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山田節男追想録

『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会編・刊、19760715)

1 記録篇
弔辞
広島市葬葬儀委員長 津田真行…5
広島市民代表 浅尾義光…11
広島市議会 …14
広島県知事 宮沢弘…15
広島県議会議長 西田修一…14
広島商工会議所会頭 山田克彦…21
広島市社会福祉協議会会長 森本亨…24
全国市長会会長 渡邊浩太郎…27
自治大臣 福田一…30
広島市原爆被爆者団体代表 任都栗 司…33
広島市平和文化団体代表 原田東岷…36
広島市教育関係者代表 森沢晴行…38
広島市医療関係代表 藤堂直樹…41
広島市労働団体代表 今田正義…45
広島地域婦人団体代表 安井キリ…47
広島市青少年団体代表 新田豊光…49
世界連邦関係代表 湯川スミ…51
修道学園同窓会代表 中野重美…54
修道中学同期修八会代表 岩井章…57
広島六高会会長 中野重美…59
ワルトハイム国連事務総長 …63
第16回世界連邦世界大会会長 ノーマン・カズンズ…64
平和宣言 広島市長 山田節男
昭和42年 67
昭和43年 69
昭和44年 71
昭和45年 73
昭和46年 75
昭和47年 77
昭和48年 79
昭和49年 81
核実験に抗議電報および談話 広島市長 山田節男
中華人民共和国共産党中央委員会主席 毛沢東宛 85
ベトナム和平に関する広島市長談話 86
仏国大統領ジョルジュ・ポンピドー宛 87
ブレジネフ書記長宛 88
インド国ニューデリーインディラ・ガンジー首相宛 89
フランス核実験に対する広島市長談話 90
ニクソン大統領宛 91
ブレジネフ書記長宛
ウィルソン英国首相宛 92
ニクソン大統領宛 93
山田市長語録
広島市議会発言抜すい 97
広島平和都市法の成立を回顧して 座談会 参議院議員 山田節男ほか…105
2 追憶篇
画期的都市構想 広島市助役 津田真行…123
山田先生を偲びつつ 元広島市助役 森沢雄三…126
山田市長の業績を偲んで 元広島市助役 坂田修一…131
国際平和のメッカに 前広島市収入役 正田四三男…134
高い理想と広い視野 前広島市教育委員会教育長 山田登…137
山田市長さんの追憶 広島県中央信用組合理事長 酒井節司…140
ご遺言の実現を 広島市監査委員 鶴明…142
立体的・流動的・国際的 広島市環境事業局長 横山楽水…145
毀誉褒貶 広島市消防局長 斎木正道…147
“世界一美しい都市に”広島市公園緑地部長 浅地広…149
鼻歌で気分を沈めて 前広島市長室秘書課長 石田嘉雄…152
真の平和主義者 広島市広報室主査 高橋昭博…155
山田市長の最後 広島市教育委員会総務部長(前秘書室長) 井上卓治…158
一徹な責任感 広島市民病院長 甲斐太郎…160
御臨終のこと 広島市民病院副院長 河野義夫…162
回想 広島市立中央図書館長 内海巌…165
世界連邦主義者として 広島平和記念館館長 木山香寿美…168
最後の署名 広島市渉外課長 小倉馨…170
青少年育成に努力 広島市市長室公聴課長 津田野祐嗣…173
クリーンな人柄  広島市職員厚生課 四国五郎…175
思い出 広島市秘書課 竹腰悟…178
法支配より社会秩序を 広島市法律顧問 宗政美三…178
女性にも理解深き市長 元広島市婦人会連合会会長 伊藤正子…182
心のやさしい親切な方 広島市婦人団体協議会会長 藤野孝子…184
追憶の記 広島消費者協会会長・広島県教育委員 河村瑠璃…186
誠実なお人柄 元広島市婦人会連合会会長 村上安恵…189
〝イリコにはうるさいよ” 広島市消費者協会副会長 佐伯正子…190
青少年活動の推進 ボーイスカウト広島県連盟理事長 松下一男…193
シティ・クリーニングの提唱 広島市公衆衛生推進協議会会長 澤崎嘉衛…196
平和へのひたむきな情熱 広島市歯科医師会会長 久保田隆…198
強い正義感と温情 広島市身体障害者福祉協会会長 田川馨…200
欧州は心のふるさと 世界連邦建設同盟広島県支部婦人部長 升島尹久子…203
風格ある市長さん 衆議院議員 船田中…211
恩師山田先生を仰ぐ 衆議院議員 受田新吉…212
まさに外柔内剛の人 衆議員議員 内海清…214
最適任の広島市長 衆議院議員 永末英一…217
