資料年表:中本たか子
年月日 |
事項 |
備考 |
1903 |
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1119 |
誕生。 |
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1954 |
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0901 |
『中央公論 9月号 第792号』(中央公論社) |
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中本たか子「壁にかかる書像 」243 |
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1101 |
『婦人公論 11月号第451号』(中央公論社) |
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中本たか子 「夫への公開状-理想と現実のジレンマ-」 182 |
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1967 |
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1001 |
『文化評論 1967-No.72』(日本共産党中央委員会) |
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随想 人民の理性の勝利 中本たか子 86 |
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1968 |
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1201 |
『民主文学 第37号通巻87号』(新日本出版社) |
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広津和郎追悼特集
尽きない感謝をもって 中本たか子…99 |
|
1969 |
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1101 |
『民主文学 第48号通巻第98号』(新日本出版社) |
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誓いの塔は見ている-新島・そのご- 中本たか子…152 |
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1974 |
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1115 |
『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社) |
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ミサイル反対の新島闘争 中本たか子 87 |
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1976 |
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0815 |
『抵抗の群集』( 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編、白石書店) |
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この非情なる風土 中本たか子 47 |
|
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1983 |
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0801 |
『日本の原爆文学 10 短編Ⅰ』(美川きよ [ほか]、ほるぷ出版) |
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中本たか子「死の鞭と光」152 |
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1986 |
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0725 |
『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店) |
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1988 |
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0801 |
『とべ千羽鶴』(中本たか子著、青磁社) |
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|
1991 |
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0928 |
没 |
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1993 |
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0806 |
『跛行 篠垤潔原爆小説集』(篠垤潔、青磁社) |
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<評価> 中本たか子の「原爆文学」 167
<書評> 中本たか子「とべ・千羽鶴」 181 |
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|
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28 |
1991 |
中本 たか子 |
なかもと・ たかこ |
87 |
小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
中本 たか子
28 |
1991 |
中本 たか子 |
なかもと・ たかこ |
87 |
小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)
内容
章 |
見出し |
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はじめに 3 |
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1 |
原爆投下直後 11 |
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スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと |
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2 |
受難の広島レポート 20 |
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二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打 |
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|
3 |
広島への道 |
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降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った |
|
|
4 |
広島--一九四五年九月三日 42 |
|
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|
たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え |
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5 |
妨害工作 57 |
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|
なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード |
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|
6 |
日本人がみた広島 67 |
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裏切られた希望 ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談 |
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7 |
二十六年後の広島 77 |
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フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者 |
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8 |
ヒバクシャ 90 |
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聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙 |
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9 |
生存者の抵抗 106 |
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不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆 |
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10 |
原爆製造のドラマ 116 |
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ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車 |
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11 |
原爆使用への誘惑 130 |
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アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏 |
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|
12 |
原爆パイロット 152 |
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原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で |
|
|
13 |
広島と冷戦 179 |
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|
トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと |
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14 |
自殺するアメリカ 193 |
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冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ |
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|
訳者あとがき 220 |
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止
資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1911 |
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0916 |
誕生。 |
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1945 |
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0905 |
デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905 |
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「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331> |
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1971 |
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0801 |
『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会) |
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「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220 |
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1972 |
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0530 |
『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社) |
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1976 |
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0101 |
『世界大百科年鑑 1976』(平凡社) |
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|
(インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126 |
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1983 |
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0806 |
『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版) |
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0927 |
死亡。 |
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1985 |
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0621 |
『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会) |
|
|
第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45
三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52
1 バーチェットの救援要請 52
2 マルセル・ジュノーの救援要請 52 |
|
0826 |
『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房) |
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|
第1部
11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216
5.ジュノーとバーチェットの対応 253 |
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1995 |
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1005 |
『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社) |
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|
第6章 原爆報道とプレス・コード 218
第1節 バーチェットの疑問 218
第11節 バーチェットの疑問への答え 253 |
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1997 |
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|
0520 |
『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社) |
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第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み
世界遺産に登録決定 63
(この人からの一言)
ウィルフレッド・バーチェット 51 |
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2007 |
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0715 |
『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店) |
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|
第7章 カバーラップ 191
「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ |
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2014 |
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|
0806 |
『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館) |
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ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年]
section2 広島、長崎への原爆投下 11
4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15 |
|
2015 |
|
|
0806 |
『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社) |
|
|
第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する
―沈黙させられる被爆者
2.右往左往する海外メディア報道 79
バーチェットの「すっぱ抜き」 |
|
2016 |
|
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0310 |
『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社) |
|
|
第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139
講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140
②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?
