『広島市議会史 昭和(戦後)編』(広島市議会編・刊、19900331)
章節 |
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1 |
戦争終結と広島市 |
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1-1 |
被爆による戦後 19 |
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1 歴史を決めた白い光 19
2 市の応急措置 24 |
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1-2 |
市会議員の被爆 36 |
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1-3 |
敗戦と占領 48 |
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1 8月15日までの応急事務 48
2 戦後処理 54 |
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1-4 |
新市政の発足 60 |
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1 戦後初の市会 60
2 復興の試み 65 |
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1-5 |
市会の記録 70 |
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1 市長の選出 70
2 官公庁等市内復帰の要望 76 |
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2 |
再建の基礎 |
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2-1 |
財政難の現実 81 |
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1 戦後初の予算編成 81
2 財源問題 86 |
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2-2 |
浜井市政の開始 89 |
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1 最初の市長選挙 89
2 行政機溝の改変と制度の転換 94 |
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2-3 |
戦後第1回の市会選挙 98 |
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1 全市1選挙区制の採用 98
2 市会制度の整備と運営 103 |
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2-4 |
広島平和記念都市建設法の成立 111 |
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1 請願から特別法へ 111
2 法案通過と住民投票 117 |
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2-5 |
市議会の記録 119 |
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1 法制定過程についての報告 119
2 感謝決議と現実問題 123 |
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3 |
戦後改革と市政 |
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3-1 |
市町村主義への転換 137 |
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1シャウプ勧告 137
2 諸改革への対応 139 |
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3-2 |
自治体警察の顛末 148 |
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1 公安条例の制定 148
2 自治体警察の廃止 153 |
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3-3 |
誘致の努力と成功 159 |
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1 第6回国民体育大会とカープ出資 159
2 工場誘致 164 |
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3-4 |
議員定数問題と選挙 169 |
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1 定数削減の論議 169
2 26年統一選挙 175 |
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3-5 |
市議会議員選挙当選無効事件 178 |
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1 問題の経過 178
2 事件の幕切れ 184 |
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4 |
施設の拡充と市政 |
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第1節 市民球場とバスターミナル 189
1 市民球場の建設まで 189
2 バスターミナルの建設 195
第2節 治水・取水問題 203
1 太田川改修工事の完成 203
2 太田川分水問題と土師ダム負担金 208
第3節 中核都市への構想と対応 219
1 大広島構想の継続 219
2 広島市開発公社の設立 225
第4節 大規模施設をめぐる紛争 230
1 市営火葬場建設問題 230
2 空港 236
第5節 市議会の規模(施設と定数)241
1 新議事堂の建設 241
2 定数問題再び 248 |
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5 |
原爆問題への新たな対処 |
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第1節 原水爆禁止へ向けて 253
1 原水爆禁止運動と市議会 253
2 原水爆・核兵器の禁止を求めて 257
第2節 被爆者対策・被爆者医療を求めて 263
1 被爆者対策の開始 263
2 原爆医療法の成立と展開 268
第3節 被爆者の全面的援護を求めて 278
1 原爆特別措置法へ向けて 278
2 被爆者援護法を求めて 283
第4節 平和施設の設置 293
1 広島平和記念都市建設法の制定と市議会の対応 293
2 原爆ドーム 301 |
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6 |
民生と福祉 |
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第1節 同和対策事業 309
1 戦後当初の同和対策行政 309
2 同和対策行政の発展 313
第2節 失業対策事業 316
1 失業対策事業の開始と発展 316
2 失業対策事業の縮減へ向けて 319
第3節 医療機関の充実 323
1 広島市立舟入病院 323
2 社会保険広島市民病院 325
3 広島市立安佐市民病院 328
第4節 社会福祉事業の開始 331
1 戦後当初の社会福祉 331
2 国民健康保険事業 337
第5節 高齢化社会へ向けて 342
1 社会福祉施策の展開 342
2 高齢化社会への対応 351 |
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7 |
教育行政 |
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第1節 教育委員会 363
1 戦前の地方教育行政 363
2 教育委員会の変遷 364
第2節 小・中学校、高等学校 375
1 小学校および中学校 375
2 市立高等学校 385
第3節 幼椎園とその他の市立学校 393
1 幼椎園 393
2 その他の市立学校 401
第4節 広島大学移転 404
1 新制広島大学の誕生 404
2 統合移転へ向けて 406
3 広島市および市議会の対応 410 |
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8 |
草の根民主主義のために |
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第1節 図書館の発展 427
1 CIE図書館と市立浅野図書館 427
