原水爆禁止世界大会記録一覧(第10~22回)
回 |
年 |
タイトル |
所蔵 |
備考 |
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所蔵:U=宇吹 |
発行=原水爆禁止日本協議会 |
10 |
1964 |
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11 |
1965 |
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12 |
1966 |
議事要録1・2 |
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13 |
1967 |
議事要録1・2 |
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14 |
1968 |
議事要録1・2 |
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15 |
1969 |
議事要録1・2 |
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16 |
1970 |
記録1・2 |
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17 |
1971 |
記録1・2 |
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18 |
1972 |
記録1・2 |
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19 |
1973 |
記録1・2 |
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20 |
1974 |
記録1・2 |
U |
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21 |
1975 |
記録1・2 |
U |
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22 |
1976 |
記録1・2 |
U |
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『原水爆禁止2013年世界大会』(原水爆禁止日本協議会、2013/05/02)<パンフ34頁>
内容
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1 |
核の被害をたどる |
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2 |
北朝鮮の核問題 |
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3 |
世界の非核平和 |
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4 |
日本の非核平和 |
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5 |
被爆者とともに |
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6 |
言ぱっと核兵 |
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7 |
世界大会に向けて-国民平和大行進 |
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8 |
世界大会に向けて-ショメイと原爆展 |
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9 |
さあ!2013年世界大会へ |
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『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
目次
第*回大会 |
タイトル<初出掲載誌紙> |
プロローグ |
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原水禁運動の発足 |
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杉並アピール |
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見殺しにされた被爆者 |
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被爆者救援運動の発足 |
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1 |
三千二百万人の国民運動の進展 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)> |
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八月六日の回想 |
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発言の本音 |
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被爆者の生活と意見 |
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科学者の責任 |
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救援運動の出発 |
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基地闘争への賛否 |
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ヒロシマ・アピール |
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歴史学研究会の問題点 |
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歴史をになうもの |
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2 |
被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)> |
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世界を動かしたヒロシマ |
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世界の連帯 |
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進む戦争準備 |
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沖縄問題 |
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再軍備への告発 |
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被爆者救援運動との結合 |
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原子力の平和利用と大衆 |
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大衆運動の進め方への反省 |
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3 |
地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)> |
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台所までもち込まれた運動 |
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専門家の告発 |
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歴史家は何をすべきか |
