「22 平和記念都市」カテゴリーアーカイブ

広島に聞く・広島を聞く(『広島平和研究所ニューズレター』所収)

「特集 広島に聞く・広島を聞く」<インタビュー: 浅井 基文>(『広島平和研究所ニューズレター』)

巻号・発行年月
1  広島は疲れている(舟橋喜惠・広島大学名誉教授) 8-3・200603
2 言行一致こそヒロシマの心(平岡敬・前広島市長) 9-1・200607
3 被団協50年――回顧と展望(坪井直・広島県原爆被害者団体協議会理事長) 9-2・200611
4 差別ではなく共生を(李実根・在日本朝鮮人被爆者連絡協議会会長) 9-2・200703
5 被爆者は私の教育者(鎌田七男・広島原爆被爆者援護事業団理事長/広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園園長) 10-1・200707
6 ゲンは怒っている(中沢啓治・漫画家) 10-2・200711
7 もう一つの被団協(金子一士・広島県原爆被害者団体協議会理事長) 10-3・200803
8 きのこ会と原爆投下質問(秋信利彦・元中国放送記者) 11-1・200807
<2008年3月号 金子一士氏『もう一つの被団協』への見解と回答>
心外だが、すべてを未来のために(坪井直)
金子一士氏と浅井基文氏への一言(森瀧健一郎)
確認とお詫び(金子一士)
回答(浅井基文)
11-1・200807
9 前・廿日市市長 平和と岩国を語る(山下三郎・広島県社会福祉協議会会長/前廿日市市長) 11-2・200811
10 詩人・御庄博巳と医師・丸屋 博(丸屋博・広島共立病院名誉院長)
11 児童文学作家・那須正幹氏の目線における広島(那須正幹・児童文学作家) 12-1・200907
12 原爆症認定訴訟の画期的意義と残された問題(渡辺力人・原爆認定証を求める集団訴訟を支援する県民会議事務局長) 12-2・200911
13 被爆・占領下の広島を語り残す(大村英幸氏・広島青年文化連盟初代委員長) 12-3・201003
14 広島原水禁活動40年をふり返る(横原由紀夫・元原水爆禁止広島県協議会事務局長) 13-1・201007
15 原水禁第9回世界大会を回顧する(北西允・広島大学名誉教授) 13-2・201011
16 反核平和運動に生きて(佐藤光雄・日本平和委員会代表理事) 13-3・201103

『平和の推進』(広島平和文化センター、19710331)

『平和の推進』(広島平和文化センター、19710331)

内容

bk19710331
見出し 備考
02 まえがき(広島市長 山田節男、19710331)
03 平和運動の推進
1基本方針
2事業推進の体系
04 3平和精神の確立
05 平和文化施設の整備
06 平和文化推進審議会
1 平和を推進する指針緒作成
(1)「平和の歩み」
(2)平和と教育「ヒロシマの証言」
(3)映画「ヒロシマ・原爆の記録」
07 2 原爆被災者の究明
(1)原爆被災全体像調査
(2)原爆被災資料保存の要請
08 (3)ABCCについて
3 平和祈念式典について
(1)式典
(2)平和宣言
4 国際平和会議の開催
09 5 国際文化会館の構想について
6 平和記念施設の整備について
7 平和文化団体の提携
平和文化推進審議会委員名簿
10 ヒロシマをすべての人の心に
平和文化図書の発刊/原爆記録映画の制作・公開/原爆死没者の調査/原爆死没者名簿公開
22 ひとりひとりの心に平和の砦を
平和文化市民講座/平和を語る市民集会/原爆被災全体像調査のための市民集会/文化活動
43 世界平和への道
平和宣言
世界連邦運動
国際文化会館(仮称)の建設
53 平和文化センターの歩み
57 資料

広島県名誉県民

広島県名誉県民 出典:広島県名誉県民 – 顕彰 | 広島県 (hiroshima.lg.jp)

