長崎県/愛知県』(朝日新聞社、19820930)
目次(広島県・長崎県部分)
広島県 | 文・斉藤忠臣 写真・青井捷夫 |
「反核」の思い深く | |
原爆に怒りの絵筆 | |
愛を説く「語り部」 | |
ヒロシマを伝える | |
紙つぶてに心託す | |
映像の底流に | |
舞台人生を息長く | |
「美の世界」に執念 | |
結束力と腕一本と | |
勝負師の世界彩る | |
王朝の世界に没入 | |
戦争の痛恨彫刻に | |
多彩タレント群像 | |
同質兄弟と野人と | |
未被爆者に訴える | |
長崎県 | |
『新人国記(1)静岡県/富山県/広島県/岩手県/長崎県/愛知県』(朝日新聞社、19820930)
目次(広島県・長崎県部分)
広島県 | 文・斉藤忠臣 写真・青井捷夫 |
「反核」の思い深く | |
原爆に怒りの絵筆 | |
愛を説く「語り部」 | |
ヒロシマを伝える | |
紙つぶてに心託す | |
映像の底流に | |
舞台人生を息長く | |
「美の世界」に執念 | |
結束力と腕一本と | |
勝負師の世界彩る | |
王朝の世界に没入 | |
戦争の痛恨彫刻に | |
多彩タレント群像 | |
同質兄弟と野人と | |
未被爆者に訴える | |
長崎県 | |
資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)
目次
まえがき | |
<共同検証82反核> | |
1 | 新味に欠ける原爆出版 |
2 | 消極的な大手出版社 |
3 | 新刊しのぐ重版・再刊 |
4 | 手記・体験記に多様性 |
5 | 「読む」から「見る」へ |
6 | すそのを支える童話 |
7 | 無難さ目立つ教科書 |
8 | 雑誌-欠落した原点 |
9 | 新聞連載-不十分な総括 |
10 | 新聞社説-もの足りぬ分析 |
<82出版物リスト> | |
1 | 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ |
2 | 単行本-防衛・原発・学術・再刊 |
3 | 童話-絵本・平和教育 |
4 | 教科書-国語科82年採択 |
5 | 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊 |
6 | 新聞-連載・社説 |
おわりに | |
「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所 |
ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。
目次
No. | 見出し(文献名) | 見出し |
1 | 石うすの歌 | 初の被爆テーマ小説 小学国語のテキストに |
2 | 終戦経緯報告書 | 国が被害データ発公表 |
3 | 絶後の記録 | 被爆直後の壮絶なルポ |
4 | ちちははの鐘 | 自分の理念盛った三吉 |
5 | 回顧五年原爆広島の記録 | 「8・6」の思い込める |
6 | 原子爆弾傷 | 「ガス」の部分伏せ字に |
7 | 原爆体験記 | 根拠薄い初刊本発禁説 |
8 | 月刊中国 | 1年後廃虚の街を特集 |
9 | 原子爆弾と世界恐慌 | 知られていない小冊子 |
10 | 原爆の子 | 素朴な表現で反響呼ぶ |
11 | 科学朝日 | 投下操縦士の証言掲載 |
12 | 原子爆弾(同盟通信版) | GHQ意識 外電で構成 |
13 | 原子爆弾の法律観 | 国際法の精神転換迫る |
14 | 泉 | 御楯隊しのぶ学徒の声 |
15 | ヒロシマを忘れるな | 禁止訴え署名呼びかけ |
16 | 原子力の軍事的利用 | 極秘に印刷された2冊 |
17 | 反戦詩歌集 | 人類の愚挙へ怒りの声 |
18 | ピカドン | 絵で告発した最初の本 |
19 | 生ましめん哉 | 最も早い時期の有名詩 |
20 | 原子爆弾の効果 | 兵器としての威力誇示 |
21 | ヒロシマ日記 | 米国で出版され逆輸入 |
22 | あの当時 | 両親慕う孤児の思い |
23 | 天よりの大いなる声 | 1年半も出版ためらう |
24 | 原爆体験記(京都大学版) | 学生が危機感抱き編集 |
25 | ヒロシマ | 悲惨さを世界に初紹介 |
26 | 夏の花 | 体験記の枠超えた傑作 |
27 | 屍の街 | 初版本は5節分を削除 |
28 | さんげ | 被爆の非情短歌で告発 |
29 | 原爆詩集 | 峠三吉の唯一の作品集 |
30 | まとめ | ”神話”の洗い直し急げ |
プレスコード神話、強すぎた自己規制、収集保存に努力を | ||
「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」> |
広島原爆被災撮影者の会
設立準備会?:19780715
関係資料
資料名 | 備考 |
広島原爆被災写真撮影者名簿 | |
22名の住所、電話番号、 | |
初会合(宇吹メモ) | |
1978.9.14 於広島YMCA | |
本 | |
『広島壊滅のとき―被爆カメラマン写真集』 (広島原爆被災撮影者の会、198108) | |
『被爆の遺言 被災カメラマン写真集』(広島原爆被災撮影者の会、19850801) | |
『中国新聞』(20050801、編集委員 西本雅実) | |
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?gallery=20110613141546676_ja |
輜重兵第五聯隊馬碑(基町、1928年建立)と馬魂碑(比治山、1937年建立)ー開幕まえのひろしま菓子博会場周辺と比治山を散策中撮影 4月18日 |
HIBAKU+PIANO+PEACECONCERT+from+HIROSHIMA
原爆ドームの壁の調査 6月17日 |
車が進入禁止となった広島平和大通りー原爆資料館南側から東方を望む 8月6日 |
花輪撤去作業中の原爆慰霊碑前
献花台東側(写真右。撤去済)=広島市長 広島市議会議長 遺族代表・こども代表 遺族代表(市内代表1名、都道府県代表2名) 被爆者代表(市内代表2名)、被爆者代表(県内代表2名)、長崎市民代表(市長、市議会議長、被爆者代表) 国際連合総会議長 国際連合事務総長 姉妹・友好都市代表 |
第59回広島平和美術展
問:原爆記念日の行事ではなかったの? 答:会場が取れなかったから。 8月27日 |
鷺?(背景は本川橋・平和公園) 2013年9月6日 |
オランダの芸術家が作製した「連鶴」。 幅15cm、長さ150mの一枚の紙で折られている。 長崎原爆資料館 2013年9月10日 |
救護所メモリアル 新興善国民学校跡。かつて市内最大の被爆者収容所 場所:長崎市立図書館 2013年9月11日 |
東本願寺長崎教会・原子爆弾災死者収骨所 真宗大谷派長崎教務所。道に迷って偶然出会う。 場所:長崎市筑後町 2013年9月12日 |
