「10月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:犬丸義一

資料年表:犬丸義一<作業中

年月日 事項 メモ
1928
0422 誕生。本籍:福岡県。
1964
1130 『現代史資料月報 第10回配本』(みすず書房)
犬丸義一「これまでの日本共産党テーゼの資料集と研究の概観」  1
1967
0710 『民族解放運動の歴史(上)』(岡倉古志郎・犬丸義一編著、労働旬報社) U
1105 『民族解放運動の歴史(下)』(岡倉古志郎・犬丸義一編著、労働旬報社)
1970
0815 『歴史科学の課題とマルクス主義』(犬丸義一、校倉書房) U
1225 『物語日本近代史2-日清・日露戦争から米騒動まで』(犬丸義一・中村新太郎、新日本出版社) U
1971
1030 『物語日本近代史3-民衆運動の高揚から敗戦まで』(犬丸義一・中村新太郎、新日本出版社) U
1972
0201 『学習の友 通巻222号』(労働者教育協会編、学習の友社)
犬丸義一「教養のページ ”建国記念日”ってなに?」
1975
0701 『季刊科学と思想 夏季号 No.17』
【読書ノート】「昭和五十年」出版物をめぐって 犬丸義一(152)
1982
『日本共産党の創立』(犬丸義一、青木書店) U
1983
 0328  『平和文化研究 第6集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所編、長崎総合科学大学)
60年安保闘争史論(上)犬丸義一 101
1984
0420  『平和文化研究 第7集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所編、長崎総合科学大学)
60年安保闘争史論(中)犬丸義一 129
1985
0720  『平和文化研究 第8集』(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所)
60年安保闘争史論(下) …犬丸義一…123
1986
0618 『平和文化研究 第9集 激動の80年 具島兼三郎先生傘寿記念号』(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所)
具島兼三郎先生の業績 犬丸義一 157
1989
0630 『平和文化研究 第12集― 大楽奎教授追悼号』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
長崎になぜ原爆が投下されたか  犬丸義一 189
1990
『平和文化研究 第13集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
〔論稿〕犬丸義一「マルクス主義の天皇制認識の歴史的意義 」148
1991
0225 『平和文化研究 第14集 櫻井秀威助教授追悼号』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
犬丸義一「櫻井秀威君の思い出」  101
1993
0331 『平和文化研究 第16集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所)
研究業績一覧 犬丸義一 198
2015
1002 没。享年87歳。
1007   「歴史研究者 犬丸義一さん死去」『赤旗』(20151007)
本名:小山義一。1949年、日本共産党入党。

 

資料年表:大牟田稔

資料年表:大牟田稔<作業中

年月日 事項 備考
1930
0901 誕生。
1965
0720 『この世界の片隅で 岩波新書』(山代巴編、岩波書店)
沖縄の被爆者たち 大牟田稔 185
1970
0628 『RCCテレビ 市民とともに ヒロシマ・内と外』(中国放送)
「広島の明日を考える」平和への道No.3 ヒロシマ・内と外(構成:大牟田稔)
1978
0725 『長崎の証言 第10集』(「長崎の証言」刊行委員会編著)
大牟田稔「親亡きあとは ―胎内被爆小頭症「きのこ会」の近況―」  109
1979
0110 『追憶の便り ヒロシマで逝ったわが子へ』(藤野としえ著、未来社)
付録2 追憶と未来と 大牟田稔作・構成 267
0331 『広島市公文書館紀要 第二号』(広島市公文書館)
外国人の見たヒロシマ-その文芸作品に表われた思想- 大牟田稔 13
1983
0801 『日本の原爆文学 14 手記/記録』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版)
〈反原爆思想〉を求めて 大牟田稔 462
1984
1211 『ヒバクシャ ともに生きる 第3号』(原爆被害者相談員の会)
原爆小頭症患者たちとの20年 大牟田稔 21
作業中
2001
1007 死亡。
2010
1220 『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)

おおむた・みのる 2001 71 元中国新聞論説主幹、1992年、広島平和文化センター理事長。『広島県現代文学事典』。元広島平和文化センター理事長、元中国新聞論説主幹の大牟田稔。宮崎県出身。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)

