「原爆爆心地復元運動」カテゴリーアーカイブ

長崎 爆心地復元の記録

『長崎 爆心地復元の記録』(調来助編、日本放送出版協会、19720801)

内容<作業中

1 原爆前夜
1 戦時下の長崎 3
(1)浦上3
無人の里-浦上四番崩れ
浦上のなりたち
浦上の人びと
(2)長崎の中の浦上10
長崎の二つの顔
新しい浦上
(3)戦時下の長崎13
 市民生活の統制
思想文化の統制
緊張する長崎
2 三菱と長崎 20
(1)長崎の工業化と三菱20
長崎における工業の歩み
三菱系諸企業-戦時下の造船、兵器、製鋼など
(2)三菱と長崎市民 26
3 原爆投下決定 28
(1)アメリカ、原爆製造す28
 広島型と長崎型
原爆投下作戦
(2)選ばれた土地・長崎31
原爆搭載機、長崎へ
被爆直前の浦上地区
長崎の悲劇
  (3)広島から長崎へ-74時間47分   35
原爆第一号の波紋
広島・長崎で二度までも
広島-長崎、防空関係者たち
それは原子爆弾だ-カルルス亭に集まった人びと
2 閃光のつめ跡 45
1 そのとき松山町では 47
(1)ある晴れた日 47
(2)炎の街
爆心地の生命
岡町壕にて
 駒場町第八組~川崎作江と保立陽子
六本のトンネル
 天主堂の下で
幹部たち
(3)暗い昼・長い夜  62
炎の中の人びと
 炎の中の人びと その1
  炎の中の人びと その2
 炎の中の人びと その3
 炎の中の人びと その4
炎の中の人びと その5
炎の中の人びと その6
 黒い雨-残存放射能
火災の記録
目撃者
原爆弾書類綴から
2  家族・隣組・町内会 80
(1)地域社会の崩壊・マツヤマ
商店街・松山町
八月九日-申告人口1865人
出る人、残る人 その1
出る人、残る人 その2
出る人、残る人 その3
出る人、残る人 その4
家族離散
信徒被爆
(2)無差別な破壊
被害概況
3 医療救護活動99
医療救護活動
長崎医大救護隊(証言・調来助)
滑石救護所
終戦のあと
その他の救護隊
市内および市周辺での救護
長与村と時津町
遠隔地の病院における救護
 川棚・佐世保海軍病院
原爆による直接障害と応急治療
 福井順の手記
一般救護活動 その1
一般救護活動 その2
一般救護活動その3
救援列車「三一一」
4 都市の機能の崩壊 130
ちぎれた電線
燃えつきた電車
途絶えた電話
 記者たち
3 復元の中から 143
1 長崎再興 145
(1)復興への胎動
最初の仕事-遺体の処理
生命の息吹き
生活再建へ
励ましの言葉で
あかがね御殿の住人たち
爆心の本格住宅第一号
最初の慰霊祭
市民のくらし
(2)原爆に祈る人びと 157
浦上信徒-五度目の浦上崩れ
祈りと原爆と
永井隆のこと
(3)長崎、都市復興 164
戦災復興事業
長崎国際文化都市建設法
観光都市長崎の誕生
(4)三菱の復興ー高度成長への道のり171
長崎三菱王国の崩壊
復興から高度成長へ
2 占領下の長崎 175
(1)プレスコード時代
米軍上陸す
抑えられた原爆報道
(2)原爆調査活動  183
 日本学術研究会議の調査
長崎医科大学の調査
ABCCの調査
3 重荷を背負った被爆者たち 188
(1)被爆者対策はどのように行われてきたか
被爆者対策以前
被爆者対策へ世論の高まり
法制定への動き
原爆医療法の制定
 被爆対策の課題
原爆の後障害
(2)ハンディを背負って201
絶たれた家族の絆
 ひとりぽっちになって
悲惨な孤児たち-池田早苗さんの証言
原爆孤老たち
(3)被爆者のハンディ  209
進学をめぐって
就職をめぐって
結婚をめぐって
被爆二世の死
4 爆心の空白 215
(1)被爆の実相を求めて
一九七二年夏、ナガサキ
  原爆被爆の全体像
爆心地復元
(2)長崎の復元運動  220
 原爆二五周年平和公園にて
復元運動誕生
復元運動の輪拡がる
被爆者と復元運動
(3)広島、長崎、ビキニを越えて 229
終章  断絶から継承へ 231
いつまでも続く恐怖
この歴史の重荷
被爆者不在
被爆者のイニシアティヴによる復元運動
原爆・平和教育
広島≶長崎
広島から長崎を通っての一つの旅

 

 

 

 

 

 

 

