「02月忌」カテゴリーアーカイブ

小野文子

小野文子<作業中

おの・ふみこ ****生20080201没 享年 広島大学原爆死没者慰霊行事委員会の委員。

関連資料

年月日 資料名 著者・作成者
19850110 追悼記 一冊の貯金通帳番号控より 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会
19931020 追悼記 増補 ヒロシマの願い 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会
 19950330  創立90周年記念誌  広島大学付属中・高等学校90周年誌編纂委員会

 

年表:小西のぶ子(抄)

「小西のぶ子年表」(『炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集』所収)

月日 事項 備考
1906 1025 草津(現在広島市西区)に生まれる。父・小西末吉、母・ヨリ。
1928 日本大学専門部社会科にて三木清に学ぶ。
1941 広島電鉄社会福利課勤務(寮母)
1945 0806 広島にて被爆、一子満義(13歳)を失う。
0926 応急の事務室の黒焦げ電車の中で三木清の獄死を知る。
0927 原爆症で動けなくなる。※蝸牛吟社の同好となる(緑雨の号)。
1949 広島電鉄労組婦人部長、私鉄総連中国地方婦人部長。
06 日鋼争議を支援。
1950 0716 広島電鉄労組「勅令311号」違反容疑で家宅捜索、8名逮捕。
1002 平和擁護広島大会に峠三吉と共に議長団として参加。
1023 広島電鉄労組38名のレレッドパージ。姪の安部礼子婦人部長と共に広電を追われる。行商で妹和子と峠三吉の生計を支える。
1951 婦人民主クラブ広島支部設立。
1952 原爆被害者の会結成に参加。
※『われら母なれば(原爆体験記)』に「腐爛地蔵」発表―エスペラント語翻訳で世界に紹介される。
1955 0806 第一回原水禁世界大会に準備委(県婦協三役)として参加。於広島。
1956 第二回原水禁世界大会に被爆者代表として参加。於長崎。
1959 原水禁母の会結成。
※女性俳句誌『黒雨以後』に参加。
1960 安保闘争、婦人民主クラブとして国会闘争に参加。広大生逮捕者の救援活動
1961 『ひろしまの河』発刊、編集担う
1962 原水禁常任理事。
1965 母ヨリ失う。
1966 サルトルに出会う。
1967 『ひろしまの河』に宋年順聞き書きを発表。
※沖縄返還運動で訪沖。
1968 原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争に参加。
東北・北海道へ援護法制定要求行動50日行脚(巡礼に参加)
1969 0806 無期限スト封鎮中の広島大砦の八・六広島反戦集会に参加。
0818 広島大砦決戦の救援で活躍。
1970 0805 広島被爆者青年同盟結成に協力。
1971 0415 天皇来広糾弾闘争に参加。
0806 佐藤来広糾弾闘争に参加。
1010 全国被爆者青年同盟結成に協力。
中国訪問団(婦民)に加わる。
12 高陽病院建設全国キャラバン支援。
三里塚闘争に参加。
1972 0801 高陽病院(第一診療所)開設。
反公害、婦民運動、反弾圧闘争などに活躍。
婦民創立25周年に参加。
1974 戸村一作選挙応援。
1975 壱岐遺骨収集に加わる。
三里塚百万人動員中四国実行委員会結成、事務局長となる。
0417 三里塚現地集会に参加。
0622 反戦陂爆者の会結成、会長となる。
12 俳句集『腐爛地蔵』出版。
1978 0226 『腐爛地蔵』出版記念会。
1980 脳血栓で倒れる。
1981 草津南町義勇隊の碑建設。
1982 宮岡砂川反対同盟行動隊長の葬儀出席後北富士に行く。
反核行動(広島、大阪、東京)に参加。
『地獄絵』発刊。
1984 0910 骨折、脳血栓で入院(小山外科)。
1985 03 三里塚現地集会参加(最後)。
0805 8・5婦民集会参加(最後)。
11 入院(記念病院)。
12 退院。
1986 06 入院(加川外科)。
1987  0207 午前7時50分逝去(享年80歳)。