氏名 氏名よみ 生、没年月 事績
井伏 鱒二 いぶせ・ますじ 平成5年7月10日 逝去 小説家。代表作に「黒い雨」。昭和41年 文化勲章受章
灘尾 弘吉 なだお・ひろきち 明治32年12月21日佐伯郡大柿町生まれ。平成6年1月22日 逝去 昭和27年から31年間にわたり,衆議院議員として活躍。この間,文部大臣(6回),厚生大臣(1回)を歴任,また,昭和54年には第61代衆議院議長に就任。全国社会福祉協議会会長として社会福祉の充実に努める。
織田 幹雄 おだ・みきお
奥田 元宋 おくだ・げんそう
圓鍔 勝三 えんつば・かつぞう
岡田 善雄 おかだ・よしお
平山 郁夫 ひらやま・いくお 昭和5年6月15日豊田郡瀬戸田町生まれ。平成21年12月2日 逝去。 日本画家。仏教を主題にした幻想的な作風を確立し,シルクロードシリーズなどの連作で日本画壇に清新の境地を開拓するとともに,アンコール遺跡をはじめとする世界各地の文化遺産の保護活動に尽力。代表作に「仏教伝来」「入涅槃幻想」「広島生変図」「祇園精舎」など。平成10年 文化勲章受章
阿川 弘之 あがわ・ひろゆき 平成27年8月3日 逝去 小説家。代表作に「春の城」「雲の墓標」「山本五十六」「志賀直哉」など。平成11年  文化勲章受章。
井口 洋夫 いのくち・ひろお
新藤 兼人 しんどう・かねと 明治45年4月22日広島市生まれ。平成24年5月29日 逝去 シナリオ作家・映画監督。
代表作に「原爆の子」「裸の島」「竹山ひとり旅」「午後の遺言状」「三文役者」など
宮澤 喜一 みやざわ・きいち 大正8年10月8日生まれ。平成19年6月28日逝去 昭和28年参議院議員に初当選,昭和42年からは衆議院議員として連続12回当選。この間,内閣総理大臣をはじめ,大蔵大臣,経済企画庁長官などの要職を歴任するなど,50年にわたり,国政をリード。政治・経済・外交の指導者として,わが国の繁栄と世界平和の推進に努める
三宅 一生 みやけ・いっせい 昭和13年4月22日広島市に生まれる。(平成22年12月16日顕彰) 衣服デザイナー。
平面である布と立体としての身体との関係を独自の眼で捉え直し,「一枚の布」という画期的な衣服づくりの概念を世界に広めた。長年にわたり常に第一線でファッション界をリードするとともに,日本のみならず世界各地で活躍し,国際的にも高い評価を獲得している。
平成22年  文化勲章受章

長崎原爆犠牲者慰霊の会

広島平和文化センター主催「長崎原爆犠牲者慰霊の会」2003年~<作業中

1 2003
2 2004
3 2005
4 2006
5 2007
6 2008
7 2009
8 2010
9 2011
10 2012
11 2013
12 2014 会場:原爆資料館。参列者約50人
13 2015
14 2016
15 2017 会場:原爆資料館。参列者約100人
16 2018 会場:原爆資料館。参列者約30人
17 2019 会場:原爆資料館。参列者約100人
18 2020
2021 新型コロナウィルス感染拡大のため中止
2022 会場:原爆資料館。参列者約50人

長崎被爆者団体一覧表

長崎被爆者団体一覧表

団 体 の 名称等 設 立 年 月  主 な 事 業 内 容
 長崎原爆被災者協議会(一般財団法人)  19560623設立

19630529財団法として認可

20140401一般財団法人として認可

 

