「原爆記録映画」カテゴリーアーカイブ

10フィート映画世界を回る

『10フィート映画世界を回る』(永井秀明、朝日新聞社、19830730)

目次

章節 見出
序章 出会い
1 衝撃的な出会い
2 旅の概要
第I章 旅立ちまで
4  被爆者を求めて
5  フィルムの中の被爆者
6 被爆者はいま
7 証言者への軌跡
第II章  ヨーロッパの旅
8  反核の波の高まるヨーロッパに入る
9  東西緊張の最前線、西ドイツ
10 オランダの反核兵士と難波博士
11 東西両陣営の接点 フィンランド
12 非核自治体宣言のすすむイギリス
第III章 アメリカの旅
13 核凍結運動とニューヨーク
14  カナダ国立美術館
15 シカゴの平和資料館
16 セツコ・サーローの軌跡
17  再びニューヨークで
18 アマーストのハートマン牧師
19 ネルソン兄弟の活動
第IV章  旅は続く
20  片岡ツヨ、バチカンに立つ
21 キリスト教3大指導者に会う
22  世界を回るフィルム
10フィート運動の歩み-広島を中心に
あとがき
参考文献
10フィート映画リスト

 

10フィート運動記録集

『10フィート運動記録集  Know more Hiroshima 』(広島10フィート若者の会編・刊、19820806 )

もくじ

01 はじめに 松井あずさ(10フィート運動ヒロシマ事務局)
04 あいさつ 永井秀明(10フィート運動ヒロシマ事務局長)
10フィート運動紹介
08 前史
10 10フィート運動
12 10フィート運動の展開
18 海外派遣活動
10フィート運動 海外派遣チームに参加して ロニー・アレキサンダー
海外派遣アメリカチーム 点が面になるまで 香川博司(福山YMCA主事)
「100万人は何故、集まったか」 市民の伝書鳩を送る会 中井貴美子
21 映画紹介
「明日への伝言」-10フィート運動メッセージ映画-
あらすじ
アンケート
24 「にんげんをかえせ」-10フィート映画第一作-
あらすじ
監督に聞く 橘祐典 (たちばな・ゆうてん)監督
アンケート
31 「予言」-10フィート映画第二作-
あらすじ
監督に聞く 羽仁進 監督
アンケート
38 「10フィート映画第三作」
監督に聞く 熊谷博子 ディレクター
40 募金と共に寄せられた手紙から
43 被爆者に聞く-「にんげんをかえせ」に出演された方々-
44 これからの若い人達が・・・ 吉川清・生美
46 被爆体験を聞く勇気を 沼田鈴子
48 一人ひとりが意識を 柴崎時彦
50 ほんとは思い出したくないよ・・・ 深見潔
51 「にんがんをかえせ」より
24歳の時長崎で被爆 片岡津代
14歳の時長崎で被爆 山口仙二
51 各地の実践記録
52 全国13団体
68
88 原爆記録映画10フィート運動広島呼びかけ人会
10フィート運動広島事務局
広島呼びかけ人名簿 (19801001現在・154名)
90 あとがき 児玉克哉(広島10フィート若者の会)
奥付
裏表紙裏 明日への伝言 山川啓介(作詞)・いずみたく(作曲)

 

 

核の20世紀 訴える世界のヒバクシャ

『核の20世紀 訴える世界のヒバクシャ』(平和博物館を創る会、日本原水爆被害者団体協議会編、平和のアトリエ、19971020)

目次

見出し
1 あの日
原子雲
2 生きる
米軍フィルムに「記録」された被爆者
3 地球を覆う核実験汚染―核軍港競争がもたらした実態
太平洋核実験場=マーシャル諸島
アメリカ=ネバダ核実験場
セミパラチンスク(旧ソ連)核実験場
フランス・イギリスの核実験
中国・ロプノール核実験場
核兵器工場の事故と被曝
チェリャビンスクの惨事
ハンフォード核工場
汚染海岸/セラフィールド
アズギール核実験場周辺
危険な核サイクルの入り口/ウラン採掘核廃棄物の悪夢
 

 

