石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
止
石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
止
資料年表:北西允
年月日 | 事項 | メモ |
1926 | ||
**** | 誕生 | |
1976 | ||
0430 | 『広島・長崎30年の証言(下)』(広島・長崎の証言の会編、未来社) | G |
第6章 反原爆運動の中から 9 原水禁運動の統一と静岡・広島 北西允 117 |
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1223 | 『核兵器全面禁止 崇高な人類の大義 核兵器完全禁止・国連要請国民代表団報告集』(核兵器全面禁止国際条約締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団派遣中央実行委員会) | G |
〔7〕 感想と報告…61 藤井日達…61////北西允…65////・・・ |
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1977 | ||
0125 | 『核兵器完全禁止を国連に要請する国民代表団(広島県代表)の報告』(国連へ核兵器完全禁止を要請する国民代表派遣広島県実行委員会) | G |
北米反核の旅 北西允 2 | ||
0701 | 『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部) | G |
■被爆・核・広島特集■ 【座談会】「被爆・核・広島」――核時代における広島の課題―― 北西允ほか(2) |
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0910 | 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | G |
人文科学の部 第Ⅱ章 社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)260 |
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1979 | ||
0518 | 『平和研究ノート』(山田浩・森利一編、広島大学総合科学部国際関係論教室) | G |
第14章 日本の原水禁運動 ――略史と問題点―― 北西允…339 | ||
0620 | 『平和研究 第4号 平和運動の理論と行動』(日本平和学会) | G |
特集1◎平和運動の理論と行動 5 戦後日本の平和運動 日高六郎 50 <討論>原水禁運動の軌跡 北西允 61 |
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1980 | ||
0925 | 『平和学講義』(山田浩編、勁草書房) | G |
1982 | ||
0220 | 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82冬 創刊号』(石田明・浜崎均編、広島・長崎の証言の会) | G |
特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動 反核運動の現状-西欧と日本 北西允 |
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1983 | ||
0520 | 『現代日本の政治』(北西允・山田浩著、法律文化社) | G |
1984 | ||
0830 | 『平和学講義 新訂版』(山田浩編、勁草書房) | G |
第12章 日本の原水禁運動 北西允 214 | ||
1998 | ||
0404 | 『なぜ、いま新ガイドライン・有事立法か 4・4百万人署名運動全国集会 報告集』(日米新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人署名運動・事務局) | G |
●各地の取り組みから 広島では五万人を目標に 北西允…34 |
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2009 | ||
0331 | ||
2011 | ||
0325 | 『広島に聞く 広島を聞く <日英対照> = Reflections from Hiroshima』(浅井基文編著、かもがわ出版) | G |
III 広島の原水爆禁止運動 67 北西允「第9回原水禁世界大会を回顧する」 69 |
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止
資料年表:横山英
年月日 | ||
1924 | ||
**** | 誕生 | |
1977 | ||
0910 | 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | |
人文科学の部 第Ⅱ章 社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)260 |
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1979 | ||
0518 | 『平和研究ノート』(山田浩、森利一編、広島大学総合科学部国際関係論教室) | |
第13章 中国問題と日本の平和 横山英…323 | ||
1103 | 『高校生のヒロシマ・アピール 原水爆禁止1979年世界大会関連行事・第6回8・6全国高校生集会総括集』(8・6全国高校生集会現地実行委員会、広島県高校生平和ゼミナール実行委員会) | |
本集会で原爆のもつ意味を深くとらえよう 24 平和ゼミナール校長 広島大学文学部教授 横山英 |
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1201 | 『広島通信 No.61』(「広島通信」の会) | |
二つの原爆モニュメント 横山英 | ||
1980 | ||
0925 | 『平和学講義』(森利一・山田浩編、勁草書房) | |
第11章 中国問題と日本の平和 横山英 189 | ||
1983 | ||
