「13月忌要調査」カテゴリーアーカイブ

水原肇

水原肇

読売新聞記者(1989年55歳で定年退職。その後は自称トップ屋)

資料
正観「梟」通信第1号(1999年6月9日)
carnet通信VOL1No.1(個人誌「正観」改題、1999.10.13)
carnet手帖Vol1No.1(キャルネー=手帖、1999.1110)

平和記念資料館メルマガ第98号(2011/ 9/ 1)

 

平和記念資料館メルマガ第98号(2011/ 9/ 1

最近、研究過程で作成した過去の資料を整理中、「広島大学原医研新聞切抜きの分類別枚数(1975~81年分)」とのタイトルのデジタルデータを見つけた。そして二つのことを思い出した。

その一つは、私の提案が原因で、「原発」関係の記事の収集が1982年から取りやめとなったことである。1975~81年分の切り抜き枚数総計は、12507枚、うち「核軍事」(3221枚)と「核平和利用」(3083枚)に分類されている枚数の合計は6304枚で全体のほぼ半数を占めている。原爆放射能医学研究所では、原爆被害に関する資料を収集対象としていたので、私には、限りある予算・人員を考えれば、この二つの分類に属する記事収集を中止するのはやむを得ないと主張した。

もう一つは、広島の眼科医・杉本茂憲先生(故人)との出会いである。チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)から2ヶ月あまり後に先生が原医研に来所、この事故関連の新聞記事の閲覧を希望された。要望された資料は収集対象としていないことを伝えると、非常に残念がられた。そして、ヒロシマの蓄積をこの被災者に生かすことはヒロシマの医師の使命と力説されたのである。被爆者医療に情熱を注ぐと同時に、世界にも目を向ける医師の存在に直接触れる ことのできた貴重な体験であった。

       元広島大学原爆放射能医学研究所 宇吹 暁(うぶき さとる)