4 「平和利用」の美名のかげで
チャイナシンドロームの恐怖
チェルノブイリの大惨事
日本でも揺らぐ「安全神話」
5 ヒバクシャの叫び
PART1 That Day 7
PART2 Living 85
These Hibakusya were filmed by the U.S. Military
PART3 Contamination from Nuclear Test Poisons the World 171
—What the nuclear arms race produced
The Pacific Test Sites : The Marshall Islands
Nevatda Test Sites. USA
Semipalatinsk (former USSR) Nuclear Testing Range
FRENCH and BRITISH Nuclear Tests
Lop Nor Nuclear Test. Sites CHINA
Accidents and contamination at nuclear weapons factories
The Chelyabinsk Disaster
Hanford Nuclear Facilities
Sellafierld, the Contaminated Coast
The Vicinity of the Azgir Test Site
The first stage of the dangeraous nuclear cycle/Uranium mining
The Nightmare of Nuclear Waste
PART4 “Fpr peaceful purpose…” 255
—The idea is attractive, but the reality is grim.
The Terrifying prospect of the ‘China Syndrome’
The Chernobyl Disaster
In Japan, too, people are losing faith in the ‘myth of nuclear safety’
PART5 The cry of the HIBAKUSYA 289

 

たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史

『たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史』(亀井文夫著 谷川義雄編、岩波書店、19890821 )

目次

ドキュメンタリーをめざして 001
わんぱく時代/ソビエト留学/上海事変の記録/戦う兵隊/記録映画を考える/記録映画と真実と/
わが戦争と平和 073
信濃風土記 /シナリオ小林一茶/コミンテルンと雑魚一匹/日本の悲劇/来なかったのは軍艦だけ/
戦後を記録する 137
軍事基地日本 138
原爆への視線 146
世界は恐怖する 155
部落差別は生きている 176
生物みなトモダチ 185
ギャラリー東洋人にて 186
みんな生きなければならない 197
編者あとがき(谷川義雄) 215
亀井文夫監督作品目録 225

 

 

ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言

『ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言』(加納竜一・水野肇、 弘文堂、19650805 )

目次

口絵
まえがき
はじめに-つめたい試写室 一
1 ヒロシマ・八月六日
1 歴史の流れの中で
2 八月六日のヒロシマ
3 科学者第一陣
2 原爆記録映画の企画
1 ニュース・カメラマンの記録
2 先発隊長崎へ
3 記録映画班の編成
4 あわただしい調査活動
3 撮影隊、広島へ
1 クラン開始
2 海田市の合宿寮
3 広島上空五五〇メートル
4 原爆ドームをめぐって
5 被爆者の島・似島
6 物資不足をのりこえて
4 科学測定を追って
1 キノコ雲の正体
2 爆心と黒い雨
3 熱と影をさぐる
5 死の街を行く
1 医者をさがす人々
2 ヒロシマの医師たち
3 人体への影響
4 ある被爆者の二〇年
6 広島から長崎へ
1 ナガサキ・八月九日
2 撮影隊、長崎へ入る
3 捕らわれたカメラマン
7 米軍の干渉と没収
1 撮影禁止命令
2 軟禁下の編集
3 再び長崎へ
4 奪われた原爆記録映画
8 それから二〇年
1 はばまれる真実の声
2 公開された惨禍
3 研究体制はこれでよいか
4 「幻のフィルム」の復元を

 