2 市立中央図書館と公文書館 430
第2節 冷戦の中の姉妹都市 431
2 ホノルル 432
3 ボルゴグラード 437
第3節 新たな国際友好の動き 446
1 ハノーバー 446
2 重慶 453
第4節 安全な環境づくり 455
1 市議会の暴力追放決議 455
2 都公害からの自由 459
第5節 市議会議員定数条例問題 470
1 民主主義と議員定数 470
2 直接請求の提出と市議会の対応 472 |
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9 |
政令指定都市への歩み |
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第1節 大広島構想による編入合併 487
1 戸坂村の編入 487
2 中山村・井口村の編入 490
第2節 広域合併 494
1 14カ町村の合併 494
2 合併をめぐる紛争 503
第3節 目標の確定 507
1 調査研究の進行 507
2 政策の転換 514
第4節 目標の実現 521
1 政令の公布 521
2 区設置条例の成立 529
第5節 指走都市移行の背景 537
1 基本構想の改定 537
2 自治省の視点からの折衝経過 541 |
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10 |
政令指定都市としての広島市 |
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第1節 区名決定の経緯 555
1 行政区画研究会案 555
2 区名決定まで 559
第2節 制度的移行の概要 563
1 制度としての指定都市 563
2 事務移譲 568
第3節 区役所の組織と機構 571
1 行政区の理念 571
2 区役所設置 578
第4節 昭和55年度への対応 584
1 予算編成と条例・規則の制定・改廃 584
2 予算と施策の概要 586
第5節 人事問題の波紋 597
1 副議長不信任 597
2 議員・市長・助役 606 |
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11 |
大都市建設事業 |
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第1節 西部開発事業の完成 615
1 事業の経緯 615
2 補償と市議会議員 620
第2節 市庁舎の完成・改修 626
1 本庁舎の新築 6262 議事堂としての南庁舎改修 632
第3節 市街地整備事業のあらまし 637
1 基町地区再開発 637
2 段原再開発 642
3 駅前再開発 648
第4節 臨海部開発の構想 652
1 21世紀ビジョンの作成 652
2 メッセ・コンベンション・ゾーンの計画 657
第5節 広島西部丘陵都市構想の具体化 667
1 新都心形成の夢 667
2 都市建設に向けての論議 677 |
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12 |
国際平和文化都市としての成熟を目指して |
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第1節 ごみ戦争と環境浄化 687
1 都市化と廃棄物 687
2 し尿処理 694
第2節 交通問題構想と総合交通体系 698
1 道路・交通の現況と取組み 698
2 新交通システム 711
第3節 平和アピールの継続 720
1 非核3原則 720
2 被爆40周年 727
第4節 文化行政の諸相 732
1 文化懇話会の提言から 732
2 都市美と現代美術館 740
第5節 市制100周年前後 748
1 昭和の終わり、平成の始まり 748
2 海と島の博覧会からアジア競技大会へ 753 |
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付録 |
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1 歴代市議会議長・副議長および市議会議員名簿 763 |
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2 市議会開会の記録 772 |
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3 会派の推移 789 |
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あとがき |
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止
「特集 広島に聞く・広島を聞く」<インタビュー: 浅井 基文>(『広島平和研究所ニューズレター』)
回 |
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巻号・発行年月 |
1 |
広島は疲れている(舟橋喜惠・広島大学名誉教授) |
8-3・200603 |
2 |
言行一致こそヒロシマの心(平岡敬・前広島市長) |
9-1・200607 |
3 |
被団協50年――回顧と展望(坪井直・広島県原爆被害者団体協議会理事長) |
9-2・200611 |
4 |
差別ではなく共生を(李実根・在日本朝鮮人被爆者連絡協議会会長) |
9-2・200703 |
5 |
被爆者は私の教育者(鎌田七男・広島原爆被爆者援護事業団理事長/広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園園長) |
10-1・200707 |
6 |
ゲンは怒っている(中沢啓治・漫画家) |
10-2・200711 |
7 |
もう一つの被団協(金子一士・広島県原爆被害者団体協議会理事長) |
10-3・200803 |
8 |
きのこ会と原爆投下質問(秋信利彦・元中国放送記者) |
11-1・200807 |
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<2008年3月号 金子一士氏『もう一つの被団協』への見解と回答>
心外だが、すべてを未来のために(坪井直)
金子一士氏と浅井基文氏への一言(森瀧健一郎)
確認とお詫び(金子一士)
回答(浅井基文) |
11-1・200807 |
9 |
前・廿日市市長 平和と岩国を語る(山下三郎・広島県社会福祉協議会会長/前廿日市市長) |
11-2・200811 |
10 |
詩人・御庄博巳と医師・丸屋 博(丸屋博・広島共立病院名誉院長) |
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11 |
児童文学作家・那須正幹氏の目線における広島(那須正幹・児童文学作家) |
12-1・200907 |
12 |
原爆症認定訴訟の画期的意義と残された問題(渡辺力人・原爆認定証を求める集団訴訟を支援する県民会議事務局長) |
12-2・200911 |
13 |
被爆・占領下の広島を語り残す(大村英幸氏・広島青年文化連盟初代委員長) |
12-3・201003 |
14 |
広島原水禁活動40年をふり返る(横原由紀夫・元原水爆禁止広島県協議会事務局長) |
13-1・201007 |
15 |
原水禁第9回世界大会を回顧する(北西允・広島大学名誉教授) |
13-2・201011 |
16 |
反核平和運動に生きて(佐藤光雄・日本平和委員会代表理事) |
13-3・201103 |
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止
『平和の推進』(広島平和文化センター、19710331)
内容
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頁 |
見出し |
備考 |
02 |
まえがき(広島市長 山田節男、19710331) |
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03 |
平和運動の推進 |
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1基本方針 |
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2事業推進の体系 |
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04 |
3平和精神の確立 |
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05 |
平和文化施設の整備 |
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06 |
平和文化推進審議会 |
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1 平和を推進する指針緒作成 |
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(1)「平和の歩み」 |
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(2)平和と教育「ヒロシマの証言」 |