 ・「ふたたび被爆者をつくらせない」ために核兵器廃絶
の実現をめざす
・日本政府に「核兵器禁止条約」の批准を求める
・国家補償の被爆者援護法をめざす
・戦争に反対し、平和な世界の実現をめざす
・原爆被害の実相を国の内外へ伝える
・「原発ゼロとエネルギー政策の転換」を求める
・「被爆体験者」への支援をおこなう
・被爆2世、3世の対策の強化をはかる
 長崎原爆遺族会  ・原子爆弾被爆の実相の継承
・核兵器廃絶に適う世界平和実現へ。核ゼロにするた
め、世界の人々の役に立つ知見の共有化を求めて、努
力する。
・被爆者への援護施策の改善と相談・支援・絆の強化。
・原爆死没者の遺族や二・三世、体験者、在外被爆者等
への対策の確立。
・あの日と未来のために!原爆遺構の世界遺産登録に他
の団体と協力、努力する。
 長崎県被爆者手帳友の会 19670618  ・国家補償の原則を求め、被爆者援護法の充実
・被爆者の相互扶助・親睦を図り、明るい市民生活を促

・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世、三世対策の強化
・被爆「体験者」の支援
・核兵器廃絶、恒久平和実現のための国際交流
 長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会 19750129  ・被爆者援護法の国家補償法への改正
・被爆者医療援護、生活補償の拡充
・原爆症認定、在外被爆者、「被爆体験者」など被爆者
問題の抜本的解決
・被爆二・三世対策の確立
・「核兵器禁止条約」の締結、核廃絶、脱原発(省エネ
を基本に、自然エネルギーを基幹エネルギーへ)
・反戦・平和・護憲、人権と民主主義の確立
・安保法制の廃止、立憲主義の回復
 長崎県被爆者手帳友愛会  1979  ・核兵器廃絶と世界平和の確立
・拡大地域の処遇の改善要求(12km以内の未指定地域を
被爆地域に)
・被爆者援護法を国家補償の精神に基づいた援護法に
・被爆二世の健康診断の充実(ガン検診の実施を)
・被爆した親の影響を受けて発病したものと思われる病
気については被爆者と同等の取り扱いをすること
・被爆認定の距離的条件を撤廃
 長崎原爆被爆者の会  200004  ・高齢化する被爆者援護の充実
・核廃絶と世界平和の実現
・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世定期健診の充実と施策強化
・被爆者の相互扶助と親睦
 長崎県原爆被爆者島原半島
連合会
 199705  ・核兵器廃絶と世界平和の確立
・被爆者援護法の充実強化
・被爆者の保健・医療・福祉の充実
・被爆実態の調査研究と啓発活動の促進
・被爆者のための文化向上と生活相談
・被爆二・三世の定期健診の法制化と医療費の国庫負担

出典:長崎市│原爆被爆者対策事業概要 (nagasaki.lg.jp)

年表:灯ろう流し 1947~76年

年表:灯ろう流し

年 月日
1947
0714 広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。
47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。
1948
0806 広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。
1950
0806 中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日)
1952 ひろしま川祭委員会
広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日)
第1回52年8月9-10日。
9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会
相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し
10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会
0806 午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。
1953 ひろしま川祭委員会
第2回53年8月8日。
6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し
8日、水上音楽会と花火
1954 ひろしま川祭委員会
第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。
中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯
横川地区=7-8日、横川橋下、700灯
己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯
十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯
鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯
駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯
段原地区=7日、大正橋下、300灯
6日、5、000個のとうろう
8日、平和記念公園で慰霊花火大会
0806 午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。
0806 本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。
1955 ひろしま川祭委員会
第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。
6日、8、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1956 ひろしま川祭委員会
第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。
6日、10、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1957 ひろしま川祭委員会
第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。
6日、15、000個のとうろう
相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏
7日、平和記念公園で慰霊花火大会
1959 ひろしま川祭委員会
第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。
6日、1万個のとうろう
広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島)
7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会
1960 ひろしま川祭委員会
第10回61年8月6-7日。
6日、6つの川でとうろう流し。
0806 広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し
1962 ひろしま川祭委員会
第11回62年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
11-12日、市民球場で盆おどり大会
1963 ひろしま川祭委員会
第12回63年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
1964 ひろしま川祭委員会
第13回64年8月6日。
6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。
1965
0807 広島市・中国新聞社など共催とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個
0814 広島広島悲願の会とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個
太田川夏祭=盆踊大会と花火大会
1973
0806 5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。
1976
0806 とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。
環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)