年表:原爆記録映画

年表:原爆記録映画

事項
45 12 17 日本映画社にGHQより原爆映画のフィルム提出命令が届く(相原秀次「広島日誌」)
45 12 17 GHQ,日映に被爆地撮影のフィルムの提出を命令.
45 12 19 GHQ軍医部長室で原爆映画の試写(リーボー日記「それは期待していたとおり、驚くべき記録であった。宣伝目的に使用される可能性も容易に考えられた」)
46 03 27 マッカーサー司令部直属映画班ダイアー大佐一行、広島市で、原爆死没者の遺骨引き取り場面を撮影。
52 08 25? アサヒ・ニュース原爆特集(363号)、公開される。被爆直後のフィルムの一部(アカハタ)。
60 11 15 広島市、日本映画社より16ミリの原爆フィルムを預かる。
60 広島ライオンズクラブ(原田東岷会長)、占領解除後、朝日ニュース社が制作した日本映画社撮影の被爆直後の広島の原爆被害状況を含む20分のニュース映画を広島原爆資料館に寄贈。(1967年6月11日不明紙)
67 05 17 アメリカ当局筋,没収した原爆記録映画の保管を初めて、認める(ワシントン17日発=AP電).
67 05 22 仁科記念財団、緊急運営委員会で原爆記録映画の返還をアメリカに求めることを決める.
67 05 26 [掲載紙不明]「文化:帰ってくるか原爆映画-完全な原型のままで全人類に見せたい」(岩崎昶)
67 06 10 原爆被災白書広島推進委員会、広島大学で会合。国勢調査で原爆による死者数を明らかにすること,米当局が保管を認めた被爆映画の返還交渉の2点を政府に求めることを決定.
67 06 11? 日本映画社が被爆直後の広島を撮影したフィルムを含むニュース映画が、広島原爆資料館で見つかる。1960年暮れに広島ライオンズクラブが寄贈したもの。
67 06 14 釼木文相、衆院文教委で「外務省を通じ米国と「幻の原爆フィルム」の返還交渉に入る」と言明。
67 06 14 大原亨、衆議院文教委員会で原爆被爆記録映画について質問.
67 06 27 原爆被災白書推進委員会(茅誠司委員長)、被災白書審議会設置など政府への要望決める①45年国勢調査に合わせた原爆被災調査実施②米保管の原爆記録映画早期返還③白書作成の審議会設置の3項目が重点。
67 08 03? 米空軍、被爆直後の広島を撮影した「幻の原爆映画」のコピーを作製中。1組は日本に返還、1組はワシントンの国立記録保存所で一般公開の予定。
67 11 アメリカ国立記録保存所、原爆映画を整理中に戦略爆撃調査団がインタビューして収録した日本人の戦争体験の録音テープを発見.
67 11 09 米国務省から日本大使館に返還された「幻の原爆記録映画」(16ミリフィルム)、文部省に届く。宮地文部省大学学術局長、映画公開について「あまり残酷なシーンがあれば一般には公開しにくい」と語る。
67 11 10 山田広島市長、米国から日本に返還された原爆フィルムのプリントを貰い、保管・利用したいと、記者会見で語る。
67 11 11 [掲載紙不明]「私は見た幻の原爆映画[ワシントン9日佐々木共同特派員]」
67 11 16 山田広島市長、剱木文相と宮地大学学術局長を訪ね、原爆記録映画について要望。
67 12 02 文部省、アメリカから返還された原爆被災記録映画の試写会を映画製作関係者を招いて開催.
67 12 03 文部省、返還された原爆記録映画「広島・長崎における原爆の影響」の試写会を省内で開く。土木建築、物理、生物、医学分野から被災状況を全5巻に収録したフィルム。同映画製作に関係した日映関係者や学者約30人が招かれる。
67 12 04 文部省、原爆映画のスチール写真12枚を公表。
67 12 04 文部省、原爆映画の試写会を山田広島市長・志水清広島大学原医研所長ら、一般学識経験者31人を招いて開催.
67 12 04 岩崎昶・加納竜一・藤波次郎、文部省で記者会見し、幻の原爆映画と同じ内容の未編集プリントが、日映新社に死蔵されている、と語る。
67 12 05 中国新聞「風紋:なまの記録」[原爆映画]
67 12 09 山口県の被爆者センター建設委員会、代表者会議を開催。返還された原爆記録映画の公開を要求することを決める。
67 12 14 中国新聞「風紋:原爆記録映画の公開」
67 12 16 文部省、原爆映画保管・利用に関する会議(22人で構成)の初会合を開催.学識経験者16人が参加。被爆者が病気で治療を受けている部分など人体部分をカットし一般公開するという原則がほぼまとまる。
68 01 10 文部省、原爆記録映画試写会を開く。重藤文夫広島原爆病院長、治療のシーンを残すべきと発言。
68 01 10 [掲載紙不明・投書欄]「この方法で原爆映画を公開せよ」(岡正治・原水爆被災白書をすすめる長崎市民の会代表委員)
68 01 18 行宗一日本被団協副理事長ら、文部省を訪ね、原爆映画の公開を要望。