0221 | 『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会) | |
◆碑・制作を終えて 27 『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28 |
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0621 | 『ヒロシマの子-君たちはどう生きるか』(編著:森下弘・李実根・空辰男・横山英、平和文化) | |
1989 | ||
0630 | 『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.16 1989.06』(広島平和教育研究所) | |
昭和 ヒロシマ、教育、核を語る 43 日本を中心とした東アジアにとって“昭和”とは《横山英》 44 |
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1990 | ||
1101 | 『PEACE 第17回全国高校生平和集会・NO NUKES CONCERT’90報告集』(全国高校生平和集会実行委員会) | |
記念講演「核兵器廃絶への道」 広島高校生平和ゼミナール校長:広島大学名誉教授 横山英 先生 38 | ||
1992 | ||
1201 | 『PEACE 第19回全国高校生平和集会・NO NUKES CONCERT’92報告集』(全国高校生平和集会実行委員会) | |
1. 歓迎あいさつ 広島高校生平和ゼミナール校長(広島大学名誉教授)横山英先生 2 |
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1996 | ||
0801 | 『オキナワからのメッセージ 広島と沖縄をむすぶ平和ゼミナール・報告集』(広島高校生平和ゼミナール) | |
3.日本国憲法50年 横山英…21 | ||
2002 | ||
0509 | 『アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集』(今堀百合子) | |
二 追悼…309 弔辞(瀬戸内寂聴・横山英・天野実) |
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2006 | ||
0106 | 没 | |
0530 | 『近きに在りて 第49号 横山英先生追悼特集』(広島中国近代史研究会、汲古書院) | |
止
よこやま・すぐる | 1924生20060106没 | 中国史学者。 広島文理科大学卒業。1975年「中国初期立憲思想の研究」で名古屋大学法学博士、広島大学文学部助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。 |
資料年表:吉田治平<作業中>
年月日 | ||
1922 | ||
****生 | ||
1945 | ||
0815 | 未明、部隊の命で福岡から神奈川に向う途中、広島入り。 | |
1977 | ||
0720 | 『わしらの被爆体験 100人の証言』(全日自労広島分会・自労被爆者の会編、全日自労広島分会刊) | |
2010 | ||
05 | 『生きて 労働運動家 吉田治平さん』(『中国新聞 連載』15回0518~0609)(担当:西本雅実・編集委員) | |
2018 | ||
0131 | 没 | |
0209 | 西本雅実「評伝・吉田治平さん」(『中国新聞』) | |
2023 | ||
1206 | 『被団協 第539号』(日本原水爆被害者団体協議会) | |
「ヒロシマの闘士」の歩みに学ぶ 広島 先人を語る会<9回目> | ||
よしだ・じへい | 1922****生20180131没 | 享年95歳 | 1845年8月6日の広島壊滅を福岡で聞く。軍命令で神奈川へ向かう途次の5日、上幟町の実家跡を掘り返す。1950年に広島自由労組を結成。1977年失対労働者100人の証言『わしらの被爆体験』を編む(西本雅実「評伝・吉田治平さん」『中国新聞』2018.2.9)<別記予定> |
止
『わが非暴力 藤井日達自伝』(藤井日達著・山折哲雄編、春秋社、1992/05/20)
内容<作業中>
篇 | 見出し | |
1 | 試煉 | |
生い立ち 2 出家の動機 8 大崎遊学 13 京都遊学 19 1年志願兵 24 法隆寺での参学と焼身 27 健仁寺で参禅 33 堅田の教会所開設 38 比良山での断食 47 桃尾の滝で断食 52 北陸路の信心問答 57 宮城・二重橋での撃鼓宣令 62 |
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2 | 激動 | |
母危篤-朝鮮へ急行 66 満州開教と寒行 70 関東庁の妨害と日蓮宗の横槍 77 日本山妙法寺の誕生82 北支開教-天津・北京 86 関東大震災-帰国 91 富士山麓に日本山妙法寺誕生 98 東京開教-葉山でのご祈念 99 熱海開教-西天開教の原点 105 那須開教の因縁 113 十字街頭で辻説法 116 |
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3 | 転身 | |
母の死と西天開教への出立 120 インド上陸-還来帰家 126 セイロン行脚 133 ガンジーと対面 139 お仏舎利の感得 148 陸海軍へお仏舎利奉呈 154 中国人との接触 160 日中戦争と日本山 163 インパール作戦と日本山 169 満州・朝鮮伝道-敗戦 174 |
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4 | 開華 | |
花岡山にお仏舎利塔建立 180 戦後のインドと日本山 189 王舎城の仏教復興-戦前 193 王舎城の仏教復興-戦後 198 清澄山にお仏舎利塔建立 214 王舎城宝塔落慶供養とオリッサ開教 219 砂川闘争と日本山 227 三里塚闘争と平和運動 232 シーク教徒とヒッピー族-布施の精神 239 インドの新仏教徒 248 非暴力思想とお仏舎利塔建設 251 |
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年譜 | ||
あとがき | ||
止
土井作治