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六大陸にひろがった原水禁運動 |
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原水爆戦争体制との対決をうち出す |
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会議は空転する |
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全学連の誤謬 |
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大会決定の成果と不安 |
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問題点のかずかず |
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組織と理論に重大な欠陥 |
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4 |
日本の非核武装化にたちむかうために |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)> |
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岸内閣を助けた原水協 |
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ICBMの評価を誤る |
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欧米で核兵器反対運動高まる |
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平和行進 |
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原爆の加害国化する日本 |
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統一戦線 |
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日本の核武装 |
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空転する討論 |
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中国・朝鮮への差別 |
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運動の進め方への反省 |
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難航した国際会議 |
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実験禁止から核武装反対へ |
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原水協を全国民のものに |
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5 |
原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 |
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<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)> |
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原水禁運動のマニフェスト |
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一千万人の平和行進 |
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自民党の妨害工作 |
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安保改定と原水禁運動 |
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大会からの脱退者 |
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左右の日和見主義者 |
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6 |
戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)> |
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二千二百万人の平和行進 |
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平和の敵は誰か |
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平和運動における二大潮流 |
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人類の導きの星 |
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日本と沖縄での戦いの報告 |
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大会の混乱と成果 |
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軍備全廃か冷戦終結か |
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7 |
帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)> |
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謀略工作 |
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平和運動における西欧方式とAA方式 |
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AA地域別会議流れる |
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本会議でのかけひき |
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大会決議のおもてうら |
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原水爆時代の平和理論 |
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大衆の平和運動 |
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両派の自己批判と運動の進展 |
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8 |
社・共両党の激突と大衆の統一への願い |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)> |
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矛盾の中で |
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総評まかり通る |
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あらゆる核実験に抗議する問題 |
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核戦争の元凶は誰か |
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幅広い運動か、反帝政治闘争か |
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原水協の「内乱」と統一のエネルギー |
