『明日を創る―提言・新世紀の社会保障』(森井 忠良、NTT出版)
内容<作業中>
序章 | 新世紀の福祉社会建設のために | |
第1章 | 豊かで成熟した福祉社会の創造 | |
第2章 | 新時代の社会保障制度の構想 | |
第3章 | 安全で質の高い生活を確保するために | |
第4章 | 過去から未来へ・時間軸を見据えて | |
止
『明日を創る―提言・新世紀の社会保障』(森井 忠良、NTT出版)
内容<作業中>
序章 | 新世紀の福祉社会建設のために | |
第1章 | 豊かで成熟した福祉社会の創造 | |
第2章 | 新時代の社会保障制度の構想 | |
第3章 | 安全で質の高い生活を確保するために | |
第4章 | 過去から未来へ・時間軸を見据えて | |
止
資料年表:森井忠良<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1829 | ||
0725 | 誕生(広島県呉市吉浦) | |
1953 | ||
早稲田大学法学部卒 | ||
日本電信電話公社入社 | ||
1972 | ||
衆議院議員初当選。以後当選7回 | ||
1996 | ||
0606 | 森井忠良『明日を創るー提言・新世紀の社会保障』(NTT出版) | |
2011 | ||
0423 | 没。享年81歳。 | |
0425 | 『中国新聞』(2011年4月24日) | |
「森井忠良氏死去 元厚相 被爆者援護法に尽力 81歳」 | ||
止
資料年表:深川宗俊
年月日 | 事項 | メモ |
1921 | ||
**** | 誕生。本名:前畠雅俊。 | |
1945 | ||
0806 | 被爆。 | |
1950 | ||
0422 | 新日本歌人協会広島支部を中心に「反戦詩歌人集団結成準備会」を広島市内で開く | C |
0501 | 『反戦詩歌集第1集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会) | U |
0801 | 『戦争はいやだ』(山口健次郎編、暁明社) | |
0806 | 『反戦詩歌集第2集』(深川宗俊編、反戦詩歌人集団準備会)反戦詩歌集第2集 | U |
1951 | ||
0331 | 『私は戦争に生き残った。そして・・・ 15人の戦争記録』(暁明社) | U |
深川宗俊「恐怖の街」pp.128-134 | ||
0815 | 深川宗俊『歌集・群列-途絶えざる歌抄』(新日本歌人協会広島支部) | 3 |
1953 | ||
0307 | 深川宗俊(日本歌人クラブ会員)「悲しみに耐えてー『原爆文学』論を中心に」(『中国新聞(夕刊)』19530307) | |
1954 | ||
0215 | 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会、われらの詩の会編、19540215) | |
深川宗俊 「芸術は人間のためにある」98 | ||
0806 | 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房) | |
深川宗俊 132 | ||
1956 | ||
0520 | 『川-広島詩集』(深川宗俊・増岡敏和等編、われらのうたの会) | |
1959 | ||
0201 | 『紫紅の鳥 広島は歌ふ 青史第1合同歌集』(合同歌集編さん委員会編、短歌文学を研究する会「青史」刊 | |
紫紅の鳥によせて 深川宗俊 | ||
0806 | 『広島-原爆の街に生きて』(深川宗俊(著)「青史」編集部(編)、短歌文学を研究する会) | 5 |
1960 | ||
1103 | 『かえらぬ鶴』(瀬戸奈々子、白樺社) | |
祓…深川宗俊 | ||
1964 | ||
0801 | 『The Songs of Hiroshima 広島のうた』(大原三八雄訳、「広島のうた」編集委員会、) | |
第3部 原水爆禁止を ケロイドの貌 深川宗俊 |
||
1966 | ||
0401 | 『歌集新選十二人』(新選十二人著、短歌新聞社) | |
火 深川宗俊 181 | ||
0720 | 『広島はたたかう』(胎内被爆者・被爆二世を守る会) | |
ABCCとその周辺 深川宗俊 | ||
0806 | 『原爆と文化・芸術-その創造と歴史をとらえる』(日本民主主義文学同盟広島支部) | |
文学と原爆 深川宗俊 35 | ||
1016 | 『加害者への怒り-ABCCはなにをしたか 第1集』(原水爆禁止広島県協議会) | |
ひろしまの証言-ABCCを告発する- 深川宗俊 42 | ||
1967 | ||