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(3)映画「ヒロシマ・原爆の記録」 |
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07 |
2 原爆被災者の究明 |
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(1)原爆被災全体像調査 |
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(2)原爆被災資料保存の要請 |
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08 |
(3)ABCCについて |
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3 平和祈念式典について |
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(1)式典 |
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(2)平和宣言 |
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4 国際平和会議の開催 |
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09 |
5 国際文化会館の構想について |
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6 平和記念施設の整備について |
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7 平和文化団体の提携 |
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平和文化推進審議会委員名簿 |
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10 |
ヒロシマをすべての人の心に |
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平和文化図書の発刊/原爆記録映画の制作・公開/原爆死没者の調査/原爆死没者名簿公開 |
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22 |
ひとりひとりの心に平和の砦を |
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平和文化市民講座/平和を語る市民集会/原爆被災全体像調査のための市民集会/文化活動 |
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43 |
世界平和への道 |
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平和宣言 |
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世界連邦運動 |
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国際文化会館(仮称)の建設 |
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53 |
平和文化センターの歩み |
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57 |
資料 |
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止
広島県名誉県民 出典:広島県名誉県民 – 顕彰 | 広島県 (hiroshima.lg.jp)
氏名 |
氏名よみ |
生、没年月 |
事績 |
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井伏 鱒二 |
いぶせ・ますじ |
平成5年7月10日 逝去 |
小説家。代表作に「黒い雨」。昭和41年 文化勲章受章 |
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灘尾 弘吉 |
なだお・ひろきち |
明治32年12月21日佐伯郡大柿町生まれ。平成6年1月22日 逝去 |
昭和27年から31年間にわたり,衆議院議員として活躍。この間,文部大臣(6回),厚生大臣(1回)を歴任,また,昭和54年には第61代衆議院議長に就任。全国社会福祉協議会会長として社会福祉の充実に努める。 |
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織田 幹雄 |
おだ・みきお |
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奥田 元宋 |
おくだ・げんそう |
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圓鍔 勝三 |
えんつば・かつぞう |
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岡田 善雄 |
おかだ・よしお |
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平山 郁夫 |
ひらやま・いくお |
昭和5年6月15日豊田郡瀬戸田町生まれ。平成21年12月2日 逝去。 |
日本画家。仏教を主題にした幻想的な作風を確立し,シルクロードシリーズなどの連作で日本画壇に清新の境地を開拓するとともに,アンコール遺跡をはじめとする世界各地の文化遺産の保護活動に尽力。代表作に「仏教伝来」「入涅槃幻想」「広島生変図」「祇園精舎」など。平成10年 文化勲章受章 |
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阿川 弘之 |
あがわ・ひろゆき |
平成27年8月3日 逝去 |
小説家。代表作に「春の城」「雲の墓標」「山本五十六」「志賀直哉」など。平成11年 文化勲章受章。 |
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井口 洋夫 |
いのくち・ひろお |
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新藤 兼人 |
しんどう・かねと |
明治45年4月22日広島市生まれ。平成24年5月29日 逝去 |
シナリオ作家・映画監督。
代表作に「原爆の子」「裸の島」「竹山ひとり旅」「午後の遺言状」「三文役者」など |
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宮澤 喜一 |
みやざわ・きいち |
大正8年10月8日生まれ。平成19年6月28日逝去 |
昭和28年参議院議員に初当選,昭和42年からは衆議院議員として連続12回当選。この間,内閣総理大臣をはじめ,大蔵大臣,経済企画庁長官などの要職を歴任するなど,50年にわたり,国政をリード。政治・経済・外交の指導者として,わが国の繁栄と世界平和の推進に努める |
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三宅 一生 |
みやけ・いっせい |
昭和13年4月22日広島市に生まれる。(平成22年12月16日顕彰) |
衣服デザイナー。
平面である布と立体としての身体との関係を独自の眼で捉え直し,「一枚の布」という画期的な衣服づくりの概念を世界に広めた。長年にわたり常に第一線でファッション界をリードするとともに,日本のみならず世界各地で活躍し,国際的にも高い評価を獲得している。
平成22年 文化勲章受章 |
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止
広島平和文化センター主催「長崎原爆犠牲者慰霊の会」2003年~<作業中>
回 |
年 |
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1 |
2003 |
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2 |
2004 |
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3 |
2005 |
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4 |
2006 |
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5 |
2007 |
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6 |
2008 |
|
7 |
2009 |
|
8 |
2010 |
|
9 |
2011 |
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10 |
2012 |
|
11 |