広島市役所旧庁舎の被爆石ー歩道と車道の間に設置 場所:広島市大手町 2013年9月23日 ・ |
原爆瓦を貼った玄関(広島YMCA)の柱 場所:広島市中区八丁堀 2013年9月27日柱に埋め込まれた金属板の文章 *鎮魂 1981年12月6日 広島県高校生平和ゼミナール *私たちは、世界平和を願い 原爆瓦を後世に伝えます 1981年12月12月26日 広島YMCA |
Site of Former Chugoku Military Police Headquarters 中国軍管区司令部跡地の銘板(宝ビルの県庁側壁面) 場所:広島市中区基町12-8 2013年10月14日 ・The atomic bomb dropped on Hiroshima August 6,1945 devastated the city and its people with a force beyond any known before. U.S. Air Force and U.S. Navy airmen interned as POWs at the Chugoku Military Police Headquarters which was located at this site, near the epicenter, were among the victims of this holocaust. This plaque is placed in memory of these brave and honorable men. May this humble memorial be a perpetual reminder of the savagery of war.1998.7.29 |
広島市立中央図書館 2013年11月14日 ・ |
耐震強度調査の始まった原爆資料館 2013年12月11日 |
広島市まんが図書館(右建物)と御便殿跡に建造された構造物(左奥) ーまんが図書館で中沢啓治の「はだしのゲン」を閲覧 2013年12月13日 |
2013年12月15日 ・三良坂平和美術館。向って左手にある三良坂コミュニティセンター内の山代巴記念室も見学。 場所:広島県三次市。 |
宇吹フェイスブックより
松本徳彦(公益社団日本写真家協会専務理事)「東方社か |
広島クレド11階より基町を望む 2012年8月15日
|
原爆ドームの全体を撮影しようと動き回ったらこの場所に
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三ツ蔵(呉の重要文化財 旧澤原家住宅見学会) 2012年10月12日
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旧高烏砲台兵舎 2012年10月18日 |
世界の子どもの平和像 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂1-5-4)玄関前 2012年10月19日 |
岡本太郎作「歓心」 持田製薬株式会社(東京都新宿区四谷1-7)玄関前 2012年10月20日 |
旧広島市民球場跡地に設置された工事壁の透明窓に映った原爆ドーム 2012年11月9日 |
|
被爆の遺言-被災カメラマン写真集(広島原爆被災撮影者の会 著・刊、1985/08/01)内容
[はじめに] | 松重美人(広島原爆被災撮影者の会代表) |
被爆から40年。当時の状況を撮影する20人の被爆カメラマンも、時の流れに7人を失う。 | |
原子雲 昭和20年8月6日8時15分 | |
8/6日7日 | |
救護活動 | |
崩壊 | |
爆風 | |
熱線・流失 | |
日赤 | |
救護所 | |
人体 | |
私たちが見たあの日 | 尾糠政美、尾木正己、鴉田藤太郎、川原四儀、川本俊雄、岸田貢宜、岸本吉太、北勲、林寿麿、黒石勝、木村権一、空博行、斎藤誠二、森本太一、深田敏夫、松重三男、山田精三、松重美人。 |
出版委員会:平和問題連絡協議会、平和問題懇談会、原爆の子友の会、原爆被害者の会、ムシカ、新日本文学会、人民文学広島友の会、広島葦会、われらの詩の会。
目次
頁 | 著者 | タイトル |
口絵 [写真] | ||
メーデーにて、トランク座、われらの詩の会、新日本歌人・反戦詩歌人集団《撮影年月日》19500501 | ||
「原爆詩集」出版記念会《撮影年月日》19500922 | ||
原爆展示会後の丸木位里・赤松俊子・壷井繁治三氏を囲んでの座談会《撮影年月日》195010 | ||
市民平和大会にて《撮影年月日》19520806 | ||
「原子雲の下より」出版記念会《撮影年月日》19521005 | ||
国立広島西条療養所病棟にて《撮影年月日》19530309 | ||
目次 | ||
丸木位里 | 題字 | |
赤松俊子 | 表紙 | |
浜本武一 | カット | |
四国五郎 | ||
004 | 増岡敏和 | 峠三吉氏の生涯 ―その活動と自己改造について(われらの詩の会) |
011 | 米田栄作 | 峠三吉君を悼む(広島詩人協会) |
012 | 壺井繁治 | 峠三吉の業績について ―思い出を語りながら(詩人・新日本文学会) |
017 | 岡村民 | 「原爆詩集」批判会の思い出(新日本文学会) |
018 | 峠和子 | 生きている夫に |
022 | 原田治 | お父さん(峠氏令息) |
024 | 峠三吉詩抄Ⅰ | |
024 | らっきょうによせて | |
025 | 花蔭/絵の具 | |
026 | 由美子と火事 | |
028 | 寂しき歌/クリスマスの帰り途 | |
029 | こんなとき父親となる /絵本 | |
030 | 怒りのうた ―広島日鋼争議暴圧事件 | |
032 | 若杉慧 | 峠君の思い出(日本文芸家協会) |
033 | 峠一夫 | 峠三吉の想い出(実兄) |
035 | 坂本ひさし | (広島在住詩人、「エコールド・ヒロシマ」主幹) |
035 | 長村孝雄 | 追悼(広大文学サークル) |
036 | 御庄博実 | (われらの詩の会・「火片」同人) |
037 | 戸田兵次 | 原爆詩人 故峠三吉氏によせて(葦会) |
038 | 四国五郎 | 峠さんの弾道(画家・われらの詩の会) |
039 | 田村正也 | 八月六日(新日本文学会埼玉支部) |
040 | 星川晃 | 峠三吉氏の思い出(われらの詩の会) |
041 | 古井誠三 | 燃えつくした炎のやうに(われらの詩の会) |
042 | 好村富士彦 | (高原詩の会、われらの詩の会) |
043 | 江口渙 | (作家・新日本文学会) |
044 | えぐさ・みのる | 私の接した峠さん(高原詩の会・われらの詩の会) |
045 | 尾上俊男 | 病床から(新日本文学会広島支部) |
046 | 泉秀子 | 大野浦と峠さん(われらの詩の会) |
046 | 浜本武一 | 〇(広島市在住・画家) |
049 | 岡本潤 | 峠三吉を憶う(詩人・新日本文学会) |
