「日本のヒバクシャ」カテゴリーアーカイブ

年表:長野のヒバクシャ

年表:長野のヒバクシャ<作業中

年月日 事項 備考
1955
0822 長野県原水協準備会、第1回原水禁長野県大会を長野県立長野図書館講堂で開催。広島・長崎の被爆者4名、長野県在住の被爆者松尾敦之・花岡邦子が参加。(「生き続けて」710205)
0913 宇野長崎市社会課長、渡辺千恵子に長野県岡谷市立南部中学校3年生が贈ってきた義援金1202円と激励の手紙17通を手渡す。(長崎日々)
0913 原水爆禁止長野県協議会、結成大会を善光寺大勧進で開催。会長に半田孝海善光寺副住職、副会長に高野イシ県婦連会長、事務局長に宮尾貞子を選出。(「生き続けて」710205)
1120 原水爆禁止長野県協議会や信州大学学生など、「原爆被災者治療資金」の募金活動(1円カンパ)を実施。(「生き続けて」710205)
1206 原水爆禁止日本協議会被爆者救援委員会、広島・長崎を除く各地の被災者(約8万人)を対象に被災者の無料健康診断を開始。資金には、中国からの寄付金を充当。群馬・長野・神奈川がモデル・ケース。6・7両日、群馬大学附属病院で。
1207 日本原水協の「被爆者無料健康診断実施モデル地区」として長野県内で被爆者検診を実施。7日、佐久病院、7-8日、松本信州大学病院、長野日赤病院、上諏訪日赤病院、下伊那日赤病院。28名が受診。(「生き続けて」710205)
1956
「信濃路にひろがる原水爆禁止運動 県民一人一円出しあって 被災者救援の愛の手・・・全国でも一番熱心だといわれる長野県の例」『アカハタ』1956年1月1日
0201 高野イシ長野県原水協副会長・宮尾貞子同事務局長・松尾敦之・花岡邦子、被災者の会世話人会を開催。(「生き続けて」710205)
0205 長野県原水爆被災者の会、善光寺大勧進で結成。県内の被爆者8名と県原水協関係者が出席。会長:松尾敦之、副会長:前座良明・花岡邦子などを決定。(「生き続けて」710205)
「・・・同年九月十九日に日本原水協が、そして十月十八日に長野県原水協が結成され、「原爆被災者治療資金」の募金がおこなわれた。この資金によって県下五カ所の病院で健康診断を実施し、二十八名が受診した。そのなかに私もはいっていた。私はここではじめて原水協とのつながりができ、そのことによって、はじめて自分の怒りやなやみをきいてもらえる人たちができた。翌年、日本原水協の指導によって、県原水協の協力で健康診断を受けた二十八名とその後判った六名に呼びかけ、「長野県原水爆被災者の会」を結成することができた。ときに一九五六年二月五日のことだった。そして会則のなかで、「原水爆禁止運動に協力することをもって目的とする。このため原水爆禁止長野県協議会とは密接な連絡をはかる」こともきめた。<前座良明「長野における反原爆運動二十年と私」広島・長崎の証言の会『広島・長崎30年の証言(下)』(未来社、1976年)>
0324 長野県原水爆被災者の会、善光寺大勧進で結成。県内の被爆者8名と県原水協関係者が出席。会長:松尾敦之、副会長:前座良明・花岡邦子などを決定。(「生き続けて」710205)
0624 長野県原水協常任委員会、松本母の会の募金1万円を被災者の会へ伝達。(現金受領は5月4日)。(「生き続けて」710205)
0709  原水爆禁止世界大会長崎実行委員会、鹿児島平和友の会と長野県原水協の被災者派遣の要請に応え、鹿児島に辻幸枝・小幡悦子、長野に山口仙二・永富郁子を派遣することを決定。10日、鹿児島班、13日、長野班が出発。(長崎日々)
