○原水爆禁止2018年世界大会(原水爆禁止日本協議会)
8月3日~9日広島・長崎で開催。6000人(広島)1500人(長崎)の代表が参加。
○被爆73周年原水禁世界大会(原水爆禁止日本国民会議)
7月28日福島大会640人。8月4日広島大会2200人、8月7日長崎大会1700人
○被爆73年連合2018平和ヒロシマ集会 約2100人
○日本生活協同組合連合会~ピースアクション~
8月4日~6日「ピースアクションinヒロシマ」。全国70生協より延べ2,300人。
8月7日~8日「ピースアクションinナガサキ」。全国50生協より延べ1,110人。
〇「ピース・ナイター2018」 (広島東洋カープ)7月30日3万人余 MAZDA Zoom-Zoom
平成30年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
原爆死没者慰霊碑の奉安箱の原爆死没者名簿の概要
あらたに3冊の名簿に記帳された氏名 |
5393人. |
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名簿登録者総数 |
314118人 |
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名簿総数 |
115冊 |
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参列者の概要
被爆者や遺族など |
約5万人 |
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安倍晋三 |
内閣総理大臣 |
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アントニオ・グテーレス |
国連事務総長(中満泉国連事務次長兼軍縮担当上級代表.代読.) |
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遺族代表 |
40都道府県 |
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各国大使や代表 |
85か国(核兵器保有7か国代表を含む)と欧州連合(EU)。 |
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出典:『平和文化 No. 2018年月号』(広島平和文化センター)
広島市長平和宣言(下記参照)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/
広島市 – 平和宣言【平成30年(2018年)】
内閣総理大臣挨拶
一発の原子爆弾が、街を一瞬にして破壊し、十数万ともいわれる貴い命を奪いました。あれから73年、一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。
原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けて、粘り強く努力を重ねていくこと。それは、我が国の使命です。
近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。
真に「核兵器のない世界」を実現するためには、被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取組を主導していく決意です。
その具体的な取組として昨年、核軍縮に関する「賢人会議」を、ここ広島で開催しました。
「賢人会議」を通じて有識者の知見も得ながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
また、その非人道性を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めが我々にあります。
若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。
政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。
被爆者の方々への援護施策については、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
平成30年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三
出典http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0806hiroshima.html
類似式典(総理官邸ホームページより)
2018年月日 |
行事 |
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0311 |
東日本大震災7周年追悼式 |
東京都千代田区の国立劇場。 |
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<篠宮同妃両殿下、約人。前年までは天皇皇后> |
0623 |
沖縄全戦没者追悼式 |
沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園 <約人> |
0809 |
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。 |
平和公園 <約人> |
0815 |
全国戦没者追悼式 |
東京・日本武道館 <天皇・皇后、約人> |
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志賀賢治広島平和記念資料館館長 |
講演「記憶の継承」―次世代に引き継ぐ資料館を目指して |
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開催日時:2017年8月2日、会場: 広島大学東千田キャンパス> |
出典『平成29年度第1回広島大学平和科学研究センター主催国際シンポジウム「原爆体験・戦争の記憶の継承~託す平和遺産」 No.33 Editor: Institute for Peace Science, Hiroshima University 201804』 |
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原爆被害相談員の会からの報告(IPSHU研究報告シリーズ No.23 広島大学平和科学研究センター 1996年3月1 日)
著者 |
タイトル |
相良カヨ(原爆被害者相談員の会) |
被爆者とABCC |
三村正弘(広島県保険医協会) |
原爆被害者援護法と社会保障の一考察 |
若林節美(広島YMCA健康福祉専門学校) |
被爆者は今 |
船橋喜恵(広島大学総合科学部) |
原爆被害者相談員の会の歩み |
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『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上・下』(若尾祐司・小倉桂子編、名古屋大学出版会、2018年7月10日)
目次
上巻 |
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ロベルト・ユンク「広島での出会い |
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第一編 共同作業に向けて-一九五七年五月末から同年末まで |
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概要
小倉書簡(一九五七年五月二五日~一二月三〇日)
解説1 浜井信三インタビュー
解説2 ロベルト・ユンクの動向(一) |
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第二編 反核平和運動の高まりの中で-一九五八年一月から同年五月まで |
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概要
小倉書簡(一九五八年一月八日~五月二七日)
補遺(一九五八年六月初旬~九月四日)
解説1 中央公論一九五八年八月号「ヒロシマ-その後十三年」
解説2 ロベルト・ユンクの動向(二) |
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第三編 被爆当時と後障害の究明-一九五八年九月から五九年一月まで |
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概要
小倉書簡(一九五八年九月八日~五九年一月二九日)
解説1 長岡省吾インタビュー
解説2 医師へのインタビュー
解説3 ロベルト・ユンクの動向(三) |
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下巻 |