資料年表:瀬長亀次郎

資料年表:瀬長亀次郎<作業中

年月日 事項 備考
1907
0610 誕生
1958
1225 『軍縮と国際協力のためにーストックホルム平和大会の記録』(軍縮と国際協力のための世界大会日本準備会編、日本平和委員会)
日本からの報告
3 沖縄のたたかい 瀬長亀次郎(日本)
1960
0101 『世界 第169号』(岩波書店)
転機に立つ沖縄 瀬長亀次郎 241
1966
0201 『世界 第243号』(岩波書店)
〈座談会〉祖国復帰をどう実現するか-沖縄四政党の立場- 安里積千代・岸本利実・瀬長亀次郎・中村晄兆・〈司会〉新崎盛暉 102
1967
0915 『沖縄黒書』(沖縄・小笠原返還同盟編、労働旬報社)
沖縄からの告発  瀬長亀次郎 15
1968
0225 『沖縄100万の叫び 嬉野京子写真集』(嬉野京子著、新日本出版社)
表紙題字  瀬長亀次郎
沖縄は訴える 瀬長亀次郎 6
1001 『世界 第275号』(岩波書店)
特集 沖縄は主張する
〔アンケート〕沖縄の本土復帰に関する意見 96
・瀬長亀次郎・
1969
1120 『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店)
平和運動20年に想う 瀬長亀次郎 425
1971
0201 『世界 第303号』(岩波書店)
コザ・激発する沖縄の心 福木詮 42
沖縄県民を代表して 瀬長亀次郎 52
0401 『中央公論 4月特大号 第1005号』(中央公論社)
〈座談会〉沖縄議員百日目の痛恨
安里積千代/稲嶺一郎/上原康助/喜屋武真栄/国場幸昌/瀬長亀次郎/西銘順治/(司会)鈴木恒夫 102
0530 『沖縄の子本土の子』(本土と沖縄の子どもの作文交流実行委員会、百合出版)
「沖縄の子本土の子」によせて
この怒り、この痛みを 瀬長亀次郎(衆議院議員) 316
0601 『世界 第307号』(岩波書店)
意見 あらためて復帰とは何か 151
・瀬長亀次郎・
0731 日本原水協第17回原水爆禁止世界大会東京大会。瀬長亀次郎沖縄人民党委員長あいさつ。 C
0810 『民族の悲劇 沖縄県民の抵抗 新日本新書』(瀬長亀次郎著、新日本出版社)
1210 『民族の怒り もえあがる沖縄 新日本新書』(瀬長亀次郎著、新日本出版社)
1971 『世界 第314号』(岩波書店)
〈特集〉「沖縄」強行採決後
私は質問を拒否した 瀬長亀次郎 29
1972
0201 『学習の友 通巻222号』(労働者教育協会編、学習の友社)
明日をひらくことば 瀬長亀次郎
1974
0731 瀬長亀次郎、沖縄県伊江島で在日米軍による核模擬爆弾の投下訓練を確認。 C
0831 瀬長亀次郎・松本善明、米軍の核模擬爆弾投下訓練問題で小坂徳三郎官房長官臨時代理(総務長官)に申入れ。 C
1975
0701 『季刊 科学と思想 夏季号 No.17』(新日本出版社)
【ESSAl】 私にとっての戦後三十年 瀬長亀次郎(120)
0801 『原水爆禁止世界大会大会の記録 2 第21回 広島・長崎被爆三〇周年』(原水爆禁止日本協議会)
本会議開会総会 11~24
来賓あいさつ 日本共産党 瀬長亀次郎 18~19
1979
0101 『文化評論 No.213』(新日本出版社)
瀬長亀次郎「民族三部作」にもふれて
0714 『日米安保の新段階 軍事ファシズムへの危険な道』(日本共産党中央委員会出版局)
第二部
〈座談会〉核問題と日米安保条約 (不破哲三、瀬長亀次郎、新原昭治 )
1982
0601 『前衛 No.480』(日本共産党中央委員会)
復帰十年─ いま沖縄は
闘いのあと 闘いのあす ─民族の悲劇、怒り、そして未来─ 瀬長亀次郎 64
2001
1005 没。享年94歳。
2012
1010 『沖縄人が見た戦世とアメリカ世 第13回特別企画展』(沖縄県平和祈念資料館)
Ⅱ部 戦世(イクサユー)からアメリカ世(ユー)へ 23
4 復興へ向けて 41
(1)抵抗のシンボル瀬長亀次郎
2013
0301 不屈館、沖縄県那覇市に開設。。瀬長亀次郎がのこした資料をもとにした沖縄戦後史に関する民間資料館。不屈館・新着情報 不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料 (senaga-kamejiro.com)
2021
0201 『世界 第941号』(岩波書店)
記録の交差から始まる沖縄――阿波根昌鴻と瀬長亀次郎の日記から

瀬長亀次郎

瀬長亀次郎

せなが・かめじろう 19070610生20011005没 享年94歳 沖縄人民党委員長。衆議院議員として人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長