68 01 25 文部省、米国から返還された原爆記録映画の保管と利用の具体的方針を決める。「被爆者の人権尊重」を理由に人体編は力ット、貸し出しは公共団体と教育目的に限定。
68 02 09 婦人民主クラブ広島支部、原爆記録映画のノーカットを文部省に要請。要請書を灘尾文部大臣に郵送
68 03 23? 広島市、文部省に原爆記録映画の借用申請書を提出。
68 04 12? 文部省、アメリカから返還された原爆記録映画のマスターネガから5本の複製を作成。うち2本は、広島・長崎両市に半永久的に貸出、残り3本を20日以降、NHK・日本教育テレビ・日本テレビ・渡橋12チャンネル・中国放送・広島テレビ・長崎放送各局の放映要に貸し出す予定。
68 04 13 文部省、米国から返還された「原爆記録映画の保管と利用に関する会議」を開催。
68 04 18 映画「広島・長崎における原爆の影響」、文部省から広島市に届く。同日、市役所内で試写会。
68 04 20 広島市、見真講堂で原爆記録映画の特別試写会。被爆者団体や町内会などから約1000人を招待。
68 04 20 吉川清広島県被団協理事「失望した。これでは”原爆なんて大したことはない”との誤った印象を与えかねない。核兵器の残虐性こそ示す必要があるのだから、ノーカットフィルムを公開すべきだ」
68 04 20 原爆記録映画「広島・長崎における原爆の影響」、人体編の一部を力ットして公開。NHK教育テレビ・中国放送・広島テレビが時間帯ををずらして放映。
68 04 22 原爆映画製作者の集い(岩崎旭・加納竜一ら、元日本映画社スタッフら)、文部省にノーカットで公開を中し入れ。「原爆の悲惨さを訴える重要な部分がカットされているため、原爆のこわさが薄められ、平和のために役立てる意図が損なわれた」
68 04 23 朝日新聞「顔のない原爆映画-被爆者の訴え、どこへ-カットされた「人間の被災」」(岩崎昶)
68 04 25 原爆被災白書を進める長崎市民の会、原爆映画ノーカット公開の意見書を提出.
68 04 25 中国新聞、社説「被爆者援護と記録映画」
68 04 25 [掲載紙不明]「文化:”人間不在”の原爆映画-欠けている主役-被爆者自身で完成を」(文沢隆一)
68 05 11 土屋斉・元日本映画社製作部長、広島に原爆が投下された翌日、大阪支社に取材を指示したことを明らかにする。柏田敏雄カメラマンが8日、広島を取材し、9日夜、大阪に持ち帰る。
68 05 15 原爆映画製作者のつどいの代表加納竜一・水野肇、広島で原爆映画の登場者の追跡調査を行う意向を明らかにする。
68 05 25 朝日新聞「文化:原点へ復帰せよ-原爆映画の全面公開運動-被爆者の了解とろう-「顔」こそ核兵器の告発」(水野肇)
68 06 06 原爆記録映画全面公開推進会議、広島で結成.
68 06 22? 東京在住の柾木四平、日本映画社のニュースカメラマンとして被爆直後の8日夕方、広島市入りし、約10日間取材活動を行ったと証言。
68 06 25 原爆記録映画全面公開推進会議、人体編に登場の被爆者を捜し出すための呼びかけ状を公表.26日,2000部の発送を開始.
68 07 11 原爆記録映画全面公開推進会議、原爆映画に出てくる女性の一人が、広島県尾道市在住の主婦であることを確認。7月11日、広島原爆資料館に寄贈。
68 07 12 長崎市、原爆被災記録映画管理委員会を開催。原爆映画を8月7日と9日に同市で公開することを決める。
68 07 16 原爆記録映画全面公開推進会議、カットされた部分に登場する21人のうち8人の身元を確認。
68 07 18 広島大学原医研、管理換えされた原爆被災記録映画の試写会を開催.原田東岷,映画を撮影しフィルムを志水清に没収される.
68 07 23 原水爆禁止日本協議会専門委員会、文部省に原爆映画の貸出を申請.27日,文部省拒否回答.
68 07 26 原爆記録映画全面公開推進会議、広島YMCAで会合.原水禁3団体代表,各大会で全面公開を訴えると意志表明.
68 07 26 文部省、日本原水協に原爆映画を貸し出さないとの意向を伝える。
68 07 27 朝日新聞「文化:原点を追跡する-原爆記録映画のノーカット上映運動」(水野肇)
68 07 28 毎日新聞「幻の映画-復元上映の使命を痛感」(?画家・新協美術会委員)[原爆映画]
68 07 28? 文部省が、原爆映画の公開にあたり、人体への影響だけでなく、「長崎西山地区の異常放射能の測定値」部分もカットしていたことが判明。
68 07 29 中国新聞?「地道の続くノーカット運動-記録映画「原爆の影響」の行くえ」
68 07 30 原爆映画全面公開推進会議、文部省斉藤事務次官・宮地大学局長と会見.カット部分の公開を申し入れる.
68 08 06 [掲載紙不明]「原爆映画-第1号は米に-追跡調査でつきとめる」
68 08 06 朝日新聞「原爆映画ノーカット公開-平行線たどる主張-被爆者の声生かせ・賛成側-文部省・状況はこれで十分」