実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス

1973 とうろう流し。約1万2000個。
2005 とうろう流し。
2009 とうろう流し。約9000個。
2010 とうろう流し。約1万個。
2012 とうろう流し。約1万個。
2013 とうろう流し。約1万個。
2014 とうろう流し。約9000個。
2015
市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回)
2016 ピースメッセージとうろう流し
2017 とうろう流し。約1万個。
2018 ピースメッセージとうろう流し
2019 原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。
2020 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。
2021 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。

平和記念式典総括表(1947年~2013年)

平和記念式典総括表(1947年~2013年)

広島市長 長崎市長 総理大臣(代理) 備考 広島市議会議長 広島県知事 衆議院議長 参議院議長
1947(昭和22) 浜井信三 [片山哲](森戸文部大臣) マッカーサーのメッセージ 楠瀬常猪
1948(昭和23) 浜井信三 [市 民 代 表] [芦田均] ロバートソンのメッセージ 楠瀬常猪
1949(昭和24) 浜井信三 大 橋 博 [吉田茂] 楠瀬常猪
1950(昭和25) [中止] [中止] [中止] [中止] 楠瀬常猪 [中止] [中止]
1951(昭和26) 浜井信三 [平和推進市民大会] [吉田茂] 大原博夫
1952(昭和27) 浜井信三 田 川 務 [吉田茂] 広島県知事、県・市議会議長の式辞。広島平和都市記念碑除幕   大原博夫 [岩本信行(副議長)] [佐藤尚武]
1953(昭和28) 浜井信三 田 川 務 [吉田茂] 広島県知事、県・市議会議長の式辞   大原博夫 [堤康次郎] [河井弥八]
1954(昭和29) 浜井信三 田 川 務 [吉田茂] 高松宮夫妻 大原博夫
1955(昭和30) 渡辺忠雄 田 川 務 [鳩山一郎] 大原博夫
1956(昭和31) 渡辺忠雄 田 川 務 [鳩山一郎] 大原博夫
1957(昭和32) 渡辺忠雄 田 川 務 [岸信介] 三笠宮夫妻 大原博夫
1958(昭和33) 渡辺忠雄 田 川 務 [岸信介] 高松宮夫妻、灘尾文部大臣   大原博夫
1959(昭和34) 浜井信三 田 川 務 [岸信介]内閣総理大臣臨時代理<挨拶原文>。 広島県議会議長平塩五男<挨拶原文> 木野藤雄<挨拶原文> 大原博夫<挨拶原文> 松野鶴平<挨拶原文>
1960(昭和35) 浜井信三 田 川 務 池田勇人(中山マサ厚生大臣) 名簿奉納(広島県知事・市長)、あいさつ:内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、広島県議会議長(平塩五男)、広島市議会議長(宮本正夫) 宮本正夫<挨拶原文> 大原博夫 清瀬一郎(議長)<挨拶原文> 松野鶴平参議院議長(代理:平井副議長)<挨拶原文>
1960(昭和35)       皇太子参列「お言葉」        
1961(昭和36) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人]     大原博夫 清瀬一郎(代理) 松野議長(代理)
1962(昭和37) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人] あいさつ真田県議会議長   永野嚴雄 清瀬一郎(代理) 議長(代理)
1963(昭和38) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人]<挨拶原文> 灘尾文部大臣**全国戦没者追悼式(第1回)   永野嚴雄
1964(昭和39) 浜井信三 田 川 務 [池田勇人]<中国新聞は掲載せず> 永野県知事 永野嚴雄 船田中(議長) 重宗
1965(昭和40) 浜井信三 田 川 務 [佐藤栄作](橋本登美三郎内閣官房長官)<挨拶原文>   永野嚴雄 船田 重宗
1966(昭和41) 浜井信三 田 川 務 [佐藤栄作]古屋亨(総理府総務副長官)<挨拶原文> 長崎式典:代読   永野嚴雄 灘尾幸吉(代理) 藤田進(代理)
1967(昭和42) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]堀総務長官?<挨拶原文>   永野嚴雄