050 | 北浜みち | 峠さん(われらの詩の会) |
051 | 永田節 | 『われら』の中の峠さん(われらの詩の会・広大文学) |
052 | 望月久 | 国際婦人デーからメーデーまで(われらの詩の会) |
053 | 山岡和範 | 峠さんの手紙(われらの詩の会) |
054 | 吉田万太郎 | 不滅の光り(われらの詩の会) |
056 | 峠三吉 | 雪 |
057 | 松下海蔵 | 峠さんのこと(新日本文学会岡山支部) |
058 | 杉生直子 | 手紙をめぐって(われらの詩の会) |
060 | 尾末滿 | 峠三吉(IOM・われらの詩の会) |
061 | 佐久間澄) | 第一回八・六平和大会のころ(広大教授・平和問題懇談会・大学人の会 |
062 | 峠三吉 | 八月六日 |
063 | 松野萬 | 〇(スフィンクス同人) |
064 | 川手健 | 峠さんを憶う(原爆被害者の会、新日本文学会広島支部) |
065 | えぐさ・うめよ | 時の氏神になってくださった峠さん(高原詩の会・われらの詩の会) |
066 | 広島支部葦会 | 〇 |
067 | 峠三吉 | 隠れん坊/わが想ひ |
068 | 西原忠 | 峠氏を悼む(児童詩研究家・われらの詩の会) |
069 | 峠三吉俳句抄 | |
070 | 赤池芳彦 | その日 峠さんは ハヤクハヤクと書いた |
072 | 峠三吉 | 覚え書き(抜萃) |
076 | 峠三吉短詩抄 | |
雨の日に―日鋼事件の法廷にて | ||
077 | 修学旅行―第二の父の歌える | |
078 | 大山郁夫氏に捧げる詩 | |
080 | 宇品港にて―11才の姪のために | |
081 | 傷痕―”原子雲の下より”記念会 1953年絶筆 | |
082 | 佐々木健朗 | 抒情の変革―叙事詩「ひろしま」への努力の途中で(われらの詩の会・広大文学サークル・KAZIKA同人) |
089 | 赤木健介 | 「原爆詩集」の評価(詩人・人民文学社) |
090 | 野間宏 | 峠三吉について―原爆詩集にふれて(作家・人民文学社) |
091 | 峠三吉 | 昂 |
092 | はぎはら・とくじ | 新しい人間讃歌―「原爆詩集」のノート(新日本文学会) |
094 | 中野光也 | 「原爆詩集」と「高原詩の会」(高原詩の会) |
096 | 山代巴 | 原爆の詩編纂委員会のこと(作家・新日本文学会) |
098 | 深川宗俊 | 芸術は人間のためにある(新日本歌人協会)(人民文学会) |
099 | 且原純夫 | 峠三吉の一側面(われらの詩の会) |
099 | 田中松覚 | 追悼(己斐サークル) |
100 | 土井貞子 | アジア連邦会議のころ(広島生活新聞社) |
101 | 峠三吉 | 和子と治への手紙 |
104 | 峠三吉 | 和子の見舞に応えて |
106 | 山村良介 | 明日は八月六日だ―前夜祭に(われらの詩の会) |
107 | 永田英夫 | やすらかにお眠りください(うんなん詩の会、人民文学社) |
108 | なかの・しげはる | 柔かな印象(作家・新日本文学会) |
109 | 中野鈴子 | 峠三吉さん(詩人・新日本文学会) |
109 | 峠三吉 | おもかげ |
110 | 遠地輝武 | 峠三吉君を悼む |
111 | 木村好子 | 峠さん ! |
112 | 佐藤静夫 | 「 静かな」態度 (新日本文学会) |
113 | 吉塚勤治 | 善意の人峠三吉(作家・新日本文学会) |
114 | 金達寿 | 二度合ったきりの峠三吉(作家・新日本文学会) |
115 | 井手則夫 | あいつ 生きてる やってるな(詩人・新日本文学会) |
117 | 松永浩介 | 峠三吉の死を悼む(詩人・新日本文学会) |
118 | 中村温 | 峠さんに(詩人・TAP同人) |
118 | 大田洋子 | 峠三吉のこと(作家 日本文芸家協会) |
121 | 峠三吉 | 短歌抄 |
122 | 友田智友 | 死の電報を前に |
124 | 坪田正夫 | 手術室よりの報告―峠三吉の手紙に立会して |
126 | 峠三吉年表 | |
128 | あとがき | |
「建国記念の日(2月11日)」のヒロシマ
年 | 回 | 事項(主催組織・行事など) |
1966 | 6月25日、国民祝日法改正。「建国記念の日」など新設。 | |
12月8日、建国記念日審議会答申=「2月11日」 | ||
「動向 建国記念日問題について」<「芸備地方史研究」(芸備地方史研究会機関誌、以下「芸史」と略称)62・63号(1966・11)> | ||
1967 | 1 | |
「動向 「建国記念の日」のヒロシマ」<「芸史」65・66号(1967.5)> | ||
1968 | 2 | |
「動向 「建国記念の日」のヒロシマ(2)」<「芸史」72号(1968.6)> | ||
1969 | 3 | |
1970 | 4 | |
1971 | 5 | |
1972 | 6 | |
1973 | 7 | |
1974 | 8 | |
1975 | 9 | |
1976 | 10 | |
1977 | 11 | 「動向 「建国記念の日」のヒロシマ(11)」<「芸史」114号(1977.8.21)> |
1978 | 12 | |
第1回広島県高校生平和ゼミナール(会場:西りんぽ館)。 | ||
「動向「建国記念の日」のヒロシマ(12)」<「芸史」116・117号(1978.4.21)> | ||
1979 | 13 | |
第2回広島県高校生平和ゼミナール(~12日。会場:広島市平和記念館)。県下25校から130名余りの生徒と50人の講師や市民が参加。<出典:「芸史」121・122号(1979.6.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(13)」> | ||
1980 | 14 | 「動向「建国記念の日」のヒロシマ(14)」 <出典:「芸史」125・126号(1980.4.30)、> |
1981 | 15 | 広島県社会運動史研究会第17回例会・2・11記念集会(会場:広島市平和文化センター)。<出典:「芸史」130号(1981.5.5)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(15)」> |
1982 | 16 | 第5回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」135・136号(1982.4.20)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(16)」> |
1983 | 17 | |
1984 | 18 | 第7回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」147・148号(1985.6.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(18)」> |
