『恒久平和論』(長谷信夫編、日本文化平和協会、19480831)
目次
| 絶対的平和論と相対的平和論 | 矢内原忠雄 | |
| 世界平和のために | 原随園 | |
| 平和国家の理念 | 天野貞祐 | |
| 平和日本とユネスコ | 森戸辰男 | |
| 恒久平和論 | 長田新 | |
| 装幀 | 南薫造 |
止
『恒久平和論』(長谷信夫編、日本文化平和協会、19480831)
目次
| 絶対的平和論と相対的平和論 | 矢内原忠雄 | |
| 世界平和のために | 原随園 | |
| 平和国家の理念 | 天野貞祐 | |
| 平和日本とユネスコ | 森戸辰男 | |
| 恒久平和論 | 長田新 | |
| 装幀 | 南薫造 |
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『原子力時代に於ける基督教-新島講座記念論文集』( 有賀鉄太郎編、聖光社刊、19480215 刊)=1947(昭和22)年8月4日-8日、同志社大学神学部で開かれた「新島講座」の講演記録。
目次
| 著者 | タイトル |
| 有賀鉄太郎 | 序 |
| 「この書に収められた諸篇は、昭和22年8月4日から8日に亘って同志社大学神学部に開かれた「新島講座」の講演に基づいたもの」 | |
| 湯浅八郎 | 原子力時代に於ける基督教 |
| 「文明のかかる欠陥を痛感するアメリカの学会は、戦時中より科学、宗教、哲学の三分野に亘り学会の権威をコロンビア大学に招集し年一度綜合研究会を開催することを試みた。1946年には第4回目の会合がコロンビア大学で開かれたが、その時最も大きな感銘と衝撃とを与えたものは、サタデー・リビュー・オブ・リテラチュアの主筆、カズン[ノーマン・カズンズ]氏の原子力時代に関する論文であった」 | |
| 山崎亨 | 旧約に於ける世界思想 |
| 富森京次 | 新約に於ける世界思想 |
| 有賀鉄太郎 | 初代基督教徒の世界思想 |
| 大塚節治 | 基督教世界観 |
| 湯川秀樹(招聘) | 現代科学思想 |
| 細野軍治 | 国際連合に就て |
| 安田貞雄(発題者) | 懇談会:農本文化と農村文化 |
| J.G.ヤング | 宗教教育の諸問題 |
| 魚木忠一 | 新島先生に於ける国家思想 |
止
『終戦の表情 鈴木貫太郎述 日刊労働文化別冊』(19460801)
内容
| 1 | 戦時最終内閣成る | ||
| 思召を心中深く體す 7 生死を超越して 11 余の戦争観 13 |
|||
| 2 | 和戦を胸中に秘めて | ||
| 呉越同舟内閣の評 18 自然科学者としての陛下 20 空爆下の陛下 23 獨逸の無条件降伏 25 特攻隊空し 28 |
|||
| 3 | 滅亡か終戦か | ||
| 我が方注目のポツダム宣言 31 原子爆弾とソ連参戦 33 死中に活を求めるか 35 御聖断下る 38 最終の御前会議 41 民衆と天皇 45 |
|||
| 4 | 無条件降伏の時の間に | ||
| 誠忠の人 阿南陸相 49 生き抜く日本 52 |
|||
| 5 | 敗戦日本の1年 | ||
| 誇大妄想から現実へ 54 誠実1本で再出発 56 平和への御役割 59 世界の理想 戦争抛棄 60 日本人として残したい美点 61 |
|||
止
『太平洋戦争史-奉天事件より無条件降伏まで』(連合軍総司令部民間情報教育局(提供)中屋健弋(訳)、高山書院、19460405)
内容
| 章 | 見出し | メモ |
| 訳者のことば<共同通信社にて> | ||
| 1 | 序言 | |
| 2 | 満州事変 | |
| 3 | 日本の華北侵略―第2次世界大戦の序曲 | |
| 4 | ||
| 5 | ||
| 6 | ||
| 7 | 日支事変 | |
| 8 | ||
| 9 | 欧州の危機は遂に大戦乱へ | |
| 10 | ||
| 11 | 日本軍ニューギニアに進出 | |
| 12 | ||
| 13 | 連合軍の対日猛攻 | |
| 14 | ||
| 15 | 東條首相の没落 | |
| 16 | フィリピンの戦ひ(1) | |
| 17 | フィリピンの戦ひ(2) | |
| 18 | 硫黄島と沖縄 | |
| 19 | 敗戦の年 | |
| 20 | 無条件降服 | |
| 原子爆弾の完成、最初の原子爆弾、第2回の原子爆弾)PP151-158。 | ||
| 太平洋戦争史年表 | ||
止
『終戦の前夜-秘められたる和平工作の諸段階』(大屋久寿雄著、時事通信社、19451215)
内容
| 頁 | |
| 02 | はしがき |
| 03 | 東条内閣の対ソ工作 |
| 06 | 小磯内閣の対ソ工作 |
| 10 | 鈴木内閣の対ソ政策決定 |
| 15 | 松岡・広田は起たず |
| 17 | 広田・マリック強羅会談 |
| 20 | 近衛公の派遣決定 |
