「04月忌」カテゴリーアーカイブ

ヒロシマ日記(蜂谷道彦著)翻訳書

『ヒロシマ日記』(蜂谷道彦著、朝日新聞社 1955年9月25日)Bk550925

広島逓信病院・原爆資料展(2000年6月7日)にて撮影

発行年 翻訳語
1955 Bk550925a米HIROSHIMA DIARY,
Translated & edited
by Warner Wells,
Copyright 1955
by The University
of North Carolina Press.
1955 イギリス Bk550925b
1955 オランダ Bk550925c
1955 イタリア Bk550925d
1956 ドイツ Bk550925e
1956 チェコ Bk550925f
1956 スウェーデン Bk550925g
1957 フランス Bk550925h
1957 ラトビア Bk550925i
1957 スロバキア Bk550925j
1958 英語普及版 Bk550925k
1959 ポルトガル Bk550925l
 
参考文献 1)「広島の原爆雑話 その1~その12」(逓信医学2巻1号~4巻4号 1950年8月~52年11月)
2)蜂谷道彦など「{座談会}原爆の思い出を語る」(「郵政」1952年8月)(「広島原爆医療史」に再録)
3)中国電気通信局「広島原爆誌」(1955年8月6日)
4)広島市役所「広島原爆戦災史」第三巻(1971年10月6日)
5)「ヒロシマ日記」(法政大学出版局 1975年6月30日)

 

広瀬ハマコ

広瀬ハマコ

19050215生19880424没 ひろせ・はまこ 享年83
前広島女学院理事長。原爆で壊滅した母校の復興に半生をささげる。

資料

広島女学院と共に 広瀬ハマ子先生文集 広瀬院長退任記念事業委員会 19741120

 

占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)

広島市公文書館開館30年講演会(2007年9月29日)
占領下における被爆者医療活動-医学博士・都築正男資料から
宇吹 暁(広島女学院大学)

はじめに
1972年2月3日、日赤に重藤文男院長を訪問。
都築著『医学の立場から見た原子爆弾の災害』借用。
1978年6月11日、80年11月17日~18日、都築家資料調査。
1994~96年度 科学研究費補助金
1995年12月23日、広島大学公開講座「原爆医療法制定前の被爆者問題」。

Ⅰ 占領下における被爆者医療活動
『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』
(広島大学1995.10.01)<資料1

Ⅱ 都築資料の概要
広島市寄贈(1981年7月6日)点数
書簡・葉書53点、論文247点、講演要旨27点、写真19点、雑誌17点、調査票9点、地図9点、その他264点 計645点 <『広島市公文書館紀要 第5号』(広島市、1981.03.31)>
『広島新史 資料編1(都築資料)』(広島市、1981.03.31)
目次<略>

Ⅲ 都築正男をめぐる現在

1.文献

1.文献

No. 発行年月日 書名 著者・編者 発行所
  1959.07.21 原水爆時代-現代史の証言(上) 今堀誠二 三一書房
  1972.03.31 広島県史・原爆資料編 広島県(編) 広島県
  1979.07.25 広島・長崎の原爆災害 広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会(編) 岩波書店
  1980.08.06 桜隊全滅-ある劇団の原爆殉難記 江津萩枝 未来社
  1981.03.31 広島新史・資料編Ⅰ-都築資料 広島市(編) 広島市
  1981.03.31 広島市公文書館紀要 第5号 広島市(編) 広島市
  1981.04.05 都築正男研究業績目録-都築正男大人命20年祭 広島市史編纂室(編) 都築正和
  1982.11.10 長崎原爆体験-医師の証言 調来助・吉沢康雄 東京大学出版会
  1986.08.11 DDT革命-占領期の医療福祉政策を回想する サムス,クロフォード、F.、竹前栄治(訳) 岩波書店
  1990.10.18 核と共に50年 木村一治 築地書館
  1995.03.30 漱石の脳 斎藤磐根 弘文堂
  1995.10.01 広島大学公開講座・被爆50年
-放射線が人体に与えた影響
広島大学 広島大学
  1997.02. 原爆被爆者対策史の基礎的研究―原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28)資料集― 宇吹 暁 宇吹 暁

 2.今堀誠二の評価

占領軍と日本人科学者:サムス、アレン、ケリー、  ジュノー

『原水爆時代-現代史の証言(上)』、『広島県史・原爆資料編』、(『広島・長崎の原爆災害』)、『広島新史・資料編Ⅰ-都築資料』

3.検閲
「所謂『原子爆弾傷』に就いて-特に医学の立場からの対策」(『総合医学』、1945年10月1日)
<ゲタバキ部分あり。「昭和20年9月8日米国原子爆弾損害調査団を案内して広島市へ向ふ時記す」>