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9 |
国民運動の崩壊と再生への四つの芽 |
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<『思想の科学』19号(196310)> |
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宗平協―国民運動をはぐくむもの |
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地方原水協の活動 |
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原水協、国民を無視 |
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大会準備のなかでー国民運動にそむくもの |
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大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇 |
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大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽 |
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すべての地域と職場に原水協をつくろう |
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10 |
毛沢東理論からみた日本原水協批判 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)> |
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原水禁運動と私 |
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毛沢東の平和理論の問題点 |
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中ソ対立と原水禁運動 |
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民族解放運動との接点 |
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資本主義国の平和運動の意義 |
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統一戦線への整風運動 |
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日本の平和運動の性格 |
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広島の平和運動の性格 |
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原水協はその基本原則で再統一を |
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核兵器のない世界をめざして |
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<『聖教新聞』1973年2月21日~28日> |
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日本の安全はどうして守るのか |
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平和運動のゆくえ |
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新しい平和の条件 |
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国際連合の将来 |
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あとがき |
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第14回原爆禁止世界大会(1968年)日本代表団の決議
被爆者救援活動を強化するための決議
アメリカの広島・長崎への原爆投下は、一瞬にして30数万の人命をうばい、その後23年、被爆者は今なお、死の不安に脅かされ、生活と医療に苦しみつづけています。
原爆の生きた証人である被爆者をまもり、その切実な要求を実現することは、原水爆禁止運動の重要な課題です。
アメリカと日本政府が、核アレルギーからの脱却などといって、核兵器への警戒をゆるめ、核軍事同盟強化に公然とのりだしている今日、被爆者救援活動を強化することは、ますます必要となっています。
この1年間に、被爆者救援活動は飛躍的に強まり、被爆者の身近な諸要求に対する施策を自治体からかちとる活動も大きく前進しました。さらに、援護法制定の運動に多数の地方自治体を動かし、原水爆禁止運動の発展と被爆者自身の積極的な行動によって多くの成果をかちとりました。
このような高まりにおされ、佐藤内閣は、「原子爆弾被爆者の特別措置に関する法律」を本年9月から実施しようとしています。この法律は、医療法を援護法へと発展させるかのごとき形をよそおいながら、認定患者を中心とするきわめて限られた一部の被爆者に適用されるにすぎず、わたしたちが要求してきた被爆者援護法とは全くほど遠いものです。
わたしたちは、この特別措置法のゴマかしの本質を広く国民の前に明らかにし、国家補償の責任にもとづく生活と医療の全面的保障を内容とする真の被爆者援護法制定のために、いっそう奮闘しなければなりません。同時に、特別措置法が少しでも被爆者に有利に施行されるよう、原爆医療審議会の公開と民主的運営などのためにたたかう必要があります。
また、被爆二世に対する調査と健康管理が行なわれることがとくに重要です。
わたしたちは、日本国民の力で被爆者救援をおこなうために、1500万円募金とともに、被爆者の大衆的世話活動、地方自治体自身に救援の施策を実施させることなどにとりくみ、各都道府県ごとに6・9行動をはじめとする諸活動を強化してきました。こうして集められた救援金は、被爆者にたいするあたたかい励ましとなっていますが、被爆者のおかれているきわめて困難な状態からみるならぱ、なお不十分であり、自治体の救援施策もなお、被爆者の要求とはほど遠いものです。
わたしたちは、救援行動の新らしい目標に向かって一段と活動を強化しなければなりません。当面、6・9行動推進特別月間の成功のために全力をあげてがんばりましょう。
加害者が被害者を調査し、核戦争準備に役立てているABCCの撤去と資料の公開のためのたたかいを、ベトナム人民との連帯の実感のなかで、さらに強めましょう。
被爆の実相を国民に明らかにするうえで、貴重な資料である原爆映画について、政府はプライバシー尊重という欺まん的な口実のもとに、もっとも重要な人体にたいする影響の部分をカットし、原爆投下の犯罪を国民の目からおおいかくそうとしています。ただちに広範な抗議行動をおこし、全面公開をかちとるとともに、フィルムのすべてを米軍没収以前の所有者に返還させることが重要です。
こうした活動をおしすすめるなかで、原水爆禁止運動の正しい路線のうえにさらに広範な被爆者を結集し、都道府県の被爆者組織を民主的に強化し、被爆者運動と原水爆禁止運動との団結をいっそう固めて前進しましょう。
右決議します。
1968年8月5日・東京にて
『ヒロシマの声を聞こう-原爆の碑と遺跡が語るもの』(「原爆碑・遺跡案内」編集委員会編・刊、19900801 )
目次
頁 |
碑・遺跡 |
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発刊にあたって |
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04 |
(序)広島の碑や遺跡がわたしたちに語りかけるもの |
08 |
原爆ドームと爆心地 |
核兵器廃絶のシンボル |
10 |
原爆の子の像 |
子どもたちの建てたモニュメント |
12 |
原爆供養塔 |
7万人の遺骨が眠る |
14 |
慈仙寺跡の墓石 |
爆風の威力示す |
16 |
平和乃観音像と復元地図 |
消された街への思慕 |
18 |
広島平和都市記念碑 |
平和公園の中心 |
