『原爆を見た聞こえない人々 長崎からの手話証言』(長崎県ろうあ福祉協会・全国手話通訳問題研究会長崎支部編 、文理閣、19950320)
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著者 |
タイトル |
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本島等(長崎市長) |
発刊によせて |
9 |
菊地司 |
あの八月九日私は爆心地を |
23 |
出口武雄 |
地獄図が今なお頭をかけめぐる |
35 |
山崎栄子 |
二度となかごとせんばいけん |
55 |
後山都志子 |
苦しか思いはもう好かん! |
71 |
松井トク |
戦争、原爆大嫌い 平和だいすき |
83 |
佐々木忠 |
「生きてたか 生きてたか」 |
99 |
東メイ子 |
もう嫌!悲しい |
111 |
徳永ツギノ・山崎芳江 |
天国のお父さん、お母さん、見ていて下さい |
129 |
木戸喜久太 |
今、残せるもの |
139 |
田崎道枝 |
ばってん、良かったこともいっぱい |
149 |
渡辺初子 |
落下傘が!家が揺れた |
161 |
西岡林市・榎薗和子 |
歳月のなかで |
171 |
坂口忠男 |
平和な日々のなかで |
195 |
中島武治 |
あきらめていた被爆者手帳 |
215 |
西郷厚美 |
よみがえるあの日 |
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この本を手にされたあなたへ |
止
『浦上の原爆の語り 永井隆からローマ教皇へ』(四條知恵、未來社 、20150815)
内容
章 |
節 |
タイトル |
備考 |
1 |
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歴史の語りを繙く 7
歴史叙述についての先行研究 8
歴史の物語論に対する批判 14
原爆被害についての先行研究 22
浦上の原爆の語り 28 |
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2 |
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浦上と永井隆 33 |
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一 「浦上」 33
浦上の歴史と原爆被害 33
浦上と差別38
二 永井隆の燔祭説 41
永井隆の足跡 41
永井隆の燔祭説 43
三 永井隆の燔祭説をめぐる論争 48
一九五〇年代から七〇年代 48
一九八〇年代以降 51
燔祭説をめぐる論争の問題点 55 |
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3 |
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焦点化する永井隆 58 |
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一 占領期の長崎における原爆の語り 59
原爆投下から占領軍による検閲開始までの変遷 59
永井隆の登場 63
「ピース・フロム・ナガサキ」の発祥と国際文化都市建設の礎論 72
朝鮮戦争の勃発による反動 86
二 焦点化する永井隆 93
占領軍と親和性 93
占領期の長崎における燔祭説の位置 96 |
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4 |
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永井隆からローマ教皇へ―純心女子学園をめぐる原爆の語り 100 |
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一 純心の沿革と学校の被害 102
二 純心女子学園をめぐる原爆の語り 104
一九四五(昭和二〇)年から一九六一(昭和三六)年まで 104
一九六一(昭和三六)年以降 109
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来日と恵の丘長崎原爆ホーム 119
一九八一(昭和五六)年以降の純真女子学園における原爆の語り 124
三 二つの語りが意味するもの 129 |
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5 |
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浦上の原爆の語り 135 |
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一 占領期 136
二 ローマ教皇庁と日本のカトリック教会の動向 139
三 浦上のひび 141
四 長崎における原爆被害をめぐる行政と市民活動の流れ 154
五 原水爆禁止運動とカトリック教界 161
六 カトリック地域共同体の変容 164
七 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来訪 171
八 カトリック教界への波紋 176
日本のカトリック教界 176
長崎のカトリック教界 180 |
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結び 187 |
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謝辞 201 |
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註 203 |
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参考文献 233 |
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止
『長崎の原爆 閃きのあと』(長崎市原爆資料保存委員会編)
止
『原爆前後 上・下』(白井秀雄・相原秀次編、朝日新聞社、19830710)
内容
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上 |
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まえがき 白井秀雄 1 |
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1章 みんな、みんなが死んでゆく 11
乳房にすがる乳児 13
「どうか、この手を切ってくれ」 24
長兵・茂里町工場の被爆 36
腰がまん中から割れている 39
死児を背負った同僚の妻 45
ガラスの破片を全身に 50
「地方人より兵隊が先だ」 54
「これはだめだ!一週間はもたんよ」と言われて 65
被爆から治療まで 78 |
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2章 生き残れたというけれど 89
火災の中の救助伝令 91死体をのりこえ救援に 94
遺体の収容作業 102
校庭での合同火葬 107
長崎兵器始末記 115
動員学徒の被害調査 129
現世で見た地獄の絵図 131
聞き書・平道さんのマルハ工場救援活動 153
半年間の仏の供養 173
救援輸送-大橋部品工場の女子報国隊 179
幸町工場へ握り飯三〇〇人 182
蕾のまま散って行かれたお友達 184
深堀日記(抄)-家族八人の死亡届 189
死せる妻の手紙 203 |
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3章 そして、米兵がやってきた 211
双眼鏡のねだり 213