山田さんの選挙と私 衆議院議員 増岡博之…219
山田節男先生 衆議院議員 萩原幸雄…222
学究的な真摯な態度 参議院議員 新谷寅三郎…224
気品高き政治家 参議院議員 岡本悟…227
合併スタートのころ 広島県副知事 竹下虎之助…228
故山田さんを偲ぶ 広島県議会議長 西田修一…233
柔よく剛を制す 広島県議会議員 児玉秀一…233
偉大なご人徳 元広島県総務部長 佐藤秀雄…234
人情豊かなお人柄 民社党広島県連書記長 山田勝…236
基町再開発の決断と実行 前建設省住宅局長 沢田光英…239
山田節男市長と下水道 建設省下水道部長 久保赴…242
広島の傷痕に痛心 大高建築設計事務所長 大高正人…245
慈父のように敬慕 社団法人日本下水道協会専務理事 故長谷川清十郎…246
憶い出 前尾道市長 石原善三郎…248
旧軍港市転換法の恩人 呉市長 奥原義人…250
先生のバイタリティー 三原市長 長尾正三…253
“東広島市民の一人” 東広島市長 武則一水…255
都市の国際交流に卓見 津山市長 生木敏夫…257
広島平和記念都市建設法制定に関連して 元参議院法制局 枚田四郎右衛門…258
平和主義に徹した一生 元衆議院議員 佐竹新市…261
ガンジーおやじと私 元広島県議会議員 保田庄一…263
GHQへのご苦労 元広島市議会議員 岩井常吉…265
山田先生を想う 元呉造船所社長 水谷卯吉…267
さらっとした人柄 高橋朝次郎…268
若き日の理想に邁進 岡本エンジニアリング株式会社 武田實郎…270
“茶の心”ふかく 中国電波監理局 河野和典…272
真実を究めて 森元与三郎…274
遺された「スポーツ精神」 広島市体育指導員協議会会長 田平繁…275
忙中の閑・鯉談義 広島市草津魚市場(株)会長 西二郎…277
海外から
最初の世界人のひとり 広島市特別名誉市民 ノーマン・カズンズ…281
平和への熱烈な願い ホノルル市長 フランク・F・ファジー…283
“憩いの家”を援助 広島市特別名誉市民 エディタ・モーリス…266
偉大な、やさしい方 広島市特別名誉市民 バーバラ・レイノルズ…287
私の娘を慈父のように ITTワールドコミュニケーションズ会長 バートラム・B・タワー…290
同郷人として誇り 元ホノルル広島県人会会長 西・ジェームズ・カットム…292
山田節男さんを偲んで 新日本製鉄株式会社会長 永野重雄…297
人道主義的リベラリスト 日本経済団体連合会会長 桜田武…299
山田節雄君と私 修道中学同窓 三好重夫…301
山田さんを偲ぶ 東大同窓会 東谷伝次郎…304
典型的な英国型紳士 山陽木材防腐株式会社会長 田中好一…307
気骨のある実践家 中国醸造株式会社取締役会長 白井市郎…308
蓮の花のような人だった 株式会杜フジタエ業社長 藤田一暁…310
豊かな国際感覚の人 東洋工業株式会社取締役社長 松田耕平…312
住民福祉優先の市政 広島相互銀行会長 森本亨…313
幅の広い国際人 広島バスセンター社長 村田可朗…315
崇高な平和理念の追求 広島商工会議所会頭 山田克彦…318
淡々たる好々爺 新興軽金属工業株式会社社長 筒井留三…319
外交手腕に感服 広島県繊維社長 飯田信雄…321
「青年の船」へのご尽力 広島銀行 橋本宗利…324
人と人の心の中に平和を 社団法人広島青年会議所元理事長 森本弘道…327
ご好物のうなぎ 広島そごう社長 水島広雄…331
ロンドン生活の思い出 松坂屋社長 伊藤鈴三郎…334
山田節男先生を偲ぶ 日本電気株式会社社長 小林宏治…337
隣人山田市長 株式会社ロイヤルホテル社長 山本孝…340
敬憶 元広島高等裁判所長・弁護士 岡咲恕一…341
国際通信の先覚者 (株)国際電信電話海底線建設本部 田原庸之助…344
山田司政官の思い出 元ボルネオ守備軍第三十七軍参謀長陸軍中将 馬奈木 敬信…345
オックスフォード時代の山田節男 京都大学名誉教授 中原与茂九郎…349
往年のモダンボーイ 六高同窓 西村徳一…351
山田さんと電力 中国電気保安協会理事長 高橋洋次郎…353
山田市長を讃える 旧制修道中学同期生 岩井章…355
愛称は“節ちゃん” 六高・東大同期生 広部賢二…356
“病気もしておれないし” 元広島市喜生園長 西田久登…358
山田君と選挙 石井正樹…361
宇宙時代に入っての平和 前神戸市立東山病院長 蓮池堯民…362
