「22 平和記念都市」カテゴリーアーカイブ

平和復興祭(1946年)

平和復興祭(1946年)

1946年(昭和21年)4月、広島市町会連盟は、原爆1周年を記念して平和復興祭を開くことを計画し、広島市にその旨を申し入れた(佐伯武範「被爆翌年の平和復興祭のいきさつ」)。また、6月28日には広島県商工経済会が広島市本通商店街復興協議会とともに、世界平和記念祭のプログラムを作成し、広島市に建議している。広島市は、こうした市民の声に呼応して、7月初め、8月6日を中心に平和復興祭を開催することを計画した。その意図は「8月6日を戦争放棄世界平和の記念日として後世に伝えるとともに文化的平和都市として再建に努力する市民に希望を与える」ことにあった(「中国新聞」1946年7月6日)。
プレス・コード(1945年9月19日指令)以後、原爆報道は鳴りを潜めていたが、被爆1周年前後には、原爆についての記事がセンセーショナルな形で出現した。
中国新聞には、「恩讐越ゆ’‘世界の都”」(7月31日)、「原子爆弾落ちて一年 特攻基地の捉へた爆発の瞬間 天降る¨平和の序曲’」(8月1日)、「けふぞ巡り来ぬ平和の閃光」(8月6日)といった見出しが踊っている。
8月5日午前7時半から護国神社跡で、広島市町会連盟主催の平和復興市民大会が、つぎのような式次で開催された。
開会挨拶 (仁都栗司町内会連盟理事長)
挨拶   木原七郎市長。市議会議長
来賓挨拶 ハービー・サテン少佐(広島市復興顧問)、楠瀬   常猪知事、水野呉市長、糸川中国新聞社編集局長(大会後援者代表)、戦災孤児(広島戦災児育成所)
宣言・決議(大内町内会連盟事務局長)
閉会の辞 (小坂商工経済会理事長)
戦災礼拝堂参拝(慈仙寺鼻)(「中国新聞」1946年8月6日)
この大会には。市民約7.000人が参加したと報じられている。翌6日には、戦災死没者1周年追悼会が、午前6時半から中島本町の慈仙寺鼻に新築された礼拝堂で、神道。仏教、キリスト教、教派神道の順序により約6時間にわたり執行された。これは、広島市、宗教連盟広島県支部、広島市戦災死没者供養会が共同で閧催したもので、数千の市民が参列した。また。広島市は、6日の午
前8時15分に、黙とうをするよう市民に呼びかけていたが、その時の模様を、新聞はつぎのように報じている。
(前略)刻々と迫るあのピカリの一瞬、定刻8時15分に全市のサイレンが「平和の祈り」を市民に伝えた。それを合図に電車、自動車などの乗物、道行く人々も立ち止まり、オフィスでもペンを置いて、それぞれ静かにあの日の追憶と復興の決意を強固にする一分間の黙疇が捧げられた。この日この時の「平和の祈り」は戦争放棄を世界に宣言し、平和国家として再建するわが国で子孫永劫に続けられ民族の記念行事になることであらう。
(「中国新聞」1946年8月7日)

復興市民大会や慰霊祭のほかにも、経済、宗教、運動、教育、文化、報道、町内会などの各界により、つぎのような行事が繰り広げられた。

3~7日 復興美術展覧会、華道展(広島美術家連盟主催    於市役所議事堂)
4日   郷上楽人音楽会(於旭映画劇場)
5~6日 音楽会(於旭映画劇場)
5~7日 児童作品天覧会(於幟町国民学校)
5~7日 原子爆弾症医療無料医療相談所開設(於市内の学校、病院)、復興展示即売会(於広島県商工経済会)、農村感謝運動、廉売会(於商店街、公設市場)
6日 高田郡横田神楽団「追悼神楽」、戦災死没者1周年追悼法会(中島供養会主催 於中島本町供養塔前)、広島市復興事業起工式(広島市主催 於播磨屋町 広島ホテル跡)、短歌会(広島市主催 於市役所)
6~7日 映画会(於舟人旭劇場を除く市内劇映画館)
7日 戦災供養盆踊大会((11国新聞社主催 於基町護国神社跡)、英豪軍軍楽隊演奏(於旭劇場)
7~9日  子供デー(於旭劇場、比治山国民学校、福屋名画劇場)
11日 広島市体育大会(広島市体育協会主催 於県総合運動場など)