68 09 12 原爆記録映画全面公開推進会議、広島YMCAで呼びかけ人会を開催.文部省の保管と利用に関する会議の参加者23人にノーカット上映を強く働きかけることを決定.
68 10 24 原爆記録映画全面公開推進会議呼びかけ人、原爆被災記録映画の全面公開に関する要望を保管利用に関する審議委員23名と灘尾文部大臣に発送.
68 12 13 原爆記録映画全面公開推進会議、人体編カットの再検討を求めた要望書を坂田文部大臣と宮地文部省大学学術局長に発送.
68 12 24 中国新聞「68ニュースその後(12)原爆映画初めて公開-完全復元へ猛運動-登場する半数からも同意得る」
69 02 02 広島、長崎の原爆記録映画スチール写真700枚公開。被爆直後に映画を製作した日本映画社の加納竜一元プロデューサー保存していた
69 07 19 原爆原爆記録映画全面公開推進会議、坂田文部大臣に要望書を送付.
69 07 30 原爆映画のプロデューサーだった加納竜一、袋町国民学校の伝言板の写真を持参し、伝言を書き残した広島市内在住の三好茂と対面。
69 08 01 核禁広島県民会議代表者会議、広島市内のホテルで開催。席上、原爆映画の人体場面を中心にしたカット部分のスライド67枚が全国で初めて公開される。
69 08 06 中国放送(RCC)、公開された原爆映画でカットされた部分のスチール写真(加納竜一所蔵)で、登場人物の了解の取れたものを放映。
69 08 06 婦人団体「平和のために手をつなぐ会」のメンバー約10人、東京都内・有楽町で、原爆記録映画の全面公開を求める署名運動を実施。
69 08 08 原爆映画に登場する広島市在住の主婦、原爆映画全面公開推進会議の庄野直美広島女学院大学教授にシーンの公開を申し出る。
70 02 19 コロンビア大学、原爆記録映画「広島・長崎-1945年8月」をニューヨークの現代美術博物館で初公開.
70 03 17 中国放送、コロンビア大学マスコミセンター編集「ヒロシマ・ナガサキ-1945年8月」(原爆ノーカット記録映画)を広島市で試写。庄野直美・森滝市郎・志水清広島大学原医研署長・重藤文夫らを招く。
70 03 18 原爆記録映画「広島・長崎一九四五年八月」をTBS系ネット(広島ではRCC)で全国放映。「広島・長崎における原爆の影響」を米・コロンビア大学が16分間に編集したもの。
70 03 29 中国新聞「RCCだより:「原爆映画」のテレビ公開まで-いち早く情報キャッチ」(豊島彰)
70 04 08 山田広島市長、来日中のハリー・B・ホリンズ世界法基金協会理事長と東京で会い、コロンビア大学とともに世界に配る計画をすすめている「広島・長崎-1945年8月」のフィルムの覆製提供と一部使用の了解を求める。
70 04 09 中国新聞社説「市民の手で原爆映画を」
70 04 28 広島市、平和文化推進審議会を開催。被爆25周年記念事業で原爆記録映画製作を決定。16ミリ、30分程度。中国新聞社、中国放送、広島テレビの報道3社と共同で製作委員会設置。6月21日に撮影を開始
70 04 29 広島市平和文化推進審議会[平和文化センター]、原爆記録映画の製作を了承.
70 05 02 原爆映画全面公開推進会議、呼びかけ人会を広島YMCAで開催.新しい原爆映画製作に全面協力することを決める.
70 05 11 原爆映画全面公開推進会議の代表・森滝市郎・相原和光と元日映のカメラマン加納竜一、坂田文部大臣と会見。原爆映画の全面公開を陳情(4回目).
70 05 16? 長崎市、コロンビア大学マスコミセンター編集「ヒロシマ・ナガサキ-1945年8月」(原爆ノーカット記録映画)を買い取ることを決める。
70 05 16? 原水禁国民会議、コロンビア大学マスコミセンター編集「ヒロシマ・ナガサキ-1945年8月」のフィルム5本を購入。全国での上映活動を計画。
70 05 19 広島市原爆映画製作委員会、初会合.
70 05 20 原水禁国民会議にバーナウ米コロンビア大学マスコミ・センター教授から、8月の大会に参加するとの手紙が届く。
70 05 20 中国軍管区の委嘱報道員だった広島市在住の岸田貢宣、被爆直後の7日-10日に撮影した原爆被災写真11枚を、市の原爆映画のために広島原爆資料館に寄贈。
70 05 21 広島市の原爆映画の制作スタッフ(加納竜一・豊島彰・薄田純一郎・平岡敬ら)、広島平和記念館で打ち合わせ。
70 05 21 中国新聞社説「市民参加の原爆映画を」
70 05 26 原水禁国民会議が原爆映画「広島・長崎一九四五年八月」の公開試写会。東京・全日通会館(定員二百人)の会場に七百人が押しかけ、三回上映
70 05 26 原水爆禁止国民会議、コロンビア大学から購入した原爆記録映画の公開試写会を東京で開催.
70 06 01 広島市の原爆映画制作委員会とスタッフとの第3回合同会議、広島市平和記念館で開催。
70 06 12 広島市、原爆映画製作委員会と製作スタッフの合同会議を開く。一応まとまったシナリオ原案を検討。