1968(昭和43) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]亀岡官房副長官 1968.6.24山田市長、記者会見=原水禁3団体と平和アピール7人委員会、世界連邦圏背宇同盟などに招待状を出す方針を明らかにする。(6.25『中国新聞』)。ローマ法王メッセージ。長崎式典:原爆被爆者対策課の主管となる。. 永野嚴雄
1969(昭和44) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]床次総務長官<挨拶原文>   永野嚴雄
1970(昭和45) 山田節男 諸谷義武 [佐藤栄作]内田厚生大臣<挨拶原文>   永野嚴雄 荒船清十郎(副議長) 安井謙(副議長)
1971(昭和46) 山田節男 諸谷義武 佐藤栄作(総理大臣)<挨拶原文> 長崎式典:   永野嚴雄 船田中(議長) 森八三一(副議長)
1972(昭和47) 山田節男 諸谷義武 [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> 長崎式典:   永野嚴雄 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1973(昭和48) 山田節男 諸谷義武 [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> 広島・長崎の式典相互参列(初)。長崎式典:二階堂進   永野嚴雄 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1974(昭和49) 山田節男 諸谷義武 斉藤邦吉(厚生大臣) 厚相の代理は初。長崎式典:二階堂進? 宮澤弘 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1975(昭和50) 荒木 武 諸谷義武 [三木武夫<訪米中>]田中正己(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:植木総務長官   宮澤弘 秋田大助(副議長) (メッセージのみ)
1976(昭和51) 荒木 武 諸谷義武 三木武夫(総理大臣)<挨拶原文> 田中厚相。被爆者団体代表との会見。長崎式典:三木武夫   宮澤弘 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1977(昭和52) 荒木 武 諸谷義武 [福田赳夫]藤田正明(総務長官)<挨拶原文> アメラシンゲ国連総会議長参列。長崎式典:渡辺厚相。アメラシンゲ国連総会議長参列   宮澤弘 (メッセージのみ) 加瀬完(副議長)
1978(昭和53) 荒木 武 諸谷義武 [福田赳夫]安倍晋太郎(官房長官)<挨拶原文> 長崎式典:小沢厚相   宮澤弘 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1979(昭和54) 荒木 武 本 島 等 [大平正芳]橋本龍太郎(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:   宮澤弘 灘尾弘吉(議長) (メッセージのみ)
1980(昭和55) 荒木 武 本 島 等 [鈴木善幸]宮沢喜一(官房長官)<挨拶原文> 長崎式典:斎藤厚相。徳永正利   宮澤弘 (メッセージのみ) 徳永正利(議長)
1981(昭和56) 荒木 武 本 島 等 鈴木善幸(総理大臣)<挨拶原文> 原爆死没者。全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟代表。長崎式典:村山厚相。徳永参院議長。原爆死没者全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟   宮澤弘 (メッセージのみ) 秋山長造(副議長)
1982(昭和57) 荒木 武 本 島 等 [鈴木善幸]森下元晴(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:鈴木善幸総理大臣。初村滝一郎労相。7月23日、長崎大水害死没者。(71名)の名簿も奉安。   竹下虎之助 (メッセージのみ) 徳永正利(議長)
1983(昭和58) 荒木 武 本 島 等 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> 谷川防衛庁長官。長崎式典:林厚相   竹下虎之助 (メッセージのみ) 木村睦男(議長)
1984(昭和59) 荒木 武 本 島 等 [中曽根康弘]渡部恒三(厚生大臣)<挨拶原文> 長崎式典:中曽根康弘総理大臣   竹下虎之助 (メッセージのみ) (メッセージのみ)
1985(昭和60) 荒木 武 本 島 等 中曽根康弘(総理大臣) 増岡厚相。被爆者援護功労者厚生大臣表彰。被表彰者。第1回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:増岡厚相   竹下虎之助 坂田道太(議長) 木村睦男(議長)