木工場の明け渡し前夜 217
事務所接収のひとさわぎ 220
バケツ、ヤカン作り 223
石油ストーブIKASAGAN 226
食糧もらって、タバコもらって 227
造船再開-小型漁船 229
修繕工事 230
リバティー型船の改造 231
造船祭り 236
幸町工場の復興計画 238
日見トンネル工場の撤退顛末記 240
長崎精機の始動 251 |
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下 |
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4章 秘密兵器 5
昭和十六年から二十年まで 7
修繕船 16
戦時標準船 22
造船設計部 27
G型船 57
舟艇工場 62
魚雷艇 68
試運転 74
改E型船 77
若松造船所 82
ちょっと来い、行って来い 86 |
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5章 本土決戦 97
海防艦 99
陸軍の潜航艇 100
馬船 104
金一封千円也 108
特攻艇・震洋-(4)艇の建造 111
(4)六型・ロケット推進艇 117
幻の(4)六型・試運転 122
五高艇 126
小型潜航艇・こう竜 128
太田尾工場 132
安中日記(抄)135
近接兵器-ガス鉄砲 140
吹矢式空気銃 142
拳銃と吹矢 145
日本刀と槍 146
穂先五百本 148
大八車(1)(2)152 |
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6章 爆撃からピカドンへ 155
七月二十九日から 157
七月三十一日のこと 160
八月一日には-飽ノ浦で 165
第一事務所で 170
防空壕で174
徴用工たちは 177
八月九日その日-青白い光線が! 182
明るい光が! 187
ピカッと光が! 190
妻よ! 193
浦上の却火 203 |
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7章 ヒロシマ・ナガサキ 209
ヒロシマ・ナガサキ 211
ヒロシマ-被爆者収容所では 235
総合事務所では 237
広島赤十字病院では 239
ヒロ八一〇一工場では 241 |
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あとがき 相原秀次 247 |
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メモ:『原爆前後 I 』(思い出集世話人編・ 白井秀雄 1968/12/10
止
長崎県立長崎図書館『原水爆関係新聞記事索引(昭和20年8月~昭和45年12月)』(1971/03/31)
目次
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まえがき
凡例
目次 |
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1. |
原爆投下後の真相 1 |
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2. |
被爆者の実態 3 |
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(1)後障害 3
(2)再起 4
(3)死亡 6
(4)永井隆関係 9
(5)その他 10 |
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3. |
被爆者援護 |
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(1)保障 15
(2)援護法関係 16
(3)原爆娘 20
(4)救援
(5)その他 30 |
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4. |
医事衛生 35 |
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5. |
復興 45 |
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6. |
研究調査 47 |
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(1)機関 47
(2)論談(発表,報告)48
(3)その他 54 |
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7. |
原爆記念施設 59 |
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(1)記念施設 59
(2)福祉施設 61
(3)資料 63
(4)その他 66 |
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8. |
平和(原水禁)運動 69
(1)平和大会 69
(2)記念式典 82
(3)原子力艦船 90
(4)その他 102 |
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9. |
原水爆(兵器)実験 123 |
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(1)実験 123
(2)放射能の影響,対策 145
(3)実験施設 157
(4)論評 157
(5)俊鶻丸調査船 163 |
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10. |
文芸 165 |
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(1)小説詩歌 165
(2)記録 168
(3)随想 171
(4)体験記 175
(5)映画(劇)音楽 177
(6)社説,論説 181 |
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11. |
原子力兵器 201 |
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(1)管理(核拡散防止条約関係を含む)201
(2)生産使用 236
(3)情報(戦略,政策)243
(4)論談 254
(5)その他 259 |
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12. |
原子力平和利用 271 |
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(1)産業 271
(2)科学 275
(3)その他 282 |
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『原子野のうた声 被爆作曲家の手記』(木野普見雄著、山崎菊夫編、長崎国際文化協会刊、19560807)
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長崎原爆病院患者の会・長崎西町原爆被災者の会・長崎原爆被災協西浦上支部・長崎原爆青年乙女の会『平和を願う長崎市民の皆様へ‼』(19640502)
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『長崎市原爆資料目録-あの日の爪あと』(長崎市国際文化会館、1970年12月1日)
止
『広報ながさき 原爆関係特集号 被災地復元』(長崎市民生部、19720701)
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。