「06月忌」カテゴリーアーカイブ

小島丈兒

小島丈兒

こじま・じょうじ 1917生20060601没 享年89歳 広島大名誉教授。 岩石学。「29 広島および長崎両市における原子爆弾災害物の地質学および岩石学的観察 143東大、理 渡辺武男 山崎正男 広島大 小島文児 長岡省吾 地質調査所 平山健」(『原子爆弾災害調査報告集 第一分冊』)

資料年表:小島丈兒<作業中

年月日
1917
**** 誕生。
1953
0101 『原子爆弾災害調査報告集 第一分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会刊)
29 広島および長崎両市における原子爆弾災害物の地質学および岩石学的観察 143
東大、理 渡辺武男 山崎正男 広島大 小島文児 長岡省吾 地質調査所 平山健
1954
1210 『原爆と広島 大学人会研究論集 第1集』(平和と学問を守る大学人の会編、広島県教職員組合事業部刊)
小島丈兒「石材と屋根瓦の被害からみた原爆」 (77)
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会編・刊)
第4節 地学分野-原子爆弾による岩石等の表面の剥離現象と溶解現象-(小島丈兒)27
まえがき 27
1.カコウ岩表面の剥離現象 27
2.岩石等の表面の溶融現象 28
3.熱線と爆風と剥離現象の前後関係 28
4.広島と長崎の比較 30
1980
0525 『学問・情況・大学』(小島丈兒編著、第一学習社)
発見性ということ 1
これからの学問に寄せて 「最終講義」 16
論文について 37
大学の空洞化ということ 45
2006
0601 死亡。享年89歳
2007
0601 『小島丈兒先生追悼文集』

嘉屋文子

嘉屋文子

かや・ふみこ 生20040601没 嘉屋文子 かや・ふみこ 享年90歳 ハワイ島生まれ。5歳の時、一家で帰国。広島市南観音町の自宅前で被爆。県内政部衛生課勤務。

資料年表:嘉屋文子

年月日 事項 備考
ハワイ島生まれ。
1963
0420 『きのこぐも』(嘉屋文子編・刊)
07 嘉屋文子(広島県庁厚生課・課長補佐)、被爆時の記録「きのこぐも」を自費出版。 C
1110 『統計の泉 Vol.15 11月号 No.172 1964.11』
嘉屋文子「「きのこぐも」発刊によせて」(37)
1965
0725 『暗雲を越えて』(嘉屋文子編・刊)
0726 嘉屋文子(広島県庁診療所勤務の女医)、3冊目の被爆体験記「『暗雲を越えて』を出版。 C
0901 『思い出の記』(竹内助四郎著・刊)
嘉屋文子「被爆体験記」  39
1976
0212 『ヒロシマの雲は晴れた』
0331 『広島県庁原爆被災誌』
「手記編 嘉屋文子(当時・内政部衛生課)」
1977
0101 『被爆体験 私の訴えたいこと(上)』(NHK中国本部)
嘉屋文子「強い近所の結びつき」  140
0930 嘉屋文子医師、体験記『広島に生きて』を出版。 C
1978
0724 『『生キテ帰ルンダゾ』 親が子に語る戦争と原爆の話 第2集』(日本キリスト教団広島府中教会内平和教育文集編集委員会)
嘉屋文子「暗雲をこえて」  5
1987
0915 『広島市医師会だより No.257』
嘉屋文子「開業一年」 40
1989
0720 『ヒロシマ医師のカルテ』(広島市医師会編・刊)
 嘉屋文子「被爆体験記」 157
1990
0310 『女医の記録 IPPNW第9回核戦争防止国際医師会議世界大会』(広島女医の会)
 嘉屋文子「ノーモア・ヒロシマの叫び」 13
1991
0725 『広島県医師会速報 第1406号』
嘉屋文子「随筆」57
0815 『広島県医師会速報 第1408号』
嘉屋文子「緑蔭随想」
1993
0315 『広島県医師会速報 第1465号』
嘉屋文子「随筆」35
1994
0705 『広島県医師会速報 第1512号』
嘉屋文子「随筆」25
1995
0801 『真赤な原子雲 祖父母が孫に語る戦争と原爆の話』(こばと幼稚園平和教育委員会著、汐文社)
嘉屋文子「暗雲を越えて」  89
1997
0701 『嘉屋日米交流基金(ゴトウ オブ ヒロシマ基金)報告書 1996年版』
1999
0301 『創立120年記念誌 [県立広島病院創立120年記念誌]』(県立広島病院)
嘉屋文子(被爆当時の県立健康相談所指導医 )「思い出の記 」
2000
0301 『二十世紀の足跡 米寿までの道のり』
0701 『嘉屋日米交流基金(ゴトウ オブ ヒロシマ基金)報告書 1999年版』
嘉屋文子(名誉委員長 )「ハワイ墓参・交流訪問団の報告」 5
0921 嘉屋文子が紡いだ米国と広島の市民交流を紹介する展示、広島市内のイベントスペース「クリップ・ヒロシマ」で開催中。 C
2001
0701 『嘉屋日米交流基金(ゴトウ オブ ヒロシマ基金)報告書 2001年版』
嘉屋文子(名誉委員長)「創立者からのことば」…4
2004
0601 死亡。享年90歳。

