東京都葛飾区立上平井中学校
『’76ひろしま 東京都葛飾区立上平井中学校-修学旅行記録集-』(19770319、江口保編・発行) 所蔵:ピカ研
東京都葛飾区立上平井中学校
『’76ひろしま 東京都葛飾区立上平井中学校-修学旅行記録集-』(19770319、江口保編・発行) 所蔵:ピカ研
市岡正憲
19190609生19930622没 | いちおか・まさのり | 享年74歳 | 広島県被団協理事長・県原水協理事長。 |
資料
19710622 | 『教研速報No.2』 | 広教組広島地区支部教文部 | 所蔵:ピカ研 |
学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生 | |||
19890605 | 歌集・炎1-反核非戦の闘いのために | 火幻短歌会 | |
『『歴史と教育(広島歴教協)』NO. 14
石井金一郎先生追悼号目次
著者 | タイトル |
今堀誠二 | 石井教授の学問 |
石井和郎 | ぼくの父 |
天野卓郎 | 石井金一郎先生を偲んで |
篠原孝義 | 組織者石井金一郎先生 |
有田譲 | 石井先生と部落問題 |
松岡金光 | 石井先生を偲んで |
村上尚三郎 | 石井先生の死を悼む |
故石井金一郎氏遺族をはげます募金のお願い | |
資料 | 石井教授の死 平和運動に打撃 原爆医療法成立に功労(『中国新聞』19670622) |
遺徳をしのび500人 石井教授の教養部葬 霊前にひっそり学位記(『中国新聞』19670623) | |
天野 | 編集後記 |
『楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書』(楠忠之著、石田雅春、布川弘編 、20171031)目次
はじめに(広島大学75年編さん室 石田雅春) | 聞き取り日 | |
第1回 | 生い立ち・幟町小学校の思い出 修道中学校時代の思い出 広島高等師範学校(臨教)への進学 海軍予備学生への志願…12 佐世保海兵団、旅順海軍特別根拠地隊への配属 |
20160204 |
第2回 | 予備学生・生徒の状況(前回の補足) 敗戦前後の状況 ソ連軍の進駐 シベリア抑留(1) 帰国、ヒロシマの惨状 日本国憲法との出会い 広陵高校への就職、広島文理科大学を受験 シベリア抑留(2) 広島文理科大学での勉強 |
20160310 |
第3回 | 広島文理科大学時代の思い出 学生運動について 卒業、宇品中学校への勤務 結婚について 映画「ひろしま」への協力 庚午中学校への転任 |
20160425 |
第4回 | 前回の補足(日鋼争議、広島反戦学生同盟、レッドパージ) 教職員組合の政党支持 学校施設・生徒指導の状況 受験指導の状況 PTAとの関係について 進路指導・家庭訪問について 一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(1) 原水爆禁止日本協議会、平和教育について 勤評闘争について |
20160519 |
第5回 | 庚午中学校への中傷 生徒指導について 小学校教員と中学校教員の気質の違い 勤務評定について 翠町中学校への転任 |
20160701 |
第6回 | 学力テスト反対闘争について 高校入試制度の改革について 原水爆禁止運動の分裂について(1) 署名運動の力 原水爆禁止運動の分裂について(2) |
20160802 |
第7回 | 所蔵の写真について 一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(2) 一〇・二六ストライキ(昭和四二年)について 平和教育(原爆副教材の作成)について 学校の運営方法(校長の権限)について |
20160916 |
第8回 | 部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について (1) 大学紛争の影響について 部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について (2) 県議会議員選挙への出馬 県議会議員としての仕事(イノシシ対策、井口高校新設、不正経理問題、解放同盟問題など) 住民運動とのかかわり |
20161130 |
第9回 | 自民党による解放同盟批判 総合選抜制への批判 八者合意について 原爆遺跡保存運動懇談会について |
20161222 |
第10回 | 広島県原水爆禁止日本協議会について 原爆遺跡保存運動懇談会について 「中島地区ゆかりの人たちの集い」について 「建物疎開動員学徒の原爆被災の実相を記録する会」について 原爆ドームの景観を守る運動について 町内(庚午南)のマンション建設問題について 「原爆の子」を受け継ぐ会について 九条の会について 最近の取り組みについて(被爆建物、かき船問題) 広島教育研究所について |
