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広島市平和推進基本条例

広島市平和推進基本条例

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○広島市平和推進基本条例

令和3年6月29日

条例第50号

昭和20年8月6日、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下され、広島の街は一瞬にして焦土と化し、壊滅、焼失した。当時、広島には約35万人の人々がいたと考えられているが、同年末までに約14万人が死亡したと推計され、生き残った人々も、急性障害だけでなく、様々な形の後障害に苦しめられている。

さらに、被爆者に対する結婚・就職等での差別により、後に、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を受けることが困難になるなどの被害もある。また、放射性物質を含んだ黒い雨による被害の議論は、いまだに続いている。

廃墟の街となった広島は、「75年間は草木も生えぬ」と言われたが、堪え難い悲しみと苦しみを乗り越えて復興に立ち上がり、広島平和記念都市建設法の制定を実現させ、市民の英知とたゆまぬ努力、国内外からの温かい援助などにより、めざましい復興・発展を遂げていった。

本市は、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」との思いから、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を願うヒロシマの心の共有を訴えてきた。さらに、国内外の多くの人々に、原子爆弾による被爆の実相に触れてもらうため、広島平和記念資料館や原爆ドームへの来訪を推進するとともに、放射線被ばく医療に対しても国際貢献をしてきた。

また、被爆者の壮絶な体験と平和への思いを後世に伝えるため、被爆体験の継承及び伝承を行ってきた。

しかしながら、被爆から75年が過ぎ、被爆者の高齢化が一段と進み、被爆体験を直接聞き知る機会が失われつつある。また、市民による平和の推進に関する活動の担い手が高齢化し、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴えることが難しくなってきている。今では、昭和20年8月6日に何が起こったか、知らない子どもたちもいる。

今日、核兵器の廃絶に向けては、核兵器禁止条約の発効など、世界的にその機運は高まっているものの、実現までにはいまだ多くの課題がある。

私たち広島市民は、こうした現実を踏まえ、昭和20年8月6日の惨状と復興への道のりを伝え残し、世界に対して、行政を始め各界各層の多くの人々と共に「絶対悪」である核兵器を廃絶するために積極的に声を上げ、行動し、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に努めることを決意し、この条例を制定する。

(目的)

第1条 この条例は、平和の推進に関し、本市の責務並びに市議会及び市民の役割を明らかにするとともに、本市の施策の基本となる事項を定めることにより、平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進し、もってヒロシマの心である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的とする。

(定義)

第2条 この条例において「平和」とは、世界中の核兵器が廃絶され、かつ、戦争その他の武力紛争がない状態をいう。

(本市の責務)

第3条 本市は、平和の推進に関する施策を策定し、及び実施する責務を有する。

(市議会の役割)

第4条 市議会は、本市の平和の推進に関する施策に関し、その機能を最大限に発揮するとともに、長崎市議会等と連携し、平和の推進に関する活動を行うものとする。

(市民の役割)

第5条 市民は、平和の推進に関する活動を行うよう努めるものとする。

(平和記念日)

第6条 本市は、人類史上最初の原子爆弾が投下された昭和20年8月6日を世界平和樹立への礎として永久に忘れてはならない日とし、原子爆弾による死没者を追悼するとともに世界恒久平和の実現を祈念するため、毎年8月6日を平和記念日とする。

2 本市は、平和記念日に、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民等の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする。

(平和の推進に関する施策)

第7条 本市は、平和の推進に関し、次に掲げる施策を策定し、及び実施するものとする。

(1) 核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を目指し、国内外の都市等との連携を図るための施策

(2) 市民等が、原子爆弾による被爆の実相への理解を深めるとともに、平和について考え、平和の推進に関する活動を主体的に行うよう、平和意識の醸成を図るための施策

(3) 原子爆弾被爆者の体験及び平和への思い(以下この号において「被爆体験」という。)を世界に広め、かつ、これらを次世代に確実に伝え続けるよう、被爆体験の継承及び伝承を図るための施策