/バーチェットのスクープ 159 |
|
0802 |
『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社) |
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|
第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51
ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52 |
|
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2021 |
|
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1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
|
|
第一四章 占領・・・・・418
バーチェット・深刻な放射線被害の記事 |
|
2022 |
『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社) |
|
|
第8章 5人のジャーナリスト
「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158
ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者)
ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者) |
|
|
|
|
|
|
|
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
バーチェット
27 |
1983 |
バーチェット、ウィルフレッド・ |
72 |
ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> |
止
資料年表:久保山愛吉<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1914 |
|
|
0621 |
誕生 |
|
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|
|
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1954 |
|
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0923 |
没 |
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1101 |
『中央公論 11月号 第794号』(中央公論社) |
|
|
久保山さんの死
死の床にて 久保山愛吉 180 |
|
1955 |
|
|
0215 |
『未来をつくりだす原子力 青木新書』(林克也著、青木書店) |
|
|
総論-久保山愛吉氏を悼み、その死に学ぶ
1この声をわれらの声に 13
2久保山氏の三つの遺訓 15
3ABCCを日本の手に 19
4抵抗のみ、人間性を守る 23
5放射能謀略Kは」開始された 27
6地球汚染の責任はアメリカ 31
7結論-ねばり強く禁止運動を 37
8追記-科学化されたトリック 38 |
|
0920 |
『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社) |
|
|
『ノー・モア・ヒロシマズ』から『ビキニの・灰』まで………1
―隔離される第五福竜丸―焼津から米軍用機で東京に移送された第五福竜丸の患者たち―酵素吸入中の久保山愛吉さんを看護する肉親たち―マグロの放射覧査―防毒面とビニール服で作業中の俊鶻丸の調査団員―俊鶻丸甲板上で魚の解剖― |
|
|
|
|
1957 |
|
|
0725 |
『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会) |
|
|
Ⅰ 原水爆の被害
(絶筆)死の床にて 久保山愛吉…21 |
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|
1968 |
|
|
1015 |
『平和の思想 戦後日本思想大系 4』(鶴見俊輔編、筑摩書房) |
|
|
II 戦後、平和運動の遺産
絶筆 死の床にて 久保山愛吉 346 |
|
|
|
|
1975 |
|
|
0701 |
『第五福竜丸 1954年3月1日その日から』(第五福竜丸平和協会) |
|
|
|
|
1978 |
|
|
0906 |
『原水協通信 第421号』(原水爆禁止日本協議会) |
|
|
久保山愛吉氏追悼のつどい=焼津 7 |
|
|
|
|
くぼやま・あいきち |
19140621生19540923没 |
享年40歳 |
第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。 |
止
資料年表:谷本清<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1909 |
|
|
**** |
香川県 坂出市 で誕生。 |
|
|
|
|
1949 |
|
|
0425 |
『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清訳、法政大学出版局) |
|
1950 |
|
|
0401 |
『文芸春秋 第28巻第4号』(文芸春秋新社) |
|
|
ハーシイ氏訪問記…谷本清 13 |
|
0725 |
『ヒロシマの十字架を抱いて』(谷本清、大日本雄弁会講談社) |
|
|
|
|
1952 |
|
|
1001 |
『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター刊) |
|
|
跋 谷本清 75 |
|
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|
1960 |
|
|
0925 |
『ふるさとを訪ねて 少年少女文学風土記 9 広島』(井伏鱒二編、泰光堂) |
|
|
谷本清「原爆と広島」 94 |
|
|
|
|
1969 |
|
|
04 |
『ひろしまの観光 35号』(広島市観光協会) |
|
|
谷本清「ヒロシマ-その平和への姿」 |
|
0806 |
『濱井信三追想録』(浜井信三追想録編集委員会) |
|
|
谷本清「原爆禁止10万人署名」 473 |
|
|
|
|
1976 |
|
|
0720 |
『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚』(谷本清著、日本放送出版協会) |
|
1201 |
『広島通信 No.54』(「広島通信」の会) |
|
|
谷本清「原爆体験は風化するか」 |
|
|
|
|
1982 |
|
|
0501 |
『平和文化 第35号』(広島平和文化センター) |
|
|
ヒロシマの原点に帰ろう
ヒロシマ・ピース・センター理事長 谷本清 |
|
1983 |
|
|
0730 |
『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会) |
|
|
『破壊の日』発刊に寄せて ヒロシマ・ビース・センター理事長 谷本清 |
|
|
|
|
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|