マルセル・ジュノー博士顕彰事業(広島県医師会)

マルセル・ジュノー博士顕彰事業(広島県医師会)<作業中
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第6節

内容

1 Dr.ジュノーと広島…657
マルセル・ジュノー略歴
2 Dr.ジュノーの掘り起こし…659
 3 Dr.ジュノー顕彰世話人会発足…661
1.ジュノー博士顕彰第1回世話人会
2.第2回世話人会
3.第3回世話人会
4.第4回世話人会
4 Dr.ジュノー発起人会、役員会…662
ジュノー博士記念碑建立会会則
ジュノー博士記念碑建立会役員
5 Dr.ジュノー記念碑除幕式…664
 6 Dr.ジュノー記念祭…666
第1回ジュノー記念祭
第6回ジュノー記念祭
第13回ジュノー記念祭
ジュノー記念祭略史…674
 第1回 19900617
第2回 19900616
第3回 19900614
第4回 19900613
第5回 19900612
第6回 19900618
第7回 19900616
第8回 19900608
第9回 19900607
第10回 19900620
 第11回 19900618
第12回 19900617
第13回 19900616
第14回 19900615

森脇勝義

森脇勝義<作業中

非核の政府を求める広島の会ニュース第125号(20210916)
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「森脇勝義さん たくさんの思い出をありがとう」<6月16日逝去、86歳>
岡久都子(日本共産党広島西区後援会)
吉川徹忍(浄土真宗本願寺派僧侶、「日本宗教者平和協議会」常任理事)
『救援新聞 呉版 NO.228』(日本国民救援会呉支部、20220405)
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黒田秀俊

黒田秀俊

くろだ・ひでとし 19050415生19890614没 享年84 元原水協事務局長。1955年当時、原水協結成に尽力。『広島県史 原爆資料編』に日記・メモの一部を掲載。

資料年表:黒田秀俊

年月日 事項 備考
1905
0415
1957
0725 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会)
黒田「あとがき」…374
1958
0415 『平和日本 322号』(日本平和委員会)
(対談)風雪にたえて 櫛田ふき・黒田秀俊 18
0501 『平和日本 323号』(日本平和委員会)
世界をゆるがした核実験の停止(座談会)平野義太郎・新名丈夫・岡倉古志郎 司会=黒田秀俊 3
祖国の土をまもって(対談)山西きよ・黒田秀俊 18
1963
0501 『現代の眼 4巻5号』(現代評論社)
黒田「原水禁運動分裂の背景」 101
1964
0301 『現代の眼 5巻3号』(現代評論社)
黒田「日本原水協始末記」 142
1965
0701 『月刊新世界』(新世界社)
黒田秀俊「原水禁運動の問題点について」12
1966
0201 『世界 第243号』(岩波書店)
読者の頁 /黒田秀俊(237)/
0901 『総合ジャーナリズム研究 第3巻9号通巻25号』(総合ジャーナリズム研究所)
図書室 青山憲三「黒田秀俊著「昭和言論史への証言」」 67
1969
0801 『思想の科学 No.91』(思想の科学社)
黒田秀俊「大学闘争と報道者の立場」82
1972
0331 『広島県史-原爆資料編』(広島県)
1973
1124 『東京大空襲・戦災誌 第4巻』(東京空襲を記録する会)
黒田秀俊「灰色の焦土に立ちて 」 974
1974
0610 黒田『南京・広島・アウシュヴィッツ』(太平出版社)
1975
1101 『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.3 』(広島平和教育研究所)
黒田秀俊「原水爆禁止運動を中心とした平和運動史の一考案」 35
1976
0131 『知識人・言論弾圧の記録 昭和史の発掘』
1979
0420 『昭和軍閥 軍部独裁の20年』(図書出版社)
1986
0805 『もの言えぬ時代 回想の戦時ジャーナリズム受難記』(図書出版社)
1987
0201 『マスコミ市民 No.221.222』
黒田秀俊「権力と言論」 68
1989
0614 没。享年84歳
1999
0625 『日本原爆論大系 第4巻 核兵器禁止への道』
黒田秀俊「原水協にまつわる黒い影」200