地獄絵 草津南町国民義勇隊全滅の記録

『地獄絵 草津南町国民義勇隊全滅の記録』(小西ノブ子著、田螺社、19821105)<作業中

内容

口絵写真
被爆直後の土橋付近
被爆直後の寿座付近
草津救護所
草津漁港
国民義勇隊追悼之碑
草津南町国民義勇隊戦災死者名
碑文
国民義勇隊出動指令伝達
006 発刊のことば 小西ノブ子
009 草津南町国民義勇隊全滅の記録
070 遺族探し
077 手記
<遺族8名>
098 慰霊碑建立に寄せて 門妙子
101 私の原爆体験記(堀憲義)
123 手記 腐爛地蔵( 小西ノブ子)
145 座談会
172 編集後記
174 あとがき(小西ノブ子:遺族代表)
175 著者略歴

炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集

『炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集』(小西のぶ子遺稿集編集委員会、社会評論社、19880806)

内容<作業中

口絵
001 母と子(丸木俊)
007 刊行にあたって
008 きびしさと優しさと(宅和純:小西のぶ子遺稿集編集委員会・小西記念館設立準備委員会代表)
011 若者の中に生き続ける(下田礼子:遺族代表)
014 反戦ひとすじ-ヒロシマの母(伊豆ハルミ:婦人民主クラブ全国協広島支部)
019 Ⅰ 被爆のあとさき
020 [解題]
023 1 私の花物語
023 さくら
032 花菖蒲
040 黄水仙
048 夾竹桃
056 牡丹
065 鈴蘭
074 鈴蘭(続)
083 2 被爆のあとさき
083 戦前・非合法時代のこと
086 1945年8月6日のこと
087 峠三吉のこと
091 人間の尊厳―イースター行進
宮本定吉のこと
093 II 人間を返せと
094 [解題]
097 1 腐爛地蔵
崩壊 腐爛地蔵 餘燼 肉親たち 鈴ケ嶺収容所 婦民200名が長崎で集会 許せぬ安保改定強行 原水爆禁止広島母の会 初の広島母親大会 憲法の勉強はじめる
117 2 人間を返せと
124 III  ヒロシマに生きる
―[解題] 124
1 ピカドンはまだ消えない 127
2 原爆慰霊碑めぐり 132
白いつつじ 花時計 梅雨の晴れ間 8月6日 似の島 嵐の中の母子像 広島郵便局殉職碑 「原爆の子」の像 崇徳学園
3 原水禁運動をみつめて 175
岩国基地 原水禁運動をみつめて [資料]被爆17年の市民感情の方向 原爆病院を訪ねて 癒える日のないヒロシマ
4 平和は名もなき大衆が守る 202
春のいずみ 平和は名もなき大衆が守る
5 ヒロシマの声 207
子どもと放射能禍 広島の史跡残そう 8・6の季節はじまる 被災者を慰問 広島での人間蒸発の事実 人類の殉教者といわれても ズシリと重さを感じる折りづる 孤老とラジオ 大みそかに1年ぶりのお風呂 よみがえる大本営! ヒロシマ 原爆都市の名にそむく 被爆者に冷酷な特別措置法 農村で喜ばれる検診車 「止むなし」と被爆者は思う 「あのときはどうしとったん」 生活保護の被爆者 追憶の記
6 歩く―聞き書き 230
生まれた子供の顔がみたい 7年目の邂こうから 午前2時15分 その刻を私は無くしたい 遺影をしのんで 歩るく ケロイドから皮膚癌に きのこ会 原爆スラム街相生通り 亡き崔秀子さんと綾子さん 原爆投下の目標はどこであったか
7 新樹の楊 293
8 婦人民主クラブの活動 307
広島でも300人を集める (論壇)出る身になって
312 IV 炎と燃えて
―[解題]
1 広島の夏 314
広島の夏誓い新たに! 心の傷は癒えない 人間をかえせ! キャラバン隊ニッポン行脚 雀らにドームは親し夏蓬莱
2 反戦被爆者の会へ 327
今こそ反戦被爆者の会へ結集しよう 「反戦被爆者の会」結成宣言 被爆33周年 8・6広島反戦集会賛同よびかけ 反戦被爆者の会8・6総括会議から あいさつ 悲しみを怒りにかえて 編集後記 巻頭言 迷ったら原点に還れ 会長あいさつ 巻頭言 8・6の復讐戦へ 編集後記 巻頭言 農地死守の不屈の精神に学べ 峠三吉と現代
3 朝鮮人被爆者の戦後 354
朝鮮の被爆者が花束 朝鮮人被爆者への差別 在韓被爆者の戦後はつづく 韓国徴用工 遺体発掘の行 差別と貧困 ベトナムは人ごとではない
4 沖縄とアメリカの被爆者 372
貧しい沖縄から出てきて広島で被爆 広島原爆で死んだ米兵捕虜23人 消える海
5 正しい者は勝たねばならない 380
人権侵害に抗して 侵略に加担しない反戦教師、人事委と対決 綿ぼこりのなかのスト “小西さんはダメ”MP・私服が立入拒否 広島を軍靴で荒らすな! 正しいものは勝たねばならない 県労会議・原水禁への手紙
6 公害で市を告発 391
戦争の傷跡のこす毒ガス「障害者」 公害で市を告発 公害で泣く“神の島”(安芸の宮島) 石ケン害デマでシャボン玉戦争
7 句集刊行 402
句集『腐爛地蔵』への序―秋光泉児 402
句集『ヒロシマ』とするために―豊永恵三郎 408
412 V たおれてもなお
―[解題]
415 1 三里塚と連帯し核戦争を許さぬ闘いを
広島と私と三里塚 砂川から北富士へ 日本原風物詩 三里塚と連帯し核戦争を許さぬ戦いを
424 2 たおれてもなお
人類の巡礼者 『地獄絵』の手記のお願い 地獄絵周辺 私の絵と藤の花 日記抄
440 3 アピール
発刊にあたって 婦民運動の力強い発展を 全関西実行委員会宛アピール 動労千葉ジェット燃料貨車輸送阻止闘争へのアピール
[小西のぶ子氏を追悼する] 焼野(やまかわさくじ:反戦被爆者の会) 447
451 [小西のぶ子氏を追悼する]比類なき戦闘精神をわがものに人民解放の偉業を引き継ぐ(革命的共産主義者同盟 中・四国地方委員会)
456 小西のぶ子年表
459 あとがき