敬愛する大先輩 オックスフォード大学学友 高木秀寛…365
“風にそよぐ葦”のモデル? 旅館経営 阿部霞…366
我らの平和市長 広島YMCA理事 故 河村政任…369
思い出のハンディ17 キワニス倶楽部 永田徳郎…371
頭の回転の早い人 梅園真次郎…374
早朝の町を歩いて 広島市上幟町町内会長 功野泰久…377
山田市長の偉大な業績 元文部大臣・広島大学学長・日本育英会会長 森戸辰男…381
追憶 株式会社 鹿島組会長 鹿島守之助…388
清潔、純情だった山田節男先生を慕う 総評議長 市川誠…390
詩人山田節男は生き続ける 元・貴族院議員・NHK会長・駐仏大使 古垣鉄郎…393
山田節男先生を憶う 前NHK会長 前田義徳…396
山田さんを思う 中国新聞社社長 山本 朗…398
放送に高い識見 株式会社中国放送社長 岩崎一太…400
品のよいゴルフ 広島テレビ放送社長 河村郷四…402
40年前の印象 テレビ新広島社長 金光武夫…404
山田さんと平和千本サクラ テレビ新広島取締役総務局長 籠味利幸…406
茶目ッ気な咆哮 元郵政省郵務局長・日本放送協会顧問 松井一郎…408
“しかし”のつく人 NHKチーフ・プロデューサー 浦達也…411
若者との対話が好き 中国放送チーフ・アナウンサー 堀内美文…412
ボルゴグラード訪問日記から 中国放送報道部 荻原啓志…415
追憶 前山陽新聞広島支社市政担当記者 岡本一朗…418
古く新しい友人 東洋大学学長 磯村英一…422
身についた紳士道 広島女学院理事長 広瀬ハマコ…422
代役の思い出 広島大学教授 小谷鶴次…424
棺を蓋おって事定まる 広島大学総合科学部長 今堀誠二…426
世界平和運動の同志 元早稲田大学総長 時子山常三郎…429
“都市宣言センターを日本に設置せよ” 世界連邦同盟教宣委員長 小塩完次…432
追憶 世界連邦宣言自治体全国協議会事務局長 宇都宮憲爾…435
面影を偲んで 広島原爆被災復元委員会会長 志水 清…438
ヒロシマの顔山田節男先生 広島YMCA総主事 相原和光…439
修道館のよき先輩 中国新聞社顧問 森脇幸次…443
次元の高い政治家 人類愛善会会長 伊藤栄蔵…445
ゼントルマンの典型 世界連邦広島県教育者協議会副理事長 和泉■…447
社会体育に強いご関心 元広島市小学校長会長 吉崎正行…449
謹厳・律義・潔癖 世界連邦建設同盟広島県協議会長 桑原英昭…452
一期一会の感銘 身延山短期大学 杉田英肇…453
世界的人間としての山田節男先生 元世界平和記念聖堂主任司祭・広島市名誉市民 愛宮真備…456
温顔の人 日本芸術院会員・日本画家 奥田元栄…459
“芸術家はいいたあー” 日本芸術院会員・彫刻家 円鍔勝三…460
自分を忘れて人のために 日本画家・院展特待 池田栄広…462
山田節男著「貧苦の人々を護りて」出版の思い出 ギデオン仙台支部長 里井悦郎…464
日本の伝統文化を育成 茶道裏千家家元 千宗室…471
山田さんを偲ぶ 広島市消防団長 今井広…473
「花の精」の像 「花の精」建設委員会会長 和田満苗…476
スケールの大きい人 広島市食肉組合 舛井寛一 480
積極性と忍耐力と 広島市漁業協同組合専務理事 神田晴弘 483
世界的な視野と感覚 草津漁業組合 三島文人…485
西部開発事業と山田市長 草津かき組合長 網岡登…488
漁民を動かした誠意 草津漁業組合 松浦勉…490
偉大な政治力 広島市漁協組合西部開発対策委員会 大畠春一…492
誠意と熱意の人 広島市井口漁協組組合長理事 村上 透…494
「大久野島」に熱情 広島憩いの家事務局長 田辺耕一郎…496
毒ガス傷害者の救済 大久野島毒ガス傷害者互助会 梶村政夫…499
“私利・私欲を捨ててー” 東広島市助役・元高屋町町長 桧村滋美…505
少年時代から秀才の誉れ 高屋会会長 蔵本積…508
わが郷土の誇り 小学校時代学友 三川協…510
郷土思いの先生 農業 山下徳二…515
山田市長逝去 東広島市高屋町 貞原寅市…517
一人の公人と癌死 親族・医師 原田東岷…518
千二百年記念祭 故山田節男先生令弟 山田定男…521
山田節男氏の病気 医師・故山田先生女婿 高橋修三…523
父の想い出 故山田節男先生ご長男 山田英邦…525
追慕 故山田節男先生令室 山田路子…528
山田節男先生年譜…531
山田節男追想録刊行委員会名簿および編集委員名簿…536
あとがき