1986(昭和61) 荒木 武 本 島 等 [中曽根康弘]斉藤十朗(厚生大臣)<挨拶原文> デクエヤル国連事務総長(メッセージ)。長崎式典:中曽根康弘総理大臣。**全国戦没者追悼式に原爆死没者遺族を国費で公式招待(初)。   竹下虎之助 原健三郎(議長) 藤田正明(議長)
1987(昭和62) 荒木 武 本 島 等 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> 長崎式典:斎藤厚相   竹下虎之助 多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長)
1988(昭和63) 荒木 武 本 島 等 [竹下登]藤本孝雄(厚生大臣)<挨拶原文> 三木武夫国際軍縮促進議員連盟会長。長崎式典:小渕恵三官房長官。藤本孝雄厚相。原健三郎(衆院議長)?田村?   竹下虎之助 多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長)
1989(平成元) 荒木 武 本 島 等 宇野宗佑(総理大臣)<挨拶原文> 長崎式典:デクエヤル国連事務総長。メッセージ(明石事務次長代読)   竹下虎之助 安井吉典(副議長) 瀬谷英行(副議長)
1990(平成2) 荒木 武 本 島 等 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> 津島厚相   竹下虎之助 桜内義雄(議長) 小山一平(副議長)
長崎式典:海部俊樹(両式典への参列は1976年以来2人目)   竹下虎之助
沖縄全戦没者追悼式に初参列??   竹下虎之助
1991(平成3) 平岡 敬 本 島 等 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> 挨拶:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:下条厚相   竹下虎之助 桜内義雄(議長) 土屋義彦(議長)
1992(平成4) 平岡 敬 本 島 等 山下徳夫(厚生大臣)<挨拶原文> 挨拶:衆議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:宮沢喜一総理大臣 竹下虎之助 桜内義雄(議長)
1993(平成5) 平岡 敬 本 島 等 <挨拶原文>[閣僚の出席なし]文田久雄総理府次長 ストヤン・ガーネフ国連総会議長。長崎式典:古川貞二郎厚生省事務次官。**8月9日細川内閣発足。   竹下虎之助
1994(平成6) 平岡 敬 本 島 等 <挨拶原文>村山富市(総理大臣) 井出厚相。長崎式典:村山富市   藤田雄山 土井たか子(議長) 原文兵衛(議長)
1995(平成7) 平岡 敬 伊藤一長 <挨拶原文>村山富市(総理大臣) 井出厚相。長崎式典:村山富市。草場良八最高裁判所長官。三権の長全員が参列(初)。長崎式典:村山富市。三権の長全員が参列(初)   藤田雄山 土井たか子(議長) 斉藤十朗(議長)
1996(平成8) 平岡 敬 伊藤一長 橋本龍太郎(総理大臣) 菅直人厚相。長崎式典:橋本龍太郎。土井たか子(議長) 藤田雄山 鯨岡(副議長) 斉藤十朗(議長)
1997(平成9) 平岡 敬 伊藤一長 橋本龍太郎(総理大臣) 第4回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:小泉純一郎厚相   藤田雄山 伊藤(議長) 松尾(副議長)
1998(平成10) 平岡 敬 伊藤一長 小渕恵三(総理大臣) 宮下創平厚相。あいさつ:衆議院副議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小渕恵三。宮下創平厚相   藤田雄山 渡部恒三(副議長) 菅野(副議長)
1999(平成11) 秋葉忠利 伊藤一長 小渕恵三(総理大臣) 宮下創平厚相。長崎式典:宮下創平厚相。伊藤宗一郎(衆議院議長)   藤田雄山 渡部恒三(副議長)
2000(平成12) 秋葉忠利 伊藤一長 森喜朗(総理大臣) あいさつ:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:森喜朗。渡部恒三衆議院副議長、菅野久光参院副議長。   藤田雄山
2001(平成13) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) 第5回世界平和連帯都市市長会議。あいさつ:広島県知事、アナン国連事務総長メッセージ。長崎式典:小泉純一郎。坂口力厚労相。衆参両院議長が代理も含め欠席するのは1989年以来。今年から両議長の来賓あいさつを取りやめ、献花だけをしてもらうことに決めていた。   藤田雄山
2002(平成14) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎(今年は被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず、帰京)、坂口厚生労働大臣。倉田寛之参院議長、約五千五百人。   藤田雄山