重松逸造

重松逸造 しげまつ・いつぞう

19171125生20120206没 享年94  放射線影響研究所理事長(1981.7.1-1997)。箕輪真澄「日本の疫学における重松逸造先生の足跡」(『ヘルスサイエンス・ヘルスケア12-1』2012)

 

原爆後障害研究と原医研
『広島大学原爆放射能医学研究所創立30周年記念講演会記録』
広大原医研30周年-10
広大原医研30周年-11

今堀恭子の面影

『今堀恭子の面影』(今堀一枝編、今堀友市、19560302)

内容<作業中

第1部 遺稿
1 短歌 1
2 詩および物語詩 21
3 学校劇「運命の並木路」 63
4 随筆 93
5 民話「マコマの話」(翻訳)137
6 小説「悪魔の悲しみ」(翻訳)143
7 「死」についての言葉 229
第2部 小伝
恩寵は溢る -今堀恭子の追憶-(今堀一枝)235
誕生/大阪へ/入学/一本橋を渡るけいこ/お誕生日/作文/赤い鳥/紫式部が好き/鈴蘭の花/中島小学校/女学生時代/ヘレフォード夫人とジュリアさん/女高師時代/文理科大学時代/父の外遊/福山へ/大学副手に/大阪へ/大阪時代に思い出すことの一、二/工員/原爆投下/あずまくだり/佐原の生活/東京へ/乳癌/日赤病院に入院/ギブスのなやみ/癌ではなかろうか/病篤し/解剖/医師のノート/
納棺式/告別式/式の順序/
弔電 279
弔辞1/尚志会代表(杉本直治郎)/  280
弔辞2/市女同窓会代表(神谷文子)  283
弔辞3/文理大同期生代表(森田武)  284
弔辞4/  286
弔辞5/受業生・同窓会代表  288
弔辞6/ 289
恩寵溢る  292
第3部 思い出
1 友人 299
2 旧師 327
3 別懇 339
4 受業生 353
5 家族 361
今堀友市
今堀淳一
今堀誠二
今堀宏三
今堀和友
今堀百合子
6 雑録387
故今堀恭子氏告別式(日本基督教団広島教会週報第9号 2月27日) 388
原爆症が影響か 今堀さんの死亡(中国新聞 2月28日)
原爆症で友を失う(皆実有朋新聞 30年4月1日)
 今堀恭子先生逝去さる(豊多摩同窓会会報 30年7月1日)
年譜 391
後記 396