(4) 前3号に掲げるもののほか、平和の推進を図るために必要な施策

(年次報告)

第8条 市長は、毎年、平和の推進に関する施策の実施状況を市議会に報告するとともに、これを公表するものとする。

(財政上の措置)

第9条 本市は、平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進するため、必要な財政上の措置を講ずるものとする。

(委任規定)

第10条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。

附 則

1 この条例は、公布の日から施行する。

2 広島市役所事務休停日条例(昭和22年7月31日広島市条例第14号)は、廃止する。

宇吹メモの中のナガサキ(1967~83)

宇吹メモの中のナガサキ(1967~83)

 月  日  事項<敬称略
1967 10 13 平戸口-平戸(松浦資料館)―平戸口―長崎―雲仙・雲仙荘泊-熊本.15日人吉.
1968 01 19 佐世保
 1972  01  07  田原伯氏,長崎より帰り来室.
  05   03  佐世保の隆文社へ『広島県史 原爆資料編』の出張校正.
1973 07 17 自動車運転免許路上試験合格。25日交付。
 1974  08  原水爆禁止世界大会(長崎)
 1976  06  05  長崎へ。長崎大学医学部記念体育館で長崎大学原医研と対抗バレー。観月荘泊。6日、第17回原爆後障害研究会。
 1977  08  24  総合科学部長室.広島・長崎市長国連報告書作成に関する会議.今堀経過報告.湯崎・宇吹その他出席.
1979 07 25 宇吹暁,栃木利夫『広島長崎の原爆災害』(広島市・長崎市原爆災害誌編年表(PP.488-496)
 1982  05  18  中国新聞社で吉元、大牟田、田原と会う。吉元、「広島・長崎手記全集出版要綱案」を提示。
 1983  03  23  長崎大学資料センター,来所.

 

長崎調査(2015年8月9日~11日)

長崎調査(2015年8月9日~11日)

時刻 講堂
09 05:05 呉―05:46広島06:05―JR新幹線こだま821号 ―07:36博多07:54―特急かもめ7号―09:46浦上―(交通費片道9600円)
09 10:35 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。午前11時43分 閉式。
09 12: 長崎原爆資料館。歴史民俗資料館「戦後70年を振り返る~戦時中のくらし展」
09 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館。被爆70周年体験記企画展「原子雲の下に生きて」。被爆70周年原爆死没者追悼企画「長崎・広島のあの日を忘れないで~映画・音楽・朗読とともに」。映画「妻の貌」(川本昭人監督)。
09 16:00 東横イン長崎駅前泊6375円。18:30杵屋長崎駅アミュプラザ店で夕食。
10 10 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館=原爆体験記調査。
10 13:40 長崎大学医学部「原爆復興70周年記念事業 長崎医科大学原爆被災写真・資料展」。
10 14:41 皇上皇アミュプラザ長崎店で昼食。
10 15: 長崎市立図書館。企画展「つながる、つたえる、ナガサキ・ヒロシマ」。
10 17:00 コンフォートホテル長崎泊5300円。17:50ゆめタウン夢彩都で夕食用購入。ホテルで食べる。
11 09:30 長崎県立図書館。「松尾あつゆきと小﨑侃」、「原爆文学展」。
11 10:22 長崎歴史文化博物館。「PIECE OF PEACE World Heritage Exhibit Built with Lego Brick」。宮島はあったが、原爆ドームなし。
11 11:52 長崎駅発特急かもめ92号ー17時帰宅。交通費12500円。

 

 

長崎調査(2007年12月)

長崎調査(2007年12月23日~25日)