2003(平成15) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) 長崎式典:小泉純一郎、(被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず)。倉田寛之参院議長、坂口力厚労相   藤田雄山
2004(平成16) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、扇千景参院議長、坂口力厚労相。約五千四百人。   藤田雄山
2005(平成17) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、国連事務総長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小泉純一郎、尾辻厚労相。町田顕最高裁判所長官。長崎市は今年、核保有五カ国を含む計十一カ国に参列を求める招請状を送付。ガルージン代理大使とウクライナのユーリー・コステンコ駐日特命全権大使だけが参列   藤田雄山
2006(平成18) 秋葉忠利 伊藤一長 小泉純一郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、川崎二郎厚生労働大臣。河野洋平(議長)、角田(副議長)。核保有国のロシアを含む七カ国の駐日大使ら約四千八百人が参列。   藤田雄山 横路(副議長) 扇千景(議長)
2007(平成19) 秋葉忠利 田上富久 安倍晋三(総理大臣) あいさつ:広島県知事、潘基文国連事務総長(代読)。長崎式典:安倍晋三、柳沢伯夫厚生労働大臣。横路(副議長)、江田五月(議長)。核保有国ロシアを含む十五カ国の政府代表らが参列。   藤田雄山
2008(平成20) 秋葉忠利 田上富久 福田康夫(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長(代読)。舛添要一厚労相。55カ国の大使や参事官。長崎式典:福田康夫、舛添要一厚労相。河野洋平(議長)、山東(副議長)。核保有国のロシア、今回が初めてのスペインなど八カ国の駐日大使ら・ 藤田博之 藤田雄山 河野洋平(議長) 江田五月(議長)
2009(平成21) 秋葉忠利 田上富久 麻生太郎(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。舛添要一厚労相。59カ国の代表。長崎式典:麻生太郎。舛添要一厚労相。江田五月(議長)。保有国のロシアを含め過去最多となる海外29カ国の代表。約5800人(市発表)。ミゲル・デスコト・ブロックマン国連議長。国際連合総会議長潘基文(バンキムン)国連事務総長(代読)、 藤田博之 藤田雄山 江田五月(議長)
2010(平成22) 秋葉忠利 田上富久 菅直人(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長妻厚生労働大臣。潘基文(バンキムン)国連事務総長、米・英・仏(初)など74カ国の代表。長崎式典:菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。デスコト国連議長。西岡(議長)江田五月(議長) 。核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、実質的核保有国のイスラエルなど32カ国。約5600人。 藤田博之 湯崎英彦 横路孝弘(議長)? 江田五月(議長)
2011(平成23) 松井一實 田上富久 菅直人(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。細川律夫厚生労働大臣。長崎式典: 菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。44カ国の政府代表 木島 丘 湯崎英彦 西岡(議長)
2012(平成24) 松井一實 田上富久 野田佳彦(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連事務総長。中野外務大臣政務官。小宮山厚生労働大臣。国連事務総長代理;アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表。米・英・仏(初)など71カ国の代表。長崎式典:野田佳彦。外務大臣政務官。厚生労働大臣。42カ国の代表。 種清和夫 湯崎英彦 平田 健二(議長)
2013(平成25) 松井一實 田上富久 安倍晋三(総理大臣) あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。外務大臣 厚生労働大臣。ブーク・イェレミッチ国際連合総会議長。潘基文国際連合事務総長(代読)、 碓井法明 湯崎英彦 衆議院副議長 参議院議長