0301 | 『広島県短詩型文芸合同作品総鑑』(村本節子編、文化企画社) | |
深川宗俊 47 | ||
1968 | ||
0712 | 『ぼく生きたかった-被爆二世史樹ちゃんの死』(竹内淑郎編、宇野書店) | |
史樹ちゃんに捧げるうた 211 うた 深川宗俊 |
||
1103 | 『キャンバスのうた-神崎敏記文集』(「キャンバスのうた」編集委員会) | |
未来をとらえる青年の譜 深川宗俊 23 | ||
1969 | ||
0515 | 『詩集・ヒロシマ1969-戦後25年アンソロジー[改訂新版]』(詩集「ヒロシマ」編集委員会[大原三八雄・栗原貞子・深川宗俊・米田栄作]編) | 5 |
0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
VII 座談会 その6 出席者 615 中村義男・相原和光・林寿彦・永田守男・村上安恵・高井正文・藤田一雄・大原三八雄・山本康夫・深川宗俊・田辺耕一郎・田淵実夫 |
||
1970 | ||
0806 | 深川宗俊『1950年8月6日-朝鮮戦争下の広島』(原水爆禁止広島市協議会) | U |
1971 | ||
0201 | 『河口のある風景 中下煕人歌集』(中下煕人著、青史) | |
中下煕人作品の原点をとらえる 深川宗俊 160 | ||
0515 | 『朱花 宮前初子歌集 新日本歌人叢書』(宮前初子著、新日本歌人協会三重県支部) | |
解説=深川宗俊 169 | ||
0804 | 『未来を語りつづけて 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑序幕にささげる 構成詩』(深川宗俊作・構成、原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会) | |
1215 | 『流灯 ひろしまの子と母と教師の記録 原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局編、石田明) | U |
「流灯」によせて 深川宗俊 276 | ||
1972 | ||
0715 | 『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社) | |
Ⅳ 国、地方自治体と被爆二世 185 4 長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 206 |
||
0806 | 『夾竹桃(広島はたたかう 第三集)』(「夾竹桃」編集委員会編、胎内被爆者被爆二世問題対策会) | |
ABCC協定とは 深川宗俊・31 | ||
1973 | ||
0718 | 『閃光の丘から わがうたまつり 近藤幸子歌集 青史叢書, No.6』(近藤幸子著、短歌文学を研究する会・青史グループ、春陽社出版) | |
広島の戦後史に生きる-歌集「閃光の丘から」鑑賞の手がかりを求めて 深川宗俊 189 | ||
1974 | ||
0925 | 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊、現代史出版会) | U |
1115 | 『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社) | |
原水禁運動と分裂 深川宗俊 111 | ||
1975 | ||
0628 | 『河 民藝の仲間166号』(民藝の仲間」編集部編、劇団民藝) | |
ヒロシマの青春…深川宗俊…(11) | ||
0806 | 『詩画集・ひろしまの子-愛のうた』(深川宗俊(詩)四国五郎(絵)、春陽社出版) | |
1976 | ||
0430 | 『広島・長崎30年の証言(下)』(広島・長崎の証言の会編、未来社) | |
朝鮮人被爆者復権のたたかい 深川宗俊 93 | ||
0501 | 『平和教育運動 No.3』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育会館出版部) | |
朝鮮人問題をどうとらえるか 155 深川宗俊 | ||
0915 | 『坦白抄 短歌とエッセイヒロシマに生きて』(根川由夫著、短歌文学を研究する会・青史グループ) | |
跋文 深川宗俊 248 | ||
1977 | ||
0701 | 『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部、) | |
占領下における文芸 深川宗俊(30) | ||
0806 | 『炎の中の私 第1集』(広島医療生活協同組合原爆被害者の会) | |
