『私の中の平和と人権』(田沼肇、草の根出版会、19950530)
内容
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初出 |
年 |
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序にかえて(上田誠吉) |
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1 |
戦争と私 |
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青山暮色 |
青山師範附属小学校同窓会「つくし」卒業30周年記念号 |
1976 |
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「私たちの時代」と言えること |
学協運動 |
1981 |
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『戦争責任』に想う |
全国革新懇ニュース |
1983 |
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2 |
被爆者とともに |
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原爆被爆者の現状 |
日本原水協の英文機関誌 No more Hiroshimas’ |
1982 |
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大阪の被爆婦人たちのねがい |
「文化評論」9月号 |
1975 |
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被爆者に励まされて |
「現実と文学」10月号 |
1964 |
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被爆者の苦しみを思う |
「民主文学」8月号 |
1966 |
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みなさんの健康を願いつつ |
大阪市原爆被害者の会『被爆婦人の集い』第3集 |
1971 |
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返還直後の沖縄にて |
日本原水協「6・9行動ニュース」 |
1973 |
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被爆者救援運動と故・峠一夫さん |
『民医連医療』9月号 |
1981 |
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3 |
ビキニ水爆実験被災から |
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ビ十二水爆実験被災から |
日本原水協「日本と本半洋が核戦場になる」 |
1984 |
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第五福竜丸の値段 |
「福竜丸」だより |
1986 |
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ビキニ水爆被災の全容 |
「平和新聞」 |
1983 |
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第五福竜丸と故・広田重道氏 |
「赤旗」 |
1982 |
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4 |
核兵器と人類の未来 |
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「原爆」と「原発」 |
「日高教情報」 |
1987 |
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被爆者は実験のために使われた |
No more Hiroshimas’ |
1983 |
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「憤りにまかせて」という論理 |
「原水協通信」 |
1975 |
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核兵器廃絶はなぜ必要か |
「草の根から革新の風を」 |
1983 |
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人類は核戦争によって自滅するか |
岩波書店『これからどうなる』 |
1983 |
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「平和とは戦争がないことか」 |
「赤旗」 |
1981 |
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非核自治体宣言の意義と地方自治 |
『平和教育』 |
1984 |
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教科書の核・平和問題の記述を読む |
われら高校生 |
1986 |
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5 |
草の根からの平和運動 |
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母親運動と平和の問題 |
母親新聞 |
1975 |
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原水爆禁止運動と社会科学者の立場 |
東京理科大学新聞 |
1960 |
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高校生の平和ゼミ |
原水協通信 |
1983 |
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唐津原水協を訪ねて |
原水協通信 |
1983 |
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企業社会と平和運動 |
平和運動 |
1992 |
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6 |
歴史と文化と学問と |
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三井三池争議の教訓 |
教育大学新聞 |
1960 |
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人間らしく働くということ |
労働旬報社「わたしの選択あなたの未来」 |
1986 |
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払の余暇 |
『前衛』7月号 |
1979 |
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松川事件と映画 |
わかもの |
1960 |
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労働者と学問 |
労働 生活 学習 |
1968 |
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7 |
病を得て想うこと |
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車椅子から見た社会問題 |
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1994 |
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原爆被害者援護法への道のり |
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1994 |
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あとがき |
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初出一覧 |
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広島県立図書館《広島県出身・ゆかりの女性たちの紹介》平成21年10月現在[抄]<作業中>
https://www.hplibra.pref.hiroshima.jp/ct/other000000700/hiroshima-josei-list.pdf
氏名 |
生没年 |
