「06 書誌」カテゴリーアーカイブ

書誌1952年

書誌1952年

月日 書名 編著者 発行所 備考
0101 歌集・原子雲 品川楊村 白菊会 原災研第4集。広島。
0115 岩国組曲・交響詩 御庄博実 文芸旬報社 原災研第4集。5章烙印PP28-32。
0115 水素爆弾と世界 伏見康治 弘文堂 [目次]1.現代物理学の発展、2.水素爆弾と世界
0120 社会保険年鑑1952 山西英郎(編)・広島県保険課(監修) 広島県社会保障研究所
0133 DOME1 広島大学皆実分校学友会編 原災研第4集。広島に於ける文学活動PP18-22。[広島大学]
0201 国際平和読本-国際連合を中心として 小谷鶴次 関書院 [広島大学]第3章原子力と国際法。500530の改定版か?
0210 お父さんを生かしたい-平和を叫ぶ子らの訴え さがわみちお編 青銅社 原災研第4集。斉藤精三、神孝、飯口昭子、岩谷千鶴、中村昭三、根岸忠、原田治、伊ケ崎明子。(広島)。
0210 ケロイドの頬・詩集 佐々木邦彦 文童社 原災研第4集
0227 原爆の子に応えよう-少年少女たちのねがい 大阪大学理学部学生自治会(編)
1=COPY。今堀資料。編者は1951年秋に「原子力展」を開催。その後の批判会で「原爆の子に応えよう!」との声が満場一致で決まり作文を募集。
0301 いとし子と耐えてゆかむ-戦争未亡人の叫び 植村環・平林たい子・田辺繁子編 主婦之友社 主婦之友社の呼びかけに応じた作品から選ぶ。[原爆体験記](戦争未亡人の手記50篇のうち広島被爆者の手記1篇):広島の原爆に夫を失う(千葉県・西村美津子)P174-178.
0301 群生-第十八年刊歌集 添田博彬編 九大医学部短歌会 黒田吉男、永松淳雄(長崎)、右田俊介。
0315 詩集・風の子物語 増岡敏和 謄写刷。
0325 日本にいるアメリカ人-ソヴェト記者のニッポン日記 クルガノフ 五月書房 [長崎取材記]
0325 危機の学生運動-歴史とその展望 新井恒易 明治書院 U
0401 原子力1952年版 沢宗誠編 青山書院
0405 永井博士を憶う 如己堂会編 中央出版社
0410 原爆の図-画集普及版 丸木位里・赤松俊子 青木書店 [目次]原爆の図-5部作全図、4分の1図と部分拡大図、[附]「原爆の図」解説、 大衆が描かせた悲願の図-画集普及版によせて、世界平和文化賞「原爆の図」すいせんの言葉(大山郁夫・日本文化人会議)、「原爆の図」の芸術的価値について(内田巌)、感想文集。
0425 藤野七藏氏追懐録 藤野七藏氏追懐録編纂委員会(編) (広島瓦斯会社内) (4)原爆の廃墟に起ち上がる-瓦斯事業の復興PP38-48。
0425 永井隆の生涯 片岡彌吉 中央出版社 [目次]第11医療隊、再建、すりこぎ先生、如己堂、毀誉褒貶、浦上の子供、ばらの花、聖母像、この子を残して、臨終、解剖・市公葬、年譜など
0429 天皇陛下を語る[改訂版] 萩萩月 愛花書院 第3編天皇陛下九州路え御巡幸
0430 創作代表選集9-昭和二十六年後期 日本文芸家協会編 大日本雄弁会講談社 「カキツバタ」(井伏鱒二)PP91-108、「永遠のみどり」(原民喜)PP135-151、「贋きりすと」(丸岡明)PP195-238。
0501 終戦史録 外務省編 新聞月鑑社 第37篇原子爆弾の投下
0501 句集・平和祭 野田不死鳥 「夜」発行所 原災研第4集。
0503 日本無罪論-印度・パール判事述-真理の裁き- 田中正明編 太平洋出版社 「原子爆弾の汚点」PP84-85。「原子爆弾の責任」PP253-254。
0520 大本営発表 松村秀逸 日本週報社 「原爆広島に落つ」PP15-66。著者は、中国軍管区参謀長。
0613 世界と日本 清水幾太郎編 岩波書店 田中慎次郎「原子力と平和」所収。