 0713  山口仙二・永富郁子(長崎原爆青年乙女の会)、長野原水協の招請に応じて長崎を出発。(長崎日々)
0808 「日赤長野病院、同下伊那病院、信州大学医学部附属病院、佐久病院ではいまもなお被爆者の診療をつづけており、また県原水爆禁止協議会に昨年十二月いらいあつめられた被爆者救援寄金は現在百五万円をこえている。」『アカハタ』1956年8月8日
 0809  松尾敦之長野県原水爆被災者の会会長、長野県代表団21人とともに第2回原水爆禁止世界大会に参加。(「生き続けて」710205)
0811  森滝日記=藤居平一氏、被害者代表四名とともに登壇して謝辞を述べ全会衆感動。許女史は平元夫人を抱擁。各国元首のメッセージ。ブルガーニン首相も。宣言文は長野の宮尾女史が読む。決議文は青山氏と中山女史。「原爆許すまじ」の大合唱。
0821  京都府原爆被災者の会、東京の会より被爆者実態調査用紙を受領。(厚生省が被爆地以外の実態を知るため企画したもので東京・京都・愛媛・埼玉・長野が参加)。(「京友会のあゆみ」910333)
1003?  長野県から広島原対協に寄金。差出人不明で、毎月200円を送るとの手紙。(毎日新聞)
1005  原爆被害者の会会長温品道義、長野県を訪れ、原爆被害者の実相を訴え。14日、帰広。
 1125  長野県原水協、結成1周年大会を開催。(「生き続けて」710205)
1205  長野県原水爆被災者の会、会独自の活動として長野日赤(10名)、諏訪日赤(3名)、松本信州大学病院(5名)、佐久総合病院(2名)、下伊那日赤(なし)で被爆者検診を実施。-15日。(「生き続けて」710205)
 1957
 0811   前座良明長野県原水爆被災者の会副会長・坂田信男同幹事、第3回原水爆禁止世界大会に参加。(「生き続けて」710205)
  1101  原水爆禁止平和長野県民大会、長野市内で開催。約1000人が参加。前座良明長野県原水爆被災者の会副会長、被爆者の苦しみなどを訴える。(「生き続けて」710205)
 1958
 0518  長野県原水爆被災者の会、第4回総会を上山田温泉三楽荘で開催。松尾会長辞任にともない前座良明会長など新役員を決定。(「生き続けて」710205)
0806 長野県の全国高校体操女子選手団一行、長崎原爆病院を慰問。(西日本)
1116 長野県原水爆被災者の会、第5回総会を松本市外浅間温泉玉の湯で開催。(「生き続けて」710205)
1959
0517 長野県原水爆被災者の会、第6回総会を松本市龍宮鉱泉で開催。支部を設けることを決定。会員数72名。(「生き続けて」710205)
0725 長野大学附属小学校生徒ら5人、千羽鶴を広島市に送る。映画「千羽鶴」を見たのが契機。
0731  藤枝自民党副幹事長、原水爆禁止世界大会に神奈川・長野など8県から自民党所属の県疑団が参加することを明らかにする。
1960
0214 長野県原水爆被災者の会、第7回総会を松本市浅間温泉栄の湯で開催。会員数77名。(「生き続けて」710205)
1968
1970
0702  広島市・長崎市・朝日新聞社、原爆国内展を高崎・浜松・長野・東京・札幌・函館で開催。~8月30日。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
 1975
0802 吉川清、長野市の福祉会館で講演(長野原水禁の依頼)。
1977
1028 長野県の定時制高校生、修学旅行で原爆体験学ぶため来広。広島市の高校生と交流会。
1125 仏核実験に抗議して、広島市内三ケ所で座り込み。呉市でも初の座り込み。詩人栗原貞子の友人の長野県の主婦、座り込みに参加。