爆心復元運動とヒロシマの思想

『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)

目次

章節
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
Ⅰ-1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
Ⅰ-2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)
Ⅰ-3 広島における被爆の実相
『歴史評論 NO.336』(197804)
爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人)
はじめに
Ⅱ-1 被爆原点の空白
Ⅱ-2 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃
Ⅱ-3 「爆心復元」アイデアの源泉
Ⅱ-4 爆心復元の論理と構想
Ⅱ-5 キャンペーン始動
Ⅱ-6 爆心復元運動の展開
爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉)
はじめに
Ⅲ-1 日本現代史の縮図としての広島
Ⅲ-2 ヒロシマの視点
Ⅲ-3 ヒロシマと現代
Ⅲ-4 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ
座談会「爆心調査」からヒロシマを考える
出席者
青木豊子(爆心地復元調査協力者)
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員)
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者)
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター)
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員)
児玉克哉(三重大学人文学部助教授)
太田武男([中国新聞]編集部)
あとがき(児玉克哉)

年表:原爆爆心地復元運動

年表:原爆爆心地復元運動 1966~69年

記 事
66 07 33 広島市平和公園の旧中島本町・材木町の住民20人余、NHKの企画で浄宝寺に集まり、慰霊碑周辺の復元を試みる。
66 08 広島大学原医研、中山町の被爆調査を開始。[復元]
66 08 03 NHKテレビ、「カメラリポート:爆心半径500メートル」を放映。広島原爆爆心地の平和公園慰霊碑周辺の復元地図を作成し、初めて公表。
67 06 24 広島大学原医研、広島市の原爆爆心地付近の正確な被害調査をすることを決める。この日、旧中島本町・材木町の元住民3人から当時の状況を詳しく聞き、約40戸の消息をつかむ。[復元]
67 08 03 [掲載紙不明]「ほとんどは被爆死?-広島市中島町-戸籍に残る百歳代」[復元]
67 08 04 NHKテレビ、現代の映像「軒先の閃光~ヒロシマ・爆心地」を放映.[復元]
67 12 18 中国新聞「被災全体像の重量において-ありえない核との妥協」(栗原貞子)[復元]
68 03 18 広島大学原爆放射能医学研究所、爆心地の総合的調査に本格的に着手.[復元]
68 03 19 NHK広島放送局、「よみがえる爆心」を総合テレビ「時の動き」の時間帯の県内ローカルで放映。[復元]
68 04 03 NHKテレビ、「県民の話題:爆心地予備調査終わる~中島地区」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 06 12 NHKテレビ、「県民の話題:進む爆心地調査」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 07 28 毎日新聞「幻の映画-復元上映の使命を痛感」(?画家・新協美術会委員)[原爆映画]
68 08 04 NHK、報道特集「被爆原点の空白~ヒロシマ・1968年夏」を放映。隅谷三喜男・森滝市郎・志水清・山田節男が出演。[復元]
68 08 04 広島大学原医研、爆心地住民のつどいを広島平和記念館で開催.約130人参加.参加した21人の住民,爆心地復元中島地区委員会を結成.会長:土肥常三郎。
68 08 07 NHKテレビ、「県民の話題:特集:よみがえる爆心(1)完成間近い爆心地図」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 08 08 NHKテレビ、「県民の話題:特集:よみがえる爆心(2)動き出した住民たち~材木町保存会」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 08 09 NHKテレビ、「県民の話題:特集:よみがえる爆心(3)ひろがる爆心運動」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 08 10 NHKテレビ、「県民の話題:特集:よみがえる爆心(4)被爆から23年」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 09 02 土肥常三郎・被爆地図復元中島地区委員会委員長ら、山田広島市長に、全市復元地図の作製を要望。