資料年表:河合護郎

資料年表:河合護郎<作業中

年月日 事項 メモ
1928
**** 誕生
1985
0601 『21世紀への都市戦略を考える 都市政策フォーラム・in・ひろしま NIRA地域政策研究シリーズ 4』(総合研究開発機構)
 ゲスト:鈴川俊夫(広島商工会議所専務理事)/檜山且典(広島経済同友会代表幹事)/上田宗嗣(広島青年会議所理事長)/竹下彪(広島県企画振興部長 )/
//河合護郎(広島市企画調整局長)
 1987
0110  『広島市保育連盟三十五年誌』(広島市保育連盟)
 終章 将来に向けて
河合護郎(広島市民生局長)「保育の昨日・今日・明日」
0401 広島平和文化センター新理事長に河合護郎(前広島市民生局長)が就任。河村盛明理事長は理事に。 C
0701 『平和文化 第66号』(広島平和文化センター)
河合護郎(当財団理事長)「マドリードで世界平和都市会議 ヒロシマの訴えに強い共感」  C
1114 広島市で「科学者による国際平和週間・広島集会」発起人は今堀誠二・河合護郎ら14人。 C
1215 『広島市医師会だより No.260』(広島市医師会)
〈招待席〉河合護郎「国際会議の裏方四方八方話」
1988
0225 C
0301 『平和文化 第70号』(広島平和文化センター)
河合護郎(当財団理事)「肌で感じる軍拡から軍縮への流れ 六か国首脳へ荒木市長に随行して」
1989
0530 C
0701 『平和文化 第70号』(広島平和文化センター)
核兵器廃絶を!ニュルンベルク宣言採択
西独の連帯都市会議に河合理事長出席
強い核兵器への危機感-ドイツ訪問記 河合護郎
ニュルンベルク宣言
1989
0530 C
0701 『平和文化 第78号』(広島平和文化センター)
核兵器廃絶を!ニュルンベルク宣言採択
西独の連帯都市会議に河合理事長出席
1990
0520 C
0701 『平和文化 第84号』(広島平和文化センター)
 核実験場付近のカラウル村で集会
アルマアタ核実験禁止国際市民会議に参加して 河合護郎
 1991
 0101  『平和文化 第87号』(広島平和文化センター)
河合護郎(訪中団長)「広島市民平和友好訪中団報告 全面軍縮促進で一致」
0121 C
1014 C
 1992
 0328  『広島医学 1992.03.28 第32回原子爆弾後障害研究会 特集号』(広島医学会)
河合護郎 特別発言 1.医療推進事業への願いと提言
1993
 0529  C
 0731
1998
0901 『被爆体験証言者交流の集い 10年のあゆみ』(被爆体験証言者交流の集い)
「ヒロシマを語り継ぐ」
(財)広島平和文化センター前理事長 河合護郎
6.10年目のメッセージ 18
1999
0215 『荒木武追想録-ヒロシマの心を世界へ燈々無盡』(荒木武追想録刊行委員会)
広島市職員関係者からの追想文
河合護郎 75
0715 『長崎平和研究 第7号』(長崎平和研究所)
特集2 核兵器廃絶を求める広島・長崎市民の集会(第2回)
(第2部) 「核兵器廃絶に向かって日本は何をなすべきか」
(パネルディスカッション)
水本和美/川副忠子/河合護郎/森野泰成/土田秀夫/梅林宏道/岡本三夫
1115 『長崎平和研究 第8号』(長崎平和研究所)
特集2 「いまこそ核兵器廃絶を!市民の集会」
主催者から発題――被爆地から/河合護郎…54
2001
0315 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会 設立のメッセージ
』(【共同代表】 岡本三夫 河合護郎 森瀧春子)
2003
0731 C
1005 C
 2004
 0806  『Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition News No.2  2004.8』(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)
 ヒロシマは大丈夫か 河合護郎
2008
0903  C
2009
0122 C
 2010
 0628  核兵器廃絶をめざすヒロシマの会、日本とインド両政府が原子力協定の締結交渉を始めたことに抗議する声明文を菅直人首相・岡田克也外相に送る。  C
2012
0513
1001
1005  『第12回 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会:総会議案(2012.5.13)
 1215  『広島ジャーナリスト 第11号』(日本ジャーナリスト会議広島支部)
 河合護郎さん死去  C

 

かわい・ごろう 1928****生20121001没 享年84歳 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。

原水爆禁止運動(潮新書)

『原水爆禁止運動(潮新書)』(今堀誠二、潮出版社、19740625)

内容<作業中

大会 備考
7 1 プロローグ
37 2 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる
57 3 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転
85 4 日本の非核武装化にたちむかうために
111 5 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義
130 6 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か
155 7 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論
176 8 社・共両党の激突と大衆の統一への願い
192 9 国民運動の崩壊と再生への四つの芽
232 10 毛沢東理論からみた日本原水協批判
261 核兵器のない世界をめざして
 imahori19740625