1985 | 19 | 第8回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」152号(1985.7.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(19)」> |
1986 | 20 | 第9回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」155・156号(1986.6.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(20)」> |
1987 | 21 | |
1988 | 22 | |
1989 | 23 | |
1990 | 24 | |
1991 | 25 | |
1992 | 26 | |
1993 | 27 | |
「芸史」186号(1993.9.28)=「小特集 「建国記念の日」のルポの成果と課題」、「動向 「建国記念の日」のヒロシマ(26)(27)」 | ||
1994 | 28 | |
1995 | 29 | |
1996 | 30 | |
1997 | 31 | |
1998 | 32 | |
1999 | 33 | |
2000 | 34 | |
2001 | 35 | |
2002 | 36 | |
2003 | 37 | |
2004 | 38 | |
2005 | 39 | |
2006 | 40 | |
2007 | 41 | |
2008 | 42 | |
2009 | 43 | |
2010 | 44 | |
2011 | 45 | |
2012 | 46 | |
2013 | 47 | |
2014 | 48 | |
2015 | 49 | |
2016 | 50 | |
2017 | 51 | 「芸史」304号(2017.2)=「小特集 「建国記念の日」のヒロシマの50年」 |
2018 | 52 | |
2019 | 53 | |
2020 | 54 | |
2021 | 55 | 建国記念の日 広島市内で式典や集会 |
2022 | 55 | 建国記念の日でオンライン集会 祝賀や反対 |
2023 | 56 | 憲法を守る広島県民会議、広島県平和運動センター、広島県原水禁、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会の5団体主催「紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会」。広島弁護士会館。95人参加。 |
日録(2019年1月)
日 | 事項 |
01 | 謹賀新年<クリック> 高尾神社初詣の帰路に野呂山(瀬戸内海国立公園)から昇る朝日と朝日に照らされた絵下山(この裏側は昨夏の集中豪雨で甚大な被害を被った)を撮影。 |
01 | コンビニで新聞を購入。宅配紙を含め7紙の内容点検。~2日。感想句=<「カク」が消え 「マル」が躍った 元旦報道> |
01 | 年賀状関連の整理作業。~3日。 |
09 | ネットで注文した「アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集」が届く。 |
11 | 昨年12月3日に折り始めた千羽鶴の糸通しを試行。25羽×3。 |
15 | 自宅資料のヒロシマ遺文のカテゴリー別整理に着手。 |
17 | 般若心経を写経(初めて)。 |
23 | 藤居資料の配置状況を確認。 |
25 | WHO(人物)データの校訂作業開始。 |
26 | 広島平和公園及びその周辺を取材(今年初)。 |
26 | 広島原爆被爆からの日数26836日(「地球平和監視時計」情報) |
日 | 事項 |
01 | 新聞記事切り抜き(1月以前分の分類整理)。~日。 |
02 | TOPページの更新。 |
03 | 親戚の法事(呉市内寺院)。正信偈・仏説阿弥陀経を唱和。 |
04 | 昨年12月3日から始めた折り鶴が500羽を越える。 |
10 | WHO( 人物)関係の新聞記事の整理。~14日。 |
14 | ヒロシマ遺文(1月忌)の校訂作業。 |
16 | ヒロシマ遺文(2月忌)の校訂作業。 |
18 | 人物WHO関係のデータと新聞切り抜きの整理。~20日。 |
21 | 広島市立図書館・広島城周辺のモニュメントを撮影。 |
22 | 2018年4月24日以降の朝鮮半島非核化の動向を追う新聞切り抜きの整理。 |
24 | 新聞切り抜き(「朝鮮半島非核化」「核軍縮(国連)」「国際ヒロシマ」)をファイル。 |
25 | 新聞切り抜き「国際ヒロシマ」をファイル。 |
日 | 事項 |
01 | 献花の撮影(自宅・実家・倉庫) |
01 | ヒロシマ遺文TOPページの更新。 |
02 | 「芸備地方史」(芸備地方史研究会機関誌)の所蔵分を見つけ出す。 |
03 | 「芸備地方史」の内容検討。~4日。 |
05 | 「ヒロシマ遺文」の投稿「3月忌」関係を更新。 |
06 | 「ヒロシマ遺文」の投稿「3月忌―内田恵美子・峠三吉」を更新。 |
08 | 09:13たまたま立ち寄った広島赤十字・原爆病院の出口で「被爆資料室」という部屋があることを知る。鍵がかかっていたので受付で閲覧方法を尋ねる。社会課の人が対応。一般には公開されていない、公開依頼書を提出するようにとのこと。資料<『平和学習~核兵器のない平和な世界の実現に向けて~ 平成30年度版』(日本赤十字社 広島赤十字・原爆病院)>をいただく。 |
08 | 広島県立文書館。戦後30年度第3回収蔵文書の紹介展を閲覧。『広島県教育時報 創刊号』(1949年11月)の表紙絵に原爆ドームを使用していた。 |
08 | 広島県立文書館閲覧室。『中国新聞』(1964年東京オリンピック聖火リレー関係記事)と広島県明治100年記念行事等協議会関係資料の2件を閲覧。 |
08 | 広島県立文書館閲覧室の利用者は私以外に1人だけ。知り合いの長崎在住の歴史研究者だった。 |
08 | 地球平和監視時計(広島平和記念資料館設置)情報=広島への原爆投下からの日数=26877日。最後の核実験からの日数=450日。 |
08 | 広島平和記念資料館第25回展示検討会議。展示整備工事の視察。 |
08 | 16:00~平和公園調査。峠三吉詩碑、原爆の子の像。青年団体石碑。原民喜詩碑。第1回平和祭記念樹。 |
11 | 東日本大震災関連報道・資料の整理。 |
12 | 「ヒロシマ遺文―自分史」に「フェイスブックより」の2012・2013年分を投稿。 |
13 | NHK総合:歴史秘話ヒストリア「「軍港・呉と戦艦大和“世界の片隅”の町 悲劇と復興」」を観る。 |
15 | 広島調査。御幸橋―修道学園―広島県立文書館―大学堂書店―広島市公文書館。 |
23 | ピカ資料研究所コンテナ倉庫の資料整理。約半分の仕分け(全国的に流布している資料を省く)作業を終了。 |
