仁科芳雄博士追悼特集(『自然』1951年04月)
頁など |
記事 |
備考 |
表紙写真:原爆投下直後の広島の空中写真 |
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仁科芳雄博士追悼特集 |
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61 |
略歴 |
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62 |
仁科芳雄先生の思い出 湯川秀樹 |
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64 |
仁科先生を偲んで(座談会) 朝永振一郎・山崎文男・竹内柾・坂田昌一・中山弘美・玉木英彦 |
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77 |
こわかった「親方」 小林稔 |
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78 |
宇宙線と「親方」 関戸弥太郎 |
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79 |
時代の子か 伏見康治 |
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82 |
仁科先生の御病歴 武見太郎 |
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84 |
ジャーナリズムの片隅で 金関義則 |
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85 |
先生と私 小倉真美 |
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80 |
仁科博士学術論文目録 科学研究所仁科研究室提供 |
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止
仁科芳雄(にしな・よしお)
『広島県史 原爆資料編』収録資料
止
『日本無罪論-真理の裁き』(パール述 田中正明編、太平洋出版社、19520503)
内容
部 |
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頁 |
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<近藤儀一(極東軍事裁判補佐弁護人)推薦文?> |
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パール判事の判決文を読んで <田中正明> |
1 |
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1 |
予備的法律問題 |
38 |
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基本的な問題 38
平和と殺人と人道 38
共同謀議の目的と目標 40
戰爭は國家の罪か個人の罪か 42 |
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裁判所の構成 43
戰勝國が戰敗國を裁き得るか 43
弁護側の2つの異議 46 |
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裁判所の管轄権外の事項 47
ポツダム宣言は法的價値ありや 47 |
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適用されるべき法 50
検察側の主張する法 50
無條件降伏の意味するもの 52 |
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裁判所條例-これは戰爭犯罪を定義しているか 54
法は遡のぼらず 54
單なる権力の表示 56
戰勝國は犯罪を定義し得るか 58
戰勝國は法律を制定し得るか 61
戰勝國の主権と戰敗國の主権 63
数世紀の文明を抹殺するもの 67
征服と占領とは違う 69
権力の簒奪は許されるか 71
本裁判所の「越権」問題 73 |
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侵略戰爭は犯罪であるか 76
第1次大戰以降の戰爭は不法であったか 76
慣習國際法より見た侵略戰爭 76
慣習法は法の領域外の問題 78
國際法は進歩するものである 79
人道的観念の絶えざる拡大 82
原子爆彈の汚点 84
世界政治を学ぶ者の夢 85
法の究極の主体は何か 87
創造的裁量は許されるか 90
自然法によっても処罪できない 91 |
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2 |
『侵略戰爭』とは何か 93 |
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定義の必要 93
各時代に提案された各種の定義 95
イ クインシー・ライトの定義 95
ロ ラウターパクトの定義 98
ハ ジャックソンの定義 99
これらの定義の問題点 102
被支配民族の解放は侵略か 104
自衛の判定は誰がする 106
裁判に付し得ない問題 108
中國における共産主義の脅威 109
中國のボイコット 112
米國は中國を援助した 113
アメリカの対日経済制裁 115
日本が違反した條約 118
宣戰布告と眞珠湾攻撃 121
背信的企図 124 |
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3 |
証拠及び手続に関する規則 126 |
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証拠の價値判断 126
「木戸日記」の信憑性 128
「原田日記」の信憑性 130
西園寺回顧録はかくして作られた 131 |
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4 |
全面的共同謀議 138 |
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諸言(省略)138
第1段階-満州の支配獲得(省略)138
第2段階-満州より中國全土にわたる支配制覇の拡張(省略)138 |
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第3段階-侵略戰爭のための國内態勢の整備 138
人種的感情 138
A 民族的優越感 138
B 西欧人の選民意識 139
C 日本の人種平等案 141
D 有色民族の排斥 143
教育の軍國主義化 145
政権の獲得 149
一般的戰爭準備 150
枢軸國との同盟 152
ソ連に対する侵略 157 |
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最終段階-日米交渉決裂まで 158
期待は裏切られた 158
日本の誠意 161
日米の予備的ケ解 163
微妙な米國の『自衛』 166
日本の讓歩 167
3國同盟の「死文」化 169
南方資源をめぐる外交戰 172
日本軍の中國駐屯問題 174
ゆがめられた傍受電報 181
佛印進駐で局面急変す 187
窮地に追いこまれた日本 190
絶望的な噤@194
『対日包囲政策』なる 195
島田被告の供述 198
共同謀議は認められず 201 |
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結論 204
推定的價値しかもたない 204
愛國的動機 207
共同謀議は犯罪であるか 210
共同謀議はメンタル・オフェンス 213 |
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5 |
本裁判所の管轄権218 |
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どの期間を範囲とするか 218
蘆溝橋事件か眞珠湾か 221 |
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6 |
厳密なる意味における戰爭犯罪 225 |
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殺人ならびに共同謀議 225 |
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一般人に対する残虐行為 230
訴追の理由 230
『命令し・授権し・許可せり』 232
戰時宣傳の影響@2R6
南京における強姦事件 238
すでに『嚴重な裁判』を受けた 241
どの被告に関係あるか 242 |
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諸地域における残虐行為 244 |
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原子爆彈の責任 252 |