「炎の中の私」に新鮮な感動をおぼえる 深川宗俊 34 | ||
1220 | 深川宗俊『さわだちやまぬ海峡の怨-深川宗俊訪韓レポート』 | U |
1978 | ||
0724 | 『『生キテ帰ルンダゾ』 親が子に語る戦争と原爆の話 第2集』(日本キリスト教団広島府中教会内平和教育文集編集委員会) | |
銃後の体験 火の葬いをうけた韓国人遺体 深川宗俊 13 |
||
<以下作業中> | ||
1982 | ||
0401 | 『劇映画・冬のリトルボーイ-対話のための資料集』(深川宗俊編、平和プロダクション) | 5 |
1985 | ||
1220 | 『紫紅の鳥-青史三十三人集・合同歌集Ⅱ』(深川宗俊(編)、短歌文学を研究する会・青史) | |
1990 | ||
0806 | 『歌集・連祷-深川宗俊歌集』(深川宗俊、短歌新聞社) | U |
1992 | ||
0731 | 『海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡』(深川宗俊、明石書店) | U |
2008 | ||
0424 | 没。 | |
止
マッカーサー、ダグラス<作業中>
マッカーサー、ダグラス | 18800126生19640405没 | 享年84歳 | アメリカ陸軍軍人。連合国軍最高司令(1945~50年) |
資料年表:ダグラス・マッカーサー
年月日 | 事項 | メモ |
1880 | ||
0126 | 生 | |
1945 | ||
0919 | ”THE NEW YORK TIMES” | |
M’ARTHUR CLOSES ASAHI, TOKYO PAPER Orders 48-Hour Suspension for Mocking Comment on Our Atrocity Reports SHARED GUILT-CHARGED Foe’s Editional Says Atom Bomb’s Use Is Inhumane – Other Journals Coopetate [マッカーサー、朝日新聞に発行停止を命令] | ||
1964 | ||
0405 | 没 | |
2016 | ||
0929 | 『昭和天皇実録 第9』 | |
<1945年9月27日>午前九時五十五分御出門、聯合国最高司令官ダダラス・マッカーサーと非公式に御会見のため、東京都赤坂区内の米国大使館に行幸される。 | ||
止
『「原爆の子」をうけついで こども・青年・市民の平和へのねがい』(「原爆の子」をうけつぐ会、本の泉社、20120806)
内容
頁 | ||
002 | 宇野豪 | はじめに (「原爆の子」をうけつぐ会会長、修道大学名誉教授) |
009 | 第1部 | 応募作品より |
009 | えみ かりん(小1) | 『8がつ6にちのこと』をよんで |
011 | えきだ あすか(小1) | せかいのへいわ |
011 | 森本あやか(小3) | 『おりづるの旅』を読んで |
014 | ||
014 | 鳥井原聖(小4) | 平和新聞 |
015 | 中元達也(小4) | ヒロシマに生まれて |
018 | 山下穂乃佳(小5) | 命の大切さ |
020 | 大原杏歌(小6) | 戦争はなくなるか |
022 | 藤川とも(小6) | 平和と戦争 |
024 | 遠藤正隆(小6) | 八月六日 |
026 | 尾形萌音(小6) | みんな同じ地球で生まれた仲間 |
028 | 渡辺香依(小6) | 命の尊さ |
030 | 玖村成(小6) | 後悔の後にあるもの |
032 | 好永るり佳(中1) | 平和を世界へ |
034 | 蔡志遠(中1) | 身辺の平和 34 |
036 | 寺本光希(中1) | 六十六年目を迎えた広島 |
038 | 山本研矢(中1) | 身近な平和 |
040 | 高部祐香(中1) | 次に伝えていくために |
042 | 槙場百香(中2) | 平和の大切さ |
043 | 小川稚果(中2) | 知らないことを知ってもらうために |
045 | 城代花佳(中2) | 『原爆の子』を読んで私が思ったこと |
047 | 八木稜平(中2) | 祖父の被爆体験をうけついで |
048 | 佐伯菜那(中2) | ヒロシマを学び語りつぎたい |
050 | 田羅理美(中2) | 他校との交流で深めあったこと |
052 | 市川里奈(中3) | 原爆の子 |
053 | 山田美咲(中3) | 私たちが気がつかなければいけない事 |
055 | 柴田龍人(中3) | 画面上の疑似戦争 |
057 | 岡智慧(高1) | 『原爆の子』を読んで |