日程表

23 06:29 呉駅-広島駅07:30-JR新幹線ひかり441号 -08:35 博多09:00-JR特急かもめ9号 -10:54浦上駅。
23 10:54 浦上駅。長崎駅址
23 11:10 (学びのゾーン)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館。長崎市平野町7番8号。無料。中身空っぽ。平和情報コーナーに平和関係団体の平和情報カード。1セット揃える。館内のカフェで昼食。
23 12:00 長崎原爆資料館。入館料200円。12:18映画「長崎原爆の記録」。本・資料7点購入。4140円。~12:35。
23 13:00 長崎市歴史民俗資料館(長崎市平和会館内)。無料。職員男女各1人。入場者は私一人。「進水式に見る三菱造船所150年の歩み」展。
23 13:10 野口彌太郎記念美術館。100円。原爆殉難教え子と教師の像。
23 13:20 原爆落下中心地区(祈りのゾーン)隈治人句碑。秋桜子句碑。浜口町北部の惨状(碑名板)。松尾あつゆき「原爆句抄」。PEOPLE AT PEACE。長崎原爆青年乙女の会被爆50周年記念碑。鎮魂 あの夏の日。反核・平和はぐくむ。平和の母子像。平和。原爆句碑。原爆詩碑。小山誉美歌碑。泰美穂先生歌碑。
23 13:25 (祈りのゾーン)ワシントンの桜。外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦。平和を祈る子。長崎誓いの火。電気通信労働者原爆慰霊碑。不戦平和之塔。全国建設労働組合総連合。長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑。朝鮮民主主義人民共和国帰国記念植栽(1959年12月8日)。
23 13:30 (祈りのゾーン)被爆50周年記念事業碑(富永直樹)。聖徳寺灯籠。原爆落下中心地碑。原爆殉難者名奉安。浦上天主堂遺壁。被爆当時の地層。長崎市原爆被災市街復元図。
23 13:45 平和公園。御大典記念碑。東京都葛飾区原爆被爆者の会。
23 13:50 (願いのゾーン)アルゼンチン。アメリカ。トルコ。キューバ。ブラジル。戦災復興記念碑。乙女の像(中国)。ブルガリア。平和の泉。ソヴィエト。チェコスロバキア。ドイツ民主共和国。長崎刑務所浦上刑務支所跡案内。和平。長崎の鐘。イタリア。ポーランド。ポルトガル。オランダ。折り鶴の塔。平和祈念像。長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂。
23 14:05 長崎原爆被災者協議会。被爆者の店。本・資料5点購入。3950円。
23 14:15 真珠会館。14:35教皇ヨハネ・パウロ2世。原爆により崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼。浦上天主堂石垣。
23 14:20 長崎市永井隆記念館。入館料100円。如己堂。
23 14:45 長崎カトリックセンター。一般3700円、キリスト教信者3200円、ユースホステル会員2700円(相部屋)。
23 14:50 浦上天主堂。15:00長崎県被爆者手帳友の会・平和祈念会館。15:05長崎医科大学周辺。
23 15:30 ホテルサンルート長崎チェックイン。泊。5100円。
23 15:45 丸山。18:10中華街。
24 08:40 祝日。長崎。唐通事会所跡。活版伝習所跡。長崎市立新興善小学校跡。
24 09:00 歴史文化博物館。観覧料600円。長崎市立山1丁目1番1号 TEL 095-818-8366。11:00くんち奉納踊り長崎裁き。~11:20。本・資料8件26点購入。18840円。原資料は少なく映像と模型展示が目立つ。江戸東京博物館の長崎版。
24 09:01 世界最大の翼竜展。観覧料900円。
24 11:30 末次平蔵宅跡。サン・ドミンゴ教会跡資料館(長崎市教育委員会文化財課)。<世界遺産化運動>。遺構と若干の出土品。小さな資料館だが見ごたえあり。無料。
24 12:00 長崎公園。東照宮。12:10諏訪神社。お守り購入。13:00天満宮。いずれもほとんど参拝者なし。
24 13:05 シーボルト通り。13:10シーボルト宅跡。シーボルト記念館。入館料100円。冊子2点購入。
24 14:10 孔子廟・中国歴代博物館。入館料500円。かなりの観光客。
24 14:40 東山手洋風住宅群。長崎市東山手重要建造物群保存地区。長崎市東山手地区街並み保存センター。
24 14:50 グラバースカイロード。15:00グラバー園。かなりの観光客。入場料600円。
24 16:00 大浦天主堂。<世界遺産化運動>。拝観券300円。館内放送で解説。部外者に親切。浦上にはなかった。16:10祈りの丘絵本美術館。
24 16:15 聖コルベ神父記念館。ペンション南十字館。素泊まり3000円。8人宿泊可能。
24 16:20 長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館。入館料100円。1階で20数人の私と同年輩の男女が歌声の練習。
24 16:30 旧長崎英国領事館。補修中。外観のみ見学。16:35大浦海岸通り。
24 16:50 出島。入場料500円。整備中。それでも見どころ多数。 ~18:00。
24 18:00 ホテルサンルート長崎泊。
25 08:50 西坂公園。日本二十六聖人殉教地。09:00日本二十六聖人記念聖堂。史料館。<世界遺産化運動>。
25 09:30 岡まさはる記念長崎平和資料館。09:55長崎平和研究所。2か所とも入館せず。
25 10:00 坂本国際墓地。永井隆墓。10:10山王神社。片足鳥居。楠。10:30福田須磨子宅跡。
25 10:35 長崎大学医学部校内。
25 11:00 **(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設**)と資料室に向かう廊下で偶然会う。午後、東京へ出張とのこと。
25 11:01 **に来夏の研修のことを話し、1コマ分の講義の了解を得る。
25 11:02 **の案内で長崎大学付属図書館医学分館近代医学史料展示室と開館したばかりの同窓会館の資料室を見学。長崎大学の経済学部の資料室にも貴重なものがあるそうで、調べて連絡してくれるとのこと。
25 11:03 **から黒崎を薦められる。<世界遺産化運動>。海外からの来客を案内していつも喜ばれるとのこと。遠藤周作の好きな日文の学生がいれば、おもしろくなりそう。
25 11:04 **によれば現在長崎市内ではホテルが値下げ競争をしており5000円程度でいくらでも泊まれるとのこと。ウィークリーマンションについては、調べてみると言ってくれる。
25 11:55 長崎税関。税関資料展示室。
25 12:00 長崎県美術館。長崎県長崎市出島町2番1号。黒川紀章の作品。あいにく休刊日なので、建物の外観を見学しただけ。
25 13:30 軍艦島。軍艦土佐に似ている。端島神社からコンクリートの貯水槽までが本来の島。~15:10。
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25 16:30 長崎駅-呉駅。