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いわゆる『南京残虐事件』 254
中國諸地域における残虐行為 259
いわゆる『マニラ残虐事潤x 262
これらの事件の責任者 263
イ 松井大将の場合 268
ロ その他の司令官の場合 268
俘虜に対する戰爭犯罪(略)269 |
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7 |
勧告 270 |
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止
パール、ラダビノード
18860127生19670110没 |
パール、ラダビノードRadhabinod Pal |
享年71歳 |
インド人法律家。東京裁判でインド代表判事を務める。彼の原爆慰霊碑の碑文についての発言をめぐり論争が起こる。『日本無罪論』、『平和の宣言』 |
関連資料
年月日 |
資料名 |
作成者など |
備考 |
19520503 |
日本無罪論-真理の裁き |
パール述 田中正明編、太平洋出版社 |
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19530410 |
平和の宣言 |
田中正明編、ラダビノード・パール著、東西文明社 |
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198003 |
島津邦弘「東京裁判とヒロシマ-原爆投下責任論をめぐって-」 |
『広島市公文書館紀要第3号(昭和55年3月発行)』所収 |
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東京裁判とヒロシマ | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com) |
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止
山田節男先生年譜 1898~1946年<出典:『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会編・刊、19760715)><作業中>
年月日 |
事項 |
1946 |
(昭和21) |
0408 |
復員 |
0912 |
日本労働組合総同盟国際部長 |
1947 |
|
0425
|
第1回参議院議員選挙通常選挙に当選(広島地方区、社会党公認) |
0503 |
日本国憲法施行により参議院議員となる。 |
1017 |
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1020 |
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1948 |
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1012 |
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1949 |
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0725 |
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1201 |
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1950 |
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0604 |
第2回参議院議員選挙通常選挙に当選(広島地方区、社会党公認) |
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1952 |
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0801 |
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1954 |
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0901 |
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1202 |
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1955 |
|
0323 |
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1005 |
|
1956 |
|
0708 |
第4回参議院議員選挙通常選挙に当選 |
0710 |
日本ユネスコ国内委員会委員 |
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1959 |
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0124 |
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1960 |
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0124 |
民主社会党結成に伴い、 民主社会党広島県支部連合会会長 |
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1962 |
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0901 |
|
0913 |
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1005 |
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1963 |
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0206 |
株式会社ラジオ中国役員顧問 |
1964 |
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0509 |
日本世界連邦建設同盟副会長。 |
1965 |
|
0904 |
衛星通信世界機構創立委員会出席のためワシントンに派遣 |
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1967 |
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0430 |
広島市長に就任。 |
0516 |
広島県市長会会長。 |
0628 |
国際親善都市連盟副会長 |
0828 |
世界連邦宣言自治体全国協議会会長 |
1968 |
世界連邦都市宣言世界本部理事長 |
0111 |
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1970 |
|
0109 |
国際親善都市連盟会長 |
1971 |
|
0430 |
広島市長に再任。 |
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1974 |
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0419 |
連合都市協会(UTO)共同議長 |
0624 |
世界連邦都市宣言世界本部会長 |
1975 |
(昭和50) |
0108 |
死亡(肺癌兼左癌性肋膜炎)76歳 |
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止
山田節男先生年譜 1898~1946年<出典:『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会編・刊、19760715)>
年月日 |
事項 |
1898 |
(明治31) |
1226 |
広島県賀茂郡高屋町大字溝口429番地で出生。 |
1917 |
(大正6) |
03 |
修道中学校卒業 |
1920 |
(大正9) |
07 |
第六高等学校<岡山市>卒業 |
1923 |
(大正12) |
04 |
東京帝国大学経済学部経済科卒業。マスター・オブ・アーツの称号。 |
1930 |
(昭和5) |
03 |
英国オックスフォード大学政経学部卒業。マスター・オブ・アーツの称号。 |
1931 |
(昭和6) |
0701 |
ジュネーブ国際連盟付属機関国際労働機関(ILO)調査委員。 |
1933 |
(昭和8) |
03 |
東京市社会局本所第一方面事務所長 |
1938 |
(昭和13) |
03 |
東京市嘱託 東京市電気局労務課勤務 |
05 |
日本厚生協会常務理事 |
1939 |
(昭和14) |
06 |
明治学院高等部講師 |
07 |
中央社会事業研究所海外研究員 |
1942 |
(昭和17) |
0505 |
陸軍司政官北ボルネオ守備軍軍政部総務部長兼調査局長 |
1945 |
(昭和20) |
0213 |