060 | 上野結花(高1) | 広島高校生平和ゼミナールの活動の感想 |
062 | 鷹屋桃子(高2) | 空がとっても青いから |
065 | 秋山唯(高2) | 『原爆の子』を読んで |
067 | 川本彩子(高2) | 「世界に平和を」なんて言わない世界 |
070 | 芝亮祐(高2) | 『わたしがちいさかったときに』を読んで |
072 | 原田葵(高2) | 世界はいま平和か。平和でないとするとそれはなぜか。平和を妨げているものは何。自分に出来ることは何か。 |
075 | 加地真理子(高2) | 戦争とは、平和に反するものである |
077 | 馬場智大(大1) | 祖父の「記憶」を受け継いで |
085 | 梶山栞理(大3) | 私の考える「原爆の子」 |
088 | 窪川佐紀(大2) | 私の思う「原爆とむきあう」ということ |
092 | 中山結(大学院2) | 『原爆の子』を読んで今思うこと |
094 | 龍永直記(33歳) | 『原爆の子』をうけつぐ |
098 | 諏訪義圓(39歳) | 『原爆の子』がもたらす気付き |
102 | 上田寿世(49歳) | 子どもたちが命輝かせて生きる世界を |
105 | 宇城昌里子(49歳) | 命 生かされた つながって |
110 | 岡昌子(59歳) | 『原爆の子』を読んで |
114 | 大内正子(60歳) | 「母の記憶」から「私の記憶」へ |
116 | 藤井幸恵(68歳) | 蒔かれた種たち |
119 | (70歳) | |
120 | 大越和郎(71歳) | 『原爆の子』と私 |
選考委員講評 | ||
124 | 大槻和夫 | <委員長>『原爆の子』を受けつぐ文章を読んで |
129 | 大井健地 | ヒロシマのなお語られるべきもの |
131 | 柴田幸子 | こども達の感想文から思うこと |
133 | 三浦精子 | 「原爆の子」をうけついで 選考を終えて |
第2部 | 寄稿 | |
136 | 海老沼香織 | 広島スタディーツアーを終えて |
138 | 渡部久仁子 | 『ヒロシマと私』 |
141 | 忍岡妙子 | ヒロシマを伝え続けて |
144 | 長田真紀 | 精神の橋をかける |
147 | 長田五郎 | 父長田新の願い |
第3部 | 集い「『原爆の子』をうけついで」 | |
150 | 舟橋喜恵 | 記念講演「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」から学ぶもの |
170 | 資料 | |
174 | あとがき | |
止
黒木和雄
くろき・かずお | 19301110生20060412没 | 享年75歳 | 映画監督。『私の戦争 岩波ジュニア新書』(黒木和雄、岩波書店、20040721)。 |
『私の戦争 岩波ジュニア新書』(黒木和雄、岩波書店、20040721)
内容
Ⅰ | 私の戦争と映画…1 | |
1 満州へ 2 2 えびのでの中学生活 19 3 学徒動員 25 4 米軍機の爆撃で友人が死んだ 31 5 敗戦 37 6 『美しい夏キリシマ』の製作 44 |
||
Ⅱ | 映画を撮る…67 | |
1 映画監督になるまで 68 2 原爆・戦争を撮る 83 |
||
Ⅲ | 長崎原爆投下24時間前…97 | |
1 ノーモアヒロシマ・ナガサキ 98 2 『かよこ桜の咲く日』(一九八五年) 108 3 『TOMORROW/明日』の製作 135 |
||
Ⅳ | ヒロシマに生きる…159 | |
1 『父と暮せば』(二〇〇四年) 160 2 ヒロシマを発信し続けた友 175 3 『父と暮せば』を製作する 181 |
||
おわりに 207 |
止
資料年表:藤居平一<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1915 | 0807 広島市の銘木店の長男として誕生。 | |
1922 | 広島高等師範学校附属小(碧空会)に入学 | |
1928 | 同付属中学校入学 | |
1935 | 平壌飛行連隊整備隊に入る | |
1939 | 航空兵中尉に任じられる | |
1941 | 満州国の航空通信第一連隊の第一大隊本部付 | |
1943 | ||
02 | 満州国の航空教育隊に転属。日本へ復員。 | |
04 | 早稲田大学専門部商科に入学 | |
1127 | 篠崎美枝子と結婚 | |
1944 | 日本鋼管横浜鶴見造船所に勤労動員 | |
1945 | ||
0806 | 原爆投下で、父完一、妹、二人の甥などを失う | |
1946 | 早大卒。家業の銘木店を継ぎ、広島県銘木森林組合(現広島県銘木事業協同組合)を設立。組合長に就任 | |
