大原三八雄
19920706没 | おおはら・みやお | 享年87 | 「広島詩集 1965」(広島県詩人協会)、「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』 |
大原三八雄
19920706没 | おおはら・みやお | 享年87 | 「広島詩集 1965」(広島県詩人協会)、「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』 |
東京都葛飾区立上平井中学校
『’76ひろしま 東京都葛飾区立上平井中学校-修学旅行記録集-』(19770319、江口保編・発行) 所蔵:ピカ研
市岡正憲
19190609生19930622没 | いちおか・まさのり | 享年74歳 | 広島県被団協理事長・県原水協理事長。 |
資料
19710622 | 『教研速報No.2』 | 広教組広島地区支部教文部 | 所蔵:ピカ研 |
学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生 | |||
19890605 | 歌集・炎1-反核非戦の闘いのために | 火幻短歌会 | |
平和教育校内研究会(石田講師)の概要(19701120)
資料所蔵:ピカ研 |
骨子 |
平和教育のあゆみ |
現代の世相と平和 |
平和教育の位置づけ |
平和教育の定義 |
学校と家庭 |
フロイド・シュモー
18950921生 20010420没 |
享年 105歳 |
1983年)11月15日広島市特別名誉市民 「ヒロシマの家」(シュモーハウス)の建設・寄附を通じて平和運動に尽力。 |
資料
ドキュメント・悲しみの千羽鶴(豊田清史、創樹社、1991/07/10)目次
1 | 鶴を折りつつなぜ死んだ | ||
2 | 二歳で被爆、でも元気に育った | ||
3 | 六年生の冬、原爆症が出た | ||
4 | 生きたくて千羽鶴を折る | ||
5 | ほんとうは千三百羽をこえていた | ||
6 | 禎子よ、もう一度この胸に | ||
7 | 「原爆の子の像」建立へ | ||
8 | 子どもの力で平和をきずくのだ | ||
9 | パン代五五〇円使っただけ | ||
10 | はばたく千羽鶴 | ||
11 | 苦しみに絶った若い命 | ||
12 | 千羽鶴のこころね | ||
13 | 次つぎと寄せられた千羽鶴 | ||
14 | 反核への折り鶴運動 | ||
15 | 禎子の折った赤い鶴 | ||
16 | 海を越える折り鶴の輪 | ||
17 | 折り鶴への放火事件 | ||
18 | 像の二〇万羽を引きちぎる | ||
19 | 首相の句碑には折り鶴がない | ||
20 | 「折り鶴の会」の嘆き | ||
21 | 折り鶴でとっちめられた私 | ||
22 | 千羽鶴の詩歌や出版書 | ||
23 | ピカドン竹藪の千羽鶴 | ||
24 | 「金色の鶴」の紛失 | ||
25 | 湯川博士より「千羽鶴」の書 | ||
26 | お母さんの千羽鶴 | ||
27 | 七六万羽折った北川さん | ||
28 | 町をあげて千羽鶴運動 | ||
29 | さまざまな問題をもつ平和公園 | ||
30 | 鶴に生きる禎子の霊よ | ||
31 | 千羽鶴が絶えませぬように | ||
あとに | |||
『『歴史と教育(広島歴教協)』NO. 14
石井金一郎先生追悼号目次
著者 | タイトル |
今堀誠二 | 石井教授の学問 |
石井和郎 | ぼくの父 |
天野卓郎 | 石井金一郎先生を偲んで |
篠原孝義 | 組織者石井金一郎先生 |
有田譲 | 石井先生と部落問題 |
松岡金光 | 石井先生を偲んで |
村上尚三郎 | 石井先生の死を悼む |
故石井金一郎氏遺族をはげます募金のお願い | |
資料 | 石井教授の死 平和運動に打撃 原爆医療法成立に功労(『中国新聞』19670622) |
遺徳をしのび500人 石井教授の教養部葬 霊前にひっそり学位記(『中国新聞』19670623) | |
天野 | 編集後記 |
バーバラ・レイノルズ 19900211没 74歳
米の平和運動家。1951年に来広し、18年間広島市に滞在、1962年に広島・長崎平和巡礼団を組織するなど平和運動に貢献。
広島平和公園 撮影日20190921 |
菊池武彦
きくち・たけひこ | 生19850504没 | 享年91歳 | 京都大学原爆災害調査班の一員として1945年8月に広島を調査。『京都大学原子爆弾災害総合研究調査班の成立と活動』、『大野陸軍病院における京大原爆総合研究調査班の山津波による遭難の状況(私の日記から)』。お宅を訪問。被爆直後の写真について教示をいただく。 |
止
下中弥三郎 1878 年生、1961年2月21日死亡。享年84歳。
下中記念財団 1962年6月設立。理事に赤井米吉(初代の理事長)。茅誠司、谷川徹三、中島健蔵、湯川秀樹など。
出典:https://www.shimonaka.or.jp/