「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

ノーベル平和賞-90年の軌跡と受賞者群像

『ノーベル平和賞-90年の軌跡と受賞者群像』(堤佳辰、河合出版、19900910 )

目次

章節
序論
平和賞の起源
平和賞の軌跡
ノーベル平和賞受賞者一覧(1901~1989年)
平和賞受賞者内訳(国別、機関別)
本論
1章 新世紀の曙光(1901~1910)平和運動の揺籃期-その希望と苦闘  
1(1901) 赤十字の父  デュナン  スイス
1 国際恒久平和同盟の祖  パシー  仏
2 常設国際平和局の中心  デュコマン  スイス
2 「列国議会同盟」(IPU)の推進者  ゴバ  スイス
3 「IPU」と「国際仲裁連盟」の創立者  クリーマー  英
4 ゛万国の法理゛へ  国際法学会
5 ゛ノーベルの恋人゛  スットナー女史  墺
6 ゛大きな杖゛の男  テディ・ローズベルト  米
7 熱血の平和ジャーナリスト  モネタ  伊
7 国際生活法理の信奉者   ルノー  仏
8 ノーベルの遺志の後継者  アルノルドソン  瑞
8 ゛北欧中立゛の推進者  バイエル  丁
9 小国の論理を代弁した  ベールナルト  白
9 ゛平和宮゛を実現した  デストゥールネイユ  仏
10 平和の拠点  「常設国際平和局」
2章大いなる幻影(1911~1920年)
 1(1911) 1)国際法学会の創設者   アセル  蘭
1 平和雑誌の出版者  フリート  墺
2 善隣外交の演出者  ルート  米
3 初の社会主義受賞者  ラフォンテーヌ  白
4 該当者なし 第1次世界大戦
5  該当者なし 第1次世界大戦
6 該当者なし 第1次世界大戦
7   戦時捕虜の看護と創刊  赤十字国際委員会
8   該当者なし 第1次世界大戦
9 悲劇の国際連盟創設者  ウイルソン  米
10 国際連盟の法的軍事機関化を主張  ブルジョア  仏
3章 つかの間の平和(1921~1930年)ベルサイユ体制の重圧 両大戦のはざまで  
 1(1921)  厳正中立を貫いた  ブランティング  瑞
 2  列国議会同盟の舵取り  ランゲ  諾
 探検家、博愛主義者  ナンセン  諾
 3 該 当者なし 委員会の不決断
 4  該 当者なし 委員会の不決断
 5  対独賠償の軽減者  ドーズ  米
 5  ロカルノの融和の名優達  チェンバレン  英
 6  ロカルノの融和の名優達  ブリアン  仏
 6  ロカルノの融和の名優達  シュトレーゼマン  独
 7  最高齢の平和賞受賞者  ビュイッソン  仏
 7  「ドイツ平和連盟」総裁   クヴィデ  独
8  該当者なし
9 ゛不戦条約゛に名を残す ケロッグ
10 ノーベルも尊敬した大主教 セーデルブロム
4章 平和主義者の悪戦苦闘(1931~1940年)ファッシズムの台頭 第2次世界大戦の前夜  
 1(1931)  「平和と自由の国際婦人連盟」創設   アダムズ  米
 1  ゛不戦条約゛の黒子  バトラー  米
 2  該当者なし
 3  「大いなる幻影」の著者  エンジェル  英
 4  平和の゛青い鳥゛を追う   ヘンダーソン  英
 5  獄中の平和賞  オシエツキー  独
6 「中南米不戦条約」を起草 サーヴェドラ=ラマス アルゼンチン
7 終始一貫「国際連盟」を支持 セシル
 8 戦前最後の平和賞  ナンセン難民国際事務所
9 平和賞の空白期
10 平和賞の空白期
5章 戦争、平和、そして冷戦(1941~1950年)国際連合の悩み 東西二大陣営の対立  
 1 平和賞の空白期(続)
2 平和賞の空白期(続)
3 平和賞の空白期(続)
4(1944) 第2次大戦中の人道的活動 赤十字国際委員会
5(1945) ゛国際連合の父゛ ハル
6(1946) YMCAを通じ平和運動 モット
 6(1946)  婦人平和運動に挺身   ボルチ  米
7 (1947)  絶対平和を求めて  フレンド奉仕団理事会  英
7(1947) ゛平和の友゛の活動 米国フレンド奉仕委員会
8 該当者なし
 9(1949) 「国連食料農業機関」(FAO) 創設者  ボイド=オア  英