 

資料年表:山岡ミチコ

資料年表:山岡ミチコ<作業中

 年月日
19530905 『花の命は短かくて 原爆乙女の手記』(小島順編、 共同出版社)
 19730717  『ひろしまの河』第17号( 原水爆禁止広島母の会)
19951223 『広島大学公開講座:被爆50年-放射線が人体に与えた影響』(広島大学放送教育実施委員会、19951001)
 1995yamaoka
  20070101  2007yamaoka2
  20130201  「山岡ミチコさん 被爆し 渡米治療」(『中国新聞』20130201、田中美千子記)http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=8665

 

山岡ミチコ

山岡ミチコ

やまおか・みちこ ************生20130202没 82 被爆証言者。被爆10年後に渡米しケロイド治療を受けた女性25人の一人(『中国新聞』)

広島大学公開講座の宇吹担当回に出演。

 

河合幸尾論集 社会福祉と自立

『河合幸尾論集 社会福祉と自立』(河合幸尾、かもがわ出版、19980420)

内容

刊行にあたって―河合幸尾氏の研究業績と残された課題  真田是
1⃣ 社会福祉と自立・主体形成
社会福祉において、いま、なぜ自立か
現代の生活問題
福祉イデオロギー
社会福祉の到達点
2 社会福祉における自立とは何か
社会福祉の目的と福祉諸法における「自立」の位置  16
自立と人間的・社会的自由
社会福祉の権利と福祉労働の意義
3 自立に必要な諸条件の確保をめざして 23
生存権(生活権)空洞化の系譜  23
ナショナル・ミニマムと在宅福祉サービス
80年代以降の我が国住民運動の特徴  26
ワーカー・福祉諸機関の自立と主体性
「参加型福祉とボランティア活動(運動)の主体性
2⃣ 戦後生活保護行政の変遷
はじめに
旧生活保護法の成立と展開
1「生活困窮者緊急生活援護要綱」
2旧生活保護法の成立
3旧生活保護法の展開  47
4生活保護法改正への動き  54
5対日「民主化」政策のねらい
生活保護法の改正  65
1改正にこめられていた課題  65
2社会保障制度審議会勧告と国会審議
3新生活保護法の発足と社会福祉主事制度の誕生
保護「適正化」政策の展開  77
1再軍備政策と生活保護  77
2生活保護「適正化」政策の展問  81
3昭和二九年度社会保障関係予算削減問題
4生活保護闘争の発展と朝日訴訟の始まり
生活保護の低迷と低所得層対策  98
1「高度経済成長政策」と低所得層
2昭和三〇年代前半の生活保護
3低所得層対策と生活保護
生活保護における「ケースワーク」の展開
1厚生省生活保護理論とケースワーク
2生活保護行政における「ケースワーク」の変遷
3「ケースワーク」の行方  125
資本の強成長と生活保護の「整備」  129
1昭和三三年~三五年の改訂  129
2昭和三六年度第一七次改訂  134
3昭和三八年までの保護行政の展開
保護弾圧と労働力流動化政策の展開
1生活保護おける弾圧の開始
2弾圧期における保護の実態と全生連運運動
3労働力流動化政策としての生活保護
おわりに
3⃣ 追悼
研究者仲間から
医療生協の人びと
同窓、同郷の人びと
教え子たち
家族
河合幸尾教官研究業績一覧
河合幸尾略年譜
あとがき  228