 

 

 

 

長崎旅行(2017年5月)

長崎旅行日程表 2017年5月22日~24日

22 長崎旅行~24日。手配は呉ツーリストに依頼。
22 09:50 広島-のぞみ1号―10:52博多11:32-ハウステンボス9号―13:19ハウステンボス13:26入場-
22 13:26 ハウステンボス入場-カナルクルーザー(乗船料600円)-14:33アムステルダム広場-15:03帆船デ・リーフデ号-15:20ポルセレインミュージアム-15:55大村湾クルーズ、フリッパー16:30-16:56パレスハウステンボス<花の芸術祭>-17:32タワーシティ、ドムトールン展望室-19:17パレスハウステンボス<光のオーケストラ>-19:57アムステルダム広場-20:29噴水広場-20:54白い観覧車-
22 花の家<夕食10710円>-ホテルオークラJRハウステンボス泊。
23 09:19 ホテルオークラJRハウステンボス発。
23 11 昼食(うまや長崎店)12:14-12:32西坂公園・日本26聖人殉教記念碑-12:43岡まさはる記念長崎平和資料館
23 13:15 長崎駅発-13:33三菱重工業長崎造船所史料館「旧木型場」14:33
23 15:12 グラバー庭園-17:09大浦天主堂-18:05長崎県美術館-吉宗(夕食)20:01
23 ホテルJALシティ長崎(チェックイン14:00)泊。
24 09:00 やまさ海運「軍艦島上陸周遊クルーズ」(長崎港発~09:30軍艦島10:30~軍艦島周遊―長崎港11:30 )-11:54出島(雨に出遭う)12:53内外倶楽部レストラン(昼食)-長崎駅で土産購入14:30
24 15:20 長崎―かもめ30号―17:13博多(駅弁で夕食)17:33-のぞみ56号―18:34広島