70 06 17 広島県原水禁、国民会議が購入したコロンビア大学マスコミセンター編集の原爆映画「ヒロシマ・ナガサキ-1945年8月」を広島市内で上映。
70 06 19 朝日新聞「再現された”惨状の色”-原爆カラー映画-25年前の記憶たどる証人」[三村明・重藤文夫・相原秀次・井上寿美男・三保芳登]
70 06 20 毎日新聞「映像で”原爆”訴える-広島で盛上がる映画製作」
70 06 20 広島市、原爆映画製作委員会と製作スタッフの合同会議を開く。シナリオがほぼ固まる。
70 06 21 広島市の原爆映画の撮影開始。
70 06 21 朝日新聞(日曜版)、原爆被害を撮影したカラー映画を紹介。
70 06 23 朝日新聞「オレは地獄から生返った-ケロイド背に叫ぶ反戦-カラー映画の被爆少年」[谷口稜曄]
70 06 25 朝日新聞、入手したアメリカ戦略爆撃調査団撮影の原爆カラー映画を東京の朝日講堂で初公開。
70 06 26 広島市、原爆映画製作委員会と製作スタッフの合同会議を開く。完成後の活用方法などを検討。
70 06 26 朝日新聞「1945年夏に「明日」を見る-「カラー原爆映画」を見て」(大江健三郎)
70 06 28 中国放送、カラー映画「原爆記録-カラーは訴える」(アメリカ戦略爆撃調査団撮影)を放映。
70 07 03 広島市の「原爆映画」の撮影終了。
70 07 05 中国放送、NET制作の「ドキュメンタリー現代:その写真は私だ!-原爆映画の生存者たち」(カラー)を放映。内容はカラー映画に登場する生存者8人の記録。
70 07 13 広島市、原爆映画製作委員会と製作スタッフの合同会議を開く。出来上がったフィルムを試写。
70 07 25 主婦の平和グループ「平和のために手をつなぐ会」、原爆記録映画が8月6日・9日に見られるようにテレビ局に呼びかける運動を、東京・有楽町で実施。
70 07 27 中国新聞、連載「原爆フィルム」(~8月3日,8回).
70 08 01 広島テレビ、「HTVレポート:被爆の継承~原爆特集(3)」を放映。この中で映画「ヒロシマ・原爆の記録」の一部を公開。
70 08 01 原爆映画「ヒロシマ・原爆の記録」が完成し、日本映画新社から山田広島市長に渡される。(「平和の推進」)。
70 08 02 朝日新聞社[?]、原爆映画の上映と講演会を広島市の見真講堂で開催。映画評論家岩崎昶の講演「25年目の解禁」。
70 08 03 広島市、映画「ヒロシマ・原爆の記録」の招待試写会を平和記念館講堂で開催.
70 08 03 広島原爆映画製作委員会と同管理運営委員会、緊急合同委員会を広島平和記念館で開き、9月中旬完成を目標に英語版を作ることを決める。
70 08 03 中国新聞「映画「ヒロシマ・原爆の記録」-人間的悲惨さえぐり出す-市民の手で初めて製作」
70 08 04 日本記者クラブ主催の映画「ヒロシマ・原爆の記録」の試写会、東京で開催。
70 08 06 広島市と報道三社製作の映画「ヒロシマ・原爆の記録」(29分)、一般公開。広島市公会堂で6回上映。テレビ放映も。
70 08 06 原爆記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」、広島市公会堂で一般公開。中国放送・広島テレビでも放映。
70 08 10 毎日新聞「怒り・悲惨・ショック-映画「ヒロシマ・ナガサキ1945年8月」-若人の間に”大きな反響”-”精神的な原爆体験”アンケート」
70 10 15 映画「ヒロシマ・原爆の記録」が第14回日本紹介映画コンクールの銀賞受賞が決定。
71 01 26 広島市製作の原爆記録映画「ヒロシマの記録」、英語版の試写会、東京の日本記者クラブで開催。
71 02 13? 広島市、記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」をウ・タント国連事務総長に寄贈することになる。
71 02 19 広島市、ウ・タント国連事務総長からの記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」寄贈への礼状を受け取る。
71 06 06 中国新聞「映画「ヒロシマ-原爆の記録」-原点で持ち腐れ-利用、わずかに3校-広島市教委担当者教材とは知らず」
71 06 25 広島原爆映画管理委員会、「ヒロシマ・原爆の記録」のプリント販売業務を7月1日から日映新社に委託することを決める。
71 10 09 埼玉県浦和市立高校、文化祭を開催。-11日。映画「ヒロシマ・ナガサキ-1945年8月」の上映や被爆資料の展示をおこなう。
72 05 05? 中国新聞社、原爆記録映画「ヒロシマ-原爆の記録」英語版を、世界13か国の主要14新聞社に贈呈。創刊80周年記念事業の一つ。
72 08 06 広島市平和記念館講堂で、原爆記録映画「ヒロシマ-原爆の記録」を一般上映。

