「08月忌」カテゴリーアーカイブ

田沼肇全活動

『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売)、20080704)

内容

006 はじめに
1部
010 田沼肇 全活動 著作・執筆年表 10
田沼肇の執筆活動について  83
〔付記〕民主主義科学者協会(民科)の活動 90
藤新太郎
田沼肇について  92 上田誠吉
慎獨寮時代  97 高野源明
調査統計局のなかま  105 浅野径
田沼肇 略年譜 田沼肇 アルバム 110
田沼さんの優しさと強さ  114 橋本進
2部
120 労組、民主的組織の講師・助言者活動など
田沼先生と私  142 伊藤和子
千葉県職労女性部と田沼先生  144 藤しず江
「現代社会研究所」をつくられた頃  146 三階泰子
忘れ得ぬ「二つのこと」  149 葛岡章
田沼先生から教わったこと  151 前田啓一郎
154 原水爆禁止・被爆者援護・第五福竜丸保存の活動
「被爆者とともに」の運動  164 赤松宏一
被爆者とともにあることの意味  168 山村茂雄
「被爆者を友人に」の言葉をかみしめて  175 安田和也
人生を決めた出会い  177 伊藤直子
長崎の被爆者に聞く 179
186 日本フィル・日本ふぃる協会闘争支援
「ハート」を大事にした人 198
200 平和と革新をめざす東京懇話会の活動
この手に革新統一を!  206 角倉洋子
210 田沼肇の学究生活について 竹下睿騏
 研究所研究員として 210
大学教員として 212
大学紛争の解決をめざして 213
学部長として多摩移転に取り組む 216
教務関係のの仕事も 220
二つの組合の役員として 221
兼務校での仕事その他 229
むすびにかえて 230
232 田沼肇先生の研究業績について 嶺学
 1 調査統計論 232
2 階級構成論 234
3 社会政策・労働問題一般 235
4 労働運動史 236
239 「二世」の息苦しさ 田沼正平
244 肇さんありがとう 田沼祥子
254 あとがき

 

 

私の中の平和と人権

『私の中の平和と人権』(田沼肇、草の根出版会、19950530)

内容

 初出  年
序にかえて(上田誠吉)
1 戦争と私
青山暮色 青山師範附属小学校同窓会「つくし」卒業30周年記念号 1976
「私たちの時代」と言えること 学協運動 1981
『戦争責任』に想う 全国革新懇ニュース 1983
2 被爆者とともに
原爆被爆者の現状 日本原水協の英文機関誌 No more Hiroshimas’ 1982
大阪の被爆婦人たちのねがい 「文化評論」9月号 1975
被爆者に励まされて 「現実と文学」10月号 1964
被爆者の苦しみを思う 「民主文学」8月号 1966
みなさんの健康を願いつつ 大阪市原爆被害者の会『被爆婦人の集い』第3集 1971
返還直後の沖縄にて 日本原水協「6・9行動ニュース」 1973
被爆者救援運動と故・峠一夫さん 『民医連医療』9月号 1981
3 ビキニ水爆実験被災から
ビ十二水爆実験被災から 日本原水協「日本と本半洋が核戦場になる」 1984
第五福竜丸の値段 「福竜丸」だより 1986
ビキニ水爆被災の全容 「平和新聞」 1983
第五福竜丸と故・広田重道氏 「赤旗」 1982
4 核兵器と人類の未来
「原爆」と「原発」 「日高教情報」 1987
被爆者は実験のために使われた No  more Hiroshimas’ 1983
 
「憤りにまかせて」という論理  「原水協通信」  1975
核兵器廃絶はなぜ必要か  「草の根から革新の風を」  1983
人類は核戦争によって自滅するか  岩波書店『これからどうなる』  1983
「平和とは戦争がないことか」 「赤旗」 1981
非核自治体宣言の意義と地方自治 『平和教育』 1984
教科書の核・平和問題の記述を読む われら高校生 1986
5 草の根からの平和運動
 母親運動と平和の問題  母親新聞  1975
原水爆禁止運動と社会科学者の立場 東京理科大学新聞 1960
高校生の平和ゼミ 原水協通信 1983
唐津原水協を訪ねて 原水協通信 1983
企業社会と平和運動  平和運動  1992
6 歴史と文化と学問と
三井三池争議の教訓 教育大学新聞 1960
人間らしく働くということ 労働旬報社「わたしの選択あなたの未来」 1986
払の余暇 『前衛』7月号 1979
松川事件と映画 わかもの 1960
労働者と学問 労働 生活 学習 1968
7 病を得て想うこと
車椅子から見た社会問題  1994
原爆被害者援護法への道のり 1994
あとがき
初出一覧

 

 

明田弘司

明田弘司 あけだ・こうし 192212 生 20150812没 享年92

写真家。「戦争から復員後の48年、広島市内で写真展を開業。仲間とヒロシマ・フォト・クラブを結成。写真家の名取洋之助から広島の復興を記録するよう助言され、市民生活や街の活気を撮り続けた」(『中国新聞』2015.8.13)。