 

 

 

秋葉忠利広島市長の平和宣言

秋葉忠利広島市長の平和宣言

概要
出典:平和宣言の歴史 – 広島市公式ホームページ (hiroshima.lg.jp)
1999 ヒロシマのたどった歩みを振り返り、被爆者の足跡を称える/世界の指導者が核兵器を廃絶する意志を持つことが何よりも大切であることを訴える
2000 戦争と科学技術の世紀であった20世紀を振り返り、憎しみや暴力の連鎖を断ち「和解」への道を拓くよう訴える/広島が世界に和解を広める都市、科学技術を人間的目的に用いるモデル都市とする決意を表明
2001 21世紀最初の宣言として、21世紀を核兵器のない「平和と人道の世紀」にするため、和解や人道を重視する勇気を持つよう訴える/広島を「人道都市」、「万人のための故郷」とする決意を表明
2002 報復の連鎖や力の論理が蔓延する現在の世界情勢に大きな不安/広島を「万人のための故郷」とし、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造する決意を表明/米国政府・国民に対し、力の論理からの脱却を説得/日本政府に対し、戦争のできる「普通の国」にならないよう要求
2003 力の支配が蔓延する現在の世界情勢に大きな不安/自国中心主義を押し進める米国の政策を強く批判/2005年のNPT再検討会議に向け、平和市長会議加盟都市に、核兵器廃絶のための緊急行動を呼び掛け/世界中の影響力を持つリーダーに、核兵器廃絶のため、日常のレベルで祈り、発言し、行動することを呼び掛け/日本政府に対し、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする「新・非核三原則」を国是とするよう要求/初めて「黒い雨降雨地域」の被爆者援護に言及
2004 2005年8月9日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」とすることを宣言/2020年までの核兵器廃絶を決意/米国市民に人類愛の観点から唯一の超大国として核兵器廃絶の責任を果たすように期待/被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及や被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開/日本政府に対し、平和憲法の擁護、戦争並びに核兵器容認の風潮を匡すよう要請/NPT再検討会議に向け、「核兵器廃絶のための緊急行動」への支持を訴え
2005 未来世代への責務として、「汝殺すなかれ」特に「子ども殺すなかれ」を人類最優先の公理として確立する必要を訴え/2006年8月9日までを「継承と目覚め、決意の年」と位置付けて、核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開することを表明/国連総会の第一委員会が核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案
2006 「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反する」とした国際司法裁判所(ICJ)による勧告的意見から10周年を迎えたが核軍縮の義務は果たされていないことを訴え/核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)や、核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets(CANT))プロジェクト」に取り組むことを表明
2007 被爆者の苦しみの中から生まれたメッセージの重要性と、忘れてしまいたい体験を語り続け三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を訴え/「少数の指導者たち」が「力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき」、人類を滅亡の危機に陥れている現状の問題点を指摘/「21世紀は市民の力で問題を解決できる時代」/市民と共に都市が立ち上がり、民主的な政治や国際ルールなど人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしている世界の各都市の活動事例を紹介/核兵器のない地球を未来の世代に残すために行動することを誓う
2008 「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理/世界の多数派が核兵器の廃絶を支持/人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待/核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、平和市長会議で「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表/相互理解と信頼にもとづく都市間関係をモデルに世界を考える「パラダイム転換」の重要性を訴え/G8下院議長会議の広島開催で「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待
2009 今なお続く被爆者の苦しみと、被爆体験の重みが勇気ある司法判断により法的にも支えられていることを指摘/核兵器廃絶を求める世界の多数派を「オバマジョリティー」と呼ぶことを提案/大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつある事実を指摘/国連の中に市民の声が直接届く仕組みとして国連に下院の創設を提案/最後に、英語で世界に、力を合せて核兵器の廃絶を実現しようと呼び掛け
2010 「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という被爆者の思いを広島弁で表現/NPT再検討会議の最終文書により広島市・長崎市・平和市長会議等の主張こそ未来を拓くために必要であることが確認されたことを指摘/市民社会の声と潘基文国連事務総長・オバマ大統領等のリーダーシップがNPT再検討会議を成功に導いた/内閣総理大臣に被爆者の願いを真摯に受け止め核兵器廃絶に向けてリーダーシップを発揮するよう要請/2020核廃絶広島会議で採択した「ヒロシマアピール」に沿って行動することを表明