2013 |
|
12 |
2014 |
会場:原爆資料館。参列者約50人 |
13 |
2015 |
|
14 |
2016 |
|
15 |
2017 |
会場:原爆資料館。参列者約100人 |
16 |
2018 |
会場:原爆資料館。参列者約30人 |
17 |
2019 |
会場:原爆資料館。参列者約100人 |
18 |
2020 |
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2021 |
新型コロナウィルス感染拡大のため中止 |
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2022 |
会場:原爆資料館。参列者約50人 |
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止
長崎被爆者団体一覧表
団 体 の 名称等 |
設 立 年 月 |
主 な 事 業 内 容 |
長崎原爆被災者協議会(一般財団法人) |
19560623設立
19630529財団法として認可
20140401一般財団法人として認可
|
・「ふたたび被爆者をつくらせない」ために核兵器廃絶
の実現をめざす
・日本政府に「核兵器禁止条約」の批准を求める
・国家補償の被爆者援護法をめざす
・戦争に反対し、平和な世界の実現をめざす
・原爆被害の実相を国の内外へ伝える
・「原発ゼロとエネルギー政策の転換」を求める
・「被爆体験者」への支援をおこなう
・被爆2世、3世の対策の強化をはかる |
長崎原爆遺族会 |
|
・原子爆弾被爆の実相の継承
・核兵器廃絶に適う世界平和実現へ。核ゼロにするた
め、世界の人々の役に立つ知見の共有化を求めて、努
力する。
・被爆者への援護施策の改善と相談・支援・絆の強化。
・原爆死没者の遺族や二・三世、体験者、在外被爆者等
への対策の確立。
・あの日と未来のために!原爆遺構の世界遺産登録に他
の団体と協力、努力する。 |
長崎県被爆者手帳友の会 |
19670618 |
・国家補償の原則を求め、被爆者援護法の充実
・被爆者の相互扶助・親睦を図り、明るい市民生活を促
進
・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世、三世対策の強化
・被爆「体験者」の支援
・核兵器廃絶、恒久平和実現のための国際交流 |
長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会 |
19750129 |
・被爆者援護法の国家補償法への改正
・被爆者医療援護、生活補償の拡充
・原爆症認定、在外被爆者、「被爆体験者」など被爆者
問題の抜本的解決
・被爆二・三世対策の確立
・「核兵器禁止条約」の締結、核廃絶、脱原発(省エネ
を基本に、自然エネルギーを基幹エネルギーへ)
・反戦・平和・護憲、人権と民主主義の確立
・安保法制の廃止、立憲主義の回復 |
長崎県被爆者手帳友愛会 |
1979 |
・核兵器廃絶と世界平和の確立
・拡大地域の処遇の改善要求(12km以内の未指定地域を
被爆地域に)
・被爆者援護法を国家補償の精神に基づいた援護法に
・被爆二世の健康診断の充実(ガン検診の実施を)
・被爆した親の影響を受けて発病したものと思われる病
気については被爆者と同等の取り扱いをすること
・被爆認定の距離的条件を撤廃 |
長崎原爆被爆者の会 |
200004 |
・高齢化する被爆者援護の充実
・核廃絶と世界平和の実現
・被爆者の社会的、経済的地位の確立
・被爆二世定期健診の充実と施策強化
・被爆者の相互扶助と親睦 |
長崎県原爆被爆者島原半島
連合会 |
199705 |
・核兵器廃絶と世界平和の確立
・被爆者援護法の充実強化
・被爆者の保健・医療・福祉の充実
・被爆実態の調査研究と啓発活動の促進
・被爆者のための文化向上と生活相談
・被爆二・三世の定期健診の法制化と医療費の国庫負担 |
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出典:長崎市│原爆被爆者対策事業概要 (nagasaki.lg.jp)
止
年表:灯ろう流し
年 月日 |
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1947 |
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0714 |
広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。 |
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47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。 |
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1948 |
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0806 |
広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。 |
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1950 |
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0806 |
中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日) |
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1952 |
ひろしま川祭委員会 |
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広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日) |
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第1回52年8月9-10日。
9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会
相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し
10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会 |
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0806 |
午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。 |
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1953 |
ひろしま川祭委員会 |
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第2回53年8月8日。
6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し
8日、水上音楽会と花火 |
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1954 |
ひろしま川祭委員会 |
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第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。
中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯
横川地区=7-8日、横川橋下、700灯
己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯
十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯
鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯
駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯
段原地区=7日、大正橋下、300灯
6日、5、000個のとうろう
8日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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0806 |
午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。 |
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0806 |
本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。 |
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1955 |
ひろしま川祭委員会 |