核権力ーヒロシマの告発

『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )

目次

章節
核権力下の日本
1 広島はなぜ“ヒロシマ”か
広島と沖縄
広島の顔
核権力からの脱出
2 「核権力」下の日本
日本をとりまく「核」
エンタープライズ入港時の国内反応
「核戦力」と「核権力」
3 日本の「核権力」
核軍縮と日本政府
ソ連の単独核実験停止
キューバ事件の意味
部分核停と不拡散条約
日本の「核権力」
アメリカの日本への期待
アメリカ軍の伝統思想
4 「核」軍事論の誤算
抑止論の弱点
偶発戦争のトリック
「抱き締め」戦法と「突き放し」戦法
5 核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって
戦略から政略へ
「人質」は一枚岩か
人質の「まだら」化
人質を犠牲にすること
「核権力」を無意味化する道
「人質」と「核は張り子の虎」
全人類が「人質」
6
核権力と軍事
1 「軍都」広島の体験
人民と「軍都」
「軍都」広島
原爆投下と「一枚岩」態勢
日本に非戦闘員なし
原爆投下までの核権力構造
「軍事」をこえる三つの問題
2 「無差別爆撃」の歴史
日本軍の無差別爆撃
イギリス・アメリカが始めた無差別爆撃
変質低下の技術
「火攻め」の新戦略から原爆へ
原爆投下前後の日本
3 「戦時」と「平時」の境界なき攻撃
外国との戦争と民衆の被害の歴史
「平時」に及ぶ緩慢殺人
「人災」と「天災」
ビキニ実験とその被害
過剰殺人と緩慢殺人
4 「未知」効果に無責任な攻撃
原爆投下作戦の実態
実験室となった広島・長崎
後回しの人体効果
日本医学者の努力
アメリカの資料略奪
「未知兵器」への無責任
核権力と自由
1 「あいまいさ」の恐怖
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」
ベトナム戦争の中の「あいまいさ」
2 人種差別は「敵意」を増幅するか
人種差別と戦争
日本の中の差別体系
民族自決と人権の確立
3 被爆者ヘの差別
生活上の差別
補償上の差別
意識上の差別
4 官尊民卑の戦災補償
軍人優先の思想
切り捨てられる非戦闘員
救貧措置としての被爆者対策
原爆体験抜きの原子力産業
反核権力論
1 原水禁運動の断層
意識のずれの問題
基本的な問題
2 核権力の「君臨」
核権力の神格化
「制服」と「私服」の原爆体験
3 原爆被害の実態調査
「人的被害」の追跡
今もって未整理の被爆人口
4 広島の「怨念」と「自由」
広島の「怨念」と権力者
差別の垣
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に
貴重な原爆映画
拡大する資料収集運動
核権力“神話”の破壊
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件
1.原爆は「威力」としてだけ知られた
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記)
あとがき(抄)
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。

市岡正憲

市岡正憲

19190609生19930622没 いちおか・まさのり 享年74歳 広島県被団協理事長・県原水協理事長。

資料

19710622 『教研速報No.2』 広教組広島地区支部教文部 所蔵:ピカ研
学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生
19890605 歌集・炎1-反核非戦の闘いのために 火幻短歌会