 

 

 

 

 

新長崎市史第四巻現代編

『新長崎市史第四巻現代編』(長崎市、201305)

平和都市長崎の展開
被爆と平和都市建設/経済の拡大と構造変化/市勢の動向と諸課題
1 戦後復興と民主化
降伏・占領から軍政/民事管理へ/原爆被災と
対応/終戦から混乱期の長崎/市長公選と国
際文化都市建設/主権回復後の長崎/市域の
拡大/戦災復興と国際文化都市建設事業/平
和への取組みと国際交流/経済の混乱と復興
/市民生活の困窮と安定/民主化と新たな教
2 高度成長の光と影
拡大期の長崎市政/市域の拡大/市街地拡大
と都市基盤の整備/急拡大する長崎経済/経
済成長と市民社会/児童生徒増加と教育の充
実/平和運動の進展/国際交流の推進
3 経済の成熟と福祉社会
転換期の長崎市政/市域の拡大/都市再生構
想の展開/長崎大水害と防災都市建設/低成
長下の長崎経済/経済の成熟と市民社会/教
育の環境変化と転換/平和運動の広がり/国
際交流の拡大
4 社会構造の変化と新長崎市
社会構造の変化と長崎市政/新長崎市
の誕生/まちづくりの展開/経済構造
の変化と長崎経済/少子高齢化と市民
社会/少子化等と教育の再編/平和運
………動の国際的展開/国際交流の新たな展
5 現代長崎の文化
年中行事等/宗教/芸術芸能と文化活
動/食と食文化/方言/文化財/文化
施設等/長崎学の系譜/出版と報道
6 平成の合併町の概要
香焼町/伊王島町/高島町/野母崎町
/外海町/三和町/琴海町
付表
長崎市の人口/長崎市の年齢別人口/
長崎市の地区別人口/長崎市の外国人
登録数/平成の合併前の長崎市および
各合併町の市町民経済計算(総生産額)
/長崎市の市民経済計算/長崎市の選
挙状況と市長・市議会議長(第2次大戦
後)/歴代市長/平成の合併町の町制
移行後の町長・町議会議長/長崎市の
市域拡張にともなう編入町村の町郷名
/住居表示の実施による新旧町名

第5章

第6章

1952年式典(平和式典の原型)

1952年式典(平和式典の原型)