| 22 | ソ連の回答即ち宣戦布告 |
| 26 | 御聖断遂に降る |
| 29 | 大詔渙発の前後 |
| 32 | 時事叢書 |
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『終戦記録-議会への報告書並に重要公文書輯』(朝日新聞社編、19451115)
| 頁 | 見出し | ||
| 003 | (序文)新日本への発足(有竹修二:朝日新聞社論説委員) | ||
| 8月15日玉音を拝す/鈴木内閣桂冠/、東久邇宮内閣成立/平和国家建設へ/精神的開国へ/マッカーサー司令部を迎へて/敗戦の実態を確認/ | |||
| 015 | 終戦の前後 | ||
| 021 | 帝国議会に対する終戦経緯報告書 | ||
| (外務省) | |||
| 087 | 帝国議会における東久邇首相殿下の御演説 | ||
| 097 | 連合軍の日本統治方針 | ||
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原子爆弾ニ依ル広島戦災医学的調査報告(1945年11月)
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平和と学問を守る大学人の会編『原爆と広島-大学人会研究論集第1集』(広島県教職員組合事業部、1954年12月10日)
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内容
| TITLE | AUTHOR |
| 原爆と広島-序にかえて | 佐久間澄 |
| 水爆と世界政治 | 今中次麿 |
| 原・水爆への態度-一心理学者の原爆研究ノートより | 久保良敏 |
| 原爆影響の社会学的調査 | 中野清一 |
| 原爆孤児 | 森滝市郎 |
| 原爆障害に悩む人びと | 原田東岷 |
| 「文芸作品に表れた原爆」序説-小説・記録篇 | 大原三八雄 |
| 石材と屋根瓦の被害からみた原子爆弾 | 小島丈児 |
| 原子爆弾の基礎的事実と日本の原子力問題 | 町田茂・庄野博允 |
| 編集後記 | 竹山晴夫 |
止
『「原爆の子」をうけついで こども・青年・市民の平和へのねがい』(「原爆の子」をうけつぐ会、本の泉社、20120806)
内容
| 頁 | ||
| 002 | 宇野豪 | はじめに (「原爆の子」をうけつぐ会会長、修道大学名誉教授) |
| 009 | 第1部 | 応募作品より |
| 009 | えみ かりん(小1) | 『8がつ6にちのこと』をよんで |
| 011 | えきだ あすか(小1) | せかいのへいわ |
| 011 | 森本あやか(小3) | 『おりづるの旅』を読んで |
| 014 | ||
| 014 | 鳥井原聖(小4) | 平和新聞 |
| 015 | 中元達也(小4) | ヒロシマに生まれて |
| 018 | 山下穂乃佳(小5) | 命の大切さ |
| 020 | 大原杏歌(小6) | 戦争はなくなるか |
| 022 | 藤川とも(小6) | 平和と戦争 |
| 024 | 遠藤正隆(小6) | 八月六日 |
| 026 | 尾形萌音(小6) | みんな同じ地球で生まれた仲間 |
| 028 | 渡辺香依(小6) | 命の尊さ |
| 030 | 玖村成(小6) | 後悔の後にあるもの |
| 032 | 好永るり佳(中1) | 平和を世界へ |
| 034 | 蔡志遠(中1) | 身辺の平和 34 |
| 036 | 寺本光希(中1) | 六十六年目を迎えた広島 |
| 038 | 山本研矢(中1) | 身近な平和 |
| 040 | 高部祐香(中1) | 次に伝えていくために |
| 042 | 槙場百香(中2) | 平和の大切さ |
| 043 | 小川稚果(中2) | 知らないことを知ってもらうために |
| 045 | 城代花佳(中2) | 『原爆の子』を読んで私が思ったこと |
| 047 | 八木稜平(中2) | 祖父の被爆体験をうけついで |
| 048 | 佐伯菜那(中2) | ヒロシマを学び語りつぎたい |
| 050 | 田羅理美(中2) | 他校との交流で深めあったこと |
| 052 | 市川里奈(中3) | 原爆の子 |
| 053 | 山田美咲(中3) | 私たちが気がつかなければいけない事 |
| 055 | 柴田龍人(中3) | 画面上の疑似戦争 |
| 057 | 岡智慧(高1) | 『原爆の子』を読んで |
| 060 | 上野結花(高1) | 広島高校生平和ゼミナールの活動の感想 |
| 062 | 鷹屋桃子(高2) | 空がとっても青いから |
| 065 | 秋山唯(高2) | 『原爆の子』を読んで |
| 067 | 川本彩子(高2) | 「世界に平和を」なんて言わない世界 |