0615 原爆詩集 峠三吉 青木書店 「あとがき」(峠三吉)PP145-147、「解説として」(なかの・しげはる)PP148-153。91052519に収録。
0615 原爆か原子平和か デザンチ・ドニミック、シャルル・アローシュ(共著) 新時代社 「推薦の言葉」(平和擁護日本委員会)PP1-6。[目次]1.なぜ原子爆弾は落とされたか?、2.「秘密」の幕うら、3.原爆つくりのボス連と原爆製造工場、4.冷たい戦争の武器「原子力スパイ狩り」、5.平和をつくる人たち、6-11略。
0620 荊の道(警鐘号) 田中秀正 「某氏の原爆体験記」PP9-11。
0625 詩集・同心円 織田隆一 詩人社 原災研第4集。同心円、それは嘘の嗤ひだった-浦上天主堂にて、
0705 平和文化の原子的開裂-地球の平和XIX 地球文化研究所 平和文化大系刊行会 水素爆弾賛美のわけのわからない本。
0710 片隅の命と共に-保護観察の体験記録-更生保護研究賞受賞作品 中央更生保護委員会編 日本更生保護協会 第6部原爆孤児はかくて生きる(和田方光)PP903-240
0731 現代詩代表選集第三巻-一九五二年版- 日本文芸家協会編 創元社 原災研第4集。朝(峠三吉)PP119-120。
0731 春の城 阿川弘之 新潮社 小説・広島。
0731 広島市・市勢要覧・昭和26年(1951)版 広島市総務局総務課 広島市役所
0801 原爆の子-特作映画シリーズ第4輯 近代映画協会編 三到社 「原爆の思い出」(佐伯一幸、福島良介)P7、「誰よりも人間らしく」(吉岡宏)P12、「原爆体験談」(川北静三、土井精一、横田与茂作、正田篠枝、富田順次)PP14-15。
0803 原爆の子-見よ!戦争の惨苦を!-廣島の少年少女・魂の叫び 日本労働組合総評議会情報出版部(編) 「序文」(長田新)。「原爆の子」105編の中から32編を選び教文シリーズ第1集として発行。[広島大学]
0805 日本現代詩大系-第9巻 三好達治(編) 河出書房 「原爆詩集抄」(峠三吉)PP414-416。
0806 広島-戦争と都市 岩波書店編集部(編) 岩波書店 [目次]1.天災と戦災、2.原子爆弾、3.原爆の傷痕、4.「ノー・モア・ヒロシマズ」
0814 原爆第1号-ヒロシマの写真記録-NO MORE HIROSHIMA 田島賢裕・梅野彪(編) 朝日出版社(発行)・洛陽書院(発売) 写真(長崎のものがある?)と解説。
0815 記録写真・原爆の長崎 北島宗人(編)・山端庸介(撮影) 第一出版社 長崎原爆の直後、西部軍報道部に召集されていた写真家山端庸介、画家山田榮二、文筆家東潤の3名は視察命令により長崎に出動.本書は3人が記録した長崎の被災状況を、記録写真58葉、スケッチ28枚、ルポ1篇で紹介.
0815 シナリオ原爆の子-近代映画協会・劇団民芸共同作品 近代映画協会・劇団民芸(編) 近代映画協会・劇団民芸(発行)、映画タイムス社(発売) 巻末:“原爆の子”によせて:郷里の広島から(阿川弘之)P32-33、ぜひ世界の人々に(吉川清)33P、前祝い(責司山治)P33-36、必要以上に必要(若杉慧)P34-35、世界の映画(佐多稲子)P35-36.他
0830 仁科芳雄-伝記と回想 朝永振一郎・玉木英彦編 みすず書房 仁科は1951年1月10日永眠。[目次]1.「仁科芳雄博士略伝」(山崎文男)、2.晩年の著作3篇、3.思い出(湯川秀樹、木村健二郎、岡崎嘉平太、武見太郎、松本一、小倉真美、金関義則、小林稔、関戸弥太郎、朝永振一郎、玉木英彦)4.仁科先生を偲ぶ座談会。
0901 人間襤褸 大田洋子 青木書店 解説:本多秋五。河出書房版51080502。
0901 詩集・原子雲の下より-広島の人々の平和のうたごえ 原爆の詩編纂委員会編 青木書店 「序文」(峠三吉)。1970年5月、編者を峠三吉・山代巴に代えて出版。91052519に抄録。
0901 日本詩人全集第十巻-昭和篇(5) 大江満雄編代表 創元社 原災研第4集。原子と人間(湯川秀樹)PP278-282