25 | 「ヒロシマ遺文」のカテゴリーに「ヒロシマNGO」を新設。 |
28 | 広島県立文書館。15日に申し入れた藤居平一資料の寄贈依頼が承認されたとのこと。 |
日録(2019年4月)
日 | 事項 |
01 | 広島県議会議員選挙不在者投票。 |
02 | コンビニで7紙(1面トップで「令和」を取り上げたスポーツ紙3紙を含む)を購入。 |
03 | 月忌とWHO資料の整理。 |
06 | 『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)読了。 |
10 | 現代史研究会編『戦後日本の国家権力』(著者代表:石井金一郎)を広島県立図書館にインターネット予約。初の試み。 <4月15日、地元の昭和図書館で受け取る> |
10 | ヒロシマ遺文「カテゴリー・原爆資料」を「原爆被害白書」と変更し、内容の校訂作業。 |
11 | WHOデータと山田浩、石井金一郎関連資料の整理。ヒロシマ遺文へ投稿。 |
14 | ピカ資料研究所コンテナ倉庫の資料整理。 |
17 | 広島へ。秦野裕子・藤居平一両氏の墓参。 |
17 | 広島県立文書館へ北西允旧蔵資料3箱とマイクロフィッシュ1箱を持参。寄贈申込書を書く。 |
17 | 比治山陸軍墓地取材。 |
18 | ヒロシマ遺文のトップページの更新。ヒロシマNGO関係の投稿。 |
24 | ピカ研資料整理開始。 |
27 | 2018年12月3日から折り始めた鶴が千羽を超える。 |
29 | ヒロシマ遺文のカテゴリー=ヒロシマNGOの校訂作業。 |
30 | コンビニで7紙(1面トップで令和を取り上げたスポーツ紙3紙を含む)を購入。昼前、新聞販売所へ。中国新聞新元号記念セット(500円)を予約。 |
30 | ピカ研資料整理。 |
30 | NHKスペシャル「日本人と天皇」を視聴。 |
日録(2019年5月)
日 | 事項 |
1 | コンビニで5紙を購入。令和改元報道検討のため |
1 | ピカ研資料整理。~ |
2 | コンビニで4紙を購入。 |
2 | 山代巴『君はいまどこにいるか』(ちくま少年図書館26歴史の本、19750528)再読。甲神部隊の被爆・農村工作隊の様子を示す個所に多くの線が引いてある。今回は、新憲法の精神を自らのものにする歩みの始まりとして一気読み。 |
3 | ヒロシマ遺文のカテゴリー=「ヒロシマNGO」の柱建ての再検討と「投稿」の校訂作業。~ |
10 | 広島県内部落問題関係資料を引き出す。 |
11 | 桜が丘にあった平和教育関係資料を持ち帰る。 |
12 | ピカ研資料整理と並行して ヒロシマ遺文の「ヒロシマNGO」に投稿。 |
18 | 広島県立文書館より北西資料3箱とマイクロフィッシュの「文書等受領書」が届く。記述内容=「呉市 宇吹暁氏所蔵文書 264点」<封筒一括書類・簿冊・冊子等46点、マイクロフィルム5本、マイクロフィッシュ213枚>令和元年5月17日付、広島県立文書館長名) |
21 | 母の書斎にあった『吉浦郷土史研究会』のデータをヒロシマ遺文に投稿。 |
22 | 呉市民劇場例会「日色ともえ+マリオネット公演 語りと音楽の夕べ」。会場:絆ホール。日色ともえ=茨木のり子の詩を中心とした朗読。峠三吉の詩も含む。日色情報によると、毎年夏恒例となっていた「夏の雲はわすれない ヒロシマ・ナガサキ1945年」の公演活動は、今年が最後とのこと。 |
24 | 12日から今日までの「ヒロシマ遺文」への主な投稿=「火幻」、「青史」、「真樹」、「安芸文学」、「広鉄文化会議」、「広島真生活協会」、「セブンウィークリー」、「場」、「政治経済セミナー」、「文化通信」、「大学生活協同組合」、「方向感覚の会」、「晩鐘」<以上はピカ研資料>。 |
26 | 幻吉氏の墓参と偲ぶ会。 |
26 | 南方特別留学生ユソフ氏の墓参。 |
31 | 28日からこの日までの「ヒロシマ遺文」への主な投稿=「『ひろしま』(広島県文化会議)」「『ひろしま』(広島県文化団体連絡会議)」「ひろしま随筆同人会」「いづみ(広島県警)」。「『広大文学』(広島大学文芸部)」、「黒雨以後の会(こくういごのかい)」、「広島作家同人会」、「郷土(郷土クラブ)」、「『凾<文学と評論>』」、「雑誌創刊号一覧(ピカ研所蔵)」<以上はピカ研資料>。「社会運動史研究会(1990年設立)」「河図洛書-渓水社十周年記念」。「私と「風化」」 |
日録(2019年6月)
日 | 事項 |
3 | 実家にあった藤居・内田・秦野関係を全て倉庫に移動。倉庫の世界遺産関係資料の一部を移動。 |
6 | 6月1日から今日までの主な投稿=「『原爆と文学』目次」、「吉島被爆者の会」。「広島詩人会議」、「白炎短歌会」・「週刊広島(広報出版センター)」。「広島児童文学研究会」、「広島市職員共済組合文化部会文芸部」、「『広銀行報』(広島銀行)」、「『中国公論』(19551230)」。「『女性自身』(光文社)」、「大阪市原爆被害者の会(発行資料一覧)」。<以上はピカ研資料>。「広島平和問題談話会(略年表)」、 |
10 | 次の千羽をめざして折り紙を再開。父の25回忌法要。正信偈和讃。 |
13 | 連休明けから中断していた新聞3紙の切り抜きの再開。 |
14 | 聞切り抜き。5月分を終了。 |
17 | 自宅で日本パグウォッシュ会議・科学者京都会議、Nobel Peace Prize、平和研究関係の資料整理。 |
21 | 6月1日以降の新聞切り抜きを始める。 |
22 | 久しぶりの広島。シャレオの古本市を覗く。 |
22 | 原爆資料館の地球平和監視時計。「広島への原爆投下から26983日」 |
24 | 自宅の原爆慰霊碑、被爆遺跡関係資料の整理。~26日。 |
27 | 講義用のレジメ作成のために必要な資料とデータの整理。~30日。 |
日録(2019年7月)
日 | 事項 |
1 | 呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日。町内放送が12時15分から1分間の黙とうを呼びかける。 |
1 | カテゴリーの構成の検討と再編成 |
6 | 西日本豪雨から1年。町内放送が正午から1分間の黙とうを呼びかける。 |
6 | ユネスコ世界遺産委員会(アゼルバイジャン、6月30日~7月10日)。日本は「百舌鳥・古市古墳群」を推薦。6日午後5時半すぎに登録を決定。 |
8 | 広島大学東千田キャンパス(講義) |
13 | 広島平和記念公園の調査。 |
13 | 「「広島平和記念都市建設法制定70周年記念シンポジウム―平和への思いの共有」(広島市・日本都市計画学会中国・四国支部主催)」を30分ほど聴講。 |
18 | 広島大学霞キャンパス(講義) |
19 | NHKテレビ「グラウンドちゅうごく:バックミラーの中の“原爆市長”~復興に散った命の素描~」。浜井市長の手帳が映しこまれていた。広島県史・広島県戦災史などの編さんにあたり、所在を探していたもの。 |