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第四編 戦後の生活と性の現場へ-一九五九年二月から同年五月まで |
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概要
小倉書簡(一九五九年二月二日~五月二九日)
解説1 遊郭関係者へのインタビュー
解説2 ロベルト・ユンクの動向(四) |
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第五編 平和を求めて生きる人々-一九五九年六月から同年一〇月半ばまで |
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概要 486
小倉書簡(一九五九年六月三日~八月二四日と九月一五日~一〇月一三日)
解説1 河本一郎インタビュー
解説2 広島市観光課へのインタビュー
解説3 ロベルト・ユンクの動向(五) |
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付録 小倉馨の人と生涯 |
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1 小倉馨関係年譜
2 小倉桂子インタビュー
3 追記 |
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『広島市被爆70年史 あの日まで そして、あの日から 1945年8月6日』(被爆70年史編修研究会編、広島市刊、2018年7月28日)
目次
戦前編 |
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第1章 プロローグ |
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第2章 広島市の誕生 |
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第3章 日清戦争と軍部の形成 |
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第4章 近代都市への発展 |
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第5章 都市の変貌 |
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第6章 社会運動と市民文化 |
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戦中編 |
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第1章 戦時下の広島 |
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第1節 戦時体制の強化
第2節 銃後としての広島
第3節 広島の外国人
第4節 「決戦」命令の日々 |
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第2章 原爆被災 |
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第1節 グラビア 1945年8月6日
第2節 広島壊滅
コラム 原子爆弾の開発と投下 |
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戦後編 |
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第1章 廃虚からの出発 |
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第1節 子どもたちと原爆
第2節 原爆はどう報じられたのか
第3節 占領軍の展開と占領の諸相
第4節 廃虚の中の市民生活
第5節 海外からの復興支援
第6節 医療と衛生の復興
コラム ニつの平和記念日 |
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第2章 復興のつち音 |
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第1節 復興計画の立案と進展
第2節 平和記念都市建設法と平和記念施設
第3節 基町を中心とする公園・緑地・住宅計画
第4節 丹下健三と広島の都市デザイン
第5節 太田川改修事業
第6節 市民球団カープの誕生と発展
第7節 文化の復興
第8節 戦後の経済復興と商工業
第9節 原子力の「平和利用・展示」
コラム 町名から見る城下町広島 |
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第3章 民主化と労働運動の高まり |
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第1節 民主化と市民
第2節 労働運動の高まり
第3節 学校の復興と学制改革
第4節 広島の文芸と原爆文学
コラム 広島お好み焼の歴史 |
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第4章 被爆者とヒロシマの展開 |
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第1節 被爆者の実相の解明
第2節 被爆者の援護
第3節 被爆者の苦悩
第4節 核実験禁止・核兵器廃絶運動とヒロシマ
第5節 ヒロシマの継承
第6節 平和都市を担って
コラム エノラ・ゲイ号と原爆展示 |
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第5章 高度成長以降の都市の拡大 |
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第1節 経済と社会基盤整備
第2節 環境問題・環境対策
第3節 都市機能の「流出」-広島大学の統合移転と空港の移転
第4節 広島の大規模宅地・各種開発の歴史と課題
コラム 若者文化と広島フォーク村 |
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第6章 エピローグ |
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第1節 グローバル化と21世紀の平和都市像
第2節 被爆100年後の広島に向けて |
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特論 |
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特論1 広島・ヒロシマと美術 |
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特論2 広島と音楽 |
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特論3 映画と広島・ヒロシマ |
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特論4 スポーツ王国広島 |
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広島市被爆70年史 映像編目次
広島市の歴史 ~明治から現代 |
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Ⅰ -市誕生から被爆まで-
Ⅱ -被爆からの復興- |
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10人の証言集 記憶から紡ぐ あのころの広島 |
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「戦争に翻弄された少女の青春」 切明千枝子
「母が綴ったわが子への思い」 渡部定子
「迫る業火を逃げのびて」 竹内節子
「原爆乙女と呼ばれて」 笹森惠子
「麦畑の少年が見た広島の復興」 鈴木孝
「原爆と在日の二つの重みを背負って」 朴南珠
「広島復興の象徴、基町の再生」 中村和正
「被爆、そして原子力の平和利用」 伊藤薫
「ヤミ市から立ち上がった広島商人」 山西義政
「原爆にも負けないで、野球に打ち込んだ人生」 原田高史 |
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ドキュメンタリー 幻の記録映画を追って 平和記念都市ひろしま |
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広島国際文化財団
1977年、中国新聞社と中国放送が広島の文化振興を目的に設立した財団法人
主な事業
年月日 |
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197807 |