1978
1124 朝日新聞社、原子爆弾の記録展を長野市の長野東急デパートで開催(~29日).
1221 長野県被団協など、原爆の記録展を松本市の信濃ギャラリーで開催(~25日).
1980
0801 長野県被団協など、「人類生存のために!被爆者がかいた原爆の絵展」を県下10会場で開催(~10月2日).
1981
0202 長野県被爆者の会、「ふたたび被爆者をつくらせないために!原爆被爆者援護法の実現を要求するつどい」を長野市の労働会館で開催.90名余参加.
0805 長野市で、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート’81」開催。
1019 長野県厚生連佐久総合病院従業員組合、平和問題学習会を開催.
1982
0130? 長野県立飯田高校生徒、被爆体験記「白いチョゴリの被爆者」についての感想文で毎日新聞社賞受賞。
0312 長野県議会、「核兵器の廃絶と軍縮の推進に関する意見書」を採択。
0707 長野・松本市で不再戦の集いを開催.
0914 長野県の農業協同組合、広島原爆病院を慰問。
1115 長野県高校長会、「核兵器廃絶に関する意見」を採択。
1117 長野県原水爆被災者の会、「被爆者は訴える!反核のつどい-ヨーロッパ反核運動との交流12日間,いまなぜ援護法か」を松本市で開催.80人参加.
1983
0910 長野県の農協職員ら、原爆病院を慰問。
1984
0513 長野県原水爆被災者の会、諏訪市で総会.
0704 長野県議会、「非核平和県民宣言」を決議。都道府県レベルでの非核宣言は(徳島県議会に次いで二番目)
0914 長野県の農協職員、広島原爆病院を慰問。
1985
** 長野県・篠ノ井旭高校の生徒、松代大本営の保存・公開を長野市長に提起。
0325 長野県議会、被爆者援護法制定を求める意見書を全会一致で可決.
0604 長野県観光課職員、広島市の原爆養護ホームを慰問。
0911 長野県経済連の職員、広島原爆病院を慰問し、特産品を寄贈。
1986
0322 広島県議会、「核兵器廃絶に関する広島県宣言」を、全会一致で採択( 都道府県では、神奈川・長野などに次いで 6番目) 。
0603 長野県の観光キャンペーンで来広した一行、広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を慰問。
0901 米ロサンゼルス市在住の航空技師長野亮、出身地の鹿児島県に被爆証人なしで被爆者手帳の交付を申請。
0913 長野県の農協職員、広島原爆病院を慰問し、リンゴを寄贈。
1010 広島市出身の故森本明(被爆者)の友人ら、長野県の故人の建てたペンションで、追悼のレコードコンサートを開催。
1987
0911 長野県のあづみ農協職員、広島原爆病院を慰問、リンゴを寄贈。
1211 長野県原水爆被災者の会、「ふたたび被爆者をつくらないために 原爆被爆者援護法を 今すぐに!」の意見広告を信濃毎日新聞に掲載.
1988
0914 長野県の農協職員、広島赤十字原爆病院を慰問、リンゴを寄贈。
1989
0504? 広島折鶴の会、長野市の布コイ製造業赤石平太郎から託された「こいのぼり」をブラジルのヒロシマ中学校に寄贈。
0513 長野県被団協(長友会)、定期総会を開催。-14日。
0914 長野県の「あづみ農協」職員、広島赤十字・原爆病院を訪れ、リンゴを寄贈。
1990
** 長野市、松代大本営の地下壕の一部を公開。1989年6月末までに74万2000人が見学。
0327 「第1回少年少女ナガサキの旅」(日本生協連主催)、長崎市で開催(長崎・広島・長野などの小・中学生約100人参加)。被爆体験談の聴取など。