1947 | 日本銘木林産組合(その後全国銘木連合会に改称)を設立。副会長に就任。早大校友会広島県支部幹事長。広島高師同窓会のアカシア会設立を提唱。 | |
1949 | 近隣に神崎保育園を設立し、後援会長に。 | |
1951 | 早大商議員に就任し、晩年まで務める。 | |
<以上1915~1951年の事績は『人間銘木―藤居平一追想集』> | ||
1954 | ||
1955 | ||
1956 | ||
1959 | ||
1965 | ||
1981 | ||
1201 | 『広島県原水協・日本被団協年表(稿)1954~1958』(宇吹暁、広島大学原爆放射能医学研究所) | |
1982 | ||
0126 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(1)」(『資料調査通信 5号』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室)【〈聞き手〉宇吹暁、〈聞書作成〉石田典子・寺井裕子】 | |
0226 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(2原水爆禁止世界大会)」(『資料調査通信6号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0331 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(3原爆被害者の救援と組織化)、資料、藤居メモ(1)1955年11月~56年3月」(『資料調査通信7号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0531 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(4広島県被団協の結成)、資料、藤居メモ(2)1956年3月~7月」(『資料調査通信8号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0630 | 「まどうてくれー資料特集」(『資料調査通信9号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
『資料調査通信9号別冊1』 | ||
『資料調査通信9号別冊2』くずれぬ平和を 8・6広島大会、被害者大会議事録[抄] | ||
『資料調査通信9号別冊3』第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | ||
1983 | ||
1031 | 「まどうてくれー藤居メモ(3)1956年8月~9月」 | |
『資料調査通信25号別冊1』(『広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
「まどうてくれー資料特集」1956年8月~9月」 | ||
『資料調査通信25号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1130 | 「まどうてくれー資料特集」1956年10月~12月 | |
資料1:藤居メモ 資料2~8:日本被団協の発行文書 資料9~15:藤居故人・日本被団協に寄せられた書簡 資料16~26:原爆被害者救援をめぐる動向) |
||
『資料調査通信26号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1223 | 「まどうてくれー藤居メモ」1957年1月~2月 | |
資料1~4:藤居あて書簡 資料5~11:日本被団協結成後初めて開かれた全国代表者会議の資料。 資料12~23:藤居故人あるいは日本被団協に寄せられた書簡 資料24・25:日本被団協に関する新聞記事 |
||
『資料調査通信27号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1984 | ||
0127 | 「まどうてくれー藤居メモ及び関連資料資料」1957年3月~5月 | |
資料1~6:藤居あて書簡、 資料7:藤居論文 資料8~23:日本被団協および広島の動向を示す資料。 資料24~32:広島原爆障害研究会、日本原水協などの諸団体資料。 |
||
『資料調査通信28号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
0229 | 「まどうてくれー資料資料」1957年3月~5月 | |