1951年(昭和26年)9月9日、サンフランシスコで対日講和条約が調印され、翌52年4月28日発効した。これにより、占領下においてタブーとなっていたさまざまな動きが一気に噴き出すこととなった。51年10月19日、戦後初の広島県戦没者合同慰霊祭が広島県遺族厚生連盟により行われ、翌52年5月2日には、広島県主催の戦没者追悼式が開催された。東京の出版社は、51年10月『原爆の子-広島の少年少女のうったえ』(長田新編、岩波書店)、52年4月『原爆の図』(丸木位里・赤松俊子、青木文庫)、6月『原爆詩集』(峠三吉、青木文庫)、8月『原爆第一号 ヒロシマの写真記録』(海野彪、田島賢裕、朝日出版社)、『広島-戦争と都市』(岩波写真文庫)、9月『詩集原子雲の下より』(峠三吉編、青木文庫)など、原爆被害の実態を取り上げた書物をつぎつぎに出版した。また『アサヒグラフ』(52年8月6日号、「原爆被害の初公開」)、『改造』(52年11月増刊号、「この原爆禍」)といった雑誌が、原爆特集を行なった。
独立後初の平和式典は、平和記念公園内に新設された原爆死没者慰霊碑前広場で午前8時から1時間、つぎの式次で開催された。
開式の辞 (坂田助役)
慰霊碑除幕(戦災孤児5名)
広島市原爆死没者過去帳奉納(浜井市長)
焼香   (戦災孤児2名)
式辞 (永田市会議長)
平和の鐘、黙とう(午前8時15分)
平和宣言 (浜井市長)
放鳩
メッセージ朗読 吉田首相(代読:河野副知事)、岩本衆院副議長(代読:佐竹代議士)、三木参院副議長、英連邦軍呉基地司令官パットン代将、大原広島県知事(代読:河野副知事)、山中県会副議長
平和の歌合唱 (NHK広島放送局合唱団)
閉式の辞
式典には、前年同様、空からの参加が見られた。岩国基地駐留英連邦軍機が、山口県岩国渉外局長、毎日新聞記者ら6名を同乗させて式場上空を旋回し、三色の花輪をパラシュートに付けて投下、朝日新聞本社機「さちかぜ」も花束と同社村山会長のメッセージを投下した。また、NHKは、飛行機と地上を結ぶ二元放送による式典の実況放送を行ない、その途中で花束を投下した。

慰霊式(1951年)

慰霊式・平和記念式典(1951年)

1951年(昭和26年)5月10日、第1回と第2回平和祭の式典会場となった平和広場の平和塔の除去作業が始まった。直接の理由は、「都市美観上と同地が記念公園となるため」(「中国新聞」1951年5月12日)であったが、平和祭の終幕を象徴するできごとであった。
1951年7月25日、浜井広島市長は、各国主要都市200、国内各市300へメッセージを送付し、そこで原爆6周年の平和式典を開催することを明らかにしている。しかし、この年の平和祭の準備は、スムーズには進んでいなかった。平和祭分担金45万円の追加予算案が可決したのは8月4日の定例広島市会においてであった。
8月3日、広島市警と同公安委員会は、平和祭典委員会、平和擁護委員会などが許可申請を出していた市民広場と荒神小学校での平和大会を禁止するとともに、市民に向けてつぎのような声明を発表した。
平和祭は認めるが、これは同日を市民の厳粛な祈りとする建前であって、平和運動の美名にかくれて反占領軍的あるいは反日本的行動は断じて許されぬ。市民はこのことを十分了解されて、不用意にこの種集会などに参加して政令第325号違反あるいは公安条例など違反に問われることのないよう注意していただきたい。(「中国新聞」1951年8月4日)
この年の式典は、8月6日7時30分から10時まで戦災供養塔前広場で開催された。その式次第はつぎのようなものであり、平和祭というより広島平和協会主催の慰霊祭と言ってもよいようなものであった。
開会の辞  (吉田平和協会事務局長)
慰霊祭   修祓(教派神道)、献花祈祷(キリスト教)、□[判読不能]辞(神社庁)、敬白文奏上、読経回向(仏教)、玉串奉献(教派神道)、賛美歌
献花(浜井平和協会会長)、焼香(藤田供養会長)、玉串拝礼(森保、長岡遺族代表)
黙とう(サイレン)
記念式典
あいさつ  浜井市長
メッセージ 吉田首相、林衆議院議長、佐藤参議院議長、大原広島県知事
平和の歌
閉会の辞
中国新聞社と広島県・市は、アメリカ空軍岩国基地の要請により、朝鮮戦争に50回以上出撃したパイロット20数名を式典に招待していた。また、岩国基地所属の飛行機から花輪が投下され、霊前に供えられた。
この年は、原爆死没者の7回忌に当り、さまざまな団体によって8月6日に向けて多くの慰霊祭が開催された。