マルセル・ジュノー博士顕彰事業(広島県医師会)<作業中>
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第6節
内容
1 |
Dr.ジュノーと広島…657 |
|
|
|
|
マルセル・ジュノー略歴 |
|
|
|
|
|
|
|
|
2 |
Dr.ジュノーの掘り起こし…659 |
|
|
|
|
|
|
|
|
3 |
Dr.ジュノー顕彰世話人会発足…661 |
|
|
|
|
1.ジュノー博士顕彰第1回世話人会 |
|
|
|
|
2.第2回世話人会 |
|
|
|
|
3.第3回世話人会 |
|
|
|
|
4.第4回世話人会 |
|
|
|
|
|
|
|
|
4 |
Dr.ジュノー発起人会、役員会…662 |
|
|
|
|
ジュノー博士記念碑建立会会則 |
|
|
|
|
ジュノー博士記念碑建立会役員 |
|
|
|
|
|
|
|
|
5 |
Dr.ジュノー記念碑除幕式…664 |
|
|
|
|
|
|
|
|
6 |
Dr.ジュノー記念祭…666 |
|
|
|
|
第1回ジュノー記念祭 |
|
|
|
|
第6回ジュノー記念祭 |
|
|
|
|
第13回ジュノー記念祭 |
|
|
|
|
ジュノー記念祭略史…674 |
|
|
|
|
第1回 19900617 |
|
|
|
|
第2回 19900616 |
|
|
|
|
第3回 19900614 |
|
|
|
|
第4回 19900613 |
|
|
|
|
第5回 19900612 |
|
|
|
|
第6回 19900618 |
|
|
|
|
第7回 19900616 |
|
|
|
|
第8回 19900608 |
|
|
|
|
第9回 19900607 |
|
|
|
|
第10回 19900620 |
|
|
|
|
第11回 19900618 |
|
|
|
|
第12回 19900617 |
|
|
|
|
第13回 19900616 |
|
|
|
|
第14回 19900615 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
森脇勝義<作業中>
|
|
非核の政府を求める広島の会ニュース第125号(20210916) |
 |
「森脇勝義さん たくさんの思い出をありがとう」<6月16日逝去、86歳> |
岡久都子(日本共産党広島西区後援会) |
吉川徹忍(浄土真宗本願寺派僧侶、「日本宗教者平和協議会」常任理事) |
止
黒田秀俊
くろだ・ひでとし |
19050415生19890614没 |
享年84 |
元原水協事務局長。1955年当時、原水協結成に尽力。『広島県史 原爆資料編』に日記・メモの一部を掲載。 |
著書論文
『南京・広島・アウシュヴィッツ』(黒田秀俊著、太平出版社、19740610)
|
|
|
Ⅰ |
南京-日本軍が犯した残虐行為 |
|
|
いわゆる「南京事件」 14
新聞特派員の目撃記 17
事件犠牲者数の推定 21
本多レポートと「生きてゐる兵隊」 26
島田元中佐の見解 32
南京事件と「三光作戦」 38
残虐行為の底にあるもの 41
戦時下に公刊された『野戦郵便旗』 48
二度と黒い橋は渡るまい 52 |
|
|
|
|
Ⅱ |
南京-「幻」の事件ではなかった |
|
|
南京戦における殺人ゲーム 62
石川達三氏の「生きてゐる兵隊」 66
一級資料のみあたらないわけ 70
殺人ゲームのナゾ 73
新聞記事は創作だったか 77
新聞はどう報じていたか 79
「支那兵はバカだから」 84
南京事件にかんする証言 89
佐々木到一少将の『南京攻略』 92
復刻された『野戦郵便旗』 95
『外国人の見た日本軍の暴行』 99
日高談話と米林談話 102 |
|
|
|
|
Ⅲ |
広島-にんげんを、そしてへいわをかえせ |
|
|
その朝の大本営110
広島原爆の「第一報」 114
放送と新聞記事 118
広島に入った調査団 123
真相はなぜ公表されなかったか 127
「原子爆弾作裂す」 132
原子雲の下で 138
あいつぐ悲劇 141
沸騰する街 145
原爆でどれだけの人が死んだか① 149
原爆でどれだけの人が死んだか② 154
原爆攻撃目標都市 159
占領軍の報道管制 162
米日両国政府の責任 170
日本政府のミス 178 |
|
|
|
|
Ⅳ |
アウシュヴィッツ―理性と文明に反逆した大量殺人 |
|
|
戦争は残虐になる 184
四百万人の屠殺場 189
有刺鉄線のなかで 194
巨大な人間焼却炉 200
二人の知識人の感想 205
日本とユダヤ人のかかわりあい 213
ナチズムの人種思想 219
反ユダヤ人対策の四段階 223 |
|
|
|
|
|
あとがき 227 |
|
止
『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )
目次
章節 |
|
|
Ⅰ |
核権力下の日本 |
|
1 |
広島はなぜ“ヒロシマ”か |