横山英

横山英

よこやま・すぐる 1924生20060106没 中国史学者。 広島文理科大学卒業。1975年「中国初期立憲思想の研究」で名古屋大学法学博士、広島大学文学部助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。

<工事中>

核を葬れ!森瀧市郎・春子父娘の非核活動記録

『核を葬れ!森瀧市郎・春子父娘の非核活動記録 』(広岩近広、藤原書店、20170806)内容

プロローグ
1 「力の文明」の対極に「愛の文明」
右目に突き刺さった原爆のガラス片
残された左目に映った広島の惨禍
原爆と敗戦の深い傷痕
同僚や子らの死に深い悲しみ
戦争は「力の文化」の必然的帰結
原子力時代に求められる新しい道徳
2 「ヒロシマ後の世界」を見据えて
 「広島子どもを守る会」が発足
ビキニ事件に憤慨して原水爆禁止国民運動
六〇年安保に揺さぶられた平和運動
国民運動は原水協と原水禁に分裂
3 「不殺生」「非暴力」「生命への畏敬」
国民平和使節として欧州に反核の旅
大学に辞表を提出して、重大決意を実行
「原水爆禁止広島母の会」の活動
三人の聖者の生き方に感銘
「人類は生きねばならぬ」と退官後も奮迅
4 幻想だった核の平和利用
平和利用の名のもとに原発の建設計画
原発は原爆の材料プルトニウムをつくる
「核と人類は共存できない」と世界に訴える
反核の力を結集させたい
「ヒロシマの役割」を再認識する
非核の未来をつくらねばならない
「それでも原発は危険だ」と言いつづける
「いのちとうとし」のラストメッセージ
5 ウラン採掘に始まる放射能汚染
インド.パキスタンの若者と平和交流
ウラン鉱山の放射線被害を現地で調査
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」が始動
「子どもの命を返してくれ!」
劣化ウラン国際大会が警告した内部被曝
6 原子力体制を問う
核廃絶は、原発廃絶と切り離せない
日本政府の原発輸出と核政策を問う
「国から二度、棄民にされた」
三つの課題と三つのキーワードで責任を追及
法廷で「核の人道に対する罪」を陳述
フクシマを忘れない、繰り返させない特別アピール
7 地球規模で広がるヒバクシャ
核被害を総合的に捉える
「私たちには怒る義務がある」
ヒバクシャは世界的な用語になった
「核なき世界」を目指す取り組み
オーストリアが「人道の誓約」
「平和の種」が「反核の息子」に
核兵器禁止条約に反対する被爆国
国連で、核兵器禁止条約を策定
エピローグ
資料
世界核被害者フォーラム 広島宣言
世界核被害者の権利憲章要綱草案
核兵器禁止条約
森瀧市郎・春子の活動年譜
主な引用・参考文献