|
|
|
1986 |
|
|
0928 |
死亡。享年77歳 |
|
|
|
|
|
|
|
1997 |
|
|
0201 |
『原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集』(宇吹暁) |
|
|
IV.占領期の原爆問題
2.平和祭・文化祭
3.被爆者援護の構想
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想 |
|
|
|
|
2011 |
|
|
1206 |
『被団協 第395号』 |
|
|
第23回谷本清平和賞 坪井代表委員が受賞 |
|
|
|
|
2005 |
|
|
0624 |
『ヒロシマ、60年の記憶』(近藤紘子著、リヨン社) |
|
|
|
|
2015 |
|
|
0601 |
『広島市公文書館紀要 第28号』(広島市公文書館) |
|
|
光平有希「広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として」 14 |
|
|
|
|
2018 |
|
|
0110 |
『原爆の図 丸木美術館ニュース 第132号』(原爆の図丸木美術館) |
|
|
丸木美術館が谷本清平和賞受賞 谷本清平和賞受賞を祝って(井野口慧子)……p2
谷本清平和賞受賞スピーチ抄録(岡村幸宣)……p3 |
|
2019 |
|
|
1201 |
『憎しみを乗り越えて ヒロシマを語り継ぐ近藤紘子』(佐藤真澄著、汐文社) |
|
|
|
|
2021 |
|
|
1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
|
|
|
|
|
|
|
止
広島市爆撃ニ関スル報告(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫)
内容<作業中>
|
|
|
|
|
|
|
|
1 |
本研究室二於テ調査セル事項 |
|
|
|
|
|
|
2 |
聴取資料ノ一、二例 |
|
|
|
1 広島女学院専門学校赤松某(海田市町、安芸地方事務所ニテ)・・・・ |
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|
|
|
|
|
2 市立高専講師平原栄治・・・・ |
|
|
|
|
|
|
|
3 佐久間助教授 |
|
|
|
 |
|
|
3 |
判断 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
付記 |
|
|
1 |
本爆弾ノ真相ヲ確ムル上ニ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
資料年表:佐久間澄<作業中>
年月日 |
事項 |
備考 |
1910 |
|
|
1002 |
誕生。 |
|
|
|
|
1941 |
|
|
**** |
広島文理大(母校)助教授。 |
|
|
|
|
1945 |
|
|
08 |
「広島市爆撃ニ関スル報告」(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫) |
|
|
『広島県史 原爆資料編』(19720331)所収<pp.389-392> |
|
|
|
|
1953 |
|
|
0806 |
『広島平和問題談話会会誌 平和問題 第2号』(広島平和問題談話会) |
|
|
佐久間澄「原子力問題の諸相」 |
|
1954 |
|
|
0215 |
『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編、刊) |
|
|
//佐久間澄「 想い出」/ |
|
1955 |
|
|
0310 |
『広島教育 No.49 1.2月号』(広島県教職員組合事業部) |
|
|
原子力発電所建設に関する諸問題 佐久間澄 94 |
|
1956 |
|
|
0601 |
『水爆と人類(原水爆禁止のために1)』(佐久間澄、原水爆禁止広島協議会) |
|
1008 |
『高校生による原爆資料紹介の会(仮称)活動報告』(広大教育学部附属高等学校) |
|
1957 |
|
|
0801 |
『広島教育 No.79 8月号』(広島教育会館出版部) |
|
|
きれいな水爆は果たしてきれいか 広大理学部 佐久間澄 66 |
|
1958 |
|
|
0331 |
『広島に於ける被爆調査-文献抄録』(広島県医師会原爆医療特別委員会調査部) |
|
|
Ⅰ 理学篇
3)佐久間澄(広大,理学)庄野直美(広女大)小川修三(広大,理学)広島原爆の物理学的効果 4 |
|
|
|
|
1967 |
|
|
0801 |
『老いと怒りと 第2集 』(吉島被爆者の会) |
|
|
推せんのことば 佐久間澄 3 |
|
0806 |
『壁 1968.8.6 未解放部落原爆被爆者の手記 差別と貧困の中から』(福島地区被爆者の会) |
|
1101 |
『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局) |
|
|
第3分科会 被爆者問題
原爆被爆者援護の歴史と課題 佐久間澄 75 |
|
|
|
|
1969 |
|
|
1120 |
『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店) |
|
|
平和委員会20年の想い出ところどころ 佐久間澄 409 |
|
|
以下 <作業中> |
|
|
|
|
1971 |
|
|
0101 |
『原水爆禁止世界大会の記録 第17回 – 2』(原水爆禁止日本協議会) |
|
|
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0701 |
『原水協通信 71 7月号』(原水爆禁止日本協議会) |
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佐久間澄 「広島における原爆死亡者の新しい資料について」 5 |
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広島大会第1日(本会議開会総会) 8月5日…1
日本原水協報告 佐久間澄 3 |
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1975 |
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0804 |
『木の葉のように焼かれて 第9集』(編集委員会、新日本婦人の会広島県本部) |
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すいせんのことば 佐久間澄 5 |
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1976 |
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0720 |
『あさ 12号』(山下会) |
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いまこそヒロシマの声を―佐久間澄先生を囲んで― 6 |
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1001 |
『政治経済セミナー 10月号 第926号』(政治経済セミナー社) |