事項 |
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金井 時子(かない ときこ) |
明治22(1889)年~昭和34(1959)年 |
作家。岡山県から三次市に嫁ぎ,三次市の歌誌『くれない』などに短歌や随筆を寄稿。没後,知人らがまと めた作品集『ひとすじの道』(序文を武者小路実篤が執筆)がある。 |
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大田 洋子(おおた ようこ) |
明治36(1903)年~昭和38(1963)年 |
小説家。広島市出身。爆心地から1.4キロの妹の婚家で被爆。被爆体験から『屍の街』『人間襤褸(らんる)』を執筆。「大田洋子集(日本図書センター)」全4巻 |
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山代 巴(やましろ ともえ) |
明治45(1912)年~平成16(2004)年 |
作家。芦品郡栗部村(現府中市)出身。戦前に治安維持法違反幇助で三次刑務所へ収監される。戦後,そ こで見聞・体験したことから『蕗のとう』『囚われの女たち』を,広島県北部の農村の女性の生き方を描いた 『荷車の歌』などを執筆。 「山代巴文庫」シリーズ(径書房)第1期全9巻第2期全8巻 |
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正田 篠枝(しょうだ しのえ) |
明治43(1910)年~昭和40(1965)年 |
歌人。江田島町(現江田島市)出身。爆心地から1キロの自宅で被爆。アメリカ占領下の言語統制がきびしい中で,原爆歌集『さんげ』などを自費出版した。 |
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栗原 貞子(くりはら さだこ) |
大正2(1913)年~平成17(2005)年 |
詩人。広島市出身。爆心地から4キロの自宅で被爆。原爆詩「生ましめんかな」を「中国文化」創刊号(1946.3)に発表。原爆文学を代表する作家のひとり。 「栗原貞子全詩篇(土曜美術社)」全1巻。 |
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バーバラ・レイノルズ |
1915年~1990年 |
アメリカ人。戦後まもなく,夫の原爆被害調査研究によって広島を訪れる。「ヒロシマ」を世界に訴え,核実験抗議や平和巡礼の活動を続けた。 |
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佐々木 久子(ささき ひさこ) |
昭和2(1927)年~平成20(2008)年 |
エッセイスト,評論家。広島市出身。雑誌「酒」の編集長。「広島カープを優勝させる会」発足などでも活躍。 著書に『わたしの放浪記』ほか |
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大庭 みな子(おおば みなこ) |
昭和5(1930)年~平成19(2007)年 |
作家。西条町(現東広島市)の賀茂高等女学校に在籍し,被爆直後の救援動員の経験から『浦島草』などを 執筆した。「大庭みな子全集(日本経済新聞社)」全25巻(継続刊行中) |
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佐々木 禎子(ささき さだこ) |
昭和18(1943)年~昭和30(1955)年 |
広島市出身。爆心地から1.6キロの自宅で2歳で被爆。「折り鶴を千羽折ると元気になる」と信じながら原爆症と闘ったが12歳で死没。「原爆の子の像」のモデルとして,絵本などで海外にも知られる。〈社会・教育・医療〉 |
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参考資料:『日本女性人名辞典』(日本図書センター)
『新訂現代女性人名録』(日外アソシエーツ),各展示資料ほか。
早田尚 そうだ・ひさし 2008年8月27日没
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撮影日:20210207 撮影者:宇吹暁 |
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大森正信<作業中>
資料年表:大森正信
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日本科学者会議広島支部事務局長 |
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原水爆禁止日本協議会 |
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2002 |
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0131 |
撮影日:2002年1月31日 |
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2015 |
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1217 |
大森正信 広島県原水協筆頭代表理事・佐久間邦彦広島県被団協理事長ら4人、原爆被爆者養護ホーム「舟入むつみ園」と「矢野おりづる園」を訪問、全国から寄』せられた被爆者への「見舞金」あわせて300人分を届ける。<『原水協通信 On The Web』> |
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横山英
よこやま・すぐる |
1924生20060106没 |
中国史学者。 広島文理科大学卒業。1975年「中国初期立憲思想の研究」で名古屋大学法学博士、広島大学文学部助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。 |
<工事中>
『わたしの心が癒されるときは 栗栖洋遺稿・追悼文集』(広島県原爆被害者団体協議会被爆者相談所編・刊、19981030)
内容
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題字及びカット(四国五郎) |
遺稿 |
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鈴ヶ峯高校での証言一九九一年録音テープより
核兵器廃絶・被爆者援護での一貫した熱意と献身にふれて
『暮らしと政治』一九九〇年八月号
特集「終戦四十五周年と私と日本共産党」より |
栗栖洋略歴 |
弔辞 |
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一九九七年十月三十一日葬儀にて
金子一士/楠忠之/河野兵次 |
追悼のことば |
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核兵器廃絶を願う生命、世界にはばたけ(山瀬明)
栗栖洋君を偲んで(横山元明)
英語教育と平和教育(加藤信司)
手紙(小沢義照)
Let’s Cry For Peace!
「教科書の創造的な使い方」
栗栖洋さんとの出会い(土屋哲郎)
飄として立ち去る(谷整二)
手紙(相澤美希)
栗栖洋先生を偲ぶ言葉(皆川恵史 |
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親族の思い出 |
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被爆した弟を探して(今田三哲)
兄”栗栖洋”の追憶(森健)
弔歌(栗栖愛)
優しい思いを引きつぎたいと願っています(栗栖純子) |
あとがき |
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目次
いとう・たけし |
1929生
20000303没 |
享年70 |
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、元山梨大学学長。広島市生まれ。広島一中3年の時、動員先の兵器工場で被爆。東京・国立被爆者の会の結成に参画、東京都原爆被害者団体協議会事務局長、日本被団協事務局長などを歴任。江種則貴「評伝」(『中国新聞』2000.3.6)、本田雅和「惜別」(『朝日新聞』2000.4.12) |
資料
資料名 |
著者・作成者・発行者など |
備考 |
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ふみあと(退官記念随想集) |
伊東壮(1981刊) |
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伊東壮さんを偲ぶつどい |
東友会編 |
20000514、日本青年館中ホール |
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