| 070 | 芝亮祐(高2) | 『わたしがちいさかったときに』を読んで |
| 072 | 原田葵(高2) | 世界はいま平和か。平和でないとするとそれはなぜか。平和を妨げているものは何。自分に出来ることは何か。 |
| 075 | 加地真理子(高2) | 戦争とは、平和に反するものである |
| 077 | 馬場智大(大1) | 祖父の「記憶」を受け継いで |
| 085 | 梶山栞理(大3) | 私の考える「原爆の子」 |
| 088 | 窪川佐紀(大2) | 私の思う「原爆とむきあう」ということ |
| 092 | 中山結(大学院2) | 『原爆の子』を読んで今思うこと |
| 094 | 龍永直記(33歳) | 『原爆の子』をうけつぐ |
| 098 | 諏訪義圓(39歳) | 『原爆の子』がもたらす気付き |
| 102 | 上田寿世(49歳) | 子どもたちが命輝かせて生きる世界を |
| 105 | 宇城昌里子(49歳) | 命 生かされた つながって |
| 110 | 岡昌子(59歳) | 『原爆の子』を読んで |
| 114 | 大内正子(60歳) | 「母の記憶」から「私の記憶」へ |
| 116 | 藤井幸恵(68歳) | 蒔かれた種たち |
| 119 | (70歳) | |
| 120 | 大越和郎(71歳) | 『原爆の子』と私 |
| 選考委員講評 | ||
| 124 | 大槻和夫 | <委員長>『原爆の子』を受けつぐ文章を読んで |
| 129 | 大井健地 | ヒロシマのなお語られるべきもの |
| 131 | 柴田幸子 | こども達の感想文から思うこと |
| 133 | 三浦精子 | 「原爆の子」をうけついで 選考を終えて |
| 第2部 | 寄稿 | |
| 136 | 海老沼香織 | 広島スタディーツアーを終えて |
| 138 | 渡部久仁子 | 『ヒロシマと私』 |
| 141 | 忍岡妙子 | ヒロシマを伝え続けて |
| 144 | 長田真紀 | 精神の橋をかける |
| 147 | 長田五郎 | 父長田新の願い |
| 第3部 | 集い「『原爆の子』をうけついで」 | |
| 150 | 舟橋喜恵 | 記念講演「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」から学ぶもの |
| 170 | 資料 | |
| 174 | あとがき | |
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『いまに問うヒバクシャと戦後補償 【市民講座】いまに問う』(高橋博子・竹峰誠一郎責任編集、凱風社、20061020)
内容
| 1 | 二一世紀における平和秩序の構築を求めて | |
| 今こそ、原爆(核兵器)と劣化ウラン兵器の禁止・廃絶を! 木村朗 6 | ||
| 2 | <シンポジウム:主催=グルーバルヒバクシャ研究会> 未来の戦後補償 広島・長崎原爆、東京大空襲、重慶爆撃をむすぶ 23 |
|
| ●一日でも早く援護行政改革を 原爆症認定訴訟 田中熙巳 25 ●「受忍論」の突破をめざして 民間の空襲犠牲者訴訟 星野ひろし 36 ●加害意識を曇らせた「空からのテロル」重慶爆撃・中国人被害者対日訴訟 前田哲男 48 ◆被害者の立場で戦争責任を追及する意味<パネリストの発言を受けて>内藤雅義 60 ◆ドレスデンと東京・重慶を結ぶもの<パネリストの発言を受けて>柳原伸洋 63 【略年表】被爆者運動のあゆみ 66 |
||
| 3 | 原爆症認定集団訴訟が問いかけるもの | |
| 残留放射線による内部被曝の影響 沢田昭二 69 | ||
| 4 | ビキニとヒロシマ・ナガサキをつなぐ | |
| グルーバル・スケールの汚染とABCC 竹峰誠一郎 82 | ||
| 5 | <写真が語る>ビキニの「あの時」そして「現在」 | |
| クロスロード作戦から六〇年によせて 高橋博子・竹峰誠一郎 90 | ||
| 6 | <写真が語る>ニュークリア・レイジズム | |
| 核による人種差別 豊崎博光 106 | ||
| 7 | チェルノブイリ原発事故二〇年 | |
| 地域社会がまるごと消滅 今中哲二 118 | ||
| 8 | 放射能の脅威は我らが生活の間近かに迫る | |
| 映画「六ケ所村ラプソディー」の制作に取り組んで 鎌仲ひとみ 130 | ||
| 9 | ヒロシマからウラン兵器禁止を訴える | |
| 「ウラン兵器禁止を求める国際連合」国際大会報告 振津かつみ 141 | ||
| 10 | 隠されたヒロシマ・ナガサキの実相 | |
| 民間防衛計画(国民保護計画)にみる核対策 高橋博子 153 | ||
| あとがき 162 | ||
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