 10(1950)  第1次中東戦争の名゛火消し゛  バンチ  米
6章 核時代の勢力均衡(1951~1960年)ガラスの城の不安 復興から人権へ  
1(1951) 「国際労働機関」(ILO)の草分け ジュオー
2(1952) ゛ランバレネの聖者゛ シュヴァイツァー
3(1953) ゛マーシャル・プラン゛で西側を救う マーシャル
4(1954) 第2次大戦後の難民処理 国連難民高等弁務官事務所
5 該当者なし
6 該当者なし
7(1957) 国連平和外交を推進 ピアソン
7(1957) ゛少年の家゛゛欧州村゛を建設 白(1957)
 8   該当者なし
9(1959) 平和運動の長距離ランナー「 ノエルベーカー
10(1960) アパルトヘイトへ平和闘争 ルツリ 南ア
7章 黄金の60年代?(1961~1970年)第3世界の台頭  内外の社会矛盾 
1(1961) 行動する国連事務総長の殉職 ハマショルド 瑞(スウェーデン)
2(1962) 化学賞と平和賞のダブル受賞 ボーリング
3(1963) ゛100周年゛の栄光 赤十字国際委員会
3(1963) 平和時活動にも意欲 赤十字社連盟
4(1964) 非暴力の公民権運動に殉じた牧師 キング
 5(1965) 戦後の児童救済と栄養補給に貢献  ユニセフ
6 該当者なし
7 該当者なし
8(1968) ゛世界人権宣言゛を起草 カサン
9(1969) 戦前から労使の国際連帯 ILO
 10(1970)  ゛緑の革命゛の先達  ボーローグ  米
8章 動乱の70年代!(1971~1980年)民族、宗教、思想 反体制の力学  
 1(1971) ゛東方政策゛の雄   ブラント  西独
2 該当者なし
3(1973) ゛ベトナム和平゛の実現へ キッシンジャー
3(1973) 唯一の平和賞辞退者 レ・ドク・ト 北ベトナム
4(1974) 「国際アムネスティ」を創設 マクブライド アイルランド
4(1974) ゛非核三原則゛を推進 佐藤栄作
5(1975) 不屈の反体制科学者 サハロフ ソ連
6(1976) ゛ベルファストの平和行進゛のリーダー ウィリアムズ
6(1976) ゛ベルファストの平和行進゛のリーダー コリガン
7(1977) ゛良心の囚人゛解放へ 国際アムネスティ
8(1978) 中東和平へ大胆な賭け サダト エジプト
8(1978) 往年のテロリストに平和賞 ベギン イスラエル
9(1979) ゛カルカッタ゛の聖女 マザー・テレサ インド
10(1980) ゛暗黒政治゛中の灯火 エスキベル アルゼンチン
9章 新たな秩序を求めて(1981~1989年)20世紀の総決算へ 語り部の役割  
 1(198) 創 立30周年の軌跡  国連難民高等弁務官事務所
 2(198)  世界初の軍縮相  ミュルダール  瑞
 2(1982)   中南米比較地域条約を実現  ロブレス  メキシコ
 3(1983) 自主労組゛連帯゛の指導者  ワレサ  ポーランド
 4(1984)  非暴力で黒人差別に対決  ツツ大主教  南ア
 5(1985)  核戦争防止国際医師の会   IPPNW
 6(1986)  アウシュヴィッツの語り部   ウィーゼル
 7(1987)  ゛中米和平゛構想を推進 アリアス   コスタリカ
 8(1988)  創立40年の国連平和維持軍  UNPKF
 9(1989)  亡命30年の゛活き仏゛  ダライ・ラマ チベット
補論 平和賞の゛落ち穂゛ 受賞して然るべき人たち
1 ゛白衣の天使゛の母 ナイチンゲール 英国
2  無抵抗不服従運動の教祖  ガンジー  インド
 3  ゛死線を越えて゛  賀川豊彦  日本
 4  北京゛動乱゛に対話路線を主張 趙紫陽   中国
 5  米ハノイ北爆を名指しで批判 パルメ  スウェーデン
 6  反戦、反核の行動する哲学者 ラッセル卿   英国
 7  ゛近代五輪゛の創始者  クーベルタン  仏
8 三重苦の聖女  ヘレン・ケラー  米
9 ゛獄中27年゛の闘士 ネルソン・マンデラ  南ア
結び 平和賞の使命 平和賞の進路

 

 

占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)