 

 

 

論文:原爆記録映画

論文:原爆記録映画

掲載誌 タイトル 著者 所蔵
52 11 15 改造増刊 奪われたスペクタクル-原爆映画始末記 岩崎昶 5
67 08 23 週刊言論 紙上初公開:”幻の原爆映画”の中身 25 3
67 10 01 国際写真情報第41巻第10号 異色対談:つくった・とられた-幻の原爆映画-アメリカからかえってくる 岩崎昶・山中真男 5
67 12 17 サンデー毎日 帰ってきた”原爆映画” 3
67 12 20 週刊言論 ”幻の原爆映画”公開はどうなる? 3
68 02 現代 緊急特集!これが問題の原爆映画全シーンの惨状だ 岩崎昶[責任監修] 5
68 02 現代 これが問題の原爆映画全シーンの惨状だ 岩崎昶・加納竜一・相原秀二 5
68 02 現代 これが原爆映画の残虐シーンだ-23年前の惨状を撮した驚愕の記録 岩崎昶(監修) 35
68 02 自然 科学映画としての原爆映画 田島英三 5
68 04 世界 「原爆映画」の全巻を見る権利について 加納竜一 15
68 05 12 朝日ジャーナル 原爆映画―影の部分 岩崎昶 1
68 05 12 朝日ジャーナル (グラビア)切捨てられた原爆フィルム 1
68 05 12 朝日ジャーナル (読者から)原爆記録映画を見て 田中博文 1
68 06 マスコミ市民 (資料)原爆投下からフィルムの返還・公開まで 1
68 06 マスコミ市民 核時代の戦争報道写真-原爆記録映画から受けつぐべきもの 岡村昭彦 1
68 06 マスコミ市民 特集・原爆映画-いま、よみがえれ“幻のフィルム”! 15
68 07 マスコミ市民 「原爆記録映画全面公開運動」広島でスタート 1
68 08 マスコミ市民 私は「原爆記録映画の完全公開運動」を支持します 1
68 08 マスコミ市民 「原爆記録映画」のたずね人運動進む-全面公開推進会議からの呼びかけ 1
68 08 02 週刊朝日 現地ルポ・生きぬいた23年-原爆記録映画に登場する6人の被爆者たち 5
68 08 09 アサヒグラフ 続「原爆映画」生残った人たち 3
68 09 マスコミ市民 私が作った「世紀の判決」と「原爆映画」 藤波次郎 3
68 10 マスコミ市民10・11月号 原爆記録映画完全公開のために 原爆記録映画全面公開推進会議事務局 3
69 04 広島通信14 原爆記録映画全面公開運動のいきさつ 庄野直美 5
70 03 15 原爆日記・第Ⅰ集 幻の原爆映画 広幡 亨
73 07 20 あさ第9号 返ってきたフィルム 橋本 幸子 15
74 06 文化評論 私の戦後史-占領下の映画政策(1) 岩崎昶 15
74 11 文化評論 私の戦後史-占領下の映画政策(6) 岩崎昶 15
74 12 文化評論 私の戦後史-占領下の映画政策(7) 岩崎昶 15
75 01 文化評論 私の戦後史-占領下の映画政策(8) 岩崎昶 15
75 02 文化評論 私の戦後史-占領下の映画政策(9) 岩崎昶 15
75 03 文化評論 私の戦後史-占領下の映画政策(10) 岩崎昶 15
84 05 文芸春秋 「幻の原爆フィルム」の旅 工藤美代子 15
84 05 01 文芸春秋 1984年5月特別号:「幻の原爆フィルム」への旅()P426-436:「ザ・デイ 工藤美代子 1
92 02 専修法学論集55.56 占領と諜報-「原爆映画」ファイルと記録映画のゆくえ 古川純 5
93 08 31 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1993(第7集) 記録映画「広島及び長崎に於ける原子爆弾の効果」について 井上寿恵男 5