|
|
広島と沖縄
広島の顔
核権力からの脱出 |
|
2 |
「核権力」下の日本 |
|
|
日本をとりまく「核」
エンタープライズ入港時の国内反応
「核戦力」と「核権力」 |
|
3 |
日本の「核権力」 |
|
|
核軍縮と日本政府
ソ連の単独核実験停止
キューバ事件の意味
部分核停と不拡散条約
日本の「核権力」
アメリカの日本への期待
アメリカ軍の伝統思想 |
|
4 |
「核」軍事論の誤算 |
|
|
抑止論の弱点
偶発戦争のトリック
「抱き締め」戦法と「突き放し」戦法 |
|
5 |
核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって |
|
|
戦略から政略へ
「人質」は一枚岩か
人質の「まだら」化
人質を犠牲にすること
「核権力」を無意味化する道
「人質」と「核は張り子の虎」
全人類が「人質」 |
|
6 |
|
|
Ⅱ |
核権力と軍事 |
|
1 |
「軍都」広島の体験 |
|
|
人民と「軍都」
「軍都」広島
原爆投下と「一枚岩」態勢
日本に非戦闘員なし
原爆投下までの核権力構造
「軍事」をこえる三つの問題 |
|
2 |
「無差別爆撃」の歴史 |
|
|
日本軍の無差別爆撃
イギリス・アメリカが始めた無差別爆撃
変質低下の技術
「火攻め」の新戦略から原爆へ
原爆投下前後の日本 |
|
3 |
「戦時」と「平時」の境界なき攻撃 |
|
|
外国との戦争と民衆の被害の歴史
「平時」に及ぶ緩慢殺人
「人災」と「天災」
ビキニ実験とその被害
過剰殺人と緩慢殺人 |
|
4 |
「未知」効果に無責任な攻撃 |
|
|
原爆投下作戦の実態
実験室となった広島・長崎
後回しの人体効果
日本医学者の努力
アメリカの資料略奪
「未知兵器」への無責任 |
|
Ⅲ |
核権力と自由 |
|
1 |
「あいまいさ」の恐怖 |
|
|
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」
ベトナム戦争の中の「あいまいさ」 |
|
2 |
人種差別は「敵意」を増幅するか |
|
|
人種差別と戦争
日本の中の差別体系
民族自決と人権の確立 |
|
3 |
被爆者ヘの差別 |
|
|
生活上の差別
補償上の差別
意識上の差別 |
|
4 |
官尊民卑の戦災補償 |
|
|
軍人優先の思想
切り捨てられる非戦闘員
救貧措置としての被爆者対策
原爆体験抜きの原子力産業 |
|
Ⅳ |
反核権力論 |
|
1 |
原水禁運動の断層 |
|
|
意識のずれの問題
基本的な問題 |
|
2 |
核権力の「君臨」 |
|
|
核権力の神格化
「制服」と「私服」の原爆体験 |
|
3 |
原爆被害の実態調査 |
|
|
「人的被害」の追跡
今もって未整理の被爆人口 |
|
4 |
広島の「怨念」と「自由」 |
|
|
広島の「怨念」と権力者 |
|
|
差別の垣 |
|
|
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に |
|
|
貴重な原爆映画 |
|
|
拡大する資料収集運動 |
|
|
核権力“神話”の破壊 |
|
|
|
|
|
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件 |
|
|
1.原爆は「威力」としてだけ知られた |
|
|
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない |
|
|
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記) |
|
|
|
|
|
あとがき(抄) |
|
|
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
東京都葛飾区立上平井中学校
『’76ひろしま 東京都葛飾区立上平井中学校-修学旅行記録集-』(19770319、江口保編・発行) 所蔵:ピカ研
市岡正憲
生19930622没 |
いちおか・まさのり |
享年74 |
広島県被団協理事長・県原水協理事長。 |
資料
|
|
|
|
19710622 |
『教研速報No.2』 |
広教組広島地区支部教文部 |
所蔵:ピカ研 |
|
学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生 |
19890605 |
歌集・炎1-反核非戦の闘いのために |
火幻短歌会 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『『歴史と教育(広島歴教協)』NO. 14
石井金一郎先生追悼号目次
著者 |
タイトル |
今堀誠二 |
石井教授の学問 |
石井和郎 |
ぼくの父 |
天野卓郎 |
石井金一郎先生を偲んで |
篠原孝義 |
組織者石井金一郎先生 |
有田譲 |
石井先生と部落問題 |
松岡金光 |
石井先生を偲んで |