21 | 第25回参議院議員通常選挙投開票。広島テレビの出口調査で投票内容を聞かれる。初めての経験。 |
23 | 新日本婦人の会呉支部「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」パネル展。絵本「怒り地蔵」(山口勇子作・四国五郎絵)の読み聞かせを聴く。呉市役所1階ロビー。22~26日。 |
25 | 広島大学医学部医学資料館。企画展:「被爆建物壁面部材の展示会」(広島アンデルセンの北側壁面の一部)、主催:広島大学原爆瓦発送之会 会長 嘉陽礼文」 |
25 | 広島大学霞キャンパス(講義) |
25 | 広島大学病院YHRPミュージアム(2018年10月17日開館)。 |
27 | 「日本遺産「呉鎮守府」開庁130周年記念 呉サマーフェスタ2019」(海上自衛隊呉地方総監部城山グラウンド)。12:00オープニングステージSTU48、呉市の高校生等500人によるバイタリティダンス。「旧呉鎮守府司令部地下作戦室―呉高専による地下壕調査の概要」。昼食に呉海自カレー。 |
29 | NNNドキュメント「色彩の記憶~よみがえるヒロシマ~」。(広島テレビ)視聴。 |
日録(2019年8月)
日 | 事項 |
01 | 「ヒロシマ・ナガサキ被爆の実相等に関するポスター展」。呉市役所ロビー。観覧。 |
02 | NHK総合テレビ「グラウンドちゅうごく:二つの戦争を生き延びて~ある”原爆孤児”の戦後~」視聴。 |
02 | NHK総合テレビ「アニメ大好きだったあなたへ―ヒバクシャからの手紙―」視聴。 |
02 | <米ロ中距離核戦力(INF)廃棄条約失効> |
03 | NHK/ETV特集「高校生が描くヒロシマ 原爆の惨状を絵で再現」<視聴> |
04 | 原爆資料館。地球平和監視時計。「広島への原爆投下から日数=27026日」、「最後の核実験<2月13日ネバダ州で臨界前核実験>からの日数=0172日」。 |
04 | 広島女学院大学「チャペル」「栗原貞子平和文庫」見学。講義。 |
04 | 八丁座「映画ひろしま―1945年8月6日、原子雲の下の真実―」 (デジタルリマスター版(1h44)17:05~18:50)<視聴> |
05 | 広島テレビ午前0時55分~30分「原爆の絵 高校生が描く”ヒロシマ”」<視聴> |
05 | BS1スペシャル「ヒロシマの画家 四國五郎が伝える戦争の記憶」<視聴> |
06 | 町内のコンビニで朝刊5紙を購入。 |
06 | 広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式典参列。 |
06 | 原爆資料館の地球平和監視時計。「広島への原爆投下から日数=27028日」、「最後の核実験からの日数=0174日」。 |
06 | ピースナイター。カープvs横浜DeNAベイスターズ。Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島。内野自由席で応援。カープが8対4で勝利。最後まで見たので呉駅からの最終バスに乗り遅れる。 |
06 | NHKスペシャル「“ヒロシマの声”がきこえますか~生まれ変わった原爆資料館~ 」。<視聴> |
07 | 町内のコンビニで朝刊5紙+スポーツ紙2紙(ピースナイターを1面に掲載していた)を購入。 |
08 | 広島市立中央図書館令和元年度被爆体験継承事業企画展「ヒロシマの記憶を伝える ~町と人々の暮らし~」<観覧> |
08 | 広島市民劇場。:「黒い雨―8月6日広島にて、矢須子―」(主催:劇団民芸。出演:奈良岡朋子)。於県民文化センター。<観劇> |
09 | 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。町内放送の呼びかけで黙とう。 |
09 | NHK 「もういちど“長崎の原爆”をみつめる「“焼き場に立つ少年”をさがして」」(25分)視聴。 |
09 | RCC中国放送「ニュース6」内の企画番組「ヒロシマの礎 第1回」。藤居平一を取り上げる。宇吹のコメント(8月4日収録)あり。約8分。 |
10 | NHK ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」(60分)視聴。 |
12 | 自宅に残っていたピカ研資料(田原資料)を桜が丘の倉庫に移す。 |
15 | 全国戦没者追悼式。台風10号関連の町内放送はあったが、正午の連絡はなし。テレビの実況放送に合わせ黙とう。 |
15 | NHKスペシャル:全貌「二・二六事件」視聴。 |
15 | ヒロシマ遺文に投稿「広島国際アニメーションフェスティバル」「原爆死没者慰霊式典の記録(2015年)」 |
16 | ヒロシマ遺文に投稿「駐日大使の平和メッセージ(1999年)」「大使の平和メッセージ-21世紀を平和な時代に」 |
17 | ヒロシマ遺文に投稿「広島平和コンサート(1985年 )」 |
17 | ETV特集「少女たちがみつめた長崎」視聴。 |
18 | 2019せこへい美術館。会場:旧日本銀行広島支店。10日~18日。<観覧希望> |
19 | ヒロシマ遺文に投稿「原爆被害者の組織化の萌芽」「原爆死没者の追悼行事主催者一覧(1945年)」「原爆第1号吉川清の試み」「原爆乙女の会」「原爆の子友の会」 |
22 | 倉庫のABCC、被爆者対策関係資料の箱を自宅に移動。 |
23 | 倉庫のマンハッタン資料・SBS資料1箱分を自宅に持ち帰る。ジーメス神父の被爆体験談のコピーを電子化。 |
24 | 第25回平和のための広島の戦争展を観覧。(会場:県民文化センター。23~26日)。 |
26 | N氏、来宅。「医療法、ABCC、被爆者運動」について意見交換。 |
27 | 8月分の新聞の切り抜き作業。~28日。 |
28 | BS1スペシャル「隠された戦争協力―朝鮮戦争と日本人」(8月18日放送)を視聴。 |
29 | ヒロシマ遺文に投稿「広島県労働組合総連合」「広島県母親連絡会」。 |
30 | 久しぶりの晴れ間。実家と倉庫の草抜き。 |
30 | BS12(トゥエルビ)「核の記憶~89歳ジャーナリスト[鈴木昭典=1月31日死去]最後の問い」視聴。 |
日録(2019年9月)
日 | 事項 |
1 | ヒロシマ遺文のトップページの校訂作業とWHOデータの整理。 |
3 | ヒロシマ遺文への投稿=「ビキニ水爆被災資料集」 |
4 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島原爆障害研究会」 |
5 | ヒロシマ遺文への投稿=「私のヒジヤマメイト」 |
6 | ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中のヒロシマ・ナガサキ(帝国議会期間)」 |
7 | ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中のヒロシマ・ナガサキ(第1~11回)」 |