広島市公文書館開館30年講演会(2007年9月29日)
占領下における被爆者医療活動-医学博士・都築正男資料から
宇吹 暁(広島女学院大学)

はじめに
1972年2月3日、日赤に重藤文男院長を訪問。
都築著『医学の立場から見た原子爆弾の災害』借用。
1978年6月11日、80年11月17日~18日、都築家資料調査。
1994~96年度 科学研究費補助金
1995年12月23日、広島大学公開講座「原爆医療法制定前の被爆者問題」。

Ⅰ 占領下における被爆者医療活動
『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』
(広島大学1995.10.01)<資料1

Ⅱ 都築資料の概要
広島市寄贈(1981年7月6日)点数
書簡・葉書53点、論文247点、講演要旨27点、写真19点、雑誌17点、調査票9点、地図9点、その他264点 計645点 <『広島市公文書館紀要 第5号』(広島市、1981.03.31)>
『広島新史 資料編1(都築資料)』(広島市、1981.03.31)
目次<略>

Ⅲ 都築正男をめぐる現在

1.文献

1.文献

No. 発行年月日 書名 著者・編者 発行所
  1959.07.21 原水爆時代-現代史の証言(上) 今堀誠二 三一書房
  1972.03.31 広島県史・原爆資料編 広島県(編) 広島県
  1979.07.25 広島・長崎の原爆災害 広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会(編) 岩波書店
  1980.08.06 桜隊全滅-ある劇団の原爆殉難記 江津萩枝 未来社
  1981.03.31 広島新史・資料編Ⅰ-都築資料 広島市(編) 広島市
  1981.03.31 広島市公文書館紀要 第5号 広島市(編) 広島市
  1981.04.05 都築正男研究業績目録-都築正男大人命20年祭 広島市史編纂室(編) 都築正和
  1982.11.10 長崎原爆体験-医師の証言 調来助・吉沢康雄 東京大学出版会
  1986.08.11 DDT革命-占領期の医療福祉政策を回想する サムス,クロフォード、F.、竹前栄治(訳) 岩波書店
  1990.10.18 核と共に50年 木村一治 築地書館
  1995.03.30 漱石の脳 斎藤磐根 弘文堂
  1995.10.01 広島大学公開講座・被爆50年
-放射線が人体に与えた影響
広島大学 広島大学
  1997.02. 原爆被爆者対策史の基礎的研究―原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28)資料集― 宇吹 暁 宇吹 暁

 2.今堀誠二の評価

占領軍と日本人科学者:サムス、アレン、ケリー、  ジュノー

『原水爆時代-現代史の証言(上)』、『広島県史・原爆資料編』、(『広島・長崎の原爆災害』)、『広島新史・資料編Ⅰ-都築資料』

3.検閲
「所謂『原子爆弾傷』に就いて-特に医学の立場からの対策」(『総合医学』、1945年10月1日)
<ゲタバキ部分あり。「昭和20年9月8日米国原子爆弾損害調査団を案内して広島市へ向ふ時記す」>

4.調査データのプライオリティ
大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡(1953年5月3日付)の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)。
大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」

5.政府機関
予防衛生研究所、文部省、厚生省研究班、

6.広島・長崎の医療関係者
*都築正男報告(新聞発表)『中国新聞』
1945.9.4  9.5  11.25    1946.5.22  12.21
『広島県史・原爆資料編』(広島県、1972.03.31)
*公開治療
*松坂義正(広島)、調来助(長崎)
*学研調査団資料 調査票

7.被爆者
1945年8月13日、仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院。24日、仲みどり、東大病院で死亡。30日、東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。

1956年4月15日、東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。

「畑とし子」=<東京の日赤で都築博士の治療を受ける>『あの日から生きて生きて』(1986年2月20日)
宗藤尚三=<被爆場所:1.3キロ自宅。大学生。日赤・似島・庄原日赤で治療。庄原では都築の診断を受ける。>『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』(1992年6月10日)

大田洋子文学碑建立記念誌

『大田洋子文学碑建立記念誌 1978・9』(岩崎清一郎編、[大田洋子文学碑]建立委員会事務局、19780925)

口絵<いしぶみと大田洋子関係>
01 お礼 建立代表 斎木寿夫・栗原貞子
02 追憶・大田洋子 ―文学碑建立に際して 佐多稲子
08 大田洋子文学碑について 大原富枝
11 記録・資料
11 碑文の由来
12 爆風の中の碑 四国五郎
14 大田洋子略年譜
18 記録・資料
18 大田洋子文学碑建立についてのお願い 安芸文学内 建立委員会事務局
20 協賛者
23 マスコミ関係のご協力
25 経過報告 事務局・岩崎清一郎
29 除幕式に寄せられた祝電
30 通信のなかから
34 募金協賛・御芳名録
47 会計報告
48 楽譜”少女たちは”
除幕式<於・中央公園/昭53・7・30>