0722 長野県原水爆被災者の会、「いまなぜ被爆者援護法かを考える全県学習会」を長野市内で開催。
0913 長野県のあづみ農協、広島赤十字・原爆病院にリンゴを寄贈。
1991
0326 長野県の住職ら、日本チェルノブイリ連帯基金を設立。現地での調査のため、訪ソ。
0511 長野県被団協(長友会)、定期総会を開催。-12日。
0714 きょうちく会(体験記集「原爆の子」の執筆者のグループ)の早志百合子ら(4人)、同書の編者である長田新の故郷長野県茅野市を訪ね墓参。今年は同書の出版から40年、長田没後30年。
0806 長野県松本市の「ピカドン」食堂店主、長野県の遺族代表として、平和祈念式に参列。
0912 長野県・あづみ農業協同組合の職員ら、広島赤十字・原爆病院を訪れ、特産のリンゴを贈呈。
1992
0225 長野県被団協副会長・矢崎坂治、死去。69歳。
0409 長野県被団協、草の根全国行脚長野県集会を長野市内で開催。約40人が参加。
0911 長野県豊科町のアヅミ農協の職員ら、広島赤十字・原爆病院をリンゴ1,200個をもって慰問。同農協は、広島中央卸売市場に出荷したことから昭和56年から毎年慰問。
1993
0801 「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ-第13回長野平和音楽祭」、長野県民文化会館で開催。
1994
0909 長野県豊科町のJAあづみのの職員、収穫したばかりのリンゴを持って広島赤十字・原爆病院を慰問。
1995
0809 長崎市新興善小学校、平和集会を開催。元針尾海兵団軍医・降旗良知(長野県松本市在住)ら元軍医9人、同行で救護活動について話す。
0913 長野県豊科町のJAあづみの職員ら、リンゴを広島赤十字・原爆病院に届ける。
1217 長野県茅野市に非核平和宣言都市・茅野市の決意を託した「原爆の火・平和の塔」が市民の募金で建立され除幕。
1996
0910 長野県のあづみ農協、広島赤十字原爆病院にリンゴ1200個を届ける。
1997
0329? 1947年頃の広島市の平和公園を撮影した写真が長野県で見つかる。
0720 全国各地で戦争遺跡の保存運動を行っている22団体、長野市で全国シンポジウム(第1回)を開催。広島からなど100人が参加。戦争遺跡全国ネットワークを結成。
?? 安曇野ちひろ美術館開館。
1998
0113 長野冬季五輪の聖火リレー、広島市の平和公園を1周。
0327 長野冬季パラリンピックの閉会式を企画した「アクトジャパン日本楽劇人協会」の代表、閉会式会場を飾った折り鶴のうち2万羽を長崎原爆資料館に寄贈。
0329 長野冬季パラリンピックの閉会式を企画した「アクトジャパン日本楽劇人協会」の代表、閉会式会場を飾った折り鶴のうち2万羽を広島市平和公園の「原爆の子の像」に捧げる。
 2017
0327 藤森俊樹日本被団協事務局次長(長野県茅野市)、核兵器禁止条約をつくる交渉会議(米ニューヨーク・国連本部)で演説(『中国新聞』20170805)
 0805  中国新聞「8・6式典 都道府県遺族代表の思い 受け継いだ記憶 次世代へ」。<長野県代表>
 2018
0310 藤森俊樹日本被団協事務局次長(長野県茅野市)、核兵器禁止条約をテーマにした講演会(2018国際女性デーひろしま実行委員会主催)で講演。(『中国新聞』2018年3月11日)
 0522  中国新聞連載「緑地帯 ちひろとヒロシマ」(~5月31日、8回連載)