松重美人「世界の記録写真」をめぐって

松重美人「世界の記録写真」をめぐって

記事見出し
世紀の記録写真 米誌が全世界へ紹介 
   生きている”死せるカメラマン”
『夕刊ひろしま』1946年7月6日第2面(広島県立文書館蔵)

出典:『禁じられた原爆体験』(堀場清子、岩波書店、19950623)pp.57-71

 

 

広島は訴える 原爆広島11年の記録

『広島は訴える 原爆広島11年の記録』(小積明男<川手健?>編、発行者:吉川清、発行所:広島原爆資料出版会、19560801)

目次

見出し
002 その朝までの広島
005 運命の日、八月六日
014 原爆は平和をもたらしたか
019 魔の遺産、原爆症
045 原爆被害者の生活
069 原爆被災児の実態
082 原爆被害者の運動
103 原水爆禁止運動の発展
128 附録1 原爆障害者調査結果表(原対協発表)
132 附録2 原爆被害者の損害賠償請求起訴状
145 附録3 損害賠償請求訴訟の政府側答弁書

「原爆一号」といわれて

『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)

目次

 見出し
 はじめに
 1  怒りこみ上げる基本懇の答申
1  運命の日
  8  夜勤明けのその日
 19  死に脅える毎日
 23  八月一五日
2  救護所での日々
26  血と膿の体
29  極貧の日々
 32  死亡者名簿の私の名前
 37  救護所の閉鎖
39  日赤病院へ入院
3 43  原爆一号
44  原爆一号の命名
 49  インタビューや訪問客に追われる
写真(1947年)広島日赤病院の屋上でライフ誌の撮影に協力。
51  医学学術集会での研究材料
写真(1949年)広島日赤病院を慰問したプロ野球選手と。故小西得郎氏、藤村冨美男氏の姿も。
54  ケロイド手術の失敗
57  患者会結成と強制退院
4  原爆ドーム横集落時代
62  野宿
65  原爆ドーム横にみやげ物店開店
70  被爆者を訪ね歩く
78  原爆傷害者更生会の誕生
83  原爆乙女と私
写真(1950年)日赤広島病院を訪れた日本ペンクラブの一行と。故川端康成氏の姿も。
写真(1953年)東大附属病院小石川分院で、原爆乙女の診察に立ち会う。
5  被爆者運動の組織化
92  原爆被害者の会を結成
100  ケロイドを見せものにしてなぜ悪い
写真(1963年)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。
103  原爆被害者の会の協力会
105  原爆被害者の会分裂
111  ABCCの横暴
6  原水爆禁止世界大会
118  平和都市広島の再興
128  原水爆禁止広島市民大会
129  ネール首相の広島訪問
写真(1957年)広島原爆病院前で故ネール首相と。
131  国会請願と日本被団協結成
134  原爆一号の店取り壊し
写真(1957年)原爆一号の店の前で。
136  原水禁運動の分裂
7   バー「原始林」開店
 138  マスターの私、ママの妻
140  ホステス、被爆者の売春婦
 144  不愉快な客
  8 東南アジア歴訪
 150  パール博士の碑文への疑問
  157  インドネシアでの広島出身元日本兵
 9  映画と私
  164  「原爆の子」
 166  「ひろしま」
  167  「生きていてよかった」
  168  「二十四時間の情事」
 169  「ヒロシマ一九六六」
 175  「記録なき青春」
 176  「ヒロシマの証人」
 177  挫折した「小さな恋人たち」
 178  「灯は生きていた」
 178  流産した「にっぽんの青い鳥」
  180  反響をよんだ「はだしのゲン」
10   折り折りの人
 182  宗教と私
 186  病に倒れた峠三吉
 189  首相官邸前で割腹自殺した小林雲徹
写真(1957年)クリスマス島英水爆実験に抗議して座り込み。右端が小林雲徹。
 193  ガンで死んだ南小一
 197  広島へ通った土門拳
写真(1953年)原爆一号の店の前で土門氏と。
 203  結びにかえて