どい・さくじ | 1930生20230117没 | 享年92 | 広島県史編さん室勤務時の上司。地域に埋もれた資料の発掘・収集・整理の実務の指導を受けた。 |
止
『丸木俊さんを偲ぶ会』(丸木美術館ブックレット3、2000/08/01)
内容
《スケジュール》 | |||
5月4日 プレイベント(目次) | |||
午後1時 映画・トーク5 | |||
映画「劫火」(ジャン・ユンカーマン監督/アカデミー賞ノミネート作品/58分) おはなし:ジャン・ユンカーマン |
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午後3時 パネルディスカッション〈原爆の図一過去・現在・未来〉…12 | |||
パネラー:針生一郎(丸木美術館理事・美術評論家) ヨシダヨシエ(美術評論家) 永井三喜男(画廊経営・丸木美術館評議員) 袖井林二郎(丸木美術館理事) 猪風来(縄文土偶作家・丸木美術館評議員) 小沢節子(美術評論家) |
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午後6時 懇親会 | |||
5月5日 丸木俊さんを偲ぶ会48 | |||
午前9時 「平和の壁」「平和の旗」全国からの追悼の声を展示公開 「追悼オブジェ・いのちの鳩」献羽 特設書籍コーナー絶版本・サイン本展示関連書籍販売 思い出の映像ビデオ上映(新館ロピー) |
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午後1時 丸木俊さんを偲ぶ会/セレモニー美術館新館ホール49 | |||
開会の挨拶針生一郎(丸木俊さんを偲ぶ会実行委員長・美術評論家・丸木美術館理事)50 関屋綾子(丸木美術館館長)51 朗読「俊のことば」54 お別れの言葉松谷みよ子(作家)59 高木仁三郎(高木学校主宰)60 中江利忠(朝日新聞社顧問)63 岩崎巴人(画家)65 土屋義彦(埼玉県知事)67 吉武輝子(作家)67 遺族挨拶丸木ひさ子72 追悼演奏大由鬼山(尺八)74 閉会の挨拶水原孝(丸木美術館理事長)75 |
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午後3時 追悼コンサートとリレートーク野外特設会場 78 | |||
コンサート
WBGC(ジャズコーラス) |
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リレートーク 塚田孝(牧師)81土本典昭(映画監督)83 松本猛(安曇野ちひろ美術館館長)87 前田憲二(映画監督)88 |
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「丸木俊さんを偲ぶ会」呼びかけ人名簿 91 「丸木俊さんを偲ぶ会」賛同人名簿 91 「丸木俊さんを偲ぶ会」実行委員会名簿・感想 94 |
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内容
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パール博士年譜
出典:パール下中記念館 | 下中記念財団 (shimonaka.or.jp)
1886年 ベンガル地方のナディア県(現在はバングラデーシュ領)に生まれる。
1989年 父親が急死。以後、母の手で育てられる。
1903年〜ラージシャーヒー・カレッジ(現在はバングラデーシュ領)、カルカッタのプレジデンシー・カレッジで数学を学ぶ。
1905年 ナリニバーラーと結婚。
1910年 インド北部、アラハバードでインド連合州会計院書記生として就職。
1911年 カルカッタ大学理学部、法学部を卒業。
1920年 カルカッタ大学法学修士となる。
1923年 カルカッタ大学法学部教授に就任。
1924年 カルカッタ大学「タゴール記念法学講演」の講師にはじめて選出された。
1941年 カルカッタ高等裁判所判事に就任。
1944年 カルカッタ大学総長に就任(〜1946年)。
1946年 極東国際軍事裁判(〜1948年)にインド代表判事として派遣された(途中、妻の病気を理由に何度か一時帰国をしている)。
1952年 約4年半ぶりの再来日。下中彌三郎の招聘で世界連邦アジア会議に参加、日本各地をまわる。同年、国際連合国際法委員会委員に就任(〜1967年)。
1953年 下中彌三郎の招聘で3度目の来日。
1957年 国際連合常設仲裁裁判所判事に就任。
1966年 清瀬一郎、岸信介らの招聘で4度目の来日。
1967年 カルカッタの自邸で死去。80歳。
止
「生きて・労働運動家 吉田治平さん(1922年~)」『中国新聞』15回連載20100518~0609 西本雅実記)<作業中>
内容
回 | |||
1 | 組合60年 「弱者」に寄り添い歩む | 2010/5/18 | |
2 | 新聞記者の息子 転校繰り返し父が急死 | ||
3 | 広島一中 軍国教育にはなじめず | ||
4 | 外務省電信課 日米開戦の足音感じる | ||
5 | 学徒出陣 電信隊に配属 九州回る | ||
6 | 廃虚の街 掘り返した母と妹の骨 | ||
7 | 新聞記者 焼け跡の掃除から入社 | ||
8 | 夕刊ひろしま 「戦後」に手探りで挑む | ||
9 | |||
10 | 広島自由労組 日雇いに飛び込み結成 | ||
11 | 「もち代」要求 市役所に座り込み拘置 | ||
12 | 広島市議 仲間に推され4期当選 | ||
13 | わしらの被爆体験 今も許せない原爆投下 | ||
14 | 皆実平和住宅 復興期から住み続ける | ||
15 | 私の訴え 怒りを覚え 声を上げよ | 201006 | |
止
『わしらの被爆体験 100人の証言』(全日自労広島分会・自労被爆者の会編、全日自労広島分会、19770720)<作業中>
内容
章 | わしらの被爆体験 ――この目で見た原爆地獄―― | |
1 | ||
2 | 被爆後のわしら ――その生活と健康の不安―― | |
3 | わしらの願い ――原爆のない世界・援護法の制定―― | |
怒りと悲しみの中から (組合・常任)吉田治平(54) 204 | ||
資料 | ||
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