児玉光雄

児玉光雄

こだま・みつお 1932****生20191028没 享年88 2011年から広島平和文化センターの被爆証言者。広島一中年生12歳の時被爆。

資料年表:児玉光雄<作業中

年月日 事項 備考
1932 誕生
1954/04/25 『追憶』(広島一中遺族会)
1974/05/01 『ゆうかりの友』(広島県立一中被爆生徒の会)
20190925 『異端の被爆者 22度のがんを生き抜く男』(横井秀信、新潮社)
20060801 「被爆者運動50年 明日への扉<8>」(『中国新聞』編集委員・西本雅実、記者・荒木紀貴)
20100417 「被爆の痛み 世界に訴え ピースボート出航」(『中国新聞』記者・荒木紀貴)
20180301 『千代田区平和使節団の報告 (平成29年度)』(千代田区地域振興部国際平和・男女平等人権課)
「戦争体験者のお話 児玉光雄」
20230310 ~5月26日。2022年度広島大学原爆放射線医科学研究所資料展示「被爆者を生き抜く 資料から見えてくる児玉光雄さん」(担当教員:久保田明子)。会場:広島大学医学部医学資料館。
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白土三平

白土三平

しらと・さんぺい 本名:岡本登(のぼる) 19320215生20211008没 漫画家。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など。

資料年表:白土三平<作業中

年月日 資料名 著者・発行者など
1932
0215 誕生
2009
0330 『消えゆく少女 前編』(小学館クリエイティブ)
中野晴行(評論家)「核兵器の恐怖とマンガ」
sitatosanpei-2009
0426 『消えゆく少女 後編』(小学館クリエイティブ)
佐藤優(作家・起訴休職外務事務官)
sitatosanpei-ss
2021
1008 逝去。享年89歳。

序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)

序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)

『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)所収

内容


昨年末,全米研究評議会(NRC)は低レベル電離放射線の生物学的影響についてBEIR (Biological Effect ofIonizing Radiation)の報告書Vを発表して注目されている。現在,放射線許容量などの基礎ともなっている
BEIR一報告書Ⅲ(Chairman: A, C, Upton, 1980), I CRP (国際放射線防禦委員会)や, UNSCEAR (国連科学委員会)からのデータが,この10年間の広島,長崎での調査研究成果から,大幅な改訂を迫られたというoとくに白血病や,発癌リスクについては従来の甘さが指摘され,また被爆胎児の知能発育,被爆者の子供への遺伝的影響,被爆者年令(ATB)の影響などの見直し,未解決の問題を指摘している。
本資料センターは,原爆被災に関する資料の保存を目的として1974年(昭和49年)4月,日本学術会議の政府勧告,地元広島,長崎市民の要望,研究者,関係財団の熱意と努力の結果,当研究所に併設された。その当時の関係者の卓見とこれを実現された熱意とエネルギーに襟を正す思いである。
以来,営々と資料の収集と整理に努力が重ねられ,すでに「原水爆関係資料目録I」は1974~78年の5年分を1980年に,「原爆関係蔵書目録U」は, 1979~1983年の5年分を1985年に発刊してきた。今回は特に直接被爆者本人からしか聞きとれない,かけがえのない原爆被爆体験に関わる資料を一義的に収集する方針から被爆記録,体験記,手記に重点をおいた。そして個人体験のみならず,原爆当時の組織,機関,団体ごとの手記や記録が主要なものとなっている。45年を経過し,生き証人となる方々が,年々少なくなってこれら貴重な資料が埋れ,散逸することが懸念されている。今回の成果は市民の方々の深い理解と暖かい協力の賜であることを強調して感謝したい。
本センターは,これら「資料調査室」の活動とともに,「医学資料室」,「人口資料室」が各々の作業を進めて,原医研年報に成果を報告している。今後は上記のごとく,広島,長崎のデータが,これからの人類の命運に関わる放射線の人体に及ぼす影響について,原子力の平和利用,宇宙開発に伴う健康管理についてのかけがえのない情報を提供することにより,世界平和にも貢献できる貴重な資料であることを改めて確認する必要があろう。またそうならなくてはならない責任が,この資料センターには嫁せられ,また期待されていることを認識しなければならない。4年を経過したチェルノブイル原発事故後の放射能汚染問題を解決するため,ソ連政府からの依頼でIAEA (国際原子力機関)が調査を開始している。今回も広島,長崎からの参加,研究協力がソ連政府からも,国際機関からもそして現地の官民,医療機関からも強く要望されていることを,身をもって体験し覚悟を新たにしている。
目録刊行にあたり資料の御寄贈御協力頂いた方々に感謝すると共に,目録の作成に尽力された資料調査室の皆様に敬意を表します。今後共,各位の御理解と御指導を切にお願い致します。
1990年5月
広島大学原爆放射能医学研究所長
附属原爆被災学術資料センター長
藏本 淳
 kuramoto