8 | ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中のヒロシマ・ナガサキ(第12~18回)」「同前第19回」「国会論議の中の原爆被害(1945年9月~52年7月)」 |
9 | ヒロシマ遺文への投稿=「国立予防衛生研究所」、「被爆者7団体(広島)」、「被爆者5団体(長崎)」。 |
10 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆の被爆者に及ぼした社会的影響」、「「資料調査通信」記事一覧」 |
11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(目次)」「原爆裁判」「原爆被害の損害賠償を求める裁判(岡本尚一、原爆被害者の会)」 |
12 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和擁護広島大会(19491002)」「岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)」 |
13 | ヒロシマ遺文への投稿=「世界連邦アジア会議報告書(19530201)」、「世界連邦運動ヒロシマ25年史(19720625)」。投稿「昭和天皇実録」の補訂作業。 |
15 | 倉庫の世界遺産関係の原爆ドーム・厳島関係分を自宅に持ち帰る。 |
15 | 浅野氏広島城入城400年記念事業:時代行列・入城行列。<見学できず> |
16 | 世界遺産関係の資料を整理。 |
17 | ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中の世界遺産」 |
17 | ~30日。第74回国連総会(米国・ニューヨーク)。 |
18 | 世界遺産「厳島神社」関係の資料整理。 |
19 | 自宅書棚、倉庫で原爆死没者数関係資料を探し出す。 |
20 | 原爆死没者数関係資料の検討。 |
20 | 広島大学医学部医学資料館「ヒロシマに挑む 原爆投下の広島で実相究明に取り組む医学者たちの始動期の軌跡(企画・製作:広島大学原爆放射線医科学研究所附属被ばく資料調査解析部)」。8月5日~9月20日。<観覧できず> |
21 | 広島へ。平和公園と原爆資料館を調査。「原爆投下からの日数27074日、最後の核実験からの日数220日」。 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「国連訪問レポート(1976)」、「国際連合訪問の状況(日程順)」 |
22 | 広島県・広島市母親大会。会場:呉市・広市民センター。 |
23 | ヒロシマ遺文への投稿=「国際連合訪問の経緯(1975~76年 )」 |
30 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)」、「佐々木優秋」 |
日録(2019年10月)
日 | 事項 |
01 | <中華人民共和国成立70周年> |
01 | 『創価学会と平和主義』(佐藤優、朝日新書、20141030)読了。 |
02 | 『ヒロコ生きて愛 原爆乙女の戦後50年』(田坂博子、学研、19950801)読了。 |
03 | ヒロシマ遺文への投稿=「河本一郎」。 |
04 | 呉鎮守府開庁130周年記念シンポジウム・パネルディスカッション(主催:日本遺産「呉鎮守府」開庁130周年記念事業実行委員会)。第1部:基調講演=田端浩「観光立国を目指して~地方都市におけるインバウンド政策~」。第2部:パネルディスカッション「街の記憶を未来へ~鎮守府開庁後の呉の歴史をふりか返る」。コーディネーター:戸高一成(大和ミュージアム館長)。パネリスト:森田義和(呉地方総監部幕僚長)、千田武志(広島国際大学客員教授)、光井周平(広島工業大学講師)、久保田智子(元TBSアナウンサー)。会場:呉市役所・絆ホール。<宇吹感想=今日の呉観光を考える場合、「この世界の片隅に」に取り上げることは必要と思うが、誰も触れなかった> |
05 | 日本被団協、日本原水協、原水禁、被爆の政府を求める会などの機関誌やホームページで、今年8月の動向をチェック。~8日。 |
06 | 「海軍の復活を許すな!ヘリ護衛艦「かが」空母化反対集会in呉」場所:呉市中央公園。<参加者:350人(主催者発表)、300人(広島ホームテレビ)、350人(中国新聞)>。<挨拶した井上哲士参議院議員は、広島県立国泰寺高校出身で被爆二世と自己紹介>。 |
09 | 今年の8月6日と7日の新聞各紙(7種)の記事の検討。~日。 |
11 | ノーベル平和賞発表。エチオピアのアビー・アハメド首相(43) |
13 | 『軍馬と楕円球』(中野慶著、かもがわ出版、20190725)読了。 |
18 | 県立広島大学講義「地域の理解」。 |
19 | 県立広島大学フィールドワーク「地域の理解 平和公園」。 |
19 | 広島市原爆被害者の会「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)」。原爆資料館。<参加> |
19 | 中国人強制連行・西松安野和解10周年「あらためて歴史問題の和解を考える」(主催:広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会)。ところ:広島弁護士会館。<参加できず> |
19 | 憲法9条を守る第14回音楽と講演のつどい(主催:呉9条の会連絡センター)。ところ:ビューポートくれ。<参加できず> |
21 | いわさきちひろ生誕100年:前進座「ちひろ――私、絵と結婚するの――」公演。広島県民文化センター。<観劇できず> |
22 | 即位礼正典の儀(皇居)。今年に限り祝日。 |
23 | 世界遺産・厳島の弥山登山。登り=紅葉谷コース、下り=大聖院コース。 |
26 | スマホでのバーコード使用の方法を教えてもらう。 |
28 | 広島市の平和問題調査会、世界平和連帯都市市長会議のテータ整理。 |
29 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和問題調査会」「世界平和連帯都市市長会議」「国連大学広島誘致期成同盟会」。 |
30 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:国連大学とヒロシマ」「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」 |
31 | 「平和行政」「平和公園」関係の新聞切り抜きの再分類。 |
日録(2019年11月)
日 | 事項 |
01 | ヒロシマ遺文のTOPページの更新。 |
02 | 倉庫に置いた原爆資料館関係資料を自宅に持ち帰る。 |
05 | 呉市立昭和図書館。新刊コーナーに『ヒロシマの『河』 劇作家・土屋清の青春群像劇』(土屋時子・八木良広編、藤原書店、2019年8月)。 |