68 09 02 被爆地図復元中島地区委員会の代表、山田広島市長に全市的被爆地図を作るよう申し入れる.
68 09 05 NHKテレビ、「県民の話題:原爆地図~もり上る被爆地図の復元」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)
68 10 07 NHKテレビ、「カメラリポート:爆心を刻みたい~平和公園旧住民の願い」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 10 14 志水清広島大学原爆放射能医学研究所長、広島市全域の被爆地図復元運動を提唱。原爆被災総合調査委員会の設置を求めた試案を発表.
68 10 16? 小川岩吉(70歳)、入院中の広島原爆病院で、被爆地図の復元作業を行う。
68 12 04? 広島市旧石見屋町の町民、町内72世帯の被爆地図を復元.
68 12 10 NHKテレビ、「県民の話題:被爆地復元をめざして」を放映。(「広島原爆ハンドブック」)[復元]
68 12 11 広島被爆者援護強化対策協議会、開催.広島市の坂田助役,次年度から被爆地図復元に取り組む町内会に調査費用の援助することを明らかにする.広島大学原医研の調べでは、被爆当時の町内会は208。旧防空法により防空業務に従事中原爆の犠牲になった警防団員・医師・看護婦などへの援護措置を国に要望することを決める。
68 12 24 中国新聞「68ニュースその後(12)原爆映画初めて公開-完全復元へ猛運動-登場する半数からも同意得る」
69 01 21 NHKテレビ、「県民の話題:はじまった復元調査」を放映。[「広島原爆ハンドブック」]
69 02 21 広島市、新年度から被爆地図の復元に取り組むことを計画。
69 03 27 中国新聞、社説「原爆被災「全体像」の調査」[復元]
69 03 29 原爆被災全体像調査のための市民集会、広島平和記念館講堂で開催.日本学術会議永積小委員長が基調講演「原爆被災資料の諸問題」。田原伯原爆被災資料広島研究会事務局長や志水清広島大学原医研所長らが問題提起。約150人参加.広島市が四十四年度から被爆戸別地図の復元作業をする方針を決め、市民の協力を呼びかけ。
69 03 30 原爆被災復元委員会、会議.
69 04 04? 原爆被災復元委員会、発足.会長は志水清広島大学原医研所長。
69 04 27 中国放送(RCC)ラジオ、「市民とともに:「被爆地図復元」」を放送。
69 05 11 広島市旧材木町の元住民、原爆25回忌法要を浄円寺で挙行。同町民の法要は、12年ぶり5回目。約100人が参列。広島大学原医研の湯崎稔ら、復元地図を持参。
69 05 16 中国新聞(夕刊)、連載「”空白”を埋める-原爆被災地図の復元調査」(~20日,4回).
69 05 19 原爆被災地図復元の貴重な資料となる旧広島市千田町2丁目の町内会住民の家族構成・本籍地を記録した町籍簿が見つかる。
69 05 20 NHKテレビ、「県民の話題:町籍簿から被爆地図作り」を放映。[「広島原爆ハンドブック」][復元]
69 06 18 NHKテレビ、「県民の話題:拡がる爆心地図復元運動」を放映。[「広島原爆ハンドブック」]
69 07 13 朝日新聞「被爆地図、独力で復元-広島・旧広瀬北町の老人[伊藤庫敏]-生き残った者の義務-犠牲者358人わかる」
69 07 18 広島大原医研、NHK広島中央放送局が共同で進めた爆心地復元調査の結果をまとめる。爆心地から半径500メートル以内の中島地区718人は全員死亡、追跡調査で70%の消息つかむ。NHKは調査記録を「原爆爆心地」として出版.
69 07 19 NHKテレビ、「102:爆心地復元(志水清)」を放映。[「広島原爆ハンドブック」][復元]
69 07 19 朝日新聞「科学者の静かな執念実る-被爆地図復元の志水広島大原医研所長-完成へさらに情熱-市民の共感で早く進む」
69 07 24 中国新聞「風紋:爆心地の元市街図」[復元]
69 07 25 NHKテレビ、「県民の話題:爆心地復元(1)よみがえる旧中島地区」を放映。[「広島原爆ハンドブック」][復元]
69 07 26 NHKテレビ、「県民の話題:爆心地復元(2)もりあがる市民運動」を放映。[「広島原爆ハンドブック」][復元]
69 08 01 NHKテレビ、「現代の映像:爆心の橋」を放映。[復元]
69 08 04 中国新聞「この人・この本:「原爆爆心地」の志水清氏-被害の全体像つかむ-拡がった住民運動の輪」[復元]
69 08 05 朝日新聞「閃光に消えた町-広島の爆心地を再現-生命と暮らしへの影響さぐる-ある母子家庭の24年-苦心の地図作り・広島大原医研」[復元]
69 08 10 NHKテレビ、「報道特集:鎮魂への条件~ヒロシマ1969」を放映。志水清・湯崎稔・丹下健三などが出演。[復元]
69 09 09 土肥常三郎・元中島本町原爆復元地図作成委員会会長ら、広島市に平和公園内に爆心地復元銅版の設置を要望.
69 09 22 成宮惣五郎「広島平和公園爆心復元委員会」会長ら10人、山田市長と朝尾市議会議長を訪れ、復元された爆心地の町並みを銅板に掘り、公園内の保存するよう要望。
69 12 09 成宮惣五郎「広島平和公園爆心復元委員会」会長ら3人、山田市長を訪れ、復元された爆心地の町並みを銅板に掘り、公園内の保存するよう要望。
69 12 10 原爆被災復元委員会志水清会長、広島市平和文化推進審議会[平和文化センター]で調査の中間報告.