1957年8月 12日 開会総会 13日 階層別協議会 14日 分科会 15日 閉会総会 |
||
1996 | ||
0714 | 病のため死去。80歳。藤居銘木株式会社を閉店。 | |
1997 | ||
0417 | 『人間銘木 藤居平一追想集』(藤居美枝子) | |
**** | 『広島平和科学』(広島大学平和科学研究センター、1997) | |
船橋喜恵「原水爆禁止世界大会「第一回」 : 藤居平一氏に聞く」 | ||
2006 | ||
0703 | 『被爆者運動50年 生きていてよかった<1>~<5>』(『中国新聞』西本雅実編集委員~20060708) | |
2011 | ||
0708 | 『まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる』(大塚茂樹、旬報社) | |
0723 | 大塚『まどうてくれ』出版記念会。リーガロイヤルホテル。宇吹。出席者:大塚夫妻。木内洋育(旬報社社長)。河野一郎(中国新聞文化事業社専務取締役)。阿部静子、池田精子(広島県被団協副理事長)、村戸由子。舟橋。若林節美。石田。松井。安藤。澤野。森田裕美。・・・ | |
2次会:吉田治平(広島市南区皆実町1丁目平和住宅自治会)、籔井和夫(中国新聞経営企画局担当局長兼メディア企画室長)。・・・ | ||
0726 | <出版記念会報道>(RCC-N6 被爆者救援運動の原点)「まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる」 06:41~06:47 | |
止
『社史に見る太平洋戦争』(井上ひさし編、新潮社、1995/08/10)
内容
頁 | 社名 | 見出し | |
7 | NHK | 12月8日と8月15日 | |
48 | 読売新聞 | 来るべきものが来た | |
64 | 毎日新聞 | 戦時下の言論統制 | |
70 | 信濃毎日新聞 | 松代の地下大本営 | |
73 | 毎日新聞 | 原子爆弾はどう報道されたか | |
83 | 毎日新聞 | 今日も明日も筆をとる! | |
91 | 新日本製鉄広畑 | 製鉄報国に燃えて | |
104 | (鹿島) | ト工事とイ工事 鹿島建設 | |
121 | 特殊製紙 | 護国第2104工場の名の下で | |
134 | トヨタ自動車 | 一つ目トラックも生産された | |
147 | 日本国有鉄道(JR) | 全くヘトヘト | |
160 | 小田急電鉄 | 焼夷弾がダ、ダ、ダーッ | |
171 | 日本電電公社(NTT) | 電信電話の決戦体制 | |
180 | 三菱銀行 | 焼野原の地下金庫 | |
188 | 野村証券 | 投資信託はお得です | |
206 | 東京海上火災保険 | 陸上戦争保険 | |
209 | 三菱商事 | 日夜、精励あるのみ | |
234 | 新日本製鉄釜石 | 艦砲射撃でほぼ全滅 | |
240 | 東洋工業(マツダ) | 原爆の打撃 | |
245 | 文藝春秋 | 剣がペンを屈服させたとき | |
267 | 講談社 | 軍の圧力と雑誌の休刊・廃刊・創刊 | |
286 | 筑摩書房 | 銀座空襲 | |
304 | 東京国立博物館 | 美術品の疎開 | |
319 | 松竹 | 劇場燃ゆ | |
330 | 丸善 | 銃後の便りを戦場へ | |
345 | 岩波書店 | 敗戦前後 | |
355 | 女子学習院 | 塩原疎開学園 | |
371 | 成城学園 | 成城疎開学園の記 | |
384 | 鉄道弘済み会 | 旅行はやめましょう | |
392 | 後楽園スタヂアム(東京ドーム) | 戦時中のプロ野球 | |
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井上ひさし | 戦後史をどこからはじめるのか- | ||
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稲賀敬二
いなが・けいじ | 19280320生20010411没 | 享年73歳 | 国文学者。平安文学。1947年広島高等学校文科甲類卒業。広島大学名誉教授。 |
資料年表:稲賀敬二<作業中>
年月日 | ||
1928 | ||
0320 | 誕生 | |
1983 | ||
0930 | 『青春回想録 廣高その永遠なるもの 廣島高等学校創立六十年記念』(廣島高等学校同窓会) | |
稲賀敬二(昭二十二文甲) 「昔《入学》・今《統合移転》」… 347 | ||
1993 | ||
1001 | 『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣島高等学校同窓会) | |