06 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島原爆とアメリカ人(谷本清著)」 |
07 | 広島城大菊花展(10月26日~11月10日) |
07 | 第58回東洋・東南アジア・ライオンズフォーラム。~10日。会場:広島市・ハノーバー庭園、広島国際会議場など。<準備中のハノーバー庭園を通り過ぎる> |
07 | 原爆資料館と平和公園(大学時代のクラブの同期7人を案内)。 |
07 | 原爆資料館地球平和監視時計(広島への原爆投下からの日数=27121日。最後の核実験からの日数=267日) |
09 | ベルリンの壁崩壊から30年。 |
10 | BSプレミアム「追悼 佐藤しのぶ~神様に声を返す日まで」(01:15~02:15)<11日に録画を視聴> |
10 | BS1スペシャル「女優たちの終わらない夏・終われない夏」(19:00~20:50)<12日に録画を視聴> |
10 | 天皇即位 祝賀行列の儀。 |
12 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:この子たちの夏・夏の会」 |
14 | 大嘗祭。~15日(皇居) |
16 | 広島のブックオフとアカデミー(計3店舗)で古書11冊計3480円を購入。 |
17 | 中国新聞朝刊「被爆手記いち早く海外へ 直後に惨禍記述 米紙で全文掲載 神父、投下の是非問う」(西本雅実・記) |
18 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器全面廃絶国際デー(9月26日)」 |
21 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの証言(広島平和文化センター)」 |
21 | RCC(中国放送)「ニュース6」内の企画番組「シリーズ:ヒロシマの礎」がRCCのホームページで視聴可能なことを知る。第1回:藤居平一(8月9日放映、11月21日視聴)http://play.rcc.jp/hiroshima/190809.php |
22 | RCC(中国放送)「ニュース6」内の企画番組「シリーズ:ヒロシマの礎」(次の3本を視聴) 森滝市郎 http://play.rcc.jp/hiroshima/190925.php 吉川清 http://play.rcc.jp/hiroshima/191011.php 沼田鈴 子 http://play.rcc.jp/hiroshima/191101.php |
23 | フランシスコ・ローマ教皇来日。 |
24 | 広島平和記念公園―平和大通り―縮景園。 |
24 | 原爆資料館地球平和監視時計(広島への原爆投下からの日数=27138日。最後の核実験からの日数=284日) |
24 | フランシスコ・ローマ教皇、広島・長崎を訪問。録画で関連番組を視聴。 |
25 | ローマ教皇関連報道を確認するためコンビニで新聞4紙を購入。 |
26 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和文化センター刊行物一覧」 |
26 | 昭和図書館へ。ローマ教皇関連報道を確認。 |
28 | 中国新聞朝刊1面「ヒロシマの空白 被爆75年 埋もれた犠牲者名どう把握」(水川恭輔記者)掲載。 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和関係施設調査研究委員会資料」 |
日録(2019年12月)
日 | 事項 |
01 | ヒロシマ遺文のTOPページの更新。 |
02 | 過去のハガキ・手紙をもとに住所録の更新作業。 ~ |
真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)78周年。 | |
08 | 第4回戦争体験を聞く会(主催:新日本婦人の会呉支部、会場:呉市生涯学習センター(つばき会館))。参加。 |
08 | NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~第46回「炎のランナー」」視聴。 |
08 | 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題シンポジウム「現在の被爆者の生活課題と今後の支援~被爆75年を前に考える~」(主催:原爆被害者相談員の会、会場:広島市男女共同参画推進センター(ゆいぽーと))<参加できず> |
09 | 広島テレビ(日本テレビ):NNNドキュメント「つぐない~BC級戦犯の遺言~」。視聴 |
09 | 「中国新聞デジタル」に登録。いつの間にかコピーできなくなっていた記事がここでは可能なことを確認。 |
11 | ヒロシマ遺文のTOPページの更新。 |
12 | ブックオフ広島大手町店2冊400円-11:48昼食-12:40旧日本銀行広島支店(閉室)-14:45稲荷橋-15:39広島駅南口噴水-16:11尾長天満宮(二葉の里歴史の散歩道)-16:33日本山妙法寺-16:35聖光霊苑-16:41二葉山平和塔-金光稲荷神社-17:05東照宮口コース案内板(東区自然発見マップ ハイキングコース案内板)-17:10原民樹碑(広島東照宮)-原爆之碑(広島県医師会)-イルミネーション(エキキタと広島駅新幹線駅)-忘年会。 |
13 | 昭和図書館で『ヒロシマの「河」 劇作家・土屋清の青春群像劇』(土屋時子・八木良広編、藤原書店、20190806)と呉市中央図書館所蔵の『史料・太平洋戦争被害調査報告』(中村隆英・宮崎正康編、東京大学出版会、19950805)を借り出す。 |
15 | NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~最終回「時間よ止まれ」」視聴。 |
15 | 年賀状の作成開始。24日投函。 |
21 | 広島県総務局財産管理課県有地販売促進グループ宛てにメール。内容=1992年9月に設置された「旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会」の委員であった宇吹が「旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案」をヒロシマ遺文上に投稿しているので参考にされたい。23日、丁重な返信メールあり。 |
26 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年(日録)」「平和記念式典関係資料(宇吹所蔵)」「内閣総理大臣挨拶」「平和記念施設あり方懇談会設置要綱」。カテゴリー「平和行政」の再検討。 |
27 | プランゲ文庫関係資料など4箱を桜が丘倉庫に移動。 |
27 | ヒロシマ遺文のtopページのデザインを大幅変更。 |
30 | 広島ホームテレビ「ドキュメント広島 ピカドン先生、令和も生きる」<坪井直の1年間の取材記録>。視聴。 |