0905 連鎖反應 徳川夢声 東成社 [原爆関係](1篇):連鎖反応-ヒロシマ・ユモレスクP5-46.
0909 平和のために-原爆展感想文より 岸清次編 立川平和懇談会 8月15日を期して3日間開催。赤松・丸木の「原爆の図」5部作と東京都立大の学生有志により集められた写真資料を中心とした原爆展。延べ187名が協力。入場者総数は9907名(子どもを加えると1万2000名以上)。平和関係の署名4789票。(序文より)
0910 日本ヒューマニズム詩集-一九五二年版 編集委員会編 三一書房 原災研第4集。清水高範、江間章子、深尾須磨子、石垣りん子、林幸子、壷井繁治、山口雅子、上林猷夫、大江満雄、秋山清、峠三吉。
0920 詩集・川よとわに美しく 米田栄作 第二書房 51042501の改訂版。
0929 原子爆弾災害調査研究班第1回研究協議会記事
1001 日本印象記-ヒロシマの家 フロイド・シュモー(Schmore,Floyd)(著) 広島ピース・センター シュモー博士は大戦後、米国市民に被爆者救援の「ヒロシマの家」運動を提唱.あつまった寄付金と建築奉仕者の協力により、1949年8月初来日から1952年10月末までに広島市内に16軒の「平和住宅」を建築し市に贈呈.
1001 画報近代百年史第十七集 不動健治編 国際文化情報社 原災研第4集。[原爆の子の画集]。前田美穂、山本雅子、名柄喜久子。
1015 心理学論文集-古賀先生還暦記念 三好稔(編集代表者) 広島文理科大学心理教室 [広島大学]「戦禍に及ぼせる心理的影響に関する一調査」(松浦田鶴子)PP234-239。(「この一篇を原爆に散った父母に捧ぐ」、被爆後2年目の調査。)
1030 私たちは長崎にいた-原爆生存者の叫び 永井隆 大日本雄弁会講談社 『永井隆全集』710828に収録。
1030 題名のない新聞欄-天声人語より 荒垣秀雄 河出書房 「原爆乙女の長袖」(1951.8.6)、「原爆の子ら」(8.1)、「原爆基地お断り」(1952.8.5)、「原爆の子」(8.24) 。
1110 歌集・死灰の街 小堺吉光 エコールドヒロシマ
1110 祖国への遺書-戦犯死刑囚の手記 塩尻公明編 毎日新聞社 広島・長崎の人々を思えば(大塚操)PP198-201。
1115 改造1952年増刊号(第33巻第17号)
1117 広島の建築-’56~’61年版 広島県土木部営繕課編 広島県建築士会
1201 不死鳥の子-原爆乙女巣鴨来訪記念文集 すがも広島県人会・信友会・プリズン文学研究会・白蓮社(編) 1952年6月11日、9人の原爆乙女と吉川清が谷本清・真杉静枝・楠瀬常猪・平原重幸とともに慰問。その時の感想文を中心にまとめる。
1201 原子爆弾の話 志田信 東京大学出版会 高校生大学生などが原爆展開催の経験をもとに作成。序(草野信男)。
1205 カケモノ-占領日本の裏表 H・トレイシー 文芸春秋新社 原著名:KAKEMONO by Honer Tracy。第14章アメリカの悲劇[広島見聞記]
1208 原爆機東京へ-新版・太平洋戦争秘録 木村登 鱒書房 「原爆機東京へ」PP205-208。
1208 物語吉浦郷土史 物語吉浦郷土史編・刊
1215 深尾須磨子詩集-日本国民詩集 深尾須磨子 三一書房 原災研第4集
1225 阿部知二作品集第四巻 阿部知二 河出書房 「長崎」(小説)PP234-242。
1333 僕らはごめんだ 篠原正瑛 「平和」1952年11月号の情報。
1333 ヒロシマ-写真アルバム 佐々木雄一郎編 日本交通公社 原災研第4集。「ヒロシマ」に題して(小倉豊文)
1333 私たちは忘れない-広大原爆展感想集 原爆の子を守る会(広島文理大自治委員会内) [広島大学]5月20-21日、吉川清の写真50葉と土井晩鐘の原爆が12点で原爆展を開催。参観者は約700人。