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日本共産党佐久間澄ら五人原爆のお陰で光栄に浴す! 43 |
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1977 |
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0701 |
『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部) |
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核問題の現状と将来 佐久間澄(15) |
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1978 |
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0801 |
『文化評論 No.208 1978年08月』(新日本出版社) |
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核兵器全面禁止への新しい課題を語る
金子満広 佐久間澄…62 |
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1979 |
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0520 |
『平和教育運動 No.5』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育研究所出版部) |
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<今日の核と平和問題>佐久間澄「核をめぐる状況と核時代の平和教育」 219 |
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0601 |
『平和運動 No.128(通巻443号)』(日本平和委員会) |
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79年 近づく8月に想う 2
広島で 佐久間澄 2
長崎で 森正雄 5 |
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1980 |
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0710 |
『学習討論資料 No.2』(原水爆禁止日本協議会) |
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二、学習・討論集会の記録-17
主催者あいさつ 佐久間澄-18 |
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0919 |
『原水爆禁止日本協議会結成25年記念パンフ』(原水爆禁止日本協議会) |
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二十五年の運動の成果に立って 佐久間澄 |
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1982 |
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『記録・82年 平和のためのヒロシマ行動』(82年・平和のためのヒロシマ行動広島実行委員会) |
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1983 |
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0221 |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会) |
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原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13 |
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1984 |
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0725 |
『あさ 18号 終刊号 』(山下会) |
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『あさ』終刊に深い感慨をこめて 佐久間澄……87 |
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1991 |
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0928 |
佐久間澄死亡。享年80歳。 |
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1992 |
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0301 |
『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.19 1992.03』(広島平和教育研究所) |
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佐久間澄先生の死を悼む 庄野直美 74 |
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0405 |
『日本物理学会誌 47 (4), 326- 』( 日本物理学会) |
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小川 修三「佐久間澄教授のご逝去を悼んで」 |
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0725 |
『木の葉のように焼かれて 第26集』(新日本婦人の会広島県本部) |
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佐久間澄先生を偲ぶ 湯川寛子 39 |
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1993 |
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1001 |
『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣高七十年誌編集委員会編、廣島高等学校同窓会) |
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〈特別記載〉
細川藤右衛門教授の最後―『生死の火』理論研被災記から― 故 佐久間澄(広大名誉教授)…546 |
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2016 |
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02 |
『佐久間澄関係文書目録』(広島大学文書館、責任編集:平下義記) |