20 |
天神町北組と材木町の碑 |
名のない死者への思い |
22 |
峠三吉の詩碑 |
にんげんをかえせ |
24 |
全損保労組の記念碑 |
あの日を問い続ける |
26 |
ジュノー博士記念碑 |
医薬品15トンで救援 |
28 |
広島市立高女の慰霊碑 |
「校歌」を歌いながら死んだ少女たち |
30 |
嵐の中の母子像 |
核兵器から子供を守って |
32 |
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 |
私たちの死をむだにしないで |
34 |
県立二中と広島市商の慰霊碑 |
可憐なる学徒はいとし |
36 |
義勇隊の碑 |
一瞬に消えた部落中の働き手 |
38 |
韓国人原爆犠牲者慰霊碑 |
祖国を奪われ異郷の地で被爆 |
40 |
本川小学校 |
爆心地にいちばん近い学校 |
42 |
原爆犠牲ヒロシマの碑 |
原爆瓦に託す高校生の誓い |
44 |
原民喜詩碑 |
生きのびてこのありさまを |
46 |
広島城跡の地下壕・大本営・ユーカリ |
広島全滅の第1報は13歳の少女 |
48 |
陸軍病院跡の被爆榎 |
子どもたちに守られてきた |
50 |
縮景園 |
遺骨を抱いた傷だらけの名園 |
52 |
昔のおもかげを残す京橋 |
被爆者が殺到した橋 |
54 |
比治山陸軍基地と放射能線影響研究所 |
戦争・被爆の惨状を語り続ける |
56 |
陸軍被服支廠の倉庫跡 |
爆風にひん曲がった鉄扉 |
58 |
さくら隊原爆殉難の碑 |
全滅した劇団 |
60 |
広島赤十字・原爆病院 |
その日1万人を治療した |
62 |
似島 |
被爆者の眠る島 |
64 |
(案内地図) |
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表紙・カット |
四国五郎 |
|
写真 |
池上利秋 |
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校閲・編集 |
金子一士・高橋信雄・武田寛・村中好穂 |
原水爆禁止少年少女のつどい 第1回 1974年8月6日
開催状況
回 |
年月日 |
備考 |
01 |
19740806 |
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『原水爆禁止少年少女のつどい感想文-1974年広島=似島での記録』(原水爆禁止日本協議会、19750806) |
02 |
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03 |
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04 |
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05 |
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06 |
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3団体(広島市教職員組合・広島県新婦人の会・広島県子どもを守る会)で実行委員会を作り運営を開始。 |
07 |
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08 |
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09 |
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旧暁部隊の方々から被爆者救護体験を聞く。 |
10 |
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11 |
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12 |
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13 |
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14 |
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15 |
1988 |
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『似島 廣島とヒロシマを考える』(原水爆禁止似島少年少女のつどい実行委員会< 事務局=広島市教職員組合内>、19880701) |
16 |
1989 |
|
17 |
1990 |
|
18 |
1991 |
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19 |
1992 |
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20 |
1993 |
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21 |
1994 |
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22 |
1995 |
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23 |
1996 |
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24 |
1997 |
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25 |
19980805 |
宇吹参加 |
26 |
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27 |
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28 |
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29 |
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原水爆禁止世界大会(1977~84年)大会記録集(宇吹所蔵分)
タイトル |
年月日 |
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1977年原水爆禁止世界大会(主催:原水爆禁止統一実行委員会、開催地:広島) |
197711 |
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’78核兵器完全禁止被爆者援護世界大会(東京・広島・長崎)の記録(78核兵器完全禁止被爆者援護世界大会実行委員会<全国婦人会館内地婦連>) |
197811刊 |
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原水爆禁’79世界大会の記録(原水爆禁’79世界大会実行委員会<日本青年団協議会気付>) |
197911刊 |
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原水爆禁1980世界大会の記録(原水爆禁1980世界大会準備委員会<日本青年団協議会気付>) |
19801010 |
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原水爆禁1981世界大会の記録(原水爆禁1981世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19811030 |
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原水爆禁1982世界大会の記録(原水爆禁1982世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19821020 |
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原水爆禁1983世界大会の記録(原水爆禁1983世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19831024 |
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原水爆禁1984世界大会の記録(原水爆禁1984世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19841015 |