内容

 

 

広島平和記念都市建設方案(19490920立案)

広島平和記念都市建設方案 (昭和24.9.20立案)

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広島大学蔵

原爆にたをれむ人もやすらかに平和の光受けて眠らむ

広島平和記念都市建設方案
(昭和24.9.20立案)
企画部 建設構想の研究、実施の促進
建設法に伴ふ国家各機関との交渉
建設予算編成と財源捻出(県市、国家、外国)
都市形態整備 特殊的 記念保存物調査決定(産業奨励館、原爆十景等)
新建設物 慰霊塔(平和塔)
記念館
美術館
科学館
一般的 土木工事 道路 公園
軌道 ガス
上下水道
橋梁
建築工事 公共文化、社会事業的建造物
個人住宅
内容充実 霊場設置 二十万犠牲者の鎮魂場
原爆資料 実物、写真 調査蒐集
文書、統計
平和精神涵養 講演会(教育、宗教、文化団体連絡)
雑誌(平和協会ヨリ発行)
市旗(平和都市象徴・各戸掲揚)
平和祭発展 行事の研究(世界的構想へ)
市民の熱意表現工夫
世界平和運動 国際連合、ユネスコ連絡(行事)
会場の建設
文化施設内容 美術館 資料研究、調査、蒐集
科学館

 

 

千田書房

千田書房(店主=山崎与三郎)

やまさき・よさぶろう 19760704没 享年86

資料

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広島大学原医研資料 20201030撮影

 

原水爆禁止運動(今堀)

『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)

目次

第*回大会 タイトル<初出掲載誌紙>
プロローグ
原水禁運動の発足
杉並アピール
見殺しにされた被爆者
被爆者救援運動の発足
三千二百万人の国民運動の進展
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)>
八月六日の回想
発言の本音
被爆者の生活と意見
科学者の責任
救援運動の出発
基地闘争への賛否
ヒロシマ・アピール
歴史学研究会の問題点
歴史をになうもの
被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)>
世界を動かしたヒロシマ
世界の連帯
進む戦争準備
沖縄問題
再軍備への告発
被爆者救援運動との結合
原子力の平和利用と大衆
大衆運動の進め方への反省
地方原水協の強化と中央および国際組織の空転
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)>
台所までもち込まれた運動
専門家の告発
歴史家は何をすべきか
六大陸にひろがった原水禁運動
原水爆戦争体制との対決をうち出す
会議は空転する
全学連の誤謬
大会決定の成果と不安
問題点のかずかず
組織と理論に重大な欠陥
 日本の非核武装化にたちむかうために
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)>
岸内閣を助けた原水協
ICBMの評価を誤る
欧米で核兵器反対運動高まる
平和行進
原爆の加害国化する日本
統一戦線
日本の核武装
空転する討論
中国・朝鮮への差別
運動の進め方への反省
難航した国際会議
実験禁止から核武装反対へ
原水協を全国民のものに
 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義
<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)>
原水禁運動のマニフェスト
一千万人の平和行進
自民党の妨害工作
安保改定と原水禁運動
大会からの脱退者
左右の日和見主義者
 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)>
二千二百万人の平和行進
平和の敵は誰か
平和運動における二大潮流
人類の導きの星
日本と沖縄での戦いの報告
大会の混乱と成果
軍備全廃か冷戦終結か
 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論
 <初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)>
謀略工作
平和運動における西欧方式とAA方式
AA地域別会議流れる
本会議でのかけひき
大会決議のおもてうら
原水爆時代の平和理論
大衆の平和運動
両派の自己批判と運動の進展
 8  社・共両党の激突と大衆の統一への願い
 <初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)>
矛盾の中で
総評まかり通る
あらゆる核実験に抗議する問題
核戦争の元凶は誰か
幅広い運動か、反帝政治闘争か
原水協の「内乱」と統一のエネルギー
国民運動の崩壊と再生への四つの芽
<『思想の科学』19号(196310)>
宗平協―国民運動をはぐくむもの
地方原水協の活動
原水協、国民を無視
大会準備のなかでー国民運動にそむくもの
大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇
大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽
すべての地域と職場に原水協をつくろう
10 毛沢東理論からみた日本原水協批判
 <初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)>
 原水禁運動と私
 毛沢東の平和理論の問題点
 中ソ対立と原水禁運動
 民族解放運動との接点
 資本主義国の平和運動の意義
 統一戦線への整風運動
 日本の平和運動の性格
 広島の平和運動の性格
 原水協はその基本原則で再統一を
 核兵器のない世界をめざして
<『聖教新聞』1973年2月21日~28日>
 日本の安全はどうして守るのか
 平和運動のゆくえ
 新しい平和の条件
国際連合の将来
 あとがき