厚生大臣および沖縄県知事への要望書 1972年9月25日

厚生大臣および沖縄県知事への要望書

(沖縄県原爆被爆者協議会・日本原水爆被害者団体協議会  1972年9月25日)

要望書

 私達が広島・長崎で被爆して二七年が経ちました。その間、本土では昭和三二年原爆医療法が、昭和四三年原爆被爆者特別措置法が施行され、本土被爆者へは不十分ながら医療を中心とした福祉対策が行なわれてきました。

一方、沖縄県在住の被爆者はアメリカの施政権のもとで長く放置され、四二年の「了解覚書」、特別措置法の準用以後も本土被爆者との格差は歴然たるものがあります。

今回本土各県被爆者代表が渡沖し、沖縄県被爆者との懇談を行なうことによってこのことは愈々明白になりました。本土の被爆者は国の施策の不十分さをおぎなうため各地方自治体で独自の被爆者対策をかなりの程度進めさせています。

原爆被爆者医療、生活対策のために、医療施設、社会保障施設全般の水準の本土との格差を是正し、一日も早くニ七年間堪えつづけ、而も年々老令化していく被爆者のために、県当局が左記の事項に対して勇断をもって実施して下さることを要望するものであります。

要望事項

一、別添の日本政府への要求(実態調査、認定病院の設置、専門医師の配置と施設設備の充実、医師への原爆医療研修、広島・長崎等の専門医の沖縄派遣、広島・長崎等への専門病院での治療経費の国庫負担等)については、沖縄県に於てもその推進の為に努力すること。又当面その実施を県費支出によって行うこと。

二、健康診断受診者全員に奨励金を支給し、一般検診の際も交通費を増額すること。

三、一般疾病医療機関を増設し、原爆医療法の主旨徹底と原爆医療の為の医師研修につとめること。

四、県、病院、被爆者の三者懸談会を開催しその定期化を計ること。

五、全被爆者に栄養費を支給し、入、通院、自宅療養、六○才以上の被爆者に見舞金を支給すること。

六、公営住宅への優先入居を認めること。

七、生活困窮被爆者に特別手当を支給すること。

八、地方税の減税措置を講ずること。

昭和四七年九月二五日

沖縄県原爆被爆者協議会
日本原水爆被害者団体協議会

沖縄県知事殿

日本政府への要求

一、沖縄県被爆者は昭和四〇年厚生省調査から除外されているので直ちに医療生活を含む実態調査を行なうこと。

二、沖縄県に直ちに原爆医療法指定医療機関(認定病院)を設置すること。

三、それを中心に専門医師を配置し検査、治療に必要な施設、設備の充実を計ること。

四、沖縄県在住医師の原爆医療研修を実施すること。

五、当面沖縄県被爆者の健康診断の為、広島・長崎等の専門医を国費を以って派遣すること。

六、沖縄の被爆者が広島・長崎等の専門病院で治療入院をする場合はその交通費、宿泊費等の一切の経費及び留守家族に対しての援助金を支給すること。

七、昭和三二年から医療法準用に至る期間の被爆者の医療費、自己負担分を政府は補償すること。

沖縄県在住被爆者対策推進調査団報告集(1973年6月)

沖縄県在住被爆者対策推進調査団報告集

(日本原水爆被害者団体協議会  1973年6月)

1.はじめに

2.調査団趣旨

3.調査団名簿

 

団長 伊東 壮 日本被団協事務局長
団員 尾島良平 神奈川県被団協会長
団員 木戸 大 愛知県被団協事務局長
団員 葉山利行 長崎県被団協事務局長
団員 長尾当代 東京都被団協委託事業部長
事務局 伊藤直子 日本被団協事務局員

 

4.調査団日程

1972年9月

 

23 那覇着、沖縄県原爆被爆者協議会総会にのぞみ、総会後懇談。
24 金城理事長の案内で南部戦跡を訪問・慰霊。
25 沖縄タイムス、日赤病院、民主診療所を訪問・懇談。16時より沖縄県被爆協役員と共に県庁交渉。
26 金城文栄、与那嶺盛徳氏の案内で、中部米軍基地を見学。
27 那覇発。

 

5.沖縄県被爆者の実態

<沖縄県原爆被爆者協議会「沖縄在住被爆者の実情報告」より>

6.現地行動報告

7.厚生大臣および沖縄県知事への要望書

8.沖縄県被爆協への便り-厚生省交渉報告-

9.調査団感想文

高倉山温泉被爆者療養センター

高倉山温泉被爆者療養センター第1期工事竣工す

出典:上田仲雄『核兵器全面禁止の日まで 岩手県原水協30年の歩み』(原水爆禁止岩手県協議会、19850120)pp.177―245

高倉山温泉被爆者療養センター第1期工事竣工す
1  被爆者療養センター問題
 被爆者療養センター建設準備運動進む
被爆者による折りづる行脚
県労連からの7項目の質問
日報紙上におけるセンター問題
2 センター建設運動進む
各地における建設運動進む
高倉山センター建設折鶴行脚
3 第13回原水爆禁止世界大会
岩手県代表団の構成
 第13回国民平和行進の集約と特色
4 被爆者療養センター第1期工事竣工
被爆者療養センター建設募金納入状況
高倉山療養センター第1期工事竣工<19680511>
《南の別府温泉療養所と並んで北方の被爆者にとって大きな福音をもたらすものとなるであろう。》