陸軍司政官高等官3等 |
09 |
豪州軍第9師団軍事裁判戦犯者主任弁護士任命 |
1946 |
(昭和21) |
0408 |
復員 |
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止
伊藤サカエ年表 <作業中>
年 |
月日 |
事項 |
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広島県呉市生まれ。矢野町議会議員、同町婦人会長などを歴任。 |
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1945 |
0806 |
広島市鶴見橋で建物疎開作業の勤労動員中に被爆。 |
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1965 |
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1977 |
0304 |
伊藤サカエ広島県被団協理事、「日米首脳会談で米大統領に核廃絶に踏み切るよう要請して欲しい」と福田首相に手紙。(中国新聞) |
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1978 |
0302 |
広島県被団協、5月の国連軍縮特別総会に5人の代表を派遣。桧垣益人事務局長・伊藤サカエ・高橋昭博・下江武介・小野田百合子。(中国新聞) |
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0526 |
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0806 |
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1979 |
1206 |
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1981 |
0621 |
日本被団協、伊藤サカエ(初の女性代表委員)・山口仙二・伊東壮が代表委員に、桧垣益人、小佐々八郎、行宗一は顧問に就任。 |
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1982 |
0818 |
伊藤サカエ・李実根、日本被団協の「欧州語り部の旅」の広島代表として参加。 |
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0819 |
~30 日本被団協「欧州語り部の旅」に伊藤サカエら27人を派遣。(日本被団協 (www.ne.jp)) |
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1983 |
0308 |
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1984 |
0228 |
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0617 |
日本被団協定期総会。代表委員に伊藤サカエ・山口仙二・伊東壮を再任 |
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0621 |
広島県被団協理事会、桧垣益人事務局長の辞任を了承、後任に伊藤サカエ。 |
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- 特集 被爆者医療の今日的課題-第4回全日本民医連被爆者医療交流集会から- 第4回全日本民医連被爆者医療交流集会の発言から 伊藤サカエ(日本被団協代表委員)/鈴木頌(北海道・勤医協札幌病院医師)/本庄庸(福岡・千鳥橋病院院長)/加藤文裕(神奈川民医連集健小委員・汐田病院事務)/上戸真弓(長崎・大浦診療所MSW)/坂本キミ子(福岡県被爆者相談所事務局長)/大場敏明(千葉・船橋二和病院医師)(『民医連医療』6月号)
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1985 |
0626 |
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0805 |
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1986 |
0301 |
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|
0729 |
|
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|
0929 |
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1987 |
0131 |
|
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0623 |
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1989 |
0906 |
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1990 |
0115 |
伊藤サカエ「エッセイ 被爆45周年を前に」(『福竜丸だより』141号) |
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0604 |
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1024 |
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1994 |
0709 |
広島県被団協、故森滝市郎の後任理事長に事務局長の伊藤サカエを決める。 |
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1101 |
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1130 |
衆議院厚生労働委員会、広島市内で被爆者援護法案についての公聴会。陳述人は、重松逸三・小林寛治・石田明・伊藤サカエ。 |
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1223 |
緊急全国代表者会議(「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」制定直後)での伊藤サカエ代表委員あいさつ「政府与党の、私たちの希望を欠いた提案が可決され、もっともっと大きな荷物を抱えた。私たちの後ろには、34万人の死んだ人と、一般戦災者もいる。国がした戦争の責任をなぜ国民が、政府がとらないのに私たちがとらなくてはならないのか。…もっともっと固く団結して、私たちがこれだけやったんだという証拠を挙げたい」。出典:濱谷正晴「“日本被団協 1994.12.23 緊急全国代表者会議”~「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立をうけて~」 |
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1995 |
0817 |
伊藤サカエ理事長、中国核実験に抗議電報。 |
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1997 |
0627 |
伊藤サカエ理事長、広島県被団協(金子一士理事長)総会に初めて出席。分裂から33年、連帯を確認(中国新聞) |
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2000 |
0105 |
伊藤サカエ(日本被団協代表委員・広島県被団協理事長)死去。88歳。 |
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0606 |
偲ぶ会(伊藤サカエ・伊東壮) |
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2019 |
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2016 |
0416 |
「伊藤サカエさんを語る会」(広島市原爆被害者の会主催「先人を語る会」第4回)。会場:大手町平和ビル。参加者65名。 |
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0816 |
「祖母、母から孫娘へ 三世代で語り継ぐ広島の被爆体験」( 『週刊女性』8月16日号) |
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止
裕仁(ひろひと)
1901年4月29日生 1989年1月7日没
参照:昭和天皇 | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com)へ
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。