4.調査データのプライオリティ
大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡(1953年5月3日付)の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)。
大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」

5.政府機関
予防衛生研究所、文部省、厚生省研究班、

6.広島・長崎の医療関係者
*都築正男報告(新聞発表)『中国新聞』
1945.9.4  9.5  11.25    1946.5.22  12.21
『広島県史・原爆資料編』(広島県、1972.03.31)
*公開治療
*松坂義正(広島)、調来助(長崎)
*学研調査団資料 調査票

7.被爆者
1945年8月13日、仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院。24日、仲みどり、東大病院で死亡。30日、東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。

1956年4月15日、東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。

「畑とし子」=<東京の日赤で都築博士の治療を受ける>『あの日から生きて生きて』(1986年2月20日)
宗藤尚三=<被爆場所:1.3キロ自宅。大学生。日赤・似島・庄原日赤で治療。庄原では都築の診断を受ける。>『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』(1992年6月10日)

広島は訴える 原爆広島11年の記録

『広島は訴える 原爆広島11年の記録』(小積明男<川手健?>編、発行者:吉川清、発行所:広島原爆資料出版会、19560801)

目次

見出し
002 その朝までの広島
005 運命の日、八月六日
014 原爆は平和をもたらしたか
019 魔の遺産、原爆症
045 原爆被害者の生活
069 原爆被災児の実態
082 原爆被害者の運動
103 原水爆禁止運動の発展
128 附録1 原爆障害者調査結果表(原対協発表)
132 附録2 原爆被害者の損害賠償請求起訴状
145 附録3 損害賠償請求訴訟の政府側答弁書

川手健を語る

『川手健を語る』(川手健を語る会編、岡本智恵子 19950806)

川手健を語る会

とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円

目次

事項 備考
002 案内状 発起人=13人
003
とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円
003 川手健君の横顔
004 川手健を語る会発起人
005 出席者 <宇吹暁が藤居平一の指示で代理として出席>
008 川手健追悼会(発言者)
大牟田(司会)
012 長崎
013 高橋
017 好村(司会)
018 岡田
021 中江
023 岡田
023 司会
025 松江
028 野村
028 司会
029 松野
031 司会
032 広岡
033 司会
033 望月
036 司会
037 森滝
046 司会
041 岡本智恵子(朗読) 「かんかんがくがく 黒い橋―あるコミュニストの死―」(『中国新聞』19600605)
043 司会
043 温品
044  司会
044 石田
047  司会
047 里信
048  司会
050 寺前
051  司会
052 高橋
053 石井
054 文沢
054  司会
055 石井
060  司会
060 沼田
061  司会
061 丸本
062  司会  メッセージ紹介
062  藤居平一
063  佐久間澄
 063  伊東壮
 063  竹内武
 063  杉本きみよし
 064  高橋昭博
 064  村上操
 064  多地映一  本名:田村順一
 064  小久保均
 065  司会
  065  石川
 066  司会
  066  川本
 067  高橋
 069  司会
 070  川手健  半年の足跡(「原爆に生きて」195306)
 080   川手健  ”傷は癒えたか”応募原稿
 087  川手健  年譜
 091  且原澄夫  川手健君のこと(1989.2.24)
 099  山元敏之  東京で38日間生きた
 104  新聞記事
 105  新聞記事
 106  広島大百科辞典
 107  新聞記事
108 奥付 100部発行の40

フロイド・シュモー

フロイド・シュモー

18950921生
20010420没
享年
105歳
1983年)11月15日広島市特別名誉市民
「ヒロシマの家」(シュモーハウス)の建設・寄附を通じて平和運動に尽力。

資料

 

半生雑記帳(続)

山田浩『半生雑記帳(続 )―旧制広高・広大・ヒロシマ』(溪水社、19880310 )

目次

部章
第1部  還暦を迎えて
第2部  大学教師の周辺
1 私とクラシック音楽-文化的なものへの(あこがれ)
2 広大改革とは何だったのか-あるロマンチストの回想
3 広島大学平和科学研究センターと社会科学研究科の発足
1 平和科研センターのこれまでの経緯と今後の課題-平和研究の制度化推進のために
2 これからの平和研究-広大平和科研シンポから
3 新発足の社会科学研究科-新しいコスモロジーの工房
4 随筆3編
5 書評2編
1 戦争と人間と怨念と-『シベリア抑留』を読んで
6 御逝去を悼む
1 海 一寸に青みたり-羽白幸雄先生の死去を悼む
2 弔辞
3羽白先生と犬たちのこと 児玉昭人
4 湯崎さんの死
第3部 核問題とヒロシマ
第4部 平和教育
著者の略歴と業績