 

 

 

 

書誌1990

書誌1990

シンポジウム 非核・平和教育を国民のために 非核の政府を求める会編、平和文化 19900120
小岩井増夫「高校生平和ゼミナールで自立を」
山口勇子「世界史をつくる若者たちを支えるもの」

 

 

書誌1995

書誌1995

書名 発行年月日 備考
今どきの大学生1995-「原爆・戦争・国連について大学生316人が答えた」 オーロラ自由アトリエ編・刊 19950625 U

書誌2019

書誌2019

書名 著者 発行所 発行年月日 備考
象徴として 毎日新聞社会部 毎日新聞出版 20190420
検証「戦後民主主義」 わたしたちはなぜ戦争責任問題を解決できないのか 田中利幸 三一書房 20190520
光に向かって這っていけ 核なき世界を追い求めて サーロー節子、金崎由美著 岩波書店 20190723
軍馬と楕円球 中野慶 かもがわ出版 20190725 受贈
異端の被爆者-22度のがんを生き抜く男 横井秀信 新潮社 20190925 受贈
長崎の証言50年 半世紀のあゆみを振り返る 長崎の証言の会 長崎の証言の会 20191215
 原爆文学研究18  原爆文学研究会  花書院  20191221 受贈
 四條知恵 「虫」  に寄せて-歴史的出来事の空白をめぐる検討

雑誌論文

著者 タイトル 掲載誌(編集、発行所) 発行年月日
 小池聖一  旧制広島高等学校資料、同窓会収集資料としての特質について  広島大学文書館紀要 第21号(広島大学文書館)  20190228
 四條知恵  散逸する長崎の歴史資料-公文書館設立への提言  平和文化研究第40集(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所)  201905
 四條知恵 原爆投下後における浦上の復興と地域社会の変容-互助組織「講内」の活動に着目して 九州歴史科学第47号(九州歴史科学研究会)  201912

 

ヒロシマわが罪と罰 クロード・イーザリー

『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』
(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛(訳)、筑摩書房、1962年8月5日)

内容

解説(ロベルト・ユンク)
1.未来図の象徴という断罪/
2.私は狂信的な人間ではない/
3.平和のために役立ちたい/
4.原子力時代の最初の犯罪/
5.ありがたくない宣伝材料/
6.幅の広い戦線をつくろう/
7.ボブ・ホープの映画化計画/
8.広島の少女たちの友情/
9.自伝映画に出演するな/
10.私を利用しようとする人びと/
11.二人で伝記を書こう/
12.ユダがもらった銀貨/
13.泳ぐためにはまず泳げ/
14.日本からの多くの手紙/
15.殉教者というものの運命/
16.原子兵器反対のリーダーに/
17.見せ物にならないように/
18.(省略)/
19.(省略)/
20.平和運動をさまたげる弟/
21.だれが君を病院に入れたのか/
22.闇ルートで返事を送る/
23.(省略)/
24.君の主治医に手紙を書いた/
25.ドイツのグラフ誌に君の記事が/
26.禁止措置はとれないか/
27.掲裁中止を申し入れよう/
28.みずから刑罰を求めた私/
29.プライバシーと報道の自由/
30.審問の結果が知りたい/
31.僕が求めている欲張った報酬/
32.君はノーマルだ/
33.クロードは責任回避を拒絶したのです/
34.もしも退院したら/
35.君はユーモアをとりもどした/
36.もっと 積極的なたたかいを/
37.ワナにかかったのかもしれない/
38.トランキライザーに参っている/
39.一五年目の広島記念日/
40.僕がまちがっていた/
41.日本からのアンケート/
42.広島上空で私がしたこと/
43.弟たちを説得してくれ/
44.ポーリング博士を救おう/
45.希望と現実のかけ橋/
46.人類はじまって以来の問題/
47.私信も検閲にかかっている/
48.選挙が僕の退院をさまたげる/
49.日本へ行きたい/
50.ノーマルな生活を立証せよ/
51.病院から脱走した/
52.秘密の家で守る九カ条/
53.(省略)/
54.アメリカは僕を歓迎しない/
55.メキシコヘ行ってみてはどうか/
56.再びとらわれの身となって/
57.二○世紀のドレフュス事件/
58.精神の健全さを証明しよう/
59.(省略)/
60.なぜ事件を忘れるのか/
61.疑わしいイーザリー裁判/
62.ラッセル卿のイーザリー観/
63.ドレフュス・コンプレックス/
65.君の良心は奪われない/
66.僕はけっして勇気を失わない/
67.イーザリーの抑留は正当である/
68.法律的にも疑問あり/
69.提訴は実を結びつつある /
70.君を忘れない、永遠に/
71.釈放の日は目前だ/