 

福井のヒバクシャ

福井のヒバクシャ<作業中

基本情報

県内被爆者数 46人(2021年3月末現在)
被爆者対策
 被爆者団体 福井県原爆被害者団体協議会
原爆報道(地域紙) 8月6日社説
反核団体
 福井県原爆被害者団体協議会(950815)

 

福島のヒバクシャ

福島のヒバクシャ<作業中

関連資料

 県内被爆者数 53人(2021年3月末現在)
被爆者対策
 被爆者団体  福島県原爆被害者協議会 1958年4月13日
 1985年6月16日再建総会
出典:『日本被団協50年史』
地域新聞  8月6日社説
福島民報 
  福島民友新聞
 被爆証言関係団体 福島県原爆被害者協議会(19871208、19881108、19950915)
原水爆を考える[福島県]原町市民の会(19830716)

石川のヒバクシャ

石川県のヒバクシャ<作業中

関連資料

 県内被爆者数 64人(2021年3月末現在)
被爆者対策
 被爆者団体  石川県原爆被災者の友の会
8月6日社説
北國新聞
 被爆証言関係団体  石川県原爆被災者の友の会(681333、691333、860325、950730)

長野のヒバクシャ

長野県のヒバクシャ<作業中

関連資料

 県内被爆者数 90人(2021年3月末現在)
被爆者対策
 被爆者団体  長野県原水爆被災者の会(長友会)
信濃毎日新聞 8月6日社説
 19850806  被爆40年核廃絶へたゆみなく
 19860801  遺憾な原水禁運動の再分裂
19860806 米ソは核軍縮の重責を果たせ
19880805 核軍縮を前進させるために
19890815  戦争責任の自覚を不戦の志へ
19900805  広い国際視野を反核の心に
19910806  核兵器の拡散を許すまい
19920806 「核のない世界」はまだ遠い
19950805 東南アジアの非核化めざせ
19950806  原爆の歴史を共有しようー確かな平和へ歩む
19960806  「原発ノー」が突きつける意味
 被爆証言関係団体 長野県原水爆被災者の会(長友会)(19650720、19710205、19760730、19810805、19960205)
原水爆禁止長野県協議会(長野県原水協)(19760715)
長野県高森町教育委員会(19951025、19971215、19991106、20011208、20021010、20031010、20041010、20051020)

山梨のヒバクシャ

山梨のヒバクシャ<作業中

関連資料

 県内被爆者数 57人(2021年3月末現在)
被爆者対策
 被爆者団体 山梨県原水爆被害者の会(甲友会)
山梨日日新聞 8月6日社説
 被爆証言関係団体 山梨県原水爆被害者の会(甲友会)(700533、740722、850721、950633)
甲府市地域振興課(941201)