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第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。
6日、8、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1956 |
ひろしま川祭委員会 |
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第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。
6日、10、000個のとうろう
7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1957 |
ひろしま川祭委員会 |
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第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。
6日、15、000個のとうろう
相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏
7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1959 |
ひろしま川祭委員会 |
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第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。
6日、1万個のとうろう
広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島)
7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会 |
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1960 |
ひろしま川祭委員会 |
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第10回61年8月6-7日。
6日、6つの川でとうろう流し。 |
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0806 |
広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し |
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1962 |
ひろしま川祭委員会 |
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第11回62年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会
11-12日、市民球場で盆おどり大会 |
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1963 |
ひろしま川祭委員会 |
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第12回63年8月6-7日。
6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。
7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会 |
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1964 |
ひろしま川祭委員会 |
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第13回64年8月6日。
6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。 |
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1965 |
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0807 |
広島市・中国新聞社など共催とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個 |
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0814 |
広島広島悲願の会とうろう流し
(雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個
太田川夏祭=盆踊大会と花火大会 |
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1973 |
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0806 |
5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。 |
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1976 |
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0806 |
とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。 |
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環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意 |
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止
とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)
実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス
年 |
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1973 |
とうろう流し。約1万2000個。 |
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2005 |
とうろう流し。 |
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2009 |
とうろう流し。約9000個。 |
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2010 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2012 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2013 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2014 |
とうろう流し。約9000個。 |
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2015 |
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市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回) |
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2016 |
ピースメッセージとうろう流し |
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2017 |
とうろう流し。約1万個。 |
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2018 |
ピースメッセージとうろう流し |
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2019 |
原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。 |
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2020 |
新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。 |
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2021 |
新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。 |
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止
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