『没後5年 明田弘司写真展』(10月23日~12月23日 会場:泉美術館)
DSC03764
2020年12月3日撮影。

 

 

 

献花(8月)

献花(8月)

 DSC08882
きょうちくとう(夾竹桃)   撮影場所:実家、撮影日 8月5日
 DSC09024
きく(菊)   撮影場所:広島市平和公園、撮影日 8月6日
 DSC09154
ゆり(百合)   撮影場所:実家、撮影日 8月13日
 DSC09174
あさがお(朝顔)   撮影場所:自宅、撮影日 8月14日
 DSC09175
ゼラニウム   撮影場所:自宅、撮影日 8月14日
 DSC09178
さるすべり(百日紅)   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09179
   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09184
   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09182
ほうづき   撮影場所:倉庫、撮影日 8月18日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

竹内釼

 

没年 名前 よみ 享年 備考
01 1974 竹内釼 たけうち・けん 1890年1月6日、福岡県生。

略歴

年月日 事項
1980.1.6 福岡県に生まれる。
1915. 旧制第5高等学校(熊本)を経て、東京帝国大学医科大学医学部卒業。
1916. 陸軍軍医中尉に任官。近衛師団に配属。
1919. 陸軍軍医学校外科主任教官となる。
1926. ドイツ留学(2か年)。帰途渡米視察。
1940. 中国派遣(約1年)
1939. 広島日本赤十字病院新設のため責任者となり、設立と共に初代院長となる。
1945.8.6 院長室にて執務中被爆、二昼夜人事不省、6ケ所骨折の重傷。
1947 昭和天皇御訪広に際し、広島被爆の状況について御前講演。
1948 広島日本赤十字病院再建復興なり、辞職。
1974.8.1 逝去。
出典:『竹内釼画集』(竹内辰五郎、2005年3月)

<宇吹メモ>「廃墟に立てば去りがたし」(『月刊中国 8月号』中国新聞社、1946年8月)に被爆時の体験を記す。

08月忌(一覧)

 8月に亡くなった人々
没年 名前 よみ 享年 備考
01 1974 竹内釼 たけうち・けん 1890年1月6日、福岡県生。
02 2017 磯野恭子 いそのきょうこ 83 34年ラジオ山口(現山口放送)にアナウンサーとして入社。のちディレクターとして,「聞こえるよ,母さんの声が…原爆の子,百合子」「祖国へのはるかな旅―ある中国残留婦人の帰国」など,戦争と平和をテーマにしたドキュメンタリーを制作。63年民放局初の女性取締役に就任。広島県出身。広島大卒。
05 1990 桧垣益人 ひがきますと 94 元日本被団協代表委員(1970-81年)。広島駅地下道で被爆。1961-84年、広島県被団協事務局長。
06 1948 大塚惟精  おおつか・いせい  62  原爆被爆時の中国地方総監。
 06  1945  粟屋仙吉  あわや・せんきち  48  被爆時の広島市長。津上毅一『粟屋仙吉の人と信仰:原爆にたおれた広島市長』待晨堂、1966年。
06 1945 森喬以 もり・たかもち 広島市立造船工業教諭として生徒を引率中、被爆死。
07 1945 李鍝 い・う 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』
『昭和天皇実録』(1945年8月25日の項)=朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。○侍従日誌、侍従武官日誌、王公族録、徳川義寛終戦日記、松平慶民手帖
09 1973 大月洋 おおつきひろし 67 民衆劇場。お宅で面談、資料閲覧
09 2000 田沼肇 たぬまはじめ 74 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。
10 1988 清水幾太郎 しみずいくたろう 81 社会学者。原爆孤児精神養子運動に協力。
12 2015 明田弘司 あけだ・こうし 92 写真家。「戦争から復員後の48年、広島市内で写真展を開業。仲間とヒロシマ・フォト・クラブを結成。写真家の名取洋之助から広島の復興を記録するよう助言され、市民生活や街の活気を撮り続けた」(『中国新聞』2015.8.13)。
14 1989 長岡弘芳 ながおかひろよし 57 本名:奥村弘芳。原爆文献研究家。『広島県現代文学事典』
15 1989 源田実 げんだみのる 84 元参院議員。1969年に、「原爆の1つや2つ落ちても日本は降伏するような民族ではなかった」と発言。
17 1991 田辺耕一郎 たなべこういちろう 87 「広島憩いの家」事務局長。1957年に開設された被爆者のための「憩いの家」を管理運営。『広島県現代文学事典』。憩いの家で面談、資料閲覧。
21 1986 四竈一郎 しかまいちろう 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。
21 2002 近藤幸四郎 こんどうこうしろう 69 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。
25 1991 松前重義 まつまえしげよし 90 東海大学総長。広島調査団長として被爆直後に入市。
25 1995 御園生圭輔 みそのおけいすけ 82 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。
26 2014 孫振斗 そん・じんどぅ 87 韓国人被爆者訴訟の原告の草分け