年表:群馬のヒバクシャ

年表:群馬のヒバクシャ<作業中

年月日 事項 備考
1955
1109 群馬県内在住被爆者検診を群馬大学附属病院で実施。県内より35名受診(「炎の詩」851130)
1206 原水爆禁止日本協議会被爆者救援委員会、広島・長崎を除く各地の被災者(約8万人)を対象に被災者の無料健康診断を開始。資金には、中国からの寄付金を充当。群馬・長野・神奈川がモデル・ケース。6・7両日、群馬大学附属病院で。
1217 群馬県内被爆者組織結成式を前橋市北曲輪町公民館で開催。17名参加。第1回総会とする。(「炎の詩」851130)
1956
0415 東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。
0503 群馬県原爆被災者の会、前橋市教育会館で発会式を開催。会員37名のうち27名出席。(前年12月17日の会合を第1回とし、第2回総会とする)。(「炎の詩」851130)
1957
0721 群馬県原爆被災者の会、第3回総会を前橋市教育会館で開催。会員数46名。(「炎の詩」851130)
0825 群馬県原爆被災者の会、第2回検診を県内7か所の病院で実施。(「炎の詩」851130)
1105? 群馬大学工学部山県登助教授、広島市と群馬県内の児童の尿中のセシウムの比較研究を計画。
1958
0402 群馬大工学部、広島市の被爆学童と群馬県の学童の尿を比較研究。日本化学学会で、残留放射能濃度に大差がなかったとの結果を発表。
0713 群馬県原爆被災者の会、第4回総会を高崎市国立高崎病院講堂で開催。島田高崎病院内科部長の公園と健康相談。(「炎の詩」851130)
11 群馬県原爆被災者の会、第1回実態調査を実施。84名中64名が回答。(「炎の詩」851130)
1959
0402 日本化学学会、東京大学で開催。-5日。群馬大工学部分析化学教室、広島市と群馬県内の学童の尿検査の結果、残留放射能の濃度に大差がなかったと発表。
0724 自民党群馬県連、26日開催予定の原水爆禁止群馬県大会をボイコットするとの声明書を各市町村に配布。
0911 群馬県原爆被災者の会、第1回支部長会議を開催。(「炎の詩」851130)
0924 群馬県原爆被災者の会、第5回総会を伊勢崎市広瀬川温泉で開催。(「被団協連絡」№.16)(「炎の詩」851130)
1008 群馬県原爆被災者の会の代表5人、神田知事と懇談。対策を陳情。(「炎の詩」851130)
1009 中曽根代議士、群馬県原爆被災者の会高崎支部総会で挨拶。(「炎の詩」851130)
1960
0723 群馬県原爆被災者の会、第6回総会を伊香保温泉で開催。-24日。会員数101名。(「被団協連絡」№.29
1961
0125 群馬県原爆被災者の会、「群被協ニュース第1号」発行。(「炎の詩」第2集)
1966
0820 群馬県原爆被災者の会、第10回総会。~21日。原水禁運動の統一をよびかけるアピールを発表。本会は、被爆者組織としての独自性と中立性を保つことを再確認する。(「炎の詩」第2集)
1967
0826 群馬県原爆被災者の会、第11回総会。~27日。県下を3地区に分け、援護法制定県内行脚を行う。(「炎の詩」第2集)
1968
0824 群馬県原爆被災者の会、第12回総会。~25日。県内7自治体(沼田市・渋川市・前橋市・中之条町・桐生市・高崎市・群馬県)の援護法促進決議を得て、援護法制定に全力を傾けることを決める。(「炎の詩」第2集)
1974
0930 中国新聞「原爆投下直前飛行場へ-あわや空中被爆-群馬の元大佐が体験記-広島の知人に送る」
1979
0315? 群馬県、県内在住被爆者を対象に、5月から人間ドックによる検診実施
0801 群馬県原爆被災者の会、県と共同で県内被爆者実態調査を実施。(「炎の詩」第2集
0825 群馬県原爆被災者の会、第22回総会。~26日。被爆35周年事業として「群馬県原爆犠牲者慰霊碑」の建立を決める。
1980
0125 群馬県被団協など9団体、群馬県原水爆禁止市民懇談会を結成.
0406 群馬の原水懇、埼玉県の丸木美術館などを見学.30名参加.
0612  群馬市民懇、被爆35周年・広島・長崎原爆写真展を県内5郡市で開催(~7月21日).写真は広島平和文化センターより借用したもの.
0823 群馬県被団協(群友会)、第23回総会.
1981
0822 群馬県関係原爆犠牲者慰霊碑(前橋市・嶺公園)、除幕式。終了後,東村で宿泊総会。66人参加.
1010 日本被団協中央相談所、関東・甲信越ブロックの講習会を群馬県伊香保で開催(~11日).30名参加.