原爆体験記読書会(198604~198703)

原爆体験記読書会
呼び掛け人:田原幻吉・宇吹暁
全11回(198604~198703)

原爆体験記研究会1986a

 

出席者
1 04 08 「絶後の記録」

参加者:大野・中川・豊永・宮道・舟橋・冨沢・春日・羽原・内田・宇吹・田原

2 05 13 参加者:中川・若林・江崎・豊永・宮道・冨沢・羽原・内田・渡辺・宇吹・田原
3 06 10 「原爆の子」。

参加者:大野・若林・江崎・豊永・宮道・舟橋・宇吹・田原

4 07 08 参加者:大野・中川・豊永・羽原・内田・宇吹・田原
5 09 09 「星は見ている」。

参加者:大野・若林・江崎・豊永・舟橋・宇吹

6 10 14 参加者:大野・若林・舟橋・内田・宇吹・田原
7 11 11 「天よりの声」。

参加者:中川・豊永・舟橋・内田・宇吹・田原

8 12 09 「もうひとつのヒロシマ」。

参加者:中川・若林・江崎・豊永・舟橋・羽原・内田・宇吹・田原

9 01 13 参加者:若林・江崎・舟橋・内田・渡辺・宇吹・田原
10 02 10 参加者:江崎・豊永・宮道・内田・宇吹・田原
11 03 10 参加者:大野・若林・豊永・宮道・舟橋・羽原・内田・島津・宇吹・田原

ヒロシマは問う(田原伯197107)

ヒロシマは問う(「ヒロシマは問う③」『朝日新聞』連載)

幻の原爆白書 作製の熱意、国になし 死者数も不明確なのに
40年8月6日、首相官邸で、世界平和アピール七人委員会から原爆被災白書づくりなどの陳情を受けた佐藤首相。
「私のオイも、広島で原爆を受けて死んだ。原爆は大事な問題だと思う。あらゆる手をつくすよう関係の大臣に指示する」
役所やめ資料集め 口先だけの「調査」 苦闘の記録も廃棄
<写真キャプション>
「ひとつでも多くの惨禍の物証を」
――足で集め回った被爆資料を整理する田原さん。が、貴重な文献類が生かされる日はいつくるのか。むなしい気持ちに襲われることもある。
a197107b2
参考資料「広島・長崎は問う<2>幻の白書」(197007**)
a197107a2<写真キャプション追加>「広島平和記念資料館で」

 

原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)

原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)

中国新聞連載

年月日
19680307(上) 今堀誠二
特質無視のウ報告 資料の不足で迫力欠く  原爆被災資料広島研究会への期待
19680308(中) 山崎与三郎(原爆資料保存会幹事)
原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す
19680308(下) 田原伯(原爆文献研究家)
個人の体験からの発言 分類・整理が急務 独力で一万点を集める
tahara19680309
気違い扱いの十年
 10年余り前、それまでの務めをやめて、ただ原爆資料の収集に全生活を当てたので私は「原キチ」と呼ばれ、変り者扱いにされてきた。
現在約一万点の原爆資料を集めることができた。
資料不備な図書館
全国の古本屋捜し
整理・研究が日課
収集三原則と分類
これは田原氏の談話をまとめたものである。

 

原水爆時代(下)

『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)

崩れぬ平和をかえせ
あるブルジョアの一家
三吉の少年時代
原爆の日より
広島日鋼争議
平和大会と「われらの詩」
朝鮮戦争への抵抗
砲声下の原爆詩集
平和運動の組織化へ
美しい生涯と原爆症
生きている峠三吉
朝鮮戦争に抗して
1 原爆禁止運動の烽火
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について
2 ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、
3 流星光底長蛇を逸す
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、
4 冬の旅を行く
人命は冷戦より尊い
1 原水協のうまれるまで
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、
2 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、
3 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、
4 フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、
5 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、
6 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、
7 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人
新紀元は始まる
 一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる
  あとがき
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。
 しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。