42.広島上空で私がしたこと[抄]
私は先導機、すなわち”ストレート・フラッシュ”号を指揮していました。私の任務は、原爆投下の目標地を選定したときに、第一候補としてあげられたこの広島に無事に到達し、天候の状態を確認するとともに、敵の空軍や高射砲部隊から何らかの抵抗が予想されるかどうかを判断することでした。
私は広島の上空に達してから約45分間、そのあたりを飛行しながら、広島の上空に立ちこめて一部視界をさえぎっていた雲の状態をしらべました。原爆投下の目標は、軍司令部と広島市との中間にある橋でした。約15機ほどの日本の飛行機が1万5000フィート(約5000メートル)の上空を飛んでいましたが、私のいる2万9000フィート(約1万メートル)の高度まで上昇しようとする気配はありませんでした。しかし、これら日本の飛行機は、まもなくどこかへ行ってしまいました。
この日、すなわち8月6日の天侯の状況はつぎのようでした。広島の上空には、1万2000フィートと1万5000フィートの間に積雲が散在し、毎時10ないし15マイルのスピードで広島の方向へ動いているようでした。私がこれらの事実を観測したのは、午前7時30分ごろだったと思います。目標の地点ははっきりと見えていました。それは、すでに申しあげましたとおり、一つの橋で、この橋を破壊することによって、日本軍の司令部に致命的な打撃をあたえずにはいないだろうと考えられたのです。
私には、天候の状況は理想的であると思われました。つまり、目標の橋だけが見えていて、広島市は視界からさえぎられているから、市それ自体は爆撃をまぬかれるだろう、そして、司令部に投下された原爆は、日本の軍部をして否応なしにそのおそるぺき破壊力を知らしめ、講和の条約に署名してこのおそろしい戦争を終わらせねばならねと悟らせるだろう、とこのように私には思われたのです。
私は、僚機に対して、”準備完了、投下〃を知らせる暗号の命令を送りました。すなわち私は、目標への原爆投下を指令したのです。

1987年7月28日、ちくま文庫

ヒロシマの証言(広島平和文化センター)