 

広島県原爆被害者団体協議会陳情書(市長宛、1970年6月16日)

広島県原爆被害者団体協議会陳情書(市長宛、1970年6月16日)

昭和四十五年六月十六日
広島市長
山田 節男 殿

広島市大手町四丁目五番六号
広島県原爆被害者団体協議会
理事長  滝滝 市郎
事務局長 檜垣 益人
陳情書

人類史上空前の原爆悲劇からはやくも四半世紀の歳月をけみし、被爆二十五周年の八月六日を迎えようとしています。
毎年の八・六式典についての市民の声、特には生存被爆者や遺家族のつぶやきに耳を傾けて下さいまして、今年の被爆二十五周年の式典に於てこそは、被爆生存者や遺家族が生きてゆく勇気と希望を与えられ、被爆死没者の犠牲が人類の救いとして決してむだとならぬために、少くとも次の事項につき改善乃至新企画をして下さいますよう要請いたします。

一、平和宣言の内容には、原爆死没者の犠牲が少くともこの二十五年間の原爆不使用の大きな因であり、日本の平和と繁栄もこの犠牲の上になりたっていることも、更めて確認され、戦争なきひとつの世界へ向かっての大いなる警鐘と不動の礎石として、決してむだにしないことを誓うという内容がもりこまれること。
一、右と関連して広島市当局自ら原爆死没者遺家族の援護に尽すとともに、政府・国会に対しては、原爆遺家族援護や原爆傷害者に対する補償的援護施策が行なわれるよう、先頭に立って促進することを誓う旨をもりこむこと。
但し、この頂は平和宣言の内容としてでなくても、市長の別の八・六声明としてでも行われたいこと。
一、平和式典の祝辞の代読はこれを止め、出席本人が読むもののみに限られたいこと。形式的代読の空しさは多年の市民のつぶやきであり、今年こそは勇断をもって、このつぶやきを聞きいれていただきたいこと。
一、平和宣言が市長によって読みあげられるだけに止らず、これに応えて市民代表が決意表明を行なうように企画されたいこと。(この場合、市民代表は青年又は被爆者が望ましい。)
このための時間は代読廃止等によってセイブされる時間が充てられるならば式典に一層真実がこもって来るものと思われます。
一、会場の被爆者席には市内在住の認定被爆者だけが招待されるのでなく、被爆者並びに遺家族なら誰でも先着順に坐れるように改善されたいこと。
一、平和の歌は会場の全員が合唱できるようにあらかじめ普及・練習の方途を講ぜられたいこと。
一、尚、八月六日~九日を国際停戦デーとすることの提唱。八月六日八時十五分の一分間黙祷が全国的・全世界的に行なわれることの提唱、これと関連して八時十五分を中心とする式典がテレビ宇宙中継されるようにとの要望などは、私たちの団体も深く賛意を表し、その実現を強く望むものであります。
右、被爆二十五周年にふさわしい画期的意義ある式典となりますよう切に陳情申し上げるものであります。

タブーへの挑戦ー本島(長崎市長)発言に市民は…

『タブーへの挑戦ー本島(長崎市長)発言に市民は…』(言論の自由を求める長崎市民の会編・刊、19890815)

内容

項目 備考
001 刊行にあたって(岩松繁俊)
009 呼びかけ人から寄せられた手紙
026 座談会(言論の自由を求める市民の会)「本島発言の波紋―市民の会の4か月」 1989年5月1日
高實康稔・
041 37万署名に添えられた手紙(永田正俊編)
074 本島市長の”叫び”(中野清)
078 天皇報道と言論の自由に関する声明  ~2・24~ 大喪の礼を前にして
 1989年2月20日 長崎マスコミ文化共闘会議(長崎新聞労組、日放労長崎分会、長崎放送労組・テレビ長崎労組)
079 「大喪の礼」報道に関する要請
  1989年2月10日 長崎マスコミ文化共闘会議(長崎新聞労組、日放労長崎分会、長崎放送労組・テレビ長崎労組)
080 2・24 長崎 自由に語ろう天皇制 -おんなの井戸端会議-
 市民有志131人と「市民週間」/「市民の会」結成と第2次署名運動/初の街頭署名と集約作業/自由に語ろう天皇制/「大喪の礼」当日のマラソン集会/大嘗祭までは活動を!?/署名を本島市長に提出
086 ドキュメント”市民の会”(宮川淑子)
100 本島発言をめぐる経過(文責 三岳寛之)
 1988年12月7日~ 1989年04月28日
110 あとがき