1982
0330 群馬県議会、「核兵器全廃と軍備縮小、原子力の平和利用についての意見書」を採択。「原子力」の併記は全国初。
0501 群馬県被団協など、群馬県民会館で核兵器禁止国民法廷を開催.
1118 千葉県・佐原市原爆被害者の会、研修会を群馬県磯部温泉で開催
1983
0820 群馬県被団協、慰霊祭を前橋市嶺公園で開催.夜,総会.
1984
0811 群馬県被団協、群馬県原爆犠牲者慰霊式を前橋市嶺公園の原爆碑前で開催.
0818 ~19 群馬県原爆被災者の会第27回総会
1985
0714 日青協の平和統一行動、群馬・愛知・兵庫など、全国20県以上で開催。反核集会・平和行進など実施。
1986
0305 群馬県高崎市議会、非核都市宣言を可決.
1987
0828 「全国高校生平和集会」(8月8日、長崎市で開催)に参加しようとした群馬県内の高校生に、校長が圧力をかけ参加を取りやめさせたことが判明。
1988
0806 群馬県被団協、慰霊祭を前橋市嶺公園・慰霊碑前で開催.
0827 新友会(新潟)・群友会(群馬)、合同総会を新潟県村上市の瀬波温泉で開催(~28日)
1989
0324 群馬県議会、非核宣言を議決。
0327 群馬県前橋市議会、非核宣言を議決。
0529 群馬県被団協(群友会)、県知事に補助金の大幅増額や「被爆者の森」建設の負担金補助などを要望。
0806 群馬県被団協、追悼慰霊祭を前橋市・嶺公園原爆碑前で挙行。終了後、定期総会を開催。
1990
0127 日本被団協、関東甲信越ブロック会議(第50回)を群馬県伊香保温泉で開催。-28日。
0812 群馬県被団協、追悼慰霊祭を前橋市・嶺公園原爆碑前で挙行。
0908 群馬県被団協(群友会)伊勢崎支部長・石関竹雄、死去。
1029 群馬県被団協、第4回健康大学を伊香保温泉で開催。-29日。34名が参加。
1991
0518 群馬県被団協(群友会)、第34回定期総会を開催。-19日。
0805 「被爆46周年原水爆禁止世界大会子供の広場」、広島市の本川小学校で開催。ヒロシマ学習に訪れている山形・群馬・新潟などの小学生と保護者ら約400人が参加。
0811 群馬県原爆被災者の会、被爆46周年慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。式後、群友会遺族会を結成。
1992
0802 群馬県被団協、慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。
1205 日本被団協中央相談所、関東・甲信越ブロック講習会を群馬県伊香保で開催。84人が参加。-6日。
1993
0808 群馬県被団協、慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。100人余が参列。
1994
0808 群馬県被団協、慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。
0829 第15回群馬県原爆犠牲者慰霊式、前橋市嶺公園内の「原爆碑」前で挙行。120人が参列。
1995
0808 群馬県臨時議会、中国の核実験に抗議しフランスの核実験再開中止を求める意見書を全会一致で可決。
0827 群馬県原爆被災者の会、第16回原爆犠牲者慰霊式を前橋市嶺町の嶺公園原爆碑前で挙行。約100人が出席。
1997
0806 群馬県の遺族代表として広島市の平和記念式典に参列した高橋篤、今年5月に死亡した父芳房が生前に作詞し歌った「あの日忘れまじ」の録音テープを原爆慰霊碑前で流す。
0919 群馬県高崎市、「長崎原爆被災展と平和美術展」を開催。
1999
0403 ジャン・リュルサのタペストリー「世界の歌」展、高崎市の群馬県立近代美術館で開催。-5月9日。
0829 群馬県被団協、第20回県原爆犠牲者慰霊式を挙行。60万円の公費補助。
2015
1026 群馬県庁舎で「原爆と人間展」~28日。 原水協通信 on the web (antiatom.org)
原水爆禁止群馬県協議会の主催。原水協による県庁内での開催は初めて。群馬県議会議員 酒井ひろあきの『からっ風日和』 (goo.ne.jp)
 2016
 04  須藤叔彦群友会会長、原水協・原水禁・被爆二世の個人と懇談(「日本原水協活動交流ニュース」20160415)
原水協通信 on the web (antiatom.org)
 2017
0813  群馬県原爆被災者の会など、被爆72年原爆犠牲者慰霊式を前橋市嶺町の嶺公園原爆碑前で挙行。