『ヒロシマの証言 平和を考える』 (広島平和文化図書刊行会編、日本評論社、19690806)内容

編-
山田節男(広島市長)
森脇幸次(編集委員長)
庄野直美(執筆総括者)
『ヒロシマの証言』刊行にあたって
1 被爆体験
1-1 原爆が落ちた時 原子雲の外から/原子雲の下で
1-2 生きながらの地獄図 炎と雨の中で/炎の街にはいる
1-3 廃墟と屍の街
1-4 原爆投下の状況 予想もできなかった/原爆投下は警告されていたか/なぜ原爆は投下されたか
1-5 平和のねがい 被爆者の声 /被爆体験をどう受けとめるか
2 被爆者と市民の生活史
2-1 原爆孤児 0年ぶりの茶の間/原爆直後の孤児/孤児の生活/アメリカの精神養子運動/広島子どもを守る会
2-2 原爆障害に悩む人びと 広島の涙 /ピカドン傷/きのこ雲の下より
2-3 原爆孤老 行くところなし/さかさごと /現実の対策
2-4 原爆を作品に書いた人たち 原民喜/大田洋子 /阿川弘之/原子爆弾特集号 /正田篠枝/詩の発表 /峠三吉 /反戦詩歌集/「歌集・広島」と「句集・広島」/原爆と小説/
2-5 立ち上がった人びと 木片を探す少年 /晴れたある日 /愛の手
2-6 報道関係の努力 報道と権力 /平和運動と報道/原点をさぐる
2-7 身近で遠い被爆者たち 核の島・沖縄の273人/被爆した朝鮮人
2-8 平和教育への道程 驚くほど空白な平和教育 /平和教育の初期 /平和教育の窒息/広島の平和教育/教室での平和教育/「現代っ子」の平和意識 /平和教育への立ち上がり
3 被爆者救援と平和への努力
原爆タブーの時代・それでも広島は屈しなかった
1945年(昭20) 原爆投下/被爆後の応急措置/付記
1946年(昭21) 平和復興祭/広島市青年連合会/付記
1947年(昭22) 平和祭と平和記念式典/ABCC/付記
1948年(昭23) ヒロシマ・ピース・センター/付記
1949年(昭24) 平和擁護広島大会/世界連邦運動/平和記念都市建設法/シュモー・ハウス/付記
1950年(昭25) ストックホルム・アピールの反響/付記
1951年(昭26) 作文集「原爆の子」/原爆問題研究発表の活発化/付記
原水禁運動興隆の時代・みんなが願った原水爆禁止
1952年(昭27) 原爆被害者の会/世界仏教徒会議/付記
1953年(昭28) 広島原対協/大学人の会/付記
1954年(昭29) 反核の叫び全国に広がる/広島県原水協/ドイツから平和の鐘
1955年(昭30) 第1回原水禁世界大会(広島)/広島の原点・原爆資料館/平和美術展/皆実原爆被害者の会/付記
1956年(昭31) 広島県被団協/日本被団協/原爆の子の像/広島原爆障害研究会/付記
1957年(昭32) 被爆者医療法/広島憩いの家/付記
1958年(昭33) ヨット「フェニックス」号/折鶴の会/付記
混迷の時代・努力を続ける人びと
1959年(昭34) 第5回原水禁世界大会(広島)/付記
1960年(昭35) 第6回原水禁世界大会(東京)/原水禁広島母の会/付記
1961年(昭36) 広島キリスト者平和の会/付記
1962年(昭37)
1963年(昭38) 第9回原水禁世界大会(広島)/原爆裁判の判決/付記
1964年(昭39) 世界平和巡礼/「原水爆被災白書」運動/付記
1965年(昭40) ワールド・フレンドシップ・センター/広島通信/付記
1966年(昭41) 原爆ドームの保存/付記
1967年(昭42) 広島平和文化センター/ベトナム戦傷孤児の救援/ヒロシマ研究の会/市民対話の会/付記
1968年(昭43) 原爆被災資料の収集/原爆被災全体像調査/被爆者特別措置法/付記
わたくしたちは何をしたらよいのか

 

 

禁じられた原爆体験(堀場清子)

堀場清子『禁じられた原爆体験』(岩波書店、19950623刊)

目次

はじめに
原爆作品と占領下の検閲
1 発禁により葬られた美川きよ「あの日のこと」
2 栗原貞子詩歌集「黒い卵」が示す”事実と伝説”
3 渡辺順三の「君らは語る」
4 松重美人「世界の記録写真」をめぐって
5 金子光晴「暴君」の消失
6 「雅子斃れず」「長崎の鐘」 出版への道すじ
7 「不死鳥」における杉浦翠子と正田篠枝
8 検閲文書にみる原爆体験と天皇体験
a 「晩鐘」の苦難
b 天皇とアトム・ヒロシマ
戦争の表現にかかわる発禁と没収
9 石川達三「戦ひの権化」の発禁
10 宮柊二・オリジナル「山西省」の発見
11 日本神話で闘った二人の男
12 久津間慶子歌集「泉声」にみる女の生涯
資料(PPB文書)
あとがき