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解題…ⅰ
凡例…ⅳ
1.書類…1
(1)原水爆禁止協議会 (2)世界平和評議会 (3)被団協 (4)原爆・被害調査
(5)平和と学問を守る大学人の会 (6)被爆者援護 (7)科学者会議 (8)核兵器
(9)原子力発電 (10)日中友好協会 (11)民主主義をまもる全国学者・研究者の会
(12)平和学会 (13)平和教育研究所 (14)その他
2.原稿…21
3.新聞・スクラップ…23
4.小冊子…25
5.定期刊行物…29
6.書籍…39
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28 |
1991 |
佐久間澄 |
さくま・きよし |
80 |
広島県原水協理事長・同県被団協理事長。広島大学構内で被爆。お宅で面談、資料を閲覧。<資料年表:佐久間澄> |
止
資料年表:升川貴志栄(ますかわ・きしえ)<作業中>
年月日 |
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1898 |
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誕生 |
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1961 |
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0615 |
『ひろしまの河 NO.1』(原水爆禁止広島母の会) |
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升川貴志栄「16年後の2人の娘からの手紙」 |
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0801 |
『ひろしまの河 NO.2』(原水爆禁止広島母の会) |
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座談会「被爆体験と今日の私たち」出席者=永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斉藤冨美江・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・藤井ゆり |
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1962 |
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0801 |
『ひろしまの河 NO.5』 |
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[座談会]「被爆17年の市民感情の方向―ABCCを中心に」出席者=森滝しげ子・小西信子・升川貴志栄・前田登美子・」竹内美代子・正田篠枝・日詰しのぶ(まとめ)栗原貞子 |
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1201 |
『ひろしまの河 NO.6』 |
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升川貴志栄「松の木」 |
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1963 |
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1220 |
『ひろしまの河 NO.6』 |
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升川貴志栄「癌で亡くなった主人を偲びて」 |
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1965 |
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0101 |
『ひろしまの河 NO.11』 |
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升川貴志栄「山本さんと益子さんの縁」 |
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1966 |
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0301 |
『ひろしまの河 NO.13』 |
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升川貴志栄「思いだすままに」 |
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0801 |
『ひろしまの河 NO.13』 |
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升川貴志栄「病床譜」 |
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1967 |
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『ひろしまの河 NO.15』 |
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0801 |
升川貴志栄「美濃綾子さんを悼む あれから21年目」 |
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1968 |
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0801 |
『ひろしま 平和の歩み』(広島平和文化センター編、広島市) |
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一〇、市民による特殊な平和活動 79
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行 |
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1972 |
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0720 |
『ひろしまの河 NO.15 復刊1号』 |
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私の体験記 升川貴志栄ほか |
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<奥付の発行所>広島市尾長町****升川貴志栄方 原水爆禁止広島母の会 |
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1976 |
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0920 |
死亡。享年78歳。 |
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止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。