 

原爆記録映画

原爆記録映画

原爆記録映画全面公開推進会議(1968年6月6日設立)
資料
英文解説(広島大学原医研、1970年?)af0fa1
af0fa2
雑誌:原爆記録映画
年表:原爆記録映画

 

原子爆弾―広島・長崎の写真と記録

『原子爆弾 広島・長崎の写真と記録』(仁科記念財団編纂、光風社書店、19730806)

目次

章節
序文 朝永振一郎
発端
「新型高性能爆弾」
広島・その日 私はそこにいた 監視哨報告 最初の報道
火災・旋風・黒い雨 宇田道隆
初期救護活動・広島 緊急非常事態 宇品船舶司令部 船舶練習部第10教育隊 南大橋付近 斎藤部隊本部 東練兵場付近 爆心周辺避難路と救護所 夜があけて 救護部隊の到着
似島臨時救護所
宇品船舶練習部
大和人絹広島工場 8月6日野戦病院の設営 陸軍軍医学校派遣調査斑
焼け残った病院 陸軍共済病院 広島第一陸病・江波分院 三菱・広島造船所構内病院 広島逓信病院
広島赤十字病院(回想)重藤文夫
初期調査はじまる 呉鎮守府調査団 海軍広島調査団 技術院調査団の派遣 大本営,有末調査団を派遣 陸軍省災害調査班(当時をかえりみて)山科清 京都大学調査団大阪 大学調査団
「判決」 「広島爆弾調査報告」 レントゲンフィルムの感光
最初の新聞発表
放射能を追って 仁科博士の西下 「観測するモルモット」玉木英彦 放射能の測定
未知の原爆症
「原子爆弾症の恐怖」 現地医師の体験 ある新劇女優の死 「医学も揺らぐ原子爆弾の惨」 都築博士一行の西下原子爆弾症講演会 「所謂原子爆弾傷の医療方針」都築正男 〔解説〕「広島と長崎の原爆」
長崎被災
爆発の瞬間 香焼島監視哨 大村からの観察針 尾海兵団からの観察 長崎測候所での観測
「長崎地区憲兵隊報告」
長崎医科大学 「長崎医大の壊滅」調来助
長崎・避難と救護 その日の旧市内 救護組織の壊滅 勝山国民学校臨時救護所 飽ノ浦三菱病院 浦上-爆心周辺 浦上工場群の被爆 その後の浦上 大橋以北救援列車
諌早大村海軍病院 諌早海軍病院 大村海軍病院他
新興善救護病院
仁科博士長崎へ
学術調査
原爆調査特別委員会 長崎における調査活動 不可解な事件 「r原爆災害調査報告書」
原爆調査回顧 菅義夫
枕崎台風による遭難回想 木村毅一
日米合同調査団の経緯
災害調査のいくつかの課題 被曝線量の問題 「仁科博士のメモ」より遮蔽効果について 死亡統計について
「仁科報告」
Ⅶ1 原爆記録映画
映画採録 131
「広島篇」 132
一般被害
物理-影について熱放射能
Ⅶ2
資料
終章
消えた都市・消された人間 加納竜一
原爆記録写真について 相原秀次
後記 山崎文男・田島英三