原水爆被害白書-かくされた真実

『原水爆被害白書-かくされた真実』 原水爆禁止日本協議会専門委員会(編)、日本評論新社、19610731

目次

序< 湯川秀樹>
序<安井郁>
1945年8月6日< 石井金一郎、田沼肇>
原水爆被害の実態 その1<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫>
1 原爆投下の瞬間
2 原爆による死亡者と傷害者
(1)広島原爆でどれだけの人が死んだか
(2)長崎原爆でどれだけの人が死んだか
(3)原爆による傷害者
3 恐るべき放射線障害
(1)放射能とはなにか
(2)瞬間放射線による被害
(3)残留放射線による被害
(4)被爆放射線量についての総括
原水爆被害の実態 その2<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫>
 1 いつまでつづく放射能害
(1)急性期症状-急性原爆症
(2)慢性原爆症-原爆症とはなにか
(3)原爆症問題の変遷と原爆症の拡大
(4)慢性原爆症の現況
(5)被爆者の体内に残されている変化
 2 放射線と遺伝
 3 もし原子戦争がおこったら
(1)アメリカ議会公聴会の記録
(2)すでに人類は原水爆の被害者になっている
被爆者の意識<山手茂>
 1 被爆者問題をどうとらえるか
被爆者の社会意識
(1)被爆者の生活意識
(2)原水爆禁止の意識と行動
(3)被爆者の政治意識
被爆者の生活<山手茂>
 1 被爆者の家庭生活
(1)破壊された被爆者の家庭
(2)原爆孤児
(3)被爆母子家庭
(4)原爆孤老
(5)被爆した主婦
(6)結婚問題
 2 被爆者の職業生活
(1)職業生活の悪条件
(2)被爆者の就職問題
(3)被爆被保護世帯
(4)失業対策事業に働らく被爆者
(5)被爆労働者
(6)被爆零細自営業者
(7)被爆農民
(8)未解放部落の被爆者
写真ページ
写真/東松照明
レイアウト/杉浦康平
被爆者と社会保障< 伊東壮、大江志乃夫>
 1 政府の援護対策
 (1)被爆者はなにを望んでいるか
(2)政府の援護対策とその特徴
 2 被爆者医療法の成立
(1)被爆者医療法案の国会提出
(2)被爆者医療法案の国会審議
(3)被爆者医療法の欠陥
 3 新被爆者医療法とその問題点
(1)被爆者医療法の「改正」
(2)新被爆者医療法の内容
(3)新被爆者医療法の問題点
(4)「被爆者援護法」の要求と社会保障
原水爆禁止と被爆者救援運動< 石井金一郎、吉田嘉清>
 1 被爆者の要求と原水爆禁止
被爆者と日本の社会
原水爆禁止と被爆者救援運動
附録< 杉原芳夫、佐久間澄>
  原爆被爆者の放射線照射による遅発性影響についてABCCに反論し,あわせて原爆症対策の科学的基礎を考察する
1/被爆線量について
2/調査標本について
3/遺伝について
4/白内障について
5/白血病について
6/ガンについて
7/児童の成長と発育について
8/胎内被爆児童における小頭症について
9/加齢の促進について
 10/成人における一般医学的見地からみた影響について
 11/その他の影響について、
 むすび
資料 原水爆禁止世界大会の宣言・決議・勧告
  あとがき<要旨>
*出発点となったのは,第4回原水爆禁止世界大会―1958年―で被爆者救援問題をとりあげた分科会の満場一致の決議
*決議にもとづき原水爆禁止日本協議会は,原水爆被害者調査をおこなうことを決定。
*調査委員会のもとに調査団をつくり,物理的・医学的被害の調査,被爆者の意識調査,被爆者組織の調査の3分野にわたり実施。
調査概要
*調査票による調査
***広島・長崎両県下で,爆心からの距離別と地域区分別に,市内は町単位,町村では町村単位に典型地域を抽出し,約500例を被爆者健康手帳交付台帳から無差別抽出して,被爆放射線量と意識の調査を実施
*被爆者の生活史の個別調査
*被爆者組識の調査
*調査の中間報告
* 原水爆禁止日本協議会“Atomic Bomb Damage in Hiroshima and Nagasaki” 1958年8月,
*日本原水爆被害者団体協議会『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』1958年8月,
*石井金一郎「厂生きていてよかった」か』『中央公論』1958年8月号
調査委員長 森滝市郎(日本原水協代表委員)
調査団長 石井金一郎(日本原水協専門委員)
調査団員
広島の研究者グループ:佐久間澄・杉原芳夫・庄野直美・北西允・大江志乃夫・山手茂,
長崎の研究者グループ:中西市郎.川崎文治・茂木六郎・林重太・前田豊昭・天野卓郎
第1稿の執筆者名
第1章     石井金一郎,田沼  肇
第2章・第3章 佐久間澄,庄野直美,杉原芳夫
第4章・第5章 山手茂
第6章     伊東壮,大江志乃夫
第7章     石井金一郎,吉田嘉清
附録論文    杉原芳夫,佐久間澄
 謝辞(個人)黒田秀俊,藤居平一,小佐々八郎,伊藤満,草野信男,石井森太郎,山村茂雄,市村志郎,板倉静夫,竹内武志,日本評論新社:林勝郎,飯岡邦輔
  謝辞(団体)日本原水協,日本被団協。「最後に,中国人民保衛世界平和委員会など中華人民共和国7団体による被爆者救援の国際的なあたたかい援助が,この事業を成功させるために,大きな力添えになったことを報告し,中国人民の厚い友情に改めて謝意を表します」
編集責任者:石井金一郎(日本原水協専門委員),吉田嘉清(日本原水協事務局次長),田沼肇(日本原水協専門委員会幹事)
事項索引
図表索引