村上尚三郎 |
石井先生の死を悼む |
|
故石井金一郎氏遺族をはげます募金のお願い |
資料 |
石井教授の死 平和運動に打撃 原爆医療法成立に功労(『中国新聞』19670622) |
|
遺徳をしのび500人 石井教授の教養部葬 霊前にひっそり学位記(『中国新聞』19670623) |
天野 |
編集後記 |
『楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書』(楠忠之著、石田雅春、布川弘編 、20171031)目次
|
はじめに(広島大学75年編さん室 石田雅春) |
聞き取り日 |
第1回 |
生い立ち・幟町小学校の思い出
修道中学校時代の思い出
広島高等師範学校(臨教)への進学
海軍予備学生への志願…12
佐世保海兵団、旅順海軍特別根拠地隊への配属 |
20160204 |
第2回 |
予備学生・生徒の状況(前回の補足)
敗戦前後の状況
ソ連軍の進駐
シベリア抑留(1)
帰国、ヒロシマの惨状
日本国憲法との出会い
広陵高校への就職、広島文理科大学を受験
シベリア抑留(2)
広島文理科大学での勉強 |
20160310 |
第3回 |
広島文理科大学時代の思い出
学生運動について
卒業、宇品中学校への勤務
結婚について
映画「ひろしま」への協力
庚午中学校への転任 |
20160425 |
第4回 |
前回の補足(日鋼争議、広島反戦学生同盟、レッドパージ)
教職員組合の政党支持
学校施設・生徒指導の状況
受験指導の状況
PTAとの関係について
進路指導・家庭訪問について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(1)
原水爆禁止日本協議会、平和教育について
勤評闘争について |
20160519 |
第5回 |
庚午中学校への中傷
生徒指導について
小学校教員と中学校教員の気質の違い
勤務評定について
翠町中学校への転任 |
20160701 |
第6回 |
学力テスト反対闘争について
高校入試制度の改革について
原水爆禁止運動の分裂について(1)
署名運動の力
原水爆禁止運動の分裂について(2) |
20160802 |
第7回 |
所蔵の写真について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(2)
一〇・二六ストライキ(昭和四二年)について
平和教育(原爆副教材の作成)について
学校の運営方法(校長の権限)について |
20160916 |
第8回 |
部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(1)
大学紛争の影響について
部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(2)
県議会議員選挙への出馬
県議会議員としての仕事(イノシシ対策、井口高校新設、不正経理問題、解放同盟問題など)
住民運動とのかかわり |
20161130 |
第9回 |
自民党による解放同盟批判
総合選抜制への批判
八者合意について
原爆遺跡保存運動懇談会について |
20161222 |
第10回 |
広島県原水爆禁止日本協議会について
原爆遺跡保存運動懇談会について
「中島地区ゆかりの人たちの集い」について
「建物疎開動員学徒の原爆被災の実相を記録する会」について
原爆ドームの景観を守る運動について
町内(庚午南)のマンション建設問題について
「原爆の子」を受け継ぐ会について
九条の会について
最近の取り組みについて(被爆建物、かき船問題)
広島教育研究所について |
20170111 |
河本一郎
かわもと・いちろう |
1929生20010607没 |
享年72 |
「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。 |
資料 |
年月日 |
|
19950507 |
小野増平「検証 ヒロシマ 1945~95 <16> 原爆ドーム 孤高貫く「平和の黒子」 「折り鶴の会」の河本一郎さん」(『中国新聞』) |
20010928 |
薮井和夫「ヒバクシャ活動の歩み 段ボール32箱分 広島折鶴の会世話人故河本一郎さんの遺品 募金名簿やフィルム」(『中国新聞』) |
200211 |
濱本康敬(広島平和記念資料館学芸担当)「河本一郎氏資料の受入と整理」(『広文協通信』2号) |
金井利博
かない・としひろ |
19140101生 19740616没 |
享年60 |
[52広島平和問題談話会](中国新聞社学芸部記者)。中国新聞社取締役論説担当。原爆被災白書運動を提唱。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』 |
資料
|
|
広島大学文書館『広島大学文書館蔵 金井利博関係文書目録』(広島大学文書館、2016年2月) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。