半生雑記帳

山田浩『半生雑記帳』(溪水社、19850215)

目次

部章
第1部  旧制広島高等学校時代のこと
第2部 軍隊生活と研究室時代
1 私の戦争体験あれこれ
2 戦後の今中先生のこと
第3部 大学教師の周辺
1 畏友石井金一郎氏の死
1.“ヒロキン・グリル”閉店の記
2.実態に根ざす理論を
2 ソビエト紀行・通訳のことなど
3 折りにふれての感想
第4部 核問題とヒロシマ
1 選挙ルポ2題
2 書評2編
1.御田重寳『人間の記録-ノモンハン戦』を読んで
3 III核軍拡競争と核軍縮の歴史について
4 討論集会における2つの報告
5 時論7編
著者の略歴と業績

 

まどうてくれー藤居平一・被爆者と生きる

大塚茂樹著『まどうてくれー藤居平一・被爆者と生きる』(旬報社、20110708)

目次

見出し
はじめに
1 本川で鍛えた快速スイマー
2 日本の勝利を固く信じて
3 原爆で死んだ父と妹
4 鈴木店三代目の社長として
5 原爆被害者を救おうという声を受け継ぐ
6 原爆被害者たちの先頭に立って
7 国会請願行動、そして日本被団協の結成へ
8 「まどうてくれ」という叫びとともに
9 実業へ復帰しても志は変わらず
10 反原爆の思いを貫き通して
11 人間の絆を愛し続ける
おわりに

人間銘木-藤居平一追想集

『人間銘木-藤居平一追想集』(「藤居平一追想集」編集委員会、藤居美枝子刊、19970417)

目次

表題 三田嘉一 筆
口絵 略歴
三田嘉一 悲願成就は近からむ
写真でたどる足跡
弔辞 廣安晴通
奥島孝康
田中聰司
同窓・碧空会
同窓・アカシア会
 戸井正典  生活を哲学化
「被爆者援護の在り方を検討していた七人委員会の座長茅さんと、三十分の約束で藤居の希望により長倉司郎」・広藤道男・早大総長秘書に私の四人が同席して茅事務所でお会いしたことがあった」
井内慶次郎 女子大の設立に尽くす
「平成七年秋、・・・最後の別れとなった。その時、藤居さんは原爆問題にいかに取り組んできたかを熱っぽく説かれた。平岡広島市長が熱望する平和研究の拠点を広島市立大学に、どのような構想で設置するか、関係者間で検討されているが、その設置準備委員会の末席を汚している。藤居さんの供養のためにも、国際的で学術的にも高い水準の研究所が実現できればと念願する。」
同窓・稲門(中島正信先生を偲ぶ会)
 田中耕作  恩師への厚い報恩
(稲門・校友会)
田中由多加 被爆者援護にささげて
家業・地域
野本英明 人間銘木を集めた人
「第九回の全国銘木展示会が広島県銘木事業協同組合の実行で四十年十一月四~八日、開かれた。被爆二十周年で春日大社宮司の「木魂祭」があり、大会代表の慰霊碑参拝、原爆病院への見舞いなどが行なわれ、・・・」
原水禁・被爆者運動
伊藤サカエ 被爆者集合を号令
阿部静子 火の玉の救世主
池田精子 娘のように励まされて
高野(旧姓村戸)由子 先生からもらった勇躍
竹内武 生きていてよかった
松井美智子 喰ってかかって泣かせた私
松江澄 一概な愛情にひかれて
山口仙二 誤って奥様の寝床に
森田実 送られた資料の山
吉田嘉清 しびれた運動センス
 伊東壯 「原点」に学ぶ
研究・報道
庄野直美 泊まり込みで激論
広藤道男 被爆線量と向き合う
舟橋喜恵 悲願は世界被団協の結成!
宇吹暁 原爆被害問題研究の恩師
江種則貴 スケールも声も、大きな人
狩野誠一 ヒロシマの先輩
河野一郎 世話役
西本雅実 伝説の居士
水原肇 藤居さんと今堀さん
家族・親族
報道記事
あとがき