(昭和22年卒) 昭和十九~二十年日記抄……文甲 稲賀敬二…427 |
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1997 | ||
0801 | 『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』(廣島高等学校同窓有志の会) | |
「偶然」の重み 稲賀敬二(昭22文甲)62 | ||
2001 | ||
0411 | 没。享年73歳 | |
2003 | ||
0714 | 『けさや昔の夢のおもかげ 稲賀敬二回想集』(稲賀敬二著、稲賀久美子刊) | |
0714 | 『明日何方ぞ迷い猫 : 稲賀敬二遺文集』(稲賀敬二著、稲賀久美子刊) | |
2004 | ||
0331 | 広島大学文書館設立準備室『広島大学史紀要 第6号』pp.51-81 | |
「記録 稲賀敬二名誉教授 聞取記録」 | ||
稲賀敬二名誉教授 聞取記録 – 広島大学 学術情報リポジトリ (hiroshima-u.ac.jp) | ||
止
『戦後アメリカの世界政策と日本』(山田浩 著、法律文化社、1967/01/10)
内容
章 | 節 | |||
はしがき | ||||
1 | アメリカの世界政策と対日占領政策…1 | |||
1 | 大戦直後におけるアメリカ世界政策の基調…1 | |||
一 第二次世界大戦と冷戦…1 二 冷戦政策の展開…7 三 過渡期のバーソズ外交…11 |
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2 | 戦後の極東政策の動向…17 | |||
一 ヨーロッパ第一主義と中国第一主義…17 ニ アメリカの中国政策…19 |
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3 | 戦後初期の対日占領政策…25 | |||
一 対日占領体制の特質…25 二 初期占領政策の展開とその背景…31 三 民主化政策の限界…35 |
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4 | 〈封じこめ〉政策の確立…44 | |||
一〈封じこめ〉政策の特徴…44 二〈封じこめ〉の国内的条件…47 三 超党派外交と新孤立主義…50 四〈封じこめ〉の軍事戦略…58 |
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5 | 対日占領政策の転換…67 | |||
一 日本独占復活方針の確立…67 二 独占復活政策の推進…69 三 占領政策をめぐる対立の変化と〈条約なき平和〉…75 |
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2 | 朝鮮戦争とアメリカの世界政策および対日講和…81 | |||
1 | 朝鮮戦争前における政策的混乱…81 | |||
一 軍事政策の停滞…81 二 紛糾する中国政策…87 三 対日政策をめぐる混乱…95 四 南朝鮮政策と朝鮮戦争…100 |
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2 | 戦争勃発後の世界政策の動向…105 | |||
一 経済軍事化の進行…105 二 朝鮮戦争下の新孤立主義とマッカーシズム…108 三 朝鮮戦争と軍事戦略上の問題…111 四 マッカーサー罷免と世界政策をめぐる論争…115 五 台湾政策の変化と朝鮮休戦…123 |
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3 | 朝鮮戦争と対日講和…129 | |||
一 日本の軍事的意義と対日講和…129 二 対日講和と旧連合諸国の態度…134 三 対日講和と日本経済…137 |
||||
3 | ニュー・ルック戦略と対日政策…142 | |||
-アイゼソハワー政権下の世界政策と日本(一)- | ||||
1 | -アイゼソハワー政権下の世界政策と日本(一)- | |||
一 アイゼンハワー政権の誕生…142 二 アイク政権と新孤立主勢力…144 三 最高潮のマッカーシズムとその退潮…147 四 均衡予算主義と国防支出…153 |
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2 | ニュー・ルック戦略の特徴…160 | |||
一 戦略核空軍力の重視と阻止戦略の確立…166 二 軍事同盟および局地戦対策…166 三 政策的積極性と冒険性…169 |