平和のともしび 原爆第一号患者の手記

『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815)目次

 事項
口絵 上図:著者の両腕と背のケロイド(松笠やうのもの)
下図:ライフ誌上に掲載された一文
「ライフ」特派員より著者に送られた書簡
病床にある著者と妻。英文はタイム誌上に掲げられた一文
永久に平和記念館として保存される旧産業奨励館
 1 序 (富田勝己 <京都府立医科大学外科教室> )
5 目次
図:避難場所、休憩場所
 1  思ひ出の八月六日
 4  悲しき経験
  11  命は助つたが
 15  生の欲望
「大粒の雨」、「西原国民学校」
 21  遂に失神
「祇園青年会館」
 25  その夜の救護所
「祇園神社」
 29  可部町勝圓寺にて
 29 父を亡ふ
「可部の警察署の診療所」、「勝圓寺の御堂」
  33  八月十五日を迎ふ
  37  顕著な原爆症状
 42  絶望より微かな希望へ
 52  焼土廣島の見開
  59  復員列車をみる
  63  友情に泣く
 三次町より川内村へ
70  無医村に迎へる冬
 赤十字病院に入院
   75  三度廣島へ
  79  闘病生活つづく
 87  山根さんの人間的魅力
   91  再び思ひ出の八月六日
  97  平和の黙祷
 100 死の淵を彷徨
 103  春を迎へて
  105  平和の礎石に
  111  実験臺上へ
116  「ライフ」特派員と會ふ
  122  跋 (伊藤嘉夫 広島赤十字病院皮膚科医学博士 )
 後記( 吉川清)
 bk490815b bk490815c
 bk490815g
 口絵

京都印書館=1944年(昭和19年) 人文書院と立命館出版部ほか京都の出版社数社が企業整備により統合し誕生した出版社。http://www.jimbunshoin.co.jp/company/c285.html

 

 

原爆第1号吉川清の試み

【資料】原爆第1号吉川清の試み

『中国新聞』 1951.4.3
原爆第1号きのう退院
昭和21年1月広島赤十字病院に入院、療養をつづけていた原爆1号吉川清氏は前後16回におよぶ手術で健康を全く回復し2日午後退院、5年2ヵ月の病院生活に別れをつげた。
(吉川清氏談)私は原爆による限りない苦悩を過去の長い病床生活において切実に味わってきた。同じような原爆による傷害者とかたく手をたずさえ、更生の道をどこまでも突き進みたい。このような意味からこのたび広島原爆傷害者救済援護会を設立した。

『中国新聞(夕刊)』 1951.6.4
インドから援助第1号!
めぐり来る原爆7周忌を前に原爆第1号患者として有名な吉川清氏(38)を中心に同病傷害者のうち127名の有志が内外の浄財によって人造パール製造の共同作業所と原爆患者診療所を設置し、相互に雄々しく立ち上がらんとする朗話がある。
原爆傷者立上がる 作業・診療所“われらの手で”
発起人に選ばれた吉川氏は6年にわたる入院生活からさる4月2日退院、爆心地産業奨励館ドーム前に夫人生美さん(30)とともに外人相手にみやげ物店を開業、細々ながら再起の日々を送っていたが、たまたま同地の整地作業に訪れる原爆ケロイド患者の日雇人夫の人々と病状を語り合うと共に、身体障害でどん底の困窮生活にあえぐ人々の多きを知り“なんとか相携えて働ける仕事 もちたい”と話し合った結果、予算70万円で次の事業計画をたて、かつて日赤入院時代同氏を見舞った内外人にこの基金募集を呼びかけ、すでにインドのシャルマン氏(昨年12月来広)がニューデリーにおいて松本滝蔵代議士と会見、50万円寄付の伝言があり、6月からは地元名士の援助署名運動に着手している
▽共同作業場=主として海外輸出用の人造パール(真珠)の製作ならびに販売
▽原爆患者の診療所の設置=原爆患者に対し実費治療ならびに一般困窮者の無料診察および相談(担当医は日赤副委員長服部達太郎氏が無料奉仕で当たる)
(吉川氏談)なんとかこの同病患者が結束して暗い気持を忘れ仕事にぼっとうして立上がれば幸いと思っています。予算面もインドから50万円近く送金するという手紙もあり、残りは私がリュックサックを背負って全国資金行脚してでも完成さす決心です。