1991(平成3)年広島市平和記念式典資料

平成3(1991)年平和記念式典資料(広島市)

資料名 備考
001 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式実施要綱
002 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式式次第説明
003 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式進行表
004 広島市原爆死没者名簿奉安箱の清掃及び原爆死没者名簿への搭載実施について
006 広島市原爆死没者名簿記帳者
008 広島市原爆死没者名簿(平成元年)の追加奉納数
009 広島市原爆死没者名簿奉納数
010 平成2年に登戟する主な原爆死没者
011 広島市原爆死没者名簿奉納の要領
012 式辞・平和宣言要領
014 献花の要領
015 流れ献花要領
017 平和の鐘打鐘要領
018 あいさつの要領
019 平成3年の平和記念式典に関する参考事項
020 平和記念式典への同時通訳の導入等について
025 原爆死没者の慰霊並びに平和祈念の黙とうについて
027 原爆死没者の慰霊並びに平和祈念の黙とう並びに平和祈念の黙とうの実施状況調(平成2年度)
028 平成2年度の地方別黙とうの実施状況
034 海部内閣総理大臣来広日程
038 桜内衆議院議長来広日程
040 土屋参議院議長来広
042 池田防衛庁長官来広
043 越智経済企画庁長官来広
044 長崎市一行来広日程
048 平成3年広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式参列代表者名簿
049 平成3年遺族代表及び被爆者代表推薦要領(衛生局依頼文)
051 遺族代表、被爆者代表
057 全国原爆死没者都道府県遺族代表の概要
062 参列市民代表(流れ献花者)
063 流れ献花者の選定方法
064 特別来賓案内数総括表
065 特別来賓案内者名簿
072 外国人参列者名簿(来賓席)
073 外国人参列者名簿(団体席)
074 過去5年間の外国人参列者数一覧
075 ボランティア通訳配置計画
076 献水要領
077 黙とう依頼の周知方のサイレン吹鳴・鐘の打鐘の協力依頼
077 吹奏楽団・合唱団
079 放鳩行事に対する協力
079 流れ献花用花束及び「花一輪運動」用切花の寄附
080 ボーイスカウトの奉仕
080 参列者に対する湯茶の接待
081 式典会場の設営状況
083 式典会場見取図
084 交通規制図
085 業務分担表
088 式典参列者数調べ(45年~)
089 式典開催一覧
094 式典内容の変更調
099 海部内閣総理大臣への質問事項(地元記者)
099 記者会見質問要旨案(同行記者)
100 海部内閣総理大臣への重点要望項目
110 被爆者代表から要望を聞く会
117 平和記念式典電話番号簿
118 警備本部設置要領
123 警備班長・副班長名簿
127 内閣総理大臣等の来広日程表(8月6日)
128 当日警備スケジュール
130 通行禁止等開始時間
131 警備内容
133 参列者数の推移(市側発表者数)
134 配席表
135 あいさつ文集
148 第7回テレビ映像祭・国際平和シンポジウム・平和コンサートの夕べ
157 総理大臣出席状況
159 式典配席要望について

 

 

平和記念式典の変遷と平和宣言(広島新史歴史編)

平和記念式典の変遷と平和宣言(広島新史歴史編)

