「原爆記録映画」カテゴリーアーカイブ

原子爆弾―広島・長崎の写真と記録

『原子爆弾 広島・長崎の写真と記録』(仁科記念財団編纂、光風社書店、19730806)

目次

章節
序文 朝永振一郎
発端
「新型高性能爆弾」
広島・その日 私はそこにいた 監視哨報告 最初の報道
火災・旋風・黒い雨 宇田道隆
初期救護活動・広島 緊急非常事態 宇品船舶司令部 船舶練習部第10教育隊 南大橋付近 斎藤部隊本部 東練兵場付近 爆心周辺避難路と救護所 夜があけて 救護部隊の到着
似島臨時救護所
宇品船舶練習部
大和人絹広島工場 8月6日野戦病院の設営 陸軍軍医学校派遣調査斑
焼け残った病院 陸軍共済病院 広島第一陸病・江波分院 三菱・広島造船所構内病院 広島逓信病院
広島赤十字病院(回想)重藤文夫
初期調査はじまる 呉鎮守府調査団 海軍広島調査団 技術院調査団の派遣 大本営,有末調査団を派遣 陸軍省災害調査班(当時をかえりみて)山科清 京都大学調査団大阪 大学調査団
「判決」 「広島爆弾調査報告」 レントゲンフィルムの感光
最初の新聞発表
放射能を追って 仁科博士の西下 「観測するモルモット」玉木英彦 放射能の測定
未知の原爆症
「原子爆弾症の恐怖」 現地医師の体験 ある新劇女優の死 「医学も揺らぐ原子爆弾の惨」 都築博士一行の西下原子爆弾症講演会 「所謂原子爆弾傷の医療方針」都築正男 〔解説〕「広島と長崎の原爆」
長崎被災
爆発の瞬間 香焼島監視哨 大村からの観察針 尾海兵団からの観察 長崎測候所での観測
「長崎地区憲兵隊報告」
長崎医科大学 「長崎医大の壊滅」調来助
長崎・避難と救護 その日の旧市内 救護組織の壊滅 勝山国民学校臨時救護所 飽ノ浦三菱病院 浦上-爆心周辺 浦上工場群の被爆 その後の浦上 大橋以北救援列車
諌早大村海軍病院 諌早海軍病院 大村海軍病院他
新興善救護病院
仁科博士長崎へ
学術調査
原爆調査特別委員会 長崎における調査活動 不可解な事件 「r原爆災害調査報告書」
原爆調査回顧 菅義夫
枕崎台風による遭難回想 木村毅一
日米合同調査団の経緯
災害調査のいくつかの課題 被曝線量の問題 「仁科博士のメモ」より遮蔽効果について 死亡統計について
「仁科報告」
Ⅶ1 原爆記録映画
映画採録 131
「広島篇」 132
一般被害
物理-影について熱放射能
Ⅶ2
資料
終章
消えた都市・消された人間 加納竜一
原爆記録写真について 相原秀次
後記 山崎文男・田島英三

広島・長崎 原子爆弾の記録

『広島・長崎 原子爆弾の記録』(子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会編・刊、19780505)

目次

見出し
はじめに
01 そのとき
02 生と死と
03 原子野にはいる(絵)
04 私はそこに(絵)
05 病院も薬もなく
06 母と子と父と
07 荼毘(だび)
08 街は死んだ
09 閃光―放射能・熱線
10 救護所ができて
11 人体傷害
12 生きる
13 被爆者
14
15 第5福竜丸-水爆実験による被災
広島市長・長崎市長メッセージ
この本の自己紹介
会のよびかけ
この本を出版した人びと
あとがき

原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から

原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から(中国新聞社、19730806)

目次

009 広島・長崎の原爆
010 返還資料の内容
011 資料のもつ意義
013 接収から返還に至る経緯
014 今後の問題点
017 その日
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021 御幸橋の上で 松重美人撮影。HH100。
022 御幸橋の上で 松重美人撮影。HH101。
023 専売局電停角 松重美人撮影。[返還資料には含まれず]
024 翠町の理髪店 松重美人撮影。[返還資料には含まれず]
024 理髪店の内部 松重美人撮影。[返還資料には含まれず]
025 焦土  小堺吉光(広島平和文化センター主幹)
063 破壊 佐々木雄一郎(原爆被災資料広島研究会)
161 熱線  佐久間澄(広島大学教授)
175 救護活動  大内五良(広島市医師会長)
203 調査  今堀誠二(広島大学教養部長)
213 その他
225 人体傷害  岡本直正(広島大学原爆放射能医学研究所長)
281 返還写真資料目録
301 「返還」写真資料について  相原秀次(原爆記録映画プロデューサー)
 310  あとがき  宮本思雲(中国新聞社編集局長)