20170111 |
河本一郎
かわもと・いちろう | 1929生20010607没 | 享年72 | 「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。 |
資料年表:河本一郎
年月日 | |
1929**** | 南米ペルーで誕生。 |
1938**** | 父の死去に伴い、父の実家、広島県安芸郡坂村(坂町)に里帰り。 |
1942**** | 母が病死。13歳で孤児に。 |
<以上は「第8回先人を語る会」配布資料より> | |
1955 | |
0224 | |
1995 | |
0507 | 小野増平「検証 ヒロシマ 1945~95 <16> 原爆ドーム 孤高貫く「平和の黒子」 「折り鶴の会」の河本一郎さん」(『中国新聞』) |
2001 | |
0607 | 死亡。享年72歳 |
0928 | 薮井和夫「ヒバクシャ活動の歩み 段ボール32箱分 広島折鶴の会世話人故河本一郎さんの遺品 募金名簿やフィルム」(『中国新聞』) |
2002 | |
11 | 濱本康敬(広島平和記念資料館学芸担当)「河本一郎氏資料の受入と整理」(『広文協通信』2号) |
2015 | |
0714 | 宇吹 暁『ヒロシマ戦後史の中の広島女学院~河本一郎の足跡を中心に~』 |
広島女学院大学第 48 回原爆講座―8・6 の意味するもの― 2015 年 7 月 14 日 於砂本記念講堂 | |
2018 | |
0710 | 菊楽忍「解説1 河本一郎インタビュー」 |
『戦後ヒロシマの記録と記憶』(若尾祐司・小倉桂子編) | |
2019 | |
1019 | 『河本一郎を語る―第8回先人を語る会(慰霊と講話)』会場:広島原爆資料館 |
1215 | 『原爆ドームと楮山ヒロ子 ヒロ子の日記と原爆ドームの保存』(寺田正弘・中村秀次・吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会、20191215) |
止
金井利博
かない・としひろ | 19140101生 19740616没 | 享年60 |
[52広島平和問題談話会](中国新聞社学芸部記者)。中国新聞社取締役論説担当。原爆被災白書運動を提唱。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』 |
止
原田東岷
はらだ・とうみん | 1912生 19990625没 | 享年87 |
外科医。「原爆乙女」の渡米治療に尽力。ワールド・フレンドシップ・センター初代理事長。広島市名誉市民。 | ||
リンク=資料年表:原田東岷 | ||
出典:『ながれ』<pp.605-606>(村上哲夫、村上哲夫後援会) | ||
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著書
書名 | 発行所 | 発行年月日 |
ヒロシマの外科医の回想-ヒロシマからベトナムへ | 未来社 | 1977041503 |
ヒロシマ歴程-外科医の回想 | 未来社 | 1982020101 |
平和の夢を追いつづけて | 影書房 | 1984081501 |
ヒロシマのばら | 未来社 | 1989081505 |
ひろしまからの発信-明止め治・大正・昭和・平成 | 1993111501 | |
平和の瞬間-二人のひろしまびと | 勁草書房 | 1994052001 |
命見つめて60年 | 溪水社 | 1997022001 |
止め
井出三千男
いで・みちお | 1941生20060626没 | 享年65歳 | 広島市安佐北区出身。変貌する都市広島をフィルムに残した写真家。 原爆記録写真の研究家、写真の専門家の立場から、被爆建物等を手がかりに写真を読み解き、平和記念資料館の資料調査研究会委員として活躍 |
リンク:資料年表:井出三千男
止
ジュノー、マルセル
Marcel Junod | 19040514生19610616没 | 享年57歳 | スイス国籍の外科医。赤十字国際委員会駐日代表として来日。1945年9月8日、GHQの医薬品ともに広島入り。 |
リンク ttps://hiroshima-ibun.com/2023/06/16/資料年表:マルセル・ジュノー |
止
湯崎稔
ゆざきみのる | 19310501生19840611没 | 享年53歳 | [69原爆被災資料広島研究会]。広島大学総合科学部教授。広大原医研で、爆心五百メートル以内の復元調査に従事。 |
資料 | |
芝田進午「<追悼>湯崎稔教授を悼む」(『社会文化研究(広島大学総合科学部紀要Ⅱ)第10巻』1984年別冊) | |
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