第1節 平和記念式典の変遷 476
第2節 平和宣言(昭和22年~昭和59年)486
昭和22(1947)年
写真:平和祭(8月6日 佐々木雄一郎撮影)
式典は、午前8時から9時までの1時間、中島町平和広場に新設した平和塔の前において、広島平和祭協会の主催により開催された。浜井信三広島市長の平和宣言朗読の後、マッカーサー連合軍最高司令官・英連邦軍司令官・米軍政部長・内閣総理大臣・衆参両院議長(以上代読)・森戸辰男文部大臣・楠瀬常猪広島県知事の8人のメッセージが相ついで発表された。
昭和59(1994)年
写真:献花する特別名誉市民代表(メアリー・マクミラン、フロイデ・W・シュモー 8月6日)
新奉納者4315人。参列者渡部恒三厚生大臣など約4万5000人。名誉市民(灘尾弘吉、愛宮真備)および特別名誉市民(マクミラン、シュモー)の4人が新たに献花に加わった。

 

監修のことば
軍都崩壊
第1節 原子爆弾の投下 2
第2節 敗戦 10
第3節 占領軍と軍政 14
第4節 民主主義 25
第5節 産業経済の危機 29
第6節 広島商人 34
第7節 教育改革 40
第8節 戦争記念物の運命 45
占領期の原爆問題
第1節 アメリカの原爆情報統制 50
第2節 原爆被害者 60
第3節 平和運動 71
原爆タブーからの解放
第1節 平和集会・平和大会 76
第2節 平和研究の出発 84
第3節 原爆症研究の再開 92
第4節 原爆被害者問題 101
第5節 原爆被害の実相の普及 109
原水爆禁止運動の出発
第1節 原水爆禁止世界大会 120
第2節 日本原水爆被害者団体協議会 131
第3節 原爆医療法 145
第4節 原爆被害者団体の諸相 162
原水爆禁止運動の展開
第1節 世界大会の継続開催 188
第2節 原水禁運動の高揚 207
第3節 安保問題と原水禁運動 238
第4節 原水禁運動の分裂 275
部落問題と部落解放運動
第1節 敗戦と部落解放運動の新展開 290
1 原爆被災と生活の実態 290
2 部落解放運動の成立 301
3 同和教育運動の発足 310
第2節 高度成長と部落解放運動の発展 324
1 社会構造の変化と生活実態 324
2 戦線の統一と大衆化路線 334
3 生活と権利を守る闘い 345
4 部落解放と被爆者救護の運動 367
青年運動の展開
第1節 市青連の発足 380
第2節 市青連の活動 383
第3節 原爆都市青年交歓会 289
第4節 青年たちによる平和運動 392
第5節 講和条約後の動向 396
教育機関の復興と6・3・3制の成立
第1節 原爆による教育機関の被害 400

1 教育機関の被害の概要 415
2 各教育機関の被害 405
第2節 当初教育機関の復興 415
1 集団疎開児童の引揚げ 415
2 国民学校の授業再開 418
3 学校の復興 424
第3節 3・3・3制の成立 439
1 戦後教育の新展開 439
2 新制中学校の発足 446
3 新制高等学校の発足 446
4 教育委員会の発足 468

平和記念式典の変遷と平和宣言
第1節 平和記念式典の変遷 476
第2節 平和宣言(昭和22年~昭和59年)486
世界の中のヒロシマ
第1節 広島への平和巡礼 564
第2節 広島からの平和巡礼 573
第3節 平和文化センター 581
付録 593
あとがき 613

『広島新史 歴史編(広島市、19841130)

 

内閣総理大臣挨拶(墨書き)

内閣総理大臣挨拶(墨書き)

名前 備考
昭和38年(1963) 池田勇人
昭和40年(1965) 佐藤栄作
昭和41年(1966) 佐藤栄作
昭和42年(1967) 佐藤栄作
昭和44年(1969) 佐藤栄作
昭和45年(1970) 佐藤栄作
昭和46年(1971) 佐藤栄作 本人
昭和47年(1972) 田中角栄
昭和51年(1976) 三木武夫 本人
昭和52年(1977) 福田赳夫 2種類残存
昭和53年(1978) 福田赳夫