街づくりシンポジウム(丹下健三、平山郁夫など) |
197811 |
デザイン会議1978広島 |
197904 |
ガウディ展 |
198008 |
増田勉ヒロシマシリーズ作品展 |
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米国記者招請計画(アキバ・プロジェクト) |
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Voices from Hiroshima
a symposium November 28-29, 1990
Student Center Ballroom Annex Centra l Connecticut State University
New Britain, Connecticut
資料
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宇吹暁 『アメリカ(コネチカット州・ニューヨーク)旅行の記録 1990.11.27-12.3(5泊8日)』 |
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平和の時計塔
建立年月日:1967(昭和42)年10月28日
場所:広島市中区中島町・平和公園
[正面]
平和の時計塔
PEACE CLOCK TOWER
核原子力の出現により、人類はいま生か、死か、破滅か、繁栄かの岐路に立っている。
ひろい世界を同じ心で一つに結ぶ、全世界のライオンズ会員が平和実現のために果す役割は大きい。
原爆ドームの永久保存に呼応し、人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻、8時15分に、毎日全世界に向けこの時計塔のチャイムが「ノーモアヒロシマ」を強く訴え、人類の高級平和実現の一日も早からんことを祈り、この時計塔を建設し、市に贈るものである。昭和四十二年十月二十八日
チャーター伝達十周年を記念し
広島鯉城ライオンズクラブ
資料
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「ライオンズを探せ!@広島県・広島 村上薫元国際会長のテーマを伝えるピープル・アット・ピースの碑」(『LION 日本語版 2015年10月号』https://www.thelion-mag.jp/emag/201510/index_h5.html) |
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『企画展:原爆白書運動と広島大学』(被ばく学創生研究会編、広島大学文書館、20160701)
目次
章 |
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1 |
金井利博 |
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金井利博と原爆白書運動 |
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原民喜の詩碑建立 |
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原民喜の遺書と受けとった梶山季之 |
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原爆白書作成の訴えと運動 |
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広がる原爆白書運動 |
2 |
国連へのはたらきかけ |
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国際連合への働きかけと被爆フィルム返還 |
3 |
原爆白書運動 |
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「原水爆被災白書」をすすめる様々な動き |
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原爆被災資料広島研究会と『原爆被災資料総目録』 |
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原爆被災資料総目録の発行 恩給をつぎ込んで |
4 |
協力者 今堀誠二 |
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金井との関係 『原水爆時代』 |
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協力者 今堀誠二と談和会 |
5 |
金井学校 平岡敬と大牟田稔 |
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金井学校の二人 平岡敬と大牟田稔 |
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被爆者調査報道 「リフトン取材」 |
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被爆20年特集記事「炎の系譜」 |
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平岡敬 韓国の被爆者取材 |
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大牟田稔 中国新聞社に入社して |
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大牟田稔 沖縄取材 |
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きのこ会と大牟田 |
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平岡と大牟田 |
6 |
広島大学原爆放射能医学研究所と湯崎稔 |
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湯崎稔と爆心地復元運動 |
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爆心地復元運動の成果 |
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原爆爆心地復元運動 |
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原水爆被災資料センター設立から原医研資料センターへ |
7 |
『核権力』の執筆 志なかばの死とその後 |
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病の中で、訴えつづけた雄大な構想 難民研究所を最後に |
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追悼文 今堀誠二「ヒロシマと金井利博」(『中国新聞』19740622) |
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国連報告から被爆の実相まとめへ |
8 |
湯崎資料の遺産 |
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原医研の保管資料 復元運動のその後 |
9 |
講演「金井利博と原爆白書運動」 |
参考資料
原爆白書運動と広島大学(企画展)
https://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/event/genbakuhakusyo.html
核・被ばく学創成研究会(代表 小池聖一)・広島大学文書館は、平成27年7月3日~6日(旧日本銀行広島支店 1階ロビー)、9日~15日(広島大学中央図書館 地域・国際交流プラザ)の期間、広島大学原爆放射線医科学研究所、広島大学平和科学研究センターとの共催、中国新聞社の後援で、企画展「原爆白書運動と広島大学」を開催いたしました。
原爆白書運動とは、核戦争を防止するため、原爆被災の全体像と被爆体験を科学的に調査し、その記録を永久に残すともに国連を通じて全世界に公表するよう、日本政府に求めた運動です。運動の中心人物であった金井利博の足跡を中心に、今堀誠二、湯崎稔らの取り組みを紹介しました。
本企画展は、文部科学省科学研究費補助金 基盤研究B「広島における核・被ばく学研究基盤の拡充に関する研究」(26280123)の研究成果の一部です。
7月3日~6日には1270人、4日の小池文書館長の講演会には57人、9日~15日には15777人(ゲート通過換算)のご来場がありました。ありがとうございました。
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。