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3 | ニュー・ニュー・ルック戦略と諸種の戦略論争…174 | |||
一 陸軍の批判と戦略空軍力論争…174 ニ スプートニク成功の衝撃とミサイル・ギャップ論争…180 三 局地核戦争論をめぐる論議…188 |
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4 | ニュー・ルック戦略下のアジア政策…197 | |||
一 アジア政策の一般的特徴…197 二 アメリカのインドシナ戦争対策…201 三 台湾海 紛争と大陸沿岸諸島…204 |
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5 | アイク政権の対日政策…209 | |||
一 対日経済政策…209 二 対日軍事政策…213 三 鳩山内閣とアメリカ…220 |
||||
4 | 平和共存とアメリカの世界政策および対日政策…226 | |||
-アイク政権下の世界政策と日本(二)- | ||||
1 | 平和共存とニュー・ルック戦略…226 | |||
一 共存路線の抬頭…226 ニ アイク政権と平和共存路線…230 三〈雪どけ〉の進行とアメリカ…232 四 対外援助政策と軍縮問題…233 |
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2 | 核ミサイル時代の開幕と平和共存…240 | |||
一 西欧諸国の動揺と〈兵力ひき離し〉構想…240 二 アイク政権になる共存路線への接近…245 三 緊張緩和の高まりと国内情勢…247 |
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3 | 緊張緩和への反撃とその崩壊…253 | |||
一 国際的冷戦勢力と〈産軍相互依存体制〉…253 二 ミサイル・ギャップ論争の再燃と政府批判…256 三 アイク政権と緊張緩和の崩壊…261 |
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4 | 平和共存とアメリカ極東政策…266 | |||
一 台湾海峡紛争の再燃…266 二〈二つの中国〉論の拾頭とアイク政権…268 三 核ミサイル時代の極東軍事戦略…270 |
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5 | 緊張緩和と対日政策…273 | |||
一 岸内閣とアメリカ…273 二 安保改定をめぐる政治軍事的問題…277 三 安保改定の経済問題…281 |
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5 | ケネディ政権の世界政策と対日政策…285 | |||
1 | ケネディ政権の成立とその性格…285 | |||
一 ケネディ政権のリベラル勢力…285 二 ケネディ政権の財政金融政策…289 三 議会と右翼勢力の拾頭…292 |
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2 | ケネディ政権の〈大戦略〉…289 | |||
一 対兵力戦略とマクナマラ体制…299 二 対兵力戦略への批判と現実…306 三 多角的核戦力をめぐる諸問題…311 四 局地戦対策の重視と転換…315 |
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3 | 対外政治・経済政策の諸特徴…320 | |||
一 「決意」と「選択」…320 二 軍備管理政策をめぐる評価…324 三 中ソ対立をめぐるアメリカの政策…330 四 対外経済およ対外援助政策…334 |
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4 | ケネディ政権の中国政策…341 | |||
一 く二つの中国>論をめぐる検討…341 二 対中国接近から〈封じこめ〉へ…343 |
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5 | ケネディ政権の対日政策…348 | |||
一 対日政策におけるく深みのある外交×…348 二 日中関係と日韓国交回復…351 三 対日軍事政策…355 四 対日経済政策…360 |
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止