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『原水爆被害白書-かくされた真実』 原水爆禁止日本協議会専門委員会(編)、日本評論新社、19610731
目次
章 |
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序< 湯川秀樹> |
|
序<安井郁> |
Ⅰ |
1945年8月6日< 石井金一郎、田沼肇> |
Ⅱ |
原水爆被害の実態 その1<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫> |
1 |
原爆投下の瞬間 |
2 |
原爆による死亡者と傷害者 |
|
(1)広島原爆でどれだけの人が死んだか |
|
(2)長崎原爆でどれだけの人が死んだか |
|
(3)原爆による傷害者 |
3 |
恐るべき放射線障害 |
|
(1)放射能とはなにか |
|
(2)瞬間放射線による被害 |
|
(3)残留放射線による被害 |
|
(4)被爆放射線量についての総括 |
Ⅲ |
原水爆被害の実態 その2<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫> |
1 |
いつまでつづく放射能害 |
|
(1)急性期症状-急性原爆症 |
|
(2)慢性原爆症-原爆症とはなにか |
|
(3)原爆症問題の変遷と原爆症の拡大 |
|
(4)慢性原爆症の現況 |
|
(5)被爆者の体内に残されている変化 |
2 |
放射線と遺伝 |
3 |
もし原子戦争がおこったら |
|
(1)アメリカ議会公聴会の記録 |
|
(2)すでに人類は原水爆の被害者になっている |
Ⅳ |
被爆者の意識<山手茂> |
1 |
被爆者問題をどうとらえるか |
2 |
被爆者の社会意識 |
|
(1)被爆者の生活意識 |
|
(2)原水爆禁止の意識と行動 |
|
(3)被爆者の政治意識 |
Ⅴ |
被爆者の生活<山手茂> |
1 |
被爆者の家庭生活 |
|
(1)破壊された被爆者の家庭 |
|
(2)原爆孤児 |
|
(3)被爆母子家庭 |
|
(4)原爆孤老 |
|
(5)被爆した主婦 |
|
(6)結婚問題 |
2 |
被爆者の職業生活 |
|
(1)職業生活の悪条件 |
|
(2)被爆者の就職問題 |
|
(3)被爆被保護世帯 |
|
(4)失業対策事業に働らく被爆者 |
|
(5)被爆労働者 |
|
(6)被爆零細自営業者 |
|
(7)被爆農民 |
|
(8)未解放部落の被爆者 |
|
写真ページ |
|
写真/東松照明 |
|
レイアウト/杉浦康平 |
Ⅵ |
被爆者と社会保障< 伊東壮、大江志乃夫> |
1 |
政府の援護対策 |
|
(1)被爆者はなにを望んでいるか |
|
(2)政府の援護対策とその特徴 |
2 |
被爆者医療法の成立 |
|
(1)被爆者医療法案の国会提出 |
|
(2)被爆者医療法案の国会審議 |
|
(3)被爆者医療法の欠陥 |
3 |
新被爆者医療法とその問題点 |
|
(1)被爆者医療法の「改正」 |
|
(2)新被爆者医療法の内容 |
|
(3)新被爆者医療法の問題点 |
|
(4)「被爆者援護法」の要求と社会保障 |
Ⅶ |
原水爆禁止と被爆者救援運動< 石井金一郎、吉田嘉清> |
1 |
被爆者の要求と原水爆禁止 |
2 |
被爆者と日本の社会 |
3 |
原水爆禁止と被爆者救援運動 |
附録< 杉原芳夫、佐久間澄> |
|
原爆被爆者の放射線照射による遅発性影響についてABCCに反論し,あわせて原爆症対策の科学的基礎を考察する |
|
1/被爆線量について |
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2/調査標本について |
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3/遺伝について |
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4/白内障について |
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5/白血病について |
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6/ガンについて |
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7/児童の成長と発育について |
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8/胎内被爆児童における小頭症について |
|
9/加齢の促進について |
|
10/成人における一般医学的見地からみた影響について |
|
11/その他の影響について、 |
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むすび |
資料 原水爆禁止世界大会の宣言・決議・勧告 |
あとがき<要旨> |
|
*出発点となったのは,第4回原水爆禁止世界大会―1958年―で被爆者救援問題をとりあげた分科会の満場一致の決議 |
|
*決議にもとづき原水爆禁止日本協議会は,原水爆被害者調査をおこなうことを決定。 |
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*調査委員会のもとに調査団をつくり,物理的・医学的被害の調査,被爆者の意識調査,被爆者組織の調査の3分野にわたり実施。 |
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調査概要
*調査票による調査
***広島・長崎両県下で,爆心からの距離別と地域区分別に,市内は町単位,町村では町村単位に典型地域を抽出し,約500例を被爆者健康手帳交付台帳から無差別抽出して,被爆放射線量と意識の調査を実施
*被爆者の生活史の個別調査
*被爆者組識の調査 |
|
*調査の中間報告
* 原水爆禁止日本協議会“Atomic Bomb Damage in Hiroshima and Nagasaki” 1958年8月,
*日本原水爆被害者団体協議会『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』1958年8月,
*石井金一郎「厂生きていてよかった」か』『中央公論』1958年8月号 |
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調査委員長 森滝市郎(日本原水協代表委員)
調査団長 石井金一郎(日本原水協専門委員)
調査団員
広島の研究者グループ:佐久間澄・杉原芳夫・庄野直美・北西允・大江志乃夫・山手茂,
長崎の研究者グループ:中西市郎.川崎文治・茂木六郎・林重太・前田豊昭・天野卓郎
第1稿の執筆者名
第1章 石井金一郎,田沼 肇
第2章・第3章 佐久間澄,庄野直美,杉原芳夫
第4章・第5章 山手茂
第6章 伊東壮,大江志乃夫
第7章 石井金一郎,吉田嘉清
附録論文 杉原芳夫,佐久間澄 |
|
謝辞(個人)黒田秀俊,藤居平一,小佐々八郎,伊藤満,草野信男,石井森太郎,山村茂雄,市村志郎,板倉静夫,竹内武志,日本評論新社:林勝郎,飯岡邦輔 |
|
謝辞(団体)日本原水協,日本被団協。「最後に,中国人民保衛世界平和委員会など中華人民共和国7団体による被爆者救援の国際的なあたたかい援助が,この事業を成功させるために,大きな力添えになったことを報告し,中国人民の厚い友情に改めて謝意を表します」 |
|
編集責任者:石井金一郎(日本原水協専門委員),吉田嘉清(日本原水協事務局次長),田沼肇(日本原水協専門委員会幹事) |
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事項索引 |
図表索引 |
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原水爆禁止科学者会議
回 |
開催年月日 |
会場 |
|
第1回 |
1966 |
広島 |
|
第2回 |
1967 |
東京 |
|
第3回 |
1968 |
|
|
第4回 |
1969 |
|
|
第5回 |
1970 |
|
|
第6回 |
1971 |
|
|
第7回 |
1972 |
|
|
第8回 |
1973 |
|
|
第9回 |
19740730~31
|
東京・区民文化センター |
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。