 

 

 

 

日本社会運動史研究史論(小山弘健)

小山弘健『日本社会運動史研究史論 その文献と研究の現状』(新泉社、19760316) 同前『続日本社会運動史研究史論 その文献と研究の現状』(新泉社、19790501)

小山弘健=小山弘健 – Wikipedia

小山弘健(こやま ひろたけ、1912年6月21日1985年1月16日)歴史学者。by Wikipedia

『続 日本社会運動史研究史論』目次

1
2
8
9
10 平和・反戦反軍、安保、反基地反空港、沖縄の各運動史の研究とその文献
平和・反戦反軍の運動史の文献
「戦後における世界平和運動の原点となったヒロシマについては、・・・『炎の日から二〇年』・・・『どきゅめんと・ヒロシマ二四年』・・・のほか、さまざまな証言・記録・現地報告が類が公にされているが、無視されがちな被爆者の問題とその運動にかんしては、・・・深川宗俊『被爆二世』・・・伊東壮『被爆の思想と行動』・・・広島県編『原爆三〇年』・・・森滝市郎『反核三〇年』・・・」
17

 

 

歌集廣島

歌集広島(歌集広島編集委員会、第二書房、19540806)

歌集広島編集委員会=代表:豊田清史、委員:岡本明、小倉豊文、神田三亀男、熊野喜久男、小堺吉光、島昭、清水惟明、土居貞子、豊田清史、西原忠、深川宗俊、宮田定、村上弘、山隅衛、山本康夫

内容

備考
表紙写真 イサム・ノグチ氏設計の平和大橋(稲村豊氏撮影)
口絵 昭和20年8月6日の原子雲。爆発2分後。海田市方面10kmの地点より撮影。山崎譽三郎氏提供。
閃光に焼け果てた悲惨なる幼児。長岡省吾氏提供。
累累たる焼死体。余燼たちのぼれる本川国民学校にて、昭和20年8月7日。中国新聞社提供。
発掘されし野晒の遺体が山を築く。坂付近にて、昭和27年7月29日。中国新聞社提供。
長田新 原爆歌集「広島」に序して―氷はひしめきはじめた
本体
作者索引 50音順
歌集『広島編集委員会』。岡本明、小倉豊文、神田三亀男、熊野喜久男、小堺吉光、島昭、清水惟明、土居貞子、豊田清史、西原忠、深川宗俊、宮田定、村上弘、山隅衛、山本